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2020年10月17日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆〔特別情報1〕
これは、自民党派閥二階派「志帥会」の幹部からのトップ情報である。
菅義偉首相が、秘書上がりから首相の座を射止めた「秘密」をズバリ明かしている。「秘密」とは、自民党の「秘書会」が握っている。国会議員の秘書のいわば「互助会」と言ってもよいだろう。仕えてきた国会議員が急死したような場合、秘書の仕事を続けられるように、別の国会議員の秘書ポスト見つけてきてくれる。秘書上がりで首相にまで登りつめた一人が石川県出身の森喜朗元首相 (東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長)である。早大商学部・雄弁会、日本工業新聞記者を経て、愛媛県出身で内務官僚(和歌山県知事、静岡県知事などから衆院議員(愛媛3区))になった今松治郎・初代総務長官(岸信介に私淑し、1962年の岸派分裂後も最後まで岸派に残った)の秘書になった。
菅義偉首相は、秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現・湯沢市秋ノ宮)の郷関を出て、法政大学法学部政治学科・空手部を経て、小此木彦三郎元建設相(神奈川1区)の秘書となり、その後、梶山清六元自治相(茨城県第2区→茨城県第4区)の秘書を経て、横浜市議に当選した。やがて衆院神奈川2区に出馬して当選し、ついに首相の座を射止めた。
二階俊博幹事長は、和歌山県御坊市新町に生まれる。中央大学法学部政治学科卒業後、静岡県選出の衆議院議員で建設大臣を務めた静岡県選出の衆議院議員で建設大臣を務めた遠藤三郎の秘書となる。遠藤の死後、和歌山県に戻り、1975年4月に和歌山県議会議員選挙に立候補して当選し、連続2期務めた。1983年12月18日、旧和歌山2区から自由民主党公認(田中派)で第37回衆議院議員総選挙に立候補する。5万3611票を獲得し、2位で当選を果たした。以後、現在まで連続当選を続けている。田中角栄に対する配慮と、師・遠藤三郎がかつて藤山派に属していたために江崎真澄に近いことから竹下派結成には参加しなかったが、その後、奥田敬和ら中間派が竹下派に参加したことを契機に自身も参加した。
第39回衆議院議員総選挙が行われた直後の1990年2月、第2次海部内閣で運輸政務次官に就任。1992年の竹下派分裂時は小沢一郎に同調し、羽田派に参加。その後、自民党を離党し新生党に参加、細川・羽田政権後の、新進党にも参加し、1998年、新進党分党後は小沢側近として自由党結党にも参加。自由党国会対策委員長として自自連立政権樹立に動き、1999年の小渕恵三第2次改造内閣で運輸大臣兼北海道開発庁長官として初入閣。2000年4月、自由党の政策が実現されないとして小沢一郎率いる自由党が連立を解消、そこから袂を分かつ。
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