> 登録時、日本政府の代表は世界遺産委員会で「意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者らがいた」と言明した。 「自分の意思で日本に密入国して働らいた多くの朝鮮半島出身者らがいた」[1] 「強制連行されたと嘘を吐いて今も密入国者とその子孫が50万人も日本に住んでいる」[2]ことも言明すべきであった。 [1] 戦前日本在住朝鮮人関係新聞記事検索 1868−1945 http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/cgi-bin/shinbun/shinbuns.cgi?midashi=%CC%A9%B9%D2&shinbun=&local1=&local2=&bunrui=&_ymd=no&year1=&month1=&beforeyear=&beforemonth=&afteryear=&aftermonth=&karayear=&karamonth=&madeyear=&mademonth=&perpage=100&page=1 該当件数は、734件です。 現在、1件目から100件目を表示しています。 1.『鮮人内地密航/発見されて説諭』大阪朝日1921/7/15鮮満〔〕釜山・朝鮮【渡航】 2.『又も帆船で密航した不逞鮮人四名逮捕さる』大阪朝日1922/5/20〔7/4〕下関・兵庫【社会】 3.『北鮮から密航の怪鮮人/新羅丸の石炭庫に潜伏/労働者には不似合の所持品が不審』福岡日日1922/5/21〔1/2〕下関・山口【渡航】 4.『鮮人十名密航』大阪朝日1922/7/2夕〔2/1〕下関・山口【社会】 5.『鮮人十名の密航者/京畿丸に潜伏』京城日報1922/7/4〔4/8〕下関・山口【渡航】 6.『ブロ?カ?の手で密航する鮮人が多い/大部分は山口福岡両県に上陸/北九州一帯では特に警戒を厳にして居る』九州日報1923/4/17〔1/5〕・福岡・山口【渡航】 7.『密航鮮人発見(遠賀郡芦屋町)』門司新報1923/11/7〔1/5〕遠賀郡・福岡【渡航】 8.『内地密航と取締』大阪朝日1923/12/6鮮満〔〕釜山・朝鮮【渡航】 9.『鮮人の内地密航に警戒の眼が光る/釜山水上署の取締』京城日報1923/12/20〔2/5〕釜山・朝鮮【渡航】 10.『発動船で密航/鮮人九名発見』福岡日日1924/2/21〔1/2〕下関・山口【渡航】 11.『潜入を企つ/立神丸に忍んで(舞鶴?元山定期航路・立神丸で自称島根県人が密航企図。「不逞鮮人」と連絡ある者と見込み取調中)』大阪朝日1924/4/20京附〔1/9〕舞鶴・京都【警備】 12.『丗名の鮮人欺されて密航/山口特牛港に』福岡日日1924/5/2〔1/3〕・山口【渡航】 13.『五十余名の密航団/難船して露見に及ぶ』京城日報1924/5/9夕〔2/4〕釜山・朝鮮【渡航】 14.『鮮人渡来制限撤廃/密航は取締る』福岡日日1924/6/7〔1/7〕下関・福岡【渡航】 15.『密航の鮮人』門司新報1924/7/11〔1/5〕下関・山口【渡航】 16.『極左傾の不逞鮮人が日本へ密行した/手配が廻つて警視庁活動(青山爆弾事件。在ウラジオストクの活動家が日本に密航した形跡があるという朝鮮総督府の打電により活動開始)』京都日出1924/8/15〔〕東京・東京【警備】 17.『巧妙な鮮人の密航/当局も取締りに悩まさる』京城日報1925/5/15〔3/7〕釜山・朝鮮【渡航】 18.『鮮人労働者を内地へ密航させる/大仕掛な企て暴露』京城日報1925/5/21〔3/6〕・朝鮮【渡航】 19.