書籍は、出版社から書店にじかに配本されているのではなく、中間に“取次”と呼ばれる
問屋を通しています。いわゆる“中抜き”をして出版社から町の本屋さんにじかに配本
すれば流通コストがもっと安く出来るようにも思えるのですが、実際には、全国の無数の
書店に、細かい注文を正確に処理して本を送り届けるのは容易なことではなく、戦時統制下
の名残である超大手(日販と東販)寡占支配下の書籍流通体制が、それなりの有効性を保ち
ながら、今もって続いています。
こうした書籍流通の仕組みについて、私はシロウトなのでコメントを差し控えたいと思いますが、
しかし、出版業界の社会的使命は、あくまでも書籍という形で発表される“表現活動”を
可能な限り広範な読者に、可能な限り豊かな選択の自由を与えながら、供給していくことだと
思います。
著作者・出版社・書籍製作業者・中間流通業者・小売店などからなる出版業界は、思想警察では
ないのですから、自ら言論出版の統制を行なうのは本質的に間違っています。
出版する価値のない本が、仮に出版されたとすれば、それは自由競争のなかで廃れていくでしょう。
明確に犯罪的な出版物の取り扱いは司法の判断にでも任せればいいことで、出版業界が統制を
行なうのは、緩慢な自殺行為に等しいのです。
マルキ・ド・サドの晩年を描いた『クイルズ』という映画がありますが
( http://www.cnn.co.jp/2000/SHOWBIZ/12/08/quills.award/ )
この映画は、“猥褻な政治風刺文学”を書かずにはいられなかったある種の天才(サドのこと
ですが……)が、精神病院に幽閉されながらいかに作品を世に出し続けたか、を描いたものでした。
私がこの映画を見て感銘を受けたのは、サド本人ではなく、彼を支えて表現活動を続けさせた
周囲の人々の努力のさまでした。
サドであれ、ルソーであれ、著作が発表された当時は“狂気”としか評価されなかったでしょう。
しかし、かれらの“思想”の表現が、よかれあしかれ世に流通し、同時代の少数派や後世の人々に
評価されたことで、我々は幅と奥行きのある文化の多様性を享受し、豊かな精神生活を送ることが
できています。
産経新聞系列の扶桑社が『チーズはどこへ消えた?』というリストラ奴隷の心得書を出して、
新興宗教団体やカルト集団のような“組織買い”によって数百万部を売りましたが、私は
この風潮をあざ笑う『チーズはだれが切った?』という翻訳パロディー本を出しました。
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http://asyura.com/sora/bd14/msg/162.html
Ψ空耳の丘Ψ14 投稿NO:162 2001/8/09 08:53:19
題 名: 扶桑社版腐れチーズ本を嗤いとばせ!『チーズはだれが切った?』ついに登場
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この際に神戸の鹿砦社のお世話になったのですが、最近、同社が出版した3冊の本が
日販と東販という(日本の出版流通を事実上牛耳っている)超巨大取次によって
正当な理由もなく「配本拒否」という嫌がらせに遭いました。
まず『飯島愛の真実』が、ついで『刺青浪漫』が、そして先日は佐川一政氏の
『霧の中の真実』が、法的な根拠もなにもなく、有無を言わせず配本拒否に
遭ったのです。
巨大取次の寡占体制は、大東亜戦争当時の戦時経済統制政策の残滓ですが、憲兵クン
がこうした残滓に潜んでいたなんて、正直いってビックリしました。フィリッピンに
潜伏していた旧日本軍の生存兵、横井さんや小野田さんに呼びかけるみたいに、
我々は日販や東販にも、こう呼びかけなければならないのでしょうか……。
「おーい、大手取次の憲兵さんたちー、戦争は、もうとっくに終わったのですよー!」
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参考資料として、鹿砦社からFAXで送られてきた『鹿砦社通信』の当該号を
紹介しておきます。
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続報!!
大手取次=トーハン・日販による相次ぐ新刊委託配本拒否、
業界内外に波紋拡がる!
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☆両社に「申入書」提出(2月12日)、さらに日販とは直接会見(2月15日)。
再度「申入書」を提出する用意、流通の事前自主規制を問いただす!
☆『霧の中の真実』の著者・佐川一政の不倶戴天の敵=『週刊新潮』でさえ疑問符
を示し、記事に採り上げる(2月28日号)。
☆加盟団体「出版流通対策協議会」幹事会混乱、出版差し止めの際と同様、ふたた
び日和見主義的態度を取るならば、われわれは脱退の途を選ぶ!
