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※2020年1月26日 3面 毎日新聞 画像クリック拡大
クローズアップ
「桜」の裏に安倍派VS林派 下関で見た「功績者」増の訳
https://mainichi.jp/articles/20200126/ddm/003/010/106000c
毎日新聞 2020年1月26日 東京朝刊
地元後援会の「新春の集い」で支援者らと乾杯する安倍晋三首相=山口県下関市で2018年1月8日、竹内望撮影
安倍晋三首相主催の「桜を見る会」参加者のうち、首相推薦枠を含む「各界功績者(総理大臣等)」が2018年に前年より約2000人も増えていたことが内閣府の資料で明らかになった。前日に首相後援会が開いた「前夜祭」の参加者も19年までの5年間で倍増。なぜ首相は「公的行事の私物化」と批判されるような支援者の招待を拡大させてきたのか。首相の地元、山口県下関市を歩くと、自民党内の激しい政争が浮かび上がってきた。【大場伸也】
桜を見る会について関係者の口は一様に重かった。話を聞いた十数人のほとんどは実名での証言を拒み、「かん口令が出ている」と言葉を濁す人、あえて人目につかない郊外の喫茶店を面会場所に指定してくる議員、「(自分の発言は)匿名ぞ、匿名ぞ」と何度も確認する社長もいた。
それでも見えてきたのは、桜を見る会と前夜祭の「変質」だ。何度か前夜祭に参加したという男性は「昔は地区の世話人など知っている人ばかりで静かだったのに、最近は家族連れとか一族で来る人とか、騒々しくなった」と話した。
前田晋太郎氏
「17年の市長選がきっかけだと思う」と話すのは、桜を見る会の参加者に聞き取り調査を続ける田辺よし子・下関市議(無所属)だ。
中尾友昭氏
17年3月12日の下関市長選は安倍首相の元秘書で下関市議だった新人、前田晋太郎氏が、3選を目指した現職市長の中尾友昭氏を3350票の小差で破った。この激戦は地元で「安倍・林の代理戦争」と呼ばれた。
「林」とは林芳正元農相のことだ。安倍首相は衆院山口4区(下関市、長門市)の選出で、林氏は山口選挙区選出の参院議員だが、地盤はやはり下関市だ。
前田氏は当然「安倍派」で、中尾氏は林元農相の系列。「協力してくれた『ご褒美』に、桜を見る会が利用されたのでは」と、田辺氏は見る。自民党関係者の一人も「前田市長を推したメンバーが桜を見る会と前夜祭に招かれた」と語る。「初めて踏み絵を踏まされた」と複数の市議は振り返る。
両派への配慮から、過去2回の市長選でどの候補も推薦しなかった自民党下関支部は、16年12月に突如、前田氏の推薦を決めた。当時の支部長は安倍派の友田有(たもつ)県議だった。
安倍首相自身も翌年1月9日、挑発的な行動に出る。市内で開かれた自らの「新春の集い」で前田氏を突然、自民党推薦の市長候補予定者として登壇させ、あいさつを終えた中尾市長の目の前で固い握手を交わしたのだ。「みんなどよめいた」と、参加した市議の一人は振り返る。それを見た中尾氏は途中で退席したという。
林氏の元秘書で林派の筆頭格の安岡克昌市議は17年6月の市議会代表質問で前田市長をこう批判した。
「九州の建設業者が100人態勢で前田候補の名刺を持ってローラー作戦をした。(首相に近い)福岡市長や(首相の)昭恵夫人も再三来て総理本人も要所要所に直接電話した。勝つためには何をしてもいいのか」
市長選後に議員間で暴行
こうした状況の中で、傷害事件まで起きた。
自民党下関支部が17年12月1日、市内の旅館で忘年会を開いた時、市長選後に支部長になった安倍首相の元地元秘書で44歳だった平岡望県議が25歳年上の林派の小熊坂孝司市議に左足首骨折の重傷を負わせたのだ。小熊坂氏や他の出席者によると、小熊坂氏が平岡氏に「おい、お前」と声をかけたところ、平岡氏は「支部長に向かって、その言い方は何か」と小熊坂氏を押し倒したという。
下関署は18年1月に平岡氏を傷害容疑で書類送検=3月に不起訴処分(起訴猶予)。平岡氏は同2月に小熊坂氏と支部役員に改めて謝罪し、支部長を辞任した。事件の経緯や事実関係について平岡氏は取材に「検事に調書まで取られているので答える必要はない。(傷害事件と)市長選とは関係ない」と述べた。小熊坂氏は「わだかまりはない」と話すが、中間派の自民党関係者はこう言った。「下関で安倍派に逆らうと生きていけない。ファシズムですよ」
下関市立大では前田市長の「トップダウン」が摩擦を招いている。市長が19年5月に市立大経営陣に特定の研究者を推薦。経営陣は教員らに諮ることなく特別支援教育の専攻科新設を決め、市長が推薦した研究者を含む教員採用を内定した。教授会による審査を経ずに教員採用を決めるのは異例で、教授会の9割以上の51人が白紙撤回を求める文書に署名し、経営陣に提出したが、計画は進行中だ。
父同士から選挙区で因縁
安倍派と林派の対立の歴史は長い。
下関市は中選挙区時代の旧山口1区の一部だった。定数4だった旧山口1区では、安倍首相の父晋太郎氏と林元農相の父義郎氏が共に出馬してきた。ところが、1996年に小選挙区制が導入され、下関市は隣の長門市と山口4区に組み入れられた。4区からは晋太郎氏の後を継いだ安倍首相が出馬することになり、高齢だった義郎氏は比例代表に回った。義郎氏の後を継いだ林元農相が参院なのは、そういう流れからだ。
しかし、晋太郎氏の地盤は長門市で、下関市は元来義郎氏の地盤だった。だから林派には「下関を返してほしい」(林氏の支援者)との不満がくすぶる。そして「うちの先生には、衆院にくら替えして総理大臣を目指してほしい」(同)というのが林派の悲願なのだ。
とはいえ、首相のいる4区からは難しい。林派の多くは隣の3区(宇部市、萩市など)からの出馬に期待する。しかし、3区には河村建夫・元官房長官がいる。首相と河村氏との関係は良好で、林氏が3区から出馬を強行すれば、党公認が得られない可能性は高い。林氏は難しい判断を迫られている。
支援者らと握手する林芳正氏(中央)=山口県下関市の「海峡メッセ下関」で2020年1月13日、大場伸也撮影
その林氏の「新春の集い」が1月13日に下関市で開かれた。林氏はくら替えについて明言しなかったが、腹心の塩満久雄県議は乾杯の音頭で宣言した。「長州政治の歴史の継承者になっていただきたい。それがために、早い時期に衆議院議員になっていただきたい」
「集い」の後、参加者の会社社長の男性は語った。「3区から出れば県内全域の自民党が林先生をつぶしにかかる。これはすごい戦いになる」
安倍氏のある古参支援者はこんな話を明かした。
「晋三さんは一度総理を辞めた時、後援者が離れたので、後援会を立て直さないかんという気負いがあったんでしょう。そのころは週末に小規模の会合を1日に何件も入れて、下関では『5人集まれば晋三が来る』と言われちょりました。だから国会議員の後援会という重みが分からんような人たちもおる。そういう人たちにやる気を出させるために、桜を見る会を使っちょったんじゃと思います」
下関市長選をきっかけに激化した政争が、桜を見る会への安倍首相による招待者増加に影響を及ぼしたのは間違いなさそうだ。
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