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※2020年6月6日 朝日新聞
横田滋さん死去
— NHKニュース (@nhk_news) June 5, 2020
中学1年生の時に北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親で、40年以上もの間、娘の救出活動を続けてきた横田滋さんが亡くなりました。87歳でした。https://t.co/76re8j2Dtm pic.twitter.com/YwbSCMgtU4
(朝日) 横田滋さん死去 87歳 拉致被害、めぐみさん父 https://t.co/kRotjdoWbd
— 日本語で読める朝鮮半島情勢 (@newsfeed_Korea) June 5, 2020
やるやると期待だけ持たせて質悪い。
— sugiurataisuke (@MSugiurataisuke) June 6, 2020
救出、首相果たせぬまま 最重要課題の拉致解決、見通せず 横田滋さん死去「痛恨」:朝日新聞デジタル https://t.co/sGhy48Rzqi
救出、首相果たせぬまま 最重要課題の拉致解決、見通せず 横田滋さん死去「痛恨」:朝日新聞デジタル
— 倉又和彦 (@7Yk4ZsXtZu7wO3x) June 6, 2020
首相『拉致問題は内閣にとって最重要課題である』
どんなに強力に取り組み、何mm動いたのか?
首相は今まで何してた??
https://t.co/E81BUVb5bY
横田滋さんが亡くなられたとの報道を聞きました。早紀江さんに議員会館前で声をかけられ話をし、また写真展などに行ってきました。滋さんが生きていらっしゃる間に拉致問題が解決せずに申し訳ありません。心からお悔やみを申し上げます。
— 福島みずほ (@mizuhofukushima) June 5, 2020
横田滋さん死去 87歳 拉致被害、めぐみさん父
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14503402.html?iref=pc_ss_date
2020年6月6日 5時00分 朝日新聞
娘のめぐみさん(後方右)と孫のキム・ウンギョンさんの写真の前で、報道陣に話をする横田滋さん(手前左)と早紀江さん=2006年4月
北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父で、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)の前代表、横田滋(よこた・しげる)さんが5日、老衰で死去した。87歳だった。▼4面=首相、救出果たせぬまま、29面=「めぐみに一目」かなわず
32年、徳島市生まれ。日本銀行に勤め、新潟市で暮らしていた77年11月15日、当時13歳で中学1年だった長女めぐみさんが、下校途中に、行方不明になった。北朝鮮による拉致だったことが、97年2月に報道と国会質問で表面化した。滋さんはめぐみさんの名を出して救出を訴えることを決意。97年3月に家族会が発足すると代表に就き、早紀江さん(84)とともに夫妻で拉致被害者帰還を求める運動のシンボル的存在となった。
02年9月、小泉純一郎首相が訪朝して金正日(キムジョンイル)総書記(いずれも当時)と日朝首脳会談に臨んだ際、北朝鮮は拉致被害者のうち5人が生存、めぐみさんを含む8人が国内で死亡したと伝えた。北朝鮮からは04年、めぐみさんのものとして遺骨が提出されたが、日本政府はDNA鑑定で別人のものと断定した。
めぐみさんは北朝鮮に拉致された韓国人金英男(キムヨンナム)氏と結婚したと伝えられ、横田さん夫妻は14年3月、めぐみさんの娘で夫妻の孫にあたるキム・ウンギョンさん(32)やひ孫にあたるウンギョンさんの娘とモンゴル・ウランバートルで初めて面会した。
めぐみさんの誕生から拉致されるまでの13年間を撮影した家族写真展を、05年から国内外の各地で開催。夫妻で計1400回以上の講演会に臨み、拉致被害者の早期帰還を訴えた。体調不良を理由に07年11月、家族会代表を退任。近年は体調を崩して歩行や会話が不自由になり、18年4月からは入院し療養中だった。
「断腸の思い」安倍首相
横田滋さんの死去について、安倍晋三首相は5日夜、記者団に対し、「(めぐみさんの帰国が)いまだに実現できなかったことは断腸の思いで、本当に申し訳ない思いでいっぱいだ」と語った。首相は拉致問題を政権の最重要課題に掲げ、金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長との無条件対話を求めているが、解決の糸口を見いだせていない。「拉致被害者の方々のふるさとへの帰還を実現するために、あらゆるチャンスを逃すことなく、果断に行動していかなければならない」と述べた。
救出、首相果たせぬまま 最重要課題の拉致解決、見通せず 横田滋さん死去「痛恨」
