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「サハリンプロジェクト:夢か悪夢か?」 リチャード・タンター 投稿者 dembo 日時 2002 年 3 月 30 日 21:20:30:

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┃環境雑学マガジン124号
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  サハリンプロジェクト:夢か悪夢か? 第1部

                          2002年 3月 30日 
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┃ リチャード・タンター
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「石油」は、永遠の富の夢を見事に表している。汗や苦悩やつらい労働に
 よってでなく、幸運のキスによって達成される富の夢を。この意味で、
 石油はおとぎ話のようであり、すべてのおとぎ話がそうであるように、
 ちょっとした嘘なのだ。

         リシャルド・カプシチンスキー Shah of Shahs より
 ─────────────────────────────────

 シェル、三井、三菱の所有するサハリン・エネルギー社は2002年の上半期
 に約90億ドルを投資し、世界最大規模のLNGプラントを建造しようとしている。
 プラントはサハリンの南端に建造され、広大なサハリン?と呼ばれる鉱区
 (サハリン島北部沖)から、日本、韓国そして台湾へ天然ガスを輸出する
 計画だ。これに対抗して、アメリカのエクソンと日本のSODECO(丸紅、伊籐忠)
 が率いる合弁企業は、同様に広大なサハリン?の鉱区から東京と新潟へと
 つながる2,300kmの天然ガス・パイプラインの建設を支援するよう(つまりは、
 資金を出すよう)日本政府に強く働きかけている。

 サハリンの天然ガスは、そのいとこ関係にあたる石油と共に、日本にとって
 は非常に重要であり、これからの数十年、日本政府の尽きぬ関心事であるエ
 ネルギー安全保障に、大いに役立つ回答になるだろう。またもちろん、サハ
 リン天然ガスは、日本だけでなく世界最大のいくつかの企業の貸借対照表を
 大いに潤すに違いない。

 しかし、これらの開発がサハリンの人々、経済、また自然環境にとって喜ば
 しいことなのかどうかと言えば、それほど明らかとはいかない。のみならず、
 これから検討するように、この開発はサハリンのみならずオホーツク海と日
 本海北部の生態系に、破壊的な脅威となる可能性を秘めている。

 近代のはじめに、ロシア人と日本人がこの島を、先住民であるアイヌ、ニヴ
 キ(ギリアーク)、オロックといった人々から奪い合ってからの2世紀を溯り、
 この石油と天然ガス鉱床の巨大な開発にいたる小史を振りかえっておこう。

 1890年、若き医師にして作家、アントン・チェーホフは、帝政ロシアの流刑
 地であるサハリン島を調査するためにロシアとシベリアを横断した。モスク
 ワを発つ前に様々な文献を広く読んでいたけれども、チェーホフが見たサハ
 リンは想像を超えるものだった。

  「私はセイロンを見たが、それは天国だった。そしてサハリンを見たが、
   それは地獄だった」 チェーホフ

 15年後、日本との戦いの敗北と1905年の革命に揺れた皇帝ニコラス2世の政府
 は、ロシア支配下にとどまったサハリンの半分でこの残酷な囚人(男女を問わ
 ない)の流刑地制度を放棄した。ロシアは流刑地制度に代えて、自由な開拓者
 を奨励し、島の豊富な天然資源の商業的開発を奨励した。そのうち最も重要
 なのは――今日もそうであるように――石油であった。


 ■サハリン・日本・炭化水素 第一ラウンド

 当然、ロシア統治下のサハリンに埋蔵しているかなりの量の石油に、日本政府、
 とりわけ日本帝国海軍は、大きな関心を寄せていた。1919年、シベリアの反ボ
 ルシェビキ・白ロシア政府は、三菱鉱業率いる政府賛助の民営合弁会社、北辰
 会に、北サハリンの油田を開発する権利を与えた。

 ロシア革命の影響はついに北サハリンにまでおよび、1920年1月に極東ソビエト
 行政府が短期間ではあったが、設立された。これに応じて、当時すでに10万人
 をシベリアに出兵させていた日本政府は、樺太から北サハリンへと侵攻し、傀
 儡白ロシア政府の「サハリン自治州」を設置し、油田を直接支配した。6か月後、
 内閣はサハリンの石油採掘に1,400,000円の海軍臨時軍事費を提供し、北辰会は
 1920年から1925年の間に、毎年100,000トンの石油を日本に送った。

 傀儡政府下にあり、すぐ近くから手に入るサハリン石油という新しい資源は、
 願ってもないものだった。というのは、日本国内の石油の生産高が落ち込んて
 いるにも関わらず、1925年には、消費高は84万トンにも達していたからである。
 ロシア人居住者は厳しい圧政下におかれた――幾人かのボルシェビキのリーダー
 は銃殺されたり、あるいはもっと簡単に、沖に連れ出され船から海中に投げ捨
 てられた。ロシア統治下にあった2世紀のあいだもそうであったように、アイヌ、
 ニヴキといった先住民たちも、ロシア人とともに脇においやられ、土地、森林、
 漁業資源、そして石油資源が奪われたのだ。

