雑記帳 2022年02月13日 オークニー諸島における青銅器時代のヨーロッパ大陸部からの大規模移住と新石器時代男系の存続 https://sicambre.at.webry.info/202202/article_13.html オークニー諸島における青銅器時代のヨーロッパ大陸部からの大規模移住と新石器時代男系の存続に関する研究(Dulias et al., 2022)が公表されました。完新世の気候最適期の最後尾の恩恵を受けて、紀元前4050年から300〜400年にわたって、ブリテン島とアイルランド島全域では前期新石器時代が南方から急速に拡大しました。移住者は栽培化されたコムギやオオムギと家畜化されたヒツジやウシを、竜骨型鉢土器や土手状の囲いに関する知識とともに持ち込み、起源地としてフランス北部もしくはベルギーの可能性が高い、と示されます。
オークニー諸島はスコットランド本土の北方に位置し、紀元前3800〜紀元前2500年頃となる新石器時代に栄え、主要な文化的中心地になりました。成功した農耕経済と長距離接触に支えられて、最初の恒久的集落が木材で建設され、その後で紀元前3300年頃以降、石造りの住居が建築されました。石の使用は意識的な設計上の選択だったようで、並外れた考古学的保存をもたらしました。 最近のゲノム規模研究(関連記事)が、紀元前2500年頃以後となる鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化期におけるブリテン島への大陸規模の移住の程度と速さを論証しましたが、オークニー諸島については、この大陸規模の移住への考古学的示唆は、これまでほとんどなかったか、まったく認識されていませんでした。考古学的記録における鐘状ビーカー文化および関連する物質文化の少なさは、この頃にブリテン諸島の他地域で起きた文化および人口集団の変化がオークニー諸島ではほとんど直接的影響を及ぼさず、じっさい、局所的に抵抗されたかもしれない、という指標とみなされてきました。結果として、オークニー諸島は紀元前二千年紀後半には、ほぼ島嶼的な閉鎖的軌道で発展した、と見られてきました。 葬儀慣行の重要な変化がこの時期に出現し始め、研究は葬儀遺跡に集中してきました。ブリテン諸島北部では最大級のいくつかとなる墳丘墓が、紀元前三千年紀末頃にオークニー諸島で出現しました。これら土の塚には複数の被葬者が含まれ、順次追加され、最も頻繁に含まれたのは、土坑もしくは石棺の火葬された遺骸でした。平らな石棺墓地も土葬と火葬の両方に使用され、墓に数人の遺骸が含まれることは多かったものの、副葬品は稀でした。 最近まで、定住遺跡の低い可視性のため、これは環境と文化の後退期だった、と考えられてきました。焦点を絞った環境分析と、クロッシークラウン(Crossiecrown)やトフツネス(Tofts Ness)などの集落に関する報告を通じて、均衡は改善され始めました。集落と葬儀遺骸を関連づける機会はひじょうに稀で、新石器時代と青銅器時代(BA)にまたがる遺跡はほとんどないため、経時的な変化の一貫した全体像を描くのは困難です。この点で、リンクスオブノットランド(Links of Noltland、略してLoN)で継続中の調査は、貴重な新しい洞察を提供しつつあります。 LoNはオークニー諸島の最も北西に位置するウェストレー(Westray)島に位置します。例外的条件により、少なくとも紀元前3300年頃から紀元前500年頃までの広範な集落と墓地遺構が保存されました。集落の新石器時代と青銅器時代との段階間で直接的重なりはまだ検出されていませんが、居住の大きな中断の証拠はありません。青銅器時代集落は建築上の根拠で区別され、年代は紀元前2500〜紀元前1200年頃となり、3棟の家屋と付属建物から構成され、これらの家屋は新石器時代の家屋と同様に、同時代の農地景観に広がっていました。家屋は多くの場合、組み合わせて配置され、石と土盛りの混合で建てられ、少なくとも紀元前1200年頃まで使用されていました。 これらの集落の中に位置する墓地は、少なくとも紀元前2150〜紀元前850年頃まで使われ、50以上の埋葬で構成され、100個体以上を含みます。火葬と土葬の両方が同時に行われており、単一墓内の複数埋葬は一般的でした。「鐘状ビーカー複合」の物質的証拠はブリテン島本土全体で見られますが、オークニー諸島では僅かです。2個のビーカー容器からの数点の断片が広範囲で回収され、年代は紀元前2265〜紀元前1975年頃ですが、さらなる土器もしくは認識可能な人工物は、墓地もしくは集落との関連では見つかっていません。 古代ゲノム研究では、ブリテン島を含むヨーロッパの大半にわたって、金属器時代の文化の到来が、ポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)からの新たな祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の導入と、Y染色体ハプログループ(YHg)R1b1a1b(M269)の優勢を伴っていた、と示しました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。