http://www.asyura2.com/20/senkyo275/msg/125.html
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序章 昭和20年8月16日と令和2年8月16日と
本書は日本の人々への警告の書である。今起こっている事。それはCOVID-19と言う名前を持ったウイルスによって引き起こされた「ストレス テスト」で日本の制度の脆弱さ、社会の脆弱さ、会社の脆弱さ、地域の脆弱さ、そして家族の絆の脆弱さが裸の状態で目の前に現れて来ているのです。
日本で行われているこのウイルスの対処法は世界の他の国々で行われている事の真逆だと言う事実。COVID-19を運ぶ媒体は人間なのです。これを考えると戦慄します。それは:
■「かからない」、「うつさない」、「患者を治す」為の危機管理に基づいた万全な方策を採ってワクチンが出来る迄医療崩壊を可能な限り先延ばしにする事。
■日本では強力なリーダーシップが不在故最初から危機管理が出来ていない訳。「かかる」、「うつす」、そして結果的に「患者を放置する」様にし、集団的免疫を人々に付けさせたいのか?しかもその手法をだれが議論しどの様な理由でそれを採用したのかの国民に対する説明を行って居らず、何時もの事ながら内閣と行政府の執り行う国政レベルでの透明性が全く無いのである。恐ろしい程破廉恥で無責任な体質。その官邸と内閣、行政府が採ったこの行為と、この先に目に見えて来る帰結を甘んじて受けなければならない人々のこれから直面する悲しみは如何ばかりであろうか?
COVID-19は途轍も無く感染力が強いので除菌と消毒で対抗しなければならないのです。世の中から10%のCOVID-19ウイルスの除菌をしても非力なのである。でも除菌の努力とその効果が30%40%でも除菌をやらないよりはまだまし。指数関数的なウイルスの増殖に対抗するには100%の除菌は無理としても80%90%とかかなり高い比率でウイルスを全ての人々の生活圏から取り除かなければこの爆発的な感染者の増加が比例的な増加に改善しない。更にウイルスのhot-spotを突き止めて、又地域を突き止めてその箇所全体を閉鎖し減菌する作業(人の出入りを最小限にする)を延々と続けなければなりません。個人個人のたゆまぬ努力と行政府、地域の保健所の徹底した危機管理が必要なのです。不用意に外出する人々の数を可能な限り押さえ込む事。其処から初めて本当のCOVID-19との戦いがスタートするのです。もちろん財政出動がなければそこにも行き着かない。それも判らない行政府と内閣。まるで75年前の敗戦まで続いた危機の本質が見えない、ぎりぎり迄何もしない対処しない日本の市民皆さんの能天気さである。しかもPCR検査を意図的と思われる程に十分に行っていない事実。つまり自分達の生活や企業活動を犠牲にした結果、どれだけCOVID-19の戦いで勝利をおさめたのかの正確な戦況が判らない。厚生労働省職員達はこの科学的なアプローチの取り方が理解出来ないのだろう。悲しいかな、大本営発表に踊らされ竹槍と根性で敵と戦う如くの精神論で最後迄神風が吹くと信じて疑わなかった大東亜戦争下の状況と驚く程そっくりである。悲しいかな日本の対応は"Too little, too late"となってしまった。
今の日本は一言でCOVID-19との戦いに破れて白旗を揚げる前の状態なのである。世の中が乱れ人心が乱れ、腐った政治家や官邸に操られる国家公務員が自分達のやりたい放題やって来た結果国が乱れ疫病が蔓延する希望と言う光の見えないこの時代。それは国に「イデオロギー」を呼び寄せて来た面々達が支配する日本の、行き着いた先がこの奈落の底なのである。それを社会に呼び込む事で自分達の憲法改正と言う目標を達成しようとする悪党共。日本の歴史の中でこれほど迄に「イデオロギー」が社会に満ちている時代は無かった。
昭和20年8月16日はいったいどんな日だったのだろうか?多分それは苦しみと絶望に囲まれた日々から解放され自分の中の肉体的精神的な苦痛とは裏腹にその外に見える微かな明かりへ向かって一歩踏み出した日なのだと思う。戦前の社会は今の日本の直面する息が出来ない(I can’t breathe)窒息しそうな社会風潮と非常に良く似ている世相ではなかったか。自らの力で先の戦争を終わらせる力も無かった国民と政治。そして今、自ら進んで暗く喧噪に満ちたこの世相を自分の手で終わらせる事も無く無為に流され、自分の足で遠くに見える明かりに向かって進んで行ける力も無い無気力な今の日本の社会。
どうして国政の有権者が希望と言う明かりへ向かって進んで行かない、行けないのだろうか?今の経済的な奴隷制度に支えられた、この二極化した社会制度にどうして反乱しないのか?その2つの時代の8月16日の事を個人的に考えるこの8月16日である。少なくとも昭和20年8月16日は皆が皆微か彼方に見える希望と言う燈に向かって歩き始めた日なのだ。そして令和2年8月16日以後も75年前と同様に、投票と言う行為を通し現代の三権(司法立法行政)に対し、特に政治に対し反乱しない限り皆が皆サバイバル出来ぬ。お願いだから、自分のそして自分の家族の命がこの熾烈極まる社会の餌食となってしまう程に生命のそして社会の危機が迫って来ている事を知覚して頂きたい。
何しろ長文なものなので始めから最後まで読み終わす事はあなたにとってはかなり苦痛かも知れません。依って以下の項目の内、関心がある項のみに限定し、該当する章を読んで頂ければと思います。尚時間が無い方はこの序章の後に第13章 「『日本病』と言う病。人間の顔を持った社会とは?」を読んで頂ければ幸いです。
■どうして首相は数々の醜いスキャンダルにも関わらず辞任せず、内閣の支持率は下がらないのか?その理由を知りたい方は⇒第1章 「巨大な改憲マシンの中で」及び第12章 「こんな平成に誰がした。では、この政権の暴政度のチェックを行います」に進んで下さい
■新型肺炎に対し行政府と内閣、官邸、与党が対応出来ない理由とは何か?⇒第8章 「そして全てが逆行する社会へ」及び第9章 「日本が一流国から転落してしまった原因とその習慣の結果おこってしまった不幸な一つの出来事」に進んで下さい
■どうして日本の市民は世界各国の市民がどれだけ第一線の現場やそれぞれの家庭で悪戦苦闘してCOVID-19と戦っているのかを能天気でしかも他人事の様に眺めていられるのか?その理由を知りたい方は⇒第9章 「日本が一流国から転落してしまった原因とその習慣の結果おこってしまった不幸な一つの出来事」の「❷『真実の隠蔽』」の最後の部分へと進んで下さい
■あなたは、今の日本は世界の中で勝ち組なのか負け組なのかを考えた事があるか?そしてその理由を思い浮かべた事があるのか?その理由を知りたい方は⇒第1章 「巨大な改憲マシンの中で」及び第11章 「国民に向けられた三本の毒槍」に進んで下さい
■悪党のbest friendは悪党である。その具体例は列挙に暇があるまい。「権力は腐敗する」とどうなるのかを知りたい方は⇒第2章 「すっかり破壊されてしまった三権分立の原則」及び第3章 「"Justice is not done." 正義が行使されない国」に進んで下さい
■心に平静が欲しい場合には⇒第10章 「喧噪の中で失ってしまった大事な事」に進んで下さい
この章の最後にあたり: 危機管理の極意は"Prepare for the worst, hope for the best."即ち「最悪の事態に備えよ、そして最善の結果になる事を(祈りながら)願おう」なのである。私達が今眼の前に見ている事とは何なのか?即ちそれは危機的な状況下で、組織や社会の特性が明らかになると言う事実である。ではこの今の日本における、直面した事態に対応する危機管理能力の欠如の例を示す。米国の有人月探査ロケットの事故を映画化したTom Hanks主演の「アポロ13号」に出て来たシーンの中で、一般的な危機管理のアプローチを言い表した言葉と場面を列挙しておく:
■"Let's work the problem, people. Let's not make things any worse by guessing." 「皆、問題解決の為働こう。推測を用いる事で事態を更に悪化させない様にしよう。」[1]参照の事。内閣、行政府の方々は気温が暖かくなったらウイルス感染が収まるとでも憶測していたのでしょうか?
■"Failure is not an option!" 「失敗は選択枝にはない!」[2] この言葉はビデオの最後に出て来ます。日本では当事者がこれだけの決意を持ってCOVID-19対策をしているのでしょうか?
■極めつけの映像は、幾つかの段ボール箱一杯に詰まったアポロ13号に搭載しているのと全く同じ素材や材料を科学者技術者が机の上にぶちまけて、アポロ13号搭乗員が直面する問題をリーダーが説明の上(司令船の二酸化炭素フィルター部と着陸船の円形をした同フィルター部の形状の違い)科学者達をorganizeしそれら机の上の材料で何とかこの2つの装置を繋ぎ合わせられる様、限られた材料と限られた時間内に皆が皆知恵を出し合い問題解決に持ち込むダイナミックな手法と手順である。[3]ビデオ後半部を御覧下さい。その他の資料としては[4][5]を参照して下さい。この様な危機管理能力が日本の行政府にあるのであろうか?否である。今のCOVID-19の戦いの状況を見てみると2011年の東日本の核惨事から何も学んでいない事が判る。この最高の頭脳を持つ行政府の従業員は自己保身に忙しい能無しである。
と言う事で、令和2年4月1日に投稿した文の序章を改訂し投稿します。それ以外の章には手を加えておりません。以前本投稿をお読みになった方はここ迄読めば十分だと思います。初めてこの投稿を目にされる方には長い文ですがお付き合い頂ければと思います。 それでは皆様、この極限下の状況で家族がバラバラとならずに絆がしっかりと続く様に祈っております。ご自愛下さい。
尚、本投稿をTwitter等のSNSにて広めて頂ければと思います。是非協力お願いしたいと思います。
プラナリア
参考文献等:
[1] “'Apollo 13' quotes (1995)," Movie Quotesのウェブ, https://www.moviequotes.com/s-movie/apollo-13/
[2] "Apollo 13 (1995) - Failure Is Not an Option Scene (6/11) | Movieclips," YouTubeのウェブより、https://www.youtube.com/watch?v=Tid44iy6Rjs
[3] "Apollo 13 (1995) - Square Peg in a Round Hole Scene (7/11) | Movieclips," YouTubeのウェブサイトより,
https://www.youtube.com/watch?v=ry55--J4_VQ
[4] "アポロ13号," Wikipediaより, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AD13%E5%8F%B7
[5] "アポロ13," Wikipediaより, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AD13
======== 令和2年1月1日投稿
何はともあれ目出度い新年の始まりです。が、日本のみならず世界中で激動の時代の到来が予見される新たな10年と言う区切りの始まりに当たって、今は本当に21世紀なのかと言う問いを発してしまう程惨めな現代日本社会の現状及び背後に在るこの帰結の原因を深く掘り下げる様努めた2019年12月1日の投稿文を再び投稿させて頂きます。正月の三が日に時間をかけ気長に読んで見て下さい。又このウェブの読者だけではなく、他のSNSの読者にも広く読んで頂ければ幸いです。
内容一覧は:
1章 巨大な改憲マシンの中で
2章 すっかり破壊されてしまった三権分立の原則
3章 "Justice is not done." 正義が行使されない国
4章 憲法改正の実現方法をシミュレートせよ
5章 音楽は政治を批判してはならない
6章 欲望の行き着く果てに
7章 何処から、何処へ、何ゆえに
8章 そして全てが逆行する社会へ
9章 日本が一流国から転落してしまった原因とその習慣の結果おこってしまった不幸な一つの出来事
10章 喧噪の中で失ってしまった大事な事
11章 国民に向けられた三本の毒槍
12章 こんな平成に誰がした。では、この政権の暴政度のチェックを行います
13章 「日本病」と言う病。人間の顔を持った社会とは?
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第1章 巨大な改憲マシンの中で
まず最初に。本稿が日本そして日本の社会が人間の顔を持った社会へと方向転換し、その方向へ進んで行く為の道標の様にささやかな力になればと願いこの長文を投稿する。その方向には何が見えるのか?それは、産まれて来た微かな機運と希望の、徴なのである。この、地方から中央からそして上から下まで腐った政治が蔓延した日本の社会の中で、健全な二大政党制を少しずつ形成する様な小さな意志を私は風として感じるのである。その二大政党制への夢、それは遥か彼方の地平に見えるがとても手の届きそうにない、健全な社会へと時代が進んで行ける様この小さな希望のともしびに本投稿を捧げたい。
これから投稿するシリーズの内容はあなたにとってかなり耳の痛いものである。携帯電話を用い本長文投稿を読むのは苦痛なので出来れば大きな画面のコンピュータを使って読んで欲しい。これは単なる一会社員、オッチャンからの一言である。何処にでも居そうなオッチャンに言われてあなたが初めて気付く様な事もあるかも知れない。でも、もしあなたがこの巨大なマシンから逃げ出したいと言う気持ちを少しでもお持ならば、最後の章まで読み通せるのではないかと思う。一連の流れの内容は小生が過去にこのウエブを通して投稿して来た文章に手を加え、新たに追加する章と合わせた物である。日常生活から全く見えて来ない風景を通して日本の現状を客観的に眺めてみる。
あなたはこの表題にある様な事実を知っているか?1億2680万人もの人々が住む国でそれを認識している人々は、これを実現する方法を設計したアーキテクト以外誰一人としていないに違いない。可視化が出来ないこの巨大なマシン(仕組み)を造り上げた事には敬服する。誠に以ってあっぱれである。
端的に言ってしまおう。我々は長きに渡って構築されて来た、改憲を唯一の目的とする巨大なマシンの中で生活しているのである。経済的に苦しい、知的に息苦しい人々の日々の生活も全く関係の無いかの様に黙々と日本国憲法の解体と明治憲法の再構築、戦前の社会への復古を最終目的地としイデオロギーを原動力とした社会の中に生きているのである。憲法改正の教義に共鳴する面々を四方八方の組織に送り込んで社会に巨大な影響力を行使するマシンの中で。
我々庶民だけではない。行政府立法府死法府、地方自治体、学校、大学、企業、労働組合、自営業、新聞テレビインターネットの報道機関等々の組織とそこで働く人々が途轍もなく巨大な改憲マシンの中で、大きなしかし見えない力の流れによって或る方向に流されているのである。この流れに同調しない組織、会社、個人を改憲マシンの憲兵達が潰しにかかる訳。このマシンの中で人々は己の思考に基づいた決定と行動を自己推進力が無い(奪われた)故に自力では行使出来ない(決められない)。更に同調圧力なる外部からの影響をその善悪如何に関わらず自分の意見の如く納得し、又人と同じ様に振るまい、自らがんじがらめの社会に住む事を甘んじて受け入れている。平成の時代の後半から日本社会で変化して来た事或は起こって来た事が全て、憲法改正の為の行為の帰結とその副産物として全てが理に適い説明出来るのである。何しろ憲法改正の為には何でも利用する面々がこのマシンの中で旗ふりをしているのだ。人々の幸せな生活の事を思いめぐらせる事が政治の中に無い故に日本の政治が腐ってしまったのはこの時代の必然であろう。それでも人心は政権から離れて行かない摩訶不思議。あんたも悪い。日本の政治が腐ってしまった原因の中の一つなのである。だから権力を私物化する面々がこの世に跋扈しているのである。
或る一例を出そう。何時の頃であったかは記憶にない。日本経済新聞電子版は政権のプロパガンダに堕してしまってどの位経つのであろうか。でもつい最近此処まで露骨にやるものか!と思わず絶句してしまった記事がある。それは「トランプ氏演説『力による平和』強調 海自艦に初乗艦」だ。[1]少し長いが一部引用させて頂く。「トランプ米大統領は28日午前、安倍晋三首相と海上自衛隊の横須賀基地(神奈川県横須賀市)を訪れ、護衛艦『かが』を視察した。『かが』は事実上の空母化が決まっており、日本政府が購入する米国製のステルス戦闘機F35Bの搭載が可能となる。日米首脳がそろって乗艦し、強固な同盟関係をアピールした。...日本政府は2018年末、いずも型と呼ばれる国内最大規模の護衛艦『かが』と『いずも』の2隻を空母化する方針を決定した。F35Bのような短距離離陸、垂直着艦ができる最新鋭の戦闘機が搭載できるよう甲板を改修する。」かがが空母化されるのは噂では聞いていたのだが、この様なインパクトの高いニュースの内容を使って内外に空母化をアピールしている事。更に「日本政府は2018年末...空母化する方針を決定した。」この決定の話も聞いていなかった。今回初めて聞いた話である。もう一つ。メディアのプロパガンダの常套手段である曖昧化する手法の一つが用いられている。此処で「日本政府」とは一体何を指しているのか。客観的に言えば「現政権」が正しいと思うのだが。
ところであなたは、日本の社会のバカさ加減にほとほとうんざりしていないのであろうか?テレビが爆発的に普及して来た時に一億総白痴化なんて騒いでいた時代が懐かしい。今はどれだけの方々がインターネット依存症になっているのだろうか?これも巨大な改憲マシンの成せる技である。外から日本の社会のレベルを見ると赤面してしまう程反知性とモラル不在、無責任感の漂う荒廃した社会の様に見えるのである。まるでゾンビの様に死んだ人間によって構成されているおしゃべりのみで語っていない、表現していない、意味の無い言葉で溢れ返っている国の様だ。巨大な改憲マシンの中で人々は平成の時代に一億人がオバカ化し、改憲と言う長い物には巻かれろと言う諦めに満ちた一億総茹ガエルになってしまった事に気が付かないとは。それにしても堕ちたものだ。何と言う世の中になってしまったのだろうか?忖度なんて言う言葉のレベルは既に超えている。皆元気が無いのだ。だから会社も国も元気が無い。皆さん自己防衛本能も喪失しサバイバルの能力も失ったのか?しかも自分が抗議の手段としての国政や地方政治に投票を通して自分の意見を表現すると言う機会を放棄してしまった人間であるに気が付かないとは。これではまるで負け犬である。小生には改憲マシンの中で皆が皆茹ガエルで居続けられる気持ちが理解出来ないのである。
この6月末の、200万人にも及んだ(主催者側公表)街頭で政治的信条の表現を行う力、のある香港の若者達のニュースを見た。隣国の建国から脈々と続く誰にでも可視化出来る一党独裁性と言う巨大なマシン。これに組み込まれてたまるか、と抵抗する気概を表現の自由を行使する事で世界に訴えかけていた。香港の人々の底力を、即ち香港の、国としての底力を目撃したのである。人間としてのintegrityを持つ香港の若者達と比較し日本の若者の民度は無きに等しい。いつのまにやら巨大な改憲マシンに閉じ込められてしまった日々。心も無責任無関心無感動に染まった諦めと閉塞感に満ちた人生。虚しくないのか?
ところで日本経済新聞電子版は権力のプロパガンダに成り下がってしまったとの意見を言ったが、そのスタッフの名誉の為に彼らのウェブより以下引用する。以下生前アップルのCEOのスティーブ ジョブズがスタンフォード大学の2005年6月の卒業式で語った言葉を日本の若者に読んで欲しいのである。[2] 彼は一番最後に"Stay hungry, stay foolish"と締めくくっている。ハングリーである事と茹ガエルである事は相反するのだ。世界の若者がどれだけこの世を真剣に生きているのか参考にして欲しいものだ。これから新たな地平を切り開く大学の卒業生に語りかけられる文化的な懐の深さ、そして彼の言葉を真摯に受け止められる若い人間がいる。素晴らしいと思う。
この章の最後にあたり: これら連続投稿を貫く重要なキーワードを4つ挙げておこう。それは「強欲」と「風潮」そして「見えない大きな力」である。4番目のキーワードはここではまだ出さないでおく。そして、この今はまだ見えない言葉の実体を産まれて来た微かな希望を心に持つ人々に捧げたいと思う。兎に角これら上記3つの言葉を心に思い浮かべてこの文をお楽しみ下さい。
参考文献等:
[1] "トランプ氏演説「力による平和」強調 海自艦に初乗艦、"日本経済新聞、2019年5月28日
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45318230X20C19A5MM0000/
[2] "ハングリーであれ。愚か者であれ," ジョブズ氏スピーチ全訳、日本経済新聞、2011年10月9日
https://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXZZO35455660Y1A001C1000000
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2章 すっかり破壊されてしまった三権分立の原則
小生2011年の11月からこのウェブに何回も投稿し続けて来ました。その理由は余りにも不条理な環境に置かれながら何とか頑張ってサバイバルして来た私の友人達を見て来たからです。何でこの様な事がおきてしまったのだろうかと自分に自問自答しながら、同時にこの不条理の苦痛に堪え視力を落しながら日々投稿に向け何百回も原稿を直し何時もの様に生業の仕事をしていました。この問題は私の友人だけの問題ではありません。しかし今現在これが既に過去の事でもあるかの様に皆が皆平気な顔をして生きていられるのはどうしてなのだろうかと言う疑問を常に心に抱き続けて来ました。ですから圧倒的多数の方々にとってこの投稿のシリーズに度々東日本の核汚染の話が出て来るのは実に不愉快に違いないと思います。この国で核惨事が原因となって、苦しみもがいて生きている人々の心の痛みを判ろうと努力しない、或は出来ない今この投稿を読まれている方々はこれ以上投稿を読み進まないよう、心からお願いします。この不条理な現実に抵抗する気持ちを持ち続けられたからこそ、私自身何とか最終点まで辿り着けたのではと思います。
最初に、「...現行の憲法の下の国家運営で70年弱もの間国際社会の中で紛争も起こさずに巧く立ち振る廻って来ている訳だが、憲法に対する解釈などを変えるにはそれに見合った大きなメリット等、余程の理由が無い限り誰もが躊躇する事なのである。日本に住む全ての市民にどれだけ利点が有るのか、誰からも何ら説明が無いのはどう言う訳なのだろうか。」これは2012年12月の拙稿、「日本の市民の皆様へ-最終回, No.1」[1]に記載した文である。どうしても判らなかった上記の不思議が昨年(2017年)夏に読んだ本で見事に氷解した。非常に良く書かれている本である。日本の現代史のこの50年の中で、ある勢力が日本の国政に対し行使して来た影響と行為を膨大な量の情報を基にあぶり出している。この本を読めば如何に日本の屋台骨が脈々と長い年月をかけてこの勢力の教義と原理によってねじ曲げられ、「彼ら」の望む様に変えられてしまったのか明快に判る。菅野完氏の「日本会議の研究」[2]がその本である。何の事はない。現憲法を否定し、憲法改正を教義/原則に掲げる勢力には「彼ら」の理念故、憲法改正の理由を誰にも説明する必要は無いのである。その様な勢力が大多数を占める国会が-日本の市民がそれこそ悪戦苦闘しながら日々直面する-問題の解決など眼中にないのは当たり前なのが良く判る本だ。トドのつまり「原理主義者」(この表現は「日本会議の研究」から流用させて頂く)達の教義に沿った、「彼らの問題」を解決する場として国会が機能している事を日本の市民は大きく眼を開いて見据えなければならない。(注: 本投稿では「原理主義者」、「復古主義者」、「彼ら」と言う言葉でこの勢力を言い表しておく。)市民にとって国政を担う立法府は役立たずどころか悪法の立法を行う三権の内の一つの機関に成り下がってしまった。立法府が政権党と野党の政策論争の場として国を良い方向に導く事、を怠りその機能を無視し内閣と政権与党の隷属機関となってしまった事がまず一つ目の破壊された三権分立の原則として数えられよう。何より、国家権力を私物化しやりたい放題の政権。皆さん、こんな事は先進国では決して起こりえないと言う認識が無いのだろうか?オバカ!を通り越して小生には滑稽ですらある。このままではこの国は潰れる。
さて日本会議の教義、原理と行動理念のエッセンスは上記書22ページの「●日本会議は何を目指すのか?」に要約されているので、転記しておく。「皇室を中心と仰ぎ均質な社会を創造すべきではあるが(1)、昭和憲法がその阻害要因となっているため改憲したうえで昭和憲法の副産物である行きすぎた家族観や権利の主張を抑え(2)、靖国神社参拝等で国家の名誉を最優先とする政治を遂行し(3)、国家の名誉を担う人材を育成する教育を実施し(4)、国防力を強めたうえで自衛隊の積極的な海外活動を行い(5)、もって各国との共存共栄をはかる(6)」とある。これらは今の内閣と自民党が押し進める政策の指南の訓示でもある。一言で戦前の強権体制の再構築が一番重要なゴールと読めるだろうか。更に、本書112ページでは以下の様に、「原理主義者」達の正体を暴いている。「だが、2015年現在、宗教団体『生長の家』は左傾化とも言われる路線変更ののち、政治や社会運動との関わりを一切絶っている。(段)しかし、教団のこの路線変更に我慢ならず、創始者・谷口雅春が説いたウルトラナショナリズム路線を堅持しようとする『生長の家本流運動』なる運動が存在する。この『生長の家本流運動』における最大の組織が『谷口雅春先生を学ぶ会』と呼ばれる組織だ。『生長の家原理主義者たち』と言ってもよいだろう」。この文章を読んだ時はいささか驚きであったが、この本を読み進めると私の中にあった自民党政治に関する幾つもの大きな疑問点が線として繋がったのである。
以下人からの話で恐縮だ。2014年に或る人から聞いた話だ。この人はとある官公庁関係の一般事務の仕事をしている。その人が言うには、組織内の雰囲気が変ってしまったと。皆偉そうに振る舞う様になって来たとの事であった。これから何故そうなのかを考えてみたい。東日本での核惨事が発生する以前に経産省や文部科学省(科学技術庁)が彼らの原子力行政を推進する為に主張し根拠として来た「原子力発電所は5つの防護壁に守られているからとても安全です」と言うキャンペーンがいとも簡単に潰えてしまった事実。幾度も過去の拙稿で指摘しているが東京電力(TEPCO)の強欲さと癒着体質故、会社がトップダウンで職務放棄と業務怠慢を続けその業務監督を官公庁即ち行政府職員が放棄した結果、行政府及びTEPCOがつき続けて来た巨大な嘘が東日本の核惨事により白日の下に晒された訳である。この核汚染事故の後次に農林水産省等の官公庁が繰り出して来た手は何だったのだろうか?被災地からの食品は危ないと言うのは風評であり安全であると、放射性同位元素に汚染された食べ物を「食べて応援しよう!」とキャンペーンをしている訳。以下引用しよう:「農林水産省では、被災地産食品を積極的に消費することによって、産地の活力再生を通じた被災地の復興を応援するため、多様な関係者間で一体感を醸成できるよう、共通のキャッチフレーズ『食べて応援しよう!』の利用を呼びかけております。」[3]。でも根本的な問題は別の所にあるのだ。健康に問題有りませんと繰り返し宣伝し続ける事で、事故前の官僚が言い続けてきた安全神話=巨大な嘘をまるで煙幕がその嘘を包み込む様に隠して静かに退場させてしまったではないか?何故ならそれは安全神話を振り拡げて来た事の責任を伴う、TEPCOに対しての監督不行き届きの罪がある事を彼らは自覚しているからである。いやしくもエリート大学出の行政府の官僚であれば、遺伝子プール[4]と言う専門用語は御存知の筈なのだが。特に子供達に核汚染した食べ物を食べさせる事によって、日本と言う国土における遺伝子プールを広範囲にそして長期に渡り傷つけてしまう事実を意図的に無視する確信犯なのか。これは日本の未来の子供達に対する犯罪に他ならない。その一方食べて応援するのは個人のレベルの問題なのだ。それは個人のチョイス、選択と言う言葉で表現出来よう。よってそれを人々には強制してはいけないのである。ましてや我々の宝である子供達に食べて応援させるのはいかがな物かと思う(だから黙って混ぜないでね)。つまり官僚の面々が3.11以降何故主権を持つ市民に、更に一層傲慢不遜な態度を取る様になってしまったか。それは組織内の隠れ「原理主義者」の協力と誘導の下、原理主義の司令塔と改憲マシンの力を借りてメディアを通じイメージ操作、マインドコントロール、平たく言えば真実でない事を宣伝する事によって市民を洗脳出来る自信が2014年の時点でついたからであると思っている。自分達が犯した罪をウヤムヤにする為、日本の人々に核汚染から目をそらせ、些末な事に目を釘付けにさせる為に改憲マシンと共同でこの作業している事。この図式は真ん中に原理主義の司令塔がデンと座って居り、それぞれ内閣与党と行政府がそれぞれ横に従っている様なものではないだろうか。その根拠を挙げよう。以下の事を「日本会議の研究」を読めば容易に思い浮かべる事が出来る。この原理主義集団は公官庁に彼らの影響を及ぼすべく長年に渡り若手メンバーを公官庁に送り込み続けている。既に所謂王の目[5]王の耳として送り込まれた活動家は「原理主義者」の司令塔に、彼らが所属する組織内のステータスを逐次報告しているのでしょう。これは衝動的な事であった。2018年の4月にかなり上の立場の自衛官が国会議員を罵倒した事件が発生した。小生は若手の原理主義の活動家らが各官公庁の上層部に上り詰めており組織運営にも影響力を及ぼしている可能性はほぼ100%と踏んでいる。持ち論各官公庁や新聞社テレビ等のメディア各社に送り込まれた「原理主義者」は横断的に連絡を取り合っているだろう。原理主義の司令塔から発信されるイデオロギーに共感する彼らが、極少人数の原理主義アーキテクト達及びインナーサークルの人々が日本に独裁制を敷くのを後方支援するのは当然ではあるまいか。この様な「美しい国」は「復古主義者」達の念願の夢でありその社会は「彼ら」の追い求めて来たユートピアとなるのであろう。更に、小生にはこの集団がイデオロギーに満ちている故に、科学的客観性を無視しても平気でいられると解釈する。だが科学的立場なんてもうどうでも良いのである。王の目、王の耳が行政府組織内に入り込んでいるので政権が行政府をコントロール出来るし、行政府は行政府で改憲マシンが造り出した、東日本核惨事はとるに足らないと言う風潮に便乗し自分達の巨大な嘘を無効化する為に政権にすり寄りよる仕組みがもう既に出来上がっているから。
次に。行政機関の従業員である官僚達は何故安全だから食べて応援と言う様な巨大な嘘を付かなければならなかったのかとの疑問が生ずる。そう。官僚達の生存本能、牢屋には行きたくない訳。つまり何か行為を行った結果に対してその(安全神話の崩壊と言う)帰結の責任を絶対にとりたくないのである。その結果嘘を言い始め、その嘘を言い続けるしか無くなる。皆さんお判りだろうか?責任を取りたくないから、真実を隠蔽する。問題を先送りする。21世紀に入り、日本の社会と多様な組織がこの有り体になってしまったかの様である。だがそれ以上に内閣と与党はタチが悪い、のである。再度手に入れたら二度と離さない権力に対する執着と改憲を貪欲なまでも追い求める強欲さ。この「原理主義者」達の欲望の、行き着く果ては何処なのか?自分達の保身の為に、日本の政治屋と行政府の従業員が嘘をつき、且つ無責任に振る舞って日本を何処に導こうとしているのか?この様な国が「美しい国」とは、笑止千万である。
しかし...私の確信が間違っている事を祈っているが...更に次があるのである。原子力発電は安全と言う嘘を隠蔽する目的で核汚染した食料を食べても安全と言う嘘を行政府は繰り出して来たが、この後者の嘘が破綻した時にこの嘘の連鎖をカバーアップ、隠蔽可能な次の嘘は残念だが無いのだ。ではその時その場合の次の手は有るのか?勿論答えはYes。この章の題名として今進んでいるシナリオがその回答となる訳。そう。それは「原理主義者」に同調する事で、行政府は日本の市民に有無を言わせない強権な体制を内閣、与党と共に創る事なのではないか?今回のモリカケ疑獄も吹っ飛んでしまう程の、緻密にそして周知される事の無い静かなる「原理主義者」達の革命が進行中なのである。
さて三権の内残った一権が如何に破壊されてしまったかは次章でさらっと言及しておく。では死法府とお仲間の法無省検殺庁の事を紹介しよう。以下の事件は「原理主義者」達が行って来た数々の悪行の一部に過ぎなくなった。それは田中龍作ジャーナルに政権が検殺に「森友改ざん」で圧力をかけたとの記事が記載されていた。[6]三権分立が既に破壊されてしまった事の帰結ではなかろうか?それはもう癒着と言う感じの出来事。さて法無省は英語ではMinistry of Justiceと言う。しかし非常に残念だが看板に偽りありで、Ministry of Injusticeと省名を改める様にしたら実体に近いのではとアドバイスしておきます。又冤罪の温床、検殺庁の面々も世界で通用しない偏狭な自己保身的考え方を持っている様で無実の人を冤罪に貶めるのが非常に得意なのである。持ち論その真逆の事も昨今の得意技として挙げて良い。よって彼らの働く組織の事を、本来の仕事をしない死法府、法無省、検殺庁、警死庁と本書の中では表現しておく。しかしこれを許している国民も愚かの極みだ。
この章の最後にあたり: 直感的に、近未来の大震災クラスの災害発生で内閣が国内非常事態宣言を行う可能性が非常に高いと思う。国内の混乱の期に乗じて「原理主義者」主導の下、独裁政権下で立法府行政府死法府の私物化を加速するのは時間の問題の様な予感がする。非常事態宣言の後に改憲と言うシナリオである。一言で言えばこの原理主義が世俗の習慣や通念を駆逐してしまう事が起こりうるのだ。現憲法下で築き上げて来た皆が繁栄する社会から残念ながら全てが逆行する戦前社会へと日本は退化しつつある。
参考文献等:
[1] "日本の市民の皆様へ-最終回, No.1 副題:日本の市民が直面している日常," 投稿者 プラナリア 日時 2014 年 12 月 08 日, http://www.asyura2.com/14/senkyo175/msg/884.html
[2] "「日本会議の研究," 菅野完、2016年、扶桑社
[3] "食べて応援しよう! 被災地を応援," 食料産業局食品流通課, 農林水産省,
http://www.maff.go.jp/j/shokusan/eat/
[4] "遺伝子プール," ウィキペディア,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%AB
[5] "王の目," Wikipedia,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E3%81%AE%E7%9B%AE
[6] "【森友改ざん】 内部文書「官邸が法務省に巻きを入れている」 検察への介入明らかに," 田中龍作ジャーナル, http://tanakaryusaku.jp/2018/06/00018368
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3章 "Justice is not done." 社会正義が行使されない国
それにしても石が流れ、木の葉が沈む何と言う時代となってしまったのだろうか?日本で社会正義が行使されてない事実を隠そうと懸命に努力している特権階級の事を思い浮かべて頂きたい。原子力災害を職務怠慢により、おこしてしまったTEPCOの事故前の経営陣の責任と罪。そしてTEPCOに対する監督不行き届きの霞ヶ関の面々の責任と罪。更には日本の女性蔑視社会を世界に知らしめた、不逮捕特権を持っているかの様な現首相のお友達。動かない何もしない検殺庁のみならず、死法府の過去の判例を鑑みると日本の経済界の強欲な面々との癒着ぶりがハッキリと白日の下見えて来る。これで法の番人とは笑ってしまう。彼らが自分自身の保身と出世と言う強欲の為に、面子を保ちたい権力のインナーサークルの面々の、腰巾着に成り下がって久しい事は言うまでもあるまい。
まず"Justice is done"と言う言葉の定義をチェックしよう。残念ながら日本の現状を見るとそこへも辿り着いていないのである。言葉の説明は Wikipediaの"Retributive justice"を参照して頂きたい。[1] 正義の為の応報とでも訳すべきか。その中で18世紀のドイツの哲学者カントの考え方が引用されている: ".... Kant regards punishment as a matter of justice, and it must be carried out by the state for the sake of the law, not for the sake of the criminal or the victim. He argues that if the guilty are not punished, justice is not done. Further, if justice is not done, then the idea of law itself is undermined."抄訳すると、「哲学者カントは罰とは正義を行う為のものと考えている。罰を課すと言う事は、犯罪者又犠牲者の為に法の行使を行うのではなく、法が法たるもののゆえんを保持するため故行使されなければならないのである。カントは罪を犯した者に罰を下さない事は'justice is not done'だと論議している。更に突っ込んで言えば正義の行使(justice is done)が施されなければ、法律と言う理念が弱体化してしまうのである。」
行き着く所、国会であろうが検殺庁であろうが警死庁であろうが罪を犯した人達を世の中に蔓延らせ、善良な市民を犯罪者に仕上げる面々を罰していないのはどうしてなのか?
