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(回答先: 現代の科挙、中国の公務員試験は競争率80倍 _ 中国の公務員はリベートが主な収入 投稿者 中川隆 日時 2021 年 10 月 31 日 17:35:17)
コロナ後の中国に起きた学校教育の変化
ポストコロナの時代を生きる君たちへ
2022-01-12
http://blog.tatsuru.com/2022/01/12_1641.html
大阪市立南高校という高校が今年度でなくなる。他の二つの市立高と統合されて別の高校になるのである。独特の教育をしていた高校で、そこの国語の先生が私の寺子屋ゼミの受講生だった関係で、「さよなら講演」にお招き頂いた。その時に高校生たちにこんな話をした。
みなさんこんにちは。今紹介いただきました、内田です。幸い、皆さんが教科書で私の書いたものを読んでくださったということなので、どのようなことを話すか人間かはだいたいお察しになっていると思います。
こういうところに立つのは久しぶりです。でも、正直言って、こういう環境はしゃべりにくいんです。最近はずっとオンラインでやって、それに慣れてしまって。オンラインだったら自分の部屋からできます。自分の部屋の、自分の椅子に座って、iPadのスイッチを押せば、すぐにつながって、相手が10人でも100人でも、やることは同じ。ディスプレイに映る自分の顔を見ながら話す。どういうリアクションがあるかはわからない。でも、こういう所に立つと、反応がリアルにわかります。話が受けてないとすぐにわかっちゃうんです。誰も笑ってくれないとなると、いたたまれない気持ちになる。
それに高校生って、こういう所に集められて、「さあ、話を聴きなさい」と先生に言われたって、聴く気にならないものですよね。どちらかと言うと、登壇してきた人物に対して、基本的には警戒心とか猜疑心とかを抱くものなんです。それが当然だと思います。
僕も高校生だったら、こういう所に集められて、講師の話を聴けと言われたら、たぶん基本的にはあまり心を開かないと思います。頭から話を信じたりはしません。どれくらい信じていいのかと、それなりの警戒心をもって聴く。それが当然だと思います。
でも、それでいいんです。どこまで話を本気にしていいのか疑いながら聴く。そういう姿勢で僕の話を聴いてほしいんです。頭から信じてもらわなくて結構。それよりは、この人の話をどれくらい信じていいのか、話にどれくらい真実が含まれているか、吟味しながら聴いて欲しい。だって、みなさんは、僕が本当のことを言っているのかどうか判断基準を持っていないからです。だから、話を聴きながら、この人の話をどれくらい信じてよいのかの判断の「ものさし」を自分の中で、自分で手作りして、それでもって判断して欲しいんです。この辺の話はどうも本当らしいから信じてよさそうだ。この話はいまいち信用できないから帰って調べようとか、そういうふうに聴いてください。
今日の演題は「コロナ後の世界を生きる」ということですが、いきなり本題に入らないで、昨日聴いた話からしたいと思います。
僕は神戸にある凱風館という道場で「寺子屋ゼミ」という催しをしています。道場なので70畳ほどの畳敷きの場所がありますので、そこに座卓を置いて、毎週火曜日ゼミを開いています。ちょうど昨日ゼミがありました。オンラインでも配信しているので、道場にいたのが10人ちょっと、オンラインで40人くらい。全部で60人くらいが参加してくれました。
後期のゼミはこの十月から始まって、「コロナ後の世界」が後期のテーマです。ポストコロナの世界がどうなるかについて、いろんな分野について研究発表をしてもらいます。経済とか政治とかも変わりますが、医療も変わるし、学校教育も変わる。さまざまな領域で変化があります。それについてゼミ生たちに興味のある分野を選んでもらって、自由に発表してもらい、みんなで討議する。そういう形式のゼミです。
先々週が第一回で、僕が全体的なオリエンテーションをして、昨日が研究発表の最初でした。第一回は中国の学校教育がテーマでした。いま、中国の学校教育が急激に変化しているという話です。昨日の発表者は大学の先生です。大学で中国語と中国思想を教えていらっしゃる方です。中国語がよくおできになるので、この夏、コロナ後の中国に起きた学校教育の変化について現地のニュースをそのまま報告をしてもらいました。8月の末に起きたことですが、日本のメディアもほとんど報道していないと思います。けっこう大変なことが中国では起きていました。
