歴史上、もっとも残酷かつ醜悪だったキリスト教(カトリック) 2020年08月17日 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1220.html フランシスコ・ザビエルが日本に渡航し、キリスト教を布教したのは1549年である。 種子島に漂着したポルトガル船から鉄砲が伝えられたのは1543年だから、わずか5年の間に、スペイン・ポルトガルによる南蛮船交易は、もの凄い勢いで拡大していた。 ザビエルが渡航してから6年後に、信玄と謙信による川中島の戦いがあり、それから5年後の1560年に、桶狭間の戦いがあった。 1575年には歴史的な鉄砲戦の端緒を開いた長篠の戦いが起きて、日本中が煙硝の臭いに包まれていった。 火縄銃が伝来してから、わずか30年余で、戦国の戦いの主役は弓と槍に代わって鉄砲戦になっていた。 なぜ、日本で鉄砲が圧倒的な勢いで普及したかといえば、私は、日本の鍛冶技術が世界的レベルに達していたことと、日本中の厠で煙硝が入手できたからと考えている。 火山国である日本では、硫黄も至るところにあり、木炭も普及していた。つまり、実に容易に黒色火薬を製造することができた。 あとは鉛があればよい。方鉛鉱の産地は日本中にある。わざわざ南蛮船から高価な鉛を買う必要もなかった。 戦国以降、煙硝生産に有利な白川郷の合掌家屋は、鉄砲火薬原料の一大生産地となった。これを取り仕切ったのは加賀藩だった。 しかしながら、南蛮船は、厠で時間をかけて製造するより、はるかに容易に火薬を作れる硝石を持参しており、戦国大名たちは、これを争って求めた。 ザビエルらキリスト教宣教師たちは、日本に上陸し、権力者と結びついてキリスト教の布教を行ったが、同時に行った業務として、奴隷売買が知られている。 ちょうど今の統一教会と同じで、キリスト教に洗脳された婦女子を連れ出し、海外に奴隷として叩き売ったのだ。 その総数は、秀吉や家康がキリスト教布教師追放令を出すまでの数十年で、実に50万人の日本人女性が奴隷として宣教師の手によって海外に連れ出され売られたといわれる。 「日本人奴隷は神の恩寵」秀吉の逆鱗に触れたイエズス会の解釈 https://ironna.jp/article/11884 以下一部引用 奴隷商人が関与していたのは疑いなく、秀吉によって人身売買は固く禁止された。実は、人身売買に関与していたのは、日本人の奴隷商人だけでなく、ポルトガル商人の姿もあったのである。 そのような事情を受けて、秀吉は強い決意をもって、人身売買の問題に取り組んだ。天正15年4月、島津氏を降伏に追い込んだ秀吉は、意気揚々と博多に凱旋した。そこで、ついに問題が発生する。 翌天正16年6月、秀吉とイエズス会の日本支部準管区長を務めるガスパール・コエリョは、日本人奴隷の売買をめぐって口論になったのである(『イエズス会日本年報』下)。次に、お互いの主張を挙げておこう。 秀吉「ポルトガル人が多数の日本人を買い、その国(ポルトガル)に連れて行くのは何故であるか」 コエリョ「ポルトガル人が日本人を買うのは、日本人が売るからであって、パードレ(司祭職にある者)たちはこれを大いに悲しみ、防止するためにできるだけ尽力したが、力が及ばなかった。各地の領主その他の異教徒がこれを売るので、殿下(秀吉)が望まれるならば、領主に日本人を売ることを止めるように命じ、これに背く者を重刑に処すならば容易に停止することができるであろう」 秀吉が見たのは、日本人が奴隷としてポルトガル商人に買われ、次々と船に載せられる光景であった。驚いた秀吉は、早速コエリョを詰問したのである。コエリョが実際にどう思ったのかは分からないが、答えは苦し紛れのものであった。 しかも、奴隷売買の原因を異教徒の日本人に求めており、自分たちは悪くないとした上で、あくまで売る者が悪いと主張しているのである。もちろんキリスト教を信仰する日本人は、奴隷売買に関与しなかったということになろう。 日本人が売られる様子を生々しく記しているのが、秀吉の右筆、大村由己の手になる『九州御動座記』の次の記述である。 日本人数百人男女を問わず南蛮船が買い取り、手足に鎖を付けて船底に追い入れた。地獄の呵責よりもひどい。そのうえ牛馬を買い取り、生きながら皮を剥ぎ、坊主も弟子も手を使って食し、親子兄弟も無礼の儀、畜生道の様子が眼前に広がっている。近くの日本人はいずれもその様子を学び、子を売り親を売り妻女を売るとのことを耳にした。キリスト教を許容すれば、たちまち日本が外道の法になってしまうことを心配する。 この前段において、秀吉はキリスト教が広まっていく様子や南蛮貿易の隆盛について感想を述べている。そして、人身売買の様相に危惧しているのである。秀吉は日本人が奴隷としてポルトガル商人により売買され、家畜のように扱われていることに激怒した。奴隷たちは、まったく人間扱いされていなかったのである。 *************************************************************** 引用以上 ユダヤ28〜ザビエルと日本人女性の奴隷売買 https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/fb5671d14a8186352752f36f1e076892 以下一部引用 アルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいた。徳富蘇峰は、『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録を載せた。「キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいばかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし」と書いている。 キリシタン大名が送ったローマ法王のもとに派遣した天正少年使節団は、次のように報告している。「行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない」と。火薬1樽で50人の娘が売られたと伝えられる。 豊臣秀吉は宣教師の活動の危険性をいち早く見抜き、主君の織田信長に注意を促した。秀吉は準管区長コエリヨに対して、「ポルトガル人が多数の日本人を奴隷として購入し、彼らの国に連行しているが、これは許しがたい行為である。従って伴天遠はインドその他の遠隔地に売られて行ったすぺての日本人を日本に連れ戻せ」と命じた。 徳川幕府は、キリスト教の宣教を防ぐため、いわゆる鎖国政策を取った。清の他にオランダだけと交易したのは、オランダはプロテスタント国家であり、キリスト教の布教を行わずに経済的利益を求めたからである。 数千万人の黒人奴隷がアメリカ大陸に運ばれ、数百万人の原住民が殺され、数十万人の日本娘が世界中に売られた。この歴史的蛮行は、白人キリスト教徒が行っただけでなく、改宗ユダヤ人が加わっていたのである。 ******************************************************************* 引用以上 日本人奴隷売買問題の研究者たちによれば、「日本人女性50名が、火薬1樽と引き換えに売られた」と書かれていることから、どうやら、戦国大名たちが鉄砲火薬欲しさに日本人女性を売り飛ばした可能性が小さくない。 当時、名前の知られたキリシタン大名といえば、大友義鎮(宗麟)・有馬晴信・畠山高政・六角義賢・大村純忠・高山右近・結城忠正・小西行長・蒲生氏郷・内藤如安・黒田孝高・筒井定次・織田秀信らである。 いずれも、戦国もののテレビドラマに出てくる有名人ばかりだが、これらの大名のうち、相当部分が、火薬と引き換えに日本人女性をザビエルらに奴隷として叩き売った可能性がある。 小西行長や高山右近はドラマでは、人格者であるかのように描かれているが、もし奴隷売買に関わっていたなら、その評価は一変し、戦国ドラマの脚本を書き直さねばならなくなる。 上にリンクしたように、海外に売られる場合、手っ取り早く国際貿易港で売られる場合が多いので、海外に向かった日本人、天正少年使節団は、奴隷として残酷に使役され、人権を蹂躙されていた日本人女性を各地の港で目撃して心を痛めている。 おそらく山田長政や、支倉常長らも目撃しただろう。 https://ironna.jp/article/12051 この当時のキリスト教といえば、もちろんローマカトリックであり、ザビエルもローマ教皇の権威を背景に海外進出していた。 しかしながら、カトリックは権威主義に傾倒し、マルチン・ルターらによる宗教改革の抗議運動も進行していた。 ザビエルら宣教師の多くは、キリスト教の権威と布教の洗脳力を利用して、交易による利益を追求していた。布教目当てというより金と新領土目当てと言った方が正解だっただろう。 カトリックが、キリスト教の美しい物語を利用して、背後でどんな恐ろしい悪事を働いてきたかについて、私は繰り返し告発してきた。 つまり、カトリックの非人間的悪事は、ザビエル時代以前から現代に至るまで連綿と続いている。 カトリック聖職者の性的虐待 2018年09月14日 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-date-20180914.html カトリック聖職者による性的ハラスメント、あるいは暴行問題 2019年11月22日 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-942.html カトリックは、「キリストの愛」という口先だけの真っ赤な嘘で信者を欺しながら、基本的人権や、ときには子供たちの性や命までも平気で蹂躙する勢力である。 