いろいろと書き込みをしてきましたが、いただいたレスを読みながら、デフレやインフレについて基本的な説明が不足しているのではないかと考えたので、少し歴史的考察から離れて、デフレ問題に絞った基本的な説明をしたいと思います。
この上の欄にアップするものと二部構成になっています。
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■ 需要と供給そして物価変動
ある期間の“需要”は「通貨供給量×回転数」で、ある期間の“供給”は「国内販売商品の価格総和」だと考えている。
「通貨供給量」は、日銀から商業銀行に貸し出された量とする。
「回転数」は、同じ通貨が特定期間に何回取引で使われたかを意味する結果論的な数値で、統計データとして得られる「国内販売商品の価格総和」/「通貨供給量」で後から算出できるものである。
国内販売商品は、「国内生産商品の国内販売分商品+輸入商品」で、最終消費財だけではなく、資産財や中間財も含まれる。
(経済主体は、企業・政府・勤労者・農漁民など通貨を稼いだり通貨を借りたり通貨を使ったりする個人や法人などである。政府は、郵政部門など事業組織を別とすれば、自らは稼ぐことなく、他の経済主体から税金を徴収したり郵便貯金を借りたり国債を買ってもらったりすることで経済活動を行っているのだから、他の経済主体と一緒に論じることには問題があると考える。政府部門はGDPなどでも大きなウェイトを占めているが、親から小遣いをもらって買い物に励む子供たちと同じである。そして、親が、そのような子供たちがなついてくるとかわいいと思い、感謝でもしてくれれば胸を張れるし、子供たちが言うことを聞いてくれれば幸いと思うのとあまり変わらないものである)
デフレやインフレという事象の基になる物価は、雑ぱくに、「通貨供給量×回転数」/「国内販売商品の総量」もしくはまったく同値である「国内販売商品の価格総和」/「国内販売商品の総量」だと考えたほうがわかりやすいだろう。
(1Kg900円のお米・1本100円のボールペン・1着1万円のジャケットが「国内販売商品の総量」であり「国内販売商品の価格総和」だとすれば、「総量」は3で、「価格総和」は1万1千円となり、物価は3,667円となる。次の期間にボールペンだけが120円になったら、「総量」は変わらず、「価格総和」が1万1千2百円になるので、物価は3,673円となり、0.2%のインフレと考えられる)
■ デフレの発生要因
この需要・供給・物価の関数をベースに、物価が経過的に下落していく現象であるデフレがなぜ起きるのかを考えてみる。
デフレが起きるのは、
1)「通貨供給量×回転数」の値を固定と考えれば、前期よりも多い商品総量が売られたとき
2)商品総量を固定だとすれば、「国内販売商品の価格総和」と同じ値である「通貨供給量×回転数」が前期より減少したことによるわけだから、
「通貨供給量」が固定であれば、「回転数」が小さくなったとき
「回転数」が固定であれば、「通貨供給量」が少なくなったとき
に起こると算数的には言える。
おわかりかと思うが、経済活動は刻々と動いているものであり、提示した関数を使っても、結果論(後追いの説明)や静態的分析でしか語っていないことがわかる。そういう意味では、計量経済学のように微積分を利用した動態的な説明が必要になるのだが、うっとうしいので言葉で説明する。
デフレ状況が経済に与える最大の問題は、多くの人が手持ち通貨を支払う経済取り引きを行うよりも、そのまま通貨で保有していたほうが有利だと判断することで、ますます、「回転数」が小さくなったり、「通貨供給量」のある部分が実体経済領域から“逃避”していくため、デフレがさらに進むという悪循環=「デフレスパイラル」に陥ることである。
需要・供給・物価が上記のような関数で表されるとすると、需要を拡大するためには、「通貨供給量」を拡大するか、活発な取引を促して「回転数」を上げることで達成できることになる。
デフレを解消するためには、「国内販売商品の総量」を少なくするか、「国内販売商品の価格総和」を多くすることで達成できることになる。
■ デフレを解消するための関数的基本
現在の小泉政権が頻繁に打ち出している経済政策は、それが本当に効果があるのかどうかを別にすれば、「デフレ対策」に集約されていると言っても過言ではない。
小泉政権の経済政策が、「デフレ対策」として本当に有効かどうかを考える前に、提示した需要・供給・物価の関数式を基にデフレを解消する方法を考えてみる。
