>>158. 斜め中道 (-_-メ)[ どうやら中道君はホウガクマサヒコが語れば耳に入らないようだなw 知ってるかい、江戸時代の江戸にはそこら中にお寺が山ほど在ったんだよ。 ということは、江戸っ子はみんな佛教徒で、みんな小さい頃からお釈迦様のお話が大好きだったってことさ。 俺がお釈迦様の話をしても中道君の耳にはいらないんなら、語り部を交替するさw お経を現代口語に翻訳してくれた超訳文庫のぶんのすけさんが、 江戸時代以前から江戸っ子が大好きだったお釈迦様のお話を阿修羅の高学歴自慢くんたちに語ってくれるから、 みなさん豊岳話法じゃ無いぶんのすけ話法で笑ってしんみりと聞いてもらいましょう。 お題は「拝火教徒とブッダ(出典:雑阿含経)」 ある日のことです。
拝火教のバラモンが自宅で聖火をともして勤行に励んでいると、向こうの方から物乞いをしながらやってくるブッダが目に入りました。 バラモンは怒鳴りつけました。 「出たな、このスキンヘッドのインチキ野郎! ここはオマエみたいな汚らしい乞食の来る場所ではないというのがわからんのか!? あっちへ行け!シッシッ!!」 ブッダは構わずにづかづかとやってくると、バラモンにこう言いました。 「おやおや、こりゃまた、えらく嫌われたもんですなぁ。 あなたは今、「インチキ」とか「汚い」とかおっしゃったと思いますが、それではお尋ねしましょう。 あなたの「インチキで汚らしい」人の定義とはどんなものですか? また、「インチキで汚らしい」人を「インチキで汚らし」くしているものは、いったい何だとお考えなのでしょう?」 バラモンは言いました。 「うーん・・・ そう言われてみると、うまく説明できないなぁ。 オマエさん、説明できるのかい?」 ブッダは言いました。 「うむ、それではご説明しましょう。 いいですか? それはつまり、こういうことです。 気が短くて恨みがましく、ヒマさえあればわるだくみをしているような人、それが「インチキで汚らしい」人です。 生き物(人間、動物、昆虫など種別を問わず)を殺して、なんとも思わない人、それが「インチキで汚らしい」人です。 ほかの町や国を武力で制圧しようとする人、それが「インチキで汚らしい」人です。 自分のものではないモノを見ると、ムラムラとかっぱらいたくなって実行に移す人、それが「インチキで汚らしい」人です。 人からモノや金を借りておいて、「返せ」と言われると「いや、オレは借りていない」などと言い張る人、それが「インチキで汚らしい」人です。 わずかの金品目当てに通り魔強盗を働く人、それが「インチキで汚らしい」人です。 自分のため、他人のためのいずれかを問わず、法廷で偽証する人、それが「インチキで汚らしい」人です。 合意のあるなしを問わず、他人の奥さんを寝取る人、それが「インチキで汚らしい」人です。 生活に余裕があるのに、要介護状態の親の面倒をみない人、それが「インチキで汚らしい」人です。 家庭内暴力(肉体的か精神的かを問わず)をふるう人、それが「インチキで汚らしい」人です。 他人に有利なことは一切言わず、不利になることならあることないことしゃべる人、それが「インチキで汚らしい」人です。 悪いことをしておいて、「バレないように」と願う人、それが「インチキで汚らしい」人です。 ご馳走してもらっておきながら、決してお返ししようと思わない人、それが「インチキで汚らしい」人です。 バラモンや乞食をだます人、それが「インチキで汚らしい」人です。 食事時なのに、汚いことばで怒鳴りつけて食事を与えない人、それが「インチキで汚らしい」人です。 自分だけが偉くて、他人はみなアホだと思っている人、それが「インチキで汚らしい」人です。 他人に迷惑をかけ、欲張りで、ケチでウソツキなくせに、人から尊敬されたいと願い、自ら恥じるところのない人、それが「インチキで汚らしい」人です。 覚醒者(ブッダのこと)の悪口をいう人、それが「インチキで汚らしい」人です。 実にしょうもない野郎のくせに、自分は聖人だと言い張って他人からむしりとろうとする人、これはもう最低の「インチキで汚らしい」人です。「ドロボウ」と呼ぶべきです。 人はその生まれた家柄などによってさげすまれるのではありません。 人はその生まれた家柄などによって尊ばれるのでもありません。 人はその行為によって、さげすまれたり尊ばれたりするのです。 