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朝鮮人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/194.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 6 月 20 日 12:47:18: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

朝鮮人の起源

現代朝鮮人のYHg(標本数55人)の割合は、O1b2が29%、O2が42%で、Oが圧倒的に優位です。

次に多いのが18%となるYHg-Cです。

YHg-Cはシベリアで広範に見られますが、YHg-Oはアジア南東部および東部に分布しています。
YHgからは、朝鮮人男性の南北二重起源が強く示唆されます。


ハプログループ O1b2 (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/176.html

ハプログループ O2 (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/177.html

ハプログループ C2 (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/175.html


▲△▽▼


2020年06月15日
現代人および古代人のゲノムデータから推測される朝鮮人の起源
https://sicambre.at.webry.info/202006/article_19.html


 現代人および古代人のゲノムデータから推測される朝鮮人の起源に関する研究(Kim et al., 2020)が公表されました。なお、以下では「朝鮮人」で統一しますが、おそらく本論文のデータの全ては、朝鮮民主主義人民共和国ではなく、大韓民国の人々からのものと思われます。その意味では「韓国人」で統一する方が妥当かもしれませんが、本論文は「民族」の起源と形成過程を主題としているので、区分するのではなく、「朝鮮人」で統一します。

 アジア東部現代人の祖先集団は、他の非アフリカ系現代人の祖先集団と共通のボトルネック(瓶首効果)を、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)の頃に経てきた、と推測されています。しかし、アジア東部の各現代人集団の遺伝的構造は、まだ詳細に解明されたとは言えないでしょう。朝鮮人はアルタイ語族に分類され、アジア北東部では日本人と同じです(と本論文は指摘しますが、この言語分類には異論が多いでしょう)。現在、合計で約8000万人以上の朝鮮民族が存在します(朝鮮半島南部の大韓民国に約5100万人、朝鮮半島北部の朝鮮民主主義人民共和国に約2500万人、朝鮮半島外に約700万人)。

 朝鮮人の起源については、いくつかの仮説が提示されています。朝鮮人で主流のY染色体ハプログループ(YHg)O1b2(SRY465)は、朝鮮人の祖先が新石器時代と青銅器時代(3450〜2350年前頃)の中国北部集団と関連していた、と示唆します。一方、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)は、朝鮮人がひじょうに典型的なアジア東部人型であることを示します。以前の研究では、朝鮮人は深刻なボトルネックを経ておらず、おもに2つの遺伝的構成を示す、と明らかになっています。一方は中国と強く関連していますが、もう一方はさほど明確ではありません。これまで、朝鮮人の正確な遺伝的構成は、現代と古代のゲノムデータを利用したゲノム規模では行なわれていませんでした。

 朝鮮半島の旧石器時代石器群は、全谷里遺跡を代表とする石英製の握斧(ハンドアックス)を含む大型石器を特徴とするアシューリアン(Acheulian)類似石器群、石刃素材の剥片尖頭器石器群、細石刃石器群に大きく3区分できます(関連記事)。朝鮮半島における人類の痕跡は60万〜40万年前頃までさかのぼります。しかし、酸性土壌の朝鮮半島では人類遺骸は乏しく、朝鮮人の起源と形成過程の解明に重要となる古代遺伝データを得るのは困難です。そのため、朝鮮半島に近い、ロシア極東沿岸地域の「悪魔の門(Devil’s Gate)」遺跡で発見された9400〜7200年前頃の人類遺骸(関連記事)や、北京の南西56kmにある 田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の人類遺骸(関連記事)などの遺伝データが利用されます。本論文は、最近公表されたアジア南東部の新石器時代から鉄器時代にかけての古代ゲノムデータ(関連記事)を用いて、朝鮮人の遺伝的構成を解明します。

 現代人では、朝鮮人88人と、世界中の208人のゲノムデータが比較されました。内訳は、アフリカ13人、アメリカ大陸4人、ヨーロッパ26人、オセアニア7人、アジア中央部5人、アジア東部43人、アジア北部31人、アジア南東部36人、アジア西部22人、アジア南東部21人です。さらに、アジア東部6人とアジア南東部9人が追加されました。古代ゲノムは115人分が比較対象とされました。その内訳は、ヨーロッパとロシア全域では、更新世狩猟採集民4人、完新世狩猟採集民13人、前期新石器時代20人、中期新石器時代10人、後期銅器時代10人、後期新石器時代9人、前期青銅器時代20人、中期青銅器時代4人、後期青銅器時代2人、鉄器時代12人で、その他には、田园遺跡1人、悪魔の門遺跡2人、新石器時代から鉄器時代のアジア南東部8人です。


●朝鮮人の遺伝的構造

 本論文はまず、現代人を8ハプロタイプパターンに分類します。それは、アフリカ、アジア西部、ヨーロッパ、アジア南部、シベリア西部、シベリア東部、アジア東部aおよびbです。これはおおむね地理的関係を反映しています。アジア東部aには朝鮮人と中国人と日本人とアジア南東部のオーストロアジア語族が、アジア東部bにはアジア南東部のいくつかの少数民族が含まれます。朝鮮人はアジア東部bに表されるアジア東部集団のほとんど均一なクレード(単系統群)を形成し、その近縁な集団はシベリア東部とアジア東部aです。

 ADMIXTURE分析では、ソース集団の設定により遺伝的系統は異なってきますが、K=10では、朝鮮人はシベリア東部系統(38%)とアジア東部a/b系統(62%)の混合としてモデル化されます。アジア東部b集団間で混合率を比較すると、朝鮮人および日本人集団はひじょうに類似した混合率を示します。中国人も朝鮮人および日本人と類似した遺伝的構成を示しますが、混合率は地域により異なります。全体的に見て、遺伝的混合事象はまず朝鮮半島と日本列島外のアジア南東部および中国で起きた、と推測されます。また、そうした最近の遺伝的混合は広範な現象で、過去4000年の農耕・経済・技術的発展に起因する拡大により、アジア東部全域で同時に発生した可能性があります。


●悪魔の門遺跡個体群から朝鮮人への遺伝子流動

 外群f3統計では、4万年前頃の田园個体が、現代のシベリア東西およびアジア東部b集団と、ヨーロッパやアジア西部および南部のような他地域集団よりも多くのアレル(対立遺伝子)を共有する、と明らかになりました。これは、田园個体がユーラシア東部およびアジア東部系統の基底的な遺伝的構成であることを示唆します。現代のシベリア東部およびアジア東部b集団は、古代アジア南東部・悪魔の門遺跡・ユーラシア中央部草原地帯の青銅器時代〜鉄器時代個体群と、有意な遺伝的類似性を示します。