中国では受験競争が過熱しています。どういう大学を出るかで就職も年収にも大きな差がつく。だから、小学校から高校まで、親たちは子どもをずっと学習塾に通わせます。それが過熱してきて、子どもに対する負荷が増え過ぎた。そこで政府は「双減政策」というものを出してきました。「双減」というのは「二つのものを減らす」ということです。
一つは子ども学習時間を減らすこと。最初にやったのは宿題の制限です。小学校1・2年は宿題なし。3年生から6年生までは1日60分で終わる量まで。中学生で1日90分まで。それ以上の量の宿題を出すことが禁止された。
その次に学習塾の非営利化。学習塾で金儲けをしてはいけない、と。これで最大手の学習塾がばたばたと倒産しました。学習塾や英語学校が中国では乱立していたのですけれど、政府の命令で課金できなくなった。それでは倒産しますよ。大手の学習塾は株式会社なんですが、株が暴落した。
ほかにもいろいろあって、外資系の塾はそもそも開業が禁止されました。海外とつながるオンライン教育プログラムも禁止。ネットゲームは時間制限。子どもたちがネットゲームをしていいのは金土日祝日の午後八時から九時までの一時間。
こういうことが政府の命令一つでできるのが中国という国ですけれど、そのために8月の末から9月の初めにかけて、中国の学校では混乱が起きました。さて、この中国の政策はいったい何を意味しているのでしょうか。ゼミでは、みんなでそれを考えました。
中国はこれまで急成長してきて、大学進学率も50パーセントに達しています。過酷な競争のせいで、子どもたちは身体もメンタルも傷ついている。それに学習塾や海外プログラムだと、それなりにお金がかかる。そうすると、お金持ちの子どもは受験競争に有利になる。貧しい家の子は、授業料の高い学習塾に通うことは出来ないし、海外のプログラムも利用できない。それだと格差が拡大するばかりです。
でも、これまで中国の人はそんなこと全然気にしていなかった。「勝った者が総取りする。負けた者は自己責任」というワイルドなルールでやってきた。それにブレーキがかかった。金持ちの子どもだけが有利になるような競争はさせないということになった。そのニュースを知って、「中国は何でもやることが極端だね」と言って済ますわけにはゆきません。これは何か大きな変化が起きていて、その徴候ではないかと僕は思いました。さあ、何が起きているのか。
簡単に言うと、国民全員が地位や権力を争って競争して、「勝った者が総取りする」、敗者は転落して路頭に迷っても、それは自己責任。それが当たり前で、それがフェアだというルールで中国はこれまで急成長を成し遂げたわけです。でも、それがもう続けられなくなった。
これからはできるだけすべての子どもたちに均等な機会を与える。階層格差が再生産されることを防ぐ。そもそも子どもにあまり勉強をさせない。日本の「ゆとり教育」に似たことをしようとしている。「知育、体育、徳育、美育」というスローガンが掲げられて、子どもたちは勉強するだけじゃなくて、身体を鍛えて、美しいものを見て、人間として全方位的にもっと豊かになることが求められるようになりました。勉強だけできればそれいいものではない。そういう方向に、党中央が方針を決めた。さて、いったいどうしてこんな政策が出てきたのか。昨日もそのことについてずいぶん議論になりました。
僕の考えは、このような受験競争の過熱を放置しておくと、遠からず中国の国力が衰退していくという危機感を中国政府が抱いたからではないか、というものです。実は中国も日本もよく似ているんです。向こうの方がスケールが10倍ですけれども、起きていることは本質的には似ているところがある。
