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高校時代の菅青年は「目立ったほうではなく、静かだった」 菅義偉 隠された経歴と裏の顔
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/279280
2020/09/30 日刊ゲンダイ
初対面の印象は薄かった(菅首相)/(C)日刊ゲンダイ
菅義偉の通った湯沢高校では当時から進学コースが主流で、生徒の4分の3が大学入学を目指した。菅も進学コースに進み、当然のごとく入試に備えた。
もうひとり、菅の湯沢高校時代の同級生だった小川健吉にも会った。湯沢市の北隣にある横手市出身の小川は、旧十文字町立十文字中学から湯沢高校に進学している。
「義偉さんとはたまたま湯沢高校でいっしょでしたけど、いまもときどき会っています。高校時代の初対面の印象は、まるきりないです。目立ったほうではなかったです。静かだったからね。菅さんは進学クラスにいました。いまはないかもしれないけど、8クラスのうち2クラスが就職コースで、残り6つが進学クラスでした。私は就職クラスでしたから、大学に行くつもりもなかったけど、義偉さんは違ったんでしょうな」
現在は国道13号沿いの道の駅で、地元特産物の販売やレストランなどを運営する「十文字カンパニー」の社長だ。
ちなみに小川の卒業した十文字中学校では、298人の卒業生のうち、およそ120人が高校に進学し、残り180人の大半が東京に集団就職していったという。高校進学そのものが少数派の地域にあって、菅の入学した湯沢高校は、早くから大学進学に力を入れていた。小川が続けた。
「ここらあたりでは横手高校に東大や東北大を目指す生徒が集まっていて、湯沢高校はいわゆる2番手でした。今は東北の国立を目指す生徒が多いけど、当時は慶応や早稲田なんかのほうが入りやすかったので、私大入試に力を入れていました」
多くの家庭では、冬になると一家の主が東京に出稼ぎに行き、妻や子供が留守を預かってきた。中学を卒業した生徒の大半が、集団就職のために夜行列車で上野を目指してきた。
イチゴ農家の息子である菅本人は、中学を出ると、地元の秋田県立湯沢高校に進んだ。冬は雪で道路が閉ざされ、学校には通えない。そのため、高校の近くに下宿し、高校を卒業後に東京・板橋の段ボール会社に住み込みで働き始めた。
中学や高校の幼馴染みたちの多くは、成人してしばらくすると、郷里の秋田に戻ってくるケースが多い。いわゆるUターン組であり、秋田で農業を継いできた。だが、菅はそこから大学に入り直した。菅の長姉に聞いた。
「あの人(義偉)はやっぱりこのままではダメだと思ったんじゃないかな。それで、大学に行ったようですよ。(大学在学中)実家からの仕送りはそんなに多くないけど、少しはしていたみたいです。父も、(弟が)言うこと聞かないから仕方ないと思っていたようです。大学を出たときは、父も『こっちに戻ってやることがないから自由にやりなさい』と言っていました」
頑固な父和三郎もこの頃には折れ、菅はそこから秘書になって政治の世界に入った。=敬称略
森功 ノンフィクション作家
1961年、福岡県生まれ。出版社勤務などを経て、2003年からノンフィクション作家として活動を開始。「ヤメ検 司法エリートが私欲に転ぶとき」「同和と銀行」「腐った翼 JAL消滅への60年」「悪だくみ 『加計学園』の悲願を叶えた総理の欺瞞」「官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪」など著書多数。最新刊は最新刊は「ならずもの井上雅博伝 ヤフーを作った男」(講談社)。
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