★阿修羅♪ > 近代史5 > 275.html
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ ★阿修羅♪
ギリシア人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/275.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 8 月 25 日 20:56:11: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ヨーロッパ人の起源 投稿者 中川隆 日時 2020 年 8 月 25 日 16:02:53)


ギリシア人の起源


ギリシャ文明のルーツが青銅器時代の遺骨DNAから明らかになった。
西川伸一 | NPO法人オール・アバウト・サイエンスジャパン代表理事
2017/8/11
https://news.yahoo.co.jp/byline/nishikawashinichi/20170811-00074383/

ヨーロッパ、アポロ、ナイキ、アンドロメダ、ヴィーナスという名前を聞いたこともないという人は少ないはずだが、これらがギリシャ神話の登場人物に由来することはあまり知られていない。我々日本人には気がつかないが、ギリシャ文明はヨーロッパ文明に深く根を下ろしている。事実、ヨーロッパの美術館に行けば、あらゆる時代を通してギリシャ神話や歴史が絵画や彫刻の題材になっているのがわかる。ところが、私たち日本人はギリシャ文明を体系的に学ぶことはまずないため、ギリシャだけでなく、西欧の文化を理解するときどうしても壁を感じてしまう。結果、演劇でもオペラでも、ギリシャ文化が題材だと、背景がわからないため、ほとんど理解できずに悔しい思いをする。

このギリシャ神話や叙事詩に描かれているのが、ポリスを中心にしたギリシャ文明のルーツと言われている紀元前2000年にクレタ島を中心に栄えたミノア文明と、紀元前1500年ペロポネソス半島を中心にしたミケーネ文明だ(写真)。ホメロスの叙事詩を史実と確信したシュリーマンの発掘物語は今も鮮明に覚えている。

このように、ミノア文明とミケーネ文明がギリシャ文明のルーツであることを疑う余地はないが、ともに線文字を使う文明を支えた人たちのルーツや、その後のギリシャ文明を支えた人たちとの関係については、想像の域を出なかった。ところが近年、遺跡から出土する人骨のDNAの解析が可能になり、この問題を解明できるのではという期待が生まれていた。

そしてついに、米国ハーバード大学、ワシントン大学、そしてドイツ・ライプチヒのマックスプランク研究所が協力して、ミノア、ミケーネの青銅時代の遺跡に残された人骨のゲノムを解析し、両者の関係、ルーツ、そして現代ギリシャ人との関係を明らかにし、昨日発行のNatureに発表した(Lazaridis et al, Nature, 548:214)。

論文を読むと、ギリシャだけでなくヨーロッパとその周辺で出土した様々な時代のゲノム解析が急速に進んでいることがよくわかる。これらの蓄積があって初めてこの研究も成立している。この周辺の民族のDNAと比べると、ミノア人とミケーネ人はほぼ同一と言っていいほど近縁で、新石器時代のアナトリア人(現在のトルコに相当する)に共通の起源を有しており、エーゲ・アナトリア青銅器文明の担い手と一括りにできる。

とはいえ、両者のゲノムは完全に同じではなく、明確に分離可能でもある。ミノア人は石器時代のアナトリア人にイランやコーカサス地方の民族の遺伝子が混じっている。一方、ミケーネの方はアナトリア人を土台に東欧やシベリアなど北方の狩猟民族のDNAが混じっている。また地理的な近さから予想できるように、ミケーネ人の方が現代ギリシャ人に近い。ただ現代ギリシャ人の成立過程で、石器時代の土着民のDNAが交雑して形成されている。

もちろん、これはゲノム上に存在する各民族のDNAの割合の話で、実際にどのように交雑が進んだのかは今回の解析からは明らかになっていない。おそらくミノア、ミケーネ相互の交雑もあり、常に他の民族との交雑も繰り返されたと思う。稀にしか交流がなかったネアンデルタールと現代人のような単純な図式で決めることはできない。一つの文化が多様化したのか、あるいは多様な文化が合わさって共通文化ができたのかについてすら、まだまだ研究が必要だろう。その意味で、ゲノムと遺物解析を基盤とした全く新しい考古学が必要に成る。

文化的に重要なのは、今回解析されたミケーネ王族のゲノムは一般市民のゲノムとほとんど同じで、国家の階層が一つの民族から形成されていたこともわかる。

推計学的解析が進めば、同じデータからもっと多くのことがわかるだろう。また、DNAの抽出さえうまくいけば、多くの遺骨からより複雑な民族間の関係が明らかに成るだろう。今も未解読な線文字A解読のヒントになるかもしれない。

このように古代人DNAの解析は今歴史学を大きく変えようとしている。おそらく数年もすると、教科書のギリシャ史も書き換えられるだろう。ひょっとしたら、日本人にももっとギリシャが身近になるかもしれない。
https://news.yahoo.co.jp/byline/nishikawashinichi/20170811-00074383/


▲△▽▼


雑記帳 2017年08月04日
青銅器時代のミノア人とミケーネ人のDNA解析(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201708/article_4.html

 これは8月4日分の記事として掲載しておきます。青銅器時代のミノア人とミケーネ人のDNA解析に関する研究(Lazaridis et al., 2017)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。これまでの古代DNA研究で、初期ヨーロッパ農耕民の主要な祖先は、紀元前7千年紀からギリシアと西部アナトリア半島に居住していた、複数のきわめて類似した新石器時代の集団とされています。それ以降、青銅器時代までのこれらの地域の歴史についてはさほど明確になっておらず、ギリシア本土とクレタ島の集団間の遺伝的類似性の程度と、これらの集団と他の古代ヨーロッパ人集団や現代ギリシア人との類縁関係などが曖昧なままでした。

 この研究は、紀元前2900〜1700年頃のクレタ島の10人、紀元前1700〜1200年頃のミケーネ文化の4人、紀元前2800〜1800年頃の南西部アナトリア半島の3人、ミケーネ人到来後のクレタ島の1人、「文明」出現前となる紀元前5400年頃のギリシア本土の1人のゲノム規模のデータを解析しました。その結果、ミノア人とミケーネ人が遺伝的によく類似しており、遺伝子プールの3/4は西部アナトリア半島およびエーゲ海地域の最初の新石器時代農耕民に、残りの大半はコーカサスおよびイランの最初の新石器時代農耕民に由来する、と推定されています。

 しかし、ミノア人とミケーネ人の違いも明らかになっています。ミノア人とは異なってミケーネ人には、青銅器時代のユーラシア草原地帯またはアルメニアの集団からの遺伝子流動が確認されました。また、現代ギリシア人がミケーネ人と共通祖先を有しつつも、新石器時代前期の祖先からの系統がさらにある程度希釈されたことも明らかになりました。新石器時代〜青銅器時代にかけて、エーゲ海地域の人類集団は継続的だったものの、孤立してはいなかった、とこの研究では指摘されています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


【ゲノミクス】ミケーネ人とミノア人

 ギリシャ本土出身のミケーネ人とクレタ島出身のミノア人を含む古代のヨーロッパ人種とアナトリア人種(合計19名)のゲノムデータを報告した論文が、今週のオンライン版に掲載される。この新知見は、青銅器時代にエーゲ海地方に出現し、ホメロスとヘロドトスに始まる古代の詩と歴史の伝統によって知られた最古の2つの著名な考古文化の起源に関する新たな手掛かりとなっている。

 これまでの古代DNA研究で、初期ヨーロッパ農耕民の主たる祖先は紀元前7千年紀からギリシャとアナトリア西部に居住していた複数の極めて類似した新石器時代の集団とされている。それ以降、青銅器時代までのこれらの地域の歴史については、それほど明確になっておらず、ギリシャ本土とクレタ島の集団間の遺伝的類似性の程度とこれらの集団と他の古代ヨーロッパ人集団や現代ギリシャ人との類縁関係など数々の疑問が残っている。

