現在地 HOME > 掲示板 ★阿修羅♪ |
|
朝日新聞1977年4月11日夕刊1面
脱出作戦あの手この手 旧サイゴン
結婚や養子で擬装も
故国外人とのコネ探し
【ホーチミン市(旧サイゴン)=本多勝一特派員】二度目のサイゴン陥落記念日(四月三十日)がもうすぐめぐってくるが、全力を傾けてかつてのサイゴンから逃けだそうともがいている人々がつづいている。その「あの手この手」を披歴してみよう。社会主義革命を市民がどう受けとっているか、これを不快とし、喜ばぬ度合いは、旧サイゴン政権時代に「良い思い」をしていた階層の、その「良さ」の程度とほぼ一致する。
旧政権の直接当事者として「非常に良い思い」をしていた一部特権階級はすでにサイゴン陥落目前に逃亡した。一般市民の中で「かなり良い思い」をしていたのは、外国企業なり外国人と直接・間接に関係のあった階層であろう。この層が今、逃亡に最も熱心である。かれらは「北ベトナム」が大きらいで、理屈なしに“アカ”が恐ろしく、市民が新経済区(開拓地)建設に少しずつ参加するようになってきたことを、将来への絶望とみる。そこで、かつてコネのあった外国人はもちろん、コネなどなくても、ワラをもつかむ思いで、外国人を利用しての脱出作戦、を展開する。
ここでいう「外国人」とは、フランス人をはじめとする欧米人か、アジアなら日本人、台湾系中国人、それにまだ少し残っている韓国人などである。それらの中では、旧植民地の宗主国としてのフランス人がまだまだ多いから、「脱出作戦」の利用相手としてもフランス人が多い。その結果、逆に利用されてひどい目にあう例もあるようだ。
あるフランス人の男が本国に引き揚げることになった。独身だから、彼と結婚すれば「妻」として脱出できる。「脱出作戦中」の金持ちの女性三人が言い寄った。ベトナム人二人、中国系(ベトナム国籍)一人。こうした場合、それが本当の恋であるかどうかは問題ではない。あくまで一時的契約でよい。バンコクに出たら契約解消という例もかなりあるようだ。
三人にいい寄られた彼は、大ホテルの最もいい部屋に住み、生活費のすべてを彼女たちに依存し、大金も(むろん三人別々に)約束金としてとった。結局、いさ出国のときそのフランス男が選んだ一人は中国系の女性だけだった。あとの二人はだ之されっはなしのまま逃けられたわけだ。
ホーチミン市からバンコクゆきの定期便が、毎週一回出ている。フランス航空の子会社「ユタ」航空の便だ。これは、こうした「引き掲げ者」のためのものといえる。百二十人以上の府が、いつも満席だという。そしてその中で、正真正格の外国人は案外少ない。半分以上はこうした「契約外国人」だろうという説がある。ほかに香港ゆきの臨時便もたまに出る。
こんな風潮だから、いずれ引き場けるとみられている独身外国人は異様なモテ方をすることになる。ある例では、実に五千米ドル(約百五十万円)払うから「仮の妻」にしてほしいと申し込まれた。これは今の市民にとっては天文学的金額である。
日本人の場合にしても、さきのフランス人の男を笑えない例をいくつか聞いた。「養女」ということにして“二号さん”を連れ出した例などはまだしも、必ず呼ぶと約束したまま知らんぷりの男も珍しくないようだ。
しかし、気の毒な脱出作戦組もある。カンボジアからペトナムヘ脱出してきた華商などだ。ベトナム語も中国語も自由だが、べトナム人ではないという証明はない。
たしかにカンボジアから脱出してきたことを証明することができれば「外国人」になれるから、ベトナムから香港や台湾なんかへ再脱出する機会もあるかもしれない。そのためには、たとえはカンボジアで外国の会社または大使館に関係があったとしたら、その国の政府から「確かにカンボジアで仕事をしていた」とする証明書を送ってもらえばいい。
そこで、証明書を送ってもらうぺく、かつてカンボジアで関係のあった外国人に必死で連絡をとろうとする。手紙がだめなら、たまにやって来るその国の旅行者に依頼もする。そうでもしなけれは、カンボジアから帰国したベトナム人として、いすれどこかの開拓地へでも行かざるをえなくなるというのである。
四百二十万人の大都市だったあのサイゴンは、減ったとはいえまだ三百五十万人。落ち着くまでには、この程度のことは「混乱」以前なのかもしれない。