それは無理だよ。他の公務員同様彼らは本来怠け癖の在る、仕事をしない面々なのだから。考えてみればこの国では力を持つ者同士が、即ち権力を握る政治屋、産業界、行政府が検殺及び死法府の面々とつるんで、仲間をかばう為に法律で律せられた法治の下のJusticeを無力化しているのである。この上と上の間での法律を超えた立場と法に対するいい加減さとは正反対に上が下を法律で縛る事は蟻一匹も逃さない様な狡猾さ。それに加えて日本の市民国民庶民平民奴隷ロボットの皆さん、考える事を止めた携帯電話を操作する茹ガエルなので、先進国で日々実践されている法治と言う事も考えた事のない状態のこの国はお粗末な後進国なのである。ここに一例。2012年1月のこのウェブに投稿した拙稿[2]に以下記した。「[番外] 25 何でニュースを批判的に見ないのか?:単に情報として聞くだけ、読むだけの話のネタ。**日本人の弱さ** (段) 26 そして何故大局的に物事を見ないのか?:上記25に関連して。東京電力女性社員の殺人事件の被疑者であるネパール出身のゴビンダ マイナリ氏のDNAが被害者の女性より見つかった犯人の精液のDNAと不一致と言うニュースがこの7月の時点で流れた。何故この時批判的に又大きく観れないのか?精液のDNA鑑定で更に犯人の民族的特徴も解読できる筈。しっかり心の眼を開け。日本の市民!**日本人の弱さ**」ジャーナリスト達も大きく考えられないオバカ達である。この声が天に届いたのかは知らない。が15年もの間無実の罪で服役していた彼は程なくして刑の執行停止の後釈放され無事家族のいるネパールに帰国した。恥ずかしいぜ。
更にもう一例。何十年も前から無実の罪で刑務所に幽閉され、晴れて冤罪から解放された袴田さんの事に関して。[3]そもそもどうしてこの事件を「袴田」事件と呼ぶ様になったのか誰か考えた事がありますか?この命名事体がおかしな事なのである。人の名称を事件名として使っていると言う事は、警殺職員や検事の方々はこの事件に眼を見据える事が出来なかったという訳。この反省点も聞こえて来ないのはどうしてなのか?大事な事は地平線上に見える犯人の足跡に到達する事ではないか。その為には見えない物証に到達しようとしなければならないのだが、自ら自己推進力を捨て去って、目の前の疑わしき人の自白を強要するのはどう言うメンタリティーなのだろうか。物証を追いかける事が出来ず自白を追いかけている悪しき検殺の面々だ。五十年余の後に検殺が物証としてでっち上げたズボン等の存在を否定した写真のネガが今頃になって見つかったと、申し出る何と言う無法者のやり方。信じられない程業務に不適切な連中である。極悪な面々は組織から解雇すべき。でも組織が灰色な牙城さ。だから外から圧力かけましょう。
この章の最後にあたり: 法治国家の大原則は「何ぴとたりとも法の上に立つ事が出来ない」のである。つまりそれは法の下の平等と言う普遍的な決まり事が常日頃実行され続ける社会なのである。"Justice is not done,"正義が行使されなくなるとどうなるのか?皆さん御存知ですよね!悪事が懲罰されなくなり、結果として世の中に悪がはびこってしまう訳。一言: 非を認めない vs. 間違えを真摯に受け止め謙虚に修正出来る。この違いは何処から来るのでしょうか?私は暴政下の社会風潮と民主主義下の社会風潮の違いと考えます。
痛恨の極み。石が流れ、木の葉が沈む時代となってしまった。
参考文献等:
[1] "Retributive Justice," Wikipediaより,
http://en.wikipedia.org/wiki/Retributive_justice
[2] "日本の市民の皆様へ-その2," 投稿者 プラナリア 日時 2012 年 1 月 22 日,
http://www.asyura2.com/12/genpatu20/msg/412.html
[3] " 裁判長、証拠の衣類「不自然」 袴田事件再審決定, " 日本経済新聞電子版,
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2701O_X20C14A3CC0000/
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4章 憲法改正の実現方法をシミュレートせよ
2019年7月1日、原理主義の司令塔が行政府と共にそのイデオロギーに基づいて国政を動かしている事がはっきりしてしまった。この日、政権の広告塔である日本経済新聞電子版が以下いち早く報じていた。「韓国への輸出規制を強化、政府発表 韓国は対抗措置も」と言う記事[1]である。その中で「政府は1日、韓国への半導体材料の輸出規制を厳しくすると発表した。」日本の社会で政権与党は嫌韓を人々に煽動しそれを風潮として作り出し政治的に利用しているのは皆さん御存知だと思うが、この煽動が経済界にも波及して来た事は小生のとって非常にショックなのである。それは、原理主義の司令塔が叩く憲法改正を奮い立たせるドラムのビートがかなり速くなって来ているのを肌で感じるからである。ドラムのビートに合わせ強欲な「原理主義者」達がメディアに露出する頻度が高くなって来ておりその発言内容が一段と濃くなって来ている事実。既に2章で参照した菅野完氏の「日本会議の研究」80ページに「●ついに始まった、日本会議による改憲への『カウントダウン』」とあるが全ての事が原理主義の司令塔の筋書き通りに進んでいると言う事。
個人的には二大政党下で憲法改善改正に向けた議論を行う事に対してはやぶさかではない。悪い所があれば修正して行く事は勿論の事である。
処で小生が大学の政治学科で教えていたとしたら研究室の学生を2つのグループに別け一週間と期間を区切って、学生達を一方は憲法改正の実現法を下調べの上シミュレートさせ、他方には憲法を死守する方策をシミュレートさせる。そして双方のグループで綱引きさせて議論を戦わせる。これは非常に知的に面白い内容になるだろう。でも日本の大学でこの様な事をやる柔軟性あるのかな?しかしこれは深刻な現実問題なのである。既に原理主義のアーキテクトは憲法改正実現の方策を何十年前に設計し、今までその設計図通りに実行して来た訳。立法府に議員を送り込んでいる政党で憲法を守る事を党是とする党が一同に集まって憲法を守る方策を、今に至るまで練った事が無い事は今の国政の惨憺たる状態を見れば誰でも判るだろう。野党間で考え方の違う政党と敵対し憎しみ合う。連帯と言う言葉も存在しない彼ら。これも以下述べる原理主義のアーキテクトの策にハマった政治屋さん達。人々が苦しむ時代に光をさし込ませる様に時代を切り開こうとしない、大胆さもない心の狭い万年野党の政治屋の面々。
前置きが長くなった。これからどの様な方策があるか双方の立場より列挙してみる。(尚マキュアベリの君主論や孫氏の兵法は参考にしておりません):
■まず敵と味方を峻別する
■人材を育てる
■方策を順序化しタイムテーブルを作り優先順位を付ける
■身内の人材を選別し公共的中立的な組織に送り込み勢力下に置く
■味方には利権利潤特権を与える。特に財界
■敵味方どっちに転ぶか判らない勢力をこちらに引き寄せる
■敵を徹底的に壊滅させる、懐柔策を行使し無力化させる、お互いいがみ合わせる、囲い込む。日本では二大政党制さえも無くなった
■敵にスパイを送り込む、弱みを握る
[副次的方策]
■(改憲派のみ)経済の活力をそぐ。バブルの時代の頃には皆が潤っていたので憲法改正なんて誰一人考えていなかった。窮すれば鈍する
■(改憲派のみ)国内における教育及び知的水準のレベルを下げて人々から考える力を奪う。テレビ雑誌等の内容を愚者好みにして、人々を愚民化させる。小学生達がオンラインゲームに夢中になっている時代だ
■(改憲派のみ)時間をかけて皆が変化が判らない様に、方策を少しずつ実行する。茹ガエル戦法
■(改憲派のみ)ニュース機関等のメディアをコントロールし、人々に原理主義の司令塔から送り出される改憲戦略になびく様な風潮を造る。不都合な真実に関するニュースには制限を与え都合の良いニュースに情報を偏在させる事で可能
■(改憲派のみ)知る権利の徹底的な制限。とても大事な事が隠される。どうでもよい事を大げさに報道し人の心を占有させてしまう事。即ち人々から客観性(物の見方とか)を奪い、主観を植え付ける
■(改憲派のみ)メディアは人々の誘導の道具。「日本の10〜20代は内向き 留学や海外生活望まず」2019年6月2日の日経電子版のニュースである。[2]この様なニュースに接した若者が「あ、そうなんだやっぱり内向きだったんだ」と思い込ませその風潮に同調し、自ら殻を打ち破れない保守的な気持ちを生じさせる。移動しない、出不精。違った文化を見ようとしない。別世界から日本を見ない、大きく国際情勢が見れない。改憲マシンは若者に世界の事を知らせたくない訳。「彼ら」には風潮が自由に創れるのである
■(改憲派のみ)群衆行動のパターン分析。特に日本中のどの家庭から及びどの携帯電話から何処のウェブの記事を何分間見ていたか等、厳密な個人の政治嗜好の調査集計を行い政治の風がどちらに吹いているかを鳥瞰し、メディアを通してその流れを変える様手立てを行い群衆を誘導する
■(改憲派のみ)政権に対し、発言する事に脅しや懲罰などの恐怖心を植え込み発言する人間を萎縮させる。例としては特定秘密保護法
■(改憲派のみ)奥歯に物が挟まった様な表現を多様し物事をストレートに言わない。社会から単刀直入さを抹殺した上弱腰にさせて怒る力を奪う事。実体を見えなくさせる事。常々疑問として思うのだが、一番最初の段で「政府は1日、韓国への半導体材料の輸出規制を厳しくすると発表した。」とある。この「政府」の定義は一体なんなの?マスコミの皆さんもう何十年も間違ってこの用語を使っているのではないか?私は「政府」とは"The Government"即ち立法行政死法の内特に行政府と理解しているのだが。このニュースの主語は「政権と行政府]と言う言葉が適切ではないのか?日本のジャーナリズムは地に落ちた。読売新聞英語版にはきちんと主語が書かれている。経済産業省が主語: "The Economy, Trade and Industry Ministry announced Monday that the government will more tightly control exports to South Korea of chemicals used in producing semiconductors and other devices."[3]
個人的な感想として断っておく。原理主義の司令塔は財界と協力し経済的に市民を徹底的に搾り取った上不満を外に向けさせて、人々に投票は無駄と洗脳。その上で政権を維持し続ける仕組みを築き上げた。がその後がある。私には次の二つのうちどちらが先に実行されるのか判らない。1) 「憲法改正」 2) 「米国から貰い受けていた核兵器の設計図を元に一週間で核兵器を造り上げ、核実験に持ち込む」。一度日本が核実験をしたらもう引き返せない。完全な平和憲法の死を狙っている訳。(政権の力が余りに強大なので残念ながらその設計図が行政府にあるかどうかの情報は国政調査権を実施しても出て来ないだろう。がその価値はある)。そしてあの大戦の苦しみを通して築き上げて来た平和国家を捨てて、軍事大国として不死鳥の如く瀕死の状態から日本を復興させるシナリオが用意されているに違いない。
この章の最後にあたり: 日本会議のイデオロギーと憲法改正の実現手法が日本全体に害を与え続けて来ているのである。足並みが揃わない野党の党首達に告ぐ!一丸となって憲法を死守する方策をシミュレートする度量は無いのか?
参考文献等:
[1] "韓国への輸出規制を強化、政府発表 韓国は対抗措置も," 日本経済新聞のウェブ, 2019/7/1,
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46789890R00C19A7EAF000/
[2] "日本の10〜20代は内向き 留学や海外生活望まず," 日本経済新聞のウェブより, 2019/6/2,
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45589930S9A600C1CR8000/
[3] "Japan to effectively ban exports of semiconductor materials to South Korea,"
"The Japan News by The Yomiuri Shinbun," 2019年7月4日,
http://www.the-japan-news.com/news/article/0005845877
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その5章 音楽は政治を批判してはならない
その様な風潮があると聞く。誰が言い出したのだろうか?そしてそれは何故なのだろうか?
ならば、更に一歩進んで逆の立場を考えて見ようではないか。音楽が政治を、或は政権と行政府を批判する事が寛容な精神で許容される様な所がこの世界の中にあるのだろうか?そしてその結果この歌手に国民栄誉賞的な名誉が与えられる様な国があるのだろうか?
その答えは: 実際にその様な歌手がいて、そしてその様な国が有るのである。日本の人々はこの事実はとても驚きではなかろうか。(すみません。以下小生の音楽の嗜好が入る事、何卒お許し下さい。)歌手本人は2018年9月29日と30日にBillboard Live TOKYOにてソロコンサートを開催している。因にその歌手が受けた名誉とは以下である。本人の顔と背景に10曲程の曲名を記載したカナダの郵便切手が2011年の6月末から発売された。日本ではこんな事考えられない。Bruce Cockburnは1970年代初頭からアルバムを出している人だ。デビュー当時は愛を語る美しい曲を作詞作曲して謳っていた。80年代だろうか、社会問題に対して現地を訪問、住人と対話しその時のその地の現状を見、感じて作詞作曲するジャーナリスティックな手法を取り入れ音楽を造り始めた。そして音楽を通してある社会問題を公にし、この問題をリスナーの感性に訴える様なアルバム造り続けている。またコンサートを70歳過ぎてもこなしている。強いな。尚彼は米国市民権を取得しサン フランシスコに移り住んだと聞く。
彼のアルバムの中から、1980年に出された"Humans"は独裁制(アジアでの)に対する満身の怒りを歌い上げたもので、1985年のアルバム"World of Wonders"は大国が如何に小国を餌食とし、むしり取って来たかを深い悲しみを込めて歌う。また人間の、自然から与えられた摂理からの逸脱、例えば欲望やイデオロギーによる生命に対する悪行の数々を告白し歌い続けている。そしてこの世の不条理に対する彼の怒りは熾烈を極める。一方人々に対する愛もまた深い。彼の心の奥底にはイデオロギーとは全く関係のない原始キリスト教的なヒューマニズムが宿っているのだ。(イデオロギーから愛は派生しないよね)。同時に自然をこよなく愛する吟遊詩人である。特に印象に残る曲のYouTubeのリンクを以下張っておく。洋楽は好きではないと言う方は次の一番最初の曲だけでも聞いて欲しい。
■ "If a tree falls"[1] 人の欲望の餌食となった熱帯雨林とその生態系。30年も前に今進行しているブラジルの熱帯雨林の急速な破壊を発信していた訳。速いテンポで歌詞も曲も心に残る。音質少し良くないですが、是非聞いてみて下さい。曲の最後の所ではこう歌っている。"If a tree falls in the forest, does anybody hear? If a tree falls in the forest, does anybody hear? Anybody hear the forest fall?" 一本の木が伐採され倒れる音を誰も聞こうとしなければ、森全体が伐採されるのは誰も判る筈が無い。のである。私はこの曲の歌詞を"If a child falls in the society, does anybody hear? Anybody hear the society fall?"と替えて、子供が倒れても知らん振りをしている各地方の学校の先生、地域自治体の教育委員会の従業員の皆さんに贈りたい
■ "Call It Democracy"[1]は軍事力を背景にした国際資本によって搾り取られる第三世界の人々を代弁し、怒りの声を上げた曲。この曲から日本の人々がGeopoliticsの下貧困に喘ぐ現状を連想してしまうのである
■ "Pacing the cage"[2] 何とも美しいメロディーだ。彼が歌を通して訴え続けて来たこの世の正義に反する事、不条理な事があたかも現実でないかの如くに誰も聞き入れない様な現状が維持され続けられている、欲望に満ちた愛の無い世界。その様な世界の中、そして長い人生の中で今自分がハツカネズミの様にクルクルと廻る檻の中で歩きながらペースを取る。歌詞の中で"...Powers chatter in high places(行)stir up eddies in the dust of rage(行)set me to pacing the cage..."とある。良い訳が出来ないが...「力を持つ者達が手が届かない所で喋っている。そして(私の)怒りの礫が渦を巻き、それで歩く檻の中のペースが決まってしまった。」私は何処へ行くのだろうか、そして何故にと思いながら檻の中を諦めずに毎日毎日歩き続け、外の世界を檻の中から眺めて感慨深く溜息をつく様な感覚である。私も落ち込んだ時に聞くと、皆も同じなんだなと勇気付けられる曲。人々が連帯しなければ世の中は決して良くならないのだと痛感する
■ "Silver wheels"[3] 自動車文明を通し人間の欲望を痛烈に批判した曲
■ "A dream like mine"[1] 人間が動物から逸脱し、自然の中よりいでて、欲望に満ちた土地にこの世界を変えてしまった事への告発
■ "Gavin's Woodpile"[4] 人の欲に怒って弾き語っている。彼の歌の中で最も好きな曲である。弾き語りを8分間もやっている。凄い
彼の歌詞を読めば今の日本に当てはまる事が多いのに驚嘆するに違いない。1984年のアルバム"Stealing fire" の一曲"Maybe the poet"の歌詞中に"Don't let the system fool you(行)all it wants to do is rule you..."「システムがあなたを騙ます様にさせるな。システムがやりたい事すべては(一つ)、あなたを支配する事だ」と歌う。そう、不動産バブル期に大人になっていた世代には判ると思う。年々テレビ、新聞、週刊誌(漫画雑誌を含む)の知的なレベルが下がって来ていてそれと同時に日本の人々の行動を伴う活発さが落ちて来ているのを実感しないか?日本においては既に"The system fooled you"で人々は既に心が操作されているのである。この事実が日本が殺伐とした社会となってしまった根本原因の中の一つの理由である。昨今の日本での出来事が世界の常識から或は世界のレベルからかけ離れてしまっているのを看、あなたは暗澹たる気持ちにならないのか?教育において発明発見を行う人材を輩出させる力を無くし、日本の経済が物造りと言う発想に収斂してしまった結果隣国の台湾や韓国の後塵を喫し早や何年になるのであろうか。皆さんがイノベーションの原動力である個人のユニークさを、日本の社会が否定する事を知らない、この民度の低さ故の国力の衰退の結果なのである。日本会議を中心とする勢力が造り上げた巨大な改憲マシンと言う"The system"が日本の市民を"fooled you"するとは簡単に言えば、絶えず携帯電話の操作を行うオペレータに日本の市民を堕しめ、また意見の多様性を認めない無言の圧力、同調圧力を個人の心に浸透させる事により達成出来る。個人の活力、社会の活力がその結果消滅してしまった訳。精神の荒廃、制度の荒廃、社会の荒廃が目の前に曝け出されている事、即ち日本の社会が病んでいる事に気付かないとは...今、日本の市民はシステムの奴隷だ。
ここで明確に言っておく。Bruce Cockburnが作詞作曲し作り上げたアルバムで世界の政治や自国を含めて各国の政権と行政府を間接的に批判するのは即ち今の世界の現状や状況を(建設的に)良くしたい気持ちから発せられるのであって政治を理由なしで攻撃或は咎めている訳ではないのである。もちろん彼の曲ではこの世界に幅をきかせている、欲望にかられた強欲な面々も批判の対象だ。音楽は政治を批判してはならないと強欲な彼らがキャンペーンを張る理由は実は此処にある。そうなのだ。この章では「音楽は政治を批判してはならない」としたが音楽をテレビ、新聞週刊誌に置き換えてみよ。極一部のメディアを除き、既に力を持つ者達を建設的に批判さえもしなくなってしまった。「だって政権を批判したら番組降ろされちゃうもんね」と言う感じか?そんな国は世界の標準に達しないのでG7の国々の中に居てはならないのである。日本のメディアは「表現の自由」を自ら殺した。
ここで「表現の自由」が強権体制下で如何に抑圧されているかの一例を見よう。中華人民共和国の中国民主化運動の中心人物で「投獄中にノーベル賞平和賞を贈られ獄中で死去したのは、1935年に受賞したカール・フォン・オシエツキーに次いで2人目である。」 劉 曉波氏 (Liu Xiaoba 1955-2017)[5]は以下この「表現の自由」の事を言い表している:"Free expression is the base of human rights, the root of human nature and the mother of truth. To kill free speech is to insult human rights, to stifle human nature and to suppress truth."[6]抄訳すると「表現の自由は人間の権利の基である。人間性の根幹、真実の母なのだ。表現の自由を殺す事は人間の権利に対する侮辱であり、人間性を窒息させ、真実を抑圧してしまうのである。」
この章の最後にあたり: 「表現の自由」は政治を独占する人々の権力欲と支配欲と戦う最大の武器なのだが、これを行使出来なければ、あなたは無言で働く感情のないロボット(香港の若者の行動力には恐れ入る)。更に一言。己の投票権は自分の政治的な、「表現の自由」の一部で或る事を決して忘れてはならない。
参考文献等:
[1] "If a tree falls," Bruce Cockburn, 1989年アルバム "Big Circumstance"
"Call it Democracy," 1986年アルバム "World of Wonders"
"A dream like mine," Bruce Cockburn, 1991年アルバム "Nothing but a burning light"
http://brucecockburn.com/
と言う彼の公式なWebサイトのホームページの一番下にある、Vevoと言う表題のあるビデオの中に上記のビデオがあります
[2] "Pacing the cage," Bruce Cockburn, 1996年アルバム"The Charity of night,"
https://www.youtube.com/watch?v=mN2uMVYwmqc
[3] "Silver wheels" Bruce Cockburn, 1976年アルバム"In the falling dark," https://www.youtube.com/watch?v=z-avqJQwOoo
[4] "Gavin's woodpile," Bruce Cockburn, 1976年アルバム"In the falling dark," https://www.youtube.com/watch?v=ovhTIQn2Je4
歌詞は以下参照。http://cockburnproject.net/songs&music/gw.html
[5] 劉暁波、ウィキペディア、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E6%9A%81%E6%B3%A2
[6] "China Seeks to Delete Nobel Peace Prize Winner Liu Xiaobo from the Internet,"
https://torguard.net/blog/china-seeks-to-delete-nobel-peace-prize-winner-liu-xiaobo-from-the-internet/
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第6章 欲望の行き着く果てに
これは以前読んだ本の中の言葉である。作家の広瀬隆氏の1981年出版の「東京に原発を!」最終章に広瀬氏がこの言葉を読者に問いかけていた。強欲と言う言葉がピッタリと当てはまる、この言葉の視点から日本と日本人が歩んで来た時代を眺めてみよう。私なりの強欲の定義は:他人を押し退ける気持ちから生じる行為の、源である。
あなたはこの問いの先には何が待ち受けているのかを過去から学習したのか?欲望をコントロールせず、その行き着く果てまで突っ走って行った結果は。それは...カタストロフィーなのである。荒廃した土地に待ち受ける破局。まるで人間の欲望が地球を破滅に導いている様な。
欲望。何ともイヤラシくしかもいとも簡単に人々の心を占有してしまう感染症の様な心にこびり付いた大きなシミ。宗教的な欲望。イデオロギー的な欲望。政治組織問わず、権力に対する欲望。名誉欲、自己保身欲。責任逃れ=無責任欲、暴力欲。金銭的な欲望。食欲、性的な欲望そして虚栄心や嫉妬心そして自己顕示欲。これらの内の殆どはヒューマニティーに反する心である。何故なら、人を押し退け貶める行為だから。つまり全て共通する事は:相手がいる事。私とあなた、私とあなたがた。自国と他国、或は全世界。持ち論我々の欲望が小さな生き物に影響する事もある。つまり個人と個人、個人と集団、集団と個人、集団と集団。これらの中において、一方から他の一方へ加えた行為、そしてその行為からの個別の相互作用とその結果が現れる。力の相関図を見ると明確なのは、ある行為を行った者(達)と行為を受けた側の関係が存在する事。両者の内側での経済的な立ち位置や気持ちの持ち方等、何かが変化しその行為に因って両者が共に生きている土壌に或る影響を及ぼす結果となる。が両者に一切関係しない人(々)がこの土壌の上に居かつ影響を受けてしまう事も忘れてはなるまい。それがグローバル化で顕著に現れる。相互作用と言う用語を用いる事でこれを説明出来よう。
さてあの1986年から1991年までの不動産バブル経済の時にあなたは何をしていたのだろうか?それともまだ産まれていなかったのだろうか?その時期にひと儲けしてやろうと眼をギラギラにさせ血眼になって金儲けの話に飛びつき、あぶく銭で遊び回っていたのだろうか?そしてそれらの行為とバブルは何時かは弾けると言う事実、その帰結を予見していたのであろうか?そう、欲望の行き着く果てに待ち受けていたバブルの崩壊と、失われた20年の事を誰も反省も総括もしていないとは日本の不幸。不動産バブルが弾けた後、人を押し退け弱い者を押さえつけていた事を反省しなかったから、モラルや愛の或る社会に日本を戻す機会を逃したな。同じ事が今回の東日本核惨事にも言える。欲望のままに安全性と言う公益よりも、企業の利益を優先課題とし原子力発電を推進する行為をとって来た主謀者達(TEPCO、経済産業省等)、そして安全対策を軽んじていた故に津波に対する対策も先延ばしにして来た事により起こってしまった人災なのだが、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会、所謂国会事故調が纏め上げた報告書が核惨事を起こしてしまった事の反省を行っている位で、当の行為とその主謀者達は起こしてしまった事故を何ら反省していないのはどうしても不動産バブルを起こした面々の姿と重なってしまうのである。それでもこの不動産バブル期には日本の都市部の市民ほとんどがその恩恵にあやかった訳。海外旅行、高級ブランドの買い漁り、行楽地でのドンチャン騒ぎ。欲望のなすがまま美味しい思いと美味しい生活 。同じ構図が電気を使い放題使って原子力発電所は過疎地に押しつけ、美味しい生活をして来た都会の市民。美味しい生活は弱い誰かの出費或は犠牲によって賄われている事が見えないのか?先ほど説明した相互作用から、加害者と被害者の関係を通して不動産バブルを見ると、都市部に不動産を持つ者そしてその取り巻き vs. 地方に住む者と言う関係になろうか。一方2011年の核汚染において、加害者はTEPCO、その取り巻きと原発を過疎地に押し付けて来た東京都民。被害者はこの原発を過疎地に押し付けて来た東京都民と、東日本に住む住人の方々、更に放射性同位元素が混入した食品によって遺伝子を傷付けられてしまう、全国の子供達。相手の事を考えない、他人を押し退けて自分だけ利益を得ようとする欲望の行き着く果てに、未来永劫に渡り核汚染した故郷を我々の子孫に引き継がせてしまった訳。上から下までの「足るを知らない」人々の暴走の果ての終着に今の日本は行き着いているのだ。それでも皆まだ自分の欲望の行き着く果ての結末/帰結を反省しないまま今日に至っている訳。だから自分の欲望を満たしてくれそうな政党を支持するのでしょう?違いますか?