 今回、Iosif Lazaridisたちの研究グループは、合計19名の古代人(紀元前約2900〜1700年のクレタ島出身のミノア人10名、紀元前約1700〜1200年のギリシャ本土出身のミケーネ人4名、紀元前約2800〜1800年のアナトリア南西部の出身者3名を含む)のゲノム全域のデータを解析した。その結果、ミノア人とミケーネ人が遺伝的に非常によく似ており、その約4分の3がアナトリア西部とエーゲ海地方の最初の新石器時代の農耕民を共通祖先としており、残りの大部分が古代のコーカサス地方とイランの集団を祖先としていることが判明した。一方、ミケーネ人は、ミノア人とは異なり、青銅器時代にユーラシアのステップ(東ヨーロッパと北ユーラシアを含む地域)に居住していた人々を祖先とする者もいた。また、Lazaridisたちの解析では、現代ギリシャ人がミケーネ人と共通の祖先を持ちつつも、新石器時代前期の祖先からの系統がさらにある程度希釈されたことも判明した。


参考文献:
Lazaridis I. et al.(2017): Genetic origins of the Minoans and Mycenaeans. Nature, 548, 7666, 214–218.
http://dx.doi.org/10.1038/nature23310


追記(2017年8月10日)
 本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。


人類学:ミノア人とミケーネ人の遺伝的起源

人類学:青銅器時代のヨーロッパ人の遺伝的祖先

 ヨーロッパにおいて青銅器時代に出現した最も著名な文明には、いずれもエーゲ海地域である、クレタ島のミノア文明やギリシャ本土のミケーネ文明などがある。I Lazaridis、D Reich、J Krause、G Stamatoyannopoulosたちは今回、ミノア人、ミケーネ人、およびその東部に位置する南西アナトリアに由来するの人々を含む、古代人19体の新しいゲノム規模のデータを解析することで、これら2つの考古学的文化の起源を調べた。ミノア人とミケーネ人は西アナトリア人やエーゲ海地域の人々を共通祖先としていて遺伝的に非常に類似しているが、ミケーネ人はさらに青銅器時代のユーラシアのステップ地域の居住民と類縁関係がある祖先を持つという違いがあることも分かった。

https://sicambre.at.webry.info/201708/article_4.html  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 2020年9月01日 15:04:35 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[25] 報告
雑記帳 2019年10月19日
20万年前頃までさかのぼるエーゲ海中央の人類の痕跡
https://sicambre.at.webry.info/201910/article_39.html


 20万年前頃までさかのぼるエーゲ海中央の人類の痕跡に関する研究(Carter et al., 2019)が報道されました。人類の拡散経路の解明は人類進化史研究において重要です。近年まで、島や砂漠や山岳地帯といった特定の環境は人類にとって居住に適さず、現生人類(Homo sapiens)によって初めて可能になった、との見解が有力でした(関連記事)。また、海や大河は現生人類ではない人類にとって障壁として機能したと考えられており、航海は「現代的行動」の指標の一つとされてきました。そのため、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)など現生人類ではない人類の拡散経路は陸上に限定されていた、と考えられてきました。

 しかし、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)がチベット高原に進出していた、と最近確認されました(関連記事)。また、意図的な航海なのか漂流なのか、議論が続いていますが、フローレス島では現生人類ではないホモ属フロレシエンシス(Homo floresiensis)の存在が確認されており、やスラウェシ島でも現生人類ではなさそうな人類の痕跡が発見されています(関連記事)。現生人類の拡散経路でも、海上の役割をめぐって議論が激化しています。

 こうした人類の拡散経路をめぐる議論で、東地中海のエーゲ海地域は長い間無視されてきました。アナトリア半島西部とギリシア本土を隔てるエーゲ海は、現生人類ではない人類にとって通行不可能な障壁だっただろう、と考えられてきたわけです。そのため、現生人類ではない人類によるアジア南西部からヨーロッパへの拡散経路は、陸上のマルマラ・トラキア回廊と想定されていました。また、現生人類のヨーロッパへの初期の拡散も、この経路が想定されていました。地中海における本格的な航海は中石器時代に始まった、というわけです。しかし、最近の考古学および古地理学的研究により、このモデルは見直されつつあります。

 エーゲ海には、古地理学的復元により、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5e・7・11といった間氷期には島々の間に海が存在したものの、MIS8・10・12といった氷期には海面が低下したため、アナトリア半島やギリシア半島と陸続きになった、と推測されています。氷期に出現したエーゲ海盆地は、生態学的に豊かな低地と湖などの淡水港を有する、人類にとって魅力的な土地でした。これは、現在のエーゲ海のキクラデス諸島での人類の活動を仮定していますが、その直接的証拠はこれまで提示されていませんでした。

 ステリダ(Stelida)はキクラデス諸島で最大のナクソス島(Naxos)の北西沿岸に位置しています。ステリダには石器製作にとって高品質のチャート採石場があり、剥片が散乱していて、過去の人類の使用を証明しています。ステリダ石器群は1981年に発見された当初、暫定的に早期新石器時代もしくは続旧石器時代と分類されました。しかし、ステリダ石器群はキクラデス諸島のもっと後の新石器時代や青銅器時代の石器群と似ておらず、一方でナクソス島くらいの大きさの地中海の島では更新世の人類の痕跡が確認されていなかったため、議論は複雑化していきました。最近では、エーゲ海島嶼部の植民は早期完新世までしかさかのぼらない、との見解が提示されました。エーゲ海島嶼部の下部および中部旧石器は、よく年代測定された石器群が少ないことから、更新世における人類の存在の確実な証拠にはならない、と指摘されています。

 現生人類ではない人類のエーゲ海島嶼部の通過もしくは居住の有無は、人類の認知能力に関する理解に大きな意味を有する、と一般に受け入れられています。この潜在的重要性を考えると、堅牢な根拠が必要で、それは豊富な標本サイズや石器タイプや技術の分類だけではなく、層序化された発掘からの健全な化学的年代測定も含まれる、と本論文は指摘します。本論文の著者たちは、これらの問題を念頭に置いて、2013年にステリダで発掘調査を開始しました。本論文は、エーゲ海中央で最初に発掘された層序化系列を、中期更新世から完新世までのよく確認されて年代測定された層からの人工物とともに詳述します。

 ステリダの調査地区は、岩相層序ではLU1〜LU8に、土壌層序ではS1〜S5に区分されています。LU1がS1、LU4aとLU4bがS2に、LU5がS3、LU6がS4、LU7がS5に相当します。石器は、最古層となるLU8を除いて全ての層で豊富に存在します。年代は赤外光ルミネッセンス法(IRSL)で測定され、LU7が198400±14500年前、LU6が94100±6500年前、LU5が22100±1500年前、LU4が18200±1300年前、LU3が14900±1000年前、LU2が12900±900年前です。LU5とLU6の間は侵食により年代が大きく離れています。

 ステリダではほぼ石器の人工物約12000点が発見され、そのうち9000点以上は年代測定された層のものでした。これらの石器の大半は、製作の初期段階で生じたもので、最終段階の石器は他の場所での使用のために少なかった、と推測されています。ステリダ石器群には、下部旧石器時代から上部旧石器時代を経て中石器時代までの石器群と、製作・形状・修正が一致しているものも含まれます。LU1には典型的なエーゲ海中石器時代石器群が含まれており、LU1からLU5では上部旧石器時代のものと分類される石器群が発見されました。この上部旧石器時代的な石器群の中には、オーリナシアン(Aurignacian)に見られる竜骨型スクレーパー(carinated scrapers)や、彫器・掻器・石刃などが含まれています。

 LU1からLU5には中部旧石器時代のルヴァロワ(Levallois)および円盤状石核技術の石器群も含まれています。これらの中には、ギリシア本土で発見され、ネアンデルタール人の所産とされているムステリアン尖頭器も含まれます。またLU1からLU5には、下部旧石器時代から中部旧石器時代早期にかけての地中海東部非アシューリアン(Acheulean)剥片伝統石器群も発見されており、スクレーパーや両面石器が含まれています。LU6ではルヴァロワおよびその疑似石器群が発見され、より大きな剥片や石刃様剥片などが含まれます。LU7の石器群は風化が進んでいたため分類が困難で、スクレーパーなどが含まれています。LU7の年代は198400±14500年前で、下部旧石器時代もしくは中部旧石器時代早期に相当します。

