https://cellbank.nibiohn.go.jp/legacy/visitercenter/discussion/research01.html 研究はこうして進められる 研究の発端 自然科学における研究(と言ってもここでは実験科学についてですが)というのは、ごく簡単に言うなら『不思議に思う自然現象を、はっきりさせよう 』ということだと言って良いでしょう。それは簡単な疑問から難しい疑問までたくさんありますが、いずれも疑問が全ての出発点です。ただ『世の中では既に解っていること』を自分だけ知らなかったということもありますから、疑問が生じたときにはまず文献調査を行い、自分の疑問が既に解明されているものなのかどうかを調べることから始まります。この『文献調査』は、『勉強』と同じことです。 そして、色々と勉強をしてみたところ、やはり自分が感じた疑問は『世の中でもわかっていないことなんだ』ということがはっきりすると、そこからが研究のスタートということになります。そして、ここからは教科書や論文だけには頼れないことになるのです。 そして、色々な実験を行い、結果を吟味し、考え、結論を出して『疑問が明らかになったと確信を持った時』に『私はこういう未知の問題に答えを出した』と、論文を書いて発表します。 しかし、ここでヨーク考えてみると『私の実験ではこのような結論が得られ、当初の疑問が解明された』と確信しても、それが本当に正しい解答だったかどうか、この段階では客観的には確定していないことに注意してください。科学は、1つの事実についてたった一人の研究者が『これが事実だ』と言っても、それがそのまま正しいとはみなされてはいないのです。 一人の人間の行った実験やその解釈は必ずしも正しいとみなされるとは限りません。まずは疑われると思ったほうが良いでしょう。そして、他の研究者に検証されて正しいか間違っているかを判定されることになるのです。 研究の結果 客観的な正しさを求めるには、まず実験の『再現性』を問題にしなければなりません。 一人の研究者が発表した実験について、他の研究者も同じ実験をしたら同じ結果が得られたと認められて初めて実験の正しさが確定します。どの研究者がやっても、どこの研究室でやっても、実験条件が一致していれば同じ実験結果が出ると多くの研究者に確認されて始めて実験の正しさが客観的に確定するのです。この点について当研究室の増井が2002年10月の論文に書いた面白い記述があるので紹介します。 実験の再現性が得られたら、実験の正しさは確認されたことになります。ところが、実験結果の再現性が確定したとしても、その『実験結果を解釈』することについては、必ずしも研究者間で同じになるとは限りません。つまり、『この実験結果ならば、このような仕組みがあるはずだ』と言わば仮想的なモデルを作ることが出来ます。そして、そのモデルを元に色々なことを考えると、さらに未解明の問題についての予測が立てられるようになります。 この予測は『予言』と言っても良いかもしれませんが、科学の世界では『仮説』と言ったほうがしっくりきます。1つの実験結果を知った研究者達はそれぞれ勝手な仮説を立てるのですが、どの仮説が正しいのかということを決定するのは、その仮説を検証するための新しい実験なのです。そして、そうした実験結果が積み重ねられた後にどの仮説が最も良く結果を説明できるかを検討して正しい仮説が判定されるのです。 こうして『疑問』−『実験』−『仮説』−『仮説の実証(実験)』を繰り返しながら研究は進められ、新しい事実が明らかになってゆくのです。そしてこの過程で大事なことは自由な発想と客観的な事実を認識する素直な心と言うことでしょうか。 さて、この『疑問』−『実験』−『仮説』−『仮説の実証(検証・実験に基づく)』という研究のサイクルにはどのくらいの時間がかかるでしょうか。 勿論、疑問の内容によってそれは様々です。回答が比較的簡単に得られる疑問から、なかなか回答が得られない疑問まで、疑問の内容にも色々ありますから、それに応じて解決までの道のりも短いものもあれば長いものもあるということになります。 たとえば・・コッホの4原則 ヘリコバクターピロリの胃癌・胃潰瘍・十二指腸潰瘍原因説について 日本細菌学会のホームページに掲載されている『ヘリコバクター・ピロリと胃十二指腸疾患(神谷茂、杏林大学 医学部 微生物学)』の解説ではヘリコバクターピロリが、胃炎、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、胃癌の原因であると結論付けられつつある経過が簡潔に紹介されていますので(まだ確定はしていない)、以下に引用させていただきます。