本論文は、この枠組みの文脈内でオークニー諸島のゲノム多様性を調べました。 ゲノム規模一塩基多型(SNP)捕獲とショットガンデータが、オークニー諸島の新石器時代21個体で利用可能でしたが(関連記事1および関連記事2)、青銅器時代では1個体だけでした。青銅器時代オークニー諸島を調べるため、LoN墓地の22標本から全ゲノムショットガン配列が生成され、既知のデータとともに分析されました。ウェストレー島の西岸に位置するノウオブスケア(Knowe of Skea、略してKoS)の複数期間の儀式複合遺跡と墓地遺跡で得られた、鉄器時代3標本の新たなデータと、スコットランドおよびイングランド北部の12点のさらなる先史時代標本も含められました。 ●標本
先史時代のスコットランドの標本29点とイングランド北部の標本8点からの、ショットガンゲノムデータが提示されます。22点はオークニー諸島のウェストレー島の青銅器時代LoNで発見され、年代は紀元前1700〜紀元前1400年頃です(LoN)。ウェストレー島の鉄器時代KoSの3点は、紀元後1〜紀元後2世紀となります。シェトランド諸島のアンスト(Unst)島の鉄器時代となるミラスケッラ(Milla Skerra、略してMS)遺跡からは1点です。ヘブリディーズ諸島のスカイ島(Isle of Skye)の鉄器時代となるハイパスチャー洞窟(High Pasture Cave、略してHPC)からは1点です。スカイ島の新石器時代となるストラスグリーブ(Strath Glebe、略してSG)からは1点です。 スコットランド北部の黒島(Black Isle)の新石器時代となるローズマーキー洞窟(Rosemarkie Cave、略してRC)からは、紀元後430〜630年頃となるピクト人の標本1点です。ノーサンバーランド(Northumberland)のローハックスアリー(Low Hauxley、略してLH)からは鐘状ビーカー期の標本1点です。北ヨークシャーのウェストヘスラートン(West Heslerton、略してWH)からは青銅器時代の標本3点です。北ヨークシャーのナプトンウオウルド(Knapton Wold、略してKW)からは鉄器時代の標本2点です。ダービーシャー(Derbyshire)のカージントンパスチャー洞窟(Carsington Pasture Cave、略してCPC)からは鉄器時代の標本2点です。 全ゲノム網羅率は、0.0007倍から0.8207倍まで大きな違いがあります。網羅率0.009倍以上の標本でゲノム規模分析が行なわれ、平均網羅率は0.194倍です。全標本は汚染検定に合格しました(表1)。これらの標本は、前期新石器時代オークニー諸島(21個体)、および新石器時代と銅器時代(CA)と青銅器時代のヨーロッパの個体のゲノムデータ、オークニー諸島とスコットランドの現代人の1856点の新たなミトコンドリアゲノムの文脈で分析されました。 ●ゲノム規模多様性
ADMIXTURE分析(図1A)で示されるのは、青銅器時代オークニー諸島の標本群は全体的なゲノム規模特性で他のヨーロッパ北部青銅器時代の人々とよく似ており、スカイ島や他のブリテン諸島およびアイルランド島の新石器時代標本とより類似している新石器時代オークニー諸島標本群とはひじょうに異なる、ということです。新石器時代標本は全て、ポントス・カスピ海草原牧畜民との混合を最も明確に示すコーカサス狩猟採集民(CHG)構成要素(図1Aの青色)を欠いていました(関連記事)。オークニー諸島標本におけるCHGの割合は、青銅器時代と鉄器時代の両方で、他のスコットランド銅器時代および前期青銅器時代(EBA)標本群よりもやや高いものの、イングランド標本群の値の範囲内に収まります(図1A)。 オークニー諸島現代人は、CHG構成要素の割合がさらに高く、これは、中世ヴァイキングの植民を反映しており、現代人のゲノム規模推定(関連記事)では20〜25%、現代人のY染色体(関連記事)では25〜30%の影響が推定されます。地理的および時系列的傾向は、主成分分析でより明確に描かれます(図1B)。LoN青銅器時代標本群は大まかに、ヨーロッパ北部および中央部の鐘状ビーカー期と銅器時代と青銅器時代の標本群とまとまり、KoS鉄器時代標本群は同じ広範なまとまり内に収まりました。以下は本論文の図1A・Bです。 画像 D統計は、ゲノム間で共有された遺伝的浮動を定量化するので、個体間の類似性の程度の推定にも使えます。D(ムブティ人、検証集団;潜在的な外れ値、LoN)型式を用いて、LoNの残りと潜在的な外れ値標本とを比較することにより、対称性D統計が計算されました。LoN標本群は一貫してクレード(単系統群)を形成し、統計的に相互に区別できない、と示唆されます。D(ムブティ人、LoN;ヨーロッパBA、ヨーロッパBA)型式のD統計では、オークニー諸島のサンデー(Sanday)島のわずかに古い既知のロプネス(Lop Ness)BAと最も密接に一致した後、最も一般的な重要な類似点は、ブリテン島鐘状ビーカー複合(BBC)標本群とスコットランド青銅器時代とオークニー諸島KoS鉄器時代、フランスBBCやオランダBAなど大陸部の数個体とでした。 