しかし今思えば不動産バブル期の欲望、喧噪は少なくとも人間性、ヒューマニティーが垣間見えたが今の時代の欲望喧噪は全く違うと思えるのである。バブルの時には日本と言う大きな入れ物の中で皆が皆、何かに向かって一心不乱に走っていた熱狂的な時代。打って変わって今の社会は死んだ様に静かである。喧噪はインターネット上に移り最終的に人々の心の中に入り込み、与えられたインターネット上の情報を忙しく咀嚼。好みの情報は飲み込み、嫌なものは吐き出す作業を絶え間なく行っているこの忙しさ。良い情報は「いいね」とすぐさま反応し、或は「いいね」を貰う為に見栄を張り、一方嫌いな情報なら攻撃、違った考え方を持つ人々を人格破壊する欲望には事欠かない。あなたはこの忙しい心の奴隷になってしまった。
さて、世界の国々の中で他人を押し退ける強欲さに満ちた人々や国々は事欠かないが、その点からすると何時から日本人がこの仲間入りをしたのだろうかと思う。金の話でもない。利権の話でもない。手短かに話そう。ケチとはお金を独り占めしておきたい人の総称。次に「お金」を「情報」に換えて下さい。特定の情報を出さない、共有出来ない。自分の保身と自分の強い立場を壊したくない故の情報の独占。お金の独占と同じ感覚で、自分の所有する情報にもケチなのである。これも強欲の一部なのだ。会社の組織運営の観点からすると社内情報/技術情報を組織内でシェアしない事はチームワークを重要視するなら御法度。同じ事が国の機関組織内や、主権を持つ日本の市民と国の諸処の機構の間でも言える訳。チームワークの協業関係に必要な潤滑油としての情報のシェアではなく、情報を上から下へと伝える習慣を造り上げ、流す内容もコントロールする独裁的手法。お金は誰のものか?持ち論稼いだ者に属する。国の運営に必要な情報は一体誰のものか?暫く前に成立した秘密保護法を見ればそれが誰なのか良く判る。
この章の後半として人が人らしく生きられる世界とは、を考えよう。或る社会、国家、そして地政学上に影響力を及ぼせる地域に、そこにある国々の国政を司る人々にどの様な事が要求されるかを一例を通して提示したい。何時の事だったか。クリントン氏が大統領時の1997年か1998年だったか定かではない。英語版週間紙Newsweekに週間ごと世界中で発せられた言葉のページ(確かQuoteとかだった気がします)に以下の言葉が記載されていた。ヨルダンのフセイン国王(現在の国王の父上)が米国ワシントンDCのキャンプデービッドで行われたイスラエルとパレスチナの平和交渉が決裂した時に当時のイスラエルのネタニヤフ首相にかけた言葉だ。すみません記憶が正しければ以下の通り: "What you need is Sir, the vision that Yitzhak Rabin had. Someday you may have it but today was the victory of terrorists and warmongers."訳すと、「閣下、あなたが必要なものはイツハク ラビンが持っていたビジョンなのです。いつの日かあなたはそのビジョンを備えるかもしれませんが、今日はテロリストや戦争愛好家達の勝利なのです。」残念ながら、今もフセイン国王が表現した事は改善されていない。御存知の方も多いと思うがラビン首相は1995年宗教的不寛容な勢力の一員(ユダヤ教原理主義者とでも言おうか)により暗殺されてしまった。その後を継いだのがシモン ペレス氏。その後一年も経ずにネタニヤフ氏が首相に就任。この首相は頭が切れて口達者で知られる。目の前の現実を戦術的に自分の国に有利に持って行く事も得意の様だ。フセイン国王はラビン氏が存命中、彼の眼の中に映る、恒久平和のビジョンを自分の命を顧みず実現しようとする意志を読み取ったのだろう。人間存在の意義と意味を問うヒューマニティーは人類に共通する、宗教を超えた心情なのである。そう、宗教がこの様なヒューマニティーやヒューマニズムと連動しこれを問う事、を忘れてしまったらそれは単にイデオロギーに堕すのだ。見よ、日本に於いて神道や仏教がイデオロギーに成り下がってしまった事実を。ユダヤ人であろうが日本人であろうが「原理主義者」の欲望を傍で見ていると選ばれし者達と言う感覚なのだろうか、他人がどうなろうと構わない、自分の信念を押し通す者達だと言う事が判る。神様仏様に許されたエゴなんてあるものかと思うが。此処に問おう。宗教が人間存在を抑圧して構わないのか?多分違うと考えたい。その宗教がイデオロギーに墜ちてしまった故にと願う。
これは、力を持つ民族(人々)が弱い立場である他民族(人々)を抑圧する事が人として、それがモラル、哲学、宗教等如何なる理由にせよ許されるのかと言う問いである。この立場は優生学と言えるかもしれない。この世界を共有しこの時代を共に分かち合う人間。そして生命の存在の意味の根源的な問いを自ら課し見えない答えを出そうと努力し続けて来たラビン首相。人はそれぞれの母よりこの世界に産み落とされ、この世界を目の当たりに日々生きながら、しかもこの世界を共有している筈ではないか?戦略的戦術的なスマートさを貫き通し、この国の人々の欲望のままそれを代表し権力を把握し続けてその地域の弱い者を抑圧し彼らの沈黙を強要する。相手と自分と、この世界をそして今の時代を彼らと共有していると言う感覚が国を導く人達の心の内に無いとどうなるかをあなたは思った事があるのか。残念ながら、その様な気持ち、モラルを持ち合わせていない人々がトップに立って、欲望の行き着くまま原理主義権威主義を振り廻し国政を行っても善政を敷く事は出来ないのである。この事は組織のスケールを小さくしても同じ。家庭の中でも学校の中でも同様当てはまる。人の中では欲望とモラル二者はバランス取りが難しい。何故なら相容れない2つの実体だからだ。
上記同様、欲望とモラルのバランスが取れず暴走してしまった過去の日本で、長い間反省されないまま今日に至っているもう一つ例を挙げよう。岩波ジュニア新書から発売されている今井和也著の「中学生の満州敗戦日記」[1]150ページから少し長いが引用させて頂く。七三一部隊とは満州国ハルビン市で運営されていた生物兵器の研究開発機関であった[2]:「『七三一部隊の深い闇』について、もう一度考えてみる。七三一部隊の施設の中では、生きたままの四肢切断•気管切開•弾丸摘出、ペスト•チフス•コレラ菌を感染させて死後解剖、腕を水に浸し全裸のまま立木にくくりつけて零下四0度の戸外に放置した凍傷実験、毒ガス吸入•血管に空気注射•血液をぬいた失血死•食事をあたえない餓死•感電死などの人体実験がおこなわれていたという。(行)読んでいるだけでも寒気がする様な残酷な実験のかずかずを、人命を救うこと、人の痛みをやわらげることを天職とする医者たちが、なぜ平然と実行できたのか。(行)これには二つの理由が考えられる。一つは『お国のため』という名目さえあればなんでも許されたという時代背景。もう一つは『自国民以外は人間ではない』という民族差別意識である。(行)『国家至上主義』と『民族差別主義』、この二つはいつの時代でも国際紛争を成立させる原理でもある。」人を殺す戦争とは最もヒューマニティーに欠ける行為なのです。尚私見だとお断りしておく。東京都武蔵村山市にある国立感染症研究所へエボラウィルスを輸入し研究するとの事である。[3]しかし現政権がひた走る日本の軍国主義化の下、生物兵器の開発に使われない保証は全く無い事を記しておく。
この章の最後にあたり: 自分の心が見える鏡があったら良いのに、と思います。今の自分の気持ちが何色なのか分るかもしれません。
参考文献等:
[1] "中学生の満州敗戦日記," 今井和也著, 岩波ジュニア新書
[2] "731部隊," ウィキペディア, https://ja.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%9A%8A
[3] "夏にもエボラウイルス搬入、専用施設稼働へ 感染症研," 日本経済新聞ウェブ, 2019年5月30日,
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45466750Q9A530C1CC1000/
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第7章 何処から、何処へ、何ゆえに
この表題の様な人間としてのモラルから派生する問いを投げかける事が出来る現代日本の政治家は殆ど居るまい。当たり前なのだが政治家がそれを言ったらキザなのだ。その判断をするのにはまず政治家の眼を見よ。そしてその眼光に人々に共通な気持ちが宿っているかどうかで判断して下さい。そして、言葉が軽い政治屋は内省が軽いかそれとも無い事を理解すべきなのである。この様な面々が国会に大きな顔をしてのさばってるから日本の人々の生活苦が一向に改善出来ないのである。前章と同様この章にて「喧噪と欲望」 vs. 「沈黙、内省とモラル」について考える。
国政を司る者達、政治家や官僚組織の各省の従業員達がどす黒い欲望に溢れ、強欲な人間達であったらその社会において子供達を含め、日本の一人一人がにこやかに又幸せな気持ちで明るく暮らせる様な政治が実現出来るのであろうか?否、断じて否だ。日本の市民の声が国政から無視され続けられ、人々は日々大変な思いをしながら生き残りに必死になって努力している事。世相が暗いのはこの様な行き詰まりの社会で前に進もうと暗闇の中を這っても、這っても明るい出口が見えないから。これは己の投票権を行使し強欲な面々を選んだ、或はこの政治的な表現の自由、即ち投票権を行使しなかった為に不遜で強欲な政治屋が低い支持率にも関わらず選ばれ、国政を取り仕切っている事の結果/帰結と言う事。その様な社会に今我々は生きている。
「欲望の行き着く果てに」自分の欲望のまま行為する人と「何処から、何処へ、何ゆえに」を己に問え続ける人において、その2つは真逆の性向なのである。身近な例として、天皇皇后両陛下(平成30年時点)の眼からは誰も欲望の「よ」の字も感じ取る事は出来ない。一方公務上での各地を訪問され続けていらっしゃられていたが、それぞれの場所でとった行為やそこで発した言葉の奥底には両陛下を突き動かしているお気持ちが読める筈。それは、権力欲にまみれた「原理主義者」達と政治屋が、静かにそして非常に長い期間をかけて国体の変革を希求し、変革に向けての法律を立法し、昭和の戦後の産みの苦しみの結果としての「平和」、を敵視し続けて駆け抜けて来た平成の時代を見れば判る事。表面上は静かだがこの激動の平成の時代の終わりにあたり、昭和と言う過去におこった出来事を背負ってこれを振り返り、未来を見据えながら、この日本は「何処から来て、何処へ行こうとしているのか、そして何ゆえに」との問いを発しているのを感じ取れるのは私だけだろうか。お気持ちを察すればおそらく両陛下はこの日本で、日本の憲法が改憲されてしまうのを目撃したくないと一番強く願っているのではと私は思うのである。
心の状態。何ら目新しい言葉ではない。心此処に有らず。それは心が落ち着いていないのである。あなたの心は"busy monster"になってしまったか?それともあなた自身が"busy monster"なのか?他方は、心此処にまします。心が鎮座している。この世界の中、私と私の心、あなたとあなたの心、私の家族、私の家族の内にある心、これらを自然と内省する生活。この投稿の後半を読み進む際、この今読んでいる段の内容を心に焼き付けておいて下さい。
処でこの章で表題に引用した言葉はドイツの精神分析家で哲学家のKarl Jaspers[1]が1964年にドイツのTVで講義した内容を本にした「哲学の学校」[2]と言う著作から取った。人は一体何処から来てそして何処へ行こうとしているのか。又何ゆえに?と言う問い。人間存在の意味又は意義とでも言えるか。Jaspersは精神病理学者、哲学者で第二次世界大戦後の西洋哲学に多大な影響を与えた人である。
さて、1945年7月16日に米国ニューメキシコ州にて行われた人類最初の核実験が行われ、1ヶ月も経たずに無垢の日本の市民の頭上に2回にわたり原子爆弾が投下され、核兵器開発の黎明期に既にこの兵器の使用が現実となってしまった歴史の事実。その後1952年に水素爆弾の核競争の時代に突入[3]した結果核の存在が蝕む人間存在の意義を非常に深く憂う時代が到達した。暫く後の1958年、人間存在の意味を問うJaspersが"The atom bomb and the future of man"[4]を出版した。東ヨーロッパと背後に控えるソビエト連邦と対峙する核の前線西ドイツにおける市民生活の中、何時核戦争が始まるのか不安に囚われた息苦しさを予見するしかし明かりへの道筋を示す本である。その本の序文の中で"An altogether novel situation has been created by the atom bomb. Either all mankind will physically perish or there will be a change in the moral-political condition of man. This book is an attempt to clarify what strikes us as a choice between two fantasies."日本語訳すると、「目新しい事態が一挙に原子爆弾により創られてしまった。全人類が物理的に死滅するか、人間の中のモラルと政治の関係に変化がおこるかのどちらかになるだろう。この本は、この空想的である二つの状況への選択が、私達の心に何を突きつけるのかを明らかにしようと試みる本なのである。」
非常に大事な問いだ。予見に基づいた行動が出来るかどうか。何もしないで人間が滅ぶのを選ぶか、手探りながらも明かり(希望、生存)の方へ這い出て行くのか。この問題は他人事ではない。人類の持続的な生存の可/不可が問われている訳。これは人々のモラルが政治を動かし核兵器を廃絶出来るか。残念ながら現在もこの作業中であるが。だが人類を取り巻く問題は核兵器だけではない。環境問題もしかり。更に裏カバーで以下この本を紹介しているコメントがある:"... Our hope, Jaspers believes, lies in the possibility that fear of nuclear warfare will pervade the individual consciousness and grow into a new ethos, a moral force in history, that could create a politics adequate to the threat of extinction...."日本語訳は、「Jaspersが信じる処によると、核戦争の恐れが個々人の意識の中に浸透しこれが新たな'ethos'『風潮』として育ち、歴史上のモラルの力となり、絶滅の脅威に対する適切な政治を産み出す可能性、の中に我々の希望がある。」
このコメントは息詰まる悪意に満ちた社会や国家群が上記書籍発刊41年後の1989年のベルリンの壁の崩壊の後消滅させられてしまった原動力、モラルの力を思い浮かべさせてくれる。メルケル元首相の気持ちがここから読める感じである。尚'ethos'の日本語訳は:「信念や向上心の中に現れている文化、時代、又は地域の特徴的な精神。同義語:精神、キャラクター、雰囲気、風潮、ムード、気持ち、進路、エッセンス、気質、道理をわきまえた、道徳、道徳的なおきて、価値観のシステム、原則、基準、倫理」。私はこれを社会の雰囲気、風潮或は皆の心の状態と解釈している。
この章の最後にあたり: 悪意に満ちた希望の持てない今の日本の社会の風潮(ethos)である。日本は一体これから何処へ行こうとしているのか?その問いの答えを予見する人々が、邪悪な欲望だらけの風潮に対抗する新たな、つまり心と心が集まって、人々のモラルを集合体化しモラルのある風潮を産み出して行かなければならない時代となったのは確実である。もしあなたが経済的に社会的につらい思いに堪え、その結果「喧噪と欲望」を日々選択せざるおえないとしたのなら、そこからまず一歩足を踏み出してみようではないか。それには少し時間がかかるかもしれない。でもあなたを含め人々の歩みだした先には希望が待っている。
参考文献等:
[1] "カール ヤスパース," ウィキペディア,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B9
[2] "カール・ヤスパース、『哲学の学校』 (No.760 10/07/01)," ミネルバのフクロウ,
https://weltgeist.exblog.jp/11445450/
[3] "核兵器の歴史," ウィキペディアより、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B8%E5%85%B5%E5%99%A8%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
[4] "The atom bomb and the future of man," Karl Jaspers, 1961年 The University of Chicago
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第8章 そして全てが逆行する社会へ
兎に角劇的に変ってしまったのである。それは2011年の東日本の核惨事以降日本が、そして日本の制度の構造が見えない所で。官邸主導の下、無責任と言う特権の保証のお墨付きが貰える様に政府与党に寄り添う行政府の従業員。特に国の死法行政立法の三権の機関で働く人々は留めも知らぬ程狡く(ズルく)なってしまった様である。嘘、隠蔽と強欲と無責任がタッグを組んでいるではないか。その様な人々が国政を動かしている。前章「何処から、何処へ、何ゆえに」で説明したEthos(世の中の風潮)から見ると人々が作り出す風潮にスピリッツ、活力が無くなってしまった。それは原理主義の司令塔がそれを上回る勢いで自分達の原理に有利になる様に世の中の風潮を変質させてしまったから。世の中に悪意が満ちて来て、悪貨が良貨を駆逐する如くに人々の心の中から善を司るスピリッツを駆逐しまったのである。国政を動かしている人々を見よ。悪臭プンプンではないか?真に以ておぞましい。
そして今日本の市民がお互いにコミュニケーションする事を忘れてしまったのである。他人を押し退けても気にしなくなってきたのであろう。人をいとも簡単にネット上で攻撃する様になってしまった。また会社の若い方々にEmailを出しても返信は来ない、なんと言ってもコミュニケーションが出来ないのである。発言もしない、出来ない。更に悪い事に、会社では誰も物事の責任を取ろうとしない。投げやりなのだ。無責任、無関心、無気力と三無主義なんて言っていた時代があったがそれより遥かに劣悪になっている。何だこれは?人口の減少を抜きにしてもこれでは国力が落ちる訳だ。大人がおかしくなったのか、男がおかしくなったのか、それとも俺がおかしいのか?もしかしたらこれが日本会議が理想とする、大人しい羊が占める「均質な社会」なのか。
ところで皆さん既に御存知だと思う。権力を持つ者達は人の心を操作するすべを心得ている。更に人の心のその先にある世相、風習、習慣、群衆行動さえも毎日の人々のマニピュレーション(操り)の積み重ねで、自分達が操作する事も可能となってしまった。今「彼ら」は自分達の目標、国体の変革に向かって真っしぐらなのだ。現政権の失政にも関わらず、政権運営に妙に自信があるのはインターネット上のコンピュータや携帯電話の所謂「IPアドレス」を用いる事によりどこの地域の誰それが、どの家庭が世論誘導の為に設けたウェブにどの位の頻度でどれだけの時間を割いているのかの群衆行動のパターンの分析データが有るからなのだろう。政権交代は無いと言う確信。世論操作も簡単に行える訳。何と言う息苦しい世の中なのでしょう。
そもそも、行政府が嘘を言っても情報を隠しても誰からも罰則は受けないのが不思議なのである。更に考えてみると第三者機関が、行政府及びそれぞれの省組織の失敗を分析し、その原因を見つけ出し、そして大失敗を犯してしまった場合責任を取らせる様に指導する仕組みが無い。このやりたい放題の行政府の無責任の仕組みが監視出来き、改善命令を出せる組織が必要なのである。その様な世の中だ。この章の題目は言い換えれば社会全般に影響が出る様な嘘をつく事に罰が伴わず、真実も何も全く価値がない「息詰まる社会へ」と言えるか。では群衆行動と言うカテゴリの立場から「逆行する社会」を眺めて見る。
週刊誌等のマスコミやネットの住人が右翼がどうした、左翼がどうしたとか反日だとか議論している。何をボケた事を言っているのか?思いっきり時代錯誤であると思う。もっと高い所に立ち、この世界とこの時代を鳥瞰したら如何か。 今日本は強権体制に突き進んでいる訳で、右翼的独裁だろうが左翼的独裁だろうが代りはない。今表現の自由だとか、法の下の平等だとかの人権を制限する強権体制を選択するか、劣化したとはいえ少なくとも70年は保っている民主主義体制を維持するかの分水嶺に今自分達が立っているのを認識理解しているのであろうか?
