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なぜアフガンばかりが戦火に見舞われる?軍産複合体の思惑
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1052.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 8 月 26 日 07:22:03: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: CIA の犯罪 投稿者 中川隆 日時 2021 年 8 月 23 日 08:33:17)

なぜアフガンばかりが戦火に見舞われる?軍産複合体の思惑


タリバンと中共との関係
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1028.html

傀儡政権とはこういうもの _ アフガニスタン政府軍がタリバンと戦わずに逃げた理由
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/527.html


▲△▽▼


ジェームズ斉藤 報じられない「タリバンによるアフガニスタン制圧の裏と陰謀」シリーズ
https://tocana.jp/tag/%e3%82%bf%e3%83%aa%e3%83%90%e3%83%b3%e3%81%a8911%e3%81%ae%e9%99%b0%e8%ac%80

ジェームズ斉藤の検索結果|TOCANA
https://tocana.jp/?s=%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E6%96%89%E8%97%A4&submit.x=0&submit.y=0

報じられない「タリバンによるアフガニスタン制圧の裏と陰謀」! 麻薬ビジネス、ゴールド、ペド、ディープステート…ジェームズ斉藤が解説!
2021.08.21
https://tocana.jp/2021/08/post_218619_entry.html

【タリバンと陰謀】アフガンの次は日本が米国にポイ捨てされる! 麻薬ビジネス、大麻解禁…もうすぐ残酷すぎる“大粛清”も!ジェームズ斉藤
2021.08.22
https://tocana.jp/2021/08/post_218621_entry.html

日本メディア初「9.11本当の陰謀と真実」公開!この情報を発言した人間は”毒殺”…ジェームズ斉藤【タリバン・アフガン】
2021.08.24
https://tocana.jp/2021/08/post_218816_entry.html

なぜアフガンばかりが戦火に見舞われる?軍産複合体の思惑…どこも書かない真実をジェームズ斉藤が解説!
2021.08.25
https://tocana.jp/2021/08/post_218853_entry.html  

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コメント
1. 中川隆[-16717] koaQ7Jey 2021年8月29日 16:17:11 : 81WT6IEYHk : OTBkZzJUY0I0ckU=[23] 報告
2021.08.29
カブールの国際空港で殺された人の大半はパニックに陥った米軍兵士の銃撃による
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108290000/

 カブールの国際空港に対する「自爆攻撃」が8月26日にあり、170名以上が殺されたと伝えられている。アメリカ兵13名も死亡したと言われているが、空港にいた人びとの話によると、死者の大半はパニックに陥ったアメリカ兵に射殺されたのだという。攻撃したのはダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)の一派で、西側のメディアからはISIS-K(ホラーサーン)と呼ばれている。

 ダーイッシュは「ムジャヒディン」の一種で、その中心はサラフィー主義者(ワッハーブ主義者やタクフィール主義者と渾然一体)やムスリム同胞団。イギリスの外務大臣を1997年5月から2001年6月まで務めた​ロビン・クックが05年7月に指摘​したように、CIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リストが「アル・カイダ」にほかならない。アラビア語でアル・カイダはベースを意味し、データベースの訳語としても使われる。その後、さまざまな国が似たシステムを使うようになる。

 パキスタンのベナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールによると、アメリカは1973年からアフガニスタンの反体制派へ資金援助を開始、反体制派の選定はパキスタンの情報機関ISIのアドバイスに従った。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)

 アメリカにとってパキスタンに民主的な政権が存在することは好ましくない。そこで1977年7月にベナジル・ブットの父親であるズルフィカル・アリ・ブットの政権は軍事クーデターで倒され、ズルフィカルは79年4月に処刑された。実権を握ったのは陸軍参謀長だったムハンマド・ジア・ウル・ハク。アメリカのノースカロライナ州にあるフォート・ブラグで訓練を受けた軍人で、ムスリム同胞団系の団体に所属していた。(Thierry Meyssan, “Before Our Very Eyes,” Pregressivepress, 2019)

 ブット政権が軍事クーデターが倒される半年前、アメリカではジミー・カーターが大統領に就任、国家安全保障補佐官はズビグネフ・ブレジンスキーが務めることになる。

 1978年にアメリカのCIAとイランのSAVAKはエージェントをアフガニスタンに派遣してモハメド・ダウド政権と接触、軍隊内の左派将校を排除し、人民民主党を弾圧するように工作する。(Diego Cordovez and Selig S. Harrison, “Out of Afghanistan”, Oxford University Press, 1995)

 ダウド政権は左翼、あるいはコミュニストのリーダーを次々に暗殺していくが、間もなくして粛清への反撃が始まり、倒される。1978年4月のことだ。そしてモハメド・タラキが革命評議会兼首相に任命される。このタラキ政権は女性のために学校を創設、貧困層でも大学へ進む道を作り、医療を無料にするといった政策を推進していく。(Martin Walker, “The Cold War”, Fourth Estate, 1993)

 そうしたタラキの政策に反発する勢力は学校や大学を焼き討ち、治安は悪化する。そこでタラキは反対勢力の指導者約2万7000名を処刑したと言われているが、国内を安定させることはできなかった。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

 1979年3月にタラキはソ連を訪問、ソ連軍の派遣を要請するが、断られてしまう。その月にイランの革命政府から支援されたアフガニスタンのイスラム勢力がイランとの国境に近いヘラトで多くの政府高官や十数名のソ連人顧問を襲撃して殺害、その際にソ連人顧問の子どもや妻も犠牲になる。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)

 そして、ブットが処刑された1979年4月、ブレジンスキーはアフガニスタンの「未熟な抵抗グループ」への「同情」をNSC(国家安全保障会議)で訴え、CIAはゲリラへの支援プログラムを開始。その年の9月に軍事クーデターでタラキは殺され、ハフィズラ・アミンが実権を握る。アミンは1957年からアメリカのコロンビア大学へ留学、修士号を取得した上、62年にはウィスコンシン大学で学んだ経歴の持ち主だ。

