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安倍首相に利用された星野源がエッセイに書いていた“音楽が政治に利用される危険性” 「X JAPANを使った小泉純一郎のように」
https://lite-ra.com/2020/04/post-5369.html
2020.04.14 星野源がエッセイで明かしていた音楽が政治に利用される危険性 リテラ
安倍晋三Twitterより
安倍首相が星野源のコラボ動画に乗っかった問題。星野源が「うちで踊ろう」を歌う画面の右側で、ソファに座った安倍首相が黒い犬とじゃれ合ったり、マグカップで飲み物を飲んだり、ネトウヨ本か何かわからないが本を読んだり、テレビをザッピングしたりと、優雅にくつろぐ……。新型コロナウイルス感染拡大が止まらないなか、感染の恐怖に怯えながら医療現場や生活インフラを維持するために働いている人びとや、補償なき休業要請のため生活が困窮している人びと、感染し症状に苦しんでいる人びと、多くの人間が苦しい生活を強いられているなか、一刻も早くその対策を打ち出すべき立場にある安倍首相のこの所業には、一夜明けても、「何様のつもり!」「貴族か!」「ルイ16世か!」と怒りと批判の声が止まない。
そんななか、星野源が自らのインスタグラムのストーリーで、安倍首相の動画についてコメントした。
〈ひとつだけ。
安倍晋三さんが上げられた“うちで踊ろう”の動画ですが、
これまで様々な動画をアップして下さっている
沢山の皆さんと同じ様に、
僕自身にも所属事務所にも
事前連絡や確認は、事後も含めて
一切ありません。〉
安倍首相からの連絡や確認は一切なし。まさかとは思っていたが、安倍首相はやはり勝手に便乗、政治利用していたというわけだ。
しかも、このストーリーでは、ミュージシャンや芸能人、一般の学生などが投稿したコラボ動画をアカウトと合わせて紹介、星野からの感謝のコメントや動画に対するコメントも付けている。そのなかで安倍首相については動画やアカウントの紹介はなく、上記のコメントのみ。感謝の言葉や感想は一切ない。「沢山の皆さんと同様に」と書いているのだから、星野に安倍首相に対する他意はないなどと言っている人もいるが、他のコラボした人たちとはまったく違う扱いをしている。
ハッキリ言葉として表明しているわけではないが、星野にとって、今回の安倍首相による「うちで踊ろう」の政治利用が不本意だったことは明らかだろう。
この安倍首相による星野源の政治利用をめぐって、12日夕方頃から星野のある文章が、ツイッター上で注目を浴びている。
実は、星野源はかつてエッセイ集『働く男』(2013年発行、マガジンハウス/2015年発行、文春文庫)のなかで、音楽が権力者に利用されることの危険性について指摘していたのだ。
〈今でもたまに、「音楽で世界を変えたい」と言う人がいる。僕は「音楽で世界は変えられない」と思っている。無理だ。音楽にそんな力はない。他の業界に比べて音楽業界は夢見がちな人が多い気がする。スタッフには「元ミュージシャン」とか表舞台に名残がある人も多いから、社会性のない人も多い。そんな人に限って言うのである。「君ら日本を変えられるよ」とかなんとか。
そんなもんは戯れ言である。国を変えるのはいつでも政治だし、政治を変えるのはいつでも金の力だ。そこに音楽は介入できない。できたとしても、X JAPANの楽曲を使って型破りというイメージを定着させた小泉純一郎のように、ただ利用されるだけだ。
でも、音楽でたった一人の人間は変えられるかもしれないと思う。たった一人の人間の心を支えられるかもしれないと思う。音楽は真ん中に立つ主役ではなく、人間に、人生に添えるものであると思う。〉
■星野は政治から距離を取ろうした結果、安倍首相になめられ、道具にされた
そう。星野はかつてX JAPANが小泉純一郎首相に利用されたことを例に出して、「音楽はただ政治利用されるだけだ」とシニカルに語っていたのだが、今回、まさに自分自身がまんまと安倍首相に利用されたのだ。
実際、安倍首相はAKB48や吉本興業、ニコニコ動画、オタクカルチャーとの蜜月、SNS戦略などに顕著なように、小泉純一郎よりもはるかに巧みに芸能人や若者文化をイメージ戦略に利用してきた。
