http://www.asyura2.com/20/senkyo277/msg/399.html
Tweet |
(回答先: 豪雨で川辺川ダム建設計画再燃 前熊本県知事の思いは〔線状降水帯はダムの建設予定地で発生したわけじゃない〕 投稿者 戦争とはこういう物 日時 2020 年 11 月 19 日 16:19:34)
ダム建設を再開したヤンバダムはどれだけ村民をもうけさせているのか。建設で潤う産業はともかく、住処を奪われ村を沈められた報いが住民にもたらされるのだろうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(ここから)
川辺川ダム水没予定地の熊本・五木村は…移住の男性「魅力発信し続けるしか」
2020/11/19 12:17 (2020/11/19 12:38 更新)
西日本新聞 中村 太郎
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/665679/
*役場や住宅が高台に移転した熊本県五木村の中心部。川辺川沿いには村が宿泊施設を建てた=19日午前 https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/e/b/ebea1_1497_3ca2b02ed67e886eca5ad503b75bc4bb.jpg
*渓流ヴィラITSUKIの宿泊棟前で「村の魅力を発信し続けるだけ」と語る仮山常雄さん=19日午前、熊本県五木村https://news.biglobe.ne.jp/domestic/1119/9598501524/nns_origin_1_1_thum800.jpg
蒲島郁夫知事がダム建設容認の方針を表明した19日午前、熊本県五木村の川辺川沿いに昨年4月オープンした宿泊施設「渓流ヴィラITSUKI」では、総支配人の仮山常雄さん(55)が宿泊客の朝食の後片付けに追われていた。ニュースを聞いても「これまで通り、目の前のお客に100パーセント満足してもらうよう努力するだけです」と前を向いた。
【関連】ダム問題に翻弄された 前五木村長・和田拓也氏に聞くhttps://www.nishinippon.co.jp/item/n/665517/
施設があるのは、かつて役場や学校、家々が並んだ場所。1966年に発表されたダム計画で水没予定地となり、公共施設や住宅は高台に移転。村は2009年の計画中止後、県の支援で観光振興を進め、宿や公園、バンジージャンプの施設を整備した。08年に12万人だった観光客は17万人前後に増加。だが新たに計画されるダムの規模によっては移転せざるを得ない。
鹿児島県で観光施設や民泊NPOの運営に携わっていた仮山さんは、自然豊かな村の観光に将来性を感じて19年2月に移住。ダムについては「以前の村の苦しみは知らず、是非を評価する立場にはない」とした上で、「多くの人にこの村のリピーターになってもらえるよう、魅力を発信し続けたい」と話す。川を望む全室離れ形式の宿は来年1月まで週末は満室が続く。
◇
古くからの住民の受け止めは異なるようだ。ダム計画の発表から半世紀余り、翻弄(ほんろう)され続けてきた。一時は村を挙げて反対したが、1981年に水没者3団体が補償を受け入れ、水没予定地に暮らした約500世帯は村内外に移転。人口は約千人にまで減り、高齢化率は48・8%に及ぶ。
高台の代替地に暮らす元村職員の犬童雅之さん(84)はダム容認に転じた蒲島氏に対し「10年以上ほったらかしにして今ごろ建設だなんて、村には迷惑な話。無責任だ」と憤る。ダム対策室長や助役を務め、問題に揺れる村の再建に奔走してきた。しかし、中止が決まった途端、国は代替農地や村道の整備などをやめたという。
少年時代は川辺川で泳いだり、ウナギやアユを釣ったりして遊んだ。水没予定地の生家の写真は、移転後も和室に大切に飾っている。「昔の村に戻してほしいけれど、もう無理な話。せめて知事は(ダムを白紙撤回した)当時の判断を間違いだと認めた上で、村を振興する責任を全力で果たしてほしい」 (中村太郎)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(ここまで)
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK277掲示板 次へ 前へ
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK277掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。