 これらの遺伝的類似性に基づき、古代人および現代人集団と共有される田园個体の派生的アレルとの比較により、朝鮮人の遺伝的起源が推定されました。田园個体はどの現代人集団よりもアジア南東部古代人と多くの派生的アレルを共有しており、アジア南東部古代人は田园個体系統に直接的に由来する、と示唆されます。新石器時代の悪魔の門遺跡2個体と現代のシベリア東部およびアジア東部a/b集団は、類似した田园個体系統の量を示します。これは、朝鮮半島北部に近い悪魔の門遺跡個体群が、他の遺伝的構成と混合される可能性を示唆します。

 さらに、田园個体系統は、古代草原地帯個体群よりもシベリア東西およびアジア東部b集団の方と、顕著に高水準の遺伝的類似性を有しています。これは、古代草原地帯個体群が他の遺伝的構成から形成された可能性を示唆します。アジア南東部古代人における田园個体との遺伝的類似性は、最古となるベトナムのマンバク(Man Bac)遺跡個体で最も高く、経時的にやや減少していきます。これは、古代アジア南東部個体群が、経時的に追加の遺伝的構成を受け取った、と示唆します。

 田园個体のゲノムは、現代人ではアジア南東部よりもシベリア東部の方と遺伝的類似性の水準が高い、と明らかになりました。しかし、アジア東部b集団のうち朝鮮人と日本人と中国南部人集団は、田园個体の派生的アレルをシベリア東部集団と類似した水準で示し、田园個体系統とは均等の距離となります。これは、悪魔の門遺跡個体群とシベリア東部現代人といくつかのアジア東部b集団が、経時的に類似した遺伝的影響を受け、田园個体系統から分離して以降は単一のクレードだったと予想されることを示唆します。これらの分析により、基底部田园個体系統は、新石器時代もしくはその前に分離し、それぞれ現代朝鮮人に影響を及ぼした、と明らかになります。


●朝鮮人を構成する古代の遺伝子流動

 田园個体系統から古代人および現代人集団への遺伝子流動に基づき、新石器時代個体群ゲノムが、朝鮮人もしくはアジア東部集団の系統に独立して寄与したか、第二の遺伝子流動が起きた、と仮定されました。まず、新石器時代の悪魔の門遺跡2個体の系統から朝鮮人とアジア東部集団への遺伝子流動が調査され、悪魔の門遺跡2個体はベトナムの新石器時代マンバク遺跡個体よりも、現代シベリア東部およびアジア東部b集団のほとんどの方と、多くの派生的アレルを共有する、と示されました。

 悪魔の門遺跡2個体のゲノムから、これらの現代人集団は、オーストロアジア語族の祖先と考えられるタイのバーンチエン(Ban Chiang)遺跡やカンボジアのヴァトコムヌー(Vat Komnou)遺跡の個体群と遺伝的関係は等しい、と観察されます。さらに、ミャンマーの後期新石器時代〜青銅器時代となるオアカイエ(Oakaie)遺跡およびベトナムの青銅器時代のヌイナプ(Nui Nap)遺跡個体群からアジア東部集団への地域的な遺伝的移行が観察されます。朝鮮人と日本人といくつかの中国人や極東ロシア人のようなシベリア東部およびアジア東部b集団は、オアカイエ遺跡およびヌイナプ遺跡古代人と比較して、悪魔の門遺跡個体群系統からの優勢な遺伝的寄与を示します。

 これは、現代のアジア東部a/b集団で観察される地域的な遺伝的差異が、アジア南東部における青銅器時代から鉄器時代にかけての新たな遺伝的流入に影響を受けた、と示唆します。また、ベトナムの新石器時代マンバク遺跡個体は、アジア南東部青銅器時代個体群もしくは草原地帯古代人よりも、現代シベリア東部およびアジア東部b集団と派生的アレルを多く共有しています。これは、新石器時代マンバク遺跡個体系統が、現代シベリア東部およびアジア東部b集団の基底部系統だったことを示唆します。

 マンバク遺跡個体から悪魔の門遺跡2個体と現代シベリア東部およびアジア東部b集団への遺伝的浮動は観察されませんでした。また、草原地帯古代人の遺伝的系統の分析では、現代シベリア東部およびアジア東部b集団と古代アジア南東部人は、草原地帯古代人と遺伝的に等距離と推定されます。このパターンは以前の研究と一致します。これは、草原地帯古代人と現代アジア東部集団との間の遺伝的混合を支持しますが、その経緯と混合事象の回数は不明です。

 また、マンバク遺跡個体系統から、ヴァトコムヌーといくつかのアジア東部b集団(アジア南東部および中国南部)の遺伝的分岐に関する最初の証拠も観察されました。これは、こうした集団がアジア東部に遺伝的影響を与えた集団だった、という見解を支持します。現代朝鮮人の遺伝的構成について複数のパターンが検証され、悪魔の門遺跡2個体系統とアジア南東部古代人系統の組み合わせは、前者とアジア南東部現代人系統の組み合わせよりもよく説明できます。より具体的には、カンボジア鉄器時代のヴァトコムヌー遺跡個体系統で、それに続くのがベトナム青銅器時代のヌイナプ遺跡個体系統です。

 現代朝鮮人と最も遺伝的類似性が高いのは現代日本人で、中国南部の現代人は、現代ベトナム人よりも現代朝鮮人との遺伝的類似性が高い、と示されます。これは、中国南部の遺伝的構成が、ヴァトコムヌー遺跡やヌイナプ遺跡個体系統との混合後に、朝鮮人へと移入されたことを示唆します。これらの証拠は、悪魔の門遺跡2個体とマンバク遺跡個体系統を有する集団が、新石器時代までにアジア東部bおよびシベリア東部地域全体で混合し、それはおそらく気候変化と障壁を伴っていた、という結論を支持します。青銅器時代の後、ヴァトコムヌー遺跡やヌイナプ遺跡個体系統の混合系統が朝鮮半島へと移住し、それは急速な文化的・技術的発展に起因します。


