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私は、最近の若者と接点がないので、正直、若者の気持ちが理解できず、共感するところもない。
しかし、1990年頃から普及した、パソコンゲームによって、それに長時間、没頭する若者たちが、自然との触れあいもなく、他者との大きなコミニュケーション、邂逅もないまま大人になってしまって、人工的な空間に埋没して、とても狭い穴蔵のような価値観の人生を送るようになるのではないか、という危惧は強く抱いてきた。
私が山歩きを始めたのは、1960年代の末だが、1990年くらいまでは、日本中のどこの山に行っても、若者たちで溢れていたと思う。
みんな、ザイルを持ってカラビナをチャラチャラさせながら岩場に取り付いている者たちに憧れていた。当時は、まだ植村直己や小西政次=山岳同志会の冒険全盛期で、「危険な冒険をできないような人間は、価値ある人間じゃない」と決めつけるような風潮もあった。
だから、谷川岳や穂高、剣で、わずか数十年のうちに数千名が死亡するような苛酷な登山がもてはやされ、命がけ、捨て身の登山に向かう若者は、高倉健のヤクザ物語のようなかっこよさがあった。
私も影響されて、厳冬期の中アを単独縦走したり、南アルプスの深い沢を数日かけて単独遡行するような登山をやって、映画の主人公にでもなったつもりで、肩肘を張って自己陶酔していたものだ。
「命がけの冒険をできねえようなヤツは男じゃねー!」
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1252.html
まあ、苛酷な経験を積んだ者は、他人に対して優しくなれる。別の言い方をすれば、人間の懐が深くなる。
だいたい、こんな連中を当時は「山屋」と呼んだものだ。
厳冬クライミングに向かうようになると、死亡率だって、たぶん太平洋戦争の戦場なみだったような気がする。だから冬山から下山すると、「シャバに帰ってこれた」という安堵感で、いつも抜け殻のようになった。
だいたい、山屋というのは、世間並みの価値観なんて持っていない。出世や地位なんかに拘泥していては山に行けるはずがない。山じゃ学歴も関係ない。
だからテレビや映画、ゲームなんかにも興味がなかった。そんなものに使うゼニが山への交通費になったからだ。
ついでに書いておくが、私は「日本人凄い、日本人は優秀」なんて評価が出てくる理由は、日本全土にある山のせいだと思っている。
日本ほど、山を利用した難度の高い冒険ができる国は少ない。山が人を鍛えるのだ。
だから同じような条件を持った台湾人もニュージーランド人も、アルプスを抱えたスイス人もイタリア人もフランス人も、日本人に共通する精神性を持っているはずだ。
書いているうちに、話が逸れていってしまったので戻るが、冒険は人を鍛え、巨視的な人生観を与えてくれる。
長い人生を泳ぎ渡るには、他人に釣られない、迎合しない強い意思の自分が必要だ。それを鍛えてくれるのが冒険なのだ。
冒険を重ねた人間は、死と紙一重でのせめぎ合いの体験を積むことで、自分の死と直接向き合う「死生観」を知ることができる。
自分の死の価値を考えながら生きてゆくことで、「今、何を、どこまで行うべきか?」という決断を容易に決めることができるようになる。
社会に迎合しない自分を確立し、雰囲気に流されない、確乎たる自分を作り出すことができる。腹が据わるのだ。
そこで、社会や政治に対しても、自分の人生観、社会観から独自の観点で判断するようになり、私の知る限り、体制に順応するような保守的傾向になる者はいない。
迎合しないことで不利益が生じても、冒険者にとっては、たいしたことではない。
ここで、今日の本題に入りたい。
冒険しない者は、周囲に迎合的になり、姑息に自分を守ろうとするようになる。社会性、政治性についても、どうしても自分の利権を守りたい一心で、保守的になってゆく。
私は、今の若者の保守性=自民党への高い支持率の意味は、「冒険しない」穴蔵人生から来ているのではないかと思うのだ。
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なぜ若者は、安倍晋三に続いて「菅義偉も」支持するのか
