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「建国記念の日」に入れ込む安倍首相が愛国心強制メッセージも…元になった紀元節は政治利用目的でつくられた“偽りの伝統”
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2020.02.11 「建国記念の日」は政治利用目的でつくられた“偽りの伝統” リテラ
「建国記念の日」を前にメッセージを公開した安倍首相(首相官邸HPより)
きょう2月11日は「建国記念の日」として「国民の祝日」に指定されている。政府は10日、「建国記念の日」を前にした安倍首相のメッセージを公開した。総理大臣が建国記念の日に合わせてメッセージを出すようになったのは、第二次安倍政権の2014年からだ。
安倍首相のメッセージには〈「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨のもとに、国民一人一人が、今日の我が国に至るまでの古からの先人の努力に思いをはせ、さらなる国の発展を願う国民の祝日であります〉〈今を生きる私たちは、先人たちの足跡の重みをかみしめ、国際社会とも緊密に連携しながら、この尊い平和と繁栄を次の世代に引き継いでいくため、能う限りの力を尽してまいります〉などと、例年通り、空虚な言葉のなかに愛国心強制の匂いがぷんぷん漂うものとなったが、さらに今年は「令和で初めて迎える建国記念の日」を強調した。
〈伝統を守りながら、同時に、変化をおそれず、困難な課題に対しても果敢に挑み、乗り越えていく。新しい令和の時代においても、私たちは、そうした努力を積み重ね、躍動感あふれる輝かしい未来を切り拓いてまいります。令和初の「建国記念の日」を迎えるに当たり、私はその決意を新たにしております。〉
令和の新元号をめぐっては、安倍首相が独断専行に近いかたちでゴリ押しし、露骨に政治利用してきた。今回のメッセージもその一つだと言える。だが、安倍首相が「建国記念の日」について決して口にしないことがある。
それは、「建国記念の日」の元になった戦前の「紀元節」は、たかだか70年ほどの歴史しかない“偽りの伝統”だという事実だ。
そもそも、「2月11日」は明治時代に「太陽暦に換算した神武天皇即位の日」として「紀元節」に定められたが、戦後、GHQによって廃止された。しかし、1950年代から神社本庁や現在の日本会議の前身にあたる右派団体が中心となって、紀元節復活運動を展開。右派は国会に圧力をかけながら草の根の運動を全国化し、とうとう1966年の祝日法改正で旧紀元節を「建国記念の日」として復活させるに至ったという経緯がある。
この紀元節復活運動は、元号法制化運動とならんで、日本会議や神社本庁における大きな“成功体験”として刻まれている。現在でも、毎年2月11日には日本会議らが呼びかけるかたちで、全国で“建国記念の日をお祝いする行事”が催されるが、たとえば昨年の2月11日に東京・明治神宮会館で行われた「建国記念の日奉祝記念行事」では、「親学」の提唱で知られる日本会議系の高橋史郎氏による講演のほか、自民党の高村正彦・前副総裁の他、右派の現役国会議員が出席し挨拶をしている。こうした「建国記念の日」の奉祝関連行事では、安倍首相の進める改憲に一丸となって取り組もうとの意気込みが語られた。一種の政治的な決起集会だ。
つまり、「建国記念の日」は「紀元節=初代・神武天皇の即位日」という戦前の天皇中心主義的国体思想の延長であり、現在でも右派の復古的イデオロギーに利用されている。安倍首相が「建国記念の日」にあたってわざわざメッセージを出すようにしたのも、極右界隈へのアピールに他ならない。
しかし、繰り返すが、この「紀元節」自体、科学的根拠がないのはもちろん、ハナから政治利用目的でつくられた“偽りの伝統”なのである。
■「神武天皇の即位を祝う紀元節」は明治政府がつくりだしたフィクション、歴史学でも否定
前述のように「紀元節」は明治時代の1873年に制定されたが、逆に言えば、それまで「初代・神武天皇の即位日を祝う」という大衆的風習などなかった。薩長を中心とした明治新政府は、急激な幕藩体制からの脱却と自らの権威の確立のため、天皇を利用することで政治体制をまとめようとした。そのために着手したのが「神武創業」「万世一系」「万邦無比」「天壌無窮」といった、国体に結びつけられる思想の設計だった。
祝日もそのひとつだ。1873年に太陽暦を採用し、「年中祭日祝日」についての布告を出すのだが、なんと、新政府はそれまでの日本の"伝統的な祝日"だった五節句祝(1月7日の人日、3月3日の上巳、5月5日の端午、7月7日の七夕、9月9日の重陽)を廃止してしまった。その代わりに新たな「国家祝祭日」として設置したのが、神武即位日(後の紀元節)、神武天皇祭(神武天皇の崩御日)といった天皇信仰に基づく祭日だった。
このとき、神武天皇の即位から年号を数える「皇紀」も同時に定められている。明治政府は神武天皇即位の年=皇紀元年を紀元前660年の太陽暦2月11日と決め、「万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」(第一条)とした大日本帝国憲法の公布をこの日に合わせることで、支配の正当化をはかったのだ。