需要・供給・物価が前述のような関数で表されるとすると、需要を拡大するためには、「通貨供給量」を拡大するか、活発な取引を促して「回転数」を上げることで達成できる。
デフレを解消するためには、「国内販売商品の総量」を少なくするか、「国内販売商品の価格総和」を多くすることで達成できる。
1)の要因である供給量の過剰でデフレが生じていれば、デフレを解消するためには、商品総量を減らす必要がある。それは、「国内生産商品の国内販売分商品」の総量か「輸入商品」の総量を減らす必要があることを意味する。
「国内生産商品の国内販売分商品」を減らすと、その生産と販売を担っていた人たちが失業する可能性や企業の利益が減少する可能性が高い。もちろん、「輸入商品」を減らしても、販売を担っている人たちが失業したり、企業の利益が減少したりする可能性が高い。
利益についてはともかく、生産という要素が含まれている分、一般的には、「国内生産商品の国内販売分商品」を減らすほうが、勤労者所得の総和を減少させる方向に強く働く。
2)の要因である通貨流通の減少でデフレが生じていれば、デフレを解消するためには、「通貨供給量」を増やすか、通貨の「回転数」を上げることで解消される。
1)と2)のデフレ解消法の大きな違いは、
1)は、「国内販売商品の価格総和」を変えないまま、総量を減らして平均単価を上げようとするものだから、生産活動が低下しいわゆる経済成長が遂げられないままそれが達成される可能性が高い。
2)は、通貨流通量を増やすという解消法だから、うまくいけば、デフレを解消するだけではなく、その勢いに押されて経済成長も遂げるかもしれない。
このことから、現在のデフレを解消する方法としては、1)の方法ではなく、2)の方法を採ったほうが賢明であろうと言える。
■ 商品の区分的特性
ここまでは、商品に区分を設けず、米・野菜・食肉・洋服・家電製品・家具・株式・土地を全部同じ商品として一緒くたに扱ってきた。
しかし、米・野菜など「生活必需的商品」、家電・高級ファッション品・自動車・コンサート入場券などの「利便・奢侈・娯楽的商品」、株式や土地といった「利殖対象的商品」は、それぞれ異なる性格を持つ商品である。
「生活必需的商品」は、人が生存していきたいと考えたらどうしても入手しなければならないものである。
「利便・奢侈・娯楽的商品」は、なかには食うや食わずでコンサートに行ったりブランド品を買う人もいるが、大枠として「生活必需的商品」が満たされた状況で余裕のお金があれば買うものである。
土地は、住まい・耕作地・工場・商店・事務所など必需品的要素がありながら、利殖対象ともなってきた「不思議な商品」である。土地については、そういう性格の商品であることを念頭においていただきたい。
株式という商品の購入も、会社設立時や増資時には必需的なものだが、株式市場の実態から言えば、その株式の会社に通貨が入って事業資金として使われるのではなく、「利殖対象商品」として取引されているだけだと考えてもそれほど問題ないだろう。
■ 超金融緩和政策の効果性
日銀は、「デフレ=不況」対策として、超金融緩和政策を継続している。
しかし、速水総裁自身が語っているように、超金融緩和政策だけで、デフレが解消できたり、不況から抜け出せるわけではないようだ。
小泉政権は、2・27に決定するとされる「総合デフレ対策」においても、“日銀に思い切った金融政策を要請”という項目を打ち出している。
需要・供給・物価の関数式に従い、さらに、前述したデフレ解消策に基づけば、超金融緩和政策は、デフレ解消の決定打になるはずである。
しかし、この間のデフレ進行=不況深化を考えればわかるように、超金融緩和政策だけでは「デフレ対策」として有効ではないことがわかる。
超金融緩和政策は、「デフレ対策」という思惑は今のところ実現できていないが、銀行危機回避にはそれなりに役立っている。
まず、商業銀行が財務状況の悪化で資金繰りに苦慮する事態に陥っても、「日銀券」を容易に手に入れることができるので、取り付け騒動を回避することができる。
■ 超金融緩和策と国債
超金融緩和策のもう一つ重要な役割は、銀行の財務状況を改善することである。
よく、“日銀が国債を直接引き受けるのは禁じ手”というようなことが言われる。
それは、通貨を印刷できる中央銀行が国債を買ってくれることで政府の財政規律を歪め、マイナス成長でのインフレというとんでもない経済状況に導く可能性があると思われるからであろう。(ロシアや中南米諸国の超インフレ原因である)