日本が人口減少局面にあることは、高校生のみなさんもよくご存じでしょう。日本は2008年の12800万人をピークにして、人口が急激に減りだしています。おそらく学校の授業でも教わっていると思いますが、厚労省の試算では2100年、今から80年後の日本の人口ですね、高位推計で6800万人、低位推計で3800万人、中位推計で4850万人です。多分このくらいに落ち着くだろうというあたりでも5000万人を切るんですね。今から80年後ですから、みなさんのうちの何人かは生きて22世紀を迎えることができると思いますが、その時の日本の人口は5000万人を切っているんです。今から80年間で、7600万人減る。年間90万人ペースです。高齢化もこの後進みます。2065年には高齢化率が38.4%、3人に1人は65歳以上いう社会になります。そういう時代を経由して、日本の総人口が5000万人を切る社会を迎える。
みなさんが今どこの学校に進学しようとか、どんな職業に就こうかとか、考えているわけですけれども、それを決める時に、一番考えなければいけないことは、日本はこれから急激に人口が減るということです。短期間にこんな急激な人口減を経験した国は歴史上存在しません。だから、どうしたらいいかわからない。誰も知らない。人口減の局面にどう対処したらいいか、成功事例が歴史上にはない。そういう「どうしたらいいかわからない時代」にみなさんは突入してゆくんです。
そんなこと言うとびっくりするかもしれません。なぜ、そんな大事なことなのに、みんなもっと真剣に議論しないんだろうかと、疑問に思うでしょうね。本当にそうなんです。議論しないんです。どうしてこうなったのか原因を探り、現状はどうなっているのかを調査し、どう対処するのか政策を立てるためのセンターが今の日本政府部内には存在しないんです。この巨大な問題に対処するための政府機関がないんです。たしかに「少子化対策」とかはあります。婚活を支援するとか、保育所を増やすとか、教育を無償化するとか、そういうことをしていますけれども、人口減というのはそんな目先の政策でどうこうなる話ではないんです。
人口減少は止まりません。このことをきちんと受け止めて、それによって産業や教育や医療がどう変わるのか、きちんとした見通しを立てて、これからこうなりますよと、国民にアナウンスする必要があります。
人口減社会のあり方については、いくつかのシナリオがあり得ます。そのシナリオのうちのどれがよいかについて、国民全体で議論して、合意をかたちづくること、それが必要です。日本列島に住むすべての人に関わる大問題です。
ところが、この問題についての国民的な議論がまったく行われていない。メディアは時々思いついたように人口問題について報道しますが、深く掘り下げるということをしていない。真剣に取り組んでいない。政治家もメディアも、どうしたらいいのか、わからないんです。これまで人類が経験したことのない問題だから。何が起きているのか、どうしたらいいのか、わからない。この問題と向き合い、それに対して然るべき政策を立てることのできる構想力がないのです。現代の日本の指導層にはそれを考えるだけの力がない。
でも、これは日本だけの話じゃないんです。お隣、韓国もすでに2年前2019年に人口がピークアウトして、これから急激な人口減、高齢化局面を迎えます。あと40年くらいで、日本を抜いて、世界一の高齢社会になります。
そして、中国です。どうして、中国政府が教育政策において、これまでとは全く違う方向に舵を切ったのか。これも人口減が理由ではないかと僕は思っています。中国は6年後2027年に14億人でピークを迎え、それから急激な人口減少と超高齢化時代を迎えます。年間500万人ペースで人口が減ります。生産年齢人口、15歳から65歳までの人が減2040年までに1億人減り、代わりに65歳以上の人口が3億2500万人にまで増える。
中国は2015年まで「一人っ子政策」を実行していましたから、人口構成がひどくいびつです。男女比も均等ではありません。ですから一人っ子で、配偶者がいない人の場合、親が死ぬと、妻も子も兄弟姉妹もいない天涯孤独の身となる。これまでそういう場合のセーフティネットとしては親族ネットワークがありました。生活が苦しくなったら、親族を頼ることができた。でも、一人っ子政策と人口減で、その親族ネットワークが成り立たなくなった。中国には日本のような社会保障制度がありません。これを短期間のうちに作り上げなければ高齢化に対処できない。
