>54. 軍人マッカーサーは別段天才でも何でもなく、 ダグラス・マッカーサーの直属の上官で日本の戦後統治者の責任者だった『 ドレイパー(一族)』は、ディロン・リード社という兵器売買と兵器購入資金融資の軍事金融企業を経営している。ドレイパーは、中国共産党軍にも、自衛隊にも、兵器を販売している。ドレイパーの兵器販売高をアップさせるために、日本と中国は戦争をする事になる。 クリントン大統領時代のペリー国防長官が、このディロンの社長である。 _________________________ 白鳥 敏夫(しらとり としお、1887年(明治20年)6月8日 - 1949年(昭和24年)6月3日)は、大正、昭和期の日本の外交官・政治家。戦前期における外務省革新派のリーダー的存在で、日独伊三国同盟の成立に大きな影響を与えた。東洋史学者の白鳥庫吉は叔父。外務大臣を務めた外交畑の長老石井菊次郎も叔父にあたる。また外務官僚の出淵勝次は義兄(妻の姉の夫)にあたる[1]。息子に白鳥正人元北陸財務局長。 ___________________________________ 古神道家_『 相曽誠治氏 』と白鳥敏夫の交流の中で、 白鳥に相談された相曽誠治氏が後押しし、 「 A級戦犯の状態ではマッカーサーが相手をしないだろうから 幣原首相に託すよう 」に、助言する。 ◾サニワと大祓詞の神髄 /相曽誠治著・山雅房
●本当の戦争責任者__戦犯列伝。 _________________________________
大日本帝国陸・海軍__の実質的主導者= 皇族軍人( 御前会議 ) _________________________________ ガーター大日本帝国陸海軍_最高司令長官&元帥 「 大日本帝国陸・海軍_裕仁御前の大本営 」総大将 迪宮・裕仁・昭和天皇ヒロヒト。 < 大日本帝国陸軍 > 有栖川宮熾仁親王 陸軍大将 参謀総長、大本営幕僚長 小松宮彰仁親王 元帥陸軍大将 参謀総長、近衛師団長、征清大総督 北白川宮能久親王 陸軍中将(贈大将) 歩兵第4師団長、近衛師団長 伏見宮貞愛親王 元帥陸軍大将 第1師団長、歩兵第4師団長 閑院宮載仁親王 元帥陸軍大将 参謀総長、近衛師団長 久邇宮邦彦王 陸軍大将(贈元帥) 近衛師団長 梨本宮守正王 元帥陸軍大将 第16師団長 竹田宮恒久王 陸軍少将 近衛騎兵連隊 北白川宮成久王 陸軍大佐 陸軍砲兵大佐 朝香宮鳩彦王 陸軍大将 上海派遣軍司令官、近衛師団長 東久邇宮稔彦王 陸軍大将 第二軍司令官、陸軍航空本部長 賀陽宮恒憲王 陸軍中将 陸軍大学校長、第43師団長 秩父宮雍仁親王 陸軍少将 大本営戦争指導班参謀、歩兵第31連隊第3大隊長 直宮 閑院宮春仁王 陸軍少将 戦車第5連隊長、千葉陸軍戦車学校付 竹田宮恒徳王 陸軍中佐 第1総軍防衛主任参謀、関東軍作戦参謀 北白川宮永久王 贈陸軍砲兵少佐 駐蒙軍参謀 朝香宮孚彦王 陸軍中佐 第51航空師団参謀、第51教育飛行師団参謀 三笠宮崇仁親王 陸軍少佐 航空総軍参謀、大本営参謀 直宮 東久邇宮盛厚王 陸軍少佐 第36軍情報参謀、野戦重砲第1連隊中隊長 賀陽宮邦寿王 陸軍大尉 豊橋第一陸軍予備士官学校教官 < 大日本帝国海軍 > 華頂宮博経親王 海軍少将 議定会計事務総督 有栖川宮威仁親王 元帥海軍大将 連合艦隊旗艦「松島」艦長、巡洋艦「高雄」艦長 東伏見宮依仁親王 元帥海軍大将 第二艦隊司令長官、横須賀鎮守府司令長官 山階宮菊麿王 海軍大佐 「八雲」分隊長、「磐手」分隊長 伏見宮博恭王 元帥海軍大将 軍令部総長、第二艦隊司令長官 有栖川宮栽仁王 海軍少尉 栄典 伏見宮博義王 海軍大佐 第6駆逐隊司令、敷設艦「厳島」艦長 山階宮武彦王 海軍少佐 海軍航空隊所属 久邇宮朝融王 海軍中将 第20連合航空隊司令官、高雄海軍航空隊司令 華頂宮博忠王 海軍中尉 軽巡洋艦「五十鈴」乗組 高松宮宣仁親王 海軍大佐 横須賀海軍航空隊教官、戦艦「比叡」砲術長 直宮 _________________________________ 上記連中の中で、東京裁判にかけられた人間・・・ ひとりでも、居るのか? いつでも交換可能な平民階級出身のダグラス・マッカーサーと 平民階級出身のオモテの日本帝国陸海軍実行指揮者。 御前会議の単なる手駒でしかなかった東条英機、以下__ 御前会議の命令を粛々とこなしていただけの 平民出身の現場の平民階級大将___だけだろ? A 級戦犯で上げられ、処刑までされたのは・・・・・? 9条は、幣原の発案ではなく、 A級戦犯白鳥敏夫の発案で、幣原に託した__のが 戦後史の正統的理解だな。
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