しかし、今、政府・日銀・商業銀行が行っている超金融緩和策と国債取引の関係は、日銀が国債を直接引き受けるよりも“犯罪的”なものとも言える。
小泉政権は、ごまかしで増額しているとは言え、新規国債発行枠を30兆円としている。それならば、国債を公定歩合と同じ利率で日銀に買ってもらって「日銀券」を受け取ったほうが、商業銀行に高い利率で引き受けてもらうより、国家的負担の多寡で言えば有利なのである。(安めに1%得だとすると、30兆円×0.01=3千億円も楽になる)
現在の日銀と商業銀行の国債をめぐる取引は、おおよそ次のようなものではないかと推測している。
まず、銀行が保有する国債は100%自己資本として算定されるので、銀行は、下落する可能性が高い株式を売ってでも国債を買って自己資本比率を高めたいと考える。
そして、余剰資金でも国債を買って、財務状況を改善したいと思う。
しかし、銀行業務では日銀券も必要だから、引き受けた国債を全て保有し続けることはできない。しかし、通貨が必要なときに保有国債を誰かが損しない価格で買ってくれるのなら、心配しなくて済む。
日銀は、月々8千億円から1兆円まで“一時的”に買ってくれたり“永久”に買ってくれると言う。そうであれば、100%自己資本として算定される国債をできるだけ買ったほうが安全だと結論づけるだろう。
さらに、日銀から公定歩合で貸し付けを受け、その通貨で国債を買って保有し続ければ、差し引きで1%ほどの利息も受け取れる。
「不良債権」の処理もしなければならないし、1千億円であれば1%と言っても、その利息は10億円になるからバカにはできない。
このようにして、超金融緩和策と国債の有機的連動が、銀行の財務体質を強化しているのである。これを、上品な言葉でなくわかりやすい言葉で言えば、「銀行救済」である。
しかし、既に670兆円もの債務を背負っている政府が発行する国債は、常に価格下落=利率上昇という危険性をはらんでいる。わけのわからない米国の民間格付け会社も、チェコ国債なみの格付けに日本国債はなると脅している。
既発国債の価格が下落すれば、保有している国債の資産価値が下落し、財務状況の改善も元の木阿弥になる。ひょっとしたら、以前よりも悪くなるかもしれない。
政府としても、国債価格が下落するということは新規国債の発行利率が高くなるということであり、財政悪化に拍車を掛けてしまうので困る。
商業銀行は、ひょっとしたら、スタンダード&プアーズなどの“ご託宣”を喜んでいるかもしれない。
この間、国債の価格は下がり国債の利回りは上がっているが、公定歩合は据え置きである。新規発行の国債を高利回りで引き受けられる金融環境になっている。そうであれば、1%の利息ではなく、1.3%の利息が手に入るからである。
今の銀行にしてみれば、なかなか有望な貸し付けも投資先もないから、政府にもっと国債を発行して欲しいという感じだろう。
(歴史的にも、バブルの余韻がまだあった91年から92年にかけて、財政的には発行する必要がなかった国債を「投資家の運用先がないから」という理由で政府は発行している。670兆円の債務残高にはそのような理由で発行された国債の分も含まれているのだ)
超金融緩和政策は、現在のところ、このような「銀行救済」には貢献しているとは言える。
「株式買取機構」を通じた銀行保有株式の買い取りや「RCC」の不良債権の“時価”での買い取りも、「銀行救済」の一環である。
この問題はデフレ解消に棹さすような愚策なので、関連内容を後述する。
■ 「資産デフレ」問題の基本
日本の政府・与党や一部識者は、日本の不況の元凶がデフレであり、さらにはバブル崩壊後の「資産デフレ」が最大の元凶であると主張している。
とりあえず、それはそうかもしれないとしておく。
そのような主張に対しては、「資産デフレ」で本当に土地や株式が安くなりすぎていると思っているのか、「資産デフレ」を正常に解消できる手だてはあるのかということを問題として提起したい。
「資産デフレ」元凶説を主張している人の一部は、その解消法としてとんでもなく誤った主張をしている。
記憶にある方も多いと思うが、「資産デフレ」だから地価を上げるために「不動産の流動化」を推し進める政策を採らなければないというものである。
そのために、地価税を撤廃したり、登録免許税を軽減したり、固定資産税を軽減するようにと提言している。
この主張のトンデモ性はすぐにわかるだろう。