『四十二名の密航者検挙/第一回の小手調べ/募集人は厳重処分』京城日報1925/10/11夕〔5/1〕慶南・朝鮮【渡航】 20.『労働者釣りの悪玉縮み上る/密航者は次第に減少の傾向がある』京城日報1925/10/16〔6/1〕慶南・朝鮮【渡航】 21.『鮮人丗三名の上陸で騒ぐ/密航と誤認して(戸畑市)』福岡日日1926/1/4〔1/3〕北九州・福岡【社会】 22.『鮮人丗五六名を乗せた奇怪な密航船来る/白木署に上陸して行衛不明/其筋では頗る重大視(門司市)』福岡日日1926/3/12〔1/3〕北九州・福岡【渡航】 23.『小発動機船で鮮人の密航団/三十名釜山から門司に上陸し行方を晦す』大阪毎日1926/3/14夕〔2/5〕門司・福岡【渡航】 24.『長さ四間の発動機船で/鮮人三十余名密航す/氏名も目的も行先も判らぬ/時節柄厳戒を加ふ』中国1926/3/14〔〕門司・福岡【渡航】 25.『密航鮮人一部発見さる/小倉駅頭にて(小倉市)』福岡日日1926/3/14〔1/3〕北九州・福岡【渡航】 26.『鮮人密航団を発見/同勢三十六名の内/十六名を捕へて送還』中国1926/3/23〔〕下関・山口【渡航】 27.『朝鮮から内地へ/内地から朝鮮へ/虻蜂とらずに終った/密航鮮人団三十余名』大阪朝日1926/4/7朝鮮朝日〔〕下関・山口【渡航】 28.『大胆な鮮人団帆船で密航/玄海を横切って鐘崎へ/福岡署に知れて取調らる(宗像郡岬村)』福岡日日1926/4/11夕〔1/2〕宗像郡・福岡【渡航】 29.『怪しき汽船に/六十名が潜伏/大規模な密航団が/釜山署の手で逮捕』大阪朝日1926/4/13朝鮮朝日〔〕釜山・朝鮮【渡航】 30.『密航団鮮人取押へらる』大阪毎日1926/4/16〔11/7〕門司・福岡【渡航】 31.『七十余名の密航船/下関で発見』京城日報1926/4/17〔3/3〕下関・山口【渡航】 32.『密航鮮人の/乗込船が沈没/海上を漂流中救はれ/四国宇和島に上陸』大阪朝日1926/4/17朝鮮朝日〔〕宇和島・愛媛【渡航】 33.『密航者七十余名が/釜山に送還さる/警察で保護を加へ/渡航或は帰郷さす』大阪朝日1926/4/20朝鮮朝日〔〕釜山・朝鮮【渡航】 34.『鮮人の密航団/又また津屋崎へ上陸す(宗像郡津屋崎町)』九州日報1926/4/21〔1/5〕宗像郡・福岡【渡航】 35.『鮮人の密航に/頭を悩ます山口県/悪周旋業者に過られた/哀れな彼らの心情』大阪朝日1926/4/24広島〔〕・山口【渡航】 36.『鮮人の密航続出/行啓を控へた山口県へ/既に三百名に達した』大阪朝日1926/4/29〔5/9〕下関・山口【渡航】 37.『又も鮮人の密航団/山口へ六十名』福岡日日1926/4/29〔1/2〕山口・山口【渡航】 38.『六十名の密航団/山口県の北海岸で発見』京城日報1926/4/30夕〔2/4〕・山口【渡航】 39.『鮮人の密航続出/行啓を控へた山口県三百名(東宮行啓を控え県警察部は漫然渡航者を乗船地で阻止しているが、密航を企てる者も増加。近頃も大津郡深川村に60名上陸)』京都日出1926/4/30〔〕長門・山口【渡航】 40.『大密航バレる』大阪朝日1926/5/1朝鮮朝日〔〕釜山・朝鮮【渡航】 41.『鮮人が帆船で渡っても密航でない、つまらぬ取締りをされては思想上面白くないと朝鮮総督府から横槍』神戸新聞1926/5/3〔6/3〕釜山・朝鮮【社会】 42.『又も糸島に密航団/朝鮮から渡航六十余名(糸島郡芥屋村)』福岡日日1926/5/4〔1/2〕糸島郡・福岡【渡航】 43.