 ソ連軍の機甲部隊がアフガニスタンへ侵攻してきたのは1979年12月のこと。アメリカの軍や情報機関は戦闘員を訓練し、武器/弾薬を供給して支援、戦争はブレジンスキーの思惑通りに泥沼化、ミハイル・ゴルバチョフの命令で1989年2月にソ連軍は撤退した。

 アフガニスタンを手に入れたと判断したCIAはパキスタンの情報機関と手を組み、新体制を動かすために「タリバーン」を組織する。この集団は1996年9月に首都のカブールを制圧、その際にムハンマド・ナジブラー大統領を拘束、大統領兄弟の睾丸を切り取るなど残虐な行為を繰り返した。

 そうしたタリバーンのアメリカにおけるロビイストは当初、リチャード・ヘルムズ元CIA長官の義理の姪にあたるライリ・ヘルムズだった。アメリカの支配層はタリバーンを自分たちの手先だと認識、擁護していた。

 アメリカとタリバーンが対立する切っ掛けは、1998年1月にタリバーンがTAPIパイプラインの敷設計画でパートナーにアメリカのUNOCALでなくアルゼンチンのブリダスを選んだことにある。

 タリバーンに腹を立てていたであろうアメリカ政府にとって好都合なことに、1998年8月、ケニアのナイロビとタンザニアのダル・エス・サラームのアメリカ大使館が爆破された。アメリカ政府は大使館爆破はオサマ・ビン・ラディンの命令だと即座に断定、この月の20日にアフガニスタンとスーダンを巡航ミサイルで攻撃している。

 そして2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃される。その直後、詳しい調査が行われる前にジョージ・W・ブッシュ政権は「アル・カイダ」の犯行だと断定、その象徴的な存在のオサマ・ビン・ラディンを匿っているとしてアフガニスタンを攻撃した。「アル・カイダ」なる武装組織は存在せず、いまだにオサマ・ビン・ラディンが攻撃に関係したことを示す証拠は提示されていない。

 アメリカ主導軍は2003年3月にイラクを先制攻撃、サダム・フセイン体制を破壊した。その翌年にAQI(イラクのアル・カイダ)なる武装集団が組織され、これが中心になり、06年にISI(イラクのイスラム首長国)が編成された。

 イラクに対する侵略戦争が泥沼化、ブッシュ政権はフセインの残党を含むスンニ派の戦闘集団を編成、手先として使い始める。こうした動きは調査ジャーナリストの​シーモア・ハーシュが2007年3月にニューヨーカー誌で書いている​。その記事によると、ブッシュ政権はイスラエルやサウジアラビアと手を組み、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを叩き潰そうと考えたという。

 2011年春にバラク・オバマ政権はリビアやシリアに対する侵略戦争を始めるが、それはアメリカ軍やNATO軍によるものでなく、アル・カイダ系武装集団を利用した。これは本ブログでも繰り返し書いたことである。

 リビアのムアンマル・アル・カダフィ体制が2011年10月に倒されるとアメリカは戦闘員や武器/兵器をシリアへ移動させるが、その時点でNATO/アメリカがアル・カイダ系武装集団と連携していることが明確になった。

 そこでオバマ大統領は「穏健派」を支援しているのだと強弁するのだが、それをアメリカ軍の情報機関DIAは2012年8月の段階で否定する。​ホワイトハウスへ提出した報告書​の中で、シリアで政府軍と戦っている主力をサラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘、戦闘集団としてアル・カイダ系のアル・ヌスラ(AQIと実態は同じだと指摘されていた)の名前を挙げた。つまりオバマ政権は「アル・カイダ」系武装集団を支援しているとオバマ大統領に報告している。その当時のDIA局長がマイケル・フリン中将だ。

 さらに、オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるともDIAは警告していたのだが、オバマ政権は支援を継続、2014年にダーイッシュという形で警告が現実になる。その年の8月、フリン中将は退役させられた。

 ダーイッシュは残虐性をアピール、アメリカは残虐な「テロリスト」を攻撃するという流れができはじめる。2015年2月に国防長官をチャック・ヘイゲルからアシュトン・カーターへ、9月に統合参謀本部議長をマーティン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代させたのだが、いずれも戦争に慎重な人物から好戦的な人物への交代だ。

 デンプシーが交代させられた直後の9月30日、ロシア軍はシリア政府の要請に基づいて軍事介入してダーイッシュやアル・カイダ系武装集団は敗走、占領地は急速に縮小した。アメリカ軍/NATO軍がシリアに対する戦争を始めるタイミングを逸した。しかもシリアでロシア軍は戦闘能力の高さを全世界に知らしめた。

 そのシリアからムジャヒディンの幹部をCIAやアメリカ軍は救出、その一部はアフガニスタンへ運ばれている。そこにはアメリカ軍の特殊部隊やCIAの工作員、そして1万6000名以上の「民間契約者」も残ると言われている。「民間契約者」の一部は傭兵だ。

 タリバーン政権はロシア、中国、イランなどと連携、アメリカを巻き込んで地域を安定化させようとしていたが、アメリカは中国の「一帯一路」を破壊し、ロシアを揺さぶるためにアフガニスタン周辺を戦乱で混乱させようとしている。その準備を進めていた。その準備が整う前にタリバーンはカブールを制圧、アメリカのシナリオは狂ったが、諦めることはないだろう。

 植民地化できなければ「石器時代」にする。これがアメリカ支配層の常套手段だ。それに対し、ロシア、中国、イランがどのように対抗するかが注目されている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202108290000/

2. 中川隆[-16642] koaQ7Jey 2021年9月02日 09:04:06 : 3lgZtywAYU : ak1WYnZ3TXhvUEk=[13] 報告
2021.09.01
カブールの空港が攻撃される1日前、国防総省はISIS-Kの攻撃が近いと知っていた
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109010001/

