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世界中のどの国も、100年、200年前から見ると、見違えるほどの福祉国家となっている。
これは民主主義思想が行き届いたためであり、民衆の生活を守ることが国家の使命となってきたからである。
それ以前は、国家とは外敵から国家を守ることであり、他国を侵略して富を得ることであった。
武力による侵略の勢いがなくなり、代わりに国内の民衆の生活の向上が国家の使命と変わってきている。
民主主義の思想が、その様にしてきたのである。
しかしながら、福祉国家を充実させるには、国家の財源が豊かでなくてはならない。
国民の教育、医療制度の充実に過程では、税収を上げることによって、それなりに賄えてきた。
勿論、それ以前に、交通網、エネルギーの供給など社会のインフラ整備も行われてきた。
しかしながら、最近の50年の歴史は、それに加えて年金、失業者対策、老人介護が充実し、税収を財源とする方策では、とても足りなくなった。
100〜200年前の国家の歳出は、せいぜい、行政の事務費、国防費、道作り程度であり税収で賄う事が出来ていた。
現代社会で、消費税の問題が取りざたされているが、10%の消費税を含めても対GDPで見れば12〜13%くらいのもので金額で言えば60兆円あまり。
行政の事務費、国防費、道作り程度であれば税種で十分に事足りる。
しかしながら、年金、医療制度、老人介護、生活保護などの施策には手が回らない
そこで実際には税金ではないが、医療保険料、年金の積み立て、介護保険など別の名目で国民は積み立てている。
税金と、この分を含めて、国民負担率と言う。
我が国の国民負担率は 合計で44.6%
内訳が税金として26.5% その他の名目で18.1%である。
金額で言えば、日本の福祉体制維持を含む財源は、年間100兆円の金が必要であるということである。
しかし、これも正解ではない。
国民負担率を増やさないために、政府は年間30〜40兆円の赤字国債を発行し続けている。
要するに現状の国家の施策を維持するためには、年間130〜140兆円の税源が必要なのである。
国民負担率の問題について他国と比較すれば次の様になる。
スエーデン 59.0%(税 53.8 その他 5.2)
ドイツ 54.0%(税 31.5 その他 22.6)
アメリカ 34.6%(税26.1 その他8.5)
ヨーロッパでは、60〜70%の国も相当ある。
税負担が多いのは消費税が20%などと高いため。
一方でアメリカは、医療、年金、老人介護にはほとんど関心がないことが判る。
江戸時代の年貢は四公六民と言われ、農民に限るが収入の40%は税金を取られていた。
この時代の年貢は、国家維持の為以外に大名など貴族や武士の生活費に充てられ、年貢の多寡と幕府の施策とは関係が薄いが、農民の生活に占める税の割合は現代の日本に近いもの。
但し、苦しいが、その負担は自らに返ってくるものであることは大いに異なる。
さて、ここから本題に戻るが、最近の政府は、巨額の財政不足分を補うために、国家としての事業を廃棄し、その分の歳出だけを縮小して済ませようとしている。
>中曽根内閣では国鉄を民営化し、国鉄の赤字を国税で補填することを避けた。
民営化により地方の多くの支線は廃棄になったが、生活に必要な支線は地方行政の支援により多額の赤字を出しながら続けている。
>郵政民営化
その理由は、巨額の郵便貯金の運用を財政投融資の資金として全て特別会計で運用してきたが、融資先(道路公団・都市整備公団など)の事情が需要が減って来たため、その運用が困難になり、郵便貯金など300兆円あまりの運用先を民間、アメリカのヘッジファンドなどに向かわせるためであった。
同じころから全国各地の金融機関は店舗の合理化を進め、過疎地域では年金を受け取ることもままならなくなった。
幸いに地方の郵便局は合理化されずに頑張っているために、郵便局だけ過疎地でも存在している
>水道の民営化
これなど、明治以来敷設してきた水道本管の老朽化が進み、その改修に各地の行政は困窮している。
これを民営化して企業に任せれば、企業の責任で水道料金を上げて、これに対応するものと見た卑劣な施策である。
>年金機構の民営化
社会保険庁の記載漏れなどで騒がれた結果、社会保険庁を厚生労働省から切り離し年金機構にしたが、実際の問題解決はしてないまま。
国(厚生労働省)の責任逃れである。
将来は年金給付率を下げるなどの対策をする場合、民間の事業として止むをえない様に理由をつけたいためである。
このように、いろいろな手段を講じて国の事業としての責任を軽減し、福祉の切り捨てを企むものである。
この他に「地方分権」と言う言葉が良く出てくる。
景気対策など、国家の運営が行き詰まると、地方に権限を任せてはどうかと言うものであるが、
東京、大阪など、もともと財力のある行政は別として、全国の殆どの行政自体が財源に窮している。
地方分権に伴い税源も移譲すると言っているが、もともと国家がやれなかったことを、少しくらい財源を与えられてもできるはずがない。
地方で出来ないから国家が解決すると言うのが筋道であり、
国家には通貨管理の権力があり、赤字国債を幾ら出しても問題は出ないと言う利点がある。
地方行政が地方債を出すのとは訳が違う。
地方分権により多くの地方が生き返る環境であれば地方分権も良いであろうが、実際には、その真逆であり
要するに、国家は自分の使命を投げ出し地方に責任を転嫁するのが地方分権の正体である。
このような考え方を称賛する卑劣な議員が多い。
地方の再生、国家の再生、福祉国家の向上について、もっと異なった観点からの思索を求めるものであり、それは存在するのである。
これだけ発展した市場主義経済の結果をもって、今さらに、100〜200年も前の社会環境に戻らねばならないことはないのである。
国会議員も官僚も、どのようにすれば大きな政府が維持できるか、真剣で考えるべきであるのに、今や自分たちの責任回避にのみ廻っているのである。
(追伸)
今回のコロナ騒動でも、そうであろう。
政府は対応を出来るだけ地方に任せ、経緯を見守るばかり。
そりゃ地方でも人材がいて、対策は打ち出せるであろう。
しかしながらその対策には財源があり、通貨発行権がない地方行政では限りがある。
勿論、一人当たり10万円の給付や企業の持続か給付金制度などは国家がやってはいるが、合計で20兆円にもなるこの施策は、おそらく赤い字国債を念頭に置かねば出来ない事。
地方行政は財源をめぐり常に中央(国家・官僚)に救済を願わねば何もできない。
地方行政に困難な対応を任せ国家は格好の良い立場に廻る。
この様な殿様商売をするならば、国会議員、官僚などに、こんなに高給をやる必要はなく、議員の数も半分でも勿体ない。
これが地方分権の正体である。
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