外群f3統計は類似のパターンを示し、ヨーロッパBBCおよびBA標本全体の重複エラーにも関わらず、LoNがブリテン島東部、ウェールズ、アイルランド島、ヨーロッパ北西部BBCおよびBA標本群と最も密接である、と示します(図1C)。これは、オークニー諸島BAが、鐘状ビーカー期にブリテン島に到来した人々によりブリテン島本土(おそらくは東側)経由で定住した可能性が最も高い、と示します。以下は本論文の図1Cです。 画像 ソフトウェアqpAdmは、ある人口集団から別の人口集団への、遺伝子流動もしくは混合の方向性と程度を推定するために、f4統計(D統計と類似しています)を要約します。ADMIXTUREにより示される3つの主要な構成要素、つまり草原地帯と「アナトリア半島新石器時代農耕民(ANF)」と「ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)」を用いて、混合割合をqpAdmでモデル化すると、LoNの各祖先系統の割合は、草原地帯が55%、ANFが33%、WHGが12%で、ブリテン島全域の既知のBA標本群とほぼ同様です。LoN人口集団に寄与した人口集団は、これら3構成要素の混合だった可能性が高そうです。 LoNのより近い供給源を特定するため、可能性があるさまざまな前期新石器時代人口集団と、後期新石器時代/前期青銅器時代人口集団がモデル化されました(表2)。オークニー諸島BA標本群は、在来の新石器時代人口集団4〜7%とスコットランドBBC人口集団93〜96%の割合だけではなく、在来の新石器時代人口集団1〜5%とフランスBBC人口集団95〜99%もしくは在来の新石器時代人口集団1%とデンマークBA人口集団99%でモデル化されます。 標準誤差(SE)により示唆される不確実性にも関わらず、これらの結果は明確に、EBAまでにヨーロッパ大陸部BBC移民と関連する人々による新石器時代の人々のひじょうに高水準の置換を意味し、在来集団の遺伝子プールは最大で5%しか同化されませんでした。しかし、BBC移民の子孫はオークニー諸島に到達した時までに、オークニー諸島における鐘状ビーカー関連物質文化がほとんどないことに反映されているように、その鐘状ビーカー複合との関わりを失っていたようです。 したがって、ゲノム規模分析からの状況は、後期新石器時代と前期青銅器時代との間のオークニー諸島人口集団間のかなりの置換を示唆し、これはブリテン島本土で見られる置換(関連記事)と類似しています。しかし、片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)体系により示されるパターン間の驚くべき予期せぬ違いがあり、この過程がどのように起きたのか、より詳細に明らかにすることができます。 ●ミトコンドリアDNAの多様性
前期新石器時代オークニー諸島標本(21個体)には、ヨーロッパ新石器時代に特徴的なミトコンドリアDNA(mtDNA)が含まれており、おもに西方新石器時代からの定住を示唆しますが、ドナウ川新石器時代からのわずかな寄与もあります。対照的に、青銅器時代LoNのmtDNA系統一式はひじょうに異なります。少数派のH系統が多数あり、mtDNAハプログループ(mtHg)には、H39(4個体)やH58aやH+195やH1n1(2個体)があります。 その他のmtHgでは、2個体のJ1c2aと3個体のT2a1b1a(唯一の既知のオークニー諸島青銅器時代標本であるロプネス遺跡の前期青銅器時代個体と一致します)、2個体のT2b21、2個体のU5b2a3、1個体のK1a3a、1個体のK1a29a、1個体のK1c2もあります。これらの個体群のうち8個体(H39のうち3個体、T2a1bの3個体全員、2個体のU5b2a3、1個体のK1a3a)は複数埋葬の一部で、そのうち2つは近縁関係にありました。複数埋葬の男性も、全員同じYHg- I2a1b(現在はI2a1a2)-M423とI2a1b1(現在はI2a1a2a)-S185を有していました。 青銅器時代LoN系統のほとんどが分類されるまとまりの年代および地理的分布から、そのほとんどは在来の新石器時代集団から継承されたのではなく、後に到来した、と示唆されます。古代DNA研究では、その多くはヨーロッパ大陸部の縄目文土器文化(Corded Ware Culture)かBBCか青銅器時代の人口集団と関連しています。たとえば、mtHg-T2a1b1はドイツの縄目文土器文化で見られますが、mtHg-T2b21はドイツとチェコのBBC系統と一致します。mtHg-H39およびK1c2系統は既知の古代DNAデータでは見られませんが、現代の系統はヨーロッパ北部に限定されており、それぞれ紀元前3000年頃と紀元前2600年頃にさかのぼります。これも、紀元前3000〜紀元前2500年頃のヨーロッパ北部全域での縄目文土器文化拡大の供給源を示唆します。 