 本論文は、中期更新世にまでさかのぼる人類の痕跡に関して、おおむね明確に分類されて年代の確かな石器群を報告しており、エーゲ海中央における中期更新世の、おそらくは現生人類ではない人類も含む活動に関する最初の確実な証拠を提供します。以前には、アナトリア半島とギリシア本土にだけ、ネアンデルタール人やそれ以前の人類が存在した、と考えられていました。ギリシア南部では豊富なムステリアン石器群が発見され、ネアンデルタール人の所産とされているので、ナクソス島が中部旧石器時代の一時期にはギリシア本土およびアナトリア半島と陸続きになったことを考えると、ネアンデルタール人がナクソス島に存在していたとしても不思議ではない、と本論文は指摘します。

 また、ネアンデルタール人には短距離航海が可能だった、との見解も提示されており(関連記事)、あるいはナクソス島が大陸部と陸続きではなかった時代にも、ネアンデルタール人が大陸部から拡散してきた可能性も考えられます。アナトリア半島西部やレスボス島でも下部旧石器時代の石器群が発見されており、レスボス島ではその年代が258000±48000〜164000±33000年前と推定されており、中期更新世にアナトリア半島西部からエーゲ海中央に人類が拡散してきた可能性も考えられます。これは、現生人類ではない人類も、マルマラ・トラキア回廊以外の経路でヨーロッパに拡散してきた可能性を示唆します。

 ステリダでの中期更新世の人類の痕跡は、まだ現生人類ではない人類の航海の証拠とはなりません。ステリダの下部〜中部旧石器時代の人類の痕跡は断続的だった可能性があるので、ナクソス島が陸続きだった氷期にのみ人類が移動してきたかもしれない、というわけです。ネアンデルタール人やそれ以前の人類による航海の可能性が排除されるわけではありませんが、その証明には、石器や人類遺骸の直接的な年代測定と、更新世の海水準変動の正確な年代が必要になる、と本論文は指摘します。

 ステリダの事例は、人類のヨーロッパへの拡散経路に関する有力説の再考を促します。また、ナクソス島も含むエーゲ海中央は、淡水や動植物など資源に恵まれているため、氷期には人類にとって待避所になった可能性もあります。本論文は、エーゲ海中央は人類にとって魅力的だったものの、その資源の分布状況はモザイク状で、また新たな病原体への対応など、その利用・移動には革新的な適応戦略が必要だっただろう、と指摘します。また本論文は、寒冷期に湖も存在するエーゲ海中央に陸路で拡散してきた人類が、温暖期に向かって海面が上昇する中で、短距離航海技術を開発した可能性も指摘します。

 本論文は、フローレス島などアジア南東部島嶼部の前期〜中期更新世の人類も、航海技術を開発していたかもしれない、と指摘します。私は、偶然の漂着の可能性の方が高いのではないか、と考えているのですが、確信しているわけではありません。本論文は現生人類の拡散に関しても、オーストラリアへ5万年前頃までに到達した可能性が高いことから、ヨーロッパでもマルマラ・トラキア回廊だけではなく、エーゲ海中央経由の事例があったかもしれない、と指摘します。本論文は、現生人類ではない人類も含めて、更新世の遺跡の探索はじゅうらいよりも広範囲でなければならない、と指摘します。今後、世界各地の島嶼部で、現生人類ではない人類の痕跡の報告が増えていくのではないか、と期待されます。


参考文献:
Carter T. et al.(2019): Earliest occupation of the Central Aegean (Naxos), Greece: Implications for hominin and Homo sapiens’ behavior and dispersals. Science Advances, 5, 10, eaax0997.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aax0997

https://sicambre.at.webry.info/201910/article_39.html

2. 2020年9月02日 02:28:22 : wpXk3w6zIY : LjZzUlJFRWgzbWM=[1] 報告
雑記帳 2011年03月17日
手嶋兼輔『ギリシア文明とはなにか』
https://sicambre.at.webry.info/201103/article_17.html

 講談社選書メチエの一冊として、2010年8月に刊行されました。

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E6%96%87%E6%98%8E%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%AB%E3%81%8B-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E9%81%B8%E6%9B%B8%E3%83%A1%E3%83%81%E3%82%A8-%E6%89%8B%E5%B6%8B-%E5%85%BC%E8%BC%94/dp/4062584794

著者は後書きにて、「学問の最前線からは遠ざかり、専門家たちの常識にも疎い私には、とんだ見当違いや自分勝手な思い込みに陥っている点、恐らく多々あろう」と述べており、この点に不安はあるのですが、狭義の古代ギリシア史ではなく、対象としているのが地理的・時間的に広範で、壮大な見通しが提示されているということもあって、専門家ではない私はひじょうに面白く読み進めました。私のように、古代ギリシア史に関心はあるものの、それほど詳しいというわけではない、という人にはとくにお勧めです。

 現在の高校の世界史教科書ではどう扱われているのか、よく知りませんが、おそらくは学校教育などを通じて現代の日本でも根強く浸透しているであろう、ギリシアをヨーロッパと位置づけ、エジプト・メソポタミア・ペルシアといったギリシアよりも東方の世界と対照的であることを強調し、ヨーロッパ文化の直系の源流として古代ギリシアを想定するような、「ギリシア・ヨーロッパ正統史観」とも言うべき歴史認識を克服するにあたって、本書は有用なのではないか、と思います。ただ、古代ギリシア史に関心のある人の多くにとっては、本書の提示する大きな枠組みは目新しいものではないでしょう。

 本書の特徴は、古代ギリシア史を西方世界、つまりヨーロッパよりも、エジプト・メソポタミア・ペルシアといった東方世界と結びつけて認識することにあります。もちろん、東方世界とはいっても、ギリシアとの結びつきの強弱はさまざまで、アレクサンドロス大王による征服事業と、考古学的に確認できるギリシア文化の遺構はあるにしても、けっきょくのところギリシア人は東方世界内陸部に大きな影響力を残したとは言い難く、おもにエジプトやレヴァントといった東地中海へ進出していくことになります。

 こうして東地中海に一体的なギリシア語文化圏が成立し、それはラテン語文化圏の西地中海とは異なる文化圏でした。地中海はローマ帝国により政治的には統一されますが、文化圏が統一されることはなく、ローマ帝国の東西分裂もこうした背景があったのではないか、と指摘されています。また、起源前5世紀〜4世紀にかけての、いわゆる古典期における学芸での華々しい成果はあるものの、古代ギリシアは、同時代のエジプト・メソポタミア・ペルシアといった東方世界と比較して、富と文化の蓄積が大きく劣っていたということも強調されており、「貧しく後進的な」ギリシア世界と「豊かで先進的な」東方世界という構図が提示されています。

 近代以降のヨーロッパにおいて強調された、輝かしい先進的文化圏としての古代ギリシアという枠組みは、ギリシア世界とローマ帝国との接触にその源流が認められます。ギリシア世界と比較して「後進的」だったローマ帝国には、ギリシア世界との直接的な接触にともないギリシア文化への憧憬が生じますが、それは、ローマ帝国の支配下に置かれつつある惨めな現実のギリシア世界にたいしてではなく、古典期のギリシア世界にたいしてでした。このローマ人の古典期への憧憬は、ギリシア人の古典期にたいする理想化を押し進め、それが近代以降のヨーロッパの歴史認識にもつながる、ギリシア優位の言説を生じました。

 そうした言説はギリシア本土が発信地となっていくのですが、その前提として、東地中海に成立したギリシア語文化圏において、東方世界との融合が進み発展したエジプトやレヴァントとは異なり、ギリシア本土が停滞していた、という事情があります。現実のギリシア世界と古典期との乖離は、近代ヨーロッパのことだけではなく、起源前2世紀においても生じていた、というわけです。しかし、近代ヨーロッパと、日本などその影響を強く受けた他の地域においては、古典期と現実のギリシアとを結びつけるような歴史認識が主流になっていきます。

