http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1348.html
Tweet |
(回答先: 日本人の起源と江戸時代までの歴史 投稿者 中川隆 日時 2021 年 4 月 24 日 13:31:04)
江戸時代は命の価値が軽かったが刑罰は非常に重かった。
2021年12月01日
人の命も金しだい、で成長した資本主義
江戸時代は命の価値が軽かったが刑罰は非常に重かった。
今は命は重いとされているが、刑罰は非常に軽く、命は金に換算される
現代では命の価値は金に過ぎない
「1人の命は地球よりも重い」と誰かが言いましたが、コロナ流行でそんなのは吹き飛んでしまった。
あのアメリカのニューヨークでは、墓穴が足りずその辺に穴を掘って何千人も埋葬していました。
中国では工場がひとつも稼働していないのに、20年2月ごろは火葬場の煙が衛星写真で見えたそうです。
命の重さは時代や政治体制で変化していて、江戸時代は人の命がとても軽かった。
記録によると江戸だけで年数百人以上の捨て子があり、激怒した将軍が出したのが「生類憐みの令」でした。
犬を大事にするだけが面白く取り上げられるが、捨て子は町内で育てる事をさだめた。
それまで捨て子は物と同じ扱いで、まず拾う人は居ないので多くが亡くなりました。
綱吉以降は捨て子が大人に育つようになり、江戸の人口のかなりが元捨て子だったとも言われています、
江戸時代は江戸だけで大きな刑場が3つあり、3つだけでそれぞれ毎年1000人が処刑されていました。
少なく考えても日本中で毎年1万人は刑に処されていましたが、そのほとんどは男性なので実は男性には恐怖の時代でした。
江戸時代は犯人を突き止めるのではなく、「怪しいやつ10人を処刑して、その中に真犯人が居れば解決」という考え方でした。
例えば今交通事故で相手が死んでも罰金か短期の服役ですが、江戸時代に荷車で人を撥ねると、相手が生存していても極刑でした。
こんな風に昔は厳罰主義で、間違いを許さず少しの事でも厳しい刑罰を科していました。
すべての人が金や損得に換算されている
明治維新てのがあって仇討ちが禁止され、いかなる理由でも報復は許されなくなりました。
戦後は科学技術や民主主義が発達し、安全で平和な方向に社会が変化していった。
同時に刑罰はどんどん甘くなり、今や人を1人あやめただけでは極刑にならず、2人か3人以上が条件のようです。
交通事故でもはっきり言えば「金はらえばオッケー」で、謝罪して金払って遺族が納得すれば解決です。
このように「命をお金に換算する」ことで資本主義が発達し、経済が拡大しました。
たとえばボーイングやエアバスのような航空機会社は、危険であっても利益を生まなければ改修しません。
10年に1度墜落するのが分かっていても、その賠償金は最大限100億円というところでしょう。
すると100億円以上かかるなら、むしろ墜落したほうが得だという計算をします。
自動車も同じで、車や信号や交通ルールは金を払えば解決する前提で作られています。
例えばアクセルとブレーキを踏み間違えたら運転者は極刑、車が暴走したらメーカーの社長は死刑だったら、誰も運転しないし自動車を製造しません。
空飛ぶタイヤのメーカーとかアメリカで暴走したメーカーも、結局「金払えば良いよ」という事になりました。
こんな風に現代社会の人たちは大事にされているようだけれども、全て金に換算されています。
学校のいじめとかも、要は「いじめを放置した方が、根本問題を解決するより安い」ので放置されています。
日本企業や学校が不祥事を起こすたびに「問題はなかった」と白を切ろうとするのも、そうした方が得だからです。
https://www.thutmosev.com/archives/87257016.html
最新投稿・コメント全文リスト コメント投稿はメルマガで即時配信 スレ建て依頼スレ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。