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※2020年12月29日 日刊ゲンダイ7面 紙面クリック拡大
五木寛之氏・年頭特別寄稿「夜明け前の夜は深い」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/283359
2021/01/01 日刊ゲンダイ
作家の五木寛之氏(提供写真)
新しい年が始まる。
昨年は激動の一年だった。東京五輪が延期になり、大学生は登校できず、会社員は自宅でテレワークにはげむ。夜の街が目の敵にされ、不要不急の外出や集会も自粛。
日々、お上のコロナ感染者数に一喜一憂するさまは、戦時中の大本営発表を思わせた。
海外では欧米先進国が、見栄も外聞もないあわてぶり。ことに米国は悲惨だった。
トランプが退陣しても、トランプ的スピリッツはアメリカに確固として残る。
一見、温厚に見えるバイデン新大統領にしてもそうだ。彼が1967年式シボレー・コルベット・ラングレーをこよなく愛していると聞けば、うなずけるだろう。ガソリンをがぶ飲みするマッスルカーに惚れこむ男が、ジェントルなわけがないではないか。
わが国にとっては、虎が去ってジャガーが来たようなものだ。これからも多難な対米関係が続くにきまっている。
昨年、流行った言葉に「三密」というのがあった。「三密」とは、もともと仏教用語で、「身・口・意」の3つを極める重要なキーワードである。
空海は中国にそれを学び、高野山に真言密教を開いた。比叡山もまた天台密教の聖地である。
新型コロナウイルスは、ソーシャルディスタンスで、「密」を排除した。
戦後、敗戦国日本が奇蹟の経済発展をとげたのは、製品の密度を極限まで高めたことにあったと言っていい。「精密・細密・緻密」の「三密」である。
「密」を排すれば、いきつくところは「粗」だろう。「粗末・粗暴・粗大」の「三粗」の時代がやってくるのではないか。行きつくところは「疎外」だ。
2021年の門出にあたって、景気のいい説を披露したいのだが、正直なところ先行き不明というのが実感である。
昨年、新聞やテレビで気になったのは、「接待をともなう夜の街」という表現だった。「全滅」を「玉砕」、「退却」を「転進」などと言い替えた戦時中の風習は、いまだに健在らしい。
「贈与」を文化の起源と考えるなら、「接待」はさらに重要ではないだろうか。「贈与」も「接待」の一部であるのだから。
食事も、酒も、会話も、さらに身体的接触も、すべて「接待」の行為である。
「接待をともなう夜の街」が排除された社会は、まちがいなく「三粗」の世界だ。
今年、台風一過の年になることを願いつつ、そうでない事の予感に身構まえる年頭である。
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