これまで急増する人口が潤沢なマンパワーと巨大な市場を提供してきた中国ですが、その経済成長のエンジンであった「いくらでも働く人間がいる」という条件がこのあと失われる。2027年からそれが始まります。若い人たちの人口が急激に減って行く中で、中国が国力を維持しようとしたら、子どもたちを過酷な競争に放り込んで、勝ち残った者にすべてを与えて、負けた者たちは消えるに任せるというような手荒な選抜を続けることはできません。とりあえず手元にいる子どもたちすべてに等しく良質な教育機会を提供して、ひとりひとりのパフォーマンスを上げるしか手立てがない。国民一人一人の力を、取りこぼすことなく引き出すことが必要になる。そうなると、ペーパーテストの点数だけで子どもたちを選別するというような雑なことはできない。
中国にはかつて科挙という制度がありました。ペーパーテストで高得点をとる人たちを登用して、権力の中枢に据えた。この人たちは確かにたいへんな人文学的知識を備えていましたけれど、それ以外の大多数の人は全く文字も読めなかった。そういう制度のせいで、清朝は国力を失って滅びた。だから、近代中国では、できるだけ多くの国民が等しく学校教育を受けられる仕組みが作られました。でも、最近になってまたペーパーテストの勝者に権力も財貨も集中するという、昔の科挙みたいな仕組みが復活してしまった。だから、またそれを抑制して、国民全員がそれぞれの多様な才能を開花させるという軌道修正が行われることになった。たぶん、そういうことではないかと思います。
中国政府は14億の国民を統治しなければいけないのですが、これは19世紀末の世界人口と同じ数です。そんな数の国民を擁する政体を統治したことのある人は過去におりません。だから、中国のトップも必死だと思うんです。たぶん、ものすごく頭のいい人たちが、僕らでは想像できないくらいIQの高い人たちが統治システムを設計しているんだと思います。たしかに中国は時々暴走しますけれど、小手先のことはしません。やる時はいつも巨大なスケールの実験をする。ですから、今回の教育改革も巨視的な見地に立って行われたものだと思います。
それに比べると、どうも日本の遅れが気になります。日本は中国より十年早く人口減少が始まったのに、この十年間、何もしないでいる。中国は人口減に対処するために、文化的な資源をエリートに集中するのではなく、できるだけ多くの国民にチャンスを与えるという政策を採用しようとしているように僕には見えます。たしかに、若い人の数がこれから激減する中で国力を維持しようとしたら、すべての若い人たちが才能を開花させる仕組みを工夫する方が、ペーパーテストの上位者に資源を集中する仕組みよりも有効です。日本でも、それと同じことをこれからやるべきではないかと思います。
日本はこのあともう経済成長はしません。これまでの30年もしていませんが、これからもしません。むしろ経済は縮減してゆく。かつて日本は42年間にわたってGDPランキングでアメリカに次いで世界第2位でした。現在も第3位ですが、一人当たりのGDPは第24位まで低下しました。株式時価総額の世界ランキングで、2000年ではトップ30のうち21社が日本の企業でした。現在トップ30に日本の企業はありません。21社がアメリカ。あとは中国と韓国と台湾とサウジアラビアです。世界経済に占める割合、日本はかつては16パーセントだったのだけれど、現在は6パーセントです。日本だけが沈んでいく。そこにコロナが来た。それが君たちが直面している状況です。
そういう前代未聞の状況に日本社会はあります。ですから、君たちがこれからどのような技術や能力を身につけるか、どういう進学先を選ぶか、どういうところに就職するかという時に、これまでなら父さんお母さん、学校の先生に相談して、「こうすればうまくゆく」という過去の成功体験に従っていたらよかったけれど、申し訳ないけれど、学校の先生たち親たちの持っている進学や就職に関する知識はこれからは使いものになりません。