日本の外側に見える人類を取り巻く環境即ち人口爆発、戦争、核兵器や核汚染、灼熱地獄の様を呈して来た地球の温暖化、オゾンホール、この地球上から緑が失われた事や人口爆発により生ずる水不足からの飢饉、海水の温度上昇による魚類海洋性ほ乳類への絶大なる影響、プラスチック片による広範囲な海洋汚染等、これらは生命の滅亡を連想させる。大局を見れば遥かにシビアな問題が今日本を取り巻いているのだ。EUで太陽光や風力発電そして再生可能な電力を用いて充電した電気自動車(即ちよりクリーンな車)が産業として盛んなのは政治家が人類の行く末の事を予見し今何を行なわなければならないかを政策に反映させたに過ぎない。一方日本はことごとく真逆の事を政策として採っている訳。自然エネルギーの推進よりも懲りずに原子力推進を行い、その発電に伴って発生した廃熱を海に放出し太平洋の海水を暖めた事が地球の温暖化の一部となった事。又CO2の排出規制も積極的に行なわない事からして地球温暖化の対策に逃げ腰なのが判る。私自身、子供の頃からの経験と今の気候の状態を比較して見ると日本の気候がかなりのスピードで変って来ているのを実感するのだ。何故グローバルな問題に積極的にアクションをとらないのか?何故この様な何もしない事がおこるのか?それは内閣府と政権、その後ろに控える原理主義の司令塔とそのインナーサークル内にテクノクラート、理系のメンタリティー、マインドを持った人々が全くいないからと解釈する。だから人類が直面する問題を捉える事が出来ない訳。問題へのアプローチと解決に至るには最初に科学的に問題を捉える事理解する事が前提なのである。例えばさる8月6日(2018年)の広島市での原爆の日、平和記念式典で首相が口先だけの大衆受けする核廃絶に言及した一方、自民主党を乗っ取っている原理主義集団の教義に従って核兵器禁止条約への不参加と言う、この矛盾した意思表示を見れば日本の政権と政府が世界の他の先進国と、直面しているグローバルな地球上の課題に対する問題意識を共有さえしていないのは明白だ。2018年6月のG7の中での日本の存在感を見ればこれが判るだろう。山積みする問題を米国以外のG5諸国とも共有もしない日本のトップの意識のレベルの低さを実感させる。つい先週2019年6月28日と29日に大阪で行われたG20においても世界情勢を客観的に捉えられない故、国際的なリーダーシップを全く発揮出来ない日本の政権の実情を世界中に曝け出してしまった。
何故そうなってしまったのか?具体的な例を幾つか挙げよう。私は多分以下の理由からなのであろうかと思っている。それは、理系のメンタリティの欠如だけではないのである。あなたには圧等的多数の人が或る事を信じようとしない思考様式や習慣が、理系の思考を持つあなたにとってどうして人々は頑迷なのだろうかと暗い気持ちにさせてしまう息の詰まる社会状況を考えた事があるのだろうか。想像力を働かせてみよう。あなたがアメリカ南部の州に住んでいるとしよう。その地域は信心深い人々が非常に多いと聞く。そしてそこの州立の理系の大学に通っているとしよう。だが公立の中学高校ではダーウィンの進化論を教わらずに大学に入学。圧倒的な数で周りの学生達は熱心なキリスト教徒。神様が地球と人間を一週間で創造したと信じている。大学では分子生物学でDNAに関連する講義も受けているが、なんだ、この社会を被う息苦しさは!そうなのだ。科学の一部である進化論に対する無言の圧力、同調圧力が底流にある社会なのである。孤立し落ち込み、暗澹たる気持ちになってしまうだろう。理系の人間にとってそれは真っ暗な社会に住んでいる息苦しさである。そう、進化論も地球の温暖化も信じない社会風潮である。何故そうなるか、その理由とは知的な多様性が容認されない宗教やイデオロギー(或は社会風潮)下の社会にいると言う事である。この社会状況を世俗主義の反対語の教権主義と言う。因に世俗主義とはウィキペディアより[1]:
■ 国家の政権・政策や政府機関が、特定の宗教権威・権力(教権)に支配・左右されず、それから独立した世俗権力(俗権)とその原則によって支配されていなければならないと言う主張・立場。或は宗教に特権的地位や財政上の優遇を与えないこと。政教分離原則...
■ 個人が宗教的規則や宗教教育から自由でいる権利、支配者による宗教の強制からの自由。信教の自由
■ 人の行動や決断が(宗教の影響を受けていない)事実や証拠に基づいてなされるべきだという主張
日本は政治と教育において日本会議と言う勢力が唱える教権主義的な考え方が、大きな潮流となって皆が知らない間にこの日本の社会文化の中に浸透しつつある訳。例えば考え方、生き方、生活のスタイル等個人の選択の自由とでも言える人々の多様性を批判する国会議員も大きな顔をしているではないか。現代の世界中の民主主義社会では、他人の意見とは違っていても自分の意見は尊重されると言う暗黙の了解があるのである。別の言葉にすれば、自分の意見は他の人と違って当然。つまりその様な立場からすると、他の人と同じ事を真似する、他の人のアイデアを無断で流用する事、即ち掠めとる事はタブーと教育現場では教えている訳。つまり原理主義集団の教権を深く静かにこの社会に浸透さながらスムーズに強権へと移行するタイミングを見計らっているのである。これは日本の衰退の根本原因の一つだと私は思っている。その結果日常の風習の色がそして世相が大きく変化してしまった訳。昨今政治家と政治を操作し、宗教人を操作し、経済人を操作し、日本の市民をオペレータにおとしめて操作(マニュピューション)し個人の自由と個性を抑圧するソフトパワーの仕組みを作り上げ、日本に住む人全員が自分の欲望のなすがまま行動する様に仕向け、悪に対し盲目で居続けさせる仕組み。日本社会においては同調圧力により、知的な多様性が容認されない社会となってしまった。知識人、科学者、技術者達が自由に発言する事を自制(或は発言出来ないオバカ達)してしまった結果、言論の自由学問の自由もない一つの単色(暗黒)に染まった戦前の昭和の様な社会へと変質しつつある日本なのである。
知的な多様性が容認されない雰囲気が醸し出す社会に住むとはどう言う事なのか具体例をもう一つ挙げよう。イデオロギーを重んずる、理系のメンタリティーもない人々が操る政権がメディアを使って作り出す世間及び社会の風習風潮の影響が多大な社会での出来事である。改めて言いたい。理系のメンタリティーを持つ人間としては福島第一原発の事故によって放出された大量の放射性同位元素の生態系への影響をどうしても軽んずる事は出来ない。この原理主義を信奉する政権の方々は上記「人の行動や決断が(宗教の影響を受けていない)事実や証拠に基づいてなされるべきだという主張」の様な世俗の考え方を持たない故に科学を軽んじ、政策立案しているのではと考えられよう。その様な考え方の下核汚染した食べ物を国で規制する事もなく、人工放射性同位元素が生体の細胞に及ぼす影響の知識を持ち合わせていない圧倒的多数の日本の人々に、食べても問題なし!と政府の広報車のマスメディアを用い宣伝している。理系の人間だったら発狂してしまわないのかと思われる程、東日本の核汚染問題と核汚染食品問題を科学的に捉えようとしない日本の上から下までの人々の頑迷さである。人々に言わせれば「国はその様な事(核汚染した食品摂取の人体に対する影響)は言っていないから」だそうだ。「政府は嘘をつく」或は「政府は本当の事は言わない」のは世界のかなりの数の国々では常識なのだがどうやら日本ではこの常識はまだ受け入れられていない。特に理系の官僚諸氏や学者諸氏にはこの様な社会通念のレベルの低さでよく心の歯車が壊れてしまわないのかと小生は感心してしまう。
それでは群衆行動学とは全く関係ない出来事に話題をかえよう。先日EUで法律として施行されたGeneral Data Protection Regulation (GDPR)の内容をかいつまんで勉強する機会があった。一言で世界中の企業が欲しがるEU市民の、プライバシーに属する情報の収集の制限と取り扱いの範囲である。非常に高い理念の下、市民のプライバシーの権利を広範囲に認めている。この法律に違反した企業は年間利益の少なからずの部分に相当する罰金を払わなければならない。個人が忘れ去られる権利。個人が企業に要求すればその会社が所有するその人の個人情報をその人に提出しなければならない。個人情報は必要なくなったら破棄しなければならない。等々。[2] プライバシーもおかまいなく個人情報を継続し収集、蓄え込むGoogle,Facebook,Apple,Amazon等の多国籍企業が狙い撃ちされている様な感じである。その内容はさておき、この様な法律を立案しそして施行するその実行力。EUと言う連邦国家が如何にその市民を守るのか、市民の事を考えて政治を行っているかをまざまざと見せつけてくれる。素晴らしい国家群だ。つまり個人の自由は最大限に尊重されなければならない。一方企業の自由には在る程度の制限が加えられなければならないと言う立場。全てが逆行する日本の政治と、国際的な常識が通用しない島国根性の政治屋の面々。その結果命を粗末に駒として扱っても平気な「美しい国」となってしまった。大政奉還で欧米の仲間入りに向けた独自の体制の構築を目指し、明治大正、昭和の1/3を経てその体制が74年前に終焉。戦後米国の「押しつけ民主主義」からの脱却をゴールとする日本で今行われている政治、それは日本の市民の事など微塵も考えず、明治大正昭和で育てた自前の体制の復興に全ての力を注ぐ。アジアではまだ辛うじて一流の国かもしれない。しかしこの世界を被う生命の存続の脅威の事を全く考えない、世界の政治趨勢に逆行する近視眼的で時代錯誤の政治を眺めると残念ながら日本は他国からも尊敬されない三流国に落ちてしまった。
この章の最後にあたり: 真実が隠される時代。皆嘘つきだ!
参考文献等:
[1] "世俗主義," ウィキペディア, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E4%BF%97%E4%B8%BB%E7%BE%A9
[2] "EU一般データ保護規則," ウィキペディア,
https://ja.wikipedia.org/wiki/EU%E4%B8%80%E8%88%AC%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E8%A6%8F%E5%89%87
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第9章 日本が一流国から転落してしまった原因とその習慣の結果おこってしまった不幸な一つの出来事
学生時代に良く話を聞きに行った研究室の教官がふと漏らした言葉が今でも忘れられない。それは: あなたが、或る夜に満月を眺めていたとしよう。その時にあなたの頭の中はまっさらな状態であった。程なく眺めていた月が少しずつ暗くなって来た事が判った。何か、月の格好が奇妙に変化して来たと感じる。不思議である。暫くの間、あなたは何が起っているのか判らない状態であった。よくよく月を見ると少し欠けているではないか。
そして非常に大きな電気的ショックが頭の中を横切る。
言葉抜きでその出来事を見たのである。ありのままの自然現象を目撃した訳。言葉のフィルターを通さずにこの様なこの世界の出来事、ものごとを見る事は今まで経験した事が無い。それが一番目のショック。二番目のショックは言葉を通してものごとを見るよりも、その神々しい現象に自分がより近づいている状態で「それ」が見える、もう一つ上のレベルの認識が存在する事実を覚醒した事。
言葉にするにはちょっと難があるが、あなたも「現象としての月が欠ける事」と「月食」と言う言葉を頭の中に入れてこの出来事を比べてどれだけ違いがあるのかを考えてみて下さい。
名詞としての言葉を用いこの出来事を見た場合には、皆既月食が何月何日にありますと頭の中にその情報が既に刷り込まれて、「それ」が始まる5分前になって外に出て月を眺め天体ショーを楽しむ事になるのである。一方予め頭の中に出来上がってしまったイメージで眼の前の現象を見てしまう場合と比べ、眼の前の出来事を、頭の中の回路を通さずに(既知でない)目で見る、目撃する場合。それは即ち神秘的なこの世界の出来事を知覚を通し目撃 vs. 月食と言う言葉でこの現象を見る事と言い表せる。ここで例を挙げよう。プロフェッショナルな世界では、眼の前のものごとと向き合う時にフィルターを通さない即ち極力言葉をそぎ落として現象に、出来事に迫って行くアプローチをとっているのです。つまりものごとの本質を突き詰めて行くにはこの様にしなければならないのです。例えるとしたら内科医が患者さんが抱える体の問題に対するアプローチに似ています。患者の体の症状を色々な手立てで観察しそれを元にその人が語る体の症状により体の中で何が正常で無くなっているか、機能し難くなっているのか等を判断する。そしてその症状を分類された病名にあてはめる訳。病名、病理判断の前にそれだけの手順を踏んでいる訳。患者の体に全く触れないで患者の言う事に耳を傾けて診断するアプローチを採るのが薮。(でも考えると「満月」って言うのは一つの「それ」なんですね。)この二者のものの捉え方のアプローチが社会的に産み出す結果は大きな差があるのだ。
まず頭の中のフィルターを取り除き、つまり頭の中の言葉と知識を通さずに眼の前の出来事を見てそれを認識すると言う事が最初のステップ。これは単にものごとの本質を頭の言語領域を使わず認識、見る、理解し頭の中に写真のフィルムの映像の様にすり込むと言えましょう。つまり言葉に表す前に知覚を用い「それ」を見る訳。そして次に初めて「それ」を言葉を使って自分の頭の中の知識の領域に固定する或は頭の中の他の情報と照らし合わせる、等の作業を行うと言う手順。眼から言葉知識先入観等の鱗を取払い眼の前の出来事にアプローチする事。それがものごとの本質的、そして客観的な見方。この立場は英語で言うと"perceive."既に用いたが日本語で「知覚」と言う言葉で表せよう。即ち「知覚」を用い「それ」を見る事である。何故この様にするのか、しなければならないのか?理由は簡単である。言葉以前に物理現象、ものごとや社会現象の方が先立って存在する事。そして言葉を超えて存在する「それ」に畏怖の念を持って接しなければならないのである。尚話は横道に逸れるが次の章では言葉を超えて存在する「生命」の事を述べたい。
❶「知覚の不在」
この知覚を用いたものの捉え方は現象、ものごとがまず先立ち、その後言葉が追いかけて来ると言う手順。それが我々が生きているこの世界の出来事に対する認識の基本であり、かつサイエンスの世界での常識。一方実体を眺める時それを表す名詞、言葉がまず先立ち一人歩きし、現象やものごとの本質的な部分への理解が置いてきぼりにされてしまう習慣が我々の中に有る。言葉を振り廻すだけの判断停止状態。平たく言えば、その名前だけ知っていて中身を知らないと言う人間に満ちた社会。更に、悪く言えば知ったかぶり。これは日本社会を覆う最も巨大な弱点である。そして「知覚の不在」は日本が一流国から転落してしまった主原因なのである。これを補強するそのほかの3つの原因は後ほど述べる。これは上から下まで日本の殆どの人が陥っていている、ものごとに対する判断形式とその習慣。これが長年に渡り積み重ねられて来た。言葉の後ろに隠されているものごとを見ようとする習慣が無い。凄まじいばかりの知力の低下である。これでは日本が三流国に落ちるのは必然と思う。言葉と言うものは言葉の内容を理解しなくても使える。この在り様が溢れ返っている時代である。更に「その」中身を知らなければ自分の中の確固たる「それ」に対する意見は生じない。それ故に同調圧力で自分の考えがコロッと変ってしまう。
さて上記の知覚を通してものごとを見ると言う習慣が無くなってしまった事からおこってしまった不幸な事をこれからお話しよう。大事な事を書いたつもりです。度々御免なさい、又3.11の話になります。少し辛抱して最後まで読んで頂けますでしょうか?題目としては「津波」と呼ばれるものごと。
米国にIEEEと呼ばれるエンジニアの組織がある。IEEEは会員エンジニアに論文集や、電気電子業界絡みの読み物を提供している。彼らの月刊誌の"IEEE SPECTRUM"と言うと薄手の読み物に今回の福島の原子力発電所でおこったメルトダウン事故に関して何人かのスタッフが記事を書いている。その中で、ピカ一の記事があった。2011年11月11日号の記事、"24 Hours at Fukushima"[1]である。この記事の中に一番最初に載っている写真がある。かわいい女の子がマスクを半掛けして、体に付着しているであろう放射性物質の測定をされている写真である。胸が痛む。
この"24 Hours at Fukushima"の著者Eliza Stricklandと言う方は福島の原子力発電所のメルトダウン事故に関する記事を"Spectrum"に6回投稿している。この記事[1]の一番最後の所に"Spectrum"から出されている福島の事故に関連した記事が載っているので参照して見て下さい。これらの記事に載っている写真はまだ日本で公開されていない物が含まれている様だ。彼女は「原子力」の本質を良く理解しているプロフェッショナルだ。この記事は日本の原子力村の常識が世界の水準に達していなかった事実を世界中のエンジニア達に曝け出した。以下この"24 Hours at Fukushima"で彼女から今回の原子力災害のレッスンが提案されている。以下その6つのレッスンは後だしジャンケンのきらいはあるが非常に説得力のある助言である:
Lesson 1: Emergency generators should be installed at high elevations or in watertight chambers.
Lesson 2: If a cooling system is intended to operate without power, make sure all of its parts can be manipulated without power.
Lessen 3: Keep power trucks on or very close to the power plant site.
Lesson 4: Install independent and secure battery systems to power crucial instruments during emergencies.
Lesson 5: Ensure that catalytic hydrogen recombiners (power-free devices that turn dangerous hydrogen gas back into steam) are positioned at the tops of reactor buildings where gas would most likely collect.
Lesson 6: Install power-free filters on vent lines to remove radioactive materials and allow for venting that won't harm nearby residents.
[日本語訳]
レッスン 1:非常用発電装置は高い場所に、或は防水された部屋に設置せよ
レッスン 2:冷却装置が電源無しで動作する様になっているのなら、全ての部品が電源無しで操れる事を確証すべし
レッスン 3:電源車両を発電所の極めて近い所に配置すべし
レッスン 4:緊急時に電力が必須な装置に、独立した堅牢なバッテリーのシステムを設置せよ
レッスン 5:触媒を用いた水素再結合機(非常に危険な水素ガスを水蒸気に戻す電源不要な装置)は水素ガスが最も収集し易い原子炉舘屋の最上部に設置されている事を確証すべし
レッスン 6:ベント用の配管に電源が不要な放射性物質の除去フィルターを設置し、周辺住民に害を与えずにベント出来る様にすべし
その中のレッスン3が守られていたのならと悔やまれる。何故か?以下TEPCOの資料[2]の17ページより引用させて頂く:「
・ 緊急時対策本部のTV会議システムを通じて,福島第一原子力発電所(以下,「発電所」)の電源が津波によって喪失したとの情報が入ったことから,本店原子力部門は本店配電部門に対して電源車の派遣を要請。11日16:10,本店配電部門から全店に対して,高圧電源車・低圧電源車の確保と発電所への
移動経路の確認が指示され,16:50頃,全店の電源車が福島に向け順次出発
した。
・ 11日16:30頃,本店対策本部から他電力へ電源車の救援を要請。18:15頃,東北電力の高圧電源車
3台が発電所に向かっていることを確認。」
一方ウォール ストリート ジャーナル日本語版ではその後どうなったかを記述している[3]:
「午後11時頃、最初の発電用トラックが到着した。東京の首相官邸では歓声が上がった。
だが、喜ぶのはまだ早かった。発電所の損傷したメインスイッチに、発電機をつなぐことができなかったのだ。ケーブルの一部が短すぎて、発電所の別の部分まで届かなかった。津波警報も発せられ、作業員は高台に避難しなければならなかった。最初の24時間のうちに接続できた発電機はわずか1台だったことを、東電の資料が示している。」
地震で電源が遮断された真っ暗な2つのコントロールルームの中全ての方々が東京電力福島第一原子力発電所吉田所長の指揮の下原子炉のメルトダウンを防ぐべくそれこそ命を投げ捨てて懸命な作業を行っていたのである。彼ら英雄達に心より感謝し又、吉田所長のご冥福をお祈りしたい。そして現在懸命に福一で作業されている方々に心から御礼を申し上げたい。
さて、これは手元に消化器が無い家が火事になって隣に消化器を借りに行っている間、あれよあれよと延焼してしまった例に例えられる。これは明らかな職務怠慢。非常用電源車を発電施設のすぐ傍に配置しなかった危機管理手法の不在。これが対策されていれば多分3号炉と4号炉は救えたのではないかと思える。明らかにTEPCOの怠慢による業務上過失の罪に問われよう。特にレッスン6の対策が成されていたならベントを周辺住民の避難が終わるまで待つ事無く行えた可能性があり核汚染の事態が少しは好転できたかもしれない。既に結審し(2019年夏の時点)もう直ぐ判決を迎える「東京電力の旧経営陣3人が福島第一原発の事故を防げなかったとして検察審査会の決議によって強制的に起訴された裁判」[4]の記事を見ると「津波の予見」の能力の問題に議論が集約されるだけでEliza Strickland女史が指摘している様な設計上の問題点を改善する事無く(例えば上記「レッスン 1:非常用発電装置は高い場所に、或は防水された部屋に設置せよ」にある防水施行を施す様な努力を怠った)且つ、非常用電源車の配置の様に基本中の基本がないがしろにされていた事実さえも裁判の論点とならない事。この記事はしっかり書かれて居り、[4]は読む価値が有る。Web上での記事の「詳しくはこちら」を選択して全文読んでみる事を推奨する。国際的な視野からするとこの国の最高峰の機関、三権の一つの死法府で行われている検殺側とTEPCOの弁護側の議論がカバーするスケールの小ささと、かって時価総額日本一を誇っていた素晴らしい会社の経営陣が運営上実行、実践していた事の内容の程度の低さ、を暴露してしまう記事である。この様な国の根幹としての電力企業の運営上の厳密な手順等に関わる非常に重要な裁判なのだが、この裁判で双方原告側と被告側が議論する内容だけ見ても、何と言う日本の知性の低下だろうか、と驚嘆せざるを得えないのである。この国では人々のLiteracy即ち文字が読めて判る識字率は非常に高いが、人々の知力は惨めな状態である。つまりTEPCOに対するJusticeと言う視点から全く外れた裁判と言う儀式をやっていたのに過ぎないのである。処で、個人的に思うのだがこの日本で6つの条件を全て満たす再稼働中の原子力発電所はあるのだろうか?
話はガラリと変る。以下のウェブを御存知の方は少しはいらっしゃるかと思います。米国にある"Cryptome"のウェブで2011.3.11から4年弱の間の継続した福一の現場の写真が閲覧出来る。[5]よく集めたものだと関心する。TEPCOのウェブからとって来たものが多いと思う。しかしその真実を知りたいと言う原動力は科学者が持つ様な真実に対しての飽く無き追及心からではと思う。その中で、3.11事故間もない時に日本の会社が撮影した上空からの事故現場の写真が2011年3月24日からその撮影会社[6]のウェブから閲覧できる様になっていた。しかしこれらオリジナルの写真はものの二、三日で削除されてしまった。何処からか圧力が掛かったのだろう。体の良い検閲である。その後Cryptomeが4月2日から同じ写真を同ウェブに掲載している。これらの写真[7]を見るとたとえ単独でも絶対に起こってはならない原子炉の溶融事故が3つの炉でほぼ同時に、又核燃料プールの爆発破損が1カ所、平行しておこっていた多重事故、と知覚で理解できるのだが。皆さん、CryptomeといいIEEEといい海外のメディアからの客観性のある情報と比較して何故日本の社会の中ではものごとを客観的に見れないのかを自問された事が有りますか?
❷「真実の隠蔽」
さてこれから述べる❷❸と❹は「知覚の不在」を補うかの様に日本の社会で行われている習慣である。
おこってしまった核汚染の現状を直視しない事が何故出来るのか?おきてしまった事は既に其処にあるのである。それらを隠し通してどうするのか?そうする事で誰にメリットが生ずるのか?やれやれ、この世界のありのままの姿さえも無視する脳内完結しているオバカ達。真実を隠す事で問題解決が遠のいてしまうのが判らない、絶対に今回の核汚染事故の責任を取りたくない原子力マフィア。当事者で無いと言えばそれまでだが、何故IEEEやCryptomeの様な海外メディアがこの様な写真を持っていてそれらを開示しているのか。その一方で当事者の日本の行政府が何故進んでこれらの核惨事の事故写真を開示しないのか?それは何故かと言うと、おこってしまった事を知覚を通して見れない上に、行政府はTEPCOの原子力発電時事業における業務の監督を行い、怠慢が無いかどうかを監視する義務があった訳だがそれを放棄していた事でTEPCOが世界を震撼させる核汚染事故を起こしてしまった訳。その責任を取りたくないのだ。
前半で述べたが「言葉の後ろに隠されているものごとを見ようとする習慣が無い」事を人々に継続させるのが為政者にとって重要なのだ。言葉でものごとをラベル化し、「知覚の不在」を実行し、言葉だけが一人歩きする様にその本質を隠す事がまず第一。更にその本質を物理的に隠す為に「真実の隠蔽」を行う訳。知覚を用いものごとと対峙する事と言葉を用いてものごとと対峙する事の関係においては主従関係が逆転しているのである。そして原子炉メルトダウンをおこしてしまったTEPCOや行政府の関係当事者は隠蔽された真実がそのまま表に出て来ないで闇の中へと消え去るまで時が過ぎるのを待っているのである。判るだろうか。この手の病が権力中枢に巣食っている。何やらサーカスのショーの様にあの手この手を使ってTV、新聞インターネットで本当は取りに足らない事を大々的に報道し本当に大事な事には目くらましさせるプロパガンダ。このやり方が顕著になりつつある昨今である。何やら既に起きてしまった核汚染と言う事が、「通常」の状態になってしまう恐ろしいまでの市民に対するマインドコントロールである。何処かの独裁国家よりもスマートに市民を洗脳している。
❸「ロジックの不在」
まだ続きます。日本の原子力マフィアよ、原子力村の村人よ。君たちここで何が足らないか判っていないのか??或るものごとを判断する際には厳密、厳格なロジックが必要なんだよ!!お前ら判断停止していたんじゃないか!!
あなたは凄まじいばかりの海水が押し寄せて来る出来事を直接目撃、或はTVやYoutubを通して見て来た筈だ。目の前の出来事を心を通して見ていたと思う。あなたは見た、目撃した「それ」を「津波」と十把一絡げにして表現出来ない事は判っている筈だ。
大事な事は世の中に氾濫する名詞、言葉の後ろに隠されているものごとを見れるか、見る習慣があるかどうか。津波と言う名詞から「それ」をイメージ出来る言葉に分解してより原初的な言葉に置き換える事をやってみたら良い。あなたの眼の前の出来事は"津波と言う現象"と言う言葉で言い表すよりも更に心に深く刻まれた"現象としての押し寄せて来る膨大な量の海水"を目撃体験したのだ。あの空恐ろしいまでの海水の量を直接観た人々は、言葉を用いて物事にアプローチするより目の前の出来事をそのまま、言葉と知識と言うフィルター抜きで受け入れているのがお判りいただけるだろうか?また"地震"をマグニチュード幾つの地震と思わず、"現象としての大地が揺れる事"と知覚で捉る様に試みて下さい。同じ解釈を採りますと、3.11以降の放射能汚染事故を"現象としての原子炉の爆発"の結果と言うもっと簡単な表現で知覚する事が出来る。これを押し寄せる濁流や大地が大揺れする事と重ね合わせて見て下さい。人間の小ささが判るでしょうし、原子炉即ち機械なんて押し寄せる濁流や大地が大揺れする事で壊れるものだと納得します。其処からが出発点。イマジネーションを働かせてああなったらこうなる等、論理的な道筋出しを行う事、即ちロジックを用いる事が必要なのである。自然界ではおこる事はおこるのである。全方位の要素を鑑み、その対策を行うのが当たり前じゃないか?おこらないと思っているのは人間側の都合である。だから「押し寄せて来る膨大な量の海水」に対する対策を行わなければと言うロジックは必要が無い、と都合の良い解釈に陥る。何故なら脳内完結している状態で原子力発電は安全だと思い込んで来ていたから。おこってしまいそうな事を「津波」と言う言葉で見てしまい「それ」を知覚で見ないから、ロジックを用い「それ」を思考の上対処する危機管理が出来ない訳。でも皆さん何時もTVを見てたらロジックなんて自分の中に育つ訳ないよね。でもね、言葉の世界からこの世界を見ると平面的、頭の中で完結しているのです。まずTVを消してみて下さい。言葉を用いずにこの世界を見ると何と奥が深いのだろうか...当たり前だ。頭の外に存在する(出来)事だから。この世の中に言葉だけで中身が余り無い人間がどれだけ造り出されてしまったのだろうか?脳の中でグルグルと廻っている輪を断ち切って外の世界に対して心を開いてみよ。
さてどの様に人々から知性を奪い取るのかの手法を考えよう。日本で蔓延する、TV番組の中で延々と行われている悪しき習慣に付いてである。専門家なる人物或は政治評論家なるコメンテータが何時も必ず登場する事。何時からコメンテータなる人間達がテレビ番組に出、自分の意見を述べる様になって来たのだろうか? そして何時から人々が彼らの話を御信託の如く鵜呑みにする様になってしまったのか。その他何時から人の知性を吹き消す様な短い不愉快なリズムの音がテレビで流される様になったのか? TVのコメンテータなんて「講釈師見て来た様な嘘を言う」のと同じで、知ったかぶりで現場にも足を運ばない、 現場の声も聞かない「ジャーナリスト見て来た様な記事を書く」のと同類の面々である。悪い事にTVのコメンテータの言葉をそれぞれ検証もせずロジックも無しに信じ込む人々。❶「知覚」と❸「ロジック」の適用を行わないから、日本は改憲マシンの中で上から下までオバカになってしまった。更に輪をかけ、情報を捏造し嘘を言い、真実を真実として扱おうとしないで検閲し隠す。瑣末な事に気を分散させ、大事な事を気付かせない。そんな風潮を造り出して来た、王様の様に振る舞っている極悪な面々が国政を取り仕切っている時代。更に悲しい事にその王様(を操る原理主義の司令塔)を慕って付き従っている平民ども。
この章の最後にあたり: 日本を凋落させた上記の原因に4番目の❹「イマジネーションの欠落」を付け加えておこう。人々の知性知力が地に落ちた結果更に国力を衰えさせてしまう悪循環の例を挙げる。
この2019年7月上旬「対韓輸出規制」を日本政府が発動。この問題を非常に良く解説している専門家の立場からの記事から参照させて頂く[8]: 「日本政府は2019年7月4日に、フッ化ポリイミド、レジスト、フッ化水素の3材料について、韓国への輸出規制を発動した。これまで韓国は、安全保障上信頼できる『ホワイト国』と認定されており、最大3年間分の輸出許可を一度に取ることができた。」
現政権を支持する人々はこの対韓政策に嬉々としているのに違いない。自分達の原理しか考えない政治屋の面々からすると参議院選向けのキャンペーンの1つであった。だが、専門家の立場からすると全く違った意見である: 「となると、Apple、HP、Dellなどの怒りの矛先は、DRAMメーカーのSamsungとSK hynixではなく、対韓禁輸規制を行った日本政府に向かうだろう。日本政府は、世界中の電子機器メーカーの猛烈な批判を受けることになる。」
更にこう結論付けている: 「最終的に、日本の材料メーカーも装置メーカーも、Samsung、SK Hynix、LG Electronicsとのビッグビジネスを失うことになる。単にビジネスを失うだけではない。材料や装置メーカーは、トップランナーについていくことによって、競争力を高め、ビジネスを拡大してきたのである。その貴重な機会が一挙に失われることになる。
このような事態になってから輸出規制を解除しても、もはや手遅れである。一度壊れた信頼関係は、二度と元には戻らない。要するに、日本政府は墓穴を掘ったのだ。その代償は、あまりにも大きい。」同[8].