 タリバーンが8月15日にカブールを制圧してからアメリカ/NATO軍がアフガニスタンでコントロールできた場所はハミド・カルザイ国際空港だけだった。その空港に対する「自爆攻撃」が8月26日17時50分にあり、180名以上が死亡したと言われている。空港にいた人びとの話によると、死者の大半はパニックに陥ったアメリカ兵に射殺されたという。

 その直前、​アメリカ軍はCIAが拠点にしていた「イーグル基地」を破壊​したと伝えられている。​CIAはタリバーンがカブールを包囲するまでに30日から90日を要すると見通していた​のだが、装置や書類などを持ち出す余裕がなく、残された基地がタリバーンに使われることを嫌ったのかもしれない。

 また、空港のゲートが開かれたままだったことが攻撃を容易にしたと言われている。アメリカはその責任をイギリスになすりつけたが、アメリカでの報道によると、​アメリカ国防総省は攻撃の25時間前に「ISIS-K(ホラーサーン)」の攻撃が迫っていることを知っていた​。タリバーンからも警告があったと言われている。

 25日16時30分(ワシントン時間で午前8時)に開かれた会議でロイド・オースチン国防長官は世界各地にいるアメリカ軍の幹部に対し、大くの人が犠牲になる「出来事」が迫っているので準備するように指示、またマーク・ミリー統合参謀本部議長はISIS-Kが攻撃を計画しているとする「重大な情報」があると語っている。

 しかし、アメリカ軍がコントロールしていたカブールの空港ではゲートが開かれたままで、兵士の反応から類推すると、現地のアメリカ軍部隊は情報を知らされていなかったように思える。ISIS-Kの攻撃で多くの犠牲者がでることを望んでいる人物、あるいはグループが存在していたのかもしれない。空港への攻撃があった直後、ジョー・大統領は「報復」を宣言、実際にドローン(無人機)による攻撃があり、住民が殺されている。

 本ブログでも繰り返し書いてきたが、アフガニスタンからアメリカ軍が撤退しても、​CIAのエージェントやアメリカ軍の特殊部隊員は残り、傭兵を含む1万6000名以上の「民間契約者」も留まる​。

 それだけでなく、アメリカ空軍はカタールのアル・ウデイド基地やアラブ首長国連邦のアル・ダフラ基地、あるいはクウェートのアリ・アル・サレム基地とアーマド・アルジャベル基地に戦闘機、偵察機、爆撃機などを集め、アフガニスタンも空爆できる態勢を整えている。

 バイデン大統領は​中央アジアにドローンの拠点ネットワーク​を張り巡らせる計画を立て、アメリカ軍をそこへ常駐させるという計画を6月16日にジュネーブでウラジミル・プーチン露大統領に持ちかけたが、一蹴された。

 常識的に考えて、アメリカ軍の駐留はその周辺を戦乱に巻き込む布石だ。チェチェンでのロシアに対する作戦、2008年8月のジョージア(グルジア)軍による南オセチアへの奇襲攻撃、14年2月のネオ・ナチのウクライナでのクーデター、いずれも背後にアメリカやイスラエルが黒幕として存在していた。

 2013年夏頃、アメリカ軍がウクライナ東部にあるハルキーフやメレファで危険な病原体を研究する施設を建設しようとしていると問題になったことがある。その段階でウクライナには似た9つの施設が存在していた。またロシアとの国境近くに細菌兵器の研究施設をアメリカは建設してきたとロシア軍の放射能・化学・生物防御部隊を率いるイゴール・キリロフ少将は主張している。

 そうした研究施設が作られた国として名前が挙がっているのはウクライナのほか、アゼルバイジャン、アルメニア、カザフスタン、キルギスタン、モルドバ、タジキスタン、ウズベキスタン、ジョージアなど。アフガニスタン、パキスタン、台湾、フィリピン、韓国、そして日本にもアメリカ国防総省の影響下にある細菌に関する研究施設が存在していると言われている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109010001/

3. 2021年9月02日 14:26:24 : 3lgZtywAYU : ak1WYnZ3TXhvUEk=[16] 報告
『武器ではなく命の水をおくりたい 中村哲医師の生き方』 著・宮田律
書評・テレビ評2021年9月2日
https://www.chosyu-journal.jp/review/21685


https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%A6%E5%99%A8%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%8F%E5%91%BD%E3%81%AE%E6%B0%B4%E3%82%92%E3%81%8A%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84-%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%93%B2%E5%8C%BB%E5%B8%AB%E3%81%AE%E7%94%9F%E3%81%8D%E6%96%B9-%E5%AE%AE%E7%94%B0-%E5%BE%8B/dp/4582838650/ref=sr_1_2?adgrpid=115515408923&dchild=1&hvadid=492635490176&hvdev=c&hvqmt=b&hvtargid=kwd-859235965102&hydadcr=16034_11399741&jp-ad-ap=0&keywords=%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%8C%BB%E5%B8%AB&qid=1630560356&sr=8-2


 ベトナム戦争末期のサイゴン陥落を想起させるような米軍の撤退で、20年続いたアメリカのアフガニスタン戦争は終わりを告げた。しかしアメリカの戦争によって10万人以上の一般市民が犠牲になったといわれ、すでに40年以上も戦争が続いているアフガニスタンの復興には大きな困難がともなうことは想像に難くない。さらにアフガンは22の民族が生活する多民族国家だが、タリバン(パシュトゥン人)政権を打倒したアメリカはタジク人を重用し、タジク人、ウズベク人、ハザラ人からなる北部同盟の戦闘を支援したため、この分断支配も深い爪痕を残している。