mtHg- J1c2*やK1a3aやH1n1やH58aやH+195などいくつかの系統は解決困難ですが、その分布は、BBCの到来と一致する各事例にあります。しかし現時点では、在来の新石器時代供給源を確証的には除外できません。鉄器時代KoS遺骸(3個体)には、同一のmtHg-H1b系統の2個体と1個体のmtHg-U5a1b1aが含まれ、両方ともヨーロッパ大陸部のBBCもしくは縄目文土器文化に起因する可能性があります。 オークニー諸島の鐘状ビーカー期前にさかのぼる可能性が最も高い系統はLoNの2個体で見られるU5b2a3+16319で、本論文ではU5b2a3bと命名されます。mtHg-U5b2a3は紀元前8500年頃までさかのぼり、スコットランドとウェールズ両方の前期新石器時代個体で見られるので、オークニー諸島のmtHg-U5b2a3個体群は、ブリテン諸島の新石器時代から青銅器時代への連続性の可能性を表しています。 興味深いことに、mtHg-U5b2a3はブリテン諸島の現代人1個体と、アメリカ合衆国のヴァージニア州(イギリスの植民地として設立されました)の1個体でも見られ、現代までの連続性の可能性が示唆されます。じっさい、新石器時代のオークニー諸島とスコットランドと特に中石器時代のアイルランド島で見られるmtHg-U5b2a*、およびmtHg-U5b2a3自体も、新石器時代のアイルランド島で見られ(関連記事)、現代のオークニー諸島とシェトランド諸島でのmtHg-U5b2系統の存在とともに、mtHg-U5b2a3bを含む一部のU5b2系統が、現代のブリテン島とアイルランド島で生き残っている最古の系統の一部を示しているかもしれず、在来の中石器時代系統の可能性さえあります。 ●Y染色体の多様性
新石器時代オークニー諸島では既知の16のY染色体DNAハプロタイプがあり、そのうち14はよく解明されているようです。この14のハプロタイプはYHg-I2aで、そのうち7つはYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423、4つはYHg-I2a1b1(現在はI2a1a2a)-S185、1つはYHg-I2a2(現在はI2a1b)-S33、1つはYHg-I2a2a1b(現在はI2a1b1a2)-CTS10057、1つはHg-I2a2a1a2(現在はI2a1b1a1b1)-Y3679で、残りはよく解明されていないYHg-IおよびI2です。 青銅器時代LoNでは、ゲノム規模および女性系統の大半はBBCもしくは青銅器時代とともにブリテン諸島とオークニー諸島に到来した可能性が最も高そうですが、9つのY染色体DNA系統のうち1つを除いてYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423で、残りの1つはYHg-R1b1a1b(M269)です。YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)内では異なる4ハプロタイプが見つかり、それはYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423およびYHg-I2a1b1(現在はI2a1a2a)-S185と、より派生的なYHg-I2a1b1a1b(現在はI2a1a2a1a2)-A1150とYHg-I2a1b1a1b1(現在はI2a1a2a1a2a)-A8742です。 このYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423の優勢には驚くべきです。なぜならば、銅器時代および青銅器時代のヨーロッパの他地域では、この系統が完全に存在せず、YHg-R1b1a1b(M269)が圧倒的に優勢だからです(図2・図3・図4)。たとえば、ブリテン島のBBC期の男性21個体のデータセットでは、20個体がYHg-R1b1a1b(M269)で、1個体だけがYHg-I2a2a(現在はI2a1b1)-M223です。銅器時代と前期青銅器時代のブリテン島とアイルランド島の標本群を含めた場合、男性43個体のうち41個体がYHg-R1b1a1b(M269)で、YHg-I2a2a(現在はI2a1b1)-M223は2個体、YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423はいません。以下は本論文の図2です。 画像 したがって、青銅器時代LoN標本のうち単一のYHg-R1b1a1b(M269)系統の個体を除いて、全男性は新石器時代のY染色体DNAの総体の部分集合を有しています。これらがブリテン諸島のさらに南方からBBCもしくは青銅器時代の移民によりもたらされた可能性はほとんどありません。YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423はヨーロッパのBBCもしくは青銅器時代に見られなかっただけではなく、ヨーロッパ新石器時代においてさえ少数派系統でした。