❹「イマジネーションの欠落」の視点からすると、電子製品の供給網の中での半導体の戦略物質の禁輸の連鎖の輪の大きさを想像していなかった致命的なミスを犯してしまった。日本の衰退の原因は色々と取り沙汰されているが、客観的にものごとを見る知性とその社会的環境が無くなってしまった事に根本原因があるのである。
この半導体素材の制裁に因る、世界経済へのインパクトの大きさから政府与党がイデオロギーを基にした政策を実行している事が世界中に知れ渡り始めてしまった。更に、日本会議の原理主義が世界中の衆目を集めると言うオマケ付きだ。個人的にはこれは戦後最悪な外交的失敗に終わると思う。「原理主義者」達にとって自分達の夢の実現に足らないのは憲法改正と核兵器だけと思っているのだろう。ガムシャラに戦後の民主主義体制の転覆の実現の為にあらゆる事を実行して来ている。彼らは既に冷静さを失って、もう怖いもの知らずの暴走状態と言えるのではないか。内閣の面々は元々だが、プロ集団の外務省、経産省の知性知力も此処まで落ちたかと溜息だ。職業柄、行政府の従業員とそのトップは無党派を貫くベき立場なのだが。そして人々の知性知力が落ちているので、今回の政策に対し殆ど経済人学者政治家含め誰も抗議をしない。何時もながら政権にとっては非常に楽な政策運営。この様な人々の知性の状態で、現政権下において改変され続けられて来ている国の制度。空恐ろしい事だ。
参考文献等:
[1] "24 Hours at Fukushima," Eliza Strickland, IEEE Spectrum,
http://spectrum.ieee.org/energy/nuclear/24-hours-at-fukushima/0
[2] "福島第一原子力発電所及び福島第二原子力発電所における対応状況について(平成24年6月版)
資料一覧," TEPCO,
http://www.tepco.co.jp/decommission/information/accident_investigation/pdf/120620j0305.pdf
[3] "福島第1原発、事故直後の新事実が明らかに―WSJ分析," 2011年5月18日,ウォール ストリート ジャーナル, http://jp.wsj.com/layout/set/article/content/view/full/237921
[4] "詳報 東電刑事裁判「原発事故の真相は」," NHK NEWS WEBより,
https://www3.nhk.or.jp/news/special/toudensaiban/
[5] "Fukushima Dai-ichi Nuclear Power Plant Series," Cryptome
https://cryptome.org/fukushima-dai-ichi-series.htm
[6] "(株)エアフォートサービス," ウェブページ,
https://airphotoservice.co.jp/
[7] "Fukushima Daiichi Nuclear Plant Hi-Res Photos," Cryptome,
http://cryptome.org/eyeball/daiichi-npp/daiichi-photos.htm
[8] "「対韓輸出規制」、電子機器メーカーの怒りの矛先は日本に向く?," 湯之上隆 (微細加工研究所),EE Times Japan,
https://eetimes.jp/ee/articles/1907/10/news027.html?fbclid=IwAR09HYhJ3GlZODBXvIUq4EQ48aCdE1fjS5nXy1hfbTNWGP4Xb7_3O9eJvNU
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第10章 喧噪の中で失ってしまった大事な事
[前書き]
この章はちょっと長いのであなたの一番好きな飲み物を用意してこれをすすりながら本稿を読んで下さい。アルコールはちょっと...内容が心に染み込まないでアルコールが染み込んでしまいます。
あるアイデアが情念になりそれがイデオロギー化しスローガンを通してこの世界に働きかける - と言うイデオロギーと目の前の世界の関係が在ります。そんなイデオロギーと言う名の欲望とその欲望から発せられた言葉に全くおかまいなく脈々と流れる"あるもの"を考える章である - 政権にどの様な勢力が居座ろうが自分達のイデオロギーの夢の実現の欲求として、その地域の昔からの固有の文化を自分達の達成したい理想社会の方向に都合の良い様に引き寄せながら政権運営をおこなって行く過程、そしてその過程を取り仕切っている不遜で強欲な人々を我々は世界の至る所で現在進行形で目撃している。
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随分昔に読んだ本からの引用と言う形で話を進めてみる。Max Picardと言うスイスの哲学者が、1958年みすず書房より出版された「騒音とアトム化の世界」[1](残念ながら絶版になって久しい)と言う本の中で述べていた。人々は喧噪の世の中に生き、各個人がそれぞれアトム化(原子化)してしまった事。以下の様にも言っていたとも記憶する。間違っていたら御免なさい。人間がオペレータ(即ち機械をもくもくと操作する者)に堕してしまった事。同じくみすず書房より出版された彼の「沈黙の世界」と言う本では神と対話する内省の重要性を訴えていた。彼自身の言葉を示す。"Nothing has changed the nature of man so much as the loss of silence."[2] それは、現代社会において有史以前から持っていた動物としての人間の中の本性より、沈黙を喪失してしまった事だと言える。人間が沈黙の中での内省を行う事を忘れ、言葉が一杯詰まった頭のみに意義を見いだし、その生命存在の意義を失いつつある事と言えようか。また、文明批評家Ivan Illiciの著書「エネルギーと公正」[3]の中で心に残った言葉があった。彼は「加速」と言う言葉をこの本の中で使っていた。この世の社会と人々の動きを良く表している。物質文明、機械文明の生活の中で欲望が肥大化し、それらの文明が深まるにつれ上に述べた状態が不可避となり、人であるよりもオペレータになっている時間がより一層長くなり、どんどんと抜け出せない深みにはまって行くのである。それは日常の中で一人一人の統一体としての生命が分裂、原子化し家族が原子化しバラバラで絆を喪失そして社会にはユニークさも無くなり分断化する現代の日本の人々の事を言い当てて居る様に思える。
Picardが語った言葉で彼の考えを良く表す言葉を記しておく。手元に「騒音とアトム化の世界」が無いので孫引きと言う不本意な形となってしまいますが以下の引用をさせて頂きます。[4]現代の人々の生き方を非常に良く記述していると思う。「私はある時、一人の男がテレビの前に座っているのを見た。その傍らで同時にラジオが鳴っていた。しかも同時にこの人は時折テレビから目をはなして新聞を読んだ。いったいこの人はどこにおるというのだろう。テレビの中か、新聞・ラジオ、あるいは安楽椅子の中か。彼はそれらのすべてであり、そして無でもあった。いたるところにおり、しかもどこにもおらなかった。そして彼の欲したのは実はこのことであった。即ちどこにもいないこと、自分自身を解体し、またその破片から自分を組み立てることであった。昨日の死はなんとつまらなく、今日の復活もまたなんとつまらないことであろう。この人間は自分自身から脱走しておったのである−というのも当たらない。彼はそもそも自分というものを持っていないのであって、したがって自分自身から逃げるということもできない。彼は一般崩壊の中の、運動の一小部分以外の何ものでもないのである。現代人は内面的に連関性をなくしたごたごたの中に生活している。我々は内的に寸断されてしまっているのである。我々は連続性の中に生きているのではなく、非連続性の中に生きているのである。一つの印象、一つの感情、一つの考えが、隔絶されながら、それぞれ別の印象や、感情や考えの側に平気で並んでいる−否、先立つもが全くなかったかのように、次々と立ち現れるのである。ただ絶え間なく何ものかが、瞬間を通って転じてゆくだけである。」あなた自身今の生活を省みて彼の言葉に反論する事が出来るであろうか?
皆が皆生命を、命を愛する事を忘れ去り、加速をこよなく愛する喧騒の時代でもある。現代社会において加速は一つのキーワードだ。加速と言う中毒。この結果は人に何をもたらすか?スピードをこよなく愛する一方人として愛を育む心と、内省の習慣が失せてしまった事。どうしてその様に先を急ぐのか?個人が加速し、人々が加速し、人間が加速し、情報が加速し、日常が加速し、技術が加速し、一年が加速し、一世紀が加速し、人類の歴史が加速し、一体ぜんたい我々は何処へ行こうとしているのか?沈黙の中での内省を忘れ忙しい人生を送りながら、己の強欲さ故、他の人の事を気にかけずにおとしめ蹴落とし、人を精神的に肉体的に傷つける事をいとわない輩達、己を他の人々と切り離し社会の中の或は集団の中の自意識過剰な原子となり、加速する人々。皆が皆人生の速さや人生のスケールを誇っている現代社会。肥大化する欲望そして強欲と便利さを更に加速し追い求めるのとは裏腹に、騒がしい人間以外の動物が棲む自然界の生きとし生ける物達はそこからやって来る、その正反対の不便さ即ち人間が作り出して来た環境汚染や環境破壊と言う結果を沈黙の中で甘受しなければならないこの不条理が見えないのである。動物、鳥、魚、植物はこの生きにくい世界になす術がないのが人間には判らないのだろうか?同じ様に人間もこの殺伐とした空間で何がおこっているのかと言う関心をも失ってオストリッチの様に頭を砂の中に入れて、この様な事態が過ぎるのを待っているだけなのだろうか?もしかしたら人間のみならず生命が滅ぶのを知っていて何もせずそれを楽しんでいるのではなかろうか?もしそうだとしたらその様な考えはこの世の終末を待ち望み単に楽しんでいる終末論者の考え方と同じではないか?どうやら人間は先の見えない判らない何かの終わりに向かって加速している様である。 今や人間が人間以外の動物にくらべて遥かに愚かになってしまったのである。生命が何らかの理由故にこの世に在る事を忘れ、この流れが続いて行く事を忘れ、欲望に任せ突っ走り、他人を押し退け、自然を押し退け動物を押し退け、生態系を押し退け排除し、生命の存在の大事な意味を忘れ喧噪の中で生きている。
一言で言おう。第7章「何処から、何処へ、何ゆえに」の中では述べなかったが、「何処から、何処へ、どの様に」と言う問いが"Profile"(例えば隣の芝生は青いとか)と言う言葉と結びついて我々個人の中で相手との比較の対象となってしまっている現在。人間は近年この世界を物理的に大きなスケールで見渡せる事が出来、その結果比較の対象が広がってそれにより更に欲望が際限なく増殖してしまった。だが「何ゆえに」と言うと問いのおおもとにあるのは生命なのである。あなたには日常の中でそれを感じる事が出来るか?実はその他人の中と自分の中にある「何ゆえに」は比較の対象がないのである。しかし「何ゆえに」と言う問いをも忘れてしまうか無視するからユニークな個人、特定の宗教を信ずる人々や民族の迫害や、抑圧がおこってしまうのである。生命の公正と平等には優生思想など入り込む余地はない。この事実を無視するgeopoliticsに満ちた日常に踊らされて、brainwashに巻き込まれてしまっている我々。
本シリーズ第6章の「欲望の行き着く果てに」で書いた事を詳しく述べる。この世界の出来事を現場で見る気持ちは更々無く、情報のリアルタイム化とそのダイジェスト即ち咀嚼に追われる日々の生活習慣の事である。この様な環境ではいとも簡単に人は情報に騙される。何故か?客観性が無いからさ。自分の好みの情報だけをアクセスする事。つまり頭の中に入っている自分の、世界の解釈理解を確認する為に自分の好みの新聞やインターネット上の情報を選択し、自分の考えを補強する記事のみ読み漁る。選択的情報の咀嚼。これが心地良いのである。頭の中は言葉で一杯。でも心の中は空っぽ。虚しいね。簡単に言えば自分の意見と同じ様な論調を読んで安心安堵し、その反対の意見に反発し攻撃する。攻撃される人々は主に自らの意見を公に出来る自己推進能力のある方々。その様な人々を人格破壊しようとする訳。何故人々は意見の違う人々を攻撃するのか。どうしてそのまま、ありのまま、受け入れられないのか。それは何故か?色々と理由が有ろうがその一つとして: 皆が皆インターネット上で喧噪を選び、違った意見を持つ人々や他の民族を批判し、それにより己の心に満足感をもたらしている訳なのだろう。不快な相手を攻撃する事、が心地良い。この悪しき風潮、Ethosの現象(「7章 何処から、何処へ、何ゆえに」参照の事)は世界で同時進行している事に皆さん気づいて欲しい。つまり異なった相手を受け入れる能力の無い人々が増加中とも言えようか。そして又他人に対しての意地悪が心地良い。ところが現実とはユニークさと多様性の集合体なのだ。生命が、此処では自分が母より産まれて来る事を選択した時点でユニークな存在なのであるが、その個人の多様性さも判らん輩が文化の多様さや民族の多様性をも見下し軽蔑する行動を取るのは愚かな事。しかも自分がユニークで優生な人間だと思っているのでなおさら、たちが悪い。心がここにあらず、善の風潮或はスピリッツな世界を喰らい尽くす"busy monster"達。インターネット依存症のあなたへ。この姿を自分の形相として捉えられるだろうか?この事から人間を紋切り型にさせておく事、オペレータにさせておく事が権力を持つ面々にとって如何に重要なのか判るだろう。
さてまたまた音楽の話で恐縮だ。あなたが以下の曲を聴いた時自由にこの曲から何かをイメージ出来る様に以下の文を読む前この同じ曲を2つの映像のYoutubeで聞いてみて欲しい。[5][6]歌詞は[7]。英国の作曲家で英国のロックグループU2のアルバムのプロデューサとして知られるBrian Enoと言う方がいる。彼の2005年のアルバム"Another Day on Earth"の中の"And then so clear"と言う1曲。あなたは今この曲を聴いて何を連想、想像しただろうか?
今日は私がその曲から思い浮かぶイメージをEnoさんには申し訳ないが勝手に解釈してここに記載する。ご勘弁の程。それは7章 「何処から、何処へ、何ゆえに」で以下言及した、心があなたの中に落ち着いて座っていてあなたとあなたの心が一体(unity)となっている時、この時この場所に「心此処にまします」と言う事に関連する。私にとって”And then so clear”の曲からイメージする事は: まだ私が小さな子供であった時に車を使った何泊かの家族旅行から家へ帰って来た時に見た天窓から光が差し込んでいる場面でフッと思った事なのである。それは私と父、母私の兄弟が一緒にいると言う一体感。静寂の中の愛に包まれた家族の中の自分。そしてそのunityから、外の社会があると言う事を初めて理解した時の感触に近い。言葉では説明出来ない自分と家族と世界との一体感。しかしこれとて以下述べる生命の流れの極一部を認識、感じとったに過ぎないのだ。
これは沈黙するしかない動物には彼らの本能により既に判っているのである。それは、この表題の章の問いへの答えである。あなたが喧噪な世の中に棲む事で心の中から失ってしまった気持ち。それは思っているよりも遥かに大きく大事なものなのである。そして私と言う生を授かった事はもっと高い次元の、何かしらの理由があるからなのだろうと言うこの世のシンプルな捉え方。脈々と続いて来た生命の流れとその脈動をこの曲を何回も聴くと思い浮かぶのである(実は歌詞の内容と違うのですが)。前の幾つかの段で述べたが今現在物質文明に晒された人々は沈黙と内省を忘れ、そして頭の中にある行動パターンに影響され見ず知らずの他人を安易に攻撃、人格破壊する事が広く行われている。他の人の持つ固有で唯一の個としての尊厳さが疎んじられてしまう日常の思考と習慣の中に生きている。それこそがアトム化と言う事。自分が原子化アトム化し己がこの世界にあると言う事実を忙しい情報の中で見失う事で心の中の自分を失い大事な己と世界の関係を断ち切られてしまう。つまり生命としての人間が持つヒューマニティーを忘れ去ってしまった事によってその風潮がこの社会に現れている訳。動物と同じ様に、人が石の上を歩くのを止めてから言葉が増殖しこの世界と切り離され人は原子化してしまった。あなたは上記の様に子供の頃、自分と家族と世界との一体感を感受した事はなかったのだろうか?その様な気持ちが生じた事があったかどうか、あなたの中にある記憶の糸を手繰ってみて欲しい。
この世界に産まれて来て、思春期に家族から独立する気概が生じた後に、社会に出でて女としてまた男として異性と出会い結婚し子供が出来て彼ら子供達が一人立ちし、自分が自分の親と同じ様に長い人生を歩んで行きそして老いてゆく。そしてその初期の過程の中で家族と言う小さな群れの中に一人の生き物として小さな子供の私が生きていると言う実感と、家族と言う小さな群れが大きな群れの中に生きている実感、(2つの違った遺伝子がもっと大きな流れ即ち時の流れと脈々と続く生命の流れを共有する)とそれを囲む外との関係の連続性を既知する事で社会性を理解し、習得する事が出来る。これは生物の群生の空間的な尺度から見た考え方。だが私にとってはとても不思議なのだが、誰一人として日本社会での内閣与党を中心とするイデオロギーに基づいた祀り事が日本の社会空間、群生の空間にどのように力を及ぼし変出させ影響しているのかと言う見方を執れない不可解さが有る。
この考えに少し関連する事だ。群生の空間と言う観点で日本社会と言う空間から観ると、後に述べるが、どうやら偏屈な考え方やイデオロギーが跋扈し、人間の顔の態をなしていない文化の風潮が蔓延るいびつな空間、人が棲み難い生活空間となってしまった様だ。人間が家族が原子化してしまった現在、第2章 「すっかり破壊されてしまった三権分立の原則」で言及したが或る勢力による、社会形態を変えようとする事により「彼ら」が理想と考える様な、日本を素晴らしい国にして行こうと言う努力をするのは理にかなっているのかどうか甚だ疑問なのである。そんな事よりまず善の「風潮」例えば希望を人々の心の中に取り戻し育て、家族の中に社会の中に人間愛を呼び戻す事が先なのが判らないでいる、日本の社会があたかも自分達の物であるかの様に振る舞う不遜で強欲な政治屋達。現代日本の社会においては生きる力が弱い家族もあり強い家族も或る訳で、弱い家族を手助けする福祉と言う社会制度を手厚くするどころか、彼らを更に窮地に蹴落とす様な政策を実施している事実。生活空間の喪失に見舞われている家族と言う小さな群れに必要以上の経済的な圧力をかけてはばからない社会制度。一方軍備拡張の為惜しみなく予算を注ぎ込む。正直者は馬鹿を見る、どころではない更に悪い状態である。つまり弱い者が更に抑圧されてしまっている日本の社会。この様な不条理がまかり通っている事に殆ど誰も怒りを表現しないのは、人間が家族が原子化してしまった上日々機械的に生きている為と思うのだが。子供を持つ親として不条理に満ちた政治のやり方に抗うのは、動物として生命として当たり前の事なのであるが。そう。オペレータとは皆が皆何も言わない、或は皆が皆同じ事を言う状態に陥っている人々の事である。個人的に成功の為の機会を持たない、持てない市民を抑圧するエリート意識に満ちた優生学的政治手法が日本で行われているのではないかと思えてくるのだ。何も明治時代の教育勅語を実践し、戦前の封建的な大家族に家族形態を戻す事が本当に現実味のある社会問題の解決策なのだろうか?人に対するヒューマニティーを中心に据えた実践的な政策やアプローチを行う政治手法と、イデオロギー的なアプローチを取る政治手法の間の乖離をまざまざと見せつけられる今日この頃である。残念な事にこの世界の意義、意味の深さを忘れてしまって忙しく人生を送っている原子化した人間で構成される社会においてはこの乖離の帰結がどうなるのかを考えようとする'Ethos,'風潮も社会から失われてしまった。判っていると思うが、不遜傲慢強欲にかられた面々が支配する国は滅びる。
この章の推敲の途上に先日の東京新聞のWeb 「梅原猛さんの平和思想」と題した以下の記述を発見。梅原猛氏は2019年1月12日に他界された日本の哲学者である。私自身色々と考え倦ねていた事がこの記事により見事に鮮明になった。以下長いが引用する: 「梅原猛さんから興味深い見解を聞いたことがある。『神も仏も捨てたのが、明治政府です』と−。仏教を排斥した史実はあるが、神を捨てたとは…。はてと首をひねった記憶がある。 『昔から日本人は山川草木すべてが神様だという多神論でした。仏教にも同じ思想があり、神と仏を合体させた宗教を民衆は信仰してきた。神仏習合、それが日本の思想の中心でした。だが、明治になり国家神道という一神教になったのです』 国家主義は古来の思想を無視して、国家神道という新しい宗教を国民に強制した。さしずめ教育勅語はその道具であった。この一神教こそ戦争へと日本人を駆り立て、日本を狂わせた張本人なのだという説明だった。」[8] Aha!である。「原理主義者」の実体が見えた。鬼畜英米と言いつつも、自分達がヒューマニティーを失い鬼の形相で戦争に突入して行った国家神道信奉者の軍人と官僚達そしてその尻馬に乗っかった戦前の人々の様相が思い浮かぶ。梅原氏が指摘していた様に多神論を捨てた故に生命の流れの観点から世界の人々を見渡す事が出来なかったのであろう。現政権と天皇皇后両陛下(平成31年時点)の関係がこじれている理由が良く判る。ところで話はがらりと変る。危機管理の極意は「最悪の事態に備える事」である。よって民主主義体制を支持する全ての人々が持てる限りの力を合わせ、日本会議によるクーデターに備えた危機管理体制の構築を行わなければならない時なのである。その根拠として変質してしまった与党自由民主党及び公明党が通して来た法律の数々を見れば直感的に判るだろう。イデオロギーに執着する「彼ら」なら日本の民主主義を転覆させるクーデターをやりかねない。
さて生命を時間的な尺度から考えてみよう。私と言う生命は私の父がたぐって来た、私の母がたぐって来たそれぞれの赤い糸の様な生命の流れが重ね合わさった物なのである。別の表現をとれば、私は父と先祖の血の繋がりと母と先祖の血の繋がりからの一つの生命としてこの世に生まれて来た訳。この世の根底に脈々とした生命の流れがある事実。この事が一番理解し易い人生での出来事は結婚式と言う場であろう。新郎が属する群れと新婦が属する群れの一同に会する出会いと祝福の時ではなかろうか。その出発点から、男と女の愛と愛情という中で新たな生命は生まれ成長し、心と心が重なり合って一つの心が産まれ、この世に長々と生を過ごしながら、体と心の一体感(unity)と共に尊厳を持って死を迎える。その間新たに産まれた小さな生命が全く同じ繰り返しの中で女性として或は男性として育ちそれぞれの道を旅し各々(原子化していない)個人が大きな生命の流れの中で出会う訳。即ちそれは私が一人の男として私の妻が一人の女としてこの世に生命を送り出す同じ営みを行い父となり又母となり、午後の太陽の高さに例えればまるで日の陰った夕方の様に、齢を重ねそして日暮れの様に歳をとりこの世から役目を終えて去って行く。私と妻の遺伝子を子供達に引き渡し、そして「何処から何処へ」の問いの先にある、どうしても答えられない「何故に」との問いを子供達に引き継がせている。その問い続けなければならない親から授かった自分なりの答えの探求と言う宿命。これこそが「何故に」との理由なのである。あたかもそれは自分の生は何故に在るのかと言う答えを見つける為、答えの出ない長い旅を歩んでいるかの様である。だが、この大事な問いを背負って生を生きているのかどうかが彼や彼女に判るかどうかは本人の自覚次第だ。(或は親として子供にこの問いの意味を教えるべきなのだろうかと言う自問はあるが)。人間以外の動物達は、自分達がこの世界にあり生きて居る事の、不思議な見えない力が(「何故に」と言う先に)在る事を知っているのである。だが残念な事に私と言う小さなスケールを通してしかこの世界が見えないこの限界故これ以上言葉は発せない。沈黙の中で生命の不思議を想う。
その一方この一つの生命としてこの世に生きる、私の中にある欲望は何処から来るのか、そして何処へ行こうとしているのだろうか?何ゆえに?との問いが私の中を、私の生を貫く。そして体を欲する心の渇きの側面を持つ愛の事を考え巡らす。一人の男と一人の女の間のunityを縦軸に、時間を横軸に採ると一組の男と女が共に過ごす時は何と短い期間なのか。横方向に過去を振り返れば途轍もなく遥か以前の私の知らない時がある。又逆方向を見れば新しい未来が見える。この生命の流れは「何処へ」行くのかと言う問いは未来へ向かって発しているのである。そして私は何かを残しつつ、一つの生命としてこの世から去って行くと言う事。何故に生命は死ぬのかは生命には終わりがあるから。何故に生命は産まれるのか。それはあなたと言う生命が産まれて来る事を選んだ事に理由があるから。これから産まれて来る子供達、生命達を「安全」な社会に或は生態系に送り出さなければならない宿命。その今生きる生命としての、遥かに崇高でしかも過酷な迄の義務を人間を含む生命は背負う。
生命を産み出して来た、又これから産み出すであろう、女性のあなた方にはこの事実は体の中に刷り込まれた思いであるに違いないだろうし、又無視出来ないのでは。幸せな人生を送れる様に身を粉にしながら日々男性優位の社会の中で悪戦苦闘している日本の女性達。自分の命を賭けて己の子供をこの世に産み出す崇高な行為を行う性を持っている生命なのだが、動物としての雌の出産の苦しみも考えない雄共。日本の社会が男性が優位性を保てる様に設計され且つその様に機能している現状。その一方小さな群れとしての家族の中で子供と妻をないがしろにする又はネグレクトする様、最悪な場合は暴力を振るう様な行動をとってしまう男性諸君。又己の考え、思考習慣に基づき人々の間にある多様性を無視し、女性差別や蔑視を行う面々。男性優位の特徴である、最下部に位置する小さなスケールの家族から、地方自治や地方の会社、そして社会最上部に位置する国会へと貫く、男尊女卑の源である家長制と言うヒエラルキーを生活の社会空間から柔らかいベールで包み都合良く隠し続けて来た事。これこそ悪しき文化としての風潮である。これが日本社会の中の生活空間に深く根付いている。更に昨今競争原理と言う手法を取り入れ敗者復活戦の様に弱いもの同士を戦わせるやり方。日本の中に新たにカースト制を作っているのか?それ故に、「法の下の平等」が日本の中で崩壊している事に女性の市民自身が強く抵抗し、善なる「風潮」としての社会の希望を女性の方々が共有しこの日本の社会を良い方向に変えて行く様に努力して行かなければこの閉塞した社会に明るい光は差し込まぬ。この投稿を読んでいる皆さん、御存知の様に強権的組織の中では個性と、女性の権利は抑圧すべき対象と理解していると思う。それはアジア的な、個人のユニークさを否定する、男のタテ社会の属性であると言う事。これは母性が産み出したユニークな生命と多様性の容認を行う社会の対極に位置する。男と女の間にその様な生命の対等さと言う見方が出来ない男性諸君は生命の流れを創る女と言う性を守れない男達である。ほ乳類の間ではオスはメスを守り、子供を守るのではなかったのか?この生き難い世の中で子供を守らず、妻に子供に当り散らし暴力を振るってどうするのか?もっとやる事が有るのではないのか?そんなあなたに一つ聞きたい。あなたには自分の子供達が小学校の半ばの頃その横顔をさりげなく観た時、特に自分の娘の横顔から、彼女がこれから産み出すであろう生命の流れの片鱗をかすかに読み取った事があるのだろうか?そう想うだけで今の社会の女性や女の子に対する性差別や(性)暴力の不条理から彼女達を守らなければと心を構えるのがオスとしての務めと思わないのか?どんな肌の色の人々でもどんな社会的立場の人々でも子供の事を想う気持ちは同じである。自分の子供の中の生命の流れを認識出来ない者達。守るべき家族の生活空間を見失い原子化した家族の中でその気持ちを喪失してしまったのだろうか?子供達にとってのお父さんお母さんが作り上げて来た家庭と言う生活空間が自由を失い苦しみの場となってしまっているのである。その様な環境の中において子供達の情緒をまともに育てる事が出来るのであろうか?大人にとってもこれは同様である。世の中に溢れる物と情報、家庭からかすめ取られる幸せな時間。自分の心と体がまるで牢屋にでも閉じ込められた様な閉塞感に満ちた日々。
悠久と流れる生命。そして人々の、己の生命の流れを守ろうとする意志。その一方女性が自身を守り子供達を守る事。更に男性が女性と子供達を守る事。更に社会が家族を大事にし守る事。この全ての防壁が決壊しつつある、日本の生活空間。経済的に困窮すると心に余裕が無くなるのは自明の理。個人がそして家族を含め、公正公平さを失い教条化し硬直化した組織の犠牲となりつつある。皆さん、もっと大きく見ようではないか。家族も同様なのだが、日本全体が袋小路に追い込まれてしまっている事実があるのだ。そして日本の行政府の従業員の方々へ。このままでは日本は駄目になってしまうと言う危機感が心の中に生ずる事がきっとある筈だ。あなた方は日本の市民よりも世の中の大局観をお持ちの筈。今出世欲に駆られた爺婆となるか、単に何も言えないオペレータになるか、それとも未来を予見し危機を回避しなければ日本は没落する一方になるとの大局観を持って日本の屋台骨の内側から変化をもたらす様努力をするか、あなた方は今この3者の内どの立ち位置を取るかと言う所まで追いつめられているのである。この事実をしっかり認識しておく様喚起したい。
冬の、或る日曜日の昼下がりの日差し。ほのぼのと呑むミルクティー。クッキーをこれに浸して口の中に運びながら美味しさを実感するこの様な些細な時。でもその様に個人が幸せであると感じさせる時間がこの世から失せてしまった。心が満ち足りている営みの喪失。何故に男がいて女がいるのか。そして人間は一体何処へ行こうとしているのか?騒々しい日常生活からは全くもって考えつかない想いである。
この章の最後にあたり: 生命の流れと言う"Ground rule"と、権力欲、金銭欲等の強欲と言う事の間の関係とは一体何なのか?"Ground rule"に関与する事無く、憲法改正の御旗のもと自分達のイデオロギーの目指す理想郷を実現する為に祀り事を行っている面々。それ故に「原理主義者」と呼ばれても仕方がないのである。こんな世の中だ。けれどもあなた自身せっかく産まれて来る事を選んだのだから、この惨めな現実を何とかして、あなたのそしてあなたの家族の生を喜べる社会に又暮らしの中に喜びがある社会に変える様にどうして努力しないのでしょうか?