●朝鮮人の単系統ハプロタイプ分析

 現代朝鮮人のYHg(標本数55人)の割合は、O1b2が29%、O2が42%で、Oが圧倒的に優位です。次に多いのが18%となるYHg-Cです。YHg-Cはシベリアで広範に見られますが、YHg-Oはアジア南東部および東部に分布しています。YHgからは、朝鮮人男性の南北二重起源が強く示唆されます。

 mtHgはYHgよりも複雑な遺伝的歴史を反映しているようです。最も頻度の高いmtHgはD(34%)で、それにM(12%)やB(10%)やG(9%)やA(9%)などが続きます。現代朝鮮人で12%を占めるmtHg-B/Rは田园個体系統で見られ、アジア東部系統を表します。mtHg-N/Y/AおよびDは悪魔の門遺跡2個体および現代シベリア人とともにクラスタ化し、ユーラシア系統を表します。mtHg-Aはユーラシア草原地帯中央部の中期青銅器時代のオクネヴォ(Okunevo)文化関連集団で見られます。mtHg-G/C/Zはシベリア人とベトナム青銅器時代ヌイナプ遺跡個体で見られ、ヌイナプ遺跡個体系統の起源は不明です。mtHg-Cはオクネヴォ文化関連集団において高頻度で見られます。mtHg-MおよびFはアジア東部集団とともにクラスタ化することで、南方からの移動の波を説明します。オーストロアジア語族と考えられる、ベトナムのマンバク遺跡およびタイのバーンチエン遺跡の個体群は、mtHg-Mでともにクラスタ化します。これは、mtHg-Mのその後の拡大が、オーストロアジア語族集団の拡大と関連している可能性を示唆します。mtHgの分析は、朝鮮半島への南北多様な地域からの継続的な遺伝的影響を示唆します。


●まとめ

 現代人および古代人のゲノムとの比較により、現代朝鮮人はシベリア東部とアジア東部に由来する二重の遺伝的構成を有する、と示されます。現時点での古代ゲノムデータを参照すると、現代朝鮮人の遺伝的構成は、ロシア極東新石器時代の悪魔の門遺跡2個体系統とカンボジアの鉄器時代ヴァトコムヌー個体系統と関連する古代中国南部系統の混合として最適にモデル化できます。これは現代漢人および日本人も同様で、マンバク遺跡個体関連系統(70%)と悪魔の門遺跡個体関連系統(30%)の混合としてモデル化され、その形成過程は本論文の図5で示されています。


画像
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 本論文の分析は、新石器時代の主要な2創始者系統である、悪魔の門遺跡2個体系統と田园個体系統との、シベリア東部とアジア東部における新石器時代までの長く漸進的な混合を示唆します。現代朝鮮人も含めてアジア東部現代人の亜集団は、おそらくその後の青銅器時代における地域的な遺伝的移行により確立しました。現代朝鮮人の形成は、特有の孤立事象もしくは移住というよりもむしろ、アジア東部で起きた大きな集団拡大とそれに続く混合事象の一部として把握されます。こうした最近の急速な拡大と混合は、他のアジア東部および南東部集団にも一般的なモデルとなれるかもしれません。


 以上、本論文の内容をざっと見てきました。現代朝鮮人の起源と形成過程に関する包括的な研究結果を示した本論文は、今後の研究でも参照されるでしょう。ただ、やはり朝鮮半島古代人のゲノムデータに基づいていないことは問題で、土壌の問題やよりDNAの保存に適した朝鮮半島北部のデータの利用が困難だろうという事情など、仕方のないところもあるとはいえ、今後の大きな課題になると思います。また、漢人・朝鮮人・日本人に代表されるアジア東部現代人集団の起源として、現代人にはほとんど遺伝的影響を残していないと推測されている田园個体を起源系統としてモデル化したこともやや問題でしょう。これは、アジア東部も含めてユーラシア東部の古代ゲノム研究が、ユーラシア西部、とくにヨーロッパと比較して大きく遅れていることに起因するので、仕方ないところが多分にあるとは思います。ただ、最近になってアジア東部の古代ゲノム研究が大きく進展しており(関連記事)、それらも踏まえて、朝鮮人の起源と形成過程に関する研究も近いうちに大きく更新されるのではないか、と予想しています。

 現時点では、現代朝鮮人の形成過程に関して、田园個体系統と悪魔の門遺跡2個体系統とを起源とするのではなく、アジア東部を北部(新石器時代華北集団)系統と南部(新石器時代華南集団)系統に区分し、両者の混合によるアジア東部現代人集団の形成を想定する方が妥当なのかな、と思います。また、アジア東部に関しては、北東部との関係でさらに複数系統(黄河地域と西遼河地域とアムール川地域)が想定されるでしょう。アジア東部系統は、ユーラシア東部系統でも北方系統に分類され、ユーラシア東部系統でも南方系統は、アジア東部沿岸地域の早期集団、たとえば「縄文人」に大きな遺伝的影響を残した、と推測されます(関連記事)。このように起源系統の想定が異なれば、また違った現代朝鮮人の形成過程が見えてくるはずで、それは上記の本論文の図とはかなり違って見えるかもしれません。最近になって、日本も含まれるアジア東部の古代ゲノム研究が大きく進展しつつあるように思われるので、今後がひじょうに楽しみです。


参考文献:
Kim J. et al.(2020): The Origin and Composition of Korean Ethnicity Analyzed by Ancient and Present-Day Genome Sequences. Genome Biology and Evolution, 12, 5, 553–565.
https://doi.org/10.1093/gbe/evaa062


https://sicambre.at.webry.info/202006/article_19.html  

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コメント
1. 中川隆[-12320] koaQ7Jey 2020年6月20日 12:52:16 : aJzrYhZXuM : UGtFb2ZLS0s2Vy4=[6] 報告
日本人のガラパゴス的民族性の起源


1-1. Y-DNAハプロタイプ 2019年6月版 最新ツリー
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-1.htm

2-1. mtDNA ハプロタイプ 2019年5月21日取得 最新ツリー改訂版
http://garapagos.hotcom-cafe.com/2-1.htm

1-5. Y-DNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#1-5

1-5. Y-DNA/mtDNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#2-2

0-2. 日本人の源流考
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-2,0-5,15-28,18-2.htm#0-2

1-16. 多民族国家 中国のY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-16.htm

1-2. 日本と関連民族のY-DNAハプロタイプの出現頻度 rev.1
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-2.htm

1-7. 極東遺伝子度調査 Y-DNA「O」(O1,O2,O3」
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-7,19-6,18-3.htm#1-7

2. 中川隆[-12305] koaQ7Jey 2020年6月21日 07:11:52 : bK79sxhxJ9 : OThFc3ZjV20uLmc=[7] 報告

「朝鮮人は世界でも類を見ないほど均一なDNA塩基配列の持ち主」との言説に関する備忘録: 雑記帳
https://sicambre.at.webry.info/201806/article_20.html