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先の『鹿砦社通信』にて明らかにしたように、佐川一政・著『霧の中の真実』
に対する大手取次=トーハン・日販両社による新刊委託配本拒否問題は、業界内外
に大きな波紋を拡げている。
あろうことか、これで鹿砦社に対する新刊委託配本拒否は、この半年の間に実に
3件にものぼっており、これは鹿砦社30数年の歴史の中で初めての出来事である。
まさに異常としか言いようがない。鹿砦社は、これ以前に、『ジャニーズおっかけ
マップ・スペシャル』や『タカラヅカおっかけマップ』などで4件の出版差し止め
を受けており、これらは泥沼の裁判闘争に発展し、われわれは数千万円の裁判費用
を遣い、内2件は最高裁まで徹底的に争ったのである。いま、それら全ての裁判闘争
が終結したと思ったら、今度は、長年取引があり、現在の出版不況を共にハネ返そう
とタッグを組んでいる大手取次から新刊委託配本拒否という、いわば出版社にとって
最大の打撃と被ったのである。
出版差し止めの際は、敵は前にいたが、今度は、背後からガツンと一発食らった
ような感がした。
■「申入書」提出に対し取次逃げの姿勢■
われわれは、事態の打開を図り、今後こうした事態の再発を避けるためにトーハン・
日販両社に対して2月12日、「申入書」を提出し、文書での回答をお願いした。
同時に、鹿砦社が加盟する「出版流通対策協議会」(通称「流対協」。中小版元約90社
加盟。会長=菊地泰博現代書館社長)にも支援を要請、菊地会長は直ちにトーハン・日販
両社に電話で真摯に対応するように強く伝えてくれた。
ここで断っておかなければならないのは、われわれは決してトーハン・日販両社と無益
ないさかいをすることが目的ではなく、むしろこの出版不況のさなか、共に協力し合って
いきたいという考えには変わりはない。その上で、出版不況を乗り切りには、キレイな本
づくりをしていても、われわれが如き小出版社は埋もれてしまうだけであって、われわれ
の持ち味である<毒>を持った本づくりに徹することに特化しつつあるなかで、この<毒>
があまりにみ利き過ぎ、逆に新刊委託配本拒否という事前の自主規制を惹起させてしまった
のだろうか。こうなれば、トーハン・日販という市場占有率8割以上を占める大手取次の
新刊委託配本に大きな望みを託す出版社にとって、大きな打撃をもたらすことは、誰にも
わかるだろう。
トーハン・日販両社の担当者からは電話が掛かってきて、長い会話となったが、ラチが
あかなった。特に、事前に色校正を見せ、その指摘に従って写真を入れ換えたりした日販
に対しては、私(松岡)自身が本社書籍仕入課を訪れ、1時間以上にわたり話し合いを行
ったが、堂々巡りに終わり、得るところのない話し合いだった。
しかしながら、事は「表現の自由」「出版の自由」に関わる重大問題である。とりわけ、
1冊の本にかける資金的リスク、人的労力などはかなりにのぼり、市場占有率8割以上を
占める大手取次=トーハン・日販に新刊委託配本を拒否される(それも1度ならず3度も)
ということは、われわれ小出版社にとって、経営の土台を揺るがす大問題であるから、いや
しくも、それなりの信念を持った出版人としては、うやむやに済ますことは到底できない。
われわれが要求した文書での回答も得られていないので、近日じゅうに再度申し入れを行う
予定である。
■業界内外の動き■
このかんに、業界内外でもうごめいている。−−
同じ会社の今はなき『FOCUS』と共に、かつて佐川氏を執拗に追い、くだんの『霧の中
の真実』の著者・佐川一政氏から本書でも辛辣に批判されている『週刊新潮』でさえ、この件
についてはいささか同情的である。それは同社の種々の雑誌が、「酒鬼薔薇」こと「少年A」
や、大阪府堺市の児童殺傷事件の犯人の少年らの顔写真を掲載して社会的ヒンシュクを買ったり
(それらに比べれば、われわれの一連の出版差し止めや新刊配本拒否の場合はまだマシやと思
うけどな)、雑誌の回収などを食らったことに対する想いなどもあるのだろうか。
ついに、『週刊新潮』は、2月28日号において記事にした(別掲)。その他のマスコミは、
取次に対する配慮があるのか、あるいは、過去に佐川氏とトラブルがあったことで、いわば
“寝た子を起こす”ことが嫌なのか、いたって冷淡であるが、われわれとしてはひと言いって
おきたい−−“明日は我が身だ”と。
さらに、前述したように、支援を要請した「流対協」内部の動きについて、だ。
「2月20日の幹事会に諮り、会としても正式に声明を出す」という菊地会長の勇ましい言
だったので、これに一縷の望みをかけて待っていたが、その幹事会は長時間紛糾し、結論は
3月6日の総会以降に持ち越しになったという報告を受けた。ホンマかいな。オレはだな、
「松岡よ、そんな甘い構えでどうする! もっとガンガンやらんかい!」と叱咤激励される
とばかり思っていたので、ガックリだよっ。「流対協」といえば、大半の出版社が、1970年
前後のいわゆる新左翼運動の流れを汲む業界のカゲキ派だぜ。むしろ、オレなんかは、その中
でも「遅れて来た青年」で、会長はじめ主要な方々とは最年少であり、目立たない穏健派の
ほうだと自認するほどだ。
かの4度の出版差し止め(および、これを中心として、出版活動に対する威嚇的効果、萎縮
的効果を狙った多くの訴訟攻勢)に対しても、積極的な支援は、望んだにもかかわらず、なさ
れなかった。
今回の大手取次による新刊委託配本拒否は、われわれの出版スタンス、つまり<毒>のある
出版にこだわることに対して萎縮的効果をもたらしていることは否めない。
われわれは、業界の最カゲキ派「流対協」が、一連の出版差し止めから続く、この問題を真
っ向から受け止められ、われわれを強く後押ししていただくことを心から望むものだ。
「ここ一番!」という時に、日和見主義的な態度であるのであれば、今度こそ、われかれは
「流対協」脱退もやむなし! という途をえらばざるをえないだろう。
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