参考文献等:
[1] "マックス・ピカート」 ウィキペディアより、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%88
[2] "Max Picard Quotes,"AZ Quotesのウエブより、https://www.azquotes.com/author/28210-Max_Picard
[3] "イヴァン・イリイチ」、ウィキペディア、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%A4%E3%83%81
[4] "座右の銘データベース」、http://www.kokin.rr-livelife.net/post/post_meigen/post_meigen_253.html
[5] "And then so clear," アルバム"Another Day on Earth," Brian Eno,
https://www.youtube.com/watch?v=sLEgjBVtdhE
[6] 同じ曲で違った映像背景、"And then so clear," アルバム"Another Day on Earth," Brian Eno,
https://www.youtube.com/watch?v=lcK8_kKCsq8
[7] "And then so clear"の歌詞、https://genius.com/Brian-eno-and-then-so-clear-lyrics
[8] "梅原猛さんの平和思想、【私説・論説室から】、2019年1月21日、東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2019012102000139.html
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第11章 国民に向けられた三本の毒槍
あなたに一つ聞きたい事がある。日本社会での、立法府を支配している政治勢力と経済界と行政府(死法府も含め所謂官僚)達の利権集団の関係を大雑把に考えてみた事がありますか?
私にとってそれは3人ずつお互い囲いの周りに立ち、見張り番をしている様なイメージが思い浮かぶ。はて、囲いの柵の中には何がいるのか?大人しい羊達である。彼らはおのおの毒槍を持っている羊番である。それぞれ3人がお互いに協力しあって、或る者は積極的に、或る者は便乗的に、或る者は羊達が囲いである柵から逃げない様躾け役として、この大人しい羊達を搾り取っている図である。
■経済界: 低賃金、長時間労働、非正規労働者、福利厚生の低減、男女間の不平等な給与体系など。その一方企業の内部保留金は史上最高を更新している
■行政府: 自民党との長い付き合いのお蔭で国民の事を憶い公僕として働く習慣が無くなっちゃったし、自分の天下り先を用意してあるし、地位が安泰で自分の仕事の責任が降り懸からない様なら万事OK。国民の事なんてどうでも良い。でも或る事が責任問題に発展したらあの手この手で全力で反撃します
■立法府: 経済界及び行政府と協力、富める者を優遇し大事に扱い弱い立場の人々の社会的不満を封じ込め自力更正と言う名の下、緩やかな強制労働収容所と言う囲いの中へ閉じ込める様に努力。そして自分達の希求する社会を実現する戦略戦術を立法し施行
民主主義とは一体何か?と言う問いを自然と発してしまうこの様な日本社会の現状。それは内閣と行政府と産業界の利益補完システムと言う - 原理主義或は国家神道と言う国策の名の下 - 癒着の構造に起因する経済活動が、この社会に及ぼして来た結果を我々は目の当たりにしている。行政府の「見えない手、見えない力」が此処に目撃出来る訳。 しかし、「官」が主で無く、「経」が主で無く、「政」が主で無い、主権在民即ち「民」が主ではなかったのか?もうこの国では「民主」主義は死んでしまったのだろうか?いやまだだ。非常に危ない所にあるがまだ首の皮一枚残している。だがあなたが声を挙げない限り直ぐにこの世から消えてなくなる。この一連の投稿の中で何度も参照している改憲マシンとは即ち管理社会、監視社会の下全ての人間の心をコントロールする社会の事と定義出来よう。だから皆、声も挙げない投票にも行かない大人しい羊達となってしまった訳。このトレンドが長い時間をかけ非常に強力になって来たのである。その結果日本の社会から柔軟性が失われてしまった事。知的なレベルが著しく劣化し、皆が皆オペレータになってしまった事。日本の社会の進化が止まり人々の退行が著しい事を見れば明らか。政治家も例外ではない。議会制民主主義は基本、二大政党制と言う仕組みより成り立つ事も理解しない、どうしょうもない島国根性で自分の政党が一番だと思っている政治屋共。嫉妬心からお互いの政党を罵りあうパワハラみたいな事に明け暮れている、改憲マシンの手の掌の上に乗っている事も判っていない孫悟空達。
此処でとても大事な問いをしておこう。大人しい羊達は彼ら3人の番人達に毒槍を放棄させ、心優しい番人変えられるかどうかである。
■ 経済界に圧力をかける。厳しいね。労働組合なんてもはや存在しないし、消費者団体なんて消えしまった
■ 行政府に裁判を通じて圧力をかける。米国では中央政府即ち連邦政府が政策を巡り地方の州政府から訴えられる事がままあるそうである
■ 立法府を選挙を通し更新し圧力をかける。これが一番簡単。一方内閣と政権与党経済界行政府の面々は大人しい羊達が生存権の一部である投票の権利の行使の意欲を喪失してしまう様に日々洗脳に頑張ってます
皆さん現在の政権下で長らく、懐事情は良くならないばかりか悪化して来ている事を肌身から感じているでしょう。しかし立法府を構成する政党の勢力図が変ったとしても、経済界と行政府は柵の中の羊達を搾り取り続けたい訳で手練手管で自分達の利益を最大限に絞り出してくれるシステムの存続の努力をします。それに協力的な政党が立法府の最大勢力になる様お互い補完的に、市民が選んだ新しい国会の政治勢力を貶める様再び策謀する事でしょう。だって一番相性が良いのが美味しいのでしょ?即ちこれを緊張関係の無いズブズブな関係と言う。これ独裁制の見本ね。この彼らの習性を皆さん忘れないで下さい。大事な事は立法府に継続的に投票と言う行為で圧力をかけ続けて、経済界と行政府に今のままでは日本は駄目になってしまうと認識させた上日本の活力を取り戻す為に今の政治が向かっている方向の、転換を計る時なのです。
この章の最後にあたり: もう一回言います。それは継続する事で達成出来ます。経済的に社会的に弱い立場の人々が支える政治勢力が立法府において力を強く持ち続ける事で立法府と言う番人を心変わりさせ日本の国民に向けた毒槍を地に置かせた時初めて、残り2人の番人が民意を聞き始めそれぞれの威圧の為の毒槍を地に置く事が可能になるのではと思います。それは人間の顔を持った社会の始まりと言えます。それにはまず1980年代のベルリンの壁を目の前に暮らしていた住人達と同様、羊の様に閉じ込められたこの見えない垣根と壁を壊す作業が必要ではないでしょうか。「未来を目の前にして、くたばるわけにはいかない」のです[1] 。英語のビデオ解説[2][3][4]等。特に[2]では男達が涙する映像が有る。感動的だ。東ドイツの一部の若者はベルリンの壁の背後に在る強大な権力に抵抗していました。表現者を抑圧した東ドイツでベルリンの壁を打ち倒そうと努力して来た若者達。人々が自分達の人間としての尊厳を守る事と同時に外からの風潮を変えようとしなければ未来には何も希望が見えて来ません。ベルリンの壁は見えていたので倒せました。この日本では人間性を抑圧する、見えない原理主義と言う壁を倒さなければならないのです。時折私は人間の顔を持たない国家を飲み込んだ西ドイツの人々の底力と自由を渇望し行動した東ドイツの人々の事を想うのです。
参考文献:
[1] "ベルリンの壁崩壊を後押しした、東ドイツの若きパンクスたちの物語," Jerry Portwood (訳 Masaaki Yoshida), RollingStoneのウェブサイトより, 2018年9月24日,
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/29044/1/1/1
[2] "1989: The Fall of The Berlin Wall," Youtube, https://www.youtube.com/watch?v=bQOoWw6oYzY
[3] "The fall of the Berlin Wall in 1989," Youtube,
https://www.youtube.com/watch?v=zmRPP2WXX0U
[4] "Nov. 10, 1989: Celebration at the Berlin Wall," Youtube,
https://www.youtube.com/watch?v=snsdDb7KDkg
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第12章 こんな平成に誰がした。では、この政権の暴政度のチェックを行います
圧政には幾つかのカテゴリーが有る様である。その筋の専門家ではないが、小生が思うに現政権は1/4の日本の市民の熱狂的な支持と選挙の結果のもと独裁的な形態で政治が行われ、残りの3/4の大多数の市民に対しては専制(又は暴政)的な政治が執り行われている様なのである。ウィキペディアの「専制政治」[1]より引用する:「『身分的支配層が被治者と無関係に営む統治』が専制政治である。それに対して独裁政治は、国民の大多数の支持によって権力を付与された独裁者による政治であり...」日本で行われている祀り事は、つまり1/4独裁+3/4専制の暴政と呼んでおこう。法律を破ろうが知らん顔、責任問題となってもケツを捲って逃げ、嘘をついてそれがばれても厚顔に開き直っている。要するに権力を握り続ける為何でもありのアナーキーな事を権力者が行う時代なのである。この様な異様な事態は以前の日本ではあり得なかった。そしてこの様な日本中がマトモでなくなってしまった世相の中で憲法を書き換えると言うのであろうか?いや実は、日本がオバカになったこの状態でないと憲法は自分達の都合の良い様には改正出来ないのである。しかしここで一つだけ確実に言える事がある。「こんな腐った政治はもう沢山だ!」
いずれにせよこの様な平成になってしまった理由は簡単なのだ。思うに政治80%、経済20%の割合で双方に「この様な腐った平成に誰がした」かの責任がありそうだ。政治の舵取りと舵を取り続ける政治家の面々がもう少しグローバルな国際的な視野を持っていたのであればと、しみじみ思う。随分昔の話で恐縮だ。大平首相の「あーうー」と言う表現を冷やかし、揶揄する新聞を読んでいた学生時代の頃が今でも心の片隅に残っている。こちらまで大平首相を小馬鹿にしたくなる気持ちにさせて貰らっていた。まだその時は日本経済新聞も国際的な見方が出来ていた気がする。その紙面の確か「私の履歴書」で大平首相が外国訪問時にその飛行機の中で原文の哲学書を熱心に読んでいたと書かれてあった。今振り返って見ると、この様な人間の事を考える政治家は希有だったのだろう。一国の首相たる者の厚みを感じる。平成は人間の厚みを失ってしまった時代なのである。この10章「喧噪の中で失ってしまった大事な事」の中で指摘しておいたが、一人一人の個人が生命の流れの中ユニークな人間として産まれて来た事を考えると、大平首相の「あーうー」なんて表現にならない表現はユニークな個性と言う事で済ませておけば良かったのだ。もしかしたらその当時から日本は人のユニークさを尊重しない社会であったのかもしれない。今思えば大平首相には済まない事をしたなと思う。
簡単に個人のユニークさとは?と言う問いを2つの社会を通じて述べたいと思う。それは自由民主党の夢である憲法改正の実現の為昭和と平成と言う時代に以下2番に述べる社会を目指す方向へ舵を切ってしまった結果この様な平成になってしまったのである。私はこの責任を政治が負うべきものと考える。
■静かだが活気に愛に満ちた平安な時代。「生命の流れの中の己のユニークさ」を想い皆が皆尊重しあいお互いに共存し助け合う社会。心に余裕があり相手の気持ちもよく判る。生命を創り出す性が大事にされ、新たにこの世に生を授かって産まれて来た命を社会の宝とする、人に優しい社会。この様な社会ではユニークさは人だけに適用されるのではない。会社もそうだし国も人間の顔を持ったユニークな実体なのだ。言葉が愛を語り真実を伝える手段として用いられている。一言で善政である
■喧噪の中、ある対象に向けた憎しみの心に満ちた時代。それにより「群れの中での己のアイデンティティー」を確認させ、群れへの帰属意識を心の起こさせる様に仕向ける事或は強要する風潮に満ちた社会。私と言うユニークな個が社会と言う群れの中で埋没し窒息している「出る釘は打たれる」時代。この国ではそれが「和」と言う言葉でもてはやされている。発言力のある人実力がある人が群れから嫉妬され憎まれパワハラされて「打たれる」のである。生命よりも人のユニークさよりも国家が大事にされその名誉を重んずる国家神道を実践する内閣与党自民党の政治。人の顔がノッペリとし会社の顔がノッペリとし、国の顔がノッペリとする生命の徴が無い社会。そして又言葉が真実を隠す手段として使われている時代。悪政である。
その結果産まれる事を選び何らかの理由を持ってこの世に生命としてい出て来た一人一人の人間達が、非正規労働等で経済的に飼い殺される為に産まれて来たかの如くの人生を送ってしまっているのではないかと思える程のこの社会。天災などの過酷な自然から貰い受けた己の人生の中の苦しみならまだ判る。明治時代の歌人石川啄木の短歌「はたらけど はたらけど猶 わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る」[2]を思い浮かべてしまうのである。この様な過酷で個人がユニークさを失った全体主義的な風潮に満ちた社会から受ける絶対貧困と言う不条理。この体制を英語でTyranny,暴君暴政が支配する社会と言う。前章の「3本の毒槍」で指摘しておいた様に経済界行政府立法府から受けるこの過酷な圧政によって、幸せに生活している家庭が少なくなり、崩壊寸前な家族が増えて来ているこの理不尽な社会。何故か?民主主義の大原則とは人々が発言しなければ、投票と言う権利を用い主張しなければ、何も得られないのである。だから人間の顔を持った政治は何もしなければ消えて無くなる。その代わりに長い間を経て暴君、暴政、圧政が産まれて来るのは世界中の政治の歴史の必然なのだ。確かに現在の日本の民主主義は米国から戦後に与えられた物であるのは周知の事実だ。戦後74年に渡って与えられた物を甘受して来た訳。だが民主主義とはたゆまぬ努力の積み重ねで初めて進化し向上する社会習慣、社会制度である事を身を以て実践しこの与えられた民主主義と言う社会形態を身につけようとして来なかった結果がこれだ。社会に積極的に関わりその社会を良くして行こうと言う気持ちと、投票と言う社会参加の行動の積み重ねが如何に大切なのかと言う例。皆さん気が付かないでしょうが、民主主義とは二大政党の下メンテナンスを常に行っていれば非常に強固な社会システムなのです。しかしあなたが今直面しているのはこの内の悪い方の例なのです。小生には人々はまるで徳川時代の封建制を諦めと共に素直に受け止めてしまう士農工商の農民の心情をお持ちの様な気がしてしまうのである。だがこの政権の甘言に騙されてはいけない。これは政権の暴政度のチェックの結果を見れば判る。現政権の日本国憲法を書き換える政策とは民主主義体制の転覆と裏腹一体なのである。何故なら今の政権がやっている事は独裁者が憲法を書き換えるのと全く同じだからだ。
さて内閣及び現政権の暴政度をテストしてみよう。その前にTyranny暴君の定義を米国にある非営利教育組織"Constitution Society"のWeb[3]から少し長いが引用する:
"Definition of tyranny
Tyranny is usually thought of as cruel and oppressive, and it often is, but the original definition of the term was rule by persons who lack legitimacy, whether they be malign or benevolent. Historically, benign tyrannies have tended to be insecure, and to try to maintain their power by becoming increasingly oppressive. Therefore, rule that initially seems benign is inherently dangerous, and the only security is to maintain legitimacy ― an unbroken accountability to the people through the framework of a written constitution that provides for election of key officials and the division of powers among branches and officials in a way that avoids concentration of powers in the hands of a few persons who might then abuse those powers."
[日本語訳]
「暴政(専制政治)の定義
暴政はだいたい残酷で抑圧的と思われているし、実際そうなのがしばしばである、が本来の定義は合法性を欠く悪意のある或は情け深い、いずれかの人々による統治なのである。歴史的に見れば良い暴君は不安定な傾向にあり、彼らはより抑圧的になる事で権力を保持する様に努める。それ故最初は情け深いと思われていたが生得的には危険なものとなり、(我々の)唯一安全を保つには合法性を維持する事 - 重要な要職を選挙で選ぶ事と三権の間の分離と要職に就く少数の人々がそれらの権力を乱用する可能性があり彼らの手に権力が集中する事を避ける、つまりこれら(の防護策)を提供する明文化された憲法と言う枠組みを通して破壊されることの無い責務に答える能力を、国民に与えます。」
このウェブの記事の中で暴政が用いる憲法秩序の転覆法を解説しているので、現政権が暴政であるかどうかのテストを[3]を引用する形で行ってみる。尚それぞれの項目が明瞭でない場合にはその解説の内容を一部追加しておいた。16項目の内各項目のテスト結果は黒●、白○、灰色の何れかである。
"The methodology of tyranny" [日本語訳] 「暴政の方法論」より:
1) Control of public information and opinion
[日本語訳とテスト結果] 「公けの情報や世論をコントロールする」
例えば早急に公開しなければならない重大な情報を暫くして公表するとか、日本では記者クラブなる組織が行う自主的な報道検閲等。テスト結果は黒●
2) Vote fraud used to prevent the election of reformers
[日本語訳とテスト結果] 「改革を目指す者の当選を妨げるために用いられる投票操作」
この項目の解説に以下記されている事は「ニュースのサービスが、結果を知りうる事が出来る前に選挙の結果を知り始めていたとしたら投票数は正直に数えられていない。」
決定的な証拠はまだ十分ではないのでテスト結果は灰色。
3) Undue official influence on trials and juries
[日本語訳とテスト結果] 「裁判や陪審員に公然と不当な影響を与える」
日本の死法府の裁判官は既に政権及び行政府と癒着しているので公正な裁判はもはや期待出来ない。
テスト結果は黒●
4) Usurpation of undelegated powers
[日本語訳とテスト結果] 「本来委任されていない権力を奪取する」
内閣は本来行政府の事務次官とそれぞれの省の協力のもと祀り事を客観的にこなして行かなければならないのだが、2014年5月に内閣官房に設置された内閣人事局が取り仕切る人事により政権のイエスマンだけを各省の幹部に任命する事が可能になった。テスト結果はまっ黒●。
5) Seeking a government monopoly on the capability and use of armed force
[日本語訳とテスト結果] 「政府が(個人の)武力の能力と使用に関する独占を追い求める」
米国では個人が銃を持つ事は権利と見なされているのでこれを制限する事は暴政であると言う立場。テスト結果は白○
6) Militarization of law enforcement
[日本語訳とテスト結果] 「法執行機関の武装化」
これはガンに対抗する為警察官にマシンガンと例えられる様な米国内の事情も繁栄されているが、一般的には警察活動の軍隊化で声をあげる市民に対する威圧が行えると言う事。別の解釈をすれば警察活動の先鋭化とも考える事が出来る。そうすると闇の警察と最近注目される様になった官邸ポリスの存在を考えてテスト結果は黒としておく●
7) Infiltration and subversion of citizen groups that could be forces for reform
[日本語訳とテスト結果] 「改革の力となりうる市民グループへの浸透と壊滅」
解説部には以下の様に書かれている。意訳する「内部にスパイを送り組織を監視する事から始まる。市民グループの指導者を虚偽の犯罪で訴追するのはその兆候である。」経済界、行政府、与党内閣のやり方に反対しうる勢力が消滅してしまった事実を考えるとテスト結果は黒●
8) Suppression of investigators and whistleblowers
[日本語訳とテスト結果] 「捜査官と内部告発者の抑制」
特定秘密保護法が施行されていると言う事実から、テスト結果は黒●
9) Use of the law for competition suppression
[日本語訳とテスト結果] 「競争抑制の為に法律を使う」
解説を意訳すると「主流派が勝利する様、支持者に金銭を与え支持者が対抗する勢力を懲らしめる事より始まる、が公務員自身が不法な行為、活動に関わり、敵対する独立候補を法律を用い抑圧する....」
日本の選挙では札束が飛び交い、対立候補を貶める事例えばその運動員を選挙法違反で恣意的に逮捕、等が選挙の行事の習慣として今でも残っている。最近では参議院選のさなか秋田県庁敷地内で勤務時間中知事と県職員が立候補した候補に向かってかちどきの声を上げる違法すれすれの事をやっている位の民度の低さ。よってテスト結果は黒●
10) Subversion of internal checks and balances
[日本語訳とテスト結果] 「内部チェックとバランスの転覆」
幾つか例が挙げられるだろうが、過去の投稿に2回言及している韓国に対する半導体の部材の「輸出規制」を例に挙げておく。行政府内のチェックとバランスの喪失である。本件が外務省の頭を飛び越して経産省主導で行われていたと聞く。正常なら二国間では経済関係と外交関係は裏腹一体なのだ。この非常識なイデオロギー主導の非礼外交が何時まで続くのやら。更に二大政党制を壊滅させた結果与党に匹敵する勢力の野党が存在せず権力がやっている事のチェックとバランスを行う事無く、手綱の無い狂った荒馬の如くに憲法改正へ向かって突っ走っている政権。よってテスト結果はまっ黒●
11) Creation of a class of officials who are above the law
[日本語訳とテスト結果] 「法律の上に立つ政府職員集団の創成」
先日森友学園事件に関わった、内閣府の命令に従って行動した財務省佐川某やらを大阪地検特捜部が公文書偽造等の犯罪は証拠不十分として不起訴にしたが、この国には正義を行使する手順を整える組織である検殺と警殺が全くの腰抜けで本来の仕事をかまけているのが判る。又仕事絡みでの女性を手篭めにした山口某が逮捕されないのを見ればこのテスト結果はドス黒いぜ。真っ黒を差し上げよう●
12) Increasing dependency of the people on government
[日本語訳とテスト結果] 「国民の政府に対する依存度を高める」
この古典的なやり方は国民から持っているもの奪い取り、権力を持つ者の要求に答える様であれば奪ったものを見返りに返すやり方。例えば年金支給額これだけ減るよと脅して政権の言う事を聞くのなら考え直してもいいよ、と言う感じか。過去を遡って政権が取った実例を思い付かないのでテスト結果は白にしておく○
13) Increasing public ignorance of their civic duties and reluctance to perform them
[日本語訳とテスト結果] 「市民の義務に対する国民の無関心を広め、それらを実行することを忌避させる」
米国での市民の義務とは投票、国家非常時の兵役、陪審員の仕事等。又先の参議院選挙の争点などの情報も殆ど隠蔽と言ってよい程国民の目から隠し通し無関心を広めていた。更に日本の立法府において十分な審議も尽くさず法律を通してしまう、立法府の国民に対する義務も果たしていない現状。テスト結果は真っ黒を差し上げよう●
14) Use of staged events to produce popular support
[日本語訳とテスト結果] 「段階的な出来事を利用して人々の人気を巻き起こしサポートを産み出す」
ここ一連のお茶の間の話題「対韓輸出規制」を例にだしておこう。テスト結果は黒●
15) Conversion of rights into privileges
[日本語訳とテスト結果] 「権利から特権への切り替え」
この項目の解説は「立証責任が請願者にある適法手続を除き、政府が制限する事を許されていない事まで(人々に対し政府が)免許と許可を要求する。」越権行為。地方自治体ではありそうだ。テスト結果は灰色にしておく
16) Political correctness
[日本語訳とテスト結果] 「政治的正しさ」
この項目の小生の理解不十分故日本語訳正確でないかもしれません。かいつまんでこの項目の解説を意訳すると「殆どの人は差別用語を用いない或はもっと柔らかい言葉に置き換える『政治的正しさ』に影響され易いので差別的見方や差別的態度に対して抑圧的な行動をとってしまい、それが専制的な政府を優位へ導いて行く。」言葉狩りが暴政への道と私は理解している。日本では差別と反差別が共に己の「政治的正しさ」の基準を持っている様である。お互いがお互いラベル張りに忙しい様だ。テスト結果はどす黒い●
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更にこの続きでは専制政治、暴政を避けるにはどうしたら良いかを説明している。
"Avoiding tyranny"
[日本語訳] 「専制政治を避ける事」
「重要なの事は専制の風潮を常に感じ取り、彼らが更に先に進まない様に或は非常にしっかりと基盤を固める前に彼らの力を摘み取る事である。国民は如何なる憲法違反も決して黙認すべきではない。初期の段階で是正措置を講じなかった場合には、それは更に大変厳しい対策を後ほど講じなければならぬ事を意味し、おそらく其処からの回復には数世紀かかるかもしれない人命の損失や社会の崩壊がおこってしまう。」この例として、始めは善政の様に見受けられたシリアの現政権とその内戦状態及び後始末を想像するだけで上記は誰でも理解可能。この様な内戦状態で何時も誰が犠牲になるのか考えてみて下さい。
さて、16問中黒12point即ち12点、白2point即ち0点、灰色2point即ち1点である。よって得点は満点ではないが13点/16点として現政権は暴政テストにはしっかり合格した。これで思う存分民主主義体制と憲法を破壊出来る。だが日本の3/4の人々に取っては、この政権は暴君、暴政、専制、圧政即ち国民の敵なのである。驚くべき事だがこれが日本の民主主義の実態なのである。つまり現政権は選挙で選ばれた合法性を持ちながら、二大政党下ではない状態で憲法の理念を骨抜きにする悪意或る行為を何年も続けている暴君、暴政(Tyranny)であると結論出来ます。
ここで喚起しておきます。この'Tyranny'と言う言葉は米国の共和党民主党の上院下院の議員達、行政府のスタッフ、軍人達と大統領のみならずその市民の正義心に深く突き刺さる言葉なのです。ですからもしこちら側が言葉を発せば、米国市民は日本の政治状況を理解してくれると思います。
米国のトランプ政権より願ったり適ったりの圧力を受けている日本の現政権の立ち位置を以上の暴政と絡めて考えてみよう。中東ホルムズ海峡のタンカー運航の安全確保へ向けた米国に拠る有志連合への軍事的な協力要請である。現憲法下での自衛隊の海外での武力行使は不可能なのだが、つまり憲法違反なのだが、自衛隊をホルムズ海峡に派遣する事により、其処で外国の軍隊と交戦した場合には戦力の放棄を定めた日本国憲法を蹂躙する事がおこる訳でこの様な要請は非常に重大な米国による内政干渉と言う事が出来るのである。武力行使を既成事実として更に現政権の改憲の勢いが一段と深化強力になり現憲法がそしてその枠組みと理念が破壊されてしまいそれを日本が永遠に失ってしまう結果となる事は明白なのだが、何故日本の誰も声を出して指摘しないのか。皆さん本当に茹ガエルになってしまったね。
米国の歴代大統領と国務省、国防省が合衆国憲法の理念に基づき「世界の警察官」として米国外のTyranny体制を転覆させてその国から除去して来た歴史からすると日本の現政権を権力から排除するのが筋だが、この暴政を更に加速する様な内政干渉と言う矛盾を何故行うのかを米国の政治勢力や民主団体、そして国際社会に訴えるべきなのである。米国民主党を公然と支持する新聞"The New York Times"にでも現政権の暴政ぶりや悪行の数々、そして米国が日本の国民に対しやりたい放題やっている事に目をつぶりその政権を利用している事実を寄稿してみても良い。残念ながら今は極めて瑣末なゴシップ記事にうつつをぬかしている時ではない。日本の民主主義体制を転覆させる様なトランプ政権の、この暴政なる政権に対しての、圧力を止めて欲しいと米国上院と下院の議長に書簡を送るべき時なのである。悪政を行うTyrannyを米国が支持するのは日本の3/4の人々の民意に対する侮辱だ。ハーグの国際司法裁判所に米国主導のホルムズ海峡への護衛艦派遣の圧力の無効化を訴える事も出来るのではないか?誰がこれを行うのか?そんな優長な事言ってられないんだよ!今の日本の民主主義体制を支持する与党の一部と野党が結束して可及的速やかに事をおこさなければ全てが手遅れになってしまう。これに協力する政党が声を上げ国際社会に現政権の行っている日本の民主主義体制の破壊の事実を訴えなければならない。もうこの際自分達野党側の政権交代の非力さなんて様な恥も外聞も無いんだよ。もしかしたらもう遅いのかもしれない。だが一縷の望みを持って - 皆さんこのウェブを読む事はまず無いだろうが - 無理を承知で訴えたい。次の衆議院選まで待てないのだ。あなた方が投票と言う行為を通して暴政を行っている自民党と決別してこの国を平和な国へと、そして3/4の日本国民が再び国政の舵を取り戻し、コントロールし始めるきっかけを作り出して頂けるだろうか?もう時間が無いのである。
もし内閣自身が米国に拠る有志連合への軍事的な協力要請の回答を出来る資格があるのであれば、その結果の公表を日本中に行う前にこれを阻止しなければ日本の民主主義はご臨終となる。韓国との貿易戦争や2019年度防衛白書原案での韓国の重要度格下げと言いこの米国の圧力などと、1/4の国民の、あわよくば残り3/4の国民の愛国心を煽って人々の心の操作を行い政権がやりたい事に同調させるやり方。まるで原理主義の司令塔がそれぞれの行政府に送り込んでいる配下の者達に向かって、そのタクトを振りオーケストラの様にそれぞれの省庁による政治の出来事を造り出させ、憲法改正と言う一つの流れに合流させる様にショーを進行させている。スマートな奴らだ。今の世の中の一連の動きは彼らのシナリオ通りなのである。これが一連の憲法改正のドラムの音が大きくなりそして早くなって来た理由なのである。彼らに取っては今が憲法改正への集大成の時であり、その突破口なのである。残念ながら彼らが造り出した流れに抵抗する勢力は現在の日本には存在しない。これから最終的に少なくとも1/2の日本の市民がこの暴政に選挙でNoを突きつけ民意を表さない限りトランプ政権内のタカ派からの圧力は弱まらないであろう。
この章の最後にあたり: 問題は王様は裸と言えない国民性でかつ、人々はその裸の王様が暴君だと言えない根性無し、つまりこの暴政に鉄槌を下す勇気さえも無い訳。しらけているのがcoolなのではない。この現政権の暴政を引き返せない所まで行かせてしまうのかどうかはあなたの行動に懸かっている。今からでも遅くはないと己に言い聞かせ「さあ、世直しの為に投票へ行こう。」そしてより良き政治、善政に向けた流れに参加しよう。将来を予見しようと努力する人々にとって、政治に参加する事は知的な興奮であり楽しみなのである。政治が楽しければ日本の民主主義の未来は明るい。そして志ある政治家達よ、本当に投票に値する入れ物を用意しておいてくれ。
参考文献等:
[1] "専制政治," ウィキペディア,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%82%E5%88%B6%E6%94%BF%E6%B2%BB
[2] "一握の砂," 石川啄木, ウィキペディア,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%8F%A1%E3%81%AE%E7%A0%82
[3] "Principles of Tyranny (暴君の原則)," by Jon Roland (米国にある非営利教育組織"Constitution Society"の創設者),"Constitution Society" のWebより,
https://constitution.org/tyr/prin_tyr.htm
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第13章 「日本病」と言う病。 人間の顔を持った社会とは?