 東方世界と融合し発展していった「新世界」のギリシアと、停滞する「旧世界」のギリシアという構図は、アレクサンドロス大王の治世においてすでに見られます。現実の統治も考慮して「先進的な」東方世界の要素を取り込んでいこうとするアレクサンドロス大王にたいして、その配下の将兵の多くは、ギリシア的世界観から抜け出すことはなく、両者の間に緊張した関係をもたらした要因となりました。これは、偉大な学者でありながら、けっきょくはギリシア的世界観を脱することはなかった、アレクサンドロス大王の師であるアリストテレスと、アレクサンドロス大王との確執の背景とも考えられます。
https://sicambre.at.webry.info/201103/article_17.html

3. 2021年3月13日 11:13:24 : F4ypLK0IXM : NHNoY1VYZEpXUXc=[12] 報告
雑記帳 2021年03月13日
中邑徹『地震とミノア文明』
https://sicambre.at.webry.info/202103/article_13.html

 「自然異変と文明シリーズ」の一冊として、白水社より2020年11月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書はミノア文化を地中海世界に位置づけ、近東およびヨーロッパとの関連で論じます。また表題にあるように、本書はミノア文化に大打撃を与えた地震に着目し、クレタ島やその周囲の地理・地形も詳しく解説しています。ミノス王朝下のミノア文化最盛期には、クレタ島のクノッソス宮殿周辺では、2万人以上の住民が経済活動に従事していた、と推測されています。

 農村は小規模でしたが、最大で200人規模の農村が存在した可能性も指摘されています。ミノア文化は優れた青銅製品を輸出し、その原材料となる銅や錫を輸入するため、キプロス島など東地中海にも進出しました。古代地中海世界における青銅製品の普及は、ミノア文化の優れた青銅生産技術と海上交易圏拡大が大きかった、と本書は指摘します。こうした地中海世界の交流の中で、ミノア文化とエジプトとのつながりも生じました。ミノア文化とフェニキアとの深い交易関係もあり、紀元前1600年頃のテラ島のカルデラ噴火後にミノア文化が衰退すると、フェニキアは急成長します。

 ミノス王朝のクノッソス宮殿は、紀元前1700年頃の大地震で破壊され、その後再建されました。クノッソス宮殿の最終的な破壊と原因については議論があり、紀元前1450年頃のミケーネ王国によるクレタ島への侵攻が原因との説もありますが、最近では、紀元前1600年頃のテラ島のカルデラ噴火による地震と津波が原因と指摘されています。しかし、津波と地震の後の数世代にわたる政治的混乱と内紛拡大が原因との見解も提示されています。紀元前1600年頃のテラ島のカルデラ噴火による自然変異が収まった後、ミケーネ王国がクレタ島に侵入し、ミノス王朝に代わってエーゲ海群島を支配しました。

 古代DNA研究によると、当時のミケーネ王国とクレタ島の住民の遺伝的構成は類似していましたが、前者には後者と異なり、ユーラシア草原地帯もしくはアルメニア系統が見られます(関連記事)。紀元前1200〜1100年頃、ミケーネ王国は「海の民」も関わった東地中海の大混乱の中で滅亡し、ギリシア本土は「暗黒時代」に入ります。この大混乱の中で、青銅器時代から鉄器時代へと移行します。しかし本書は、この「暗黒時代」を経ても、ミノア文化の遺産がギリシア世界に受け入れられたことを指摘します。

 テラ島の大噴火の後、ミノス王朝は衰退し、ミケーネ王国がクレタ島を支配しますが、ミケーネ王国の植民地拡大とともにミノア文化の影響は広がり、「海の民」も関わった青銅器時代末期から鉄器時代にかけての地中海東部の混乱にも関わらず、継承されていきました。その一例が、ミノア文化で筋力と速さと精神力を競う行事で、アテナイにおいてオリンピックとして定着しました。食文化でもミノア文化の影響は後世に伝えられており、単に「滅亡した文化」と把握することはできないでしょう。尤もこれは、他の「滅亡した」と認識されている文化にも当てはまるでしょうが。

https://sicambre.at.webry.info/202103/article_13.html

4. 中川隆[-4726] koaQ7Jey 2021年5月18日 06:39:36 : Ru7jTCeWgM : LzB5ZE9zSkhoS28=[4] 報告
雑記帳 2021年05月18日
エーゲ海地域青銅器時代人類集団のゲノム解析
https://sicambre.at.webry.info/202105/article_19.html

 エーゲ海地域青銅器時代人類集団のゲノム解析に関する研究(Clemente et al., 2021)が公表されました。本論文は、最近公表されたイタリア半島における銅器時代〜青銅器時代の人類集団の遺伝的構造の変化に関する研究(関連記事)とともに注目されます。ユーラシアの青銅器時代(BA)は、社会的・政治的・経済的水準の重要な変化より特徴づけられ、最初の大規模都市センターや記念碑的宮殿の出現に明らかです。ギリシア本土とアナトリア半島西部とクレタ島に囲まれた地中海の湾であるエーゲ海(図1A)は、とくに最初の記念碑的都市センターの一部がエーゲ海沿岸に形成されたため、これらの革新の形成に重要な役割を果たしました。

 エーゲ海文化とよく呼ばれるエーゲ海の青銅器時代文化は、クレタ島のミノア文化(紀元前3200/3000〜紀元前1100年頃)、ギリシア本土のヘラディック文化(紀元前3200/3000〜紀元前1100年頃)、エーゲ海中央部のキクラデス諸島のキクラデス文化(紀元前3200/3000〜紀元前1100年頃)、アナトリア半島西部文化(紀元前3000〜紀元前1200年頃)を含みます。ヘラディック文化の最終段階がミケーネ文化(紀元前1600〜紀元前1100年頃)です。これらの文化化は土器様式や埋葬習慣や建築や芸術において異なる特徴を示します。しかし、これらの文化は手工業や農業(果実酒や油)の専門化、大規模な貯蔵施設や再流通体系の構築、宮殿、集約的交易、金属の広範な使用に関連する共通の革新を共有しています。

 青銅器時代エーゲ海で発展した経済的および文化的交流の増加は、資本主義や長距離政治条約や世界貿易経済など現代の経済体系の基礎を築きました。後期青銅器時代(LBA)には、線文字A(ミノア文化)と線文字B(ミケーネ文化)というエーゲ海地域最初の文字が出現しました。線文字Aはまだ解読されていませんが、紀元前1450年頃の線文字Bはギリシア語の最古の形態で、インド・ヨーロッパ語族内では最長の歴史が記録されている現存言語の一つです。これらの新規性は、都市化の初期形態を定義しており、伝統的に都市革命と「文明」の出現として記述されており、ヨーロッパ史の重要な事件を構成します。

 広範な考古学的データに基づいて、これらの文化の起源と発展に関するいくつかの仮説が提案されてきました。第一に、局所的革新を想定する見解で、変化は在来新石器時代集団の遺伝的および文化的継続に基づいていた、とされます。第二に、アナトリア半島とコーカサスからの前期青銅器時代(EBA)における新たな人口集団の移住を想定する見解です。第三に、前期青銅器時代の始まりにポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)から到来したかもしれないインド・ヨーロッパ語族話者の影響を想定する見解です。

 ヨーロッパ中央部・北部・西部では、ほとんどの青銅器時代個体のゲノムは、在来の農耕民と在来の狩猟採集民(HG)の混合です(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。古代DNAデータは東方からの大規模な人口集団移動を明らかにし、コーカサス狩猟採集民構成要素とヨーロッパ東部狩猟採集民構成要素とを類似の割合でもたらしました(関連記事1および関連記事2)。これらの構成要素は、後期新石器時代および前期青銅器時代(紀元前2800年頃まで)におけるポントス・カスピ海草原人口集団の移住の波に起因するかもしれません(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。最近、草原地帯関連祖先系統が青銅器時代のバルカン半島北部(ブルガリア)やバレアレス諸島やシチリア島(関連記事)で報告されましたが、サルデーニャ島では報告されませんでした(関連記事)。しかし、この草原地帯関連祖先系統が時間的もしくは地理的にヨーロッパ南東部にどれだけ拡大したのか、不明なままです。