 本書は米軍撤退前の今年4月に出版された。幾度もアフガン現地を訪れ、2019年に亡くなった中村哲医師と親交のあった著者(現代イスラム研究センター理事長)が、小学校高学年以上を対象に、中村医師の生き方を伝えようとするものだ。

 中村医師は、食料不足のうえに不衛生な水を飲み、赤痢などの感染症にかかってアフガン人が次々と死んでいることを見るに見かね、井戸を掘り用水路を敷設して命の水を送った。そこには一般市民のうえに爆弾の雨を降らせるのとは対極の生き方がある。

人々が農業で自立する為に

 人口3500万人のアフガニスタンは、国民の九割が農業に従事する農業国だ。アメリカの対テロ戦争が始まる直前には同国を大干ばつが襲い、100万人が餓死寸前にあるといわれていた。

 アメリカがタリバンを攻撃する可能性が高まっていた2001年9月末、首都カブールには干ばつのために農業ができなくなった人が大勢移住してきていた。中村医師とペシャワール会は食料緊急支援のための寄付を募り、日本国内で六億円が集まった。米軍の空爆のさなか、アフガン人職員の勇気ある奮闘で、15万人が冬をこせるだけの食べ物を得たという。

 そして、アフガニスタンを安定させるのに何より必要なのは食料と水だとし、そのために農業生産をあげることを中村医師は提唱した。このとき始めたのが、砂漠を緑化して農地に変えるという事業だった。

 干ばつに襲われているとはいえ、標高7000b級の積雪の多い山々があるかぎり、河川の水が枯れることはないはずだ。2003年に用水路の建設に着手し、2010年にはクナール川からガンベリ砂漠に至る25`bの用水路を完成させた。この用水路によって稲、麦、野菜、果物が収穫され、魚が用水路を泳ぐようになった。

 このクナール川から水をとり入れる取水口は福岡県の筑後川中流にある山田堰の土木工法を応用したものだったこと、用水路の堤防を築く護岸工事には蛇籠という日本の伝統的方法をとり入れたことはよく知られている。注目すべきは、この土木工事にアフガニスタンの多くの人たち――政府軍の元兵士やタリバンの元兵士たちが銃を捨てて、また戦争を逃れて難民になった人たちも――が雇用されたことだ。同国では失業率が40%をこえ、元兵士たちは職がなければ戦争に戻ってしまう。そして用水路は、彼らが農業によって自立した生活が送れるよう支援するものになっていった。

 先進国の復興支援といえば、ゼネコンや大企業が乗り込んで収奪し、その国の自立ではなく従属に追いやるのが常套手段だ。ところが中村医師がやったことは、現地の農民たちがみずからの手で水の管理や農地の拡大、農業技術の向上をはかることを手助けする(そのためにトレーニングセンターや学校もつくった)ことであり、それを今後幾世代にわたって現地で生き続ける力にすることだった。それによって、難民がどうすればふるさとの日常をとり戻すことができるかを示したといえる。

 本書から、「アフガニスタンの伝統を尊重しながら、現地の人に溶け込んで支援をしていく」「実際に人々の間で生活し、彼らの感情を知り、苦楽をともにし、彼らの文化や伝統に敬意を持つこと」という中村医師の姿勢に学ぶことができる。

 また彼は、アメリカの「遅れた宗教や文化を“民主主義”で是正してやるという思い上がり」を厳しく批判していた。タリバンの政府になろうがなるまいが、それはアフガニスタンの人々自身が決めることなのだ。

日本の青少年と共に考える
   

 著者は、アフガニスタンの人々が、広島、長崎の原爆投下に強い同情を示し、そこから復興した日本に尊敬の念を抱いているという。それは、イスラム教徒が互いに兄弟や家族のような同胞意識が強いことに加え、イギリスやロシア(ソ連)、アメリカの軍事侵攻とたたかってきた彼ら自身の歴史的経験からくるものに違いない。したがって日本がアメリカに従って軍隊を派遣すれば、長年の信頼関係は崩壊することになる。

 また、アメリカでは戦争を欲する軍産複合体が政治や経済で大きな力を持ち、国家予算の5割以上が注がれる軍事費を食い物にしている構図がある。だがそのために医療や福祉は切り捨てられ、コロナ感染者も死者も世界第1位であり、それも黒人やヒスパニックなどの貧困層に集中している。

 戦争や空爆によって平和を実現することはできない。それは人々の憎しみを駆り立て、侵略者の没落を早めるだけだ。本書は青少年に、平和のためになにができるかを考えるうえで重要な問題を提起している。

(平凡社発行、四六判・174ページ、1400円+税)

https://www.chosyu-journal.jp/review/21685

4. 2021年9月04日 16:07:11 : lfMPkM3TSo : bnlyNS4uQTdRaWc=[22] 報告
タリバンは米英の喰い物ですか?「9.11本当の陰謀」はコロナ問題にも関わっていた…ジェームズ斉藤
2021.09.04
https://tocana.jp/2021/09/post_219727_entry.html


【連載:某国諜報機関関係者で一切の情報が国家機密扱いのジェームズ斉藤(@JamesSaito33)が斬る! 国際ニュース裏情報】9月〜10月に、911当時チェイニー副大統領の補佐官を務めた軍人とジェームズ斉藤のセミナーを開催予定(詳しくはこちら)。


ジェームズ 9.11の深層第2弾です。前回は9.11の黒幕が××(前回記事参照)で、彼らがパキスタン、イラン、サウジアラビア、イスラエル等中東諸国と組み、アルカイダに9.11をやらせたという話をしました。

 今回は陰謀論でもあまり触れられていないビン・ラディンとザワヒリ自身が9.11の工作の詳細を知らなかったという話をしましょう。

──ちょっと待ってください。ビン・ラディンとザワヒリってアルカイダの旧No.1と現No.1じゃないですか。それが9.11で蚊帳の外だったということですか!?