先日9月23日のスェーデンの16歳の女性Greta Thunbergさんが国連での"Climate Action Summit 2019"で行ったスピーチの録画を最近見た。[1] 驚いている。新聞では伝えきれていない声が伝わって来る。とても立派な人である。人類は何処へ行こうとしているかを俯瞰し、この世界を大きく見ている人だ。皆が皆生命の破滅に向かって行進している時、我々大人達に対し正気を取り戻させる声を私は彼女の発言の中に聞いた。彼女が彼女の同世代に共感と連帯を訴えている事とは何か。それは生命としての自己防衛を喚起させる風である。そして何も変えようとしない国々の指導者達を怒りを込めて激しく非難する理由とは一体何かを思い起こす。それは宗教やイデオロギー、資本主義的、共産主義的思考と習慣により、現状維持を選択しなんら行動を起こさずに茹ガエルとなった世界の先進国の人々の偏狭さと頑迷さを利用し現(与党)体制の保持を図る国の上層の人々に向けられたものなのです。例えば大統領の教唆の下、人々の生態系への無理解と欲に付け込んで進んでいるアマゾンの熱帯雨林地帯の大規模な破壊が一例です。私には彼女の国連でのスピーチの揚げ足を取る方々の頭の中が理解出来ないのである。彼女の発言のContext、文脈を見ないで言葉の表面を見ている方々が何故多数いるのか。その理由は単に彼女が子供から大人になった人間達の怠慢と無為無策を非難しているからで、彼らはその事実を指摘され反発する愚かな大人達なのだ。1945年の生命の滅亡を起こしてしまう核兵器の使用とそれに対抗する為理性と英知の行使を促した1955年のラッセル-アインシュタイン宣言、"Russell-Einstein Manifesto"[2]も虚しく現在でも核兵器の数は一向に減らない大人達の無為無策と共通なのである。この宣言の一番最後にラッセル卿とアインシュタイン博士は締めくくっている。"We appeal as human beings to human beings: Remember your humanity, and forget the rest. If you can do so, the way lies open to a new Paradise; if you cannot, there lies before you the risk of universal death."抄訳は「私達は人間として人間に訴える: あなた方の(人としての)ヒューマニティーを思い出して欲しい。そしてその他の事は忘れて下さい。あなたがその様にすれば新しいパラダイスが開けて来る; もしこれが出来ないのであれば世界が死のリスクに直面するだろう。」これは「第7章 何処から、何処へ、何ゆえに」で述べた 哲学者"Karl Jaspers"の立ち位置「...核戦争の恐れが個々人の意識の中に浸透しこれが新たな'ethos'『風潮』として育ち、歴史上のモラルの力となり、絶滅の脅威に対する適切な政治を産み出す可能性、の中に我々の希望がある」との考え方と共通する。この生命としての存在から流れ来るヒューマニティーを忘れてしまった愚かで強欲な人間達が地球に向かって行って来た、放射性物質量をまき散らす大気圏内や地下での核爆発実験、水銀汚染した魚や、油にまみれた海の汚染、大気汚染等の蛮行愚行に対し神に許しを請う歌を1971年に作詞作曲し歌った人がいる。その彼の曲の歌詞の中の2点がGretaさんの発言全てを集約していると私は思う。[3]
1) "Whoa, ah, mercy mercy me. Oh things ain't what they used to be, no no." 「おお、ああ、私を許して下さい。(多くの)もの事が前の様ではなくなってしまった、ノー、ノー」
2) "What about this overcrowded land. How much more abuse from man can she stand?" 「この人に溢れた土地はどうなのだろう。人間から受ける虐待を彼女(地球)は更にどれだけ堪えられるのだろうか?」
あなたはこの2つの気持ちを感じた事はありませんか?この「7章 何処から、何処へ、何ゆえに」での見方を取ると私にとっては「『生命の誕生』から、『生命の滅亡』へ、『ヒューマニティー』の欠落ゆえに」地球が殺され生命が死んで行く未来を垣間見てしまう。生命を絶滅に導いて行く様な要因を少しずつ破棄し無力化して行く事も出来ない我々大人達。人間の間のヒューマニティーも置き去りにしている現在。それぞれのイデオロギーや宗教のContextの違いから憎しみが発生し軍隊が発生し核兵器が発生し大量虐殺が起こるこの世界。Contextの違いにも関わらず力を持つ者に共通する事は子供達と地球の未来も何ら想像もせず、彼らの利益を最大にする事に専念しているのである。これに由り不可逆な環境破壊が進んでいる訳。それはこれから産まれて来る生命に対する犯罪に他ならぬ。Gretaさんの怒りは今の目先の利益と子供達の明るい未来のどちらが根源的で優先順位が上なのかも考えない政治家経済人と彼らをサポートする行政府に対しての怒りなのだ。自由貿易の名の下のTPPに依り地場産業の農業が死んで行き、乱獲と海水温の変動に依り漁業が死んで行き、人手不足や過剰な伐採に依り林業が死んで行く生命と人間の共存するエコシステムの崩壊の時代と言い得よう。これら再生可能な資源の破壊を許す行政とその背後に控える、見えない大きな力を持ったGeopolitics.生命の個体数と種の数が減少し人間だけ人口が増え続ける、この地球上で続く生命の多様性の消失が無言で進むのである。これらの地球全体の問題は'Post-Geopolitics'と言う世界に向けて人々が自ら進んで行かない限り達成出来ないのです。だから今、権力を自由に操れる一部の人々により操作され踊らされている、人を憎しみ人を傷つけても平気な己をそこから解放し偏狭で頑迷な行動様式に「さよなら」を言う時なのではないでしょうか?
さて話しを日本に移す。皆誰も大きく観ようと努力しないこの日本の世の中、これら上記13章の投稿で日本がそして日本の人々はどの様な不可知な機構と仕組みに日々直面しているのであろうかと言う問題提起を行って来ました。そしてPost「原理主義」の時代へ進む為には、以下長々と文章を書いたのだから其処に辿り着くまでの道筋を付けなければならない、と思うのですが...如何せんその才能も時間も持ち合わせていないのでこの仕事は誰かにバトンタッチします。日本の上に立つリーダー達が国内のリーダーとしてだけではなく世界のリーダーとしてこの地球が人間の欲望と狂気で破壊される前にどの方向に向かって、何を成さねばならないなのかと言う問いの道筋や対応策を出さなければいけないのです。例えば世界中の軍事費を年間予算制から月間予算制とし、一年の内一ヶ月だけでもゼロにするとか劇的な転換を行う事が出来ないのでしょうか?このPost「原理主義」へ進む道筋を見つける宿題を良心と希望に満ち志を持つ政治家達に委ねたいと思います。グレタさんが問い続けている問題は日本も該当します。再び言います。あなたを含め良心を持つ人々が今戦っているのは市中の人々の偏狭さと頑迷さなのです。この習性の病を人々に罹患させ利用する強欲な少数の人々がいると言う事を忘れないで欲しい。
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では本題に入ろう。一番最初の章で「強欲」と「風潮」と「見えない大きな力」と言うこの一連投稿の中に流れるキーワードを申し上げました。あなたはこれらの投稿で3つの言葉を通して日本の社会、日本の人々、日本の政治、そして同様に世界の人々や世界の政治の事を思い巡らせて見たかもしれません。更にこの50ページ弱もの文章中にはもう一つのキーワードが入っています。それは「ヒューマニティー」と言う言葉です。この言葉に進む前に見ておきたい事があります。この章の際者の部分で少し述べましたが、この中で「見えない大きな力」と言う言葉の背後にあるものごとを見極めるともう一つの言葉'geopolitics'「地政学」と言う言葉が見えて来ます。日本の社会を見ると日本独自の地政学があり「復古主義」或は「国粋主義」「民族主義」と言うイデオロギーを纏って、それらが跋扈している今の日本社会を目の当たりに出来ます。その日本の外の世界を見ると更にドロドロとした欲望に満ちた人々が動かす「覇権主義」としての地政学が実感出来ます。日本独自の地政学を推進する「彼ら」に「原理主義者」「復古主義者」と言うラベルを張るのは気が引けるのですが1/4の日本の国民が国家神道と言うイデオロギーに走っているのではないかと思えて来る現状を鑑みると「日本列島改造論」ならぬ日本の社会の中で「彼ら」が進める「日本人改造論」がメディアを使って実践されていると判断するのが自然だと思います。今世界の民主主義の国々の中で憲法改正に夢中になり、強大な軍事力を持とうとしている国はトルコ(独裁制が完成間際。既に憲法改正してしまった。でも都市部のトルコ市民は大統領が進める独裁制に抵抗している)と日本位でしょう。その様な状態の日本、尊敬に値しないと世界の国の人々に笑われています。この3つの流れ「強欲」と「風潮」と「見えない大きな力」、に対抗出来る力を備えた「ヒューマニティー」と言う見方と考え方をどの様に行使するかを全くと言って良い程考えて来なかった日本の社会。先ほどの言葉"Remember your humanity, and forget the rest."これが日本の方向を決める鍵と成る事を明記しておきます。
さて前章の最後で述べましたが一人一人が投票へ行けば、日本が抱えている問題が直ぐに解決する様な幻想を与えてしまったかもしれません。又、私はあなたが以下の様な事実を認識しているかどうかは判りません。実際に日本が抱えている問題は途轍もなく大きなものなのです。投票に行く事は瀕死の民主主義国家日本の、治療へ向けた最初の一歩と言う事を伝えておきましょう。何故なら国民の知らない間に専守防衛と言う憲法の枠組みから大きくはみ出した戦闘機F35Bを搭載出来る攻撃型空母「かが」と「いずも」を建造してしまう程の社会勢力が支配している国の社会に住んでいるのです。今日のホルムズ海峡への自衛艦の船舶派遣、イージス アショアを含めた全ての日本の憲法から逸脱する流れが深化し本格化即ち再軍備化、再軍事国家化させる動きが何時始まったのか皆さん疑問に思った事は無いのでしょうか?「1番艦『いずも』が平成22年度予算で、2番艦『かが』が平成24年度予算で建造された護衛艦であるため...」[4]そしてこのウィキペディアの中で2つの空母の建造機関が2012年から2017年と明記されています。民主党が政権を握っていた時代に既に空母建設の流れが決まっていた事に驚いてしまいます。そんな中で"The New York Times"電子版の記事[5]が2015年4月の安倍首相の米国訪問でのオバマ大統領との会談の際に、事前に用意されていた二国間の軍事的な合意の内容を発表しました。この合意内容の解説は全く日本のメディアに登場しなかったのではと思います。此処では2点引用します。(1) "...American and Japanese officials announced an agreement on Monday that would expand the reach of Japan's military - now limited to its own defense - allowing it to act when the United Sates or countries American forces are defending are threatened...." (2)"Now Japanese forces also could aid American ships involved in missile-defense activities in the region, or Japan could intercept a missile heading for the United States. 'That is a very big change from being locally focused to being globally focused,' Defense Secretary Ashton B. Carter said..."
[日本語訳]
(1)「米国と日本の担当者達はこの月曜に - 現在自己防衛に限られている - 日本の軍隊の役割を米国が又は米国が防衛している国が脅威に晒された時、行動を許される事に(方針転換に)同意する旨を表明した」
(2)「今日本の軍隊はこの(アジア)地域でのミサイルに対抗する活動を行っている米国の艦船を援護する事、或は日本が米国に向け飛翔しているミサイルを遊撃する事、が出来る様になる。国防長官のAshton Carter氏は「これは地域に焦点を合わせた事(軍隊)から世界に焦点を合わせる存在となり非常に大きな変更だ」 この記述はイージス アショアを是が非でも秋田県と山口県に配置したい政府のおおもとの理由なのである。
これは日本の「大きな見えない『イデオロギー』の力」と米国の「大きな見えない『地政学上の』力」の間でこの軍事協定の合意に達したと解釈すべきなのです。日本国の主権をねじ曲げる犯罪を現政権は行ってしまった。既に日本国憲法は実質的に改変されているのです。更に2015年7月に集団的自衛権を容認する安全保障関連法案が衆議院を通過。この日米間の軍事的一体化の同じ流れは日本国憲法の解体の始まりを決定付ける事となった。
「彼ら」が練り上げ決定した或るスケジュールに従って現在の日本が歩んでいる軍国化の道が既存路線となっていて、その行き着いた先が憲法の枠組みと理念を超えてしまう今回の米国国務省の発表[6][7]となった訳である(この文書[6]を読んでみました。日本の行政府と自由民主党の命綱は日米安全保障条約なんだなと実感出来る外交文章でした。でも何か足らない。非常に重大な内容を持つ密約が背後に隠されているとの印象を受けた)。このオバマ大統領と安倍首相の会談の記事は日本国憲法の実質的な改変を行う合意に達した事実を示す。処が、なのだ。この合意に関して何時誰が主導権を持ちどの様な過程を踏みこの合意の草稿を練り上げたのかを日本国民に明白に説明しなければならないのです。それが全く為されていない事実。憲法と言う法律の一貫性を保つ為に、ここに国会による国政調査権の発動を要求します。何故ならそれは現政権が己の利益の為日本の主権を自らねじ曲げたのか、引っ込めたのか、それとも米国に売ったのか。或は米国のオバマ政権の圧力で折れたのかが闇に封印されているからです。以上の点を含め一番最初の時点で軍事協力の提案をどちらの国が最初に行ったのか。裏に隠された密約の有無等、を国政調査権を用い明白にしなければならないのです。この調査権は外交機密と言う盾よりも上位に位置する。何故なら、憲法に違反する様な事を行う事は憲法自身がその枠組みの一貫性を保つ様に憲法そのものの自己防衛を行う様行動する事が許されるのである。もしこれが日本と米国の間で秘密裏に進められた議題だとしても、名目として外交機密は適用されないのである。現政権は既に皆さんが考えている以上に深刻な憲法破壊を気が付かないうちに秘密裏に行ってしまっているのです。
それにしてもこの様な事を認識出来ず、記事にも出来ない日本のジャーナリストはアマチュアよりもランクが下だ。中学校の学校新聞を作っていた方が良いのでは?しかし...残念な事だが彼らとて以下に述べる「日本病」に疾患している人間なのだ。だから今の日本の人々はこの軍事協定の合意に二国間で「大きな力」が働いた事を知覚出来ないのである。
さて、「英国病」と言う言葉を御存知ならばそれはあなたは年配だと自覚しなければならない程昔の話になってしまった。それは1970年代の英国の経済状態、人々の日頃の習慣と社会の風潮の事を一般に指します。当時英国は慢性的な経済停滞と労働者の勤労意欲が低いと言う評判でした。それを世界中で英国病と呼んでいました。その後鉄の女サッチャー首相が登場し北海油田の開発稼働(読者からの御指摘、感謝します)等ラッキーな要因の結果英国はその病から回復。では、この日本国内へ眼を向けて見ます。日本では英国病ならぬ「日本病」が蔓延しているのです。それは日本が死に至る病なのです。「日本病」と英国病と決定的に違う所は、「病にさせられた人々」と「病になった人々」なのだと記しておく。
今日本の社会が直面している根本的な問題点は何処にあるのか?それは、社会そのものが「見えない大きな力」によって病にさせられてしまった事に対して、茹ガエルが茹で上がって死ぬ直前みたいに人々が平然としていて投げやりな事なのです。それ故自分達をどの様に治療して良いかなんて考えもしない。さらに人々が心の質を低下させ、心の元気さを失い、そして人々の能力が心が病んで衰えてしまった事に気が付かない。生きる力さえも失ってしまったかの様な無気力に満ちた社会。それを私は敢て「日本病」と呼びたいのである。どんな特徴的な症状があるかを思い浮かべた項目だけ2つのカテゴリーに別けて列挙しておく。
■社会の低いレベルから見る、「どうして?」
・大人達が子供の手本では無くなってしまった・貧富の差に関係なく子供達に豊かな公共の教育環境を提供出来なくなった・若い人々は内向き指向になり、人々は国際的な視野を失しなってしまった。即ち世界を相手に競争していると言う意識を喪失してしまった・皆チャレンジしなくなった・自分の意見を言えなくなってしまった・自分の意見を言う人を攻撃する、表現する人々を脅したり抑圧する様になってしまった・皆ストレートにものが言えなくなった・皆本当の事が言えなくなってしまった・真実を言う勇気がない、即ち人々は間違っている事を間違っているといえない・子供達を含め人々が皆集団で陰湿なイジメをする・嫉妬心とかイジメたい気持ちを持ち、パワハラしたりセクハラしたりする・人をイジメてストレス解消する・人々が泣き寝入りする様になってしまった・会社が、社会が皆腹黒く嘘付きになって来た・TVの内容が低能になってしまい知性のカケラも感じさせない事にうつつをぬかす様になってしまった・人々が愚かになった・人々から寛容さが失われてしまった。つまり日本の社会が独善と偏狭に満ちてしまった・自分の時間を失い、LINEに1分以内に返信しなければならない様なプレッシャーを感じる様になってしまった・取るに足らない色々な情報に振り回される様になってしまった・自分の足で歩く自己推進力を失い群れの中で皆と同じ様に流される様になってしまった・人々が直ぐキレる様になってしまった・日本の社会に暴力が満ち溢れる様になってしまった、そして社会で犯罪が多発する様になってしまった・皆批判精神を失ってしまった。一方人々は批判された時大らかな気持ちでいられなくなった・皆悪い事を悪いと言わず自己保身に走る様になった・皆組織にとって不都合な事を隠す様になってしまった・皆責任逃れする狡さを身につけた。皆卑怯になってしまった・皆最初から諦める習慣がついてしまった・皆力を持つ者に服従し媚びへつらっている・皆行動する力を喪失し、不正が正せない・ある出来事の説明の責任と結果の責任をとる習慣を失った・ウヤムヤが大好き・人の痛みを感じなくなってしまった
11章で述べた「毒槍」を持って日本の国民を自分達の利益の為に搾り取ろうとする3つの勢力は、日本が世界一流国だとラッパを吹いて人々を奮い立たせています。でもこれだけの病状を日本社会が示している現状の中日本の国力の実体は遥かに下に墜ちてしまっているのです。それは...「そ・し・き」の中でものを言えなくなった言わなくなったと言うこの社会の劣化の根本原因が有るからです。これでは社会が悪い方へ流されてしまうのは当たり前。それに抗う一人の自衛官がいた事を皆さんすっかり忘れてしまったでしょうね。海上自衛隊の自衛艦たちかぜ一等海士の自殺事件をここで出します。民事訴訟が2014年4月に確定しました。事件の流れを説明します。 2004年10月27日に当時21歳の一等海士が遺書を残し電車に飛び込み自殺。この中で上司の二等海曹を名指で批判。この為海上自衛隊はその後たちかぜ全乗員に暴行や恐喝の有無を尋ねるアンケートを実施。2005年に遺族がこのアンケートの公開を要求したが、海上自衛隊はアンケートは破棄と事実をねじ曲げて回答。「2006年4月5日、自殺した隊員(21)の両親が、Sと国を相手取り、1億3,000万円余りの損害賠償を求める訴えを横浜地裁に起こした。....2011年2月4日、遺族側は判決を不服として、東京高等裁判所に控訴した。2014年4月23日、控訴審は遺族の主張を認め賠償額も7350万円に大幅に増額、小野寺五典防衛相は25日の閣議後記者会見で『重く受け止める』と述べ、上告を断念する意向を示した。遺族側も上告せず、判決が確定した。」[8] 裁判中に三佐がアンケートの存在を内部告発。2012年6月に海上自衛隊はこれらアンケートが存在している事を7年もの間嘘を世間につき続けた後に認めた。
何故未来永劫に渡り日本の組織内で不正がまかり通るのかの答えが此処にある。その自衛官が今の日本の人々に決定的に欠ける心を一言で語っている。組織の中で人らしく振るまう事が如何に同調圧力で抑圧されているか良く判る例。彼の言葉は次の""の引用文中の一番最後の鍵括弧参照の事。"かつて訴訟担当者だった現役自衛官が「重要文書を隠蔽している」と、自らの組織の<不正>を暴いた。「自衛隊が、不利な事実を隠したまま『不正な勝利』を得てしまう」今の生活を失ってしまうかもしれない恐怖と闘いながらの苦渋の決断だった。自衛隊は「文書は破棄した」と説明してきたが、一転。その後、200点もの大量の文書が開示された。... 「私は、組織に対してではなく、法の正義と国民に忠誠を尽くしたい」...."。[9]上から下まで色々な組織でどれだけ不都合な事を隠蔽すれば気が済むのだろうか?「なお、内部告発を行った三等海佐は小野寺防衛相が処分に対し否定的見解を表明していたこと(2014年4月25日)から処分対象とされなかったものの、所属組織である海上自衛隊内部から人事面での不利益を被り続けている」[10]これが正義を潰し日本の社会を劣化させてしまう、"social pressure"(組織的)社会的圧力、「出る釘」ならぬ表に「出る正義は打たれる」日本の悲しい現実である。善さえも社会から駆逐されてしまったのか?