 西洋「文明」台頭とインド・ヨーロッパ語族の拡大を理解するための重要性にも関わらず、エーゲ海の青銅器時代個体群の全ゲノムはまだ配列されていません。したがって、新石器時代から青銅器時代の移行の背後にある人々の遺伝的起源とギリシア現代人口集団への寄与については議論が続いています。現在のギリシアとアナトリア半島西部の新石器時代個体群の全ゲノム配列データはほとんど区別できず、エーゲ海全域に拡大した共通のエーゲ海新石器時代人口集団を裏づけます。

 コーカサス狩猟採集民関連祖先系統は後期新石器時代エーゲ海個体群と後期青銅器時代ミケーネ文化個体群と前期〜中期青銅器時代(EMBA)ミノア文化個体群の一部に存在し(関連記事)、東方からの遺伝子流動の可能性を提起します。後期青銅器時代ミケーネ文化個体群も、ポントス・カスピ海草原もしくはアルメニアからの遺伝子流動に起因する祖先系統の証拠を示します(関連記事)。現代ギリシア人は、これら以前に報告されたミノア人およびミケーネ人とは遺伝的にかなり異なっている、と明らかになりましたが、この違いの原因は調査されていません。

 エーゲ海における新石器時代から青銅器時代の移行期のゲノムデータの不足により、ヨーロッパにおける青銅器時代の特定の側面を理解するための重要な問題が部分的に未解決となっています。そこで本論文は、以下の問題を検証します。第一に、青銅器時代への移行の契機となったエーゲ海人は同じ地域の新石器時代集団と関連しているのか、という問題です。第二に、ヘラディック・キクラデス・ミノアの青銅器時代文化間の遺伝的類似性はどのようなものだったのか、つまり、それらの文化の違いは人口集団構造を伴っていたのか、ミケーネ人のような後期青銅器時代人口集団とどのように関連していたのか、という問題です。第三に、一部の新石器時代および銅器時代アナトリア半島人で観察された東方(コーカサスもしくはイラン)祖先系統はエーゲ海人において青銅器時代まで存続したのか、そのような遺伝子流動の時期はいつだったのか、という問題です。第四に、ポントス・カスピ海草原からヨーロッパ中央部への大規模な移住はエーゲ海青銅器時代人口集団に影響を及ぼしたのか、もしそうならば、この遺伝子流動の時期はいつで、どの程度だったのか、という問題です。第五に、青銅器時代全体のエーゲ海個体群は同じ地域の現代ギリシア人とどのように関連しているのか、という問題です。

 これらの問題に答えて、エーゲ海青銅器時代の洗練された宮殿と都市センターの背後にある人口集団を特徴づけるため、前期青銅器時代4個体とキラディック文化期の2個体を含む、青銅器時代エーゲ海人の全ゲノムが生成されました(図1)。表現型予測に既存の手法を用いて、標準的な人口集団ゲノム手法を適用し、古代と現代の人口集団間の関係が特徴づけられます。新石器時代および銅器時代から現代までのエーゲ海の人口統計を推測するため、全ゲノムデータが活用され、古代ゲノムに特徴的な典型的な網羅率の低さと損傷と現代人の汚染を考慮して拡張した、ABC-DLと呼ばれる深層学習と組み合わせた近似ベイズ計算の手法(関連記事)が利用されました。以下は本論文の図1です。
画像


●資料

 新たに青銅器時代エーゲ海の6個体分のゲノムデータが得られ、網羅率は2.6〜4.9倍(平均3.7倍)でした。内訳は、ユービア(Euboea)島(エヴィア島、エウボイア島)のマニカ(Manika)遺跡の前期青銅器時代ヘラディック文化期の1個体(Mik15)、クレタ島のケファラ・ペトラス(Kephala Petras)埋葬岩陰遺跡の前期青銅器時代ミノア文化期の1個体(Pta08)、コウフォニッシ(Koufonisi)島の前期青銅器時代キクラデス文化期2個体(Kou01とKou03)、ギリシア本土北部のエラティ・ログカス(Elati-Logkas)遺跡の中期青銅器時代2個体(Log02とLog04)です。

 これらの個体は、ヘラディックマニカEBA(Mik15)、ミノアペトラスEBA(Pta08)、キクラデスコウフォニッシEBA(Kou01とKou03)、ヘラディックログカスMBA(Log02とLog04)と呼ばれます。さらに、4個体(Mik15とPta08とKou01とKou03)はまとめてEBAエーゲ海人、2個体(Log02とLog04)はMBAエーゲ海人と区別されます。同様に既知の個体群も分類されます(表1)。さらに、11個体のミトコンドリアゲノムも得られました。


●異なる文化的背景のEBAエーゲ海全域におけるゲノムの均一性

 エーゲ海の青銅器時代個体群の全体的なゲノム規模の遺伝的関係は、古代および現代のユーラシア人口集団の文脈で調べられました。EBAのヘラディック・キクラデス・ミノアは、それぞれ異なる文化にも関わらず、全ての分析で個体群のゲノムは類似しています。外群f3統計(ヨルバ人、Y、X)では、Xが現代の人口集団、Yが本論文の古代人で、ヘラディックマニカEBA(個体Mik15)とミノアペトラスEBA(個体Pta08)とキクラデスコウフォニッシEBA(個体Kou01とKou03)は類似の特性を有すると示され、ヘラディックログカスMBA(個体Log02とLog04)とは対照的です。

 EBAエーゲ海人(個体Mik15とPta08とKou01とKou03)はヨーロッパ南部現代人、とくにサルデーニャ島現代人とより高い遺伝的類似性を示します。古典的なMDS(多次元尺度構成法)分析では、個体間の遺伝的非類似性は、EBAエーゲ海個体群(Mik15とPta08とKou01とKou03)とMBA個体群(個体Log02とLog04)がf3特性と一致して2集団を形成します(図2)。これらの結果と一致して、ADMIXTUREにより推定された祖先系統の割合(K>2)からは、EBAエーゲ海人は遺伝的に相互に類似しており、MBAエーゲ海人とは異なる、と示唆されます(図3)。以下は本論文の図2です。
画像

 他の古代ユーラシア人口集団と比較して、EBAエーゲ海人は他のエーゲ海BAおよびアナトリア半島人口集団と類似していますが、全てのバルカン半島人口集団とはかなり異なります。たとえばMDS分析では、EBAエーゲ海人はミノア文化ラシティ(Lasithi)遺跡MBA人口集団やミケーネ文化ペロポネソスLBA人口集団やアナトリア半島のテペシク・シフトリク(Tepecik_Ciftlik)遺跡のようなアナトリア半島人口集団の範囲内に収まるか、その近くに位置します(図2)。同様に、ADMIXTURE分析では、EBAエーゲ海人は、ミノアEMBAやアナトリア半島クムテペ遺跡集団やアナトリア半島の銅器時代からEMBAの人口集団など、他のエーゲ海人口集団と類似の祖先系統割合を示します(図3)。

 エーゲ海と一部のアナトリア半島の文化全体におけるEBA集団のゲノム均一性から、エーゲ海人口集団は文化的だけではなく遺伝的にも相互作用する海上1経路を用いた、と示唆されるかもしれません。これは、考古学的水準ではよく報告されており、「エーゲ海の国際精神」と呼ばれてきた、エーゲ海の通交の強力なネットワークの結果だったかもしれません。さらに、ミノアペトラスEBA(個体Pta08)とキクラデスコウフォニッシEBA(個体Kou01とKou03)との間の高い遺伝的類似性を考えると、ゲノムデータとキクラデス諸島からクレタ島への居住地の形成と関連する議論に情報を提供します。以下は本論文の図3です。
画像