たったひとつの研究だけで明らかになったわけでは無いことを読み取っていただけるでしょうか。 最近微生物による感染症が頻発し私達の生活を脅かす事態が持ち上がっていますが、病気の原因が微生物にあると考えられる場合、ある微生物(細菌)が、ある病気の原因であると断定するには『コッホの4原則』を満たす必要があると考えられています。コッホの4原則とは次のとおりです。 コッホの4原則 患者からその菌の存在を証明する。 その菌を分離培養する(純培養)。 その菌を動物に接種し、類似症状が引き起こされる。 その動物から同じ菌が再分離される。 長いこと原因が良くわかっていなかった胃癌の原因の1つには胃に住み着いているヘリコバクターピロリがあるのではないかという説が1980年代になって提唱されました。その後の研究によって、慢性胃炎は第1―4則を満たすので、“ヘリコバクター・ピロリが慢性胃炎の原因である”と言って誤りはないということになってきました。 しかし、胃潰瘍や十二指腸潰瘍の場合は従来、動物実験が成功しなかったため第3、第4則が満たされないと言われてきました。しかし、近年、スナネズミを使った実験で潰瘍形成がヘリコバクター・ピロリ感染後に認められたという報告が複数の研究施設から報告されてきたので、近い将来、第1―第4則全てを満たすと結論されることになるだろうと多くの研究者や医師達は予想しているようです。 さらに、胃癌については必ずしも第1、第2則が成立しないので、ヘリコバクター・ピロリの感染と胃癌との因果関係ははっきりしないとされていました。しかし、1998年、日本人研究者によりスナネズミでヘリコバクター・ピロリを感染させた後に胃癌が発生したと報告されたので、今後の研究の進展が期待されています。 ピロリの原因説については学問的には上記にあるようにまだ一部に疑問は残っているものの、診療に際してはピロリが原因となっているという前提で、ピロリの除菌治療が保険診療として承認されました。(個人的事例)。 コッホの4原則の意義 コッホはパスツールと同時代に生きた研究者でした。パスツールの研究成果を見ながら、彼なりに細菌学を発展させたのです。パスツールは自然発生説を否定する実験を行ったとことで有名ですが、コッホからは不備な点が数多く見えたのでしょう。パスツールが自然発生説を否定することになったきっかけは、葡萄酒の腐敗を研究する過程で、混入する腐敗菌がどこから来るのかという問題をつきつめていった結果であるようです。もし、腐敗菌が葡萄酒の中で自然発生してくるならそれを防止することは出来ないが外部から混入するものなら防止することが出来るはずです。そして結果では防止することが出来たのだから自然発生は無いという結論に至り、それを実証するということを試みることになったのだと思います。 パスツールはこの過程で、腐敗菌が葡萄酒に混入していたことを顕微鏡で確認し、それを培養することに成功したようです。しかし、コッホは、それでは十分な純粋培養では無いという不備を感じたのでしょう。コッホは、原因となる菌を100%純粋に取り出して確認しなければならないと考えたのだと思いますが、そのことは、それを研究している研究者のみならず、他の研究者が否定できないほどに確実に証拠立てなければならないということを意味していたのだと私は思います。そこで、成功したコッホの固形培地による菌の分離法は、個々の菌を完全に純粋にすることを可能にした点で、非常に優れた方法でした。 これにより、菌を完全に純粋にすることが可能になり、その菌の性質を徹底して明らかにできると同時に他の研究者にも提供して、自分が確認したことが間違いないことを確認してもらうことも出来るようになり、疑問を持っているものについては、自分の目で確かめてもらうこともできるようになったのです。パスツールのように液体培養のまま扱っていたのでは完全に純粋な菌の培養とすることができませんから、サンプルを入手した研究者の培養の『方法』や『癖』などによって菌の交代という現象も十分に起こりうることなので、正確で安定した実験を再現することはとても難しいのです。それを解決したのが菌の完全な純化であり、客観的な調査研究を可能にしたのです。 これにより、研究材料を研究者相互で共有するということも可能にしたのです。 そして次の課題 まだピロリが胃癌の原因であると確定しておりませんので、こうした点を議論するのは早すぎるかもしれませんが、一言触れておきます。