民間でも同様なのである。古い例であるがオリンパスと言う会社での出来事。それでは順を追って:
□ 2011年8月。東京高裁は、オリンパスが社内の問題を内部告発した社員の配置転換行ったが「内部告発で配転は人事権乱用」[11]とオリンパスに賠償命令の判決を下す。結果はオリンパスの敗訴
□ 2011年10月。関連会社からオリンパスの社長に抜擢したマイケル ウッドフォード氏がオリンパスの上層部の不正を内部で正した結果解任される。[12][13]
□ この社長の解任劇の原因となった巨額にして長年の累積赤字の隠蔽事件が明るみになり、刑事事件に発展
□ 2012年2月。東京地検特捜部は前会長ら旧経営陣を逮捕。[14]
■ 社会の高いレベルから見る、「どうして?」
・世界の中で日本の存在がそして人々がユニークで無くなってしまった・国と色々な組織がダイナミックさを失い硬直化してしまった。動的社会から死んだ様な静的社会へと変質。人々が地域社会のイベントや地方政治、国政に関わらない・内閣と行政府が嘘を言っても情報を隠しても誰からも罰則を受けない・組織内での自浄作用の喪失・国民の知る権利を無視し、社会からそのオープンさが失われ秘密主義になってしまった。つまり密室の中で重大な事が決まってしまう・日本の至る所の組織で事実をねじ曲げたり、隠したりする・組織の中でのスピード感の喪失、決断力の喪失=茹ガエル状態・日本の経済力が、科学と技術力が落ちてしまった・日本の社会からイノベーション、発明発見する人材が育たなくなってしまった・皆時代を切り開く気持ちを失ってしまった・皆同じ色に染まる。即ちガンジがらめ・心がオープンで無くなり閉鎖的で島国根性になった・日本の文化のレベルが落ちてしまった・上から下まで日本は病んでしまった・日本の社会に悪が、そして不法が蔓延る様になってしまった・巨悪がぐっすり眠れる時代になってしまった・日本の地方の自治体から中央の行政府までの組織と会社は無責任に被われ不正に被われてしまった・皆無責任無関心無気力、更に脱力してしまった・秘密主義を通すから嘘をつかざるを得ないがこの循環から抜け出せない・女性が二流市民的な扱いをされる社会、つまり女性の才能を殺してしまっている・皆勇気を失った・誰も点と点を結んで線とする作業を行わない。つまり権力が隠すパズルを解かない・目に見えない大きな力への関心の喪失・見えない物を見ようとしない、見る事が出来ない。よって文化とか見えない物を造れない・皆大局観が無い・目の前の問題を根本から解決しょうとしない・日本の政治が腐ってしまった
皆さんこの連続投稿を読み、そして上記最後の問い「どうして日本の政治が腐ってしまったのか?」に対し自ら何か答えを見付ける事が出来たのでしょうか?まだですか?もしそうであれば、ちょっと悲しいです。では四つの要因を挙げよう。
(1) それは政治の私物化による: そもそもそれは、政治のプライオリティー優先順位がとんでもなく間違っている事の結果なのです。国家神道と言う「原理主義」を信奉する人達が政権を握っている事、つまり「彼ら」は国家を最優先するのです。それは国家の名誉を守り、対外的に国の威信をかける習性が優先されます。そして国民に国力と威信を保てる様お国の為に奉仕しろと、一生懸命働けと、強要している訳です。大人の思慮を持たずに隣国といがみ合いしているのを見れば明らかでしょう。自分達が自由に政治を操る事が可能になったと言う結果
(2) それは国家の私物化による: 上記の様に、国家神道支持勢力が戦後から地道に「彼ら」の夢に沿った社会変革の運動を行って来た結果を我々は今直面し体験し、目撃しているのである。そして政権が行政府をアゴで使う様に操れる時代だ。更に産業界(科学界や教育界の一部もこの中へ入れたい)も「彼ら」と共同で日本の社会と国民を私物化している事は第11章で申し上げた。何回も言って居るが日本を、明るい未来が見えない、自由の制限され、息苦しい巨大な改憲マシンに変えて自分達の夢に沿った社会変革を実行している訳。「彼ら」が社会から対抗する勢力を駆逐し消滅させ、権力を私物化し即ち必然的に独裁化暴政化しその勢いで国体の変革を図っている。法治も何も無きに等しいこの国家。例として、同類は批判出来ません。よって中国政府の香港の市民に対する血も涙もヒューマニティーも無い強権的な態度と対応を批判する事無く、民主化要求に共感的な日本の姿勢を見せられない訳。皆さん改めて言っておきます。日本社会を「彼ら」の希求する社会へとひっくり返す革命の成就はもう目の前に、そこまで来ているのです
(3) それは人々の劣化による: 人々を愚かにし人々の考える力を、行動する力を奪い取り自己推進能力を剥奪する社会的な仕組みを運営し続け、皆が皆何も言わないこの希望の失せた世の中で、社会をより良い方向に築いて行く気持ちがとても嫌な物、タブーな物であるかの様な風潮を造り出して来た。人を皆と同じ様な烏合の衆にはめ込み社会の中で流される人間に堕落させている。自分の投票と言う権利の行使が後ろ髪引かれる様な風潮の世の中では、1/4の国民が政権を盲目的に支持する為立法府が「原理主義者」の聖域になってしまうのは当たり前である。「彼ら」の国体の変革運動にはインテリや現政権に反対する勢力や民主体制を支持する勢力は邪魔、皆バカで「お上」の言う事を聞く人間が良いのである。人の力は国の力。日本は病にさせられた人間から成る国なのです。これでは国力が落ちる訳だ。でも皆さん、このままじゃあもう駄目だと言う気持ちにならないのでしょうね...
(4) それは政治形態が稚拙で昭和20年から少しも変わっていない進化していない事による: 村の密室政治と村の、町の、市の、県の(地元の)実力者に間違っていようがいまいが、自分の気持ちを捨てて付き従い忠誠を誓いへつらう部族制の政治形態。即ちそれは実力者に従い己のコネと言う利権を確保する習慣が日本の社会に根強く残っている訳である。だから百年経っても二大政党制は産まれる訳が無い。地元の実力者(地元の自由民主党の支持母体)が今や「国家神道」を支持し彼らに忠誠を誓う人々も自由民主党の支持者となっているのでしがらみと絆でがんじがらめとなり自分の中の論理的な判断を最初から放棄している訳。これは、汚れた実力者でも無条件で支持するメンタリティー即ち親分子分の関係であり、其処には女性の入り込む余地もなくその親分子分の関係と相容れない個人のユニークを尊重する社会と正反対の行為を旧態依然と日々行っているのである。この延長線上が「安倍一強」と言う事。これは日本の政治形態が将軍様、お殿様、お代官様と武士、農民、工業人、商業人が下から上へ袖の下を通して上がる収賄の金が物を言う江戸時代の政治から抜けきれていない証左なのだ。この祀り事の仕組みの行き着いた先が腐った政治なのである。村の病理が行政府と言う天辺まで到達している事は戦後70数年続けられて来た習慣が長らくの間に定着し、地方が中央の言う事を聞く様な関係が強要され高度な地方自治が失われ自治体職員は仕事もろくにせずお茶を呑むだけのだらしなさ、無責任さと相まってそこそこ程度の村の政治水準が国政レベルで維持されている訳。確実に国が破滅の一歩手前まで来ているのである。つい最近では賄賂を受け取った関西電力の経営陣がニュースとなったが、彼らが収賄罪で逮捕される事なく幕引きされてしまったケースを見てみよ。力のある勢力に服従するJusticeなんて言葉も知らない怠惰な面々、己の仕事もしない死法府と検殺庁の従業員の役立たずの例。よくもまあ恥ずかしくないものだ。賄賂みたいな事は世界の先進国の常識ではあり得ない事。即ちお仲間意識と悪巧みで通じ合った補完的な互助心と、権力者への帰属心に満ちた国の上層部の面々。村の賄賂の受任のメンタリティーと習慣が世に満ちた、世界の標準に達しない島国である。この社会習慣が世に満ちていれば国力は三流に落ちる。それほど非常に深い病にかかっているのだ。そして過疎地では相変わらずこの様な政治形態が執られ、方やその様なメンタリティーの薄い人口密集地の人々は投票権を棄権する様に操作され続けられた上更に、地方と人口集中地域の憲法違反と判断されている一票の格差も全く省みられない事実。更に人々がこの腐りきった政治の仕組みにも抗議もしない茹ガエル状態だ。これでは永遠に自民党が政府与党の立場を取り続けられるのは何ら不思議では無い。悲しいかな上に立つ者達が腐った貴族の如く振る舞い、武士道の潔さも持ち合わせていないとは世も末である。
この4つの要素が連動して日本と言う国を軍事国家へと進ませているのです。その日本の行き着く果てに辿り着く過程で今政治が腐ってしまっているのを人々は目撃しているのです。簡単に言えば「原理主義者」「復古主義者」が日本を乗っ取り日本国民の心を乗っ取っているのです。それはあたかも村上春樹氏の小説「1Q84」の中のパラレルワールドでおこっている出来事が今の事態を予言した様に現実に起きているのである。
さて皆さん点と点の繋がりを大きく観ようとしないと思いますが、同じ様に戦前の日本と日本人も病んでいました、それ故に神風が吹くと言う催眠術に安心してかかっていたのです。戦後国民が深く過去の振る舞いを反省し続けて来た結果心の病からすっかり回復し、その一方同時に人としての尊厳を抑圧するソビエト連邦からの「大きな見えない影響力」と戦っていたドイツ市民。一方この国では心の病気を回復させる様な努力もしないまま70余年経過しましたが、再び日本が深刻な病にかかってしまった事を目撃すると、何とも悲しいものがあります。島国根性の政治屋さんや原理主義を信奉される方々も先陣を切って「日本病」にかかっている現状。この政権が主張する憲法改正の中身も判らないで協賛する政治屋の面々はその意味で日本の民主主義の敵と言って良いのです。
次に人々が洗脳されてしまうとはどう言う状態なのだろうかを述べたい。例として、現在の民主主義を守ろうとする勢力を「左翼」とか「反日」として分類する人々もいます。でもちょっと待てよ?今の世の中「ネトウヨ」の方々にとって「保守=善」であり「左翼」と分類されるグループがすっかり「悪」と言うイメージとして浸透している様だが何かおかしくないか?その理由は簡単だ。「右」と「左」と言うカテゴリに区分けされる勢力が議会を交代で主導するのが二大政党制の仕組みなのである。一般的に「右」とは企業寄り、金持ち寄りで彼らの税金を下げる様に努力し、技術革新等での成長及び国防を重要視。一方、一般的に「左」とは懸命に働く者と弱い立場の人達寄りで社会福祉の充実を目指し、金持ちや企業にはそれ相当の税金を払って貰う様努力し更に経済成長より子供達や国の平和な未来を重要視。(3/4の国民の皆さん判ってますよね?この常識。)「ネトウヨ」の方々は二大政党制の英国や米国では「左」として労働党と民主党、「右」として保守党と共和党がそれぞれせめぎあって議論し国家を運営している事実を知らないのだろうか?この2国から「左翼」政党を消滅させたら英国では保守党の一党独裁となり、米国では共和党の一党独裁となってしまう。だがそれぞれの市民の間の風潮には必ず「振り戻し」として政権交代をおこさせる習慣があるのである。米国の民主党が国民に不人気な政治を執り行っていたら、それぞれの政党を支持する層の真ん中、中間の人々は次の選挙には共和党を支持する事で民主党を懲らしめる様にしている。だから自分が次回の投票に「左翼」的政党を支持するのか「右翼」的政党を支持するのかは自分が過去それぞれ支持して来た政党がどの様な良い政策を採って来たとか又は悪い政策を採って来たかで判断し決定する。つまりより良い政策を打ち出している2つの政党内の1つへと投票するので、その過程で右左区分けしてこちらは悪い政党だと言う思い込みは持っていない。単なるポリシーの違いを選択している訳。だから左とか右とか言っても両方正しいのである。自分の投票権、一票の使い方は極めてドライ。地元の実力者に付き従い彼らに投票する日本の市民(その意味で平民)とは大違いなのである。方や英国の保守党、労働党。米国の共和党、民主党。お互いがお互いののしりあっているのは二大政党制の中だからまだ健全。そして米国の場合例えば共和党政権が去った後は行政府から共和党政権を支えて来た職員がごっそり退職し民間に転職するので行政府も様変わりする。この世界の民主主義情勢を知らない能天気な面々が、この一度自民党政治から非自民党へと振り子を振り戻した後2012年末に崩壊させられた日本のモヤシの様な二大政党制度の中で自民党以外の政治家を糞「左翼」とか言っている自分の姿を子供達に見せられるかな〜。ちょっと恥ずかしいよ。でも人々がひとたび洗脳されるとこの影響は後々まで続きます。
更に第9章で説明した事なのですが、皆さん「知覚の不在」が世に溢れると何がおこるのか想像した事があるのでしょうか?それは人に対して「ラベル張り」を行う習慣を持つ様になるのです。上記の例では「左翼=『悪』」と安易にラベルを張る事。他に例えば何処かの政治家を「左翼ポピュリスト」なる言葉でラベル付けする事は出来るが、その後ろに或る日本の社会の病んだ理由を考えた事の無い文筆業の方々がいる訳。人間の最近の歴史を見ても幾つもの例を挙げられる。その一つ、50年弱前カンボジアのポル-ポト政権下においての大量殺戮がおきました。一説によると150万人〜200万人もの方々が命を落としたアジアの暗黒の歴史。これも或る人々にラベルを張り付け彼らを無法の状態で抹殺して行った結果です。方や冷戦下の米国でおきた1950年前後の社会現象「マッカーシズム」所謂「アカ」狩り、等の例がある。つまり何処にでもいる市井の人々にラベルを張付け、社会から隔離するとか、その人の社会的な地位を剥奪するとかを行うのである。これは単に集団的なヒステリアとも言える。一つの言葉でラベルを張られた人間とその人の実体がかくも乖離しているのかを人々が気付くは残念ながらその人の尊厳が貶められた、遥か後なのである。
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では最後にこの息苦しい社会と腐った政治にあなたが対抗するにはどうしたら良いかを考えてみたい。
(1) "Automata"(自動人形、機械人形)[15]の状態から脱出しよう: 人間の格好をし人間らしく動くが、心が存在しない操り人形の状態から己の意志の力を用い脱出する事。人々がオペレータ化した社会の中、携帯電話を寝る時も枕元に置き肌身離さずにはいられない非常に多くの人々が罹患しているインターネット依存症。それを技術の進歩と勘違いして、もてはやしている愚かさ。単にジャンクな情報の海の中で溺れているだけなのが判らない。不幸な事に「日本病」の大きな特徴は全世界に広がって来た。この世界を経験し感じそこからの経験を自分の人生の糧とする精神の自由さえも失い体制にしっかり管理された人間共である。携帯電話が提供する狭い世界に住むだけでこの世界を知らずに死んで行ってしまう動物園の動物の様な哀れな人々である。世界をこの眼で見ようとしない島国根性故に、インターネットのニュースサイトから流されるニュースの一こまに埋め込まれた誘導先の正体も吟味せずにそこから安易に様々な洗脳型のウェブに誘導され、韓国バッシングを始め、Youtubeの嫌韓ビデオを暇な時にずーっと見ている爺婆若者達。携帯電話を操作する事自体、つまらない生活から目を逸らせ、そして現実逃避と刺激を得る手段でもある。だが、携帯電話を手から離して目をこの生きている世界に向け、そして自分が生きている男或は女に戻る事により人生を実り多いものにする事が可能なのだけれども...今の時代人として個人としてユニークさを喪失したが故に、男としての魅力を失い女としての魅力を失ってしまっている社会なのではないでしょうか。人が男として女として魅力が無いとどうなるのか。世の中、結婚したい程魅力の或る人が少なくなっていないですか?だから草食系独身が多くなり少子化に拍車を駆けているのではないのでしょうか。兎に角Automataとして過ごす状態の時間が長過ぎなのです。今を生きている事を実感しない出来ない人々が爆発的に多くなってしまったではないですか?携帯電話を目の届かない所へと置いてから、コーヒー又はお茶を入れてイスを窓ヘ持って行きリラックスして窓の外を眺め自分と世界の関係を深く感じて見て下さい。自意識過剰やツッパリが人のユニークさと勘違いしている人が多すぎませんか?「あなたは私ではない。」これはユニークさの根源。「私はあなたではない。」これは他人の痛みが判らなければイジメとなり、判ろうとすれば隣人愛に通じる。「あなたと私」の間に横たわる気持ちが社会に満ちた喧噪や風潮によって刺激され穏やかさを失い、更に激高し個人攻撃、グループ攻撃、組織攻撃、或は地域への差別や或る国やその国の市民への差別に発展している悲しい時代である。この様な日本の人々の心を操る事は権力による人々のヒューマニティーに対する犯罪である。でも私は騙されない。私が子供の頃曽祖母から聞いた関東大震災の時の話。東京方面がその夜になっても赤々と明るかったとの事。そして彼女の生家の地域の「朝鮮人」が人々が利用する井戸に毒を投げこんだとの事で地元の人々が彼らを追いかけ捕まえようとしていた。辛くも公民館の屋根裏に隠れ逃げ込んだ「朝鮮人」達を見つけ出し人々が下から竹槍で刺し殺したんだよと嬉々として私に語ってくれたのである。やり切れない。どうして身近な人がかくも鬼に、犬畜生の如くに人を殺める事に賛同する様になれるのか。私は人々が簡単に鬼になった事実を目撃した者としてそれからずーっとこの人生を生きている。不幸な事だが同じ事態は過去にも未来にもそして何時でもおこる。敗戦直後の満州の日本人入植者の事を思いはせて見よ。男共が旗を振る憎しみと戦いの中からは生命は産まれないのです。皆さんは偏狭で頑迷なAutomata達が憎しみを身に付け募らせる、この様な夜叉の顔を持った社会はヒューマニティー溢れる人間の顔を持った社会即ちオープンで公平公正で誰にも偏見もなく、そして慈悲に満ちた社会とどれほどの違いがあるのか理解出来ないのでしょうか?
(2) 沈黙し内省する時間を過ごす習慣を持とう
(3) 少し抽象的ですが、心に平静平安を取り戻す事。日々の生活において心を清めきれいにし真と善と美と愛を心の中に呼び戻し社会に希望の風潮を造り出そう
(4) 地元実力者との社会的、精神的な影響力(きずな)を断ち切り、投票に行って自分の本当の意見を世の中に知らしめよう
(5) 子供の教育を重視しよう: 子供達を健全で自主性の有る人間として育てなければいけないと思います。今の子供達に自然の中で色々な体験や社会の中で色々経験させ、知識や経験を一番吸収出来る年齢時に携帯電話、或はコンピュータ、ビデオゲーム機を可能な限り操作しない様に仕向けないといけないのではないですか?例えば大人がハマる中毒性の高い「マインクラフト」と言うゲームに小学生が熱中するケースが広がっていると聞く。でも共働きの家庭だとビデオゲームが子守役になっちゃいますよね。この様な日常では子供達が人として全うに育たない。平成の若者がコミュニケーションが出来ない体力もない心も貧しいモヤシッ子になってしまったのを親が後悔する時代である。この社会の財産を健全に育てて来なかった昭和の親達の責任でもある。大学を含め学校の先生の給料を上げ優秀な先生を集め義務教育の質を向上させないと永遠に日本に人材が育たない事態となってしまうよ。残念ながら人間の内面なるものが創られず、育たない中身の無いAutomataが大量生産されて来た平成の時代。私は何も言えないロボットの様な自動人形から構成される社会には生きたくありません。
(6) 人と人の間での、そして組織内でのコミュニケーションをもっと大事にしよう: 建設的な意見や議論を活発化する事で組織の運営にダイナミックさが戻って来ると思います。原子化し蛸壺の中に生きている様な生活は止めにしたら?一方もっと創造的な人生を生きている人々が横に繋がる事、連帯する事が何故出来ないのかは私にはとても不思議なのである。相手の間に垣根を作ってしまう島国根性が病として蔓延しています。何故、垣根や壁を取り払ってコスモポリタンになれないのだろうか?
(7) ヒューマニティーと言う視点で物事を見、観察し、チェックする事。これは新しい視点の導入である。そしてその尺度を基に悪い所を正して行こう: 最初からこの点を考えて本稿を書いた訳ではありませんでしたが、本投稿は結果的にヒューマニティーと言う見方を背景にし日本の政治が如何に腐って来てしまったかを検証した訳です。日本の社会から長らくの間その視点が喪失してしまった事は皆さん実感されていられると思います。この腐った政治や社会からの影響に対抗する為に、ヒューマニティーの無い色々な仕組みや慣習を無くす方向へと努力する事が必要です。現代は、非人間的な軍事技術や科学を極力抑制する方向にコントロールせず又生命の多様性の喪失を起こさせる熱帯雨林の破壊や核汚染を含む環境汚染を人間が産み出し続ける狂気の時代。でもこの行進している方向は、皆さん一人一人がヒューマニティーと言う視点を心の中に持つ事に依って転換できるのです。いや、生命の存続の為に滅亡に向かった行進を止めて方向転換しなければならないのです。さて、前にも言いましたが、民主主義とは皆さんが思っている以上に強力な制度なのです。そして投票と言う行為はこれを強く保つ為の道具なのです。3/4の日本の人々がヒューマニティーと言う「風」を造り出し日本の社会から、上記(4)と連動しヒューマニティーを持たない鬼、夜叉の顔をした強欲な面々をこの社会から力強く、かつ黙々と駆除しなければならないと思います。これが目に見えない暴政を倒す事に繋がります。つまり健全な二大政党制下ヒューマニティーの無い政党は淘汰されなければならないのです(残念ですが二大政党制が確立しなかった為に日本で今の独裁制がゾンビの様に復活してしまった訳)。そしてこの作業の結果女性が、子供達がのびのびと活躍出来る社会が来ると予見出来ます
(8) 自分の自己推進能力を取り戻そう: 自己推進能力とは簡単に言えば、谷底に落とされた獅子の子が谷から這い上がって行ける能力の事を言う。 又別の表現では、前に見えるが遠すぎて触るのが困難な物事、に到達しようと努力する力。例えば珊瑚の敷きつめられた美しい海にあなたが潜水道具無しで泳いでいるとしよう。マリンブルーの海の底に広がる珊瑚。更に深みが見える。そしてその深みの底に触ってみたい気持ちへスイッチが入った時、あなたは息を目一杯肺の中に吸い込み満身の力を込めてそこに見えるがしかし手の届かない珊瑚の海底めがけて死に物狂いで深みへと潜り泳ぎ、到達しようと試みる。何回でも何回でも。別の言い方をすれば、目の前の地平とその彼方に見えるがしかし手に届かない対象(例えば理想社会)に地道に一歩一歩突き進む努力をして到達しようとする人達の事を自己推進力能力のある市民達と言う。その風潮が満ちる社会は「出る釘」=個人のユニークさを否定する社会的圧力が溢れる内向きな社会と真逆に位置する。しかしこの意味では「原理主義者」達も自己推進能力があります。振り返ると平和な時代が高度経済成長の後バブルの時代に取って代わりそして、「復古主義」の時代がそれぞれの時代の様相や風潮と相互作用する格好で我々が生きるこの社会に侵食して来たのです。それは日本社会の活力を殺める戦略戦術により人々の知性を低下させ、「彼ら」の社会変革の実体を見えなくさせる様に仕向け、又その様な社会変革に抗議する人間を消滅させて自分達の理想社会を築く様にして来た結果とは今あなたが見ている日本なのです。御覧の様に日本の国力が没落した事実を直視すべき。「彼ら」はいささかイデオロギーに強欲過ぎた。日本の3/4の人々にとってはとても不幸な事。こんな事はもう沢山。己の「日本病」を克服し、人々を病気にさせている原因をこの社会から駆除する大事な仕事が残されているのです。自己推進能力を身につけて日本の市民自ら投票に行き、腐った政治に対抗する改革の旗を振り続けないと
少し上から目線と思えますがこの1章から13章の投稿の最後にあたり簡素に述べたいと思います: 「彼ら」は中国の独裁体制の様に非常に強大な力を持っているのでこの強権を倒し、駆除するのには多大な困難を伴います。一人一人の日本の市民は「彼ら」が産み出して来た風潮が造り出す「見えない大きな影響力」を注意深く読み取り監視し地域や組織から、そしてメディアからイデオロギーに病んだ「彼ら」の旗を振る人々をその役職から引き下ろす事が必要です。そして同時に自分の生活の中から心の平静と平穏さを掻き乱す要因を取り除く事を始めなければなりません。自分の生を自分がコントロール出来る社会を目指す事。そして政治が、社会が必死になって生きようとしている人々を助けてくれる雰囲気やその環境を取り戻す様な努力を継続して行く事が大事なのではないでしょうか。つまりPost「原理主義」と言う風潮を造り出す事がまず最初の一歩だと思います。何十年もかけ変質させられた夜叉の様な形相の日本で行われている政治から人間の顔を持った政治へと舵を切る事。それは健全な二大政党制の仕組みの上に立った日本の社会とその結果としての豊かな国力の回復が、社会の中にヒューマニティーや人間らしさを取り戻す唯一の方法なのです。高齢化が著しい社会の中で人々の生存権、家庭の生存権の拡大と向上、そして健全な社会への回復には日本を再び軍国主義化する事により達成する事は出来ないのは明白です。「彼ら」のその様な社会変革を阻止するには「彼ら」の造り出した風潮の中で生きている事に気付き、その風潮に被われた社会がどれだけ息苦しいかを感じる事から始めないと。その風潮が産み出す力をものともせずそれらの仕組みが見える人が増え、「彼ら」の「見えない力」を跳ね返し、その風潮の根底部に有る「原理主義」の司令塔を社会から根絶しないと日本に平和は取り戻せません。また同時に地元の実力者にへつらう平民のメンタリティーから脱出する事が必要だと思います。そして日本を平和の下の繁栄と言う元のレールに戻す努力を厭わない「自己推進能力」のある日本の市民が日本の社会の中で増える事以外には道は無いと思います。これがPost「原理主義」に至る道ではないでしょうか。大手ウエブニュースのサイトから誘導され嫌韓に洗脳された人々を煽って改憲を進める時代に3/4の全うな生き方をしたい日本の人々が連帯し声を挙げてこの日本を再び活気の或る社会、遥か遠くに見える人間の顔を持った社会に向けて自己推進する時だと思います。言い古された言葉ですが、幾ら闇が深くても明けない夜はこの世にはありません。日本が変る必要があると思っているのならまずあなた自身の心の中に在る闇に光を差し込んであなたを変える事から始めなければならないと思います。
血も涙も無い連中の様々な嘘。もう隠してもしょうがないだろう?国の高いレベルで、国内の全ての知能を動員してPost「原理主義」の為の公開円卓会議を開き、何をどうしたら良いか議論し「原理主義者」達によって引き起こされてしまった日本が直面する非常に深刻な問題の解決の為に、日本の人々が人間の顔を持ちヒューマニティー溢れる健全な二大政党制に基づいた社会に向けて自己推進する時ではないでしょうか。
本投稿を読んで頂きどうも有難う御座いました。
プラナリア
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参考文献等:
[1] Grete Thunberg, "Climate Action Summit 2019"でのスピーチ, テレ東NEWS, Youtube, https://www.youtube.com/watch?v=_y8JNG7S0bo
[2] "The Russell-Einstein Manifesto", July 1955, Max-Planck-Institut,
http://einstein-virtuell.mpiwg-berlin.mpg.de/VEA/SC540264407_MOD2037217062_SEQ-1972097031_SL2006374076_en.html
[3] "Mercy, Mercy Me (The Ecology)," Marvin Gaye,
https://www.youtube.com/watch?v=U9BA6fFGMjI
以下は高音質
https://www.youtube.com/watch?v=NtlV0j0uGaA
[4] "いずも型護衛艦," , ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%9A%E3%82%82%E5%9E%8B%E8%AD%B7%E8%A1%9B%E8%89%A6
[5] "Japan and U.S. Set New Rules for Military Cooperation," The New York Times, 2015年4月27日,
https://www.nytimes.com/2015/04/28/world/asia/japan-and-us-set-new-rules-for-military-cooperation.html
[6] "The Guidelines for U.S.-Japan Defense Cooperation," "日米関係重要文書 - 安全保障"のウエブページより, American Center Japan, https://americancenterjapan.com/aboutusa/usj/5006/
[7] "日米防衛協力のための指針," 外務省のウエブより,
https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000078187.pdf
[8] "護衛艦たちかぜ暴行恐喝事件" ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/護衛艦たちかぜ暴行恐喝事件
[9] "自衛隊の闇 不正を暴いた現役自衛官," 2414年2月23日NNN放送,
http://www.ntv.co.jp/document/back/201402.html
[10] "たちかぜ自衛官いじめ自殺事件," ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%8B%E3%81%9C%E8%87%AA%E8%A1%9B%E5%AE%98%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%81%E8%87%AA%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
[11] "オリンパス内部告発訴訟 社員側が逆転勝訴," 0テレNEWS24,
http://www.news24.jp/articles/2011/08/31/07189629.html
[12] "オリンパス事件," Wikipedia, http://ja.wikipedia.org/wiki/オリンパス事件
[13] "「日本は三流の国」と言われた -- マイケル・ウッドフォード氏インタビュー," BusinessMedia誠,
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1204/19/news020.html
[14] "オリンパス菊川前会長ら逮捕 有価証券報告書の虚偽記載容疑で、"ITMediaニュースのウエブより。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1202/16/news044.html
[15] "オートマタ," ウィキペディアより,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%BF
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