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10月 09, 2020 日々雑感(My impressions daily)
<科学者の代表機関「日本学術会議」の会員候補として推薦された6人の学者を菅義偉首相が任命しなかった問題をめぐって、国会質疑が紛糾している。
推薦された者を任命拒否することが「あり得る」という法解釈を示す文書が存在するのか問われた内閣府法制局の幹部が「見当たりません」と回答した。
なお、政府は2018年作成の内部文書で「推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えないと考えられる」と結論づけていた。
■中曽根内閣の政府答弁と矛盾
問題となっているのは、中曽根政権当時の政府答弁との矛盾だ。1983年11月24日の参院文教委員会で丹羽兵助・総理府総務長官は「形だけの推薦制であって、学会のほうから推薦をしていただいた者は拒否はしない、そのとおりの形だけの任命をしていく」と答弁していた。
菅首相の任命拒否が、1983年当時の国会答弁と矛盾しないかについて、10月8日の参院内閣委員会で、日本共産党の田村智子議員が追及した。
内閣府の大塚幸寛官房長「必ず推薦の通りに任命しなくてはならないとは、言及はされてない」と答弁したが、田村議員は「違います」と否定した。
続いて、田村議員は「推薦された者を任命拒否することはあり得る」という日本学術会議法の法解釈を示す文書はあるのか問いただしたところ、内閣法制局の木村陽一第1部長「明瞭に記載したものというのは、私が知る限り見当たりません」と答弁した。
■該当部分の質疑応答
――――「形式的任命だから推薦されたものは拒否しない」。これが政府の答弁です。今回の任命拒否は、83年当時の答弁を覆す行為ではありませんか?
大塚官房長:繰り返しで恐縮ですが、今ご紹介いただきました昭和58年当時の答弁も、平成30年の文書もいずれも憲法15条を前提としていること。これは(法律の)改正当時からも前提になっていたことでございます。「形式的な発令行為」という発言がなされてることは十分承知ですが、必ず推薦の通りに任命しなくてはならないとは、言及はされてないところであります。
――――違います。83年の会議録は「推薦に基づき総理大臣が任命する。それは形式的任命、形式的発令行為であり、推薦された全員を任命する。拒否はしない」。一貫した政府答弁です。国会会議録は国会と国民に示された条文解釈そのものです。法制局に聞きます。逆に「推薦された者を任命拒否することはあり得る」という日本学術会議法の法解釈を示す文書はあるんですか?
木村第1部長:はい、お答え致します。私どもとしては平成30年の説明資料について、当局に意見を求められました際に、ご指摘の国会議事録のほか、昭和58年の日学法改正時の法律案審議録の中に、総理府作成の想定問答集があります。それについては確認は致しております。そういう意味でいいますと、今、委員がご指摘されましたような「義務的な任命であるのかどうか」という点について、明瞭に記載したものというのは、私が知る限り見当たりません。ただし、先ほども言及ございましたような、高辻長官以来の答弁の積み重ねの上に立ちまして、昭和58年の法改正以来、一貫した考え方として成り立っているものと理解しています>(以上「HUFFPOST」より引用)
またまた日本学術会議委員」任命拒否に関してブログを書かなければならない。なぜなら安倍自公政権下の七年八ヶ月間に日本は酷く破壊されて来たからだ。その破壊の一端を官房長官としてになっていた菅氏が総理大臣となって、日本破壊の総仕上げに着手したとしか思えないからだ。
引用記事にある通り「政府は2018年作成の内部文書で「推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えないと考えられる」と結論づけていた。」というが、その解釈変更の内閣で番頭を勤めていたのは菅氏だ。だから解釈変更をしたのも菅氏で、それを実行したのが菅氏ということになる。
安倍自公政権はそれ以前の歴代内閣が行って来た法律や憲法解釈の数々を変更した。憲法の閣議による「解釈改憲」は最たるものだが、「日本学術会議委員」の任命に関してまでも、秘かに解釈改正していた。そして菅氏に総理大臣を交替して実行に移した。
だが、正当性も明確な法的根拠もない、形式としての任命を「内閣総理大臣の権利」として実施してしまった。「形式としての権力」は他にもゴマンとある。たとえば叙勲に関してもそうだ。地方自治体から上がって来る数々の叙勲を政府が一々「叙勲に値する業績」と判断しているわけではない。形式として決定しているに過ぎない。
そうした形式としての「内閣総理大臣の権利」を実行権として発揮しだすと、日本国内は内閣の統制下に置かれてしまう。それは行政権を逸脱して、立法権や司法権まで侵害しかねない。
だから「アテ職」のような形式的な「内閣総理大臣の権能」が形式として存在しているとの解釈が定着している。まのさしく「日本学術会議委員」の任命がそれに当てはまる。だから任命権が形式でなく実効性を伴うものだと解釈変更するなら、任命に関する法律を改正して、総理大臣の任命権を明文化する必要がある。
今回の騒動に関しては内閣法制局の答弁が結論を言い表している。「「義務的な任命であるのかどうか」という点について、明瞭に記載したものというのは、私が知る限り見当たりません。ただし、先ほども言及ございましたような、高辻長官以来の答弁の積み重ねの上に立ちまして、昭和58年の法改正以来、一貫した考え方として成り立っているものと理解しています」と答弁した通りだろう。安倍自公政権下で仕出かした「法解釈変更」など、昭和58年の法改正以来の一貫した考えを覆す愚行でしかない。
それを菅氏は「前例主義を打破する」などと息巻いているが、権力の座に座った者の思い上がり以外の何物でもない。菅氏は歴代総理大臣よりも秀でた学識と叡智を備えている、と自ら宣言したに等しい。なぜなら「前例を打破する」とは前例が誤っていたと批判することでしかないからだ。なんと大それた大バカ者が総理大臣になりあがったものだろうか。
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