「朝鮮人・韓国人はホモサピエンスではない」との言説と悪魔の門遺跡: 雑記帳
https://sicambre.at.webry.info/201810/article_17.html

3. 2020年7月25日 09:07:07 : YLHKqgJkDo : bGdCZGx0emtUSkE=[3] 報告
雑記帳 2020年07月25日
韓国人のゲノムデータ
https://sicambre.at.webry.info/202007/article_29.html


 取り上げるのが遅れてしまいましたが、韓国人のゲノムデータを報告した研究(Jeon et al., 2020)が公表されました。韓国人(というかもっと広く朝鮮民族)は、遺伝的にひじょうに均質で、過去には大規模な混合事象が少なかった、と考えられてきましたが、公式な調査はほとんど行なわれていません。世界中の現代人の遺伝的多様性を特徴づける目的で進められている1000ゲノム計画でも、近隣の中国(南北の漢人など)や日本の人々のゲノムデータが報告されているのに、韓国からの標本はまだ含まれていません。そこで、韓国人を対象としたゲノム計画が進められており(将来的には、もっと広く朝鮮民族全体を対象とするのでしょう)、本論文は韓国人1094人のゲノムデータを報告します。これにより、韓国人の遺伝的構造が以前よりも明らかになり、医療のような「実用性」だけではなく、韓国人(朝鮮民族)の形成過程の解明にも役立つのではないか、と期待されます。

 このゲノムデータに基づき、韓国人のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)も報告されています。mtHgでは、D(34.19%)やB(13.89%)やM(13.80%)が一般的で、YHgではO(73.49%)が圧倒的に多く、C(16.9%)とN(6.58%)が続きます。YHg-Oはアジア東部および南東部に広く分布しますが、YHg-Cはおもにアジア東部および北東部に分布します。なお、日本やチベットやアンダマン諸島など、世界では珍しいYHg-Dも確認されています(1.42%)。またmtHgでは、アジア東部において一般的なA・G・Fも確認されました。

 主成分分析により、韓国人と他集団とが比較されました。図2Aは世界中の集団を対象としており、韓国人が中国人と日本人という同じアジア東部集団と遺伝的にひじょうに近縁である、と改めて確認されました。図2Bはアジア東部集団を対象としており、韓国人と中国人と日本人がそれぞれ明確にクラスタ化し、区別できることが確認されました。これは、3ソース集団によるADMIXTURE分析でも確認されますが、中国人に関しては、漢人の南北間でも明確な違いがあり、傣(Dai)人は漢人との間にさらに大きな違いを示し、北部漢人よりも南部漢人の方と近縁です。以下、本論文の図2です。

画像
https://advances.sciencemag.org/content/advances/6/22/eaaz7835/F2.large.jpg

 本論文の分析では、韓国人が中国人や日本人といった他のアジア東部集団と比較して遺伝的に均一である、と改めて示されました。本論文は、これが過去数千年の地政学的孤立に起因する、と推測しています。上述のように、中国人は漢人と傣人との間の遺伝的違いが大きく、漢人の南北間でもやや違いが目立ちます。中国人と比較すると、日本人も遺伝的に均一と言えるでしょうが、韓国人は日本人よりもさらに遺伝的に均一というわけです。韓国人はさらに、本論文のデータセットで中国人としてまとめられている北部漢人や南部漢人や傣人との比較でも、遺伝的に均一です。

 本論文は今後の課題として、韓国人標本のほとんどが蔚山(Ulsan)広域市で得られているため、朝鮮半島全体が反映されていないことを挙げています。蔚山広域市の人口は100万人以上で、急速な工業化により居住者は朝鮮半島全体から集まっていますが、ほぼ蔚山広域市の1000人ほどの標本規模では、韓国人集団を表したり、潜在的なゲノム構造多様性を解明したりするのに充分ではない、と本論文は指摘します。

 本論文は、朝鮮民族の形成過程の解明に役立つ基本的情報になりそうなので、注目されます。最近、朝鮮民族の起源に関する研究が公表されましたが(関連記事)、古代ゲノムデータは他地域から得られており、朝鮮半島からのものは参照されていませんでした。韓国でも古代DNA研究は進められているのでしょうが、まだ日本や中国との比較でも遅れているのでしょうか。日本人の起源の解明に寄与するという意味でも、今後、朝鮮半島の古代DNA研究が進展することを期待しています。


参考文献:
Jeon S. et al.(2020): Korean Genome Project: 1094 Korean personal genomes with clinical information. Science Advances, 6, 22, eaaz7835.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aaz7835


https://sicambre.at.webry.info/202007/article_29.html

4. 2020年8月03日 09:17:04 : eW7LEVJZWc : Q2xaVjcwU2F6SWc=[2] 報告
朝鮮の無文土器時代
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%96%87%E5%9C%9F%E5%99%A8%E6%99%82%E4%BB%A3

朝鮮の無文土器時代の開始は朝鮮における水稲作の開始時期とほぼ一致する。このことから、朝鮮に長江文明由来の水稲作をもたらした人々が、無文土器文化の担い手であった可能性が考えられる。

崎谷満はY染色体ハプログループO1b(O1b1/O1b2)系統が長江文明の担い手だとしており、長江文明の衰退に伴い、O1b1および一部のO1b2は南下し、百越と呼ばれ、残りのO1b2は西方及び北方へと渡り、山東半島、朝鮮半島、日本列島へ渡ったとしている[1] 。

このことから、朝鮮に無文土器文化をもたらした人々はO1b2系統に属していたことが考えられる[1]。O1b2系統は現在の朝鮮民族に20〜40%ほど観察されている[2][3]。

言語系統

朝鮮半島における無文土器文化の担い手は現代日本語の祖先となる日本語族に属する言語を話していたという説が複数の学者から提唱されている。[4][5][6][7][8]

これらの説によれば現代の朝鮮語の祖先となる 朝鮮語族に属する言語は古代満州南部から朝鮮半島北部にわたる地域で確立され、その後この朝鮮語族の集団は北方から南方へ拡大し、朝鮮半島中部から南部に存在していた日本語族の集団に置き換わっていったとしている。またこの過程で南方へ追いやられる形となった日本語族話者の集団が弥生人の祖であるとされる。

この朝鮮語族話者の拡大及び日本語族話者の置き換えが起きた時期については諸説ある。ジョン・ホイットマンや宮本一夫らは満州から朝鮮半島南部に移住した日本語族話者が無文土器時代の末まで存続し、琵琶形銅剣の使用に代表される朝鮮半島青銅器時代に朝鮮語話者に置き換わったとしている。[7][9] 一方でAlexander Vovinは朝鮮半島の三国時代において高句麗から朝鮮語族話者が南下し、百済・新羅・加耶などの国家を設立するまで朝鮮半島南部では日本語族話者が存在していたとする。[5]