あなたはあのマータンガという人の話を聞いたことがないのですか? マータンガは最下級のカースト出身で、犬を撲殺する仕事に従事していましたが、そのずば抜けた徳行によって、最上級のバラモンや王侯貴族の尊敬を一身に集めました。 逆に、立派なバラモンの家に生まれておきながら、実にくだらない素行が露見して皆にバカにされている人も、しばしばいるようですね。 もう一度言いましょう。 人はその生まれた家柄などによってさげすまれるのではありません。 人はその生まれた家柄などによって尊ばれるのでもありません。 人はその行為によって、さげすまれたり尊ばれたりするのです。」 拝火教徒のバラモンは、それを聞くと言いました。 「・・・いや、恐れ入りました。 よろしければ私を弟子にしてくださいませんか?」 <拝火教徒とブッダ 完> 2016/7/30 2016/12/29 https://hotel-bfu.com/bunnosuke/choyaku/setsuwa/2016/07/30/post-175/ 次にもうお一方、 こちらは幕末の神田住まいのちゃきちゃき江戸っ子町人のお寺の檀那が家訓として仏さまの教えを約八十箇条書き記し近所の檀家衆に供養施で配ったものです。 題して『親父の小言 江戸時代版』 1. 火は粗末にするな
2. 朝、機嫌を良くしろ 3. 朝早く起きろ 4. 神仏かみほとけを祈れ 5. 身を大切にもて 6. 不浄をみるな 7. 身の出世を願へ 8. 不吉を言ふな 9. 家内笑うて暮らせ 10. 人に腹を立たせるな 11. 人に恥をかかせるな 12. 人に割を食はせるな *損をさせるな 13. 人に馬鹿にされていろ 14. 人を羨むな 15. 利口は利口にしておけ 16. 年寄りをいたはれ 17. 恩はどうかして返せ 18. 万事油断をするな 19. 女房の言ふ事半分聞け 20. 子の言ふ事は九ッ聞くな 21. 家業は精を出いだせ 22. 何事も我慢をしろ 23. 子供の頭を打つな 24. 己が股をつねれ *わが身をつねって人の痛さを知れ 25. たんと儲けて使へ 26. 借りて使ふな 27. 人には貸してやれ 28. 女郎を買ふな 29. 女房を探せ 30. 病人は労いたはれ 31. 難渋な人には施せ 32. 始末をしろ *無駄遣いをするな 33. 生き物を殺すな 34. 鳥獣とりけだものは食ふな 35. 年忌・法事をよくしろ 36. 親の日は万事慎め *親の年忌・命日には謹慎しろ 37. 義理を欠くな 38. 子供はだまかせ *だまくらして上手に扱え 39. 女房に欺されるな 40. 博奕をするな 41. 喧嘩をするな 42. 大酒を飲むな 43. 大飯を食ふな 44. 判事はんごとはするな *印判を押す=保証人になるな 45. 世話焼きになるな 46. 門口かどぐちを奇麗にしろ 47. 三日に氏神へ参れ 48. 晦日に内を掃除しろ 49. 貧乏を苦にするな 50. 火事の覚悟をしておけ 51. 火事には人をやれ、内を守れ *出火の際は消火要員を出す一方で家も守れ 52. 風吹きに遠出をするな 53. 火事には欲を捨てろ 54. 火口箱ほくちばこを湿すな *火打ち石などが入った道具箱を湿らすな 55. 水を絶やすな 56. 塩は絶やすな 57. 戸締まりをよくしろ 58. 夜更けに歩くな 59. 寒さを凌げ 60. 暑さも凌げ 61. 泊まりがけに出るな 62. 高見たかみへ登るな *高見の見物のように傍観するな 63. 雷らいの鳴る時、仰向あおむいて寝るな 64. 寒気の時、湯に入るな 65. 怪我と災難はバチと思へ 66. 物を拾ひ、身に付けるな 67. 冬は物を取り、始末をして置け *冬場は物を大切に保管し、浪費をするな 68. 若い内は寝ずに稼げ 69. 年寄ったら楽をしろ 70. 折々に寺参りをしろ 71. 身寄りのない人を労いたはれ 72. 小商物こあきなひを値切るな *薄利の商売では値切るな 73. 風吹きには舟に乗るな 74. 何事も身分相応にしろ 75. 身持ち女は大切にしろ *妊婦は大事にしろ 76. 産後は、なほ大切にしろ 77. 小便は小便所へしろ 78. 泣き言を言ふな 79. 病気は仰山にしろ *病気は大袈裟に思え(軽々しく思うな) 80. 人の気を揉む時、力を付けてやれ 81. 悪しき事も「よし、よし」と祝ひ直せ 以上、八十一ヶ条 上様や大名方は生きた神 滅多にするとバチが怖ひぞ 我人と隔てのつくが凡夫なり 仲良くするが仏付き合ひ 嘉永五壬子年九月吉日 施主 神田住 (1852年) さらに、中村元さんが法句經などを和訳した『スッタニパーダ』から少々。