地価が下がっているときに、「不動産を流動化」して新たに土地を供給すれば、さらに地価は下がってしまう。
土地は通常の商品とは違って、個別性(工業製品と違って同じ物は他にない)と利用価値=収益性の違いという特性があるので、滅多に売りに出されない一等地であればけっこうな高値で売れるだろう。
しかし、そこに土地需要の通貨が多く投じられるわけだから、その分他の土地への需要が減り、全体の地価は下がってしまう。
住宅地はともかく、事業用の土地価格は、経済論理的には収益性で決定されるものである。
(住宅地の地価は、収益を目標とした土地ではないことや土地の個別性という性格からあいまいに決定されがちだが、その周辺で貸家もしくは貸し室業を営んでいる経済主体がどれだけの収益を上げているかで決まるはずのものである。GDPは、持ち家も、借家として得られる家賃があると仮定して算入されている。政府は、GDPが下がる(経済成長率が下がる)から、地価や家賃を引き下げようとしないのかもしれない。GDP統計に持ち家所有者が経済主体として組み込まれていることで、経済実態が見えにくくなるなど様々な弊害をもたらしている)
貸しビル事業を営んでいる場合であれば、その土地を購入してビルを建てスペースを貸すことで得られる利益と他の手段で得られる収益を比較して、土地を購入することのほうにメリットがあると判断すれば土地を購入することになる。
そして、スペースを借りる人は、そのスペースの賃貸料などを支払って得られる利益が、他のスペースを借りて得られる利益をよりも大きいと判断することでそのスペースを借りる。
さらに言えば、スペースを借りて商売するよりも、他の手段で得られる利益の方が大きいと考えたら、どのスペースも借りない。
1億円を元利保証で運用すると年に5%(500万円)の収益(税引後)が上がるとする。
ある不動産が売りに出ていて、価格が1億円で年間3%(300万円)の収益が見込まれるとしたら、その不動産は、まともな経済論理を持っている人には売れないことになる。
その不動産から300万円の収益が得られるのなら、経済論理的には、6,000万円でしか売れないのである。
つい最近“バブル”が起こったばかりだから、日本に経済合理性がない人が多いのは確かなようだが(笑)
「不動産の流動化」政策で地価税や固定資産税が軽減されれば、“売りに出さない”不動産所有者の負担が軽減され、その分消費が増えるかも知れないが、税収が減った分財政支出が減るか国債が増えるかのいずれかになり、乗数効果(ある取引が他の産業を活発化する度合い)を別にすれば、需要に関してはイーブンだと言える。
株式も、原則的には、他の投資対象から得られる収益と比較して、利子率に相当する配当金/取得株価がどうなのかで決まるものだが、株式には、将来株価が高くなるとか、将来安くなったり紙屑になる可能性もあるという問題があり、それに加味されて決定されている。将来の株価予測も、根本的には、配当率が高くなるのか安くなるのかという見通しで行われるべきものであり、実際の将来の株価も、そのような基準に従った“適正”価格に収斂されていくものだと考えている。
株価が高くなるから、安く買っておけば儲けられるチャンスだという理由で株式を買うこと自体が、既にバブルの芽を育成しているのである。
政府は、そのような株式市場を国費をかけて“助成”する必要はない。
■ 「資産デフレ」は政策で解消できない
土地や株式を投資対象商品として考えてみる。
土地や株式が将来安くなると多くの経済主体が考えていれば、それらを今購入しようとする経済主体は少なくなるだけではなく、保有している経済主体までもが、損失を少なくするためや利益を減らさないために早めに売却するという取引に向かうため、さらに価格が下がるという“悪循環”に陥りやすい商品である。
しかし、それらの価格も、ずるずるととどめもなく下がっていくわけではない。
前述したように、それらを利用することや保有することで得られる利益率が他の手段で得られる利益率よりも高くなれば、多くの人が土地や株式を買いたいと思うようになり、それらの価格は、反転しないとしても下がることはなく落ち着く。
このような意味で、低金利政策は、銀行優遇政策であるとともに、経済主体に株式や土地ならもっと儲けられるかもしれないと考えさせる役割を果たしている。
預金金利が一定で政府も何も対策を構じないなかで、地価や株価が下がっていくということは、経済論理的にそれらがまだ高いと判断されているからである。