無文土器時代(むもんどきじだい)は、朝鮮半島の考古学的な時代区分である。紀元前1500年から300年頃に及ぶ。この時代の典型的な土器が、表面に模様を持たない様式(無文土器)であることから命名された。

農耕が始まるとともに、社会に階級が生じた時代であり、箕子朝鮮、衛氏朝鮮と重なる。朝鮮半島北中部と南部の間では住居や墓制に違いが見られる。時代的には日本の弥生時代と重なり、南部はこれから影響を受けた可能性もある。特に北部九州と朝鮮半島南部には共通の文化要素が見られる。

かつては朝鮮半島における青銅器時代と呼ばれたが、青銅器が出現したのは紀元前8世紀であり、普及したのは末期であるから正確ではない。

葬制としては巨大な支石墓が特徴的であるが、南部では急激に様式が切り替わる、石槨墓や甕棺墓が見出されている。


無文土器時代は櫛目文土器時代に続く時代である。

紀元前2000年から1500年頃、北方の遼河流域から北朝鮮にかけての夏家店下層文化では、支石墓、無文土器や大規模な住居が出現している。

前期

前期は紀元前1500年から850年頃とされる。農耕のほか、漁労、狩猟、採集が行われた。農耕にはまだ石器が用いられた。大型の長方形の竪穴住居からなる集落が営まれた。住居には竈が複数ある場合もあり、多世帯が同居していたと思われる。 後半には集落が大規模化し、集落ごとに有力者が生まれたと見られる。紀元前900年頃を過ぎると小型の住居が普通になり、竈ではなく、中央に囲炉裏のような炉が掘られた。

支石墓、副葬品の朱塗り土器、石剣など無文土器時代を通して続く宗教・葬制上の特徴はこの時代に生まれた。


中期

中期は紀元前850年から550年頃とされる。農業の規模が大きくなり、社会の階級と争いが生じたと考えられる。南部では水田が作られたとする仮説もあるが、陸稲と水稲が雑交している点や水田と確定出来るだけの要素が未だに発見されていない為、定説とはなっていない。 数百軒からなる大規模な集落が出現した。また青銅器が出現し、工芸品の生産や支配者による分配も行われるようになった。

中期無文土器文化は、中部の遺跡名から松菊里文化( ソングンニ)とも呼ばれ、中部で主に発展した。南部へ行くほど異なった要素が増える。

中期後半(紀元前700-550年頃)には青銅器が副葬品として現れた。青銅器は中国東北部に由来すると思われるが、この時期には朝鮮半島中部でも製作が始まっていた。

中期無文土器時代後半の墓には特に大規模なものがある。南岸部は北中部と様式を異にし、多数の支石墓が造られた。一部からは青銅器、翡翠、石剣、朱塗り土器などの副葬品が見出されている。

無文土器文化は農耕文化の始まりであるが、無文土器文化時代を通じて陸稲作はあったものの主要な作物ではなかった。現在までに渤海北部沿岸では当時の水田遺構が見出されていないことから、水田稲作がこの時代に伝わっていたとしても大陸沿いでなく黄海を越えてもたらされた可能性が大きい(日本の水田稲作とは伝播経路が異なる)。北部では大麦・小麦・雑穀などが栽培された。

後期
後期は紀元前550年から300年頃とされる。環濠集落や高地性集落が増え、争いが激しくなったことを示している。特に丘陵地や河川沿いに人口が集中している。集落数は前の時代より減っており、少数の集落への集住が進んだと考えられる。

弥生文化の開始が無文土器文化に影響を与えた可能性もある。特に北部九州では無文土器、支石墓や甕棺墓など、朝鮮半島南部の文化と直接結び付けられる要素が多数見つかっている。これは無文土器時代前期に当たると考えられる。

無文土器時代の終末期には鉄器が出現する。これより後の鉄器時代になると、住居には北方から大陸沿いに伝わったオンドル用の炉(ko:아궁이)が現れる。また中期に北方から伝わった琵琶形銅剣(遼寧式銅剣)の影響の下に細形銅剣(ko:세형동검)が作られ始めた。

終末

普通、無文土器時代の終末は鉄器の出現に置かれるが、土器様式の連続性を重視して紀元前後までを含める説もある。しかし、紀元前300年頃から青銅器が広範囲に普及する。鉄器もこの時期を境に、朝鮮半島南部へも普及していく。このような技術・社会の変化を重視するならば、無文土器時代をこの時期までとするのが適切である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%96%87%E5%9C%9F%E5%99%A8%E6%99%82%E4%BB%A3

5. 中川隆[-11963] koaQ7Jey 2020年8月03日 12:42:06 : eW7LEVJZWc : Q2xaVjcwU2F6SWc=[12] 報告
Japan considered from the hypothesis of farmer/ language spread
https://www.academia.edu/43005029/Japan_considered_from_the_hypothesis_of_farmer_language_spread?email_work_card=title

北九州玄界湾地域への稲作の導入(図1)周りから紀元前1000年は弥生時代の始まりです。
ウェットライス技術はムムンによって導入されました(「素焼き(訳者注:Mumun、無紋)」)朝鮮半島南部からの比較的早い時期の文化移民。
紀元前1000年半島のムムン時代(紀元前1500年から300年)。
これらの移民は弥生ではなく、ムムンでした。

6. 中川隆[-11959] koaQ7Jey 2020年8月04日 16:04:55 : zUMIt4eO2o : UTNkMHU1bDZXVVU=[7] 報告
3.弥生時代の世界情勢

朝鮮半島

弥生時代は、朝鮮半島の無文土器時代(青銅器時代〜初期鉄器時代)から原三国時代に相当します。朝鮮半島では紀元前1500年頃中国大陸より農耕が伝わり、紀元前700年頃には青銅器が、弥生時代が始まる紀元前300年頃には鉄器が伝わり普及しました。後期の無文土器は日本列島でも北部九州地方をはじめとする弥生時代の遺跡から数多く出土しており、弥生時代の稲作農耕や金属文化の流入に朝鮮半島からの人々が関わったことを示唆しています。 吉野ヶ里遺跡でも、朝鮮系の無文土器が多数出土しています。

