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(回答先: Re:オウム事件も終わって再びオカルトブームです。 投稿者 バスターズ(MASA) 日時 2002 年 5 月 06 日 21:04:58)
私は、次のような論点から臨死体験から見えてくる事実に迫りました。
1)臨死体験を脳内の幻覚として説明する代表的な論客、ブラックモアの考え方を徹底的に批判し、それによって臨死体験を幻覚とする説の限界を明らかにしました。
とくに体外離脱は、瀕死の状態で感覚情報を遮断された脳が、記憶や痛覚など限られた情報によって自分の肉体を上から見るという「幻覚」を組み立てるものだと説明されます。この説がどのような致命的な内部矛盾を抱えているかを、一歩一歩明確にしていきました。
ブラックモアようなの理論の内部的な矛盾を指摘して脳内幻覚 説の欠陥を明らかにする議論は、まだ誰も行なっていません。
2)臨死体験者の体験後の生き方の変化や心理的な変化の特徴を、ロジャーズやマズローに代表される人間性心理学が明らかにした心理的な成長の特徴と比較し、両者がどれほど共通性をもった変化であるかを明らかにしました。
その上で臨死体験を脳内の幻覚とする説が、体験者のこうした変化や成長を説明する満足な理論をほとんどまったく示していないことを明らかにしました。
3)臨死体験者の変化は、人間性心理学が明らかにした心理的な成長を超え、仏教など東洋の伝統が悟りや覚醒と呼んだような変化を示すことがあります。
それはトランスパーソナル心理学が指摘するような自己超越的な変化です。もちろん脳内幻覚説は、体験者のこうした自己超越的な変化を説明することも出来ません。
唯一、それを脳内幻覚説から説明しようとしたのは、またしてもブラックモアでしたが、その説明は致命的な欠陥を含んでいます。彼女は、それを瀕死の脳の働きの機能崩壊から説明しようとします。単なる脳機能の崩壊がなぜ悟りにつながるのか、それを説明できない脳内幻覚説の矛盾点を明らかにしました。
要するに、脳内幻覚説は、臨死体験者の心理的な変化の意味をまったく説明できないのだということを突っ込んで論じました。 脳内幻覚説からの主張の俎上に載せて徹底的に議論した研究者はまだいないと思います。
4)般若経典から華厳経、密教経典、そして浄土経典のそれぞれが、いかに「光」のイメージに満ち満ちていたかをまず明らかにしました。その上で、般若経典、華厳経、密教経典では悟りと光との関係が強調され、浄土経典では死と光の関係が強調されていることを示しました。つまり仏教経典は、光、悟り、死という三つの観点において、臨死体験と深く共通するものをもっているのです。
しかし、悟りと光、死と光の関係は、おのおの語られるにせよ、それら三つがどのようにかかわるかは、これらの経典のなかで明確に語られるわけではありません。この三つの関係を包括するような視点を持っているのは、『チベットの死者の書』であることを指摘しました。
以上が『臨死体験・いのち開かれる――幻覚説を徹底批判』を世に問うとき、私自身がそれなりに意味があるかなと思っている観点です。
また、この本の中に多数おさめられた臨死体験者の体験や言葉、あるいは覚醒体験・至高体験の事例は、それ自体が読者に訴える力をもっていると信じます。
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