ヨーロッパ新石器時代の既知の男性389個体のうち、12%(47個体)だけがYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423を有しており、そのうち40%(47個体のうち19個体)がブリテン諸島かアイルランド島に由来し、ブリテン諸島のほとんどはオークニー諸島に由来します(図3および図4)。以下は本論文の図3です。 画像 ブリテン諸島とアイルランド島でさえ、オークニー諸島以外ではほとんどのY染色体DNA系統は、YHg-I2a2(現在はI2a1b)-S33かYHg-I2a2a(現在はI2a1b1)-M223ですが(図3)、不思議なことに、本論文におけるスカイ島の新石器時代1個体はひじょうに稀なYHg-I2a2b(現在はI2a1b2a)-S154で、他では中期新石器時代のフランスでだけ見られます(関連記事)。YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423は、西方新石器時代のブリテン諸島とアイルランド島にほぼ限定されているようで、ブリテン諸島とアイルランド島では、YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423は稀に、YHg-I2a2a(現在はI2a1b1)-M223や、まだ新石器時代ブリテン島では見つかっていないYHg-I2a1a(現在はI2a1a1)-CTS595とともとに見られます。これは恐らく、オークニー諸島とアイルランド島とブリテン島西部および北部で共有される残存系統の分布を示唆しています。以下は本論文の図4です。 画像 結果は、新石器時代の男性系統の同化がひじょうに稀だっただけではなく、新石器時代ブリテン島本土の少数派を形成したYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423の同化が、起きたとしてもさらに稀だったに違いなかった、というものです。青銅器時代LoNのYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423系統は、在来のオークニー諸島新石器時代人から存続し、ブリテン島本土新石器時代集団によりもたらされたわけではなかった、と本論文は結論づけます。対照的に、同じくウェストレー島の鉄器時代KoS遺跡の標本抽出された2個体は、YHg-R1b1a1b(M269)です。 YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423は、最初の農耕民とともにオークニー諸島にもたらされた可能性が高そうです。新石器時代には、YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423はほぼ、地中海西部からバルト海のヨーロッパの大西洋前面周辺に分布していました。ブリテン諸島以外では、ほとんどのYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423系統はスペインとフランスの中期および後期新石器時代に由来し、ドイツでは1個体、スウェーデンではわずかに確認されており、スウェーデンのゴットランド島の遺跡(関連記事)では、遺伝子型決定された男性4個体全員がYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423です(図4)。 YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423は、中石器時代アイルランド島を含むヨーロッパ北部および中央部の狩猟採集民数個体にも存在します。この分布と、ともに7000年前頃となる、YHg-I2a1b1(現在はI2a1a2a)-S1852とYHg-I2a1b2(現在はI2a1a2b)-S392という2つの主要な下位クレードの分子時計と、祖先的系統が現在でもイベリア半島に存続しているという証拠から、ヨーロッパ南西部への新石器時代拡大期における狩猟採集民からの同化と、続いてヨーロッパ北西部および北部への新石器時代拡散が続いたことを示唆するものの、ヨーロッパ北部におけるいくつかのさらなる同化もあり得ました。 ●同型接合連続領域と親族関係
プログラムhapROHを用いて、ROH(runs of homozygosity)が評価されました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレル(対立遺伝子)のそろった状態が連続するゲノム領域(同型接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。ROH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています(関連記事)。青銅器時代LoN標本群の特性は、小さな有効人口規模を示唆しますが、最大で三従兄弟までとなる最近の親族関係の証拠はありません。HapROHは、有効人口規模を約400人と推定しました。