つまり、ピロリが胃癌の原因であると確定すれば、予防の方法は1つ確定できたことになります(抗生物質による除菌)。しかし、それでも残る疑問は「ピロリはどのようにして胃癌を発生させるか(メカニズム)」という疑問です。ピロリが胃壁細胞を物理的に破壊することが胃癌の引き金になるのか、ピロリの代謝物に発ガン物質があるのか、ピロリは胃壁の細胞の遺伝子に変化を起こして癌を誘導するのか、ピロリの遺伝子が胃壁の細胞に伝達して遺伝子を変化させるのか、などなど疑問は尽きません。癌の誘発機構がまだ完全には解き明かされていないという情況のもとでは、ピロリによるがんの誘発機構を研究することはひょっとすると新しい視点を与えてくれるかもしれませんので、大変興味深いものがあります。 ピロリが原因だとわかれば予防法の1つが確定することになりますが、それでもピロリがどうやって癌を起こすのかという点についてはまだまだ研究する意味があると言えるでしょう。 まだ答えが得られていない問題 解決までに長い時間がかかっているものの代表格は『癌は何故発生するのか』という疑問です。日本人科学者の山際勝三郎博士がタールを使って人工的に癌を作って見せたのが 1915年でしたから、この時代より前に、既に『癌は何故発生するのか』という疑問が持たれていたわけです。つまり、疑問は完全には解明されぬまま今日2002年にいたるまで80年以上延々と持たれつづけてきたのです。勿論、ここ10年間の癌研究の目覚しい進歩によって色々なことがわかってきていますので、解明への道のりも後僅かだとは思いますが、80年の道のりは大変長いものでした。 ここで私は、研究というものの難しさということを改めて思い知るのですが、この80年の間に、がんの解明という目標を達成できずに他界した研究者に思いを馳せます。目的を成就できずに他界してしまった研究者は無能だったのでしょうか? 目的を成就するという『成功』のみが評価される社会なら無能と言われても仕方が無いかもしれません。しかし、考えてもみてください、世界中の数多くの研究者が取り組んでも解明出来ない問題、そのほとんどの方々は志半ばにして他界してきたというわけですが、もし成就出来なかったことだけをもって無能というなら、ほとんどの研究者は無能でありました。しかし、世の中にそれを超えた人々は居たのだろうかと問えば、結局がんの解明はこの時代にまで引きずっているという現実を見れば、それは居なかったということを言うより他は無いでしょう。 こうした点よりも、各時代時代の研究者が何をしたのか、『がん』という病気のどの部分を解明したのかということを考えたほうがはるかに有益です。先に紹介した山際博士の人工的ながんの作成も大変大きな意味がありました。それまで、がんの原因が皆目検討もつかないと思われていたのに、タールという物質によって誘導されるものなのだということが明らかにされたわけです。この意味するところはがんの発生にも明らかに物質的原因があるのだという点を指摘したことです。 これにより、がんという病気を実験的に研究できる基盤が形作られたということを意味するのです。 時代を超える研究 人類社会では、一人の人が発見した知識は文献として記録されます。山際博士と会ったことが無い私達も山際博士がどのような実験を行ったのか今でも知ることが出来るのです。知識や経験は時代を超えて後世に伝えられるということでしょう。そして、また重要なのは、その時代に行った実験を私達は再現してみることが出来るのです。 過去の経験を切り捨てて、自分達だけで最初からやろうということになれば、タールで人工的な癌を作るということから始めなければなりませんし、それを過去の経験を知らずに再び最初から考えて試行錯誤するとしたら大変な無駄というものであることは理解して頂けると思います。 このような経験を生かして、それを元に現代の研究を進めるとき、記録されていた事実を理解することは文献を通じて知ることが出来ます。しかし、その事実を再度私達が再現して確認してみようと思ったとき、実はもう1つの要素が必ず必要になります。それは、実験材料の問題なのです。 研究材料は時代を超える 研究者は寿命が来れば他界しますが、記録と実験材料は残されます。これは代々受け継がれて次の世代の研究者に使われることによって、過去の蓄積が次の研究の発展に役立てられるのです。こうした問題を考えるときに私は研究材料の維持と管理の重要さを改めて思うのです。
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