ジェームズ そうです。ビデオで彼らはそう告白しているのです。つまり、ハイジャック犯のハンドラーはアルカイダではなく、別にいるわけです。それが前回記事で紹介した××企業の××社であり、今回のテーマとなるパキスタンISI(パキスタンで最大の情報機関(諜報機関)の名称)になります。

──パキスタンISIはパキスタンの諜報組織ですよね? それが9.11の黒幕になるほど大きな影響力を持っているんですか?

ジェームズ ISIなくして9.11は語れないほど大きな影響力を持っています。そもそもソ連アフガン戦でCIAが協力を求めた相手がパキスタンISIでした。これをきっかけとしてCIAが麻薬ビジネスとイスラム過激派への関与から抜け出せなくなっていきます。

 アメリカの元国家安全保障顧問ズビグニュー・ブレジンスキーもフランスの雑誌にこう語っています。アメリカがアフガンに関わるようになったのは1979年7月3日だと。その日はカーター大統領が、カブールの親ソビエト政権の反対派に対する秘密の資金援助に署名した日で、「それがソ連のアフガン侵攻を引き起こした」と言っています。

──結局、ソ連・アフガン戦のきっかけはアメリカだったんですか!?

ジェームズ そうです。そしてソ連のアフガン侵攻はCIAがアフガンの麻薬と出会うきっかけであり、アフガンの麻薬をアメリカ人が知るきっかけでもありました。

 実は、1979年以前、パキスタンとアフガンは欧米にヘロインを輸出していなかったんです。ところが、1981年になると、パキスタン軍のトラックがCIAの武器を積んでアフガンに行き、帰りはヘロインを満載して帰ってくるようになったんです。つまり、麻薬の密輸をパキスタン軍がしていたわけで、これを指示したのがISIです。

──ISIが麻薬の運び屋の元締めをやっていたんですね。

ジェームズ アフガンの麻薬をインド洋まで陸路輸送したのがパキスタンISIです。もちろんCIAから通行料を取っていました。これを海路で中南米に送り、そこから不法移民を使ってアメリカに運び込んだのがCIAです。

 また、この時期、ISIはCIA長官のウィリアム・ケーシーと、サウジアラビアの情報機関GIP長官のトゥルキ・ビン・ファイサル王子と共同してアフガン人の過激派を養成するようになります。彼らによって集められたアフガン人過激派がムジャヒディンで、ムジャヒディンの戦士たちは全員パキスタンに集められ、CIAとMI6の指導するキャンプで軍事訓練を受けました。イギリス特殊部隊のSASからは爆弾作りなどゲリラ戦の技術も教えてもらっています。

──イギリスも関わっているんですか?

ジェームズ 当然です。もともとアフガンのアヘンを利用したのは大英帝国が最初で、アヘン戦争のアヘンはアフガン製ですので。しかも、CIAに麻薬ビジネスを紹介したのはMI6です。CIAはMI6経由でISIと接触しています。

──ISIの後ろにイギリスもついているんですね。

ジェームズ 裏では繋がっています。実際、先日のCIA長官のアフガン入りの後を追うように、MI6高官もカブール入りし、タリバンと面会しています。米英の諜報機関がタリバンと会談した理由は、今後のアフガン発の麻薬ビジネスについてだったと関係者から聞いています。

──タリバンは米英の喰い物ですか?と思ってしまうぐらいですね。

ジェームズ なにしろ、CIA、GIP、MI6、SASのバックアップを受けて、パキスタン国内でムジャヒディンは誕生しましたので。その数は、1986年から1992年にかけて延べ10万人以上と言われています。言うまでもありませんが、彼らがのちのアルカイダであり、タリバンであり、一部はISにも流れています。

──そうなると結局、欧米が悪くないですか? 特にイギリスは。なにしろ、パキスタンがインドから独立するように仕向けたのはイギリスですよね?

ジェームズ そうです。そもそもアフガンの麻薬ビジネスを始めたのも19世紀の大英帝国です。しかも、ISIの創設者で初代長官はロバート・カーソーン将軍という、生粋の白人イギリス人です。

──えっ、イギリス人なんですか!?

ジェームズ そうです。ここに英国の天才的な謀略性があります。独立させた国の諜報機関を最初から乗っ取っているわけですから。なので、大枠で見れば、やはり超大国の諜報機関が大きなアジェンダを設定しています。ISIのイスラム過激派支援も、大英帝国のスーパー諜報員であった「アラビアのローレンス」の対アラブ工作の模倣です。しかし、今言った経緯によってISIはおそらく世界トップクラスのイスラム過激派ネットワークを持っています。パキスタンISIの最大の特徴は、アフガンのイスラム過激派を訓練し、そしてアフガン本国に返していたことです。タリバンを作ったオマル師もパキスタンISIの訓練を受けていますし、ビン・ラディンもISIの保護下で2011年まで暮らしています。現アルカイダの指導者のザワヒリもパキスタンISIの庇護下で暮らしています。まあ、死亡説もありますが。

──イスラム過激派を養成していたのがISIなので大きな影響力があるんですね。

ジェームズ 実際、26日のカブール空港爆破事件はIS-K(イスラム国ホラサン州)が実行犯だと言われていますが、IS-Kはパキスタンの組織です。あまり報道されていませんが、このテロ事件にはハッカーニ・ネットワークという組織も関わっていて、これはタリバンの別動隊のようなものですが、やはりパキスタンISIの傘下にあります。ハッカーニ・ネットワークはタリバンと対立するISとも協調関係にありますから、パキスタンISIはタリバン、アルカイダ、ISに関与しているただ一つの組織と言っていいかもしれません。

──結局、ムジャヒディンを養成していたことですべてのイスラム過激派の母体みたいになっているんですね。ところで、パキスタンがそこまでイスラム過激派にテコ入れするメリットはどこにあるんですか?

