>>14 本当にそうでしょうか? 流布される歴史の通説は、勝者・支配者に都合よく改竄されています。あの戦争は、明治維新を機に西欧資本と繋がった日本の支配層(明治政府・財閥)が略奪と大量殺戮と蓄財を目的に仕組んだヤラセの戦争だと見ています。大義を誇るのは、嫌がる国民を殺戮の場に引きずり出すためのお題目に過ぎず、「財閥の暴利のために殺し合いをし、その後は餓死しろ」と命令したなら従うはずもありません。 ●太平洋戦争戦跡地:戦没者の60%強140万人は餓死であった http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/PacificWar.html そして仕組まれた戦争(大量虐殺・大量破壊)の果てに贋作民主主義が導入され、戦争で暴利を得た支配層・財閥が温存され、昭和天皇を無能だったことにして憲法にその地位を確保させました。そして今なお戦争で暴利を得た財閥が米国CIAと手を結び政治の実権を握り、麻薬密売&工作機関の流れを汲む電通が宣伝洗脳宣撫を繰り返しています。 そんな財閥の末裔が選挙の不正で権力を握り続け、利権と腐敗・売国と棄民・大量殺戮の暴政を続けています。安倍晋三・麻生太郎は遠戚にあたり、麻生太郎の妹・信子は天皇財閥に嫁いでいます。また、常に平和を願っていると宣伝される天皇家ですが、広島・長崎への原爆投下を命令したドレイパー、アーミテージ、ラムズフェルド、ビル・ゲイツらが特大の勲章を授与されています。全てグルです。 ______________________________________________ >実は今も続く天皇財閥の支配(日銀,日赤,神社だけでなく日本財団,創価学会も) http://rakusen.exblog.jp/22922833/ >昭和天皇が戦争狂になった訳@ http://takao-sato.seesaa.net/article/171550095.html 昭和天皇は若いころから、宮中の書斎にはナポレオンの胸像が飾られていた(有名な話らしい)。パリを訪問したときに土産として自分で買ったもので、珍重していた。「ナポレオンの軍隊は安上がりの徴集兵で」彼は「この軍隊を愛国心に燃える兵隊の群れに仕上げた。日本の軍隊は葉書一枚で徴兵された“民草”といわれる安上がりの軍隊で、ナポレオンの軍隊以上に愛国心に燃えていた。 ナポレオンは補給のほとんどを現地補給とした。天皇の軍隊はこれを真似た。ナポレオンは参謀部をつくり、機動力にまかせて、波状攻撃を仕掛けた。天皇は大本営を宮中に置き、参謀部の連中と連日会議を開き、ナポレオンと同様の波状攻撃を仕掛けた。」「あの真珠湾攻撃は、そしてフィリピン、ビルマ、タイ…での戦争は、ナポレオンの戦争とそっくりである。」と鬼塚氏は書いている。そう言われれば確かにそうだ。 つまり、昭和天皇はナポレオンを崇拝し、彼にならって大戦争を仕掛けるという壮大な火遊びをやったのである。真珠湾攻撃が「成功した」と聞くと、狂喜乱舞したと言われる。2・26事件当時の侍従武官・本庄繁の『日記』には、天皇がナポレオンの研究に専念した様子が具体的に描かれているそうだ。・・・ >昭和天皇が戦争狂になった訳A http://takao-sato.seesaa.net/article/171550721.html ●昭和天皇が日中戦争を起こした目的__【満州帝国と阿片】日の丸はアヘンのトレードマーク 北朝鮮による覚せい剤密輸事件が新聞を賑わしているが、そんなの大日本帝国が侵略地中国において行ってきた阿片ビジネスと比べれば、カワイイもんだ。 ケシ類未熟果実に傷をつけて滲出する乳液を乾燥乾固したものが阿片だ。阿片に含まれているモルヒネは、鎮痛・鎮静・催眠・快楽をもたらす薬剤となる。末期癌患者に使用されることが多い。しかし、連用すると中毒となり、常用しないと禁断症状に苦しむこととなる。モルヒネにアセチルを化合したのがヘロインで、薬効・中毒作用は、更に強くなる。中毒に陥ると、増量して使用しないと禁断症状を起こして死亡するし、常用すれば衰弱して早死にする恐ろしい麻薬だ。この阿片の中毒作用を利用して儲けようとする悪いやつは後を絶たない。国家自体が関わって中国へ密輸したのが、オランダとイギリス、そして我が日本なのだ。 1840年、イギリスは、中国(清王朝)への阿片密輸を禁止された事に貿易の自由を妨害したなどと恥ずべき口実で阿片戦争を仕掛けた。中国は敗北し、イギリスの阿片の毒牙はますます中国民衆を蝕んでいった。中国の弱体をみて、欧米列強は不平等条約を強要し、清王朝は阿片亡国・植民地化の危機に陥ることとなる。 麻薬中毒の恐ろしさに、1912年にハーグ阿片条約、1925年国際連盟によるジュネーブ阿片条約が結ばれたが、欧米の帝国主義者たちは自国への阿片の弊害を防いでも、中国への阿片密輸は続け、それに日本も加わっていった。中国の阿片中毒者(隠者)は増加し、消費される阿片は900万貫(当時5億円)に上った。輸入額を減らそうと中国国内のケシ栽培を認めたが、かえって阿片中毒者を増やすこととなった。1912年、辛亥革命後の中華民国による阿片禁止も、軍閥との抗争や内乱で進まず、そこへ日本の侵略が始まってしまった。 日本は、阿片戦争に驚き、当初は、ケシの栽培や阿片の輸入を厳禁した。しかし、すぐに、医薬品としての鎮痛・麻酔剤としてモルヒネ・ヘロインが必要となり、日本は、阿片の製造・売買や輸出入を政府の許可・専売制とした。・・・ >日本の中のCIAエージェント https://blog.goo.ne.jp/yamanooyaji0220/e/31b8776d983469bad82ffec40288122b 日本の政界、財界、マスコミ、学者、評論家、右翼・暴力団などあらゆる分野に張り巡らされたCIAのスパイ・エージェントの数は一体どのくらいになるのであろうか・・・ ★吉田茂 幼児に横浜の富裕な貿易商、吉田健三の養子となり、東京帝国大学政治科を卒業後、外務省に入省した。大久保利通の次男、牧野伸顕伯爵の長女、雪子と結婚。 天津総領事、奉天総領事、イタリア大使、イギリス大使を歴任した。 吉田茂は取り巻く人間を通して、ロスチャイルドの影響を受けていた。 太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941年9月6日の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。元自民党総裁=麻生太郎の祖父。 ★辰巳栄一 (1895年1月19日ー1988年2月17日) コードネーム「POLESTAR―5」元陸軍中将 戦後の連合軍占領中は旧軍の反共主義工作機関「河辺機関」を率いた。警察予備隊の幹部人選に駐英武官当時からの上司であった吉田茂の腹心として関与。内閣調査室や後の自衛隊の設置に関わる資料をアメリカ政府に流していた事が2009年10月、有馬哲夫・早稲田大学教授のアメリカ国立公文書記録管理局における機密解除資料調査で確認された。1975年1月から1978年12月まで偕行社会長を務めた。 ・・・以下略 ______________________________________________
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