ですから、先生たちは、生徒に進路相談されたら「わからない」と答える方がむしろ誠実だろうと思います。この資格さえあれば一生食えるとか、ここに勤めていれば絶対に安心だというようなことはこの先なかなか断言できなくなります。危険すぎます。正直言って、僕にもわかりません。わからないなら、子どもたちには「好きなことをやりなさい」と言うのがいいんだと思います。激動期なんですから、どういう職業に就けば「一生食うに困らない」のか、予測が立たないんです。だったら、「あまりやりたくないけれど、安全そうだから」というような基準で進路を決めない方がいい。「食えるかどうか分からないけれど、やりたいことだから」という方がいい。それなら、食えなくなっても、誰も恨まずに済みますから。
とはいえ、少しは情報を差し上げないといけないので、知っている限りのことをお話します。アメリカでは、「これからどういう職業がなくなってゆくのか」ということについて科学的なリサーチをよく実施しています。今手元にあるのは、2020年に世界経済フォーラムが実施した「これからの5年間でどのくらい職業構成が変わるか」についての調査報告です。これはまだコロナの感染が広がる前の話で、職業構成の変化の主たる要因はAIです。AIの導入とロボット化で、どれくらいの仕事がなくなるかという話です。雇用の消失について、僕が見た最も楽観的な数字が14%、最も悲観的な数字が52%でした。
業種ごとに2020年から2022年までにどれくらい雇用が失われるのか。一番大きいのは金融部門です。20パーセント。製造業が19パーセント。情報産業が17パーセント。一方で、AIが進んでもそれほど雇用が減らない分野があります。AIやロボットでは代替できない生身の人間にしかできない仕事です。医療・介護、それと教育です。医療と教育は人間社会を構成する根幹部分ですが、この根幹部分は機械では代替できません。もう一つ、AIでは入れ替えが効かないのが行政です。医療、教育、行政。これから社会はどんどん変わりますけれど、この三分野については雇用が大きく減ることはないというのが、アメリカでの統計の結果です。
2012年、コロナのずっと前ですけれど、アメリカ労働統計局という所が調べた、これから雇用が拡大する分野はどこかという調査があります。1位は看護師です。驚くべきことにこの調査では上位30位のうち7つが医療関係でした。
これはアメリカの話ですが、日本は多くの点でアメリカ社会を模倣していますので、日本でも同じようなことになると思います。医療は身体だけを相手にするわけではありません。人間の心も相手にします。医療者は患者の自己治癒能力が最大化するように仕向けることが大事な仕事ですが、患者の心を「治りたい」という強い気持ちに導くというような作業は機械では代行できません。
僕の友人の医療経済学者で、アメリカで25年間働いて最近帰国した方によると、アメリカの地方都市では、その地域の雇用のほとんどを行政と医療と教育が占めているケースがすでにあるそうです。州政府があって、大きな総合病院があって、そして大学がある。行政機関にはたくさんの公務員が雇用されている。病院の周りには医療従事者、職員、患者、医療品や機材を納品する業者とその家族たちがいます。大学には教職員学生がいて、下宿屋があり、書店があり、レストランがあり、カフェがあり、ライブハウスがある。行政、医療、教育という三つの活動を中心にして、かなりの規模の経済活動が営まれ、そこに雇用が発生する。三つとも金儲けのための事業ではないし、環境負荷も少ない。そういうものがこれからの経済活動の軸になり、雇用の軸になるかも知れません。
AI導入によって失われる雇用のうちで、当面最大のものと見込まれているのはドライバーです。自動車が自動運転に切り替わるのは時間の問題です。アメリカではトラックやバスのドライバーが300万人います。この人たちは自動運転に切り替わると、職を失います。馬車から機関車・自動車に切り替わった時でもそうでした。技術革新があるとそれ以前のテクノロジーで食っていた人たちは職を失う。でも、馬車が機関車や自動車に切り替わるまでには、かなりの時間がかかりました。その間に、転職先を探すことができた。馬具屋がカバン屋に商売替えするくらいの時間の余裕がありました。でも、今度の自動運転への切り替えは非常に短い時間で大量の雇用が消える。
