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2020年 04月 27日
ちょっと自宅Aに帰れたので、ここから3日分、気になってキープしてあった記事を予約投稿します。うまく行くかな?(@@)
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ブログにアップするのが、少し遅くなってしまったのだが・・・。 映画監督の大林宣彦さん(82)が、4月10日に亡くなった。心からご冥福をお祈りしたい。
私がここでご紹介するまでもなく、後に「尾道三部作」と呼ばれる「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」をはじめ数多くの映画を製作。映画のワンシーンのようなステキなテレビCMを制作する人としても知られていた。<友人いわく「これは洒落たCMだな〜と思うと、たいてい大林作品だったんだよね」と。>
2016年8月に肺がんステージ4、余命3か月だと宣告されたものの。抗がん剤治療を続けながら、予定されていた映画「花筐/HANAGATAMI」の撮影、編集を遂行。
さらに18年、体調が悪化して行く中、自ら「遺作だ」として、生まれ故郷であり、何度も映画を撮った愛すべき尾道で、戦争、広島原爆をテーマにした「海辺の映画館キネマの玉手箱」の撮影を敢行。編集も行って、20年4月10日に一般公開される予定だった。<ただしコロナV問題のため、公開中止に。本人はその日に亡くなった。>
実は、この記事を書こうかどうかチョット迷ったところがあった。というのも、実のところ、mewは、映画自体をあまり見ないし、諸事情により、映画館には長い間、行っておらず。正直を言うと、申し訳ないことに、大林監督の作品を映画館で観たことがないからだ。<そういう人が大林氏について書いていいのかと。>
ただ、昔から、大林氏の言動には関心があって。雑誌やTVのインタビューや対談などは興味深く読んでおり、ものを作ること、感じることや平和を守ることなどに関して、色々と学んだり、考えさせられたりすることが多かったし。<がん宣告を受けた後の映画のメイキングやインタビューなども何本も見た。>
是非、その思いをmewなりに伝えられればと思ったのだ。
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で、何故、記事のアップが遅くなってしまったかというと、mewが最近、一番印象に残った言葉を載せたいと思って、ネットを探していたからだ。
ようやくその大部分が載っていた記事を見付けたので、ここにアップしたい。
『追悼・大林宣彦監督 忘れない28分間の「遺言」
2020年4月11日 スポーツ報知
大林宣彦監督の訃報に接し、瞬時に思い出したのは3年前のことだった。
2017年6月。短編映画祭「ショートショートフィルムフェスティバル&アジア」の授賞式に、大林さんはコンペティション部門の審査員として出席していた。
式の終わり、審査員が講評を述べる時間。小倉智昭キャスター、俳優・三上博史ら他4人の審査員が感想を1分ずつくらい語った後、杖を突き、頬もこけていた大林さんがマイクに向かった。
前年夏にステージ4の肺がんを告知されていた名監督は会場を埋め尽くした国内外の映画人に向け、優しく、けれども力強い声で語り始めた。28分間にも及んだスピーチは、巨匠・黒澤明監督から受け継いだ「継承遺言」とでも言うべきメッセージだった。
「じじいがなぜ出てきたからと言いますと、私事ながら、去年の8月に肺がん第4ステージ、余命3か月という宣告を受けまして、本当は今はここにいないのですが、まだ生きております。生きてるなら皆さんに、私が胸に温めていた黒澤明監督の遺言を伝えようと、命懸けで今、立っております」
「黒澤監督に言われたんです。『大林君、人間とは本当に愚かなものだ。いまだに戦争もやめられない。こんなに愚かなものはないけれど、人間はなぜか映画というものを作ったんだ。映画というものは不思議で、事実ではなくてリアリズムではないけれども、事実を超えた真実、人の心の真が描けると思っているんだ。僕はもう80で死ぬけれども、映画には世界を必ず平和に導く美しさと力があるんだよ。俺があと400年生きて映画を作り続ければ、俺の映画できっと世界を平和にしてみせるけれど、俺の人生はもう足りない。大林君、君は50か。俺が80年かかって学んだことを君は60年でやれるだろう。君が無理だったら君の子供、さらに君の孫たちが少しずつ…そしていつか俺の400年先の映画を作ってくれたら』と」
「混迷の時代ですが、どうか皆さんも映画の力を信じてください。未来に向け、いつか黒澤明の400年目の映画を私たちが作るんだ、と。黒澤さんは最後におっしゃいました。『お願いだから、俺たちの続きをやってね。人と人との心のつながりが物語としてつながることが映画のいいところだ。だから嘘をつきながら真を描くことができるんだ』。長くなりましたが、黒澤明先輩が私個人にとどめた『俺の続きをやってよね』という言葉を皆さんに贈って終わらせていただきます。若い人たち、俺の続きをやってよね。ありがとうございました」
会場に鳴り響いた拍手はしばらくやまなかった。
終了後、会場ロビーで挨拶した。大林さんはあの柔和な笑顔を浮かべ、柔らかい右手を差し出して言った。「がんはまだありますけど、現代の医療はすごくてね。もう少し生きるつもりでいます」(記者コラム・北野 新太)』
もう一つ、『大林宣彦監督が映画界や社会に遺したもの その“フィロソフィー”から何を学ぶべきか』(文=小野寺系)の一部を引用したい。