●EBAエーゲ海人の祖先系統構成要素

 ADMIXTUREの結果は、EBAエーゲ海人口集団がおおむね新石器時代エーゲ海人と共有される祖先系統で構成されている(65%超)一方、残りの祖先系統のほとんどはイラン新石器時代・コーカサス狩猟採集民関連人口集団に割り当てることができる(17〜27%)、と示唆します(図3)。これらの結果は、qpWave/qpAdmで再現されました。初期新石器時代人口集団と狩猟採集民人口集団を起源とみなすと、EBA個体群は一般的に、アナトリア半島新石器時代関連人口集団に由来する祖先系統が大半であること(69〜84%)と一致する、と明らかになりました。これは、新石器時代から青銅器時代の移行期の人々が、おもに先行するエーゲ海農耕民の子孫だったことを示唆しており、EBA変容の考古学的理論と一致します。qpWave/qpAdmにおける第二の構成要素は、イラン新石器時代・コーカサス狩猟採集民関連人口集団に割り当てることができます(16〜31%)。この結果と一致して、MDS分析(図2)では、エーゲ海EBA個体群は新石器時代エーゲ海人とイラン新石器時代・コーカサス狩猟採集民(CHG)を結ぶ軸(コーカサス軸)に位置します。

 エーゲ海の外部からの遺伝子流動事象をさらに検証するため、D統計が計算されました。とくに、H3人口集団、たとえばADMIXTUREでは青色の構成要素のイラン新石器時代もしくはCHG(図3)が、H1(アナトリア半島新石器時代人口集団)と、もしくはさまざまな期間のエーゲ海・アナトリア半島人口集団(ギリシア新石器時代やエーゲ海・アナトリア半島青銅器時代やギリシアとキプロスの現代人=H2)とより多くのアレル(対立遺伝子)を共有するのか、古代エチオピアのモタ(Mota)個体(関連記事)を外群Dとして用いて、検証されました。

 その結果、EBAエーゲ海人は相互に類似している、と明らかになりました。EBAエーゲ海人は、他の分析(図3)では「イラン新石器時代・CHG的」構成要素を有していますが、イラン新石器時代もしくはCHGからの遺伝子流動の統計的に有意な証拠は検出されませんでした。しかし、明らかな傾向からは、紀元前4000年以後のエーゲ海人(アナトリア半島銅器時代からミケーネ文化期)は、アナトリア半島新石器時代集団とよりも、イラン新石器時代・CHGの方とより多くのアレルを共有します。

 この傾向はADMIXTUREの結果(図3)で再現され、CHG的構成要素の低い割合が新石器時代以降に、バルカン半島ではなく、エーゲ海とアナトリア半島の両側の個体群で観察されました。このCHG的構成要素は、たとえばボンクル(Boncuklu)やテペシク・シフトリク遺跡などアナトリア半島の初期新石器時代や、エーゲ海の後期新石器時代や、アナトリア半島青銅器時代において頻度が増加していきます。これはバルカン半島では見られず、新石器時代から青銅器時代への移行は、「ヨーロッパ狩猟採集民的」祖先系統の増加とほぼ関連しています(図3)。

 競合するシナリオを比較し、新石器時代と青銅器時代と現代のギリシアの人口史をともに説明しながらエーゲ海への起こり得た遺伝子流動事象の状態と速度を推測するため、ABC-DLが実行されました。狩猟採集民とエーゲ海新石器時代集団との間の関係を確定するため、まずこれら3祖先人口集団(CHG、ヨーロッパ狩猟採集民、エーゲ海新石器時代集団)の3葉モデル(図4A)が対比されました。この分析では、ヨーロッパ狩猟採集民(EHG)・CHG・エーゲ海新石器時代集団の3葉モデルの事後確率が最高でした(図4A1)。この結果は、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)とよりも、CHGとドイツのシュトゥットガルトの「初期農耕民」との間の密接な関係を明らかにした以前の研究と一致します。

 この系統樹はより複雑な7葉モデル(図4B)に用いられました。上記の全結果と一致して、CHG的な遺伝子流動の波がない7葉モデル(図4 B1〜3)は、より低い事後確率と関連していました。対照的に、CHG的な遺伝子流動を含むモデル化は、紀元前5700年頃の推定16%の遺伝子流動モデルで、ずっと高い裏づけが得られました(図4 B4)。まとめると、これらの結果から、CHGと関連する人口集団が移住を通じてエーゲ海人に直接的に影響を及ぼしたか、CHG的構成要素が新石器時代集団のアナトリア半島人口集団との遺伝的交換を通じて間接的にもたらされた、と示唆されます。以下は本論文の図4です。
画像


●エーゲ海EBA集団においてほとんど見られないEHGの遺伝的影響

 青銅器時代のヨーロッパ中央部・西部・北部では、CHG構成要素は一般的にEHG構成要素を伴い、これは、草原地帯関連人口集団を介して伝わった場合、同様の割合で現れると予測されます。対照的に、EBAエーゲ海人はEHG祖先系統をほとんど若しくは全く有していません。D統計分析に基づくと、ほとんどのEBAエーゲ海人とアナトリア半島新石器時代集団のゲノムはEHGに等しく近くなることを却下できません。さらに、qpWave/qpAdmにおける潜在的な3起源集団を検討すると、EBA個体群の祖先系統の割合は、EHGがわずか1〜8%に対して、CHGは24〜25%です。

 これは、ADMIXTUREの結果(図3)によりさらに裏づけられ、新石器時代からEBAへの変化が、エーゲ海およびアナトリア半島におけるイラン新石器時代・CHG的祖先系統の増加とほぼ関連している一方で、バルカン半島とヨーロッパの残りの地域はEHG的祖先系統の増加とほぼ関連している、と示唆されます(図3)。EBAエーゲ海人の祖先へのEHGの遺伝子流動を含む全てのABC-DLモデル(図4B5・6)は、無視できる事後確率でした。まとめると、これらの結果は、エーゲ海のEBAにおいてEHGと関連する人口集団の影響がほとんどなく、コーカサス構成要素が独立してエーゲ海に到来したことを示唆します。


●エーゲ海MBAにおけるゲノムの不均質性

 EBAと比較してMBAには、エーゲ海でかなりの多くの人口集団構造が観察されます。ギリシア北部のMBA個体群は、全ての分析で見られるように、EBAエーゲ海人とはかなり異なります。たとえばf3分析では、EBAエーゲ海人とは異なり、MBA個体群はヨーロッパ全域のずっと多くの人口集団と遺伝的に等しく離れています。MDS分析(図2)とADMIXTURE分析(図3)では、MBA個体群はEBAエーゲ海人と異なる分離集団を形成し、現代ギリシア人と同じ構成要素を共有します。対照的に、ミノア文化ラシティMBAは、EBAエーゲ海人口集団とひじょうによく似ています(図2・図3)。

 ヘラディックログカスMBAを同時代のミノアラシティMBAと区別する主要な特徴は、「ヨーロッパ狩猟採集民的」祖先系統のより高い割合です。たとえばADMIXTURE分析では、全体的なヘラディックログカスMBAの祖先系統の26〜34%が「ヨーロッパ狩猟採集民的」構成要素で、エーゲ海のEBA個体群で見られる2〜6%の4倍以上です(図3)。同様にqpWave/qpAdmでは、ヘラディックログカスMBA個体(Log04)は3方向混合モデルと一致し、その祖先系統の58%がエーゲ海新石器時代人口集団で、残りはCHG的集団(16%)とEHG的集団(27%)です。これは、EBAエーゲ海人と比較すると、EHGからの寄与がずっと大きくなっています。

 EHGとCHGは草原地帯関連人口集団の主要な構成要素で、草原地帯EMBAはEHG的集団(66%)とイラン新石器時代・CHG的集団(34%)としてモデル化され、以前の研究と一致しているので、ポントス・カスピ海草原からの人口集団がヘラディックログカスMBA個体群の祖先系統に寄与した、という仮説が裏づけられます。この組み合わされた祖先系統は、青銅器時代のヨーロッパ中央部・西部・北部の個体群で観察され、「大規模な」草原地帯からの移住の結果として解釈されてきました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。本論文のADMIXTURE分析の推定値は、バルカン半島を含むヨーロッパのほとんどの地域で、後期新石器時代とEBAにおけるEHG構成要素の増加と一致します。しかしアナトリア半島では、EHG的祖先系統の増加は誤差で、エーゲ海では後のMBA(ヘラディックログカスMBA)でやっと見られるようになり、エーゲ海における草原地帯関連祖先系統のより遅い到来が示唆されます。

