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https://www.newsweekjapan.jp/obata/2020/03/post-40.php
小幡 績
2020年03月02日(月)12時48分
■<入試の公平性や教育の格差は大問題になるのに、一斉休校で教育の機会が失われることには異論を唱えない。日本は終わった>
日本はもう終わりだ。
コロナウイルスによって終わったのではなく、終わっていたことがコロナウイルスによって明らかになったのだ。
安倍首相は、官邸主導で、全国の小中高校の一斉休校を要請した。
最悪だ。
目的が間違っている。
感染拡大を抑えるということだが、子供の感染率は低いし、それよりも高齢者のスポーツジム利用自粛要請の方がまだましだ、という例で明らかなように、手段の優先順位が間違っている。
しかし、そんなことは今に始まったことではない。そんなことで日本が終わるなら、とっくに終わっている。
私にとっての最大の驚きは、官邸のこの意思決定に対する人々の反応だ。
もちろん、メディアも国民もほとんどの人が一斉に反発した。
それは酷いと。
だが、人々の反応は、官邸の酷さの上を行った。
人々は、子供が家にいたら働きにいけない、と反発したのである。親が困る、と強く反対したのである。
これに対し、官邸はこれまた見事に大きな誤りで反応した。公設の託児所、学童は閉めません。こちらは全力で対応し、ご両親が安心して働けるようにします、と。
小中学校よりも、託児所、保育園、学童の方が濃厚接触による集団感染のリスクは高い。そちらは親の反発を避けるために全力で開ける、というのは二重に間違っている。
■親が働きに行けないことが問題ではない
しかしそれよりも、親が働きにいけない、という人々の反発の方が何倍も誤っており、これが日本が終わりであることを明示している。
ここで本当に大事なのは、一斉休校によって子供たちの教育がおろそかになることだ。
卒業や単位、進学について問題が生じないようにすると官邸は言う。そんなことは二の次だ。重要なのは、教育そのものがおろそかになることだ。
授業がなくなる。
学校教育で最重要なのは授業だ。
その授業がなくなって 子供たちが学ぶ機会が減る。それについての批判が全くない。
親たちや、町を歩く人々も、卒業式ができなくて可愛そう、友達とこのまま離れ離れになるなんて、と同情する。
そんな情緒的なことはどうでもいいのだ。
勉強する機会を失う。
これが学校を閉鎖することの問題のすべてだ。
人々が、その点については、驚くほど、全く無視しているのは、日本においては、教育というものをまったく重要だと思っていないことを現している。
だから日本は終わりなのだ。
日本ほど、世界で教育に関心のない国はない。
入試においても、公平性だけが議論され、勉強の中身、試験の中身については、二の次にされる。教育格差についての議論も、格差だけが問題であって、その教育の絶対水準については、問題にされない。
日本は教育の中身に関心のない国なのである。これが、今回の休校要請騒ぎで明らかになった。
だから、日本は終わりであり、終わりだと今回改めてはっきりしたのである。
https://www.newsweekjapan.jp/obata/2020/03/post-41_1.php
2020年03月03日(火)13時25分
■やっぱり日本は終わりだ
子供が学校ではなく学童に送られたのは大人の都合 Issei Kato-REUTERS
■<安倍首相からの一斉休校の掛け声に対し、「子供の教育の機会を奪うな」と反対した親がほとんどいなかったことを嘆いた筆者のコラムに多くの反響が寄せられた。以下は、それに対する回答だ>
昨日の記事に対して、予想以上の反応があったが、多数いただいたコメントは大変興味深かった。
大きく分けて、3つの意見があった。
第一には、教育よりも生活、命が重要だと。命あってのものだね、生活が成り立って初めて教育にいけるね、というものだ。
これは近代社会が否定してきた概念だ。