「世に母を敬うことは楽しい。また父を敬うことは楽しい。」
「母と父とは子らに対して多大のことをなし、育て、養い、この世を見せてくれた。」 「母、または父が老いて朽ち衰えていくのを養わないで、自らは豊かに暮らす人、これは破滅の道である。」 「親の義務とは、子を悪から遠ざけ、善に入らしめ、技能を習学させ、適当な妻を迎え、適当な時期に相続させることである。」 「子らは、すみかであり、妻は最上の友である。」 「人の価値とは、生まれや身分によるものではなく、清らかな行いによって決まる」 「王よ、婦人といえども、ある人々は、実に男子よりも優れている。智慧があり、戒を保ち、姑を敬い、夫に忠実である。かの女の生んだ子(女の子)は、英雄となり、地上の主となる。かくの如き、良き妻の子は、国家をも教え導くのである。」 「自分よりも愛しいものはない。同様に他の人々にも、自己は愛しい。故に自己を愛するものは、他人を害してはならない。」 「生き物を自ら害すべからず。また他人をして殺さしめてはいけない。また、他の人々が殺害するのを容認してはならない。」 「盛年をすぎた男がティンバル果のように盛り上がった乳房ある若い女を誘い入れて、かの女への嫉妬から夜も眠れない。これは破滅への門である。」 「女に溺れ、酒にひたり、賭博に耽り、得るにしたがって、得たものを、その度に失う人がいる。これは破滅の門である。」 「婦女の求めるところは、男性であり、心を向けるところは装飾品、化粧品であり、よりどころは子どもであり、執着するところは夫を独占することであり、究極の目標は支配権である。」 ・・・ そして仏教伝道協会出版仏教聖典第238版から 仏教聖典_おしえ_第四章 煩悩_第三節、現実の人生
三、パーリ、増支部三−六二 世に母も子を救い得ず、子も母を救い得ない三つの場合がある。 すなわち、大火災と大水害と、大盗難のときである。 しかし、この三つの場合においても、ときとしては、母と子が互いに助け合う機会がある。 ところがここに、母は子を絶対に救い得ず、子も母を絶対に救い得ない三つの場合がある。 それは、老いの恐れと、病の恐れと、死の恐れとの襲い来たったときのことである。 母の老いゆくのを、子はどのようにしてこれに代わることができるであろうか。 子の病む姿のいじらしさに泣いても、母はどうして代わって病むことができよう。 子どもの死、母の死、いかに母子であっても、どうしても代わりあうことはできない。 いかに深く愛しあっている母子でも、こういう場合には絶対に助けあうことはできないのである。 五、パーリ、長老尼偈註 裕福な家の若い嫁であったキサゴータミーは、そのひとり子の男の子が、幼くして死んだので、気が狂い、冷たい骸(むくろ)を抱いて巷(ちまた)に出、子どもの病を治す者はいないかと尋ね回った。 この狂った女をどうすることもできず、町の人びとはただ哀れげに見送るだけであったが、釈尊の信者がこれを見かねて、その女に祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の釈尊のもとに行くようにすすめた。 彼女は早速、釈尊のもとへ子どもを抱いて行った。 釈尊は静かにその様子を見て、「女よ、この子の病を治すには、芥子(けし)の実がいる。町に出て四・五粒もらってくるがよい。しかし、その芥子の実は、まだ一度も死者の出ない家からもらってこなければならない。」と言われた。 狂った母は、町に出て芥子の実を求めた。 芥子の実は得やすかったけれども、死人の出ない家は、どこにも求めることができなかった。 ついに求める芥子の実を得ることができず、仏のもとにもどった。 かの女は釈尊の静かな姿に接し、初めて釈尊のことばの意味をさとり、夢から覚めたように気がつき、わが子の冷たい骸を墓所(ぼしょ)におき、釈尊のもとに帰ってきて弟子となった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 豊岳正彦話法なるものを全て排除したから、 これなら中道君も長くてもちゃんと読んで話を聞いてくれるでしょう。
[12初期非表示理由]:管理人:スレ違いの長文が多いので全部処理
|