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14503253.html
2020年6月6日 5時00分 朝日新聞
拉致問題のパネル展で安倍首相(右)に写真の説明をする横田滋さん(中央)、早紀江さん夫妻=2014年6月、東京・永田町
北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(当時13)の父、滋さんが亡くなった。安倍晋三首相にとって拉致問題は政権の最重要課題。北朝鮮への圧力で解決を模索した時期もあったが進展せず、今は金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長との無条件対話を求める。しかし、解決の糸口も見いだせず、時間だけが過ぎだ。▼1面参照
朝日新聞の首相動静によると、首相が滋さんと会ったのは2018年4月15日、入院先の川崎市内の病院をお見舞いに訪れたのが最後だった。
滋さんの死去を受けて首相は5日夜、東京都内の自宅前で記者団の取材に応じた。「まだ世の中が(拉致問題を)十分に認識していなかった時代から、暑い日も寒い日も署名活動に頑張っておられた。その姿をずっと拝見してきただけに痛恨の極みだ」と悼んだ。
滋さんの存命中に、めぐみさんの帰国を実現することはできなかった。「断腸の思い。本当に申し訳ない思いでいっぱいであります」と言葉を絞り出した。「あらゆるチャンスを逃すことなく果断に行動していかなければならない」。こう決意を語った。
首相は父親の秘書時代から拉致問題に取り組んできた。02年9月に当時の小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問した際は官房副長官として同行。拉致問題は首相の座を射止める源泉にもなった。
第1次政権では拉致問題の担当相を新設。強力な布陣を強調したが、目に見えた進展はなく、退陣した。12年に首相に返り咲くと14年に北朝鮮が再調査し、日本独自の制裁を一部解除することで合意。進展するかに見えたが、成果はなかった。
北朝鮮による弾道ミサイル発射や核実験などで圧力を強化していたが、18年6月、トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長による史上初の米朝首脳会談が実現した。トランプ氏は首相の求めに応じ、拉致問題を提起。19年2月の米朝首脳会談でも、トランプ氏は拉致問題を取り上げた。
首相はこうした米朝協議を境に、圧力一辺倒の路線を転換し、側近らに日朝首脳会談の実現に向けた調整を指示。19年5月には前提条件をつけずに首脳会談の実現をめざす方針も表明し、「拉致問題を解決するためにあらゆるチャンスを逃さない。私自身が金委員長と向き合わなければならない」と決意を述べた。それでも拉致問題が解決に向けて進展する兆しは見えない。
政府が拉致被害者として認定している17人のうち、帰国したのは5人。首相は新型コロナウイルスへの対応などで内閣支持率が下がる。自民党総裁としての任期は来年9月まで。首相に残された政権としての体力は十分ではなく、時間も短い。
菅氏「申し訳ない」
横田めぐみさんに再会できぬまま逝った滋さんには政界から惜しむ声が出た。
拉致問題担当相を務める菅義偉官房長官は5日夜、記者団に「めぐみさんを滋さんに会わせることができず、大変残念で申し訳なく思っている。遅々として進まない現状に対し、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ」と話した。
国民民主党の玉木雄一郎代表は「本当に無念だったと思う。無念の原因の一つは、拉致問題の進展がまったく止まっていること。安倍政権の拉致問題解決に向けた本気度がまったく見えてこない」と批判した。
朝日、読売、毎日三紙とも一面準トップと社会面トップ。つらいので記事は読んでいない。
— ナナシ=ロボ (@robo7c7c) June 5, 2020
救出、首相果たせぬまま 最重要課題の拉致解決、見通せず 横田滋さん死去「痛恨」:朝日新聞デジタルhttps://t.co/M0jmnFfWpA
■菅氏「申し訳ない」
3)横田滋さんは「圧力」を強調する日本政府の姿勢に「もっと対話しないと」と疑問を示すことも。「拉致最優先」が叫ばれる中、集会で「北朝鮮に残る日本人妻の問題も大事」と話し、在日コリアンへのヘイトスピーチや朝鮮学校の高校無償化除外への異議も唱えていました。 https://t.co/pyf8fi0By8
— 北野 隆一 (@R_KitanoR) June 6, 2020
#news23
— 但馬問屋 (@wanpakuten) June 5, 2020
“訃報 横田 滋さん死去”
飯塚繁雄氏
「何もしていない。何もしていない最中にこうなった」
安倍首相
「断腸の思いだ」
ありとあらゆる手を尽くして、最大限努力をしてきた人のセリフだろ!