義務教育がほとんどの国で憲法に定められているのは、自分の生活のために、子供の教育を犠牲にしないように、親に教育義務を課すものだ。教育より生活が重要というのは120%間違いだ。子供たちは社会の最も重要な資産だから、子供の教育が親の生活の犠牲になってはならない、というのが近代社会の前提条件だ。
さらに言えば、命よりも教育は重い。短期的に、生活や命を救っても、社会がそれによっておかしくなるのであれば、将来の何千万、何億もの命が失われることになる。したがって、目先の生活よりも教育が大事であり、目先よりも社会の将来、人類の未来が重要なのである。
目先の一つの命よりも、将来社会の多くの命が重い、と書くと、多くの批判が寄せられるだろうが、この論点を議論するのは重要なことだが、残念ながら、今日はそんな深遠な社会思想の議論をする必要はない。
■学校より危ない学童
なぜなら、教育よりも命が大事だという人々が、学校から子供たちを追い出して、学童に子供たちを押し込めることを攻撃していないからだ。子供たちの感染リスクという点では、学校の方が広いし、人手はあるし、圧倒的に感染リスクは低い。学校を休校にすることを支持するならば、学童、託児所を閉めないことに対して、半狂乱になってでも、反対しないといけない。ところが、その動きは目立たない。
学童や託児所を開けることを容認しているのは、大人の都合だ。働きに行けないからだ。つまり、経済を、生活を優先させて、子供の命をリスクにさらしているのである。これこそまさに、多くの近代社会が危惧したことで、親の都合、生活、カネのために、子供をリスクにさらしているのである。
学校を閉めてまで、もとから低い感染リスクをさらに低くしたいのであれば、仕事は休むしかないし、休まないのであれば、学校教育よりも仕事の方が重要だ、ということを告白しているに過ぎない。会社が休ませてくれないのであれば、そんな会社は辞めてしまえ。あるいは政府を攻撃するより、その会社を、会社の短期的な利益、都合のために、子供たちの命を犠牲にする会社を攻撃して、つるし上げたらよい。
結局、生活よりも教育は重要でないし、子供の命よりも、自分たちの生活優先なのだ。
第二の批判は、教育は学校だけではない。むしろいい勉強の機会だ。いまどき学校よりも勉強の効率の良い手段は沢山ある。学校の授業なんて教育の一部に過ぎないし、その代替手段もたくさんある、というものだ。
これこそ、わたくしが、日本が終わりだ、と絶望した理由だ。
日本社会では「教育」という言葉は大好きだが、教育自体には関心がない。重要と思っていない。この書き方に反発を覚える人たちも「多くの人々は学校教育は重要でないと思っている」というわたくしの批判に対しては、そうだよ、学校教育にいまさら何を期待しているの、というに反応するだろう。
それが日本の終わりなのだ。
学校教育が重要でない社会。そんな社会は終わりだ。世界中どこにもない。学校教育は重要だが、国の予算がなくて、教師の人材不足で、インフラが整わず、とか、そのような貧しい国は多くあるが、学校教育が重要でない、授業が重要でないと社会の多数派が思っている社会はこの世に存在しない。
今の日本だけだ。
■もっと教育の中身を問え
学校での教育がもっとも価値のあるものであるから、わざわざ学校を作って、義務にして、義務は9年間、多くの人は12年間、半数以上は16年間学校教育を受けている。人生の16年間をそれほど価値のないものに費やされるというのは、効率が悪いどころか、完全に他の社会に置いて行かれる。
学校の側に原因がある、ろくな教育をしていないなら、もっとそれに怒りをぶつけるべきだ。なんでもっとよい教育をしないのかと。入試制度の変更に騒ぐよりも、授業そのものの内容、質、効率性を批判し、提言をするべきだ。
やはり、社会として、学校教育、とりわけ学校の授業は役に立たないと思っているのだ。
だから、やっぱり日本は終わりなのだ。
第三の批判は、私の傲慢な人格、読者のテイストに合わない文章の書き方、頭の悪さ、に対するものだ。これは記事の内容には無関係なので、日本が終わりという結論には変わりがない。
私個人への批判は、今後もいつでもどうぞ。
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