統一教会も、カトリックから派生したインチキキリスト教で、文鮮明が日本人女性を欺して「合同結婚式」に参加させ、意図的に韓国の貧村の嫁の来てのないDV男に送り込んで「これによって、戦前の報復をなす」と発言しているのだから、カトリックニセ宗教らしいともいえる。 https://xn--u9j9e9gvb768yqnbn90c.com/%E7%B5%B1%E4%B8%80%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E8%8A%B1%E5%AB%81%E6%95%B0%E5%8D%83%E4%BA%BA%E3%81%8C%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%BE%B2%E6%B0%91%E3%81%AB%E5%AE%9B%E3%82%8F%E3%82%8C/ キリストも、とんでもないインチキ勢力ばかりに利用されたものだ。 まったく、フランシスコ教皇の言葉も、白々しい嘘に満ちている。 https://president.jp/articles/-/31119?cx_referrertype=yahoo&yhref=20200814-00037798-president-pol 50年間続いてきたカトリック教会「性的児童虐待」の深い闇 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57629 50年じゃない、500年以上だ! カトリック司祭の8割がユダヤ人だといわれるが、資料を探しても出てこない。 ユダヤ人がカトリックを乗っ取り、実質ユダヤ教徒にしてしまう手口が、世界の多くで使われてきた。 統一教会も、アメリカ最大のプロテスタント福音派も、モルモン教も、エホバも、その中身はみんなユダヤ教ではないかと私は見ている。 ユダヤ教徒は、人を欺して正体を隠し、実質を乗っ取るのが大好きなのだ。 「血の中傷」といわれたユダヤ教徒に対する迫害、そして欧州を席巻したボグロムも、私は、根拠のない作り話ではありえないと思っている。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%82%B7 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1220.html
▲△▽▼ 2020年10月28日 米国「保守派」クリスチャンたちの素顔 もう一つのアメリカ、筆者の見た保守派の南部の高校生活 田村明子 (ジャーナリスト) https://wedge.ismedia.jp/articles/-/21189
いよいよ大統領選を迎えようとしている現在、アメリカは保守派の共和党と、リベラルの民主党の真っ二つに分裂している。 筆者がアメリカに移住したのは、1977年の春、カーター大統領政権が誕生して間もなくのことだった。あれから43年この国に住んでいるが、現在のアメリカほど分裂したアメリカを見たことがない。 40年間住んでいるこのニューヨークは、国際色豊かで文化の懐の深い街である。でもここにいると、アメリカ合衆国全体の、保守的、閉鎖的で、自分たちと異質なものには徹底的に排他的な側面を見失いそうになってしまう。 実は筆者が初めて暮らしたアメリカの地は、ノースカロライナ州だった。南部でもディープサウスと言われるほどの僻地ではないものの、現在でも共和党が多数派の土地である。 ノースカロライナ州シャーロットの歴史的建造物(/gettyimages) 当時はまだ高校生で英語力も限られ、社会に対する理解力にも限界があった。それでもアメリカの保守派とされる社会を生の体験できたことは貴重な体験だったし、今振り返るとトンでもないこと、面白いこともたくさんあった。
「ロックは悪魔の音楽なのよ」 筆者が10年生(日本の高校1年)として入学した先は、プロテスタント、サザンバプティスト派(南部バプティスト派)の高校だった。 留学を許してくれた両親は、ミッション系の学校なら治安も良く、留学生活も安全だろうという思いを持っていたと思う。ところが実際に行ってみると、それがものすごく日本的な勘違いだったことに間もなく気が付いた。 サザンバプティスト派は、トランプ再選の鍵を握ると言われている福音派の最大の一派で、信者は1500万人いると言われている。筆者が直に触れた彼らの信仰、思想は、日本人がイメージする「クリスチャン」とはかけ離れたものだった。そんなこともわからずに留学した筆者は、誤解を恐れずに言うなら、白人カルト集団にアジア人のティーネージャーの娘が一人でノコノコ乗り込んで行ったようなものだった。 ノースカロライナ州シャーロット(klenger/gettyimages) 写真を拡大 最初にたどり着いたのはノースカロライナ州シャーロット郊外にある、大学付属の英語学校だった。東京のクリスチャン系の留学コンサルタントを通して、全国から集まった同年代の女の子が筆者もいれて5人(ちなみに男の子たちは、年頃の男女を数カ月一緒にしておくと風紀上問題ありという理由から、フロリダの英語学校に送られていた)夏の間ここで英語を学び、9月からそれぞれの高校に振り分けられる予定になっていた。