何もしてない人に「断腸の思い」って言われてもねぇ。 pic.twitter.com/Fp0vs6STHy
「めぐみに一目」かなわず 早紀江さん「気持ち整理つかぬ」 横田滋さん死去
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14503411.html
2020年6月6日 5時00分 朝日新聞
安否情報を聞き、涙ながらに会見する横田滋さん(左)と早紀江さん=2002年9月17日、衆院議員会館
横田めぐみさん拉致事件と滋さんの歩み
拉致被害者救出運動のシンボル的存在だった横田滋さんが5日、亡くなった。最後まで長女めぐみさんとの再会を願っていた。▼1面参照
妻早紀江さんら家族はコメントを発表した。「これまで安倍総理大臣をはじめ多くの方々に励ましやご支援をいただきながら、北朝鮮に拉致されためぐみを取り戻すために、主人と二人で頑張ってきましたが、主人はめぐみに会えることなく力尽き、今は気持ちの整理がつかない状態です」
早紀江さんによると、数年前から滋さんは食が細り、会話もままならない状態だったという。
新潟市内の中学1年だっためぐみさんが下校途中に失踪したのは1977年11月15日。「神隠し」と言われた。滋さんは日本銀行新潟支店に勤めていた。早紀江さんと2人で家出人を捜索するテレビ番組にも出た。
事態が動いたのは20年後の97年。拉致疑惑が報道と国会質問で表面化した。実名を出すことに慎重だった早紀江さんらほかの家族を「匿名では世間は信じない」と説得した。同年、拉致被害者家族会が結成され、親の世代では64歳と最も若い父親だった滋さんが代表に選ばれた。
北朝鮮が拉致を認めた02年9月17日。めぐみさんの「死亡」という知らせにもかかわらず、その少し前に政府から「生存」を知らされた家族らには「生きてることを喜んで」と伝えていた。
家族会の代表を退いた07年以降も、講演活動は続けた。A4の用紙にぎっしりと予定を書き込み、早紀江さんに過密さを心配されても、依頼を断ることはほとんどなかったという。約1400回、全国で救出を訴え続けた。
一方で、「圧力」を強調する日本政府の姿勢に「もっと対話しないと」と疑問を示すこともあった。「拉致が最優先」と叫ばれる中、集会で「北朝鮮に残る日本人妻の問題も大事」と話し、在日コリアンに対するヘイトスピーチや朝鮮学校の高校無償化除外に異議を唱えることもあった。
家族たちは安倍晋三首相に拉致問題解決への大きな期待をかけていた。「皆さんが子どもたちを抱きしめる日が来るまで私の使命は終わらない」という首相の言葉を信じ、安倍首相がトランプ米大統領と会談したり、トランプ氏が北朝鮮の金正恩氏と会談したりしたときも、家族たちは拉致被害者帰還につながるのではと希望を抱き続けた。しかし帰還は実現しないまま、家族たちは年齢を重ね、次々と亡くなっている。未帰還の政府認定拉致被害者の親で生存しているのは、早紀江さんと有本恵子さんの父明弘さん(91)のみになった。家族会の飯塚繁雄代表(81)も体調を崩して集会出席もままならない状況だ。
「めぐみちゃんと、早く、会いたいです」。17年、都内で被害者家族や安倍首相ら政府関係者が出席する集会で、滋さんのビデオメッセージが大型スクリーンに映し出された。自宅には、カメラが趣味だった滋さんが撮っためぐみさんの写真が置いてある。13歳の姿を最後に、再会を喜び合うことはかなわなかった。(清水大輔、編集委員・北野隆一)
家族の高齢化、「何とか進展を」
滋さんの死去を受け拉致被害者の救出に向けてともに活動をしてきた人や、ゆかりの人たちに悲しみが広がった。拉致被害者の蓮池薫さん(62)と妻祐木子さん(64)=新潟県柏崎市=は5日夜、柏崎市役所を通じ、「悲しさと悔しさを抑えることができません。あまりに当然な親子の再会を最後まで阻んできた北朝鮮当局への憤りを鎮めることができません」とコメントした。
拉致被害者・田口八重子さん(拉致当時22)の兄で、拉致被害者家族会代表の飯塚さんは「長い間、奪還のために闘ってきた人がまた一人減ってしまった」と悼んだ。被害者家族が高齢化するなか、「解決に時間がかかれば、家族が亡くなるのはわかっていたこと。こうなる前に解決に向けて考え、次の家族が亡くなる前に何とか進展させてほしい」と訴えた。
