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張学良氏 西安事件の口述記録公開 投稿者 倉田佳典 日時 2002 年 6 月 04 日 17:54:09:


06/04 15:48 蒋の威信回復し抗日戦線を 西安事件後、張学良氏  外信60

 【台北4日共同】日中戦争中の一九三六年十二月、抗日のために
共産党との内戦停止を求め、中国・西安で蒋介石(当時、国民政府
主席)を監禁した西安事件の主役で昨年、死去した張学良氏が、蒋
介石の釈放後、危険を覚悟で南京に同行したのは「蒋介石の威信を
立て直し、抗日戦線を築くためだった」と生前、回想していたこと
が四日、明らかになった。                  
 九○年に台北で張氏にインタビューした米コロンビア大学の唐徳
剛元教授(81)がニュージャージー州の自宅で共同通信の電話取
材に答えた。張氏のインタビューを収めたテープや日記、手紙など
の資料は、遺族の同意を得て五日から同大で初めて公開される。 
 西安事件は抗日に向けた「第二次国共合作」だけでなく、新中国
誕生につながる歴史的転機となっただけに、張氏の口述記録は中国
現代史解明にとって貴重な資料となりそうだ。         
 唐元教授によると、共産党打倒を優先する蒋介石の戦略に反対し
、西安事件を企てた張氏は、蒋介石の監禁後どう動くかについて具
体的計画はなく「捕まえてから考える」つもりだったという。  
 唐元教授は、共産党の周恩来(後の中国首相)を交えた協議の末
、蒋介石は挙国一致の抗日や共産党の討伐中止などに基本的に応じ
たが、合意内容を記した文書にサインすることは拒否したと説明。
張氏も「口頭了解で十分」と同調し「文書はなかった」と述べたと
いう。                           
 張氏は「中国を統一できるのは蒋介石しかいない」と敬意を抱い
ており「殺されるか捕まるかだ」と予想しつつ「(事件で低下した
)蒋介石の威信を立て直し、その指導の下で抗日戦争を戦う」こと
を考えて南京に同行したという。               
 また、西安事件について「愛国的行動」と振り返る一方「蒋介石
の政府が(共産党に)転覆されるとは思わなかった」と失望感も表
明。周恩来に関しては「有能で見識が高く、忠告は的を射ていた」
と評価、共産党は「愛国的で非常に力のある政党」とみていた。 

(了)  020604 1548              
[2002-06-04-15:48]
06/04 15:48 張学良氏の口述記録要旨  外信61

 唐徳剛・コロンビア大学元教授が四日、明らかにした故張学良氏
の口述記録要旨は以下の通り。                
 一、(西安事件当時)中国を統一できるのは蒋介石しかいないと
思っていた。自分が(事件によって一九九○年まで)半世紀以上軟
禁されても、その考えは変わっていない。           
 一、西安事件は愛国的行動だった。蒋介石を捕まえてから次の行
動を考えることにした。周恩来らとの合意内容についての文書はな
い。口頭の了解でいいと主張した。合意内容を公開して蒋介石の尊
厳を傷つけてはならないと判断した。             
 一、蒋介石と南京へ同行したのは、蒋介石の威信を立て直し、そ
の指導の下で抗日戦争を行うとの考えから。当時は蒋介石の政府が
(共産党に)転覆されるとは思わなかった。          
 一、周恩来は有能で見識が高く、忠告は的を射ていた。話がとて
も上手だった。共産党は愛国的で非常に力のある政党で、軍隊も力
量があった。                        
 一、日本に中国を侵略させてはならないとの気持ちから、徹底的
に抗日を行おうと思った。帝国主義は許すことはできない。   
(了)  020604 1549              
[2002-06-04-15:48]
06/04 16:00 歴史の謎は依然解けず 西村成雄・大阪外大教授  外信62

 西村成雄・大阪外大教授(中国現代史)の話 西安事件で蒋介石
監禁中に蒋と周恩来が会談したことは分かっており、その場に張学
良が同席したのはほぼ間違いないだろう。張学良が「口答の了解で
いい」とし蒋の尊厳に配慮をみせたのは、この会談の場面に居合わ
せたことを示しているといえる。ただ、蒋と周の間で密約があった
かどうかという歴史の謎は依然、解けていない。        
 当時、国民党は「安内攘(じょう)外」(国内を安定させてから
外敵に対処する)の政策の下、中国共産党を追い込んでいた。一方
、張学良の主張は「攘外安内」(外敵に対処してから国内を安定さ
せる)と抗日戦争最優先の考え方。蒋と張の主張が真っ向からぶつ
かり合う中で開かれた周を交えた会談は、共産党がそれまでの階級
闘争を棚上げし、国共合作につながる原型となった可能性がある。
 張を抗日に追いやった当時の日本の対中政策は稚拙さが目立つ。
これから公表される口述記録でも、日本や中国の近現代史を見直す
内容がちりばめられているであろうが、張の口述記録の公開自体が
中国にとっての二十世紀の終わりを意味するのかもしれない。(共
同)                            
(了)  020604 1600              
[2002-06-04-16:00]
06/04 16:00 張学良氏の略歴  外信64

 張 学良氏(ちょう・がくりょう)中国の東北地方を支配した奉
天軍閥、張作霖将軍の長男として1901年に生まれた。張将軍が
28年6月、関東軍の謀略で爆殺されたため後継に。日中戦争中の
36年12月、西安で蒋介石(当時国民政府主席)を監禁した「西
安事件」の立役者となり、翌37年の抗日民族統一戦線(第2次国
共合作)の成立のきっかけをつくった。中国側は張氏を中国統一に
向けた「愛国者」と称賛した。事件後、蒋から禁固10年の刑を受
け、内戦に敗れた国民党と共に46年末に台湾に移ったが、軟禁生
活は90年まで続いた。94年ごろハワイに移り2001年10月
、肺炎のため100歳で死去。(共同)            
(了)  020604 1600              
[2002-06-04-16:00]

06/04 16:06 西安事件とは  外信63

 西安事件 中国・西安で1936年12月、国民党軍の指導者、
張学良氏らが抗日のために共産党との内戦を中止するよう求め、国
民党政権の蒋介石を監禁した事件。              
 共産党の周恩来(後の中国首相)は、挙国一致の抗日政策に転換
するとの蒋の了解の下、蒋を釈放するよう調停。この結果、翌37
年7月、盧溝橋事件で日中戦争が拡大した後、国民党は内戦を停止
し、抗日民族統一戦線(第2次国共合作)を成立させた。    
 張氏は事件後、蒋によって禁固刑や自宅軟禁に処され、50年以
上にわたり自由を奪われた。(共同)             
(了)  020604 1606              
[2002-06-04-16:06]

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