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「戦争プロパガンダ 10の法則」アンヌ・モレリ著
(日本語版によせての前書きを紹介します)
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【……また戦争プロパガンダが始まった……】
民主主義国家では、開戦にあたり国民の同意を得ることが必要不可欠である。昨年始まった戦争にもまた、世論を動かして参戦に同意を得るため、戦争プロパガンダの法則が巧妙に使われた。
戦争プロパガンダには、「『敵』がまず先に攻撃を仕掛けてきたということになれば、国民に参戦の必要性を説得するのにそれほど時間はかからない」という法則がある。2001年9月11日、アメリカ大統領はこの法則を即座に利用した。
ブッシュ大統領は、世界貿易センター・ビルへのテロ攻撃は戦線布告都同じだと断じ、議会とメディアは第2の真珠湾攻撃だと位置づけた。
かくして、1ヵ月もたたないうちに、アメリカはアフガニスタンを空爆。ただし、これは「攻撃」ではなく「報復」だという。言葉の問題は重要だ。
この経緯を反アメリカ側から見れば状況は異なる。世界貿易センター・ビルへの攻撃こそが、アメリカがこれまでバクダット、スーダン、リビアでおこなった空爆への「報復」だというわけだ。
さらに、真珠湾攻撃を引き合いに出すのも妙な話だ。たしかに、ハリウッド映画に影響を受けた人びとにとって、真珠湾攻撃は日本の裏切り行為であり、1941年12月大平洋戦争開戦の原因となった奇襲攻撃として忘れがたいものだろう。
だが、アメリカ海軍上層部の証言によると、当時アメリカ情報部は、この「奇襲」をあらかじめ知っていたにもかかわらず、真珠湾の司令官にそれを知らせていなかったという説もあり、この説を支持する歴史科も増えている。
アメリカの最後通牒に対する日本国の返答も伝えられていなかった。つまり、情報を握りつぶすことで、日本が先に攻撃してきたことにし、アメリカの領土を攻撃した日本に対して「報復」するという体裁を整えたのだ。
続いての法則は、「敵側が一方的に戦争を望んだ」(第2章)というものだ。アフガン空爆から数日後、ル・ソワ−ル紙は「タリバン、ビンラディン、アメリカに挑む」と書いた。「挑む」とは「挑発する」「戦意を示す」ということだ。つまり、この見出しからは「10月7日にアフガニスタンが空爆されたのは自業自得だ」おいう認識が読み取れる。だが、ビンラディンの有罪の証拠を示せば身柄引き渡しに応じる可能性もある、と言っていたのだ。
「敵のリーダーを悪魔扱いする」という法則(第3章)も、そのまま、今回の報道にあてはまる。オサマ・ビンラディンは、いまや。第1次大戦中のドイツ皇帝、サダム・フセイン、ミロシェビッチと並ぶ存在となった。敵の指導者は常に、狂人であり、野蛮人であり、凶悪犯、殺人犯、怪物、人類の敵とみなされる。この悪党を捕らえ、降伏させれば、平和で文化的な生活が戻ると言わんばかりだ。まさに、現在のオサマ・ビンラディンを語る図式そのものである。
だが、忘れてはならないのは、こうした「悪党」たちも徹頭徹尾、悪党扱いされていたわけではないということである。対立関係になる以前は、十分に尊敬を集める人物だったということも多々ある。また、戦争終結後、一転して歓迎を受ける人物もいる。
コソヴォ空爆の3年前、パリでボスニアに関する条約が結ばれたオリ、ミロシェヴィッチは、クリントンやシラクと乾杯の席に並んでいた。ネルソン・マンデラやヤセル・アラファトにしても、一時は槍玉にあげられながらも、その後ローマ法王や、アメリカ大統領に歓待されるようになった人物である。
そしてビンラディンも、かつてはアメリカで好意的に受けとめられていた時期があった。アメリカは彼を支援し、彼の経済力と手を結ぼうとしていたのだ。
他にも、「高尚な大義名分だけを語り、戦争の本当の目的は隠蔽される」という法則(第4章)がある。湾岸戦争のとき、西側諸国は、軍国主義への制裁、小国クウェートの救済、民主主義の確立をかかげてイラクを攻撃した。
西側諸国は、クウェートという国が、民主主義にはほど遠く、コーランがすべてを決める国であるという事実に目をつぶり、石油の利権争いや勢力拡大といったことにも、表向きはいっさい言及しなかった。
今回のアフガニスタン空爆でも、実利的なことにはまったく触れられていない。アフガニスタンはロシアと中国の間に位置しており、石油パイプラインの通り道でもある。こうした政治的、経済的重要性について声高に語る者は少ない。
世論は、ひたすら「近代的民主主義国家」と中世の全体主義を引きずる人びととの文明の戦争だと信じている。
その影に潜む目的は隠蔽されてしまうのだ。
「われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」という法則(第5章)も、もちろん踏襲されている。
すべてのアフガニスタン人が、罪のない人びとを殺害したテロ行為に責任があるわけではない。それなのにアメリカはアフガニスタン攻撃に踏み切り、タリバンによる暴力行為が大々的に報道される一方、空爆はテロリストだけを狙ったピンポイント攻撃で一般市民を巻き込むことはない、とされた。自国の軍隊は「紳士的な」戦争を行っているのに、敵はルールを無視して戦いを挑んでくるという論法だ。
聖戦という言葉には世論を動かす力がある。2つの宗教がぶつかりあう宗教戦争はもちろん、「祖国」「民主主義」「自由」といった旗印もまた、聖なるものとして考えられている。
今回の紛争には2つの面がある。ブッシュ大統領は「十字軍」という言葉を口にした。彼はまた、演説の最後に「神よアメリカを護りたまえ」と口にするなど、タリバンに対抗するかのように宗教色を強めている。
その一方で、また、この戦争は、非宗教的な民主主義国家という「神聖な価値観」を守るための戦いであり、善と悪との戦いであると位置付けられている。
かつての戦争と同様、国の指導者は、やがて、感動を呼び起こし、戦争の必然性を示すために、知識人や芸術家に協力を求めるに違いない(そう、これもプロパガンダの法則なのだ)。
もうひとつ、「プロパガンダを支持しない者は、裏切り者または敵のスパイとみなされる」という法則(第10章)がある。
この戦争に賛同しない者は、アメリカに参堂しない者だとブッシュがすでに言っているではないか。
ただひとり、議会で大統領の武力行使容認決議案に賛成しなかった議員がいる。彼女の名はバ−バラ・リ−、民主党、カリフォルニア出身の黒人女性だ。そして、この日から、彼女は生命の危険に脅かされ、護衛なしに外出できない状態になった。
戦争を支持しない者にとっては、考えさせられることだ。
これらの法則はすでによく知られたことであり、戦争が終わるたびに、われわれは、自分が騙されていたことに気づく。
そして、次の戦争が始まるまでは「もう2度と騙されないぞ」と心に誓う。
だが、再び戦争が始まると、われわれは性懲りもなく、また罠にはまってしまうのだ。
あらたにもうひとつ法則を追加しよう。「たしかに一度は騙された。だが、今度こそ、心に誓って、本当に重要な大儀があって、本当に悪魔のような敵が攻めてきて、われわれはまったくの潔白なのだし、相手が先に始めたことなのだ。今度こそ本当だ」
2002年1月 ブリュッセル自由大学歴史批評学教授 アンヌ・モレリ