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(回答先: Re: Re:「朝日銃撃事件と地下鉄サリン事件、国松孝次長官狙撃事件は同一グループ」に同意 投稿者 デスラー総統 日時 2002 年 5 月 10 日 19:00:06)
デスラー総統、こんばんわ。
「朝日新聞」の“効果”は、それでコントロールに入ったというレベルの話ではなく、既に組み込まれているコントルールの舵を別の方向に切られたという意味です。
「朝日新聞は所詮そんなものだった」というのは、事件に対して“言論に対する暴力を許さない”と叫びながら、銃撃テロに怯えて論調を変えたということへの評価です。
大雑把な譬えですが、「朝日新聞」は、“社会党”から“民主党”に変貌したということです。
「朝日新聞」も「読売新聞」も「産経新聞」も、それぞれのポジショニングを与えられて同じようにコントロールされてきたわけですが、いちおうクオリティペーパーと見られている「朝日新聞」のポジショニングを変えることが国民意識の誘導に大きく貢献すると犯行計画者は考えたのでしょう。
「神戸の小学生は酒鬼薔薇聖斗が殺し、埼玉の事件は宮崎勤が犯人だということになっている」についても、犯人は別にいると考えています。ついでに著名な事件を上げると、「和歌山カレー中毒事件」も林被告の犯行ではないと思っていますし、「日本の事件1」に書き込んだように、「武富士弘前支店放火殺人事件」も真犯人は捕まっていないと思っています。
>まだネット上はともかく新聞テレビはすでに完全なコントロールがなされているのでは。
>現代社会において支配者とは欧米の金融資本家であり、その意向に反する事実は一切
>書けなくなっているんじゃないでしょうか?
現在のところネットは狭くて雑多なコミュニケーションメディアですから、現状不満者たちのガス抜きの場であればいいと考えているでしょう。
“ある価値観”の枠に入っている人たちは、その枠から外れた情報や主張を見聞きしても、トンデモ話だと考えるだけですから、大勢を動かすことはないと見ているでしょう。
残念ながら、多くの人は、発信主体の規模や肩書きで発信内容の信憑性を判断しがちです。
「意向に反する事実は一切書けなくなっている」という能動的なコントロールが行われているというより、「意向に反する現実を想像さえできなくなっている」と見ています。
“ある価値観”の枠に入っている人たちが、経営をし、記事をチェックし、記事を書いているのですからね。
(入社試験は、“ある価値観”(=学校教育や主流学説)がどれだけ染み込んでいるかをチェックするものです。メディアや物書きの人は、現実世界にどう対応するかという目的で思考するというよりも、“概念世界”やその低レベルのものとしての“言葉世界”を思考でいじり回しているだけという傾向が見られます)
>ところで「国松長官狙撃事件で、地下鉄サリン事件、そして朝日新聞銃撃事件という
>つながりがみえた」とありますがこれを詳しく説明していただけないでしょうか?
国松長官狙撃事件は、地下鉄サリン(毒ガス)事件の捜査が、刑事部門主導で行われるか、公安部門主導で行われるかという分岐点で発生しました。
国松長官は、刑事部門主導で行う方向で動いていました。
そして、国松長官狙撃事件を契機に、地下鉄サリン(毒ガス)事件の捜査は、公安主導で進められることになりました。
オウム真理教は、政治活動に踏み出し、ロシア領内から日本向けのラジオ放送を行い、機関誌で皇室を含む著名人物をフリーメーソン絡みで叩き激しい反米論も展開していました。
(オウムが陰謀論を持ち込んだことをどう評価すればいいのかは結論が出ていません)
このような組織を公安をはじめとする情報機関が監視対象にしていないと考えるほうが無理な話です。
オウム真理教は、その異質性から共産党や新左翼以上に危険な要注意団体として位置づけられていたと考えています。
これは、オウム真理教内部にも多くの情報提供者が育成されたであろうことを推測させます。過激な主張の割には組織防衛的な組織論を持たないオウムについては実にスムーズに情報提供者を持てたでしょう。
国松長官は、警視庁の公安部長職を経験していますが、スパイごっこにはまっている公安部門を快く思っていなかったようなので、公安のえぐい部分の実態は知らなかったと推測しています。
地下鉄サリン(毒ガス)事件の捜査が刑事部門主導で進められていけば、“純粋信者”も情報提供者も見境なく逮捕され尋問されることになります。
また、物証や目撃者なども徹底的に調査されます。(地下鉄に残っていた未開封の液体の鑑定さえまともに行われていません。地下鉄で不審者と見られた人物も、すぐに嫌疑対象から外れました。裁判も、物証を重視せず、調書と証言をベースに進められています)
刑事部門でまともな捜査が進められたら、「堤弁護士一家殺害事件」→「松本サリン事件」→「地下鉄サリン(毒ガス)事件」というオウム関連事件の実相が解きほぐされる可能性がありました。(この3件はすべて、オウム真理教の犯行ではないと考えています)
そのようなことになるのを阻止するために、国松長官銃撃事件が起こったと思っています。そして、その狙いがみごとに的中して、オウム&国松事件は公安主導で捜査が進められました。
警察の公安(それも一部)が単独で毒ガスを使ったテロを実行できるとも、国松長官の銃撃が公安独自の計画だとも思っていませんが、警察組織の上層部にその計画に関わった人物がいるとは思っています。
(地下鉄毒ガス事件の前日に大阪でオウム施設に機動隊を踏み込ませてまで逮捕を行うというご丁寧な作戦までやっています。松本サリン事件では、長野県警に延々と無関係の人物を容疑者扱いさせています。松本サリン事件が元々東京の前哨戦と位置づけられていてオウム潰しには動く気がなかったのか、オウム潰しに動くための仕掛けができなかったのかわかりませんが..)
警察や情報機関の幹部は、よほどのバカではないかぎり、国松長官銃撃事件で明確な“警告”を受け取ったはずです。そして、「地下鉄毒ガス事件」がどういう性格のテロであったかも理解したと思います。日本の国家権力でさえ手出しができない“組織”が背後にいると...
(生き延びた国松氏もわかっていると思っています。政治家とりわけ当時国家公安委員長の職にあった野中氏が、どこまで知っているのか、それともまったく知らないままであったかはわかりません)
「オウム潰し」や「毒ガス事件」は、米国の「ウエイコ虐殺事件」や「オクラホマシティ爆破事件」との類似性を感じますし、戦後混乱期に起きた「三鷹事件」をはじめとする謀略事件の再来もイメージさせます。
「国松長官狙撃事件」、「地下鉄毒ガス事件」、「朝日新聞銃撃事件」のいずれも、堂々と“こと”を行っても捕まることはないという確信のなかで行われたものであり、ここまでのことが実行できるという事実を示したものだと思っています。
そして、現実としても、「朝日新聞銃撃事件」と「国松長官狙撃事件」(これが解決できないようでは警察の恥さらしなのに)は闇の中に置かれたままであり、「地下鉄毒ガス事件」は、オウム真理教の組織的な単独犯行ということで決着が付こうとしています。
実行部隊は必ずしも同じ人たちとは限りませんが、あのような事件を起こし、しかも、権力に追求されることもない“中核組織”が日本に二つ以上あるとは考えられません。
これが、3つの事件のつながりが見えたということです。