デフレ及び不況対策として、「贈与税」を改正し、不動産取得であれば3千万円までの贈与を無税とするという政策がちらほらと見えているが、これは単なる資産家優遇策でしかない。
それは、現在の地価が、地価の“底値”に将来「相続税」で徴収される税金を加えた額よりも安ければ買う価値があると判断させるだけだからである。
そして、無税となる「贈与税」や少なくなる「相続税」の分だけ国家の歳入が減ることになる。そして、建築やそれに付随する支出分は経済活動に貢献するが、“適正”価格まで地価が下落することを遅らせる弊害をもたらすので、経済全体で考えればマイナスである。建築やそれに付随する支出分も“先取り”でしかなく、「相続税」を支払った後で、経済活動に貢献してもらえばいいことである。
政府は、株価対策のために、取引税や株式取引から得られる所得税を軽減する政策を志向してきたが、それでも下がっているということは、従来的条件であれば、もっと下がっていたはずだということを示唆する。
政府は、税制のみならず、年金や郵便貯金まで株価対策に利用してきたし、401Kのような制度を導入してまで株価対策を行おうとしている。
それらの施策で、確かに一時的には株価が下がらなかったりひょっとしたら上がるかもしれないが、この間の株式市場の値動きを見ている限り、上昇させ続けるエネルギーにはなり得ないどころか、年金や郵便貯金に大きな評価損を出しているだけである。
現在の日本経済は、「資産デフレ」ではあっても、けっして資産が安いわけではない。
ただ、あの異常な“バブル価格”から“デフレっている”だけなのだ。
資産が安いと判断すれば、買いが増えて“適正”な価格に落ち着くし、資産が高いと判断すれば、売りが増えて“適正”な価格に落ち着く。しかし、人は神ではないし、他の経済的要因でも“適正”基準が揺らぐので、株式も土地も価格が変動するのである。
絶対的で普遍的な適正なぞないのだからこそ、市場が必要なのである。
株式や土地の価格が“右肩上がり”でなければならないという幻想はすぐに捨て去らなければならない。
このようなことから、「資産デフレ」問題は、“適正”な資産価格に落ち着くまで放置することで解決されると断言する。
そして、その過程で当然生じる銀行の財務状況悪化を“公的資金”の注入で対策することを通じて、同じように財務状況を悪化させる数多くの企業にも対応すればいいのである。
それで生活に支障を来すような損失を被った個人は、社会政策の対象である。
(もちろん、経営者や株主の責任問題が発生しますが、ここではふれない)
このようなことから、「株式買取機構」や「RCC」は、株式や不動産が“適正”価格に“早期”に落ち着くことを阻害し、デフレや不況を長引かせる元凶であると断じる。
価格調整過程の勢いで“適正”価格から下がってしまった不動産や株式が、価格上昇に転じたとき、「資産デフレ」が終息し「資産インフレ」に向かったと初めて言えるのである。
ある10億円の不動産が9億円そして8億円となっていけば、デフレ状況であり、不況も進む。8億円になった同じ不動産が、8億2千万円そして8億5千万円となっていけば、インフレ状況であり、不況から好況に向かっていくのである。
銀行も、不動産の価格が上昇に転じれば担保価値に対する心配が減少するので、貸し出し意欲も回復するだろう。
資産が高いから好況になるわけでも、資産が安いから不況になるわけでもない。
価格が下がる方向なのか、価額が上がる方向なのかという微分的変化が問題なのである。
資産価格を早く“適正”価格まで下げてしまうことこそが、「資産デフレ」の解消策である。
「バブル崩壊」後からこれまで、戦後(1945年)から1991年までずっとそうだったのだから、土地も株価もひょっとしてまた上がり始めるのではないかと詮無い期待を抱き、ずるずると“価格維持政策”を採ってきたからこそ、デフレが進行し、不況が深化してきたのである。
■ 「資産デフレ」が不況の原因か
土地や株式が売れないとか安いとかが不況の原因なのだろうか。
土地や株式を購入できる通貨を保有しているのに土地や株式を購入しない経済主体が、土地や株式の代わりに実物商品(生活必需品的なものから高額耐久消費財まで)を買ってくれれば、売れる商品が異なるだけで「国内販売商品の価格総和」には影響しないはずである。
