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菅氏の郷里の長姉は仕送りを証言…苦学して法大卒業の真偽 菅義偉 隠された経歴と裏の顔
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/279336
2020/10/01 日刊ゲンダイ
郷里の長姉は仕送りをしていたと…(菅首相)/(C)日刊ゲンダイ
<段ボール工場に就職するも、「視野を広げるため、大学で学びたい」という思いを強く抱く。入学金を貯めるため、築地市場の台車運びなどのアルバイトもしながら、アパートに帰れば試験勉強という生活を2年間続ける>
ホームページのプロフィル「すが義偉物語」にはそうある。菅義偉は上京して働きながら学費をため、法政大学法学部政治学科に入学したと書く。2年遅れて法政大を選んだ理由として、<当時、私立でもっとも学費が安かった>と書いている。
<入学後もアルバイトを続け、これまたさまざまな職場で働き、学費を稼ぎながら大学を卒業>(同HPから)
もっとも郷里の長姉は「仕送りをしていた」という。大学生活や政治家を志した経緯について、言葉を選んでこう話した。
「私は(菅が上京したとき北海道教育大学在学中で)家にいなかったし、あまりその辺のことはわかりません。弟が家を出て行っても、『間違った道に進みさえしなければいいんじゃない?』と父には言っていましたけどね」
大学入学後の菅は、空手部に入り1日十数キロのランニングをこなすほど、運動部に熱を入れた。おかげで4年生のときは副主将を務めている。特段の苦学生には見えない。拙著「総理の影 菅義偉の正体」(小学館)の取材で菅本人に会ったとき、この件をぶつけてみた。大学時代に実家からの仕送りはなかったのか、とストレートに聞くと、次のように答えた。
「基本的には自分でアルバイトしていましたけど、たまに姉からいくらか送ってもらったりはしました。姉は二人とも教師で、働いていましたから。大学は別に法政大学でなくてもよかったんです」
あくまで働いて大学を出たという。政治家を目指したきっかけについては、こうだ。
「農業をしなければならないとは思っているけど、他の大学生はそこから就職するというし、まだすぐにはうちに帰りたくない。本を読んでふらふらしながら考えているうち、この世の中は政治が動かしているんじゃないか、と気がついたとでもいえばいいでしょうか、そこからです」
菅は1973年3月、法政大学法学部を卒業し、いったん都内の「建電設備株式会社」(現・株式会社ケーネス)に入社する。そこを2年で辞め、政界に足を踏み入れた。菅自身は言った。
「政治家の知り合いもいないので伝手はありません。それで仕方なく大学の就職課に相談したんです。市ヶ谷にある法政大学のOB会に行って事務局長の方から法政大学OBの中村梅吉さん(元衆議院議長)の秘書を紹介してもらいました。その秘書が選挙準備をしていて、そこの事務所に入ろうとした。けど、当人が体調を崩してしまい、選挙をあきらめた。その秘書がたまたま小此木彦三郎さんのことをよく知っていたんです」
小此木事務所との出合いはここからだ。 =敬称略
森功 ノンフィクション作家
1961年、福岡県生まれ。出版社勤務などを経て、2003年からノンフィクション作家として活動を開始。「ヤメ検 司法エリートが私欲に転ぶとき」「同和と銀行」「腐った翼 JAL消滅への60年」「悪だくみ 『加計学園』の悲願を叶えた総理の欺瞞」「官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪」など著書多数。最新刊は最新刊は「ならずもの井上雅博伝 ヤフーを作った男」(講談社)。
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