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菅首相の父は豪放磊落な地元の名士 まったく違うタイプ 菅義偉 隠された経歴と裏の顔
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/278947
2020/09/20 日刊ゲンダイ
2世議員ではない叩き上げの苦労をアピールしてきた(C)日刊ゲンダイ
雪深い農村から徒手空拳で上京し、図らずも政治の道に入って、ここまで来た――。
菅義偉はことあるごとに世襲の2世議員ではない、叩き上げの苦労をアピールしてきた。
本人は意識していないかもしれないが、朴訥とした語り口やぶっきらぼうな態度が、政界での存在感を増した要因のように感じる。東北の田舎者が世に揉まれてリアリストになったというイメージが、菅の強みになってきた。
元秘書に聞くと、当人は国会議員になってから用もないのに東北本線の上野駅へ向かい、もの思いに耽ったらしい。家族への思いを残し続けてきたのはたしかだろう。
「お父さんが東京にお見えになるときは、私が運転手として案内していました。お父さんは官房長官とは違い、早口でよく話される方です。かなり秋田なまりが強いので、私には何をおっしゃっているのか、さっぱりわかりませんでしたけど」
横浜市議会議員の遊佐大輔はそう振り返った。遊佐は2011年4月に市議選に当選するまでおよそ10年にわたり、菅の秘書を務めてきた。
現在は当人になり代わって横浜市政に大きな影響力を行使している。今も頻繁に菅と連絡を取り合っている。
「私が菅官房長官の秘書になったのは、家庭事情で大学を辞めて就職した民間のゴミ処理会社が、たまたま昔から官房長官を応援していたところだったからです。で、地元向けに定期的に開催している国政報告会とか、選挙のお手伝いをさせてもらったりしていました」
遊佐はまるで実の息子か弟のように菅を慕っている。5年前の取材時にはこう語っていた。
「知れば知るほど、官房長官の人柄に惚れ込んでしまい、05年9月の郵政民営化の選挙のあと、『菅事務所に行きたい』と社長に話したら送り出してくださった。私は年が官房長官の息子さんと同じぐらいなので可愛がってもらっています。先日も、プロ野球のチケットが余っているから取りに来い、と早朝6時に電話がかかってきたり。菅義偉に人生を拾ってもらったので、すべてを注ぐというところです」
菅のことを真似ているのか、遊佐はあまり冗舌に語らないが、菅夫妻からそれぞれ一文字ずつもらい受け、自分自身の息子の名前に付けているほど、菅のことを信奉している。菅の秘書時代、秋田から上京してくるたび、運転手役として接してきた豪放磊落な実父、菅和三郎のことが、ことのほか強く印象に残っているという。
「お父さんとお母さんは年に1回は東京にいらっしゃるので、運転手として案内していました。東京にいた菅さんのお姉ちゃんに会い、そのあとあちこちに車でお連れしていました。お父さんは官房長官とは随分タイプが違うように感じました」
菅の実父和三郎は地元の名士だった。その庇護の下、菅義偉はのびのびと育った。=敬称略
(つづく)
森功 ノンフィクション作家
1961年、福岡県生まれ。出版社勤務などを経て、2003年からノンフィクション作家として活動を開始。「ヤメ検 司法エリートが私欲に転ぶとき」「同和と銀行」「腐った翼 JAL消滅への60年」「悪だくみ 『加計学園』の悲願を叶えた総理の欺瞞」「官邸官僚 安倍一強を支えた側近政治の罪」など著書多数。最新刊は最新刊は「ならずもの井上雅博伝 ヤフーを作った男」(講談社)。
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