図:無文土器時代の後期(初期鉄器時代)から原三国時代
http://www.yoshinogari.jp/ym/episode01/jyousei03.html

無文土器時代の後期(初期鉄器時代)から原三国時代

写真:朝鮮系の無文土器(佐賀県吉野ヶ里遺跡出土)
http://www.yoshinogari.jp/ym/episode01/jyousei03.html

朝鮮系の無文土器(佐賀県吉野ヶ里遺跡出土)

鉄器の普及、特に鉄製農具の普及は生産力を増大させ、やがて半島内に幾つかの部族国家が並立するようになりました。弥生時代後期末の日本列島の様子も記述されている魏書東夷伝には、この頃、朝鮮半島に次のような部族国家があったことが記されています。

・高句麗(現 中国遼寧省・吉林省・北朝鮮北部)
・東沃沮(現 北朝鮮咸鏡北道一帯)
・(朝鮮半島中東部)
・馬韓・辰韓・弁韓(朝鮮半島南部)

これらのうち、朝鮮半島南部の辰韓は鉄を産出し、倭人も鉄を求めて辰韓と交易していことが描かれています。この時代の朝鮮半島の状況は弥生時代の日本列島を考える上で中国大陸と同様、非常に重要です。

http://www.yoshinogari.jp/ym/episode01/jyousei03.html

7. 中川隆[-11686] koaQ7Jey 2020年8月25日 11:24:25 : WTRIxbreSo : SmdhZHJZU2RGaVE=[19] 報告
日本語の起源は朝鮮半島にあり?方言の共通祖先を発見、東大
2011年5月5日 発信地:パリ/フランス [ ヨーロッパ フランス ]
https://www.afpbb.com/articles/-/2798334?act=all

日本語の起源は朝鮮半島にあり?方言の共通祖先を発見、東大


【5月5日 AFP】日本語の方言の多くは約2200年前に朝鮮半島から移住してきた農民たちに由来することが、進化遺伝学の観点から明らかになったとする論文が、4日の学術専門誌「英国王立協会紀要(Proceedings of the Royal Society B)」に発表された。

 日本語は、世界の主要言語の中では唯一、起源をめぐって現在も激しい議論が戦わされている。

 主要な説は2つある。1つ目は、定住が始まった3万年〜1万2000年前の石器時代文化に直接由来しているというもの。この時代は原始的な農業も一部で行われていたが、主に狩猟採集生活が営まれていた。アジア大陸からは紀元前200年ごろに人の流入があり、金属製の道具やコメ、農業技術がもたらされたが、言語発達にはほとんど影響を及ぼさなかったというのがこの説の主張だ。


 もう1つの説は、紀元前200年ごろの朝鮮半島からの人の大量流入が日本の先住文化に非常に大きな影響を及ぼしたとするもので、先住民が大規模な移住を余儀なくされ、彼らの話していた言語もほとんどが置き換えられたと考える。最近の考古学上およびDNAの証拠は、いずれもこちらの説が有力であることを示している。

■方言の共通祖先の年代は?

 さらなる証拠を求めて、東京大学(University of Tokyo)の長谷川寿一(Toshikazu Hasegawa)教授とリー・ショーン(Sean Lee)氏は、数十の方言の年代をさかのぼり、共通祖先を見つけようと試みた。

 この手法はもともと進化生物学において、化石から採取したDNA断片から系統樹を作成し、数百万年前の祖先までさかのぼる目的で開発されたもの。リー氏によると、言語に適用することには異論もあるが、これまでの実験結果などから、言語には遺伝子のような特性があり、代々の継承を通じて進化することが推定されるという。

 2人は、体の部位、基本動詞、数字、代名詞などの主な210単語について、59方言でリストを作成。数千世代にわたり改変されていない、いわゆる「高度保存遺伝子」を見つけ出すのと同じ要領で、他の方言に影響されていない「変化耐性」を持つと思われる単語を選び出し、コンピューターでモデル化した。

 すると、これらの単語はすべて約2182年前の共通祖先に行き当たった。この年代は、朝鮮半島から大量の渡来人が来た時代に当たる。

 リー氏は、農民の流入が始まった時期はこの時期より少し前の可能性があると指摘しつつ、「日本に流入した最初の農民たちが、日本人と日本語の起源に深い影響を及ぼした」と結論付けている。(c)AFP/Marlowe Hood

https://www.afpbb.com/articles/-/2798334?act=all

8. 中川隆[-9580] koaQ7Jey 2020年11月27日 08:03:09 : NoAzC6KCdU : T2xuTHNJQmhPa2s=[3] 報告
雑記帳 2020年11月27日
韓国釜山市の6000年前頃の人類のDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/202011/article_34.html

 最近ネットで、朝鮮半島には「縄文人」がいた、というような主張を見かけます。確かに、縄文時代の九州と同時代の朝鮮半島との交流が考古学で明らかになっているので(関連記事)、「縄文人」が朝鮮半島に渡ったとしても不思議ではありません。こうした主張那主要な元ネタの一つとして、韓国釜山市の加徳島で発見された6000年前頃の人類のDNA研究があるようです。日本語記事によると、その研究に関わった一人である篠田謙一氏は公開シンポジウムで、この6000年前頃となる加徳島人集団が日本列島に到来したならば、(縄文人と)混血せずに現代(本土)日本人になる、と述べたそうです。

 検索してみると、この研究は朝鮮語の学術誌である『文物』第9号に掲載された論文のようですが、ネットでは書誌情報しか見つけられませんでした。そこで、Wikipediaを利用して加徳島の朝鮮語表記を確認し、DNAとあわせて検索してみると、論文は見つかりませんでしたが、この論文内容を紹介したブログが見つかりました(内容紹介1および内容紹介2)。このブログ記事から推測すると、本論文は印刷版でしか公表されていないようです。私は朝鮮語を全く解さないので、機械翻訳に頼って内容を確認しましたが、著者は専門家である可能性が高く、少なくとも集団遺伝学に関してかなりの知見があるので、その内容紹介は信用できる、と判断しました。以下、このブログ記事に依拠して、この研究の内容を見ていきますが、機械翻訳なので私の誤認がかなり入っているかもしれません。

 この研究は、釜山市の加徳島の獐遺跡で発見された6300年前頃の人類遺骸のDNAを解析しました。獐遺跡では、朝鮮半島南岸地域の初期新石器時代で典型的な土器が発見されているようです。獐遺跡で発見された48個体のうち埋葬方法が識別可能なのは31個体で、そのうち23個体で屈葬が採用されていたそうです。屈葬は縄文時代の日本列島で一般的ですが、朝鮮半島の新石器時代では基本的に見られないそうで、黒曜石や土器などで交流が確認されている、縄文時代の九州とのつながりが示唆されます。