これを「AIが導入されると失業するような職に就いていた本人の自己責任であるから、政府は関与しない」というわけにはゆきません。規模が大きすぎますから。この大量の失業者を連邦政府・州政府は生活支援し、再教育し、再雇用の道を保障しなければなりません。そのための議論はすでにずいぶん前から始まっています。アメリカはこのあとの生産年齢人口が増え続ける唯一の先進国です。日本や中国のような人口減リスクと直面する気づかいが当面ありません。そんなアメリカでさえ、テクノロジーの進化に伴う雇用環境の変化について「最悪の事態」を想定して、対応策を考えている。日本政府が人口減に対処するより、はるかに真剣に考えています。
ここは英語探究科で、英語に力を入れた教育をしているそうですね。でも、君たちにとって一番大切なのは受験勉強じゃないんです。情報を取ることです。高校生にとって有益で必要な情報はネット上にいくらでもあります。みなさんは一般の高校生より、英語発信の情報に触れて、それを噛み砕いて説明できるスキルを身につけているはずです。だったら、それを活用してほしい。日本のマスコミで情報を採っているだけでは、日本でも世界でも、何が起きているのか分かりません。ポストコロナの時代に何が起きるのか、まったくわかりません。英語科のみなさんには、ニューヨークタイムスのネット版をぜひ読んでほしいと思います。大した額ではないんです。月額2千円くらいです。高校生にはきついか。(笑)でも、払わなくてもTwitterでリードくらいは読めますから。とりあえず見出しだけでも読んでおけば、いま世界に起きていることがわかります。
君たちがさしあたり直面するのは、受験と雇用です。何を勉強したいのか、決めるのは自分です。大事なのは何をしたいかです。この学術領域に進むと、将来的に安定した職業に就けるというような動機で専門を選ぶべきではありません。それだと自分の持っている潜在能力の100%までしか出せません。100が上限です。でも、人間は潜在能力の150%とか200%とかまで出そうと思えば出せるんです。自分で想像している以上の能力を発揮できる。そのことに寝食忘れて熱中する。面白くてしょうがないという時に、その人の潜在能力が爆発的に発揮されます。
先ほど日本の将来が悲観的であることを言いましたが、それをV字回復させる可能性を持っているのは、君たちです。君たち一人一人が100の期待値を150や200にする。それをしてくれたら、日本の再生は実現できます。
実際には自分の能力の100まで出し切っている人さえそれほど多くはありません。この学校も「いじめ」はあると思いますけれど、それは本当に許しがたいことだと思いますです。君たちの級友たちは、これから社会を共に支えてゆくたいせつなパートナーなんです。その人たちがいずれ発揮できるかもしれない能力を損なってどうするんですか。追い込んで生きる気力をなくしたり、学校に来なくなったりするのは、同世代全体にとっての損失なんです。だって、この仲間だけでやっていくしかないんですから。競争して、勝った者が「総取り」して、負けた者は何ももらえない。そういう新自由主義的な考えのと「いじめ」はなじみがいいんです。競争で勝つことだけが大事であるなら、競争相手である同世代の全員が心に傷を負ったり、生きる意欲を失ってくれている方が競争に勝つチャンスは高まる。だから、競争で勝つことが最優先するという社会は、どんどん集団としての生きる力が衰えてゆく。
でも、君たちがこれから迎える時代はほんとうに厳しい時代になります。お互いに足を引っ張り合う競争なんかしていたら共倒れです。周りを見渡して、隣にいる人がどんな才能を持っているか、どんな資質があるのか、まだ発揮していないどんな力があるのか、それを見出して、どうしたらその才能が開花するのか、それを考える。それが一番大事です。集団として能力を発揮するのです。人間は一人では何もできません。僕たちは価値あるものを創り出すことができるのはさまざまな人たちとコラボレーションすることを通じてです。
だから、同年代の仲間が大事になります。ただの友だちでいるのとは違います。一緒にチームを組んで、共同作業でお互いに手持ちの100を超える能力を発揮する。そういう価値創造的な働き方をこれからはしなければいけない。ですから、隣にいる仲間を見て、さあ、どうやったらこの人が機嫌よく働いて、次々と新しいアイデアを生み出してくれるか、それをどうサポートしたらよいのか、それを君たちの世代はまず考えないといけないんです。