英語学校の編入試験が終わった頃、筆者は留学コンサルタントの田中氏の車で、候補の高校のキャンパス見学に連れていってもらった。 行った先は、サウスカロライナ州グリーンビルにあるボブ・ジョーンズ大学高等部。アメリカ人なら、名前を聞けばすぐにぴんとくる有名校である。だがそれは、良い意味ではない。 「大学も付属している南部一の名門校だよ。ぼくが紹介できる学校の中では、ここがぴか一なんだ」と、田中氏は嬉しそうに強調した。校門前に大きな噴水があって、まるでリゾートのようだった。 田中氏と旧知の仲だという校長に挨拶すると、彼は日本人とアメリカ人のハーフの女の子を連れてきた。ジェニーというその学生が、まだ英語もつたない筆者のために日本語でキャンパス案内をかって出てくれたのだ。ここなら楽しい高校生活が送れるかも。そう思っていた矢先、筆者にとってはカルチャーショックともいえる出来事が起きた。 「ねえ、あなたはどんな音楽を聴くの? クイーンとか好き?」 もともと筆者が高校留学を希望したのは、小学生の頃から聞き始めたロック音楽がきっかけだった。英語文化にめざめ、海外留学をして将来は通訳になりたいと憧れていた。 でも筆者にそう聞かれたジェニーは、さっと蒼ざめた。目を大きく見開いて、顔をこわばらせている。返ってきたのは、こういう返事だった。 「ロックは、ここでは禁止されているのよ。だってあれは、悪魔の音楽ですもの!!」 悪魔の音楽…。今度は筆者の顔が思い切りこわばった。 筆者は当時も現在も、クリスチャンではない。でも小学生の頃は友人たちと誘い合わせてプロテスタント系の教会の日曜学校に通い、中学はカソリック系の女子校に行った。聖書もたっぷり読んだし、お祈りも讃美歌も覚えた。カソリック系女子中学は、服装などの規則はものすごくうるさかったものの、さすがにロックが悪魔の音楽だなどと極端なことを言われたことは一度もない。 これがサザンバプティストとの、初めての出会いだった。 異人種間の交際は禁止 ジェニーに何と答えたのか覚えていない。記憶にあるのは、彼女が最後に恍惚とした表情を浮かべて、両手でぐるりと円を描いてこう言ったことである。
「この学校にいるとね、神様がすぐここにいらっしゃるのがわかるの!!」 ジェニーの薄茶色の瞳が何もない空間を見つめているのが、とても怖かった。 こりゃまずい。そもそもクリスチャンではない私には、とても歯が立たない場所だと子供なりに理解した。この高校だけは無理です。そう伝えると、田中氏はもんのすごく不機嫌になったが、他の高校を紹介することに同意してくれた。 後に調べるとこのボブ・ジョーンズ大学は、人種差別で悪名高いところだった。 創立以来、黒人の生徒の入学を許可していなかったため、連邦国税庁から教育機関としての税金優遇対象からはずすと脅され、しぶしぶ黒人の受け入れを始めたのが1971年。だがそれから5年間は、黒人は既婚者のカップルのみ入学許可してきた。奇妙な校則だがその理由は、学校内で異人種間の交際を禁じていたためである。この異人種間の交際禁止という校則はなんと2004年まで続いた。当時の筆者がここに入学していたら、当然白人のボーイフレンドなどできなかっただろうし、万が一アジア人以外の彼氏を作ったら退学になっていたわけである。 これがアパルトヘイト制度下の南アフリカ共和国でもなく、ナチ政権当時のドイツのことでもなく、近代のアメリカ南部の現実だった(ついでに言うと、キャンパス内でのロック音楽禁止は現在もまだ続いているらしい)。 考えてみれば白人と日本人の混血だったジェニー自身、学校のポリシーに反する罪の象徴の存在だったはずである。もう一度彼女に会うことができるのなら、それをどう受け止めていたのか聞いてみたかった。信仰と人種偏見が、どう両立するのかも校長に聞いてみたかった。 そもそもこんなところに日本人留学生を紹介しようとした田中氏も、どのくらい南部の保守的な校風を理解していたのだろうか。 さて危ういところでボブ・ジョーンズを抜け出し、筆者はそこまで過激ではないノースカロライナの田舎の小さなサザンバプティスト派の高校に入学した。一番近くにある都市は車で30分ほどのウィンストン・セーラムで、市の名前からもわかるように周辺はタバコ畑だらけ。あとは目に付くのは教会がやたらと多いことだった。 ここでも、びっくりすることの連続だった。
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