これは、新石器時代オークニー諸島からの大きな減少で、新石器時代やBBCや青銅器時代のブリテン島とヨーロッパの他地域よりもずっと少ないことになります。これらの結果は、少数の族内婚的人口集団を示唆します。 ソフトウェアREAD(Relationship Estimation from Ancient DNA、古代DNAからの親族関係推定)を用いて、片親性遺伝標識と死亡時の骨考古学的特性とが組み合わされ、親族関係が推定されました。READ分析は、密接な親族関係の証拠をほとんど特定しませんでした。DNA分析の基準を通過した複数の土葬遺骸のうち7個体(11個体中)でさえ、1親等もしくは2親等の親族関係には2人の全キョウダイ(両親が同じキョウダイ)が含まれるだけです。これは男女の組み合わせで、男子は思春期に、女子は生後すぐに死亡しました。このキョウダイは、同一で稀なmtDNAハプロタイプ(mtHg-H39系統内)を共有しており、男子は墓地で最も一般的なY染色体DNAハプロタイプ、つまりYHg-I2a1b1(現在はI2a1a2a)-S185でした。複数埋葬外の乳児は、わずかに異なるmtHg-H39系統でしたが、READを用いて密接な親族関係の証拠を見つけることはできませんでした。 低いY染色体DNAの多様性と、稀なmtDNAハプロタイプの複数の共有は両方、外来のmtDNAのほとんどの比較的最近(それ以前の千年間)の到来にも関わらず、小さく緊密な共同体を示唆します。しかし、最も重要な兆候は、青銅器時代だけではなく、YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423の存続から推測されるように、新石器時代末にも継続的な父系婚姻パターンを示す、在来男性系統に対するより高い多様性の外来女性系統との間の対照の維持です。ほぼ在来のY染色体DNAとほぼヨーロッパ大陸部由来のmtDNAおよび常染色体の割合との間の対照はひじょうに印象的ですが、約95%水準のヨーロッパ大陸部由来のゲノム規模祖先系統は、移民女性と在来男性とのわずか5世代もしくは100〜150年の婚姻で達することができ、結果が示唆するように、その後には孤立と族内婚が続いた、ということに要注意です。 ●考察
本論文は、中石器時代と新石器時代と青銅器時代と鉄器時代のヨーロッパ全域の多様性の文脈で、青銅器時代と鉄器時代のオークニー諸島人のゲノム多様性を調べ、先行する新石器時代オークニー諸島人の利用可能な証拠と比較しました。新石器時代オークニー諸島人のmtDNAとY染色体DNAの多様性は両方、おもに地中海とローヌ渓谷と大西洋の拡散経路からの、ブリテン島本土を経由しての定住を示しており、全体的に新石器時代ブリテン諸島人のゲノム規模分析と一致します(関連記事1および関連記事2)。この過程はおもに入植の一つでしたが、同化の可能性と在来の中石器時代父系の存続についていくつかの証拠が見つかりました。明らかに古代の在来のmtHg-U5b分枝の存在は、スコットランド西部(関連記事)およびアイルランド島(関連記事)における狩猟採集民の同化のゲノム規模観察を補完します。 本論文は、ゲノム規模(関連記事)およびmtDNAパターンの両方で明らかな青器時代ブリテン諸島人口集団における劇的な変化がオークニー諸島でも起きた、と確証します。オークニー諸島は、実質的に最近のヨーロッパ大陸部祖先系統を有する人々により、ブリテン島本土からほぼ再定住されました。この人口統計学的変化は何世紀にもわたって起きたかもしれませんが、鉄器時代へと比較的変わらずに維持された可能性が高そうです。本論文では鉄器時代の3個体だけが分析されましたが、いずれも類似のパターンを示します。 予期せぬことに、この移住の波にも関わらず、在来の新石器時代男性系統が、少なくともウェストレー島では青銅器時代までよく存続しました。男性の新参者の証拠はYHg-R1b1a1b(M269)の単一系統(乳児の埋葬)の存在で見られますが、他の男性は全員、在来のYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423系統です。この系統は、ブリテン島本土北西部のバーセイ(Birsay)の紀元後5もしくは紀元後6世紀となるピクト人単一個体で存続していますが(関連記事)、オークニー諸島では現在、単一の家族(407人の男性で検証されました)でしか見られません。 YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423系統は、ヨーロッパ西部では新石器時代末の後には他地域ではほぼ消滅し、新石器時代後のヨーロッパの考古学的遺跡では見られません。この系統は現代のブリテン諸島ではわずか1%しか見られず、現代ヨーロッパ西部のほとんどでは存在しませんが、YHg-I2a1b2(現在はI2a1a2b)-S392という最近の1つの下位クレードが、バルカン半島のスラブ人集団で劇的に拡大しました(図2・図3・図4)。 考えられる説明は、LoNなど農耕定住の連続性と安定性と自給自足で見つけられるかもしれません。