今回も、星野がこのムーブメントに込めた思いとは関係なく、補償や給付をしない政権への批判をかわすために、星野の“ふわっとした”“いい感じ” といったイメージを利用して、自分のイメージアップをはかったのだ
まったく卑劣極まりないし、危惧していたのに利用された星野はさぞかし忸怩たる思いを抱いたはずだ。
しかし、これは同時に星野自身のスタンスが招いたものでもある。なぜなら、政治に利用されるのは、常に「政治を忌避し距離をとろうとする者たち」「自分は政治と関係がないというポーズをとる者たち」だからだ。それは、この間、安倍首相にまんまと利用されてきた芸能人たちの顔ぶれを見れば明らかだろう。
星野は、上述したように、エッセイで、「音楽で世界は変えられない」し、「国を変えるのはいつでも政治」だが、「音楽でたった一人の人間は変えられるかもしれない」と言い、実際、「政治」を忌避し距離を取るというスタンスを明確にしてきた。
しかし、政治と距離を置くことなど、本当に可能なのか。たったひとりの生活に寄り添い、人生を後押しするということだって、政治とは無縁ではいられない。うちで踊るには、本当は、まずうちで踊れるような環境を政治が整えないと、うちでは踊れない(今回そのまさに整えるべき立場にある総理大臣が、それをせず「うちで踊ろう」とやったから、批判を受けているのだ)。
表現者がそのことを自覚し、その政治性から逃げずにいれば、政治勢力と確信犯的につながることはあっても、政治に利用されることはない。
そして、政治と無縁ではいられないにもかかわらず、個人の生活を徹底的に政治と切り離すポーズをとることは、逆に、政治に利用され、政治の問題点を見えなくする役割を担わされる。
星野はまさに後者だった。この間、SNS上で大きな話題になったムーブメントは、医療従事者にみんなで拍手を送るとか、世界中で星野源の動画以外にもいくつもある。その数あるなかで、安倍首相が、星野源の「うちで踊ろう」を選び出したのは、たんに星野源の人気や知名度だけが理由ではないだろう。星野の(表面上の)“政治性の希薄さ”が、安倍首相にとって自らの失政を不問にしてくれるものだったからだ。
■自分の意図とは違う利用のされ方をしても、真っ向から安倍首相を批判できなかった星野源
ようするに、星野は政治性を忌避してきたことで、逆に安倍政権に「こいつは使える」となめられ、道具にされたということだ。
しかし、星野はこの状況になってもまだ、政治から距離を取ろうとするポーズを変えていない。これだけ自分の意図と違うかたちで利用されたのに、「安倍晋三さんから連絡は一切ありません」と表明するのが精一杯で、「みなさんに自由にコラボしてほしかったですが、安倍さんにだけはコラボして欲しくなかった」と批判もせず、「補償もお願いしますね」とひと言釘を刺すことすらしなかった。
イベント中止に追い込まれている音楽業界のみならずこれだけ多くの人間がそれこそ“右も左もなく”補償を求めているなかで、その程度のコメントで、別に政治的とかイデオロギーとか、たいしたハレーションが生まれるとも思えない。無料で勝手に人の楽曲を利用したんだから、それくらい言ったって誰も文句は言わないだろう。
しかし、安倍官邸は、星野源が絶対にそんなこと言ってこないとタカをくくっていたに違いない。だから、あのコラボに安心して乗っかったのだ。
そして、案の定、星野は安倍首相を真っ向から批判しなかった。その結果、安倍官邸はまったく反省しないまま開き直っている。菅義偉官房長官は「若者の新型コロナ感染が非常に多く、(外出自粛を)訴えるために、配信は極めて有効だと思う」「過去最高の35万以上も『いいね』をいただいて、多くの人にメッセージが伝わった」と強弁した。
そういう意味では、今回の安倍首相による星野源コラボ動画乗っ取り事件は、国民の窮状なんかつゆほども考えていない安倍首相の”貴族“ぶりや、官邸の狡猾なイメージ操作の手口を暴露しただけではない。「政治について意思表示しない」「政治から距離をとり続けている」という姿勢に内包されているリスクを表現者に突きつけたと言えるだろう。
(酒井まど)
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