しかし、言うまでもなく神武天皇は架空の存在である。安倍政権下では、たとえば稲田朋美・元防衛相や三原じゅん子参院議員らが「神武天皇は実在の人物」という趣旨のトンデモ発言をしているが、『古事記』や『日本書紀』に登場する神武天皇は、ときの政治権力である朝廷がその支配の正当性を説くために編み出した“フィクション”というのが歴史学の通説だ(実際、「日本書紀」に従えば神武天皇の没年齢は127歳ということになってしまう)。さらに言えば、神武天皇の陵墓は天武、天智、持統天皇などの陵墓と比べて軽視されており、中世まで始祖として崇め奉られていた形成すらほぼない。
ところが、この「建国神話」のフィクションは、大日本帝国憲法の発布から敗戦まで「歴史的事実」として教えられていた。最近、日本の近代史研究で知られる古川隆久・日本大学教授が『建国神話の社会史 虚偽と史実の境界』(中央公論新社)という本を出版し、その受容のされ方や当時の社会状況をわかりやすく解説している。
〈建国神話は、江戸時代に日本の未来の姿を探し求めるなかで価値を認められ、幕末の対外的な危機克服というエリート層の危機意識のなかで、国体論という、庶民を国防に動員する思想の根拠として注目されました。明治維新後には、欧化への反動や自由民権運動という反体制運動を防ぐために、国体論が憲法や教育方針に取り入られました。それらの根拠となった関係で、建国神話は「事実」という建前となったのです。
史実となった以上、建国神話は国体論の最大の根拠として義務教育の歴史教育でも事実として教えられることになりました。そして、第一次世界大戦後になると、社会主義などの新たな反体制運動を防ぐために、小学校の日本史の授業における、史実として建国神話教育はさらに強化されることになったのです。〉(『建国神話の社会史』)
歴史学的視点から建国神話に異議を唱える者は排斥の憂き目にあった。たとえば『日本書紀』などについて批判的研究を行った津田左右吉に対し、東京地検が尋問を行い、『神代史の研究』など4冊を「皇室ノ尊厳ヲ冒涜シ、政体ヲ変壊シ又ハ国憲ヲ紊乱セムトスル文書」として発禁押収。後日、津田と版元が出版法違反で起訴されるという事件も起きている。
興味深いのは、「建国神話」を「史実」として叩き込まれた子どもたちも、実際には、普通に疑義を持っていたと伺えることだ。『建国神話の社会史』では太平洋戦争開戦後、国民学校での歴史教育で「国史の時間に掛図の“天孫降臨”をみて『先生そんなのうそだっぺ』と問うと、教師が『貴様は足利尊氏か』などと怒鳴って木刀で頭部を強打した」というような回想録が紹介されている。
■偽りの「建国記念の日」への批判が消え去り、大衆に内面化されてしまった恐怖
しかし、前述したように、こんなインチキな伝統であるにもかかわらず、紀元節は自民党と右派によって「建国記念の日」として復活した。
保守派の知識人である福田恆存は、戦後、紀元節復活の論陣を張った一人だが、1965年に雑誌に寄稿した文章のなかで、いわば“開き直り”に近いかたちで正当化を試みている。2月11日=神武天皇の即位日というフィクションは、祝日化議論の当時も歴史学的見地から批判されていたのだが、これに対して福田はなんと、こんな「反論」をしているのである。
〈私たちは絶対天皇制の時代に育ちましたけれども、伊邪那岐尊・伊邪那美命の話をほんとうの話と思ったことは一度もない。天照大神のこともほんとうだと思ったことはない。神武天皇のことでもほんとうのことだと思ったことはない。歴代の天皇が百年も二百年も生きているなどという馬鹿げたことはないのですから、そんな馬鹿なことを先生が学校でむきになって教えても、本気にしない。精神薄弱児でない限りは本気にしないわけであります。だから戦前の歴史教育は間違っていたと言いますけれども、それはあまりにも国民を馬鹿にするものです。〉(「紀元節について」『福田恒存全集』第6巻、文藝春秋。旧字体は引用者の判断で改めた)
実のところ、この文章で福田が述べる趣旨は「ウソだとわかっているが、あえてフィクションに乗ることで日本を肯定しよう」というものであり、ようは一種の精神論だ。しかし、これが笑えないのは、いまでもこうした構造が温存されていること、いや、もっとタチが悪いことに、大衆に無意識に内面化されてしまっていることだろう。
現在では、ほとんどの人が「建国神話」はフィクションだと知っている。にもかかわらず、多くは「2月11日」が「建国記念の日」とされていることに疑問を持たなくなってしまった。マスコミがその虚構性を再検証することもほとんどない。ましてや、安倍政権を中心とする政治家たちが「神武天皇は実在した」と公言すらしているのに、大した批判も起きずに忘れられていく。昨年の改元をめぐって、天皇制の本質的な議論がまったくなされなかったのと同じである。
〈「建国記念の日」が、我が国のこれまでの歩みを振り返りつつ先人の努力に感謝し、さらなる日本の繁栄を希求する機会となることを切に希望いたします。〉(安倍首相のメッセージ)
戦前の国体思想・全体主義のツールにされた「建国神話」は、いまなお緩やかに受容され続けている。安倍首相が「建国記念の日」に寄せた言葉は、恐ろしいほど中身がない。空虚とすら言える。だが、その空虚こそが一番あぶないのである。
(編集部)
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