彼らが自民党政権に親和的な「真の理由」(現代ビジネス10月25日)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/76675
アベからスガへ引き継がれる若者の支持
「なぜ若者は自民党を支持するのか?」
「若者は自民党や安倍晋三をリベラルだと考えているというのは本当なのか?」
――などと年長者から尋ねられることが、近頃多くなった。『なぜ若者は、それでも「安倍晋三」を支持するのか』という小論を現代ビジネスでリリースしたのは、そうした問いかけに対する回答のつもりだった。だがむしろ、この記事をリリースしてからますますそうした質問を受ける機会が多くなった。
安倍政権が幕を閉じ、そのあとを引き継いだ菅政権が発足した。朝日新聞世論調査によると、やはり政権発足直後ということもあって全世代にわたって支持率は高い。しかし特筆すべきは、29歳以下、39歳以下の世代において不支持率が低いことだろう。
ちなみに安倍政権末期(2020年7月)の調査でも同様の傾向がみられた。この時期になると、ほとんどの世代で安倍政権への不支持が支持を上回っていたが、そのような状況でもなお29歳以下の世代だけは支持46%・不支持29%だったのである。
とくに自民党政権に批判的な立場の方々の意見をうかがっていると、「物事の道理をただしく理解さえすれば、若者たちはとてもではないが自民党やアベ・スガなど支持できるはずがない」という前提を自明として考えていることがわかってきた。
「自民党支持者」に対する先入観
若者たちは、政治に対する勉強も理解も足りていない。ただ「少数派になるのが嫌だ」という付和雷同、あるいは同調圧力によって自民党政権を支持しているにすぎないのだと彼らは推測する。
〈駒沢大学法学部の山崎望教授は、2017年後期のゼミを振り返って言う。「学生たちに『共感』というか、ああ、そう考えちゃうよねと腑に落ちました」
当時、世間を騒がせていた森友・加計学園の問題を議論した。安倍政権を肯定する意見がゼミ生25人の7割を占めた。 「何政権であろうと、民主主義国家としてよくないのでは? 私がそう水を向けると、彼らはきょとんとした顔でこう言うんです。『そもそも、総理大臣に反対意見を言うのは、どうなのか』って」
政権に批判的な残りの学生に対しても、肯定派は冷たかった。「空気を読めていない、かき乱しているのが驚き、不愉快、とまで彼らは言うんです」
なぜ、そう考えるのか? 学生たちにリポートを書いてもらうと、「政治の安定性を重視しているから」という理由が多かった。不安定でも臨機応変に対応すればいいんじゃないの? 山崎氏がさらに問うと、肯定派はみな言葉に詰まってしまったという。
「理屈ではなく感覚なんです。安定に浸っていたい、多数派からはじかれて少数派になりたくない。そんな恐怖が少数派は罪という考えまで至るのではないでしょうか」〉
(朝日新聞GLOBE+『なぜ若者の政権支持率は高いのか 学生との対話で見えた、独特の政治感覚』(2020年9月30日)より)
「(ただ感覚的に、多数派から疎外される恐怖によって自民党を支持しているにすぎないのだから)根気よく説明してものの道理を理解させれば、若者たちは自民党支持などやめるはずだ」と、政権や自民党に批判的な人は少なからず考えているようだ。
つまるところ「自民党を支持するということは、どこか社会や政治について理解度が低い部分があるに違いない」と。もっと言い方を選ばずに表現すれば「コイツはどこか阿呆なところがあるから、自民党など支持しているのだ」という前提を抱いているということだ。
しかし残念ながら、このような認識では、若者たちの考えていることをとてもではないが理解できるはずがない。もし彼らに政権支持をやめさせたいと思うのであればなおさらだ。
若者たちは「放っておいてほしい」
「どうして君たちは政権を支持するの?」と尋ねられても、若者たちは、おそらくは即答できない。往々にして答えを濁してしまうだろう。
だからといって「とくに確たる根拠や信念があるわけではないが、ただ少数派になるのを嫌がり、付和雷同的に支持している」わけではない。彼らがそのような態度を見せるのは、どちらかといえば「放っておいてほしい」からではないだろうか。