ジェームズ パキスタンの最大の脅威はインドです。インドはアフガンを「インド化」し、そこからパキスタン侵攻の拠点を作ることを狙っています。パキスタンはこれを阻止しようとイスラム過激派を支援しているわけです。映画『ホテル・ムンバイ』でも有名な、2008年11月のムンバイ同時多発テロもパキスタンISIの工作です。


──そのテロ事件は一応、イスラム過激派が犯行声明を出していますが。

ジェームズ いえ、実際はISIです。ISIは反印感情からずっとイスラム過激派を支援してきました。そもそもイスラム過激派は諜報機関の支援なしに存続できません。イスラム教を徹底すると「反資本主義」の論理に陥り、必ずジリ貧状態になります。そこでアングラ経済が必要になり、裏社会を牛耳っている諜報機関に頼らざるを得ない状況になります。

──でも、CIAって敵じゃないんですか? 

ジェームズ いえ、そこは「アッラーの御慈悲」によって許されるのです。むしろ、資金を調達するために資本主義化して毎日の礼拝を欠くようになってしまう方がアッラーに背く行為です。一方、諜報機関からすれば、イスラム過激派はどんな汚い工作でも必ず捨て身で行ってくれる最も使い勝手のいい勢力です。したがって、ISIは今回もタリバン政権樹立に協力しています。先日もISIのトップであるファイズ・ハミード長官本人がアフガン入りし、タリバン幹部と一緒に礼拝をしていました。ISIが狡猾なのはタリバンがパキスタンに牙を剥かないよう、反タリバンのハッカーニ・ネットワークやIS-Kも支援していることです。

──ISIのことがだいたいわかりました。結局、9.11はISIが大きな絵を描いてアルカイダにやらせたということですか?

ジェームズ テロの実行面に関してはそうなるでしょう。9.11の作戦計画はパキスタンISI傘下でアルカイダ幹部のハリド・シェイク・モハメドが行い、実行しました。パキスタンISIが関与している証拠は9.11の直前にアルカイダのモハメド・アタに数千万円を送金していることです。アタは9.11で旅客機をハイジャックしたグループのリーダーです。つまり、9.11はISIがイスラム過激派を使ってやらせたものです。また、ビン・ラディンやザワヒリが9.11の詳細を知らなかったのは個々のテロリストの動きを完全に把握できていなかったためです。

──聞けば聞くほどISIは9.11実行犯の黒幕ですね。しかし、わからないのはなぜ、ISIがアメリカを攻撃しなければならなかったか?なんです。

ジェームズ それは9.11がただのテロ事件ではないからです。例えば、9.11当日、アメリカン航空株が空売りされています。これはサウジ王室が関わっていると言われています。サウジの諜報機関GIPはさきほども言ったように、CIA、ISIとともにムジャヒディンを養成したイスラム過激派支援組織の一つです。

 このように9.11には様々な勢力が断片的な情報をもとに陰謀を張り巡らしていました。その中で一番抽象度が高いレベルで戦略の方向性を牛耳った勢力だけが望んだ結果を勝ち取ることができるのです。そうなると前回解説したロシアと米国政府の一部の勢力には敵いません。次回はこの米国政府の一部の勢力について解説しましょう。

 いずれにせよ、9.11関連の勢力はすべて暴かないといけないと思っています。なにしろもう20年も経っているのですから秘密も時効ではないでしょうか? それにいま暴く必然性もあります。コロナ危機も9.11と同じ構図なので、コロナ下のいまを理解するためには必要不可欠な情報だと思います。

文=ジェームズ斉藤

5. 中川隆[-16592] koaQ7Jey 2021年9月05日 06:43:59 : FDWt7ypm4M : MW5mNThYUFZaaXc=[2] 報告
2021.09.05
アフガニスタンで女性の権利を踏みにじったアメリカ
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109050000/


 アメリカの私的権力やその配下の人びとは侵略、略奪、殺戮などを正当化するため、「女性の権利」を口実として使うことがある。アフガニスタンでも「女性の権利」を守るために国を破壊し、女性を含む人びとを殺害してきた。

 アフガニスタンの首都カブールを8月15日にタリバーンが制圧した。その直前、アメリカを後ろ盾とするアシュラフ・ガニー大統領は国外へ脱出、アラブ首長国連邦へ逃げ込んだと伝えられている。

 ガニーは奨学生としてアメリカのコロンビア大学へ留学、1977年には修士号を、また83年には博士号をそれぞれ取得した。その年からカリフォルニア大学バークレー校で教鞭を執るが、1983年から91年までの期間、ジョンズ・ホプキンス大学でも教えている。1991年には世界銀行へ入った。アフガニスタンへ戻るのは2001年12月のこと。2014年9月から21年8月まで大統領を務めた。

 ガニーが大統領を務めるアフガニスタン政府はアメリカの支援を受けているものの、支配できていたのはカブールの周辺やケシの栽培地など限られていた。言うまでもなくケシはヘロインの原料であり、ヘロインを含む麻薬はCIAの重要な資金源である。

 今ではアメリカと敵対関係にあるタリバーンだが、もともとはCIAとパキスタンの情報機関ISIが組織した武装集団。ミハイル・ゴルバチョフの命令でソ連軍が1989年2月にアフガニスタンから撤退した後、新体制を運営する手先として作り上げたのだ。

 タリバーンは1996年9月にカブールを制圧、その際にムハンマド・ナジブラー大統領を拘束、大統領兄弟の睾丸を切り取るなど残虐な行為を繰り返した。そこでイスラム世界における評判は良くなかったのだが、アメリカの私的権力は好意的だった。例えば、CFR(外交問題評議会)のバーネット・ルビンはタリバーンと「イスラム過激派」との関係を否定、国防総省と関係の深いRAND研究所のザルマイ・ハリルザドも同じ見解を表明する。また、タリバーンのアメリカにおけるロビイストはリチャード・ヘルムズ元CIA長官の義理の姪にあたるライリ・ヘルムズだ。