『密航朝鮮人は/既に二百に上る/行啓後に対策を/赤木特高課長の沿岸視察』大阪朝日1926/5/5広島〔〕・山口【渡航】 44.『生き残った/密航者送還/厳原警察から/釜山に向けて』大阪朝日1926/5/20朝鮮朝日〔〕釜山・朝鮮【渡航】 45.『二十余名の密航者団逮捕/下関水陸両署活動/時節柄とて重大視す』中国1926/5/26〔〕下関・山口【渡航】 46.『依然と困る密航者/釜山署の大弱』大阪朝日1926/5/28朝鮮朝日〔〕釜山・朝鮮【渡航】 47.『怪しい鮮人密航者/夜陰に乗じ門司海岸に上陸/大部分を取押へ取調中』神戸新聞1926/5/29〔8/4〕門司・福岡【社会】 48.『大里に又密航団/十九名の鮮人(門司市)』福岡日日1926/5/29〔1/2〕北九州・福岡【渡航】 49.『密航鮮人団逮捕/募集した鮮人男女を/売り飛ばすつもり』中国1926/6/6〔〕徳山・山口【渡航】 50.『密航者体裸で泳ぐ/鮮人が陸岸目蒐けて/泳ぎ上つた処を引捕ふ(遠賀郡岡垣村)』福岡日日1926/6/12〔1/2〕遠賀郡・福岡【渡航】 51.『鮮人青年が密航企つ/上海から乗船』神戸新聞1926/6/20〔8/10〕神戸・兵庫【社会】 52.『戦慄を感じる/あぶない密航/産業の過渡期に立ち/生活に悩む下層鮮人』大阪朝日1926/8/14朝鮮朝日〔〕・朝鮮【渡航】 53.『鮮人密航の/首魁を逮捕/釜山警察署で』大阪朝日1926/8/25朝鮮朝日〔〕釜山・朝鮮【渡航】 54.『さても現金な/密航者が絶える/渡航阻止者に対しては/釜山で就職口を周旋(水電工事にも)』大阪朝日1926/10/6朝鮮朝日〔〕釜山・朝鮮【渡航】 55.『渡航鮮人の/素質が向上/密航者の群もだんだんと減少』大阪朝日1926/11/17朝鮮朝日〔〕釜山・朝鮮【渡航】 56.『朝鮮から五六十名/御大喪に参列さしたい/不逞団の取締は厳重にする/湯浅総監下関で語る(浦塩或は上海方面から密航、十分警戒)』大阪毎日1927/1/15朝鮮〔9/2〕下関・山口【警備】 57.『警備船で密航者取締』京城日報1927/2/24〔6/3〕釜山・朝鮮【渡航】 58.『三名の鮮人怪漢繋留中の発動船を盗み出す/機関長を脅迫して運転を初め舵を操り沖合に逃げ去る(内地密航鮮人の所為と睨み厳重捜査中)』大阪毎日1927/3/2朝鮮〔9/3〕釜山・朝鮮【窃盗】 59.『密航鮮人/八十名/北浦海岸に上陸(豊浦郡川棚村)』大阪朝日1927/3/3朝鮮朝日〔〕豊浦・山口【渡航】 60.『十三名を内地に密航さす/二人の鮮人が/五円を取り』大阪毎日1927/3/5朝鮮〔9/1〕釜山・朝鮮【渡航】 以下略 [2]日本への労務動員数 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E5%BC%B7%E5%88%B6%E9%80%A3%E8%A1%8C 1959年(昭和34年)7月11日の外務省発表では、1939年末から1945年終戦までに増加した在日朝鮮人約100万人のうち、約70万人は自発的渡航と出生による自然増加、残り30万人の大部分は仕事の募集に応じて自由契約にもとづいたものとした[70][69]。また、終戦後、在日朝鮮人の約75%が朝鮮に引揚げ(1946年までに約148万人が韓国に、1947年の北朝鮮引揚計画では350人が帰還)、残る約42万人は自由意思で日本に残留したのであり、1959年時点で在日朝鮮人約61万1,085人のうち戦時中に徴用労務者としてきたものは245人とした[70][69][75]。
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