〈中央メーデーの式典に先立つ文化行事では今年70年を迎えた東京のうたごえの仲間が壇上いっぱいに並び、アメリカのLGBT(性的少数者)権利獲得運動で歌い継がれる「いのちをうたおう」などを合唱。ラッパーのATSさんはラップ調の「がんばろう」を熱唱し、参加者と一緒に「安倍はやめろ」とコールしました〉(しんぶん赤旗『第89回中央メーデー 多彩な行動 各地で文化行事』2018年5月2日より)
数年前から、野党やリベラル派を中心として、若者に政治的問題意識を訴求する手段として「ラップ」が使われ始めている。若者になじみ深い文化を取り入れれば、関心と親しみを向けてくれるはずだという狙いがあってのことだ。その端緒はおそらく、2016年に結成されて2018年まで活動した学生左派運動「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)」にあるだろう。
だが「なんとなく若者が好んでいるカルチャーだから」という理由で、SEALDsのようなインテリ・リベラル学生たちから借り物の方法論としてラップを導入したところで、大多数の若者には響かない。
たとえば同じラップでも、いま若者たちの間で爆発的な人気を誇るHIPHOPユニット「BADHOP」の楽曲の歌詞を1バースでも読めば、多くの若者たちが政権あるいは自民党のポリシーを支持している背景が見えてくるはずだ。「育ちのよいインテリ・リベラル学生が活用していたから、政権批判をラップにすれば若者に受けるはず」という程度の理解では、なにも見えてこない。
成功しこの街に恩返す
ゼロからじゃねぇマイナスから巻き返す
何にでもなれる誰だってやれる
夢を見せれるなら貧乏も歌う
正直歌いたくねぇ金がねぇあの日々
でもなんか響くなら歌うあの子に
前にならえ出来ねぇ育ちのせい
壊すだけ破壊していく
後ろ盾無く自分の腕でメイク
リスク抱える壊れかけのレーン
燃料が切れるたび何度も止まりかける
ここで権力に媚びたら俺たちじゃねぇ
街に借りた恩なら腐った環境すらも楽しむ事
金じゃ買えない物
地位や名声手にするのがゴールではなくて
次に繋ぐ事が俺達の役目
(BADHOP [2020]『Hood Gospel』より引用)
「自己責任」と「共同体主義」の折衷
若者たちは、自分や自分の身内による自助努力と自力救済とを重視して成功を望む。だが自分たちだけで完結させようとするのではなく、自らの属する共同体でその繁栄を継承しようとしているのだ。身内や気心知れた仲間に有効範囲を限定した共同体主義、いうなれば「マイクロ共同体主義」の原理で彼らは動いている。
もちろん彼らは自由主義や個人主義を当然のように享受しこれを肯定しているが、しかし最終的には地元を愛し、仲間を愛し、そして後輩や家族に自分たちの成功を引き継いでもらいたいと願う共同体主義をも折衷している。それは、かつて地方の商店や中小企業がつくってきた地域社会の形と相似形であり、まさしく自民党の支持基盤、自民党を支持する心性と重なり合っている。
自分たちは自分たちでうまくやる、そして自分たちの手の届く範囲の中でささやかな幸せを次代へ引き継いでいく。だから、せめて邪魔するのだけはやめてくれ――若者たちはそう考えているからこそ「とりあえず余計なことはせず現状を守ってくれそう」という理由から安倍政権を支持し、そして今度は菅政権を支持するのである。
これは政治的な安定を志向しているというよりも、むしろ「政治から自分たちに対する干渉を最小限に留めたい」というインセンティブに基づいていることを強調しておきたい。若者たちが、一見すると矛盾しそうな「新自由主義的な自己責任論」と「共同体主義的な世界観」をともに違和感なく受け入れていることは、このように見ると説明がつく。
本音はシンプル「興味がない」
「まともに考えれば自民党政権の支持などしていられないはずだ」などと内心見下しながら考えているようでは、こうした若者たちの社会に対するまなざしを読み解くことはできない。
「安定した政治が良いから」という理由で政権を支持する若者は確かに少なくない。だがそれは先述した朝日新聞の記事が指摘するように「少数派になりたくない」という不安感や、事なかれ主義が動機にあるせいではない。