 しかし、1925年に調印された日本政府とソ連の北京条約で、ある種の平和がサ
 ハリンに戻った。合意のもと、日本の軍隊は南樺太に引き上げた。しかし、北
 辰会の後継者である北樺太石油会社――社長は退役将官――は、北のサハリン
 油田の半分の権利を保持した。1926年から1944年の間に、100万トン以上の石油
 がサハリンから日本へ輸出された。

 ■サハリン・日本・炭化水素 第2ラウンド

 日本が長期間経験したサハリン石油との関わりは忘れ去られていなかった。
 1970年代のオイルショックの衝撃で日本政府はエネルギー資源を確保する必要
 性に迫られ、サハリンでの探鉱は再び日本の標的になった。国家エネルギー安
 全保障戦略は、原子力を強調するとともに、オーストラリア、マレーシア、カ
 ナダ、その他の供給国から幅広く獲得される安定した資源の炭化水素燃料であ
 る石炭、石油、天然ガスを重要視した。サハリンの石油と天然ガスの埋蔵量が
 膨大であることはすぐに判明したが、その多くは海底が浅く、波が荒く、一年
 のうちほとんどの期間凍りついてしまうオホーツク海の沖合いにあった。

 しかし、政治的な問題と、とてつもなく荒い気象条件下での沖合いでの生産技
 術が未解決であること、それに資金調達の難しさという組み合わせは、サハリ
 ンの石油と天然ガスに対する海外からの投資を踏み留まらせた。

 1990年代の初めまでに、これらの障害の、少なくとも一部分は改善された。サ
 ハリンは第2次世界大戦後のソ連の最も隠された部分であった。点在する千島列
 島に沿い鎖状に連なる空軍基地と海軍基地、海中の音波探知装置とともに、サ
 ハリンはオホーツク海を防衛する数多くの空軍・海軍基地がある場所であり、
 ソ連の核抑止の中核をなす弾道ミサイル潜水艦の安全な退避地だった。1983年、
 この地域でソ連の海軍および空軍の極秘基地の上空を通過後に撃墜されたKAL007
 の事故は、サハリンが冷戦の軍事に深く組み込まれていたことを証明する。し
 かしソ連崩壊後は、これらの基地とその設備のほとんどが、資金を絶たれ、保
 安管理もなく、ただ錆びていくだけだった。

 さらに、国家社会主義イデオロギーが捨て去られ、飛び入り勝手の資本主義に
 熱狂的にとってかわられ、また安定した国庫歳入源が事実上完全に崩壊したこ
 とが合わさって、エリツィン政権もプーチン政権も、海外からのエネルギー投
 資を獲得することににやっきになった。莫大な埋蔵量の石油と天然ガスの採掘
 操業を、可能なかぎり早く始めることができるように、西側の石油・天然ガス
 企業は、旧ソ連の各方面への働きかけを競いあった。

 1つの財政問題はまだ解決されていなかった。つまり、困難な気象条件と場所
 での膨大な天然資源を開発するための投資負担という問題である。1990年代、
 貧乏国となったロシアのような国は、その大規模計画を自己資金で賄うことな
 ど到底不可能であり、西側の国々も寛大であるとは思えなかった。しかし、解
 決策は二つのことから出発した。第一には、欧州復興開発銀行(EBRD)と世界
 銀行のような銀行が、市場相場より低い利率で融資を行うように説得されたの
 である。そして第二に、「生産分与契約PSA」として知られるプロジェクト資
 金調達の方式が考案されたのである。探鉱、開発および生産プラントのコスト
 を賄うために西側企業が提供した投資への返済に、プロジェクトから生まれた
 初期収益があてられることを保証する方式である。いったん、これらのコスト
 が売上げからすべて回収されると、以降の収入の一部は、鉱山使用料および税
 という形で、ホスト国政府に流れ始めることになる。しかしながら、あとで明
 らかになるように、海外銀行からの投資や生産分与契約は必ずしもそのような
 穏当な仕方で働くとは限らなかった。(注1)

 1970年代と80年代には、アメリカとヨーロッパの技術者は、特に北海やアラス
 カの厳しい自然条件やメキシコ湾の深海で、海底油田と天然ガスの掘削や生産、
 そして運搬に関して多くの技術的な問題を解決した。その方法は、極寒での海
 底油田や天然ガス生産の道を開いた。1


 ■サハリン沖の海底油田と天然ガスの現状

 調査と生産の目的で、サハリンを囲む水域は、ロシア政府およびサハリン州地
 方府によって、サハリンI〜VIという6つの大きな鉱区に分割された。それぞれ
 の鉱区を調査、テスト、開発する権利は、1990年代にロシア・外国企業の様々
 なコンソーシアムに分配された。必要な資本が足りないために脱落する、プロ
 ジェクトに対する信頼を失う、または単に企業自身のグローバル戦略上からサ
 ハリン・プロジェクトを外すといった理由から、それぞれのコンソーシアムを
 形成するパートナーは頻繁に変わった。6つの鉱区のうち先陣をきったのは、
 サハリンIとサハリンIIである。