 このような草原地帯からの遺伝的寄与の証拠は、たとえばMDS分析(図2)で見られ、ヘラディックログカスMBAは、新石器時代エーゲ海人と草原地帯人口集団を結ぶ「草原地帯軸」上に位置しています。ADMIXTURE分析(図3)では、ヘラディックログカスMBAは、草原地帯EMBAと類似した相対量の「イラン新石器時代・CHG的」構成要素(1/3)と「EHG的」構成要素(2/3)を有しています。また、新石器時代とEBAのエーゲ海人およびアナトリア半島人やミノアラシティMBAとは異なり、ヘラディックログカスMBAはアナトリア半島新石器時代集団と比較して、CHGや EHGや草原地帯EMBAと顕著により多くのアレルを共有します。さらに、ヘラディックログカスMBAの個体Log04は、アナトリア半島新石器時代集団(53%)と草原地帯EMBA (47%)もしくはアナトリア半島新石器時代集団(38%)と草原地帯MLBA (62%)の2方向混合(近似起源)として直接的にモデル化でき、草原地帯からの強い遺伝的寄与と一致します。

 人口統計モデル化では、MBAの分岐前の、草原地帯EMBAと関連するゴースト人口集団からの遺伝子流動(8〜45%)が、データへのモデルの適合性を大きく改善します(図4B1・4)。ヘラディックログカスMBAの祖先へのそうした遺伝子流動の時期は、ログカス遺跡個体群の放射性炭素年代に基づくと紀元前1900年頃までに起きたはずで、ABC-DL分析では紀元前2300年頃と推定されます。これは、草原地帯的集団の移住の波がMBAまでにエーゲ海に到達した可能性を示唆します。サルデーニャ島には草原地帯関連祖先系統が本質的に欠けており(関連記事1および関連記事2)、ミノア人で草原地帯的もしくはEHG的祖先系統の証拠はないので、草原地帯関連人口集団が青銅器時代には渡海しなかったことを示唆しているかもしれません。この仮説の裏づけとして、考古学的記録では、ポントス・カスピ海草原からの青銅器時代人口集団が航海民だったことを示唆していません。

 しかし、ログカス遺跡個体群で観察された草原地帯的祖先系統は、ポントス・カスピ海草原起源の人口集団の移住により直接的に、もしくはかなりの草原地帯的集団からの遺伝子流動を有する人口集団により間接的にもたらされたかもしれないことに、注意が必要です。あるいは、草原地帯的構成要素は、標本抽出されていない、遺伝的に類似の人口集団(たとえば、MBAバルカン半島人)によりもたらされた可能性があります。間接的寄与は、エーゲ海よりもバルカン半島で草原地帯関連祖先系統のより早期の影響を示唆するADMIXTURE分析の推定値と、バルカン半島LBA 個体群を含む2方向混合としてのMBA個体 Log04のqpWave/qpAdmモデル化により裏づけられます。この知見は、青銅器時代におけるバルカン半島と草原地帯の人口集団間の断続的な遺伝的接触の示唆(関連記事)、および紀元前2500年頃のヨーロッパ南東部とポントス・カスピ海草原間の文化的接触の考古学的証拠と一致します。さらにこれは、草原地帯的祖先系統を有する人口集団がヘラディック文化の形成に寄与した、という考古学と言語学両方の証拠に基づく以前の仮説と関連しているかもしれません。


●性的に偏った遺伝子流動とEBAおよびMBAにおける交雑

 青銅器時代エーゲ海人の間の性的に偏った遺伝子流動を評価するため、ミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体とX染色体が分析されました。17個体の推定mtDNAハプログループ(mtHg)と2個体のY染色体ハプログループ(YHg)はヨーロッパ新石器時代個体群で一般的であり、エーゲ海の外部からの性的に偏った遺伝子流動の明確な証拠を示しません。YHgが決定されたのはペトラス遺跡のEBA個体Pta08とコウフォニッシ島のEBA個体Kou01で、Pta08がYHg-G2(L156)、Kou01がYHg-J2a(M410)です。

 性的に偏った遺伝子流動をさらに調べるため、X染色体と常染色体上の祖先系統が教師有ADMIXTURE分析と比較されました。EBAエーゲ海人では性的に偏った遺伝子流動の証拠は見つからず、イラン新石器時代・CHG的祖先系統の点推定値は常染色体上のそれと重なっていました(図5A)。対照的に、MBAエーゲ海人では、個体Log04はX染色体と常染色体上で草原地帯的祖先系統の類似した量を有していますが、個体Log02は草原地帯的祖先系統を、X染色体上では有さないのに対して、常染色体上では25〜52%有します(図5B)。

 さらに、mtDNAでは、ギリシア北部のEBAとMBAのエーゲ海人の間で有意な人口集団構造が見つかりませんでした。まとめると、X染色体とmtDNAにおけるこれらのパターンは、草原地帯的祖先系統からエーゲ海への男性に偏った遺伝子流動により説明できます。同様に、以前の研究(関連記事1および関連記事2)では、ヨーロッパの後期新石器時代とEBAにおけるポントス・カスピ海草原人口集団の移住では、女性よりも男性の方がずっと多かったかもしれない、と示唆されています。以下は本論文の図5です。
画像


 EBAおよびMBAにおける結婚慣行に関する遺伝的手がかりをさらに得るため、現代ギリシア人と本論文で新たに提示された青銅器時代エーゲ海6個体の全ゲノムにおける、ROH(runs of homozygosity)とも呼ばれるホモ接合状態の隣接するゲノム領域が推測されました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレル(対立遺伝子)のそろった状態が連続するゲノム領域(ホモ接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。個体Log04は、他の古代の個体群より多くて(最大で29対7)長いROH(500万塩基対以上のROHが2ヶ所)を有しています。最近の近親交配を含むさまざまな進化的・人口統計学的過程が、Log04のデータを説明できます。いずれにせよ、Log02は同様に長いROHを有しておらず、Log04のデータの根本的な原因はヘラディックログカスMBAを一般的に特徴づけるものではない可能性がある、と示唆されます。


●LBAミケーネ人の遺伝的構成

 青銅器時代最後の段階は、後期ヘラディック文化であるミケーネ文化です。紀元前1200年頃、ミケーネ文化は衰退し始め、宮殿は破壊され、線文字Bは放棄され、その芸術や工芸品は滅びました。その衰退の原因については議論が続いており(気候変化や侵略など)、LBAから鉄器時代にかけて地中海東部地域で起きた広範な諸文化・勢力の崩壊・衰退には複雑な要因があった、とも指摘されています(関連記事)。以前の研究(関連記事)では、ミケーネ人は現代の人口集団とはかなり異なっていると示されましたが、ミケーネ人とEBA人口集団との関係は不明なままです。

 ヘラディックログカスMBA個体群との文化的類似性にも関わらず、分析結果からは、ミケーネとペロポネソスのLBA集団は遺伝的にかなり異なっており、MDS分析(図2)ではログカスMBA個体群とEBAエーゲ海人およびミノアラシティMBAとの中間に位置する、と示されます。ログカスMBA個体群とは異なり、ミケーネとペロポネソスのLBA集団はADMIXTURE分析(図3)ではEHG的構成要素の割合がより低く、D統計においては、アナトリア半島新石器時代個体群と比較して、イラン新石器時代・CHGもしくはEHGと有意により多くのアレルを共有しているわけではありません。

 しかし、ヘラディックログカスMBAのように、ミケーネとペロポネソスのLBA集団は草原地帯EMBAとより多くのアレルを共有します。ミケーネとペロポネソスのLBA集団は、青銅器時代草原地帯もしくはアルメニア関連人口集団のどちらかを含むqpWave/qpAdmモデルと一致する、と以前に示されました(関連記事)。本論文はこの結果を再現し、さらに、ミケーネとペロポネソスのLBA集団も、起源人口集団としてEBAエーゲ海人とアナトリア半島新石器時代集団を含むモデルと一致する、と明らかにしました。対照的に、ヘラディックログカスMBAは草原地帯的起源集団を必要とし、アルメニア的起源集団を含む単純なモデルで説明できません。