端的に言えば、若者たちは政権や総理大臣が個人としてなにをしようが、正直に言ってしまえば大して興味はないのである。かりに総理大臣やその周囲の人物がスキャンダルにまみれていようが、とにかく自分たちに累を及ぼすようなことはくれぐれも慎んでもらえれば、政権の椅子に座っているのは、安倍だろうが菅だろうがあるいは他のだれであろうがかまわない。
しかし「どうでもいい/興味がない」と率直に言ってしまうと、「最近の若者はけしからん」と憤慨する人や、自分たちのことをバカだと嘲笑する人が現われるかもしれない。だから「政治の安定性を重視している」と、慎重に言い換えているのだ。
「まともに政治を勉強し理解すれば、政権や自民党を支持することなどできないはずだ」――という物言いは、まさに「目の前の悪をなぜ批判しないのか?」という前提に立脚しているからこその言明であるが、しかしそんなことは、自分や自分の仲間の栄達を求める今どきの若者にとっては「どうでもいいこと」の極みなのである。
「政治家への批判や政治行動など、自分たちの貴重なリソースを割いてまでやることではない」という判断をオブラートに包んで答えているのに、「いや、臨機応変に批判していこうよ」などと言われても「だからやらねえって言ってるだろ。ていうかなんでそんな必死なの?」と呆れてしまうというわけである。
そうした非干渉的・無批判的な態度が、周囲の人びと(とりわけ政権や自民党に批判的な人びと)からすれば「若者の政治的無関心」とか「付和雷同」とか「頭が悪い」「ネトウヨ」などと見えてしまうのは無理もないことだ。しかし若者の側もそういう風に思われることを承知しているからこそ、とくに与党に批判的な人の前では、ますます政治の話をしたがらなくなる。
もし若者が選挙に行ったとしても…
ツイッターで大きな声を出す若者を集めても「若者」の姿は見えない。
冒頭で引用した山崎教授は、政権に肯定的な若者たちの、政治批判に対する反応――「空気を読めていない」「かき乱すな」「不愉快」――に、たいへん驚いてしまったようだ。
だからといって、もちろんこうした「政権批判に対する拒否」は、若者たちが「政権に異論をはさむ人間は許さない!」という、さながらファシズム的な心情を抱いているために発せられるわけではないことはいうまでもない。与党を支持する若者を見て「若者たちが右傾化している」とか「ファシズム支持者になっている」などと突拍子のない分析を表明する人がたまにあるが、いずれも的外れである。
若者たちのこうしたリアクションが出るのも、先ほど述べたように「現状でも自分たちは身内でうまくやれているんだから、『批判すべき』だのと騒いで波風を立てようとするな、自分たちに道義的義務を要求するな」という思いがあるからだ。
現在の若者の投票率が低い点については、政治的関心の低さが反映されていることは間違いない。だがそうした若者に投票行動を喚起したとしても、おそらくは左派・リベラル派の期待とは裏腹に、若者の多くは自民党に票を投じることになるだろう。
自民党のポリシーは、先に見たような若者たちの基本的なスタンスである「新自由主義(自分や自分の仲間で自力救済)とマイクロ共同体主義(身内に成功を継承していく)の共存」にもっとも適合しているからだ。
政権に対して旺盛な批判精神を発揮してクリーンな政治や社会を目指すとか、旧来の社会を批判してポリティカルにコレクトな制度設計を提案するといった「リベラル」な方向性は、地元の因習を軽蔑・嫌悪して都会の大学にやってきた、あるいは豊かな生まれで自力救済を目指さなくても生活に困らない、ごく一部の恵まれたインテリの若者たちが支持しているにすぎない。
そうした都市生活を送るインテリの若者のほうが、自力救済に親和的で、地元密着型で、地縁的結合のもとであくせく働くその他大勢の若者よりもはるかに余暇が豊富にあるため、彼らの声がSNSとりわけツイッター上では実態以上に大きく聞こえてくるだけだ。実態を見誤ってはならない。
多くの若者は、周囲の人びとが想像するよりもずっと「生活者」の視点に立って懸命に生きている。リベラルな大人たちが、ひとりの生活者として自力救済に勤しむ彼らを「大局的な視野で物事を見られない愚か者」と見なすのは仕方ないことだろうし、それは実際のところ部分的には当たっているかもしれない。