僕らの世代は競争的な環境でした。周りを蹴落として出世することが奨励されていた。なにしろいくらだって若い人はいたわけですし、どんどん経済成長していましたから、勝者が総取りして、敗者には何もやらないというようなワイルドな競争をすることができた。
でも、今は環境が違います。環境が変わった以上、生存戦略も変わります。国民同士を競争させていれば国力が上昇する時期もあるし、そんなことをしたらむしろ国が衰退するという時期もある。今は、同世代の間で相対的な優劣を競って、足を引っ張り合っていたら共倒れするという環境です。だから、頭を切り替えなければならない。競争から共生に頭を切り換えなければならない。
君たちはもっと利己的になっていいんです。どうやって自己利益を最大化するか、それを考えたら、周りの人といっしょに協力して、集団全体としてのパフォーマンスを上げることが必須だと気がつくはずです。
「学級崩壊」という異常な事態が以前にはありましたが、あれは競争的なマインドがもたらしたものです。全員が同学齢集団内部での相対的な優劣を競う競争で自分だけが勝ち残ろうとしたら、学級崩壊するのは必然的なんです。最少の学習努力で競争に勝とうと思うなら、周りの級友たちの学習を妨害するのが最も効率的だからです。だから、立ち歩いたり、話しかけたり、いじめたり、教師の授業を妨げたりして、勉強に集中できないような環境を作り出す。確かに、周りの人たちの学習を妨害すれば、自分の相対的なポジションは少しは上がるかも知れません。でも、集団全体としての学力は下がる。連帯感も失われるし、コラボレートする意欲も損なわれる。
競争をさせると一人一人が活動的になって、その結果集団全体の力が上がるということも実際にはあります。日本でも中国でもアメリカでもそういう時代はありました。でも、そういうことができるのは、社会が豊かで、分かち合う資源が潤沢な場合です。でも、これからはもうそういう時代ではありません。歴史的環境が変わると、生き方も変わる。これからは競争から共生へ、生き方を変えなければならない。これは道徳的な話をしているわけではありません。そうではなくて、そうしないと生き延びられないという非常に生々しい話なんです。
まだ日本は十分に豊かです。温帯モンスーンの肥沃な土地が広がり、水流もきれいですし、動物相も植物相も多様で、空気も澄んでいる。自然環境はたいへん恵まれています。治安もいいし、社会的インフラも充実しているし、教育も医療も質量ともに充実しています。こういう国民資源をこれからたいせつに有効に使って、みんなで新しいアイデアを出し合って、お互いに励まし合ってゆけば、日本の国力をV字回復させることはできない話ではありません。すべて工夫次第です。でも、今までのやり方を続けていたのでは、国力は衰微してゆくだけです。頭を切り換えないといけない。どうしたら自分の潜在能力を開花させることができるか、どうやったら自分のパフォーマンスを最大化できるか。どうやったら自分の頭がもっとよくなるか。それを真剣に考える。「頭がよくなる」というのは、試験の成績が上がるということではありません。自分の頭が活動的になるということです。自分の頭が活動的になるのを妨げているのは、自分自身です。知性がのびのびと活動するのを妨げているのは、自分自身です。その妨害を解除すること。それが「頭がよくなる」ということです。
僕は武道の道場をやっているからよくわかりますが、技を教えても、どうしてもうまく動けない人がいます。それを「運動能力が低い」というふうに言っても意味がないんです。筋肉をつけたり、走り込みをしたりしたからと言って技がうまくなるということはないんです。自分の動きを妨害しているのは自分自身だからです。自分で自分の動きを止めている。技がかからないのは、相手が抵抗しているからではなく、自分で自分の動きを邪魔しているからなんです。相手に勝とうとする競争的な気持ちが身体能力の自由な発現を妨げている。必要なのは、自然に、のびのびと、気分よく動くことなんです。合理的な動き、自分にとって快適な動き、それが正しい動きです。