 獐遺跡の個体のうち、標本2はミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)がD4b1で、標本8はmtHg-D4aです。現代韓国人では、mtHg- D4b1の割合は6.36%、mtHg-D4aの割合は7.7%とのことです。mtHg-D4はアジア東部現代人では高頻度です。韓国の慶尚南道の青銅器時代の遺跡では、21個体のうち11個体がmtHg-D4で、そのうち2個体がmtHg-D4bでした。mtHg-D4は新石器時代には朝鮮半島に定着し、現代まで主流母系の一つだった可能性が高そうです。縄文人では、mtHg-D4a・D4b1はまだ確認されていないようですが、D4b2は確認されています。標本2と標本8は女性と推定されています。

 核ゲノム分析では、獐遺跡の標本2と標本8で違いが見られ、f3統計では、標本2は現代「(本州・四国・九州を中心とする)本土」日本人と、標本8は北海道の礼文島の船泊遺跡で発見された縄文人(関連記事)、次いで現代本土日本人と最も高い類似性を示します。f4統計でも、標本8が標本2よりも縄文人と近い、と示され、標本2と標本8は遺伝的にかなり離れていることが明らかになります。主成分分析でも、標本8が標本2よりも縄文人に近い、と示されます。また、標本2も標本8も、現代韓国人より現代本土日本人に近い、と示されます。標本2も標本8も、現代本土日本人と同程度以上の縄文人系統を有している、と推測されます。

 以上、この研究の内容を、上記の朝鮮語ブログ記事に依拠してざっと見てきました。現代本土日本人は、縄文人とアジア東部大陸部から弥生時代以降に到来した集団との混合により形成され、船泊遺跡縄文人の研究で推定されているように、縄文人の遺伝的影響は9〜15%と少ない、と指摘されています。しかし、この研究は、日本列島で弥生時代が始まる3000年以上前に、朝鮮半島において現代日本人と比較的近い遺伝的構成の集団が存在した可能性を指摘します。つまり、朝鮮半島に縄文人が渡り、そこでアジア東部大陸部集団と混合して形成された祖型本土日本人集団が弥生時代以降に到来し、日本列島では先住の縄文人とあまり混合しなかった可能性も想定されるわけです。この研究は、今年(2020年)になって大きく進展したアジア東部の古代DNA研究を踏まえねばならない、と思います(関連記事)。それに基づくと、ユーラシア東部への現生人類(Homo sapiens)の拡散の見通しは以下のようになります。

 まず、非アフリカ系現代人の主要な祖先である出アフリカ現生人類集団は、7万〜5万年前頃にアフリカからユーラシアへと拡散した後に、ユーラシア東部系統と西部系統に分岐します。ユーラシア東部系統は、北方系統と南方系統に分岐し、南方系統はアジア南部および南東部の先住系統とサフル系統(オーストラリア先住民およびパプア人)に分岐します。サフル系統と分岐した後の残りのユーラシア東部南方系統は、アジア南東部とアジア南部の狩猟採集民系統に分岐しました。アジア南部狩猟採集民系統は、アンダマン諸島の現代人によく残っています。この古代祖型インド南部人関連系統(AASI)が、イラン関連系統やポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)系統とさまざまな割合で混合して、現代インド人が形成されました。アジア南東部において、この先住の狩猟採集民と、アジア東部から南下してきた、最初に農耕をもたらした集団、およびその後で南下してきた青銅器技術を有する集団との混合により、アジア南東部現代人が形成されました。

 アジア東部に関しては、ユーラシア東部北方系統と南方系統とのさまざまな割合での混合により各地域の現代人が形成された、と推測されます。ユーラシア東部北方系統からアジア東部系統が派生し、アジア東部系統は北方系統と南方系統に分岐しました。現在の中国のうち前近代において主に漢字文化圏だった地域では、新石器時代集団において南北で明確な遺伝的違いが見られ(黄河流域を中心とするアジア東部北方系統と、長江流域を中心とするアジア東部南方系統)、現代よりも遺伝的違いが大きく、その後の混合により均質化が進展していきました。ただ、すでに新石器時代においてある程度の混合があったようです。また、大きくは中国北部に位置づけられる地域でも、黄河・西遼河・アムール川の流域では、新石器時代の時点ですでに遺伝的構成に違いが見られます。アジア東部南方系統は、オーストロネシア語族およびオーストロアジア語族集団の主要な祖先となり、前者は華南沿岸部、後者は華南内陸部に分布していた、と推測されます。

 縄文人は、アジア東部南方系統(55%)とユーラシア東部南方系統(45%)の混合としてモデル化できます。このモデルは、Y染色体ハプログループ(YHg)Dの分布とも整合的です。YHg-D1aは現代では日本人とチベット人において高頻度で、とくにアンダマン諸島人ではほぼYHg-D1aで占められています。現代チベット人も15%程度と低頻度ながらユーラシア東部南方系統の遺伝的影響が見られ、アジア南東部では更新世〜完新世の狩猟採集民のホアビン文化(Hòabìnhian)集団もユーラシア東部南方系統に位置づけられますが、ホアビン文化の個体でYHg-D1が確認されています(関連記事)。一方、ユーラシア東部北方系統およびそこから派生したアジア東部系統の古代DNA研究では、まだYHg-D1は確認されていないと思います。したがって、YHg-D1はユーラシア東部南方系統のみに由来する可能性が高く、その意味でも、ユーラシア東部南方系統が縄文人の一方の主要な祖先だった、と考えられます。

 これらの知見を踏まえて獐遺跡の標本2と標本8を位置づけると、まず問題となるのが縄文人の形成過程です。中国では、古代DNA研究で縄文人的な個体の存在がまだ確認されていないと思いますし、今後も発見される可能性は低いでしょう。朝鮮半島では、縄文人の遺伝的影響を受けたと推測される6300年前頃の個体が、釜山市の加徳島で確認されました。現時点での考古学などのさまざまな証拠からは、縄文人が日本列島で形成された、と考えるのが妥当なところでしょう。上述のように、考古学では縄文時代における九州と朝鮮半島との交流が明らかになっており、日本列島から朝鮮半島へと縄文人が渡り、混合したとしても不思議ではありません。日本列島から朝鮮半島へと渡った縄文人は、朝鮮半島に存在したおもにアジア東部北方系統を主要な祖先とする集団と混合したのでしょう。