だがそのような態度で若者と接している限りは、彼らの政権支持の深層を見通すのは、途方もなく困難なことであり続けるだろう。
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引用以上
上の文章を読み進んで、「彼らはきょとんとした顔でこう言うんです。『そもそも、総理大臣に反対意見を言うのは、どうなのか』って」
という下りまできて、私は、「こいつら本当に地球人なのか?」という強烈な違和感、不可解な思いに駆られた。
同時に、冒頭に述べた、「穴蔵人生」の若者をイメージした。幼い頃から、ゲームに没頭して、冒険もせず、多人数の社会的訓練を受けないまま、与えられるだけの人生を重ねて大人になってしまうと、こうした穴蔵人生観が育つのだろうかと思った。
いや、彼らなりに多様な冒険を重ねているのだろうが、それは、ほとんどパソコンのモニター上のことだ。実際に、体が傷ついて血が吹き出るわけでもなく、疲労困憊して筋肉が痙攣するわけでもなく、人が死んで、腐敗する生臭い悪臭を知ることもない。
すべて、スクリーン上に描かれた虚構世界のなかで起きている中途半端な仮想体験にすぎない。
そうしたバーチャル世界を生き抜く前提は、食事や環境の世話をしてくれる両親に対する無条件の従属だったのだろう。だから「総理大臣に反対意見を言うのは、どうなのか?」という発想になる。
また自民党政権にとっても、戦争が始まったとき、かつてのような肉弾戦になる前に、ミサイルやドローンのゲーム戦争になるのは確実なので、こんな穴蔵青年でも戦力になるので大切にするかもしれない。ただし、最初の半月だけだが。
何度もEMP兵器のことを書いてきたが、現在、米ロ中国はもとより、北朝鮮も韓国もEMPを配備しているといわれるので、地域紛争がエスカレートすれば、必ずEMP爆弾が使われる。
それは地上400キロメートルで爆発し、一瞬で径1000キロの、あらゆる電子・電気インフラを破壊するから、ゲーム戦争は終わり、肉弾戦になる。
こうなれば、バーチャル戦争のプロであっても、無力な家畜の群れのようなものだ。
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ただ、一斉に逃げ出し、何をやっていいのか分からなくなった集団が右往左往するだけになる。これが自民党政権を支持する若者たちによるバーチャリズムの帰結といっていい。
日本人の若者の大半が、こんなレベルに落ちてしまっていれば、もう日本は救いがたい。滅亡だけが待っていると覚悟すべきだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1286.html
本当に、日本の人類の未来を確保できる人間というのは、大自然と触れあい、たくさんの動物たちと触れあって育ち、命の大切さ、暖かい人間性を育てた若者であり、冒険を怖れない若者である。
もう少し言えば、山登りに慣れ親しんだ若者たちだ。コンピュータを扱う技術なんか、どうでもいい。それはEMPによって一瞬で滅ぶのだから。
この社会の電子・電気インフラが破壊されて、江戸時代、明治時代のライフスタイルを余儀なくされたとき、本当に必要な能力は、コンピュータ操作やお化粧や着こなしなんかじゃないんだよ。 畑を耕す腕力であり、どんな困難でも怖れずに立ち向かう精神力である。病気になっても自然治癒力で治す。医療なんか頼らなくてもいい。
野生児、自然児だけが生き抜いてゆける。だから、大都会に生活している子供たちは、まずキャンプの経験をたくさん積むことだ。
可能ならば、学校が、過疎地の山岳地帯で林間学校を開き、家畜をたくさん飼育して、動物たちとの触れあいのなかで人間性を豊かにしていってほしい。
ちなみに、この数年、うちの近所の笠置山キャンプ場(望郷の森)は、凄い人気で、いつでも満員だ。もう17年も通っているので、推移が手に取るように分かる。
去年あたりから、キャンプ生活の大変なブームが始まっているようだ。
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