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ご尊顔が悪人面でも、心が綺麗ならいいんだけど・・・、期待薄。
— はま猫 (@hamaneko4) September 26, 2020
菅氏の実父は地元議員を4期 同級生が羨ましがった裕福な家 菅義偉 隠された経歴と裏の顔
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/279118
2020/09/26 日刊ゲンダイ
大学進学を諦めなければならないほど、貧しいわけではなかった(菅義偉首相)/(C)日刊ゲンダイ
菅義偉の実父・和三郎が生み出し、全国的にメジャーになった秋田県のブランドイチゴ「ニューワサ」は、その評判を聞きつけ真似をする産地も出始めた。それは湯沢市議会議長だった由利昌司にとっても、自慢のようだ。
「あんまり築地市場の人がワサを褒めるので、他の地域でも時期外れの同じようなイチゴをつくりだしたんだ。それでワサの値段が下がり始めたのです。すると和三郎さんはイチゴの出荷時期をさらにずらそうとした。苗を冷蔵しておき、イチゴの少ないときを狙って出荷して値段を確保しました。そんな工夫も、市場の関係者に評価されていましたね」
息子の義偉は、そんな発想豊かな父親の背中を見て育った。
菅の父、和三郎は「秋ノ宮いちご生産出荷組合」を率いるかたわら、雄勝町議会の選挙に出馬し、町会議員になる。地元の名士として、頼りにされる存在でもあった。
「和三郎さんが雄勝町の町会議員になったのは、義偉君が中学校を卒業した頃。そこからまる4期(16年)議員をやりましたね。次はいよいよ議長という5期目の選挙のときも、楽々当選するといわれていたものでした。ですが、あまりに余裕がありすぎた。『俺は応援せんでええから』と他の候補者の支持に回ってしまい、本人が落ちてしまったのです。それ以来、和三郎さんは政治の世界からすっぱり引退しました。そのときには、もう義偉君が東京に出ていました」(前出の由利昌司)
戦後の菅家は祖父の喜久治が東北電力に勤め、長男である和三郎がイチゴ出荷組合長だった。終戦から3年目の1948年に生まれた菅本人が中学を卒業する15歳のとき、つまり63年に和三郎は町会議員に初当選したことになる。和三郎はここからイチゴ農業組合長と町会議員を兼ねてきた。
親族によれば、幼い頃の菅は東北電力に勤めるおじいちゃん子だったそうだ。むろん都会の大富豪ではないが、少なくとも大学進学を諦めなければならないほど貧乏ではなかった。
全国的なベビーブームで子供が増えた団塊世代の菅は、旧雄勝町の町立秋ノ宮小学校に通った。菅の小学生時代は少子高齢化と過疎化にあえぐ現在の地方の状況からすると、まるで嘘のように児童が大勢いた。田舎の子供たちが野山を駆け回り、思う存分遊んでいた時代である。小中高校とずっと一緒の学校に通った由利の記憶力は大したものだ。
「たしか小学校には1学年167人の児童がいました。秋ノ宮だけで3つも小学校があって、現在はまわりの院内小や横堀小など6つの小学校が統合され、全部合わせた1学年の児童数が60人足らず。あの時代は今の少子化が嘘のように、子供がわんさかいました」
東北の雪深い片田舎でも、都会にない豊かさがあった。なかでも菅家は同級生のあいだで羨ましがられる裕福な家だったという。 =敬称略、つづく
森功 ノンフィクション作家
1961年、福岡県生まれ。出版社勤務などを経て、2003年からノンフィクション作家として活動を開始。「ヤメ検 司法エリートが私欲に転ぶとき」「同和と銀行」「腐った翼 JAL消滅への60年」「悪だくみ 『加計学園』の悲願を叶えた総理の欺瞞」「官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪」など著書多数。最新刊は最新刊は「ならずもの井上雅博伝 ヤフーを作った男」(講談社)。
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