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大学の就職課を通じ議員秘書に 野心も野望もない政界入り 菅義偉 隠された経歴と裏の顔
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/279391
2020/10/02 日刊ゲンダイ
政治の道に入りたいだけだった(菅首相)/(C)日刊ゲンダイ
菅義偉は法政大学を卒業して2年後の1975年4月、横浜選出の自民党衆院議員、小此木彦三郎事務所に採用された。
「小此木さんの名前も知らず、政治の道に入りたいっていうだけの話だから、選り好みなんかできないわけです」
拙著「総理の影 菅義偉の正体」(小学館)の取材時、当人はそう語った。大学の就職課を通じて秘書になるパターンは珍しい。そこには野心も野望も感じない。取り立てて奥の深い話でもない。
戦前の1928(昭和3)年1月生まれの小此木は、早稲田大学文学部卒業後、横浜市会議員を経て69年12月、中選挙区時代の神奈川1区から衆議院総選挙に出馬し、代議士に転身する。以来、連続8回の当選を重ねた。中曽根派の重鎮である。今ではすっかり減ったが、地方議員から中央政界に進出するパターンはさほど珍しくはない。
菅は秘書というより、小此木の自宅に住み込む最も若い書生として働きだした。元横浜市会議長の藤代耕一がこう振り返った。
「私が菅さんを知ったのは80年ごろ、8人ほど秘書のいる小此木事務所でいちばん下っ端の秘書でした。たばこを買いに行ってこいとか、車をあっちに寄せておけとか、そういう雑用を小此木さんから言いつけられていました」
小此木は80年に衆院運輸委員長、82年に自民党国会対策委員長を務めたのち、翌83年に発足した第2次中曽根内閣の通商産業大臣として初入閣する。88年の竹下改造内閣で建設大臣の職に就いた運輸・建設族議員である。
また議運・国対族として国鉄の民営化をはじめとする行政改革を手掛けてきた。
菅は日頃、自民党重鎮の梶山静六を政治の師匠と公言しているが、梶山は小此木の盟友である。梶山はいわば菅にとって目指す憧れのような存在ではないだろうか。現実の政治家としてのありようや政策の根っこは、小此木に習ったものだ。
つまり菅の政策の原点は、英国首相のマーガレット・サッチャーが唱え、米大統領のロナルド・レーガン、さらに日本の中曽根康弘と伝播した「小さな政府」主義にある。のちにこの欧米流の政策は、行き過ぎた市場競争を招く新自由主義と非難され、格差社会の元凶として問題視される。現在の菅の政策が新自由主義だといわれるのも、本をただせば、中曽根行革の延長線上にあるといえる。
菅はJRをはじめ東急や小田急、京急などの私鉄に独自の人脈を張り巡らせる。それは運輸族の小此木の秘書を務めてきたからでもある。菅は鉄道会社に出入りするうち、担当課長たちと親しくなっていった。その担当者がいまや社長や会長になり、菅を支援している。
首相になった菅は「縦割り行政」「既得権益」「悪しき前例」という3つの打破とともに、規制改革を旗印に掲げる。そこには新たな利権が発生する。 =敬称略、つづく
森功 ノンフィクション作家
1961年、福岡県生まれ。出版社勤務などを経て、2003年からノンフィクション作家として活動を開始。「ヤメ検 司法エリートが私欲に転ぶとき」「同和と銀行」「腐った翼 JAL消滅への60年」「悪だくみ 『加計学園』の悲願を叶えた総理の欺瞞」「官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪」など著書多数。最新刊は最新刊は「ならずもの井上雅博伝 ヤフーを作った男」(講談社)。
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