 ただ、朝鮮半島南端という釜山市の位置を考えると、獐遺跡の標本2と標本8が当時朝鮮半島でどこまで一般的な遺伝的構成の集団だったのか、朝鮮半島の広範な地域の同時代人のゲノムデータが蓄積されるまで、判断は難しいと思います。この研究でも指摘されていますが、佐世保市の弥生時代の人類遺骸は、遺伝的には縄文人と現代本土日本人の中間で、獐遺跡の標本2と標本8よりも縄文人に近い、と示されています。獐遺跡の標本2と標本8から3000年以上経過しても、九州西北部では先住の縄文人と新たに到来しただろう、おもにアジア東部北方系統を主要な祖先とする集団との混合が起きていたと推測されます。

 したがって、6000年以上前に縄文人が朝鮮半島に渡り、朝鮮半島ですでに現代本土日本人に近い遺伝的構成の集団が形成され、この集団は現代朝鮮人にはさほど遺伝的影響を残していないものの、日本列島に到来し、先住の縄文人とはさほど混合せず、現代本土日本人の主要な祖先になった、とは考えにくいように思います。むしろ、獐遺跡の事例は一時的な例外で、朝鮮半島における縄文人の遺伝的影響は、日本列島の弥生時代の前には「希釈」され、改めてアジア東部北方系統を主要な祖先とする集団が朝鮮半島から日本列島へと到来し、先住の縄文人と混合していった、という可能性の方が高いように思います。

 レヴァント南部では、青銅器時代末期から鉄器時代初期にかけて(関連記事)と、十字軍の時代(関連記事)に、一時的なヨーロッパ系統の遺伝的影響の増加が見られますが、その痕跡は後に「希釈」され、ほとんど検出不可能となります。それと似たような事例が完新世の朝鮮半島でも起きたのではないか、というわけです。上述のように、縄文時代の九州と同時代の朝鮮半島との交流が考古学で明らかになっていますが、一方で、縄文時代の北部九州と朝鮮半島南部との交流はさほど多くなく、両者の文化的交流は限定的だった、とも指摘されています。もちろん、私見が妥当だと強く主張するわけではなく、今後のアジア東部、とくに日本列島と朝鮮半島の古代DNA研究が今よりもずっと進展するまで、最終的な判断を保留しておくのが妥当だろう、と思います。

https://sicambre.at.webry.info/202011/article_34.html

9. 2021年7月22日 09:53:12 : OZGjchZjaU : SHBTOW5ibGsvWS4=[1] 報告
雑記帳 2021年07月22日
韓国の三国時代の人骨のmtDNA分析
https://sicambre.at.webry.info/202107/article_23.html

 本論文(篠田他.,2021)は、「新学術領域研究(研究領域提案型)計画研究B01【調査研究活動報告2019年度(1)】考古学データによるヤポネシア人の歴史の解明」の研究成果の一環となります。これまでの形質人類学では、現代日本人の形成の考察において重要なのは、「縄文人」と「弥生人」の関係とされ、多くの研究が提示されてきました。現在ではその結果、基層集団である「縄文人」の社会に、アジア東部大陸部から水田稲作と金属器技術を有する「渡来系弥生人」が日本列島に到来し、本州・四国・九州を中心とする日本列島「本土」では、両者の混合により現代日本人が成立した、と考えられています(二重構造説)。一方、古代DNA研究の進展により、「渡来系弥生人」の遺伝的特徴も明らかになりつつあり、両者の混合の状況をより正確に把握できるようになりました。しかし、「渡来系弥生人」の故地と考えられる朝鮮半島の弥生時代〜古墳時代相当期の人骨のDNA分析は行なわれておらず、「渡来人」の遺伝的性格が不明なので、まだその実態は明らかではありません。

 そこで本論文は、朝鮮三国時代の古墳として有名な、慶尚北道高霊郡に位置する、慶北高霊池山洞44号墳の出土人骨のミトコンドリアDNA(mtDNA)分析結果を報告します。池山洞44号墳は5世紀後葉の大加耶の王墓で、墳丘は直径25〜27m、墳丘中央に9.4m×1.75mの大型竪穴式石室(主槨)があります。30基以上の殉葬墓が主槨を取り囲むような状態で見つかっており、主槨の人骨は失われていましたが、殉葬墓からは多くの人骨が発掘されています。これらの人骨から直接的に「渡来系弥生人」の遺伝的特徴を推定することはできませんが、この時期の朝鮮半島南部の人類集団の遺伝的特徴を解明することは、弥生時代から古墳時代にかけての日本列島の人類集団の成立解明において重要な情報を提供する、と考えられます。

 DNA分析に用いられたのは4個体(13-1号、20号、27-1号、30号)で、APLP(Amplified Product-Length Polymorphism)分析によるmtDNAハプログループ(mtHg)分類は、13-1号がG2、20号がB4c、27-1号がD5b、30号がB5でした。27-1号と30号のmtHgはそれぞれD5b1b1とB5a2a1bで、APLP分析と矛盾しません。データベースで検索すると、mtHg-B5a2a1bもmtHg-D5b1b1もそれぞれ3個体ずつ報告されており、いずれも日本人でした。現代韓国人で一致する個体が確認されなかったのは、DNAデータベースに現代韓国人がほとんど登録されていないからと考えられ、現代の日本人と韓国人ではmtHgの構成がよく似ているので、mtHg-B5a2a1bおよびD5b1b1が現代韓国人で今後確認されても不思議ではありません。現代韓国人では、mtHg- B5は3.8%、mtHg-D5は6.5%ほど存在します。

 一方、既知の「縄文人」のmtHgではmtHg-B5a2a1bおよびD5b1b1は確認されていません。一方、弥生時代の鳥取市青谷上寺遺跡で出土した人骨では、mtHg-B5およびD5が確認されており、弥生時代中期の「渡来系弥生人」である福岡県那珂川市の安徳台遺跡で発見された個体もmtHg-B5でした。青谷上寺遺跡の「弥生人」のmtHgは大半が「渡来系」と推定されています(関連記事)。現代日本人に占めるmtHg-B5およびD5の割合はさほど大きくなく、アジア東部の分布では南方に多い傾向が見られます。現時点では、古代の分布を推定できませんが、弥生時代開始期以降にアジア東部大陸部から日本列島に到来した人々の中には、mtHg-B5およびD5を有している人がいたかもしれません。慶北高霊池山洞44号墳の出土人骨では今後核DNA解析も予定されているとのことで、研究の進展が期待されます。


参考文献:
篠田謙一、神澤秀明、角田恒雄、安達登、清家章、李在煥、朴天秀 (2021)「韓国高霊池山洞44号墳出土人骨のミトコンドリアDNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第228集P465-471


https://sicambre.at.webry.info/202107/article_23.html

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