 データと一致するさらなる代替的説明もあります。まず、ミケーネとペロポネソスのLBA集団はMBAログカス人口集団およびEBAエーゲ海人口集団と密接に関連した人口集団の子孫で、ヘラディックログカスMBA(21〜36%)とミノアオディギトリア(Odigitria)EMBA およびミノアラシティMBA(64〜79%)の2方向混合だった、というものです。同様に、ヘラディックログカスMBA個体Log04(34〜36%)とEBAエーゲ海人(64〜66%)の2方向混合も却下できません。次に、アルメニア青銅器時代集団と関連する人口集団が、LBAもしくはその前に地理的に局所的にエーゲ海人に寄与したかもしれません。この想定は考古学の文献で提案されており、ミケーネ人は後の世代の個体群に多くの遺伝的痕跡を残さなかった、と示唆されます。


●現代ギリシア人とMBAログカス集団との類似性

 以前の研究(関連記事)では、ギリシアの現代人口集団はエーゲ海の青銅器時代の後期集団とはかなり異なる、と明らかになりました。対照的に、本論文の結果からは、ギリシアの現代の個体群(ギリシア北部のテッサロニキとクレタ島)は、ギリシア北部のヘラディックログカスMBA個体群と密接に関連しており、MDS分析(図2)では現代ギリシア人の近くに位置し、ADMIXTURE分析(図3)では同じ祖先系統構成要素を共有し、ひじょうに類似したD統計を有します。

 さらに、qpWave/qpAdm分析では、テッサロニキ(Thessaloniki)個体群はログカスMBA個体群関連祖先系統(93〜96%)と、EHGもしくはヨーロッパロシアのコステンキ14(Kostenki 14)遺跡の38700〜36200年前頃となる若い男性個体(関連記事)のようなユーラシア上部旧石器時代人口集団といった、第二構成要素(4〜11%)の小さな割合でモデル化できます。後者はエーゲ海人のゲノムから離れた外群を構成する基底部人口集団で、本論文の全検証で互換性があるようです。これは、ギリシア北部とクレタ島の現代人口集団がエーゲ海EBA人口集団の子孫かもしれず、ポントス・カスピ海草原EMBAと関連する人口集団とのその後の混合を伴う、と示唆します。興味深いことに、キプロス島現代人は分析全体で草原地帯的な遺伝子流動の証拠を示しません(図2・3)。


●色素沈着と乳糖耐性

 遺伝子型データを用いると、個体Pta08・Kou01・Log02は茶色の目と暗褐色から黒色の髪と濃い色の肌を有している、と予測されます。これらの予測は、髪と目については、ミノア文化期クレタ島の壁画の男性個体群の視覚表現と一致します。目と髪の色の予測は、青銅器時代エーゲ海の後期段階集団と類似しています。これら3個体(Pta08・Kou01・Log02)全ての全体的な予測は濃い肌の色ですが、この3個体にはより薄い肌の色と強く関連するアレル(SLC24A5遺伝子のrs1426654とSLC45A2遺伝子のrs16891982)もあります。後者に関しては、ヨーロッパ南部の新石器時代以来、皮膚の色素脱失が分離している、という観察結果と一致します。

 成人期の乳糖不耐症は、2ヶ所の強く関連する多様体、つまり古代および現代のヨーロッパ人で選択下にあるrs4988235のTアレル(13910T)と、rs182549のAアレル(22018A)で検証されました。これら3個体(Pta08・Kou01・Log02)全員とログカスMBA個体は、13910T と22018Aの両方でホモ接合型の祖先的状態を有していました。これは、新石器時代ヨーロッパ人およびエーゲ海人に関する以前の研究(関連記事)と一致し、酪農がすでによく行なわれていたものの、当時の人々は乳糖不耐症だった、と示唆されます。この観察は、種や表現型全体で広く観察されているように、変異限定適応のモデルを裏づけます。最近の研究では、ヨーロッパにおける乳糖耐性(ラクターゼ活性持続)の急激な頻度上昇は紀元前4000〜紀元前1500年前頃の間に起きた可能性が高い、と推測されています(関連記事)。


●まとめ

 EBAにおいて、エーゲ海では交易・手工業の専門化・社会構造・都市化で重要な革新が起きました。新石器時代の終わりを示すこれらの変化は、ヨーロッパに消えない痕跡を残し、都市革命の始まりを示します。この文化的変化の始まりにおいて、エーゲ海世界はおもに、3つの象徴的な宮殿文化であるヘラディックとキクラデスとミノアに分かれていき、それぞれ手工芸品や土器様式や埋葬習慣や建築により区別されます。

 この変化の背後にある人々の起源をよりよく理解するため、エーゲ海青銅器時代の3文化(ヘラディックとキクラデスとミノア)全てを網羅するEBA個体群のゲノムと、ギリシア北部のMBAの2個体と、EBAエーゲ海人11個体のミトコンドリアゲノムが配列されました。青銅器時代エーゲ海人の後の期間の以前の一塩基多型データと比較して、本論文の全ゲノムデータによる多様体の数の増加と、全ゲノムを特徴づける固有の無作為多様体選択により、人口統計学的推論と人口史の統計的対比が行なわれました。さらに、本論文で新たに提示された全ゲノムデータは、どのゲノムデータとも容易に組み合わせられ、人口史の将来の研究における多様体の損失は限定的です。エーゲ海人の分析されたゲノムが青銅器時代のキクラデス文化とミノア文化とヘラディック文化を全体としてどの程度表しているのか確定するには、今後の研究が必要なことに注意しなければなりません。

 要約すると、青銅器時代のキクラデス文化とミノア文化とヘラディック文化(ミケーネ文化)の個体群のゲノムからは、これら文化的に異なる人口集団が、青銅器時代の始まりにはエーゲ海とアナトリア半島西部全域で遺伝的に均質だった、と示唆します。EBA個体群のゲノムから、その祖先系統は在来のエーゲ海農耕民が主で、CHGと関連する人口集団にも由来する、と示されます。これらの知見は、新石器時代から青銅器時代の変化に関する長年の考古学的理論、つまりアナトリア半島とコーカサスからの新たな移住と一致します。しかし、在来の新石器時代人口集団の寄与は顕著なので、在来要素と外来要素の両方がEBAの革新に貢献したようです。

 対照的に、MBAエーゲ海人口集団はかなり構造化されていました。こうした構造の考えられる一因は、エーゲ海人への追加のポントス・カスピ海草原関連の遺伝子流動で、その証拠は新たに配列されたMBAログカス個体群のゲノムに見られます。草原地帯関連祖先系統も有する現代ギリシア人は、その祖先系統の90%をMBAエーゲ海北部人と共有しており、現代とMBAとの間の継続性が示唆されます。対照的に、LBAエーゲ海人(ミケーネ人)は、希釈された草原地帯もしくはアルメニア関連祖先系統を有しています。この相対的な不連続性は、考古学的文献で以前に提案されたように、ミケーネ文化の一般的な衰退により説明できます。

 推測された移住の波は全て、線文字Bの出現(紀元前1450年頃)に先行します。結果として、ゲノムデータは祖型ギリシア語の出現とインド・ヨーロッパ語族の進化を説明する主要な両方の言語学理論を裏づけます。つまり、これらの言語はアナトリア半島に起源があるか(アナトリア半島およびコーカサス的遺伝的祖先系統と相関します)、ポントス・カスピ海草原地域に起源があります(草原地帯的祖先系統と相関します)。アルメニアおよびコーカサス地域の中石器時代から青銅器時代の将来のゲノムデータは一般的に、エーゲ海への遺伝子流動の起源と様相をさらに正確に示し、ゲノムデータを既存の考古学および言語学的証拠とよりよく統合するのに役立つ可能性があるでしょう。


参考文献:
Clemente F. et al.(2021): The genomic history of the Aegean palatial civilizations. Cell, 184, 10, 2565–2586.E21.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2021.03.039


https://sicambre.at.webry.info/202105/article_19.html

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史5掲示板 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
最新投稿・コメント全文リスト  コメント投稿はメルマガで即時配信  スレ建て依頼スレ

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史5掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
近代史5掲示板  
次へ