これらの成功した世帯群は、間違いなくオークニー諸島規模の新石器時代社会に加わっている一方で、地域の多様な芸術様式や物質文化や建築や儀式活動に現れる、強い地域的独自性を発展させました。こうした世帯群はたとえば、自身の長距離接触を続行したかもしれません。それはたとえば、オークニー諸島内とは異なり、遺伝的データからも最近になって父系子孫が推定された(関連記事)アイルランド島のブルーナボーニャ(Brú na Bóinne)遺跡のものと最も直接的に比較される、オーロックスと地元の墓芸術の輸入により示唆されます。新石器時代における強さの地位から、そうした定住は内部への移住を媒介し、家系管理に関して特定の選択をするよう、適切に配置されたかもしれません。 本論文は、青銅器時代オークニー諸島におけるよく確立した新石器時代世帯群の生き残りを見ているのかもしれない、と提案します。人口集団(とゲノム)の残りのほぼ全体が置換されても、いくつかの異なる男性系統は存続しました。これらの世帯群の考古学的痕跡はとくに派手ではなかったかもしれませんが、ブリテン諸島の他地域において男性系統の多くが新参者により置換された時点から少なくとも1000年間のそれらの系統の存続は、青銅器時代オークニー諸島人について多くの場合推定されているよりもずっと少ない島嶼性孤立の指摘と同様に、他地域よりも同化の過程が長引き、おそらくはもっと交渉がなされた過程を示唆しているかもしれません。 この提案にはいくつか注意点があります。第一に、本論文はオークニー諸島の最も辺鄙な地の一つと、特定の時点の状況を説明していますが。これは断片であり、オークニー諸島全体を表していないかもしれません。オークニー諸島の別の島であるサンデー島の単一のロプネス標本は、大陸移民の全体的パターンを確認しますが、この個体は女性なので、男性系統について情報を提供しません。全体像をより完全にするには、さらなる調査が役立てます。 第二に、遺跡にはDNA分析を行なえない多くの火葬遺骸があります。YHg-R1b1a1b(M269)の新参者がほとんど火葬された可能性はあるでしょうか?これはなさそうです。かなりの数のBBCおよび前期青銅器時代の土葬がイングランドとスコットランドで分析されており、男性はほぼ排他的にYHg-R1b1a1b(M269)系統でした。しかし、これが当てはまる場合でも、YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423系統の土葬における存続は、ゲノム規模(および恐らくはmtDNAでも)水準でのほぼ95%の置換にも関わらず、並外れたままです。 ヨーロッパの文脈では、オークニー諸島青銅器時代人はヨーロッパ大陸北西端の位置としてはひじょうに対照的で、ゲノムの大半が後期新石器時代と前期青銅器時代数との間で書き換えられましたが、男性系統はなぜか存続しました。それでも、ユーラシア西部全域で見られる同じ父方居住婚慣行の観点でこの現象を理解できます。オークニー諸島の祖先分布は、在来の男性と新参の女性を含む意図的な婚姻パターンを示します。この優先的同化の過程は、新石器時代オークニー諸島人のゲノムの残りの置換の程度を考えると、多くの世代にわたって継続した可能性が高いようです。 新石器時代社会における強力でおそらくは強く階層的な要素の存在は、アイルランド島のニューグレンジ(Newgrange)の近親交配の1親等同士の子供の発見に基づいて提案されており(関連記事)、ヨーロッパ北西部と中央部両方のアイルランド島や他の巨石文化のそれ以前の分析で予想されていました(関連記事1および関連記事2)。ニューグレンジ羨道墳の個体群を分析した研究では、強い階層的要素はアイルランド島全体を網羅していると主張され、ウェールズとオークニー諸島の類似の巨石共同体を組み込んだかもしれず、最も可能性の高い起源地はブルターニュ地方である、と主張されました(関連記事)。 YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423は中石器時代と新石器時代両方のアイルランド島で見られ、後期新石器時代のアイルランド島における主要なまとまりであるYHg-I2a2a1a1(現在はI2a1b1a1a)-M284は、ニューグレンジの推定される上流階層系統で見られ、南ロナルドセー(South Ronaldsay)島のイズビスター(Isbister)の埋葬室のある石塚(鷲の墓)の新石器時代オークニー諸島人と一致します。 YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423の青銅器時代オークニー諸島と新石器時代の沿岸部周辺の分布の両方の本論文のデータは、この提案をさらに支持します。ヨーロッパの新石器時代社会は、その分布の一方の極(ではあるものの、ほぼ周辺的ではありません)で、鐘状ビーカー複合と(最も可能性が高そうな)インド・ヨーロッパ語族の到来(関連記事)のずっと前に、父系的で父方居住的で階層的だったかもしれません。 