(回答先: フリーメーソンの操心術(マイケル・A・ホフマン2世) 投稿者 トム・モレロ 日時 2002 年 4 月 07 日 16:24:55)
マイケル・A・ホフマン2世の著作「フリーメーソンの操心術」の150頁より。
●モーガン暗殺事件
フリーメーソンが最初に起こした暗殺は、1826年の作家ウイリアム・モーガンの殺害である。その時以来アメリカ人は、隠れた力がこの世を支配しているという、めまいのするような現実と対峙するようになった。
ニューヨーク州バタビアにウイリアムモーガン記念碑がある。碑文には、「われわれの市民的諸制度はフリーメーソンによって破滅を見るだろう。彼らはすでに力をたくわえ、日ごとに巨大になっている。私は国家に対して、その危機を暴く義務がある。Wm.モーガン大尉」とある。
記念碑の裏面には次のように刻まれている。
「ウイリアム・モーガンを偲んでここに奉じる。彼はヴァージニアに生まれ、1812年の戦争(米英戦争)において大尉となった。バタビアの敬愛すべき市民であり、真実を書き、それを公刊し、真実を語り続けた自由の殉教者であった。彼は1926年にフリーメーソンによりこの地近郊で拉致され、彼らの組織の秘密を暴いたため殺害された。」
この記念碑は一般の寄付によって建てられた。
モーガン暗殺をきっかけとして反フリーメーソン派の国民的な運動が高まり、北東部一帯のフリーメーソン・ロッジは閉鎖された。1828年の反フリーメーソン派のニューヨーク州知事候補は、ほぼ半数の票を得た。反フリーメーソン派は、合衆国の歴史上はじめて大統領候補の指名をボルチモアにて招集するという栄誉をになっている。反フリーメーソン派の大統領候補ウイリアム・ワートは、1812年の選挙で、バーモント州で勝利した。
スティーブン・ナイト著「切り裂きジャック最終結論」の246頁より。
「1826年に出版された”暴かれたフリーメーソンリー”の中で、合衆国のフリーメーソンであるウイリアム・モーガンは以下のように明言している。
ロイヤル・アーチ・メーソンが交わす誓いでは、殺人や反逆も例外とはされてはいない。したがって、この誓いのもとでは、いかなる罪をも犯すことができるのである。」
モーガンの記念碑の画像は以下のリンク先で見ることができます。
http://www.freemasonwatch.freepress-freespeech.com/party.html