http://www.asyura2.com/20/senkyo276/msg/494.html
Tweet |
“ハマの首領”藤木幸夫にバックアップされ横浜市議に初当選 菅義偉 隠された経歴と裏の顔
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/279775
2020/10/10 日刊ゲンダイ
「ハマの首領」こと藤木幸夫氏(右)が当時の菅首相を気に入り…(C)日刊ゲンダイ
※文字起こし
菅義偉が初めて臨んだ1987年4月の横浜市議会議員選挙には、西区から自民党の長老市議、鈴木喜一が立候補する予定で、小此木彦三郎も応援していた。ところが、菅が同じ西区から出馬すると言い出し、小此木の怒りを買った――。
表向き菅の市議選出馬を巡って揉めた理由は、そう伝えられてきた。だが、実際の原因は別のところにあった。それは西区に運輸族議員の小此木にとって大事な支援企業「相模鉄道(現・相鉄グループ)」があったからだ。小此木にしてみたら、まるで秘書が後援者を引きはがしにかかったように感じたのかもしれない。事実、菅は小此木と親しい相鉄の副社長を後援会に引き入れ、選挙を戦った。西区の菅の出馬により、横浜市議会は大混乱に陥る。
当時の模様を元市議会議長の藤代耕一はこう思い起こした。
「小此木さんの反対に遭っても、菅さんは構わずぐいぐい押していったわけだ。そしたら、なんと鈴木さんが西区の自民党公認を辞退し、県会議員に鞍替えしたんです。でも、県議選も自民党の公認が決まっていた。だから鈴木さんは無所属で出る以外にない。それで鈴木さんは頭にきていましたよ」
なぜ鈴木が鞍替えし、菅が当選できたのか。そこには、もうひとつ理由がある。藤木企業のバックアップである。言わずと知れた「ハマの首領」藤木幸夫が2代目会長として経営してきた港湾荷役業者だ。
実父の創業者、幸太郎のあとを継いだ藤木は、当年90歳になる。保守から革新まで、横浜市政はもとより数多くの国政の議員を支援してきた。
なかでも、小此木との間柄は知られたところだ。小此木家の家業もまた港湾業であり、彦三郎の長男である歌蔵は現在、「株式会社小此木」の社長として神奈川倉庫協会の会長を務める。藤木の腹心として、山下埠頭の再開発を担っている。
もとをたどれば、菅は小此木事務所の秘書として藤木との付き合いが始まった。藤木は菅を気に入り、初出馬した市議選で選対事務所に藤木企業の幹部を送り込む熱の入れようだった。
こうなると、小此木としても菅の選挙を邪魔するわけにはいかない。むろん菅が引き入れた相鉄グループもまた、藤木の影響力を無視できない。そうして菅は当選した。元横浜市議会議長の藤代の記憶は鮮明だ。選挙結果についてこう話した。
「県議選に鞍替えした鈴木さんもなんとか自民党公認の斎藤達也という現職を破って当選しました。ですが、菅さんが出たことによって、市会、県会ともに混乱したのは間違いありません。西区の市会議員の定数は2で、公明が1位当選、2位が自民の菅さんでした。そこまでしたもんだから、このときの選挙は語り草になったものです」
菅はむしろこの混乱により、藤木との関係を含め、横浜市政における知名度が上がった。藤木という強力な援軍を得た菅はやがて「影の横浜市長」と呼ばれるようになる。=敬称略、つづく
森功 ノンフィクション作家
1961年、福岡県生まれ。出版社勤務などを経て、2003年からノンフィクション作家として活動を開始。「ヤメ検 司法エリートが私欲に転ぶとき」「同和と銀行」「腐った翼 JAL消滅への60年」「悪だくみ 『加計学園』の悲願を叶えた総理の欺瞞」「官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪」など著書多数。最新刊は最新刊は「ならずもの井上雅博伝 ヤフーを作った男」(講談社)。
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK276掲示板 次へ 前へ
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK276掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。