 こうした関係が壊れる切っ掛けは石油の利権。アメリカの石油企業はタリバーンを使って中央アジアの油田を開発しよう考え、その意向を受けてジョージ・H・W・ブッシュ政権はバクー(B)、トビリシ(T)、ジェイハン(C)を結ぶBTCパイプラインを計画した。その発案者は巨大石油企業のBPである。

 しかし、BTCパイプライン計画にはライバルがすでに存在していた。チェチェンのグロズヌイを経由するパイプラインだ。アメリカがチェチェンを戦乱で破壊した理由のひとつはここにあると見られている。

 このチェチェン工作を指揮することになったCIAのグラハム・フラーはアフガニスタンでズビグネフ・ブレジンスキーの下、ジハード傭兵の仕組みを作り上げた人物。その下にはベトナム戦争でCIAの秘密工作に深く関与、イラン・コントラ事件で名前が出てきたリチャード・シコードがいた。

 シコードがアゼルバイジャンで活動の拠点として設立したのがメガ石油。またジハード傭兵数百名をアフガニスタンからアゼルバイジャンへ移動させるために航空会社を設立、1993年までにメガ石油は約2000名の戦闘員を雇い、カフカスでの工作に使ったという。(F. William Engdahl, “Manifest Destiny,” mine.Books, 2018)

 しかし、タリバーンは1998年1月にトルクメニスタン(T)からアフガニスタン(A)とパキスタン(P)を経由してインド(I)に至るTAPIパイプラインの敷設を計画、アメリカ系のUNOCALではなくアルゼンチンのブリダスを選ぶ。

 タリバーンを攻撃したいアメリカにとって好都合なことに、1998年8月にケニアのナイロビとタンザニアのダル・エス・サラームにあるアメリカ大使館が爆破された。アメリカ政府は大使館爆破はオサマ・ビン・ラディンの命令だと即座に断定、タリバーン政権とのパイプラインに関する交渉を停止、この月の20日にアフガニスタンとスーダンを巡航ミサイルで攻撃している。またニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されるの2カ月前、つまり2001年7月にジョージ・W・ブッシュ政権内でアフガニスタンへの軍事侵攻が計画されたと報道されている。

 世界貿易センターやペンタゴンへの攻撃は「9/11」とも呼ばれている。ブッシュ・ジュニア政権は詳しい調査をせずに「アル・カイダ」が実行したと断定、その「アル・カイダ」を指揮しているオサマ・ビン・ラディンを匿っているという口実でアフガニスタンへの攻撃を始めた。タリバーンはオサマ・ビン・ラディンが攻撃を命令した証拠があれば引き渡すとアメリカ政府に伝えたが、いまだに証拠は示されていない。タリバーンは今でもオサマ・ビン・ラディンと9/11を結びつける証拠をアメリカから示されていないとしている。

 そもそも「アル・カイダ」なる組織は存在しなかった。イギリスの外務大臣を1997年5月から2001年6月まで務めたロビン・クックが2005年7月に明かしたように、​「アル・カイダ」はCIAの訓練を受けた「ムジャヒディン」の登録リスト​だ。アラビア語でアル・カイダはベースを意味、データベースの訳語としても使われる。

 タリバーンが1996年にアフガニスタンを制圧する前、この国では女性の権利も男性と同じように認められていた。1978年4月に革命評議会兼首相となったモハメド・タラキは女性のために学校を創設し、貧困層でも大学へ進む道を整備、医療を無料にするといった政策を推進している。(Martin Walker, “The Cold War”, Fourth Estate, 1993)

 女性の権利を認めるタラキ政権をアメリカの私的権力は認めない。アフガニスタンにもそうしたタラキの政策に反発する勢力は存在、学校や大学を焼き討ちし、治安は悪化する。そこでタラキは反対勢力の指導者約2万7000名を処刑したと言われているが、国内を安定させることはできなかった。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

 1979年3月にタラキはソ連を訪問、ソ連軍の派遣を要請するが、断られてしまう。その月にイランの革命政府から支援されたアフガニスタンのイスラム勢力がイランとの国境に近いヘラトで多くの政府高官や十数名のソ連人顧問を襲撃して殺害、その際にソ連人顧問の子どもや妻も犠牲になる。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)

 アフガニスタンを不安定化させる工作を進めていたブレジンスキーはソ連軍をアフガニスタンへ引きずり込み、自分たちが用意した「ムジャヒディン」と戦わせて疲弊させようとしていた。ソ連はそうしたアメリカの目論見を察知していたのかもしれない。

 ジミー・カーター政権で国家安全保障補佐官を務めていたブレジンスキーが務めることになる。1978年にアメリカとイランの情報機関、つまりCIAとSAVAKはエージェントをアフガニスタンに派遣、モハメド・ダウド政権と接触させている。軍隊内の左派将校を排除し、人民民主党を弾圧するように指示したのだ。(Diego Cordovez and Selig S. Harrison, “Out of Afghanistan”, Oxford University Press, 1995)

 その指示に従ってダウド政権は左翼、あるいはコミュニストのリーダーを次々に暗殺していくが、間もなくして粛清への反撃が始まる。そして1978年4月に倒され、女性や社会的な弱者の権利を認めるタラキの政権が誕生したわけだ。そのタラキ政権をアメリカは潰し、ソ連軍をアフガニスタンへ引き込むことに成功した。

 アメリカの私的権力はメディアなどを使い、女性や性的マイノリティの権利、人種差別反対、気候変動などについて宣伝しているが、その一方で侵略戦争を続け、労働者から権利を奪ってきた。国の主権も奪おうとしている。彼らが掲げる「タグ」に中身はない。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109050000/