本論文のデータは、新石器時代系統が特定の農耕世帯群内で存続したことを示唆し、これは明らかに上流階層ではありませんが、何世代にもわたって特定の土地所有の管理を維持していたようです。この系統と特定の場所とのつながりは、男系での優先的継承を強く示唆します。これにより生じた連続性は、紀元前三千年紀と紀元前千年紀との間の集落の寿命に顕著に寄与した可能性が高そうです。在来男性系統は、人々と文化と言語とさらにはゲノムさえも、新参者の起源地であるヨーロッパ本土のものとより類似するよう変わっていった一方で、そのままでした。 本論文の調査結果は、オークニー諸島への前期青銅器時代の移住を論証し、「鐘状ビーカー複合の拡大は、遺伝的に均質な人口集団への考古学的に定義された物質文化の単純な一対一の対応付けでは説明きない」との1939年に提案された認識を拡張します。その研究では、人口流入は考古学的痕跡がほとんど特定されない場合でさえ起きたかもしれない、とも強調されています。これは、従来では島嶼性孤立の発展か、遠方の上流階層の模倣か、影響の漸進的選択の結果とみなされてきた、オークニー諸島の青銅器時代慣行の起源についての批判的な再評価を促します。たとえば、手押し車や焼けた塚などの新たな記念建造物の出現をめぐる状況は、再考の必要があります。 これらの知見がさらに広く裏づけられるならば、青銅器時代オークニー諸島は、秩序整然として持続的な移住があり、長距離交換網に関わり、新たな慣行を採用した可能性が高い、と示唆されます。青銅器時代への新石器時代系統とあり得る独自性の持久は、文化的複雑性のさらなる層を追加し、その意味するところはまだ充分には調べられていません。 以上、本論文についてざっと見てきました。オークニー諸島では、ブリテン諸島の他地域と同様に、新石器時代から前期青銅器時代にかけて人類集団のゲノムに大きな変化があり、ヨーロッパ新石器時代農耕民的な遺伝的構成から、おもにポントス・カスピ海草原起源の牧畜民的な遺伝的構成へと変わりました。この過程でヨーロッパ西部では、男系(Y染色体)でもおもにポントス・カスピ海草原起源の牧畜民由来の系統へと変わりましたが、オークニー諸島では、青銅器時代にも新石器時代以来の男系が優勢でした。
さらにオークニー諸島では、ヨーロッパ西部においてポントス・カスピ海草原起源の牧畜民到来の考古学的指標となる鐘状ビーカー複合的要素がほとんど見られないにも関わらず、他のヨーロッパ西部と類似した人類集団の遺伝的構成の大きな変化が起きました。オークニー諸島の事例は、人口移動と文化的変容や父系との関係が、地域によっては大きく異なっていた可能性を強く示唆します。本論文は、日本列島の人口史についても重要な示唆を与えているように思います。 日本列島も、縄文時代と現代とで人類集団の遺伝的構成に全面的な置換に近いくらいの変化があり、その大きな変化は弥生時代に始まった、と考えられます(関連記事)。ただ、この変化は弥生時代に急速に完了したのではなく、弥生時代の日本列島の人類集団は遺伝的にかなり異質で、現代日本人の遺伝的構成の確立については、少なくとも平安時代まで視野に入れる必要があるのではないか、と思います(関連記事)。 日本列島における人類集団の遺伝的構成の大きな変化も、人口移動による遺伝的変化と新たな文化の到来として単純に図式化できないようで、たとえば弥生時代早期の九州北西部の1個体は、遺伝的には縄文時代の個体群そのものです(関連記事)。また現時点では、縄文時代の個体群は遺伝的には時空間的に広範囲にわたって比較的均質だったと考えられ、男系でも特定のYHg(D1a2a)しか確認されていませんが(関連記事)、現代日本人では、縄文時代において現時点では排他的なYHg-D1a2aの割合が約35%で、縄文時代と現代とで人類集団の遺伝的構成に全面的な置換に近いくらいの変化があったのに、男系では縄文時代系統が約1/3の割合を維持していることになります。 ただ、この問題は複雑で、朝鮮半島の新石器時代に縄文時代個体群の祖先系統をさまざまな割合で有する個体群が確認されていることから(関連記事)、現代日本人のYHg-D1a2aを全て縄文時代個体群由来と単純に考えるのには、慎重であるべきだと思います。現代日本人のYHg-D1a2aの中には、弥生時代以降に朝鮮半島から到来したものもあるかもしれない、というわけです。おそらく、ゲノム構成と文化や男系の変容は世界各地でさまざまであり、一様に把握することはできないのでしょう。 参考文献: Dulias K. et al.(2021): Ancient DNA at the edge of the world: Continental immigration and the persistence of Neolithic male lineages in Bronze Age Orkney. PNAS, 119, 8, e2108001119. https://doi.org/10.1073/pnas.2108001119
https://sicambre.at.webry.info/202202/article_13.html
|