株式や土地を購入できる通貨は持っているが損しそうだから購入しないという経済主体が、立派な家はもう保有している、人に負けない高級車も持っている、欲しいものは我慢しているわけではなく好きなだけ買い物しているという個人であったり、工場設備を新たにつくっても売れる見込みがないからそんなことには資金を使えないと考える企業であれば、保有通貨は、“安全”な銀行(郵便貯金を含む)に預けられたり、金(ゴールド)などの購入に回されたり、借金があればそれを返済することに使われたりすることになるだろう。
ゴールドを購入した通貨はその販売会社に渡るので、実体経済領域のなかを引き続き動くことになる。
商業銀行や郵便貯金に預けられた通貨は、そのままでは実体経済領域に戻ってこない。
商業銀行であれば、企業や個人への貸し付けや商業銀行自身の取引を通じて実体経済領域に戻っていく。郵便貯金であれば、政府への貸し付けや自身の取引(株式などへの投資も含む)を通じて実体経済領域に戻っていく。
企業・個人・政府への貸し付けが預かっている額より小さければ、「通貨供給量」の減少につながる。
商業銀行は、今、貸出先や投資先が限定されているために国債を大量に購入しているが、これは政府への貸し付けだから実体経済領域に戻っていく。
しかし、政府も、670兆円もの負債を背負っているし、30兆円と自らにタガをはめているので、そうそう国債を発行するわけにはいかない。銀行が預かっている余剰通貨は、企業や個人により多く貸し出ししなければ、実体経済領域に戻っていかないことになる。
ところが、商業銀行が貸し出ししたいと考える企業は、利子が高い銀行からなんか借りる必要はないと言うだけではなく、企業自身が直接集めた余剰資金で借りているお金を返したいと言う。資産家の個人も、土地や株式への投資は危険だからと言って借りる気はない。
「金を貸してくれ!」と擦り寄ってくる企業を調べると、既に担保能力以上の借金を抱えてひいひい言っているところばかりである。商業銀行は、不況が今後も続くと考えているので、政府が保証してくれるのならいざしらず、政府になんとかしろと言われても、そのような企業には貸し出しをしないものである。(新生銀行を除けば、面倒を見てもらっている負い目からか、選択しながら少しは協力している)
このようにして余剰資金を抱えたままの商業銀行は、米国の債券や株式を買ったり、海外で事業拡張を図るための資金が不足している内外の“信用があるように思える”企業に貸し付けを行うことになる。
商業銀行は、現在のように低い利息しか支払わなくてもいいとはいっても、預かった通貨をそのまま保有しているだけであれば損失につながるから、預金利子率を上回る収益が得られると判断したものに“投資”しなければならない。
銀行が運用先に困って手元に置く通貨の量が増えたり、銀行が資金を海外に流出させれば、その分が日本の実体経済領域に回らないことになる。
こうして考えていけば、「資産デフレ」がデフレや不況の直接の要因ではないことがわかる。
要は、デフレを解消させるだけの通貨量が動いていないことが直接の原因であり、それを阻害しているのが「資産デフレ」でもなお高い資産価格なのである。
■ 「資産デフレ」が及ぼすマインド効果
地価や株価はじりじりと下がっており、そのために消費や投資に対する意欲が減退しているではないかと指摘される人もいるかもしれない。
それは、不動産や株式の売買で儲けた金で、消費財を買ったり、生産財を買ったり、さらには不動産や株式を買おうと思っている人には当てはまる。
しかし、住宅・工場・商店・事務所など実際的用途で不動産を利用している経済主体には関係ない話である。(売りもしないのに、時価で売ったときの利益を考えてにんまりする人はいるだろうが)
株式については、その売買で得た利益で車などを買おうと思った人の消費行動を抑えることになるし、株式を利殖として考えてきた企業も、事業行動を抑えられることになる。
しかし、不動産を使って事業をしようと考えている人はどうであろうか。
ある人が、前々から自分の商売には格好の場所だと考えていたが、買うにしろ借りるにしろ、採算がとれる価格ではなかった。
分かりやすくするために、5年前は年間賃貸料が480万円だったとする。
8,000万円を投じた商売で得られる荒利は年間750万円で、賃貸料に480万円支払うと利益は270万円になると予測した。利益率は3.3%で銀行預金の利子4%よりも悪いので、銀行に預けてぶらぶら過ごすことにした。
そうこうしていると“バブル”とやらがはじけて、この人が預けた8,000万円も含めて銀行が貸し付けていたお金が回収できなくなったと大騒ぎし始めた。でも、お金には名前が付いていないので、8,000万円はちゃんと銀行から引き出すことができた。