脳も同じです。どういう脳の使い方をしたら知的なパフォーマンスが上がるか。これには一般的なやり方はありません。一人一人が考えて、工夫するしかありません。でも、これが君たちにとって最優先の課題です。どうしたら自分の頭は良くなるのか。どうすれば自分の知的パフォーマンスは上がるのか。そんなに難しいことじゃありません。簡単なんです。あることをすると知的パフォーマンスは上がり、あることをすると下がる。だから上がることをすればいいんです。怒ったり、悲しんだり、怖がったり、羨んだりしていると、頭は働かなくなる。機嫌よく暮らして、深く呼吸できて、よく寝て、よく食べて、次々と「したいこと」が思い浮かぶのが「頭がよい」時です。周りとは関係ありません。勝敗や優劣とは関係ない。自分自身だけにかかわる問題です。どうすれば、機嫌よくなるか、それは一人一人違います。でも、それを真剣に考えないといけません。
今、君たちを見て気の毒だなと思うのは、自分で進路を決められないということです。お金がかかり過ぎて。僕は1970年に大学に入りました。その年の国立大学の授業料は年間1万2千円でした。月千円です。入学金が4千円でしたから、入学金と半期授業料で1万円で大学生になれました。いまとは貨幣価値がだいぶ違いますが、それでも僕がやっていた学習塾のバイトの時給が600円でした。2時間働くと月謝が払えた。1万円くらいなら、高校生だって持っていました。お年玉を貯めたら、それくらいにはなります。だから、進学するときに、どうしてもやりたいということがあったら、親が反対しても、「自分で学費出すから」と言えた。だから、当時は「不本意入学」というのがほとんどなかったのです。国公立大学に行くなら、好きな進学先を自分で選べた。でも、まさにそのころ、日本の大学の学術的な発信力が最高だったんです。当たり前ですよね。親や周囲の反対を押し切って、「やりたい勉強をしたい」と言って大学に行ったわけですから、成果を出さないと格好がつきません。自分の進学先の選択が正しかったことを証明するためには、毎日にこにこしてうれしそうに通学するのが一番効果的です。そんな様子を見せれば、「そんな学校へ行ってどうすんだ」と文句をつけた人たちを見返すことができる。
それとは逆に、行きたくないのに親に無理やり進学先を決められると、親の選択は間違っていたことを証明したくなる。不機嫌に学校に通い、勉強もろくにせず、大学に四年間通ったけれど、「お金をどぶに捨てたようなものだ」と親に思わせるのが、最も効果的な「復讐」になる。でも、親の判断が間違っていたことを、子どもがわざと不幸になってみせることで証明するというのは、まことにもったいない人生の過ごし方です。
君たちの人生にはそんな暇はありません。誰かに仕返しをする人生なんて、そんな無駄なことをする余裕は君たちにはありません。それよりは、どうやって自分の潜在能力を開花させるか、どうやって自分の頭を活動的に働かせるか、それを真剣に考えないといけないんです。そして、周囲に目をやって、どうやったら隣にいる人がもっと機嫌よくなるか、もっと活動的になるか、もっと創造的になるか、それを考える。そんなに難しいことではありません。一番簡単なことは親切にすることです。「隣の人に親切に」。これが一番大事なことです。簡単ですよね。でも、簡単だけれど、きわめて有効なことなんです。友だちが何かしたいと言ったら「やんなよ」と応援する。不安がっていたら「大丈夫だよ」と肩を叩く。「君には才能があるから」と励ます。それだけで十分に集団的なパフォーマンスは向上します。
だから、考えるとそんなに悪い時代じゃないですよ。励まし合って、協力し合って生きてゆけばいいんですから。悲観することもないし、失望することもない。
これから日本社会がどうなるか、予測はつきません。誰も「正しい生き方」の正解を知りません。だったら、自分が生きたいように生きればいい。他人の真似をするとか、他人に命令されるとか、他人からの査定を気にするとかではなく、自分のやりたいことをする。そして、周りにいる友だちが「やりたいことをする」のを支援をする。そうすることによって君たちの世代全体の能力を高める。それが君たちに与えられた世代的なミッションです。
この辺で話を終わりたいと思います。ご清聴ありがとうございました。
http://blog.tatsuru.com/2022/01/12_1641.html
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