 既に生産された石油の実質量は、サハリンIIが最も抜きん出ている。プロジェ
 クトのオーナーであるサハリン・エネルギー投資会社は、出資額の多い順に、
 シェルが55%、三井25%、三菱20%が所有している。シェルはプロジェクトの運営
 もしている。過去3年、石油はピルトン・アスモフ区の海底と結ばれた巨大な
 石油掘削基地モリパックから汲み上げられ、6日ごとにタンカーが到着するま
 で貯蔵され、日本と韓国の市場に向けて運ばれる。生産と輸送は一年のうち、
 海が氷に閉ざされていないとき(それは一年の半分にも満たない)、さらに悪
 天候でないときのみに行われる。

 サハリンIの次の段階では天然ガスを送る海岸へのパイプラインが、さらに島を
 縦断し、アニワ湾の液体天然ガス(LNG)生産工場へと敷かれる。天然ガス
 は、世界最大のLNGプラントで塵などをとりのぞいたあと、液化され、シェルと
 そのパートナーが望む、日本、韓国、台湾での市場にLNGタンカーで輸出される。
 2001年半ばに、シェルは株主に向け、6ヶ月以内に長期売買契約をとりつけたい
 と発表した。現在、LNGプラント建設のためのいくつかの契約が発表されつつあ
 り、シェル、三菱、三井の株主と役員は投資した90億ドルを失うことになるか
 もしれないというニュースを待つことになるだろう。

 サハリンIは、運営者でもある米国のエクソン・モービル(30%)、日本のサハ
 リン石油開発(SODECO)(30%)、インドナチュラルガス(the Indian Natural
 Gas Company)(20%)、そしてロシアの二つの会社ロスネフチ/サハリン・モ
 ルネフチェガス(20%)が所有している。石油と天然ガスの埋蔵量が膨大である
 と証明されているものの、いまだに開発段階にある。主にそれは、エクソンとそ
 のパートナーの計画が、天然ガスを掘削現場からパイプラインで直接新潟に、そ
 して本州のもっと南に輸出しようとするものだからである。この計画は、パイプ
 ライン建設のおそろしく異なったコスト見積がだされることになったのである。
 この不確実性は、天然ガスの購入者に提示されることになるコストに影響し、し
 たがって、確定契約が結ばれるプロセスを遅くらせることになっている。

 ■問題

 サハリンIとIIは相方とも、日本、韓国、台湾の産業と消費者市場へ莫大な量の天
 然ガス供給を計画する、非常に大規模で複雑な技術プロジェクトである。実際に
 は契約は結ばれておらず、また、他の天然ガス供給国との競争は厳しい。日本政
 府にとって、サハリン天然ガスはエネルギー資源地域を分散化し、またエネルギー
 の種類を多様化するという戦略から歓迎すべきものであろう。天然ガスを燃焼さ
 せたときに発生する二酸化炭素は、同じ量の石油の燃焼時に発生するものよりも
 少ないし、石炭に比べるともっと少ない。従って、日本は、エネルギー戦略から
 も、また温暖化戦略からも、天然ガスの輸入を増加させる計画に傾斜しているのだ。

しかしまだ、サハリンI・IIの石油と天然ガスプロジェクトには、サハリンに
 とっても、ロシアや日本にとっても重大な問題が残されている。これらの問題
 (以下に挙げるものを含めて)は、「第2部」で検討したい。

  ○15万トン級以上のタンカーから原油流出:エクソン・バルディーズ号のシナリオ
  ○油井から原油流出、パイプラインからの原油漏れ、船上からの投棄
  ○油井の作業または施設の建設が及ぼす海洋環境破壊
  ○オホーツク海と日本海についての国際海洋管理レジームの欠如
  ○原油・ガスの生産活動、タンカー、パイプラインの運用が引き起こす先住民を
   含むサハリン地元住民社会への衝撃
  ○生産分与契約と雇用形態におけるロシアおよびサハリンの経済的便益につい
   ての重大な疑い
  ○ロシア経済の天然資源輸出に対する依存度の増加
  ○サハリンIのパイプライン計画に支払われる、日本政府援助金を負担する日本
   の税支払者のコスト
  ○エネルギーの化石燃料への集中的化に深くコミットする日本の産業戦略

                              (第1部 了)
  ────────────────────────────────────
  (注1)1 西側企業にもホスト国政府にも同様に、PSAは道理にかなった
  妥協であるように思えた。つまり、ホスト国政府は、望んでいたプロジェクト
  を開始することができ、やがては鉱区使用料を手にすることができる。そして
  企業は、少なくともコストを回収することが保証され、その後は利益を手にす
  ることができるはずだったからである。しかし、多くの国が発見することにな
  るったように、ホスト国が鉱区使用料あるいは税金の受け取りを始める以前に、
  どのコストが賄われるべきかについて、だれが決定権を持つのかという問題が
  あるのだ。まったくよくあることだが、プロジェクトは「金メッキ」もので
  あった。言いかえれば、鉱区使用料の支払い段階になる以前に、充分な――と
  いうことは、不当な――利益を確保しようと、企業は建設コストを水増しして
  いたからである。じつに、いくつかの事例では、開発コストはあまりにも高く
  計算されており、鉱区使用料は結局支払われることがなかったのである。

 
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