めぐみさんが通った新潟市立新潟小学校で合唱部の顧問だった斎藤邦さん(88)は「両親がそろっているところに(めぐみさんが)帰って来られたらこんなにいいことはなかった。気の毒で気の毒で……」と声を落とした。
滋さんと同じ川崎市のマンションに住む木下桂子さん(48)は、中学1年生の長男が生まれた時からかわいがってもらっていたといい、「本当に優しい方でした」と声を震わせた。「『めぐみちゃん、帰ってくるといいね』とみんなで話していた。残念です」
<評伝>笑顔、怒り、闘いぬいて
横田滋さんは、いつも穏やかな笑みをたたえていた。だが2002年9月17日、日朝首脳会談で北朝鮮から長女めぐみさんの「死亡」が伝えられたときは、ふだん見せない怒りと悲しみで顔を真っ赤にしていたのを、私は記者会見の最前列で見ていた。「いい結果が出ることを楽しみにしておりました。しかし、死亡という……残念なものでした」。せき込んで何度も声を詰まらせ、「死亡というのは、信じることができません」と言葉をついだ。
妻の早紀江さんとともに、これまでにない満面の笑みを見せたのは14年3月17日。めぐみさんの娘で夫妻の孫にあたるキム・ウンギョンさんとモンゴルのウランバートルで会い、帰国した後の記者会見でのことだ。「会いたい気持ちは以前からあったので、会えてよかった」。02年にウンギョンさんの存在を知って以来、ずっと会いたかったが「孫に会うと、めぐみさんが死んだことにされてしまう」と他の被害者家族らに反対され、我慢していた。
45歳の誕生日の翌日、めぐみさんを突然奪われて以来40年余、人生をかけて救出を訴えてきた。
前半の20年間は、娘がどこにいるかまったくわからない「暗闇の日々」だった。拉致が判明した後も、なかなか希望の見えない日々を支えたのは、「めぐみが生きていると信じること。そして、めぐみを連れ去った犯人への憎しみ」だったと02年に語っている。
めぐみさんの失踪から40年の節目だった17年11月15日が、最後の記者会見となった。
体調を崩し、すでに歩くことや話すことが不自由になっていた。だが、拉致被害者救出運動で、めぐみさんの名を出すことを決意した20年前の経緯を私が尋ねると、遠くを見るような目つきだった滋さんの目に、ふいに光が戻った。早紀江さんが答える隣で、もどかしげに声を絞り出そうとするが、言葉にならない。質問には丁寧に全部答えてきた以前の姿が、ふと戻ったようだった。(編集委員・北野隆一)
ぼろぼろ泣いてしまった https://t.co/KWnRCT3qVB
— Fait (@k_nt_m_n) June 6, 2020
「「圧力」を強調する日本政府の姿勢に「もっと対話しないと」と疑問を示すこともあった。「拉致が最優先」と叫ばれる中、集会で「北朝鮮に残る日本人妻の問題も大事」と話し、在日コリアンに対するヘイトスピーチや朝鮮学校の高校無償化除外に異議を唱えることもあった」 https://t.co/PQIjUPaAmN
— mon (@monmonbooks) June 6, 2020
「皆さんが子どもたちを抱きしめる日が来るまで私の使命は終わらない」素晴らしい言葉ですが、ご本人は覚えておいででしょうか?安倍首相.@AbeShinzo ❤️ / 「めぐみに一目」かなわず 早紀江さん「気持ち整理つかぬ」 横田滋さん死去 https://t.co/J9zrHSfhkL
— Kojima Amane (โกจีมะ อามาเนะ) (@kojimaamane) June 6, 2020
5)家族たちは次々と亡くなり、未帰還の政府認定拉致被害者の親で生存者は横田早紀江さん(84)と、有本恵子さんの父明弘さん(91)のみ。家族会の飯塚繁雄代表(81)も体調を崩し、集会出席もままならぬ状況です/ 「めぐみに一目」かなわず 横田滋さん死去:朝日新聞デジタル https://t.co/zg8gGl0ivr
— 北野 隆一 (@R_KitanoR) June 6, 2020
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