『大林監督は、NHK Eテレの番組『最後の講義』のなかで、若い学生たちに向け、もし自分の人生最後の日に伝えたいことがあるなら何かという題に対して、奇しくも「映画はフィロソフィー(哲学)である」と発言している。何より、まずはじめに伝えたい哲学があり、それをどう伝えるのかが技術なのだと。
晩年、大林監督は『この空の花 長岡花火物語』(2012年)や『野のなななのか』(2014年)など、『HOUSE/ハウス』の頃に戻ったような強烈な演出で、ストレートに反戦を訴える作品を手がけ続けることになった。大林監督が何としても観客に伝えたいと思った哲学は、戦争にまつわる、政治性を色濃く反映したものだったのだ。
著書『大林宣彦 戦争などいらない‐未来を紡ぐ映画を』(平凡社)のなかで、大林監督は、日本アニメーション界の巨匠・高畑勲監督との晩年の交流について、このように述べている。
「高畑さんとは旧知の仲でしたが、同志ともいえるほど仲良くなったのは、二〇一四年に、高畑さんは『かぐや姫の物語』、ぼくは『野のなななのか』で日本映画功労賞をいただいた席でご一緒してからです。帰りに久々に食事でもしましょうかねとなって、お互いに何となく「うかつでしたね。うかつでしたね」という言葉が出てきました。「ぼくたちがあまりにもうかつで、この国が戦争をすることはもう二度とないだろうと思っていた。うかつにも高をくくって、意識的ノンポリとして生きてきた。そのことが日本をまた戦争に向かう国にしてしまった。これはぼくたちの責任だね」と話し合いました。それから高畑さんとぼくは離れがたいパートナー意識で共に生きてきたんです」
じつは大林監督は、『HOUSE/ハウス』の時点で太平洋戦争の要素を出していた。その後も商業作品のなかで、原爆のイメージを使うなど、戦争の惨禍を扱ってきたのは確かなのだ。しかしそれは、晩年の大林監督にとっては「うかつ」なことだったらしい。
高畑勲監督もまた、太平洋戦争を扱った『火垂るの墓』(1988年)が、これからの戦争を止めるための作品にはなり得ていないのではないかと、2015年に神奈川新聞の記事の中で、こう振り返っている。
「なぜか。為政者が次なる戦争を始める時は『そういう目に遭わないために戦争をするのだ』と言うに決まっているからです。自衛のための戦争だ、と。惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、感情に訴えかけてくる」
つまり、大林監督が「うかつ」と表現し、高畑監督が悲観的に振り返ったのは、時の権力者によって都合の良いように解釈される余地のある作品を作ってしまったということになるだろう。日本人の多くが、高畑作品や大林作品に親しみ、愛情を持っている。にも関わらず、彼らの哲学に反し、いまの社会は、大林監督が『ねらわれた学園』(1981年)や、高畑監督が『火垂るの墓』を発表した当時よりも、確実に戦争の方向に向かっているのだ。
大林監督は、そのうかつさを取り戻すように、最後の仕事として、晩年の一連の作品で反戦をストレートに訴え続けた。いままで培った特殊効果や文芸的な演出などの技術を、すべて駆使して。それが大林監督の行き着いた境地であり、自分が映画監督であることの意味であった。
2016年に撮影が始まった『花筐/HANAGATAMI』の制作時に、余命数ヶ月を宣告されていたことを考えると、そこから2本もの映画作品を完成させたことは、まさに奇跡である。それは大林監督が、どうしても自らのフィロソフィーを伝えねばならないという執念があったためだろう。
クリエイターを含め、メディアも芸能人も、そして市民も、日本社会は海外と比べて政治的な発言を避け、立場や意見を表明することを嫌う傾向が強い。しかし、多くの人々が声をあげず、曖昧な態度を取り続けていることで、日本はかつて道を誤ったのではなかったろうか。大林監督は、そんな空気のなかで、自分のフィロソフィーを掲げ、渾身の力でメッセージを届けた。大林監督のそんな姿勢と勇気、そして自分自身の哲学を持つことこそ、われわれは大林作品から受け取っていかなければならないのではないか。
■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter/映画批評サイト』
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上の記事を読んでて、ふと思い出したのだが。mew周辺に「子供のころは、派手な戦争ものや戦闘機なんかか好きだったけど。ある映画を見てから、戦争に対する考えがガラッ変わった」という人が何人かいて。そのうちのひとりは「火垂るの墓」だと言っていた。
あと「プラトーン」という人が複数いた。体中、ゾクゾクと鳥肌が立つような怖さ、恐れと畏れを感じたという。<mewもビデオで見たけど、ショッキングだった。ますます戦争は絶対にしちゃいけないという思いが強まったかも。・・・大林作品を例に出せずに、ファンの方にはごめんなさい。>
それは小説でも漫画でも音楽でも、ドキュメンタリー番組でも、人から聞く話でもいいのだけど。映画というのは、またちょっと独特なところがあって、映画を観ている間、特別な世界、空間にはいり込んで、見る人にある種の疑似体験をさせてくれたり、何かを心にグッと刻み込んだりするものがあるように思える。
そして、どうか十年先も、百年先も、世界を必ず平和に導く美しさと力を持った映画を作り続けていてほしいと願っているmewなのだった。(++)
THANKS
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