以前は高くて手が出せなかった不動産の賃貸料を見ると、360万円になっている。
バブルとやらがはじけたせいで不況になっているが、自分の商売はそこそこ独創性があるので年間荒利は以前のような750万円は無理だとしても600万円は確保できるだろう。
賃貸料の360万円を支払ったら、利益は240万円である。
利益率は、3%と以前よりも少し下がったが、銀行預金の利子は1%しか付かなくなっているので、商売を始めることにした。
この商売は大当たりこそしなかったが、人を一人雇っても、3%以上の利益率を上げられるようにはなった。
(不動産を買った人であれば、地価の下落で高かったときに較べて固定資産税も安くなるという特典が付く)
もちろん、不動産価格が下がったからチャンスと思って商売を始めた人のなかには失敗する人も出てくる。
このように、現在のように低金利政策を続けている状況であれば、不動産価格が適正価格まで下がれば、新規に事業を興す人が出てくる。手持ち資金がそれほどない人でも、銀行に審査能力があれば、金を貸しても大丈夫な事業や人と駄目な事業や人を見分けられる“はず”だから、融資を受けて事業を始めることもできる。
それが起こっていないということは、日本にはこれ以上新たに事業を始める余地がないか、地価が適正価格をなお上回っているということを示唆している。
最初の事業を始める余地がないことが理由であるかどうかは、地価が下がっていくなかでわかることである。(そのときはみんなで今よりは少し穏やかな生活をしていけばよいだけである)
しかし、外資が、銀行の不良債権の担保になっていた不動産を破格値で買い漁っていることから類推すれば、地価がそれなりの水準まで下落すれば、不動産に投資(不動産を賃貸)して事業を始める経済主体がそれなりにいると判断できる。
現在の不況が及ぼしているマインド効果としては、長期にわたって不況が続き終わりも見えない、失業者が増大し自分もいつそうなるかわからない、年金もどうなるかわからないなど、資産家ではない大多数の国民が感じている不安が最大である。
それが消費を抑制させ貯蓄に走らせ、その貯蓄を受け入れた銀行や郵便貯金には、経済活動を活発にするような活用先が少ない。
郵便貯金を運用する人は、愚かにも、それを株式市場を買い支えるために使って損失を出しているだけではなく、不況からの脱出さえも遅らせているのである。
■ ストック(国富)について簡単に
土地や株式を持ち続けていることでは、経済成長(フローの評価)に寄与するわけではない。最低限、土地や株式を売ったり買ったりしたときに始めて経済成長に寄与するのである。
これは、住宅になっている不動産を考えてみればわかる。立派な家に建てて環境も気に入っているので死ぬまでそこを住処にしようと考えているので、その不動産を売る気は基本的にないとする。
5千万円で取得したその不動産を、8千万円で買いたいという人がやって来た。しかし、同じような条件の不動産はやはり8千万円するので意味がないと考え断った。
国富というストック的尺度に照らせば、この人の住宅の価値は増大しているのだが、住み心地は変わらないし、同じように快適な不動産を手に入れるためには今所有している不動産を売った金額を全て投入しなければならない。
逆に、5千万円で取得したその不動産を、3千万円なら買いたいという人が来た。しかし、同じような条件の不動産を3千万円で買うこともできるがわざわざ引っ越しする意味はないと考え断った。
国富というストック的尺度に照らせば、この人の住宅の価値は減少しているのだが、住み心地は変わらないし、今所有している不動産を売れば、同じような不動産を手に入れることができる。
ストックは、価額評価の大きさではなく、フローのためにどう効率よく利用されているかが重要な問題なのである。
国富は、それを構成する株式や不動産が取り引きされた結果の“時価”を、取り引きされていないものにも適用して算出した総額でしかない。
だから、限定的な取引を通じて、国富算定対象の商品を売りたいと思う人が買いたいという人を圧倒していれば、価格が下落して国富が少なくなり、逆になれば、国富が膨らむことになる。
国富が小さくなったからと言っても、土地が狭くなるわけでも、建物が低くなるわけでない。逆に、国富が膨らんだからと言っても、土地が広くなるわけでも、建物が高くなるわけでもない。
利用価値は、価格に関係なく基本的に同じである。