6. 中川隆[-16589] koaQ7Jey 2021年9月05日 06:54:27 : FDWt7ypm4M : MW5mNThYUFZaaXc=[5] 報告
欧米植民地支配は中東イスラム世界で必ず失敗する――米軍のアフガン撤退が教えること 現代イスラム研究センター理事長・宮田律
2021年9月4日
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/21727


 アフガニスタンでは、米バイデン政府が米軍撤退を表明するなか、8月16日にタリバンが首都カブールを制圧して勝利宣言をおこない、ガニ大統領や側近は海外に逃亡してかいらい政権が崩壊した。現代イスラム研究センター理事長の宮田律氏は自身のフェイスブックで、アフガニスタンで今、なにが起こっているかを連日発信している。本紙は宮田氏の了解を得て、八月14日から31日までのコメントを抜粋して紹介する。宮田氏は「日本のメディアはアフガニスタンの人々がタリバンの人権侵害を恐れて国外に退避しているかのように報道しているが、国外に出ている人はそういう人ばかりではない。タリバンがあっという間に政権をとったのは国内の支持があったからだ。タリバン政権と米バイデン政権との間では今後について一定の合意ができていると思われ、タリバンは旧政権からも参加させて国民和解政府をつくることを打ち出した。アフガニスタンの人々は人道的支援を求めており、日本政府は支援を継続すべきだということを訴えたい」とのべている。

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米軍撤退を祝うカンダハル市民

■サイゴン陥落を想起させる撤退劇 (8月14日)

 米国政府は、大使館員の退避のために3000人程度の米軍部隊を派遣することを明らかにした。思い出すのはベトナム戦争末期、サイゴン陥落の直前、1975年4月29日から30日にかけておこなわれた米大使館員たちの救出ミッションで、この際はアメリカのベトナム政策の挫折を世界に印象づけた。

 米軍は、対タリバン戦争でタジク人、ウズベク人、ハザラ人から成る「北部同盟」の陸上での戦闘を主に空爆によって支援した。危険な陸上での戦闘を避けて米軍兵士の犠牲を出さずにたたかうには、北部同盟は都合のよい勢力だった。

 アフガニスタンは「民族の博物館」とも形容されるほど、多様な民族によって構成されるが、ペルシア系のタジク人たちは、スーフィズム(イスラム神秘主義)を信仰し、穏健な傾向からタリバンのような厳格なイスラム解釈を受け入れることはない。また、ウズベク人はトルコ系の民族で、その名の通り旧ソ連から独立したウズベキスタンを構成する民族でもあり、世俗的傾向が強く、やはりタリバンのような厳格なイスラム主義を嫌っている。さらに、タリバンは、シーア派を信仰するモンゴル系のハザラ人を極度に嫌い、ハザラ人に対する暴力で評判が悪かった。

 タリバンは民族的にはパシュトゥン人によって構成される組織だが、そのこともあって米国は新体制ではタジク人を重用した。タジク人は親インド的傾向を持っていた。これはインドと敵対するパキスタンの介入を招き、パキスタンが現在、タリバンを支援していることは明らかだ。これは、イラク戦争後、シーア派を中心に政府・軍隊を構成し、それに反発するスンニ派から過激派組織ISが誕生したのと同様の構図だ。


米軍輸送機に乗って国外に退避する人々(8月15日)

 米国は新政府の腐敗にも目をつぶった。カブール銀行は海外からの支援を原資としながら、カルザイ大統領らの腐敗の温床となっていた。これほど腐敗した政府に忠誠を誓う軍隊や兵士を望むことは不可能で、また政府同様に軍隊も腐敗しきっていて、軍高官たちは兵士の数を実際よりも多く申告し、実際には存在しない兵士たちの給与を着服していた。

 政府の腐敗、軍の士気の低さも、崩壊した南ベトナム政府を想起させるが、米国はアフガニスタンでも同様に腐敗した政府と手を組み、ISの活動がアフガニスタン北部で見られるなどテロとの戦争という当初の目的も達成できないまま、アフガニスタンを離れようとしている。あらためて何のための戦争だったのかと思わざるを得ない。

■アフガン政府や軍隊の腐敗 (8月17日)

 米国のバイデン大統領は、17日朝の演説で「米軍はアフガニスタン軍が戦う意思がない戦争で戦うべきではないし、死ぬべきでない」と語った。ならば、アフガニスタンの人々は対テロ戦争など当初から戦う意思などなく、米軍は端からアフガニスタンにやって来て戦う必要などなかったということになる。

 アフガニスタン政府や軍を腐敗させた重大な責任が米国にあることはまぎれもない事実だ。米国は莫大な資金をアフガニスタンに注ぎ込んだが、その資金の流れは厳格に監査される必要があった。

 中村哲医師がとりくんだように、アフガニスタンの人々に生活手段を与えることこそ、腐敗を防ぎ、資金を単に与えるよりはるかにアフガニスタンの将来に役立つことは明らかだ。米国はアフガニスタンに2兆2600億jを注ぎ込んだが、そのうちの1兆jは戦費で、アフガニスタンの人々の生活支援とはならず、アフガニスタンは世界で最も貧しい国の一つのままである。また、ガニ大統領は腐敗の根絶を公約としながらも、彼をはじめとするアフガニスタン政府高官たちにも腐敗にとりくむ姿勢がほとんどまったく見られなかった。腐敗こそアフガニスタンの人々を政府から遠ざける要因となった。

 駐英大使を務めたアフマド・ワリー・マスード(1964年生まれ)は、対ソ戦争の英雄とされるアフマド・シャー・マスードの弟だが、タジク人の「マスード財団」の理事長となった。2009年10月に彼の弟のアフマド・ズィヤー・マスードは5200万j(約55億円)のキャッシュを持ってUAE(アラブ首長国連邦)に入り、兄のためにドバイの高級コンドミニアムを購入した。
 この種の話はアフガニスタン政府の中では絶えないが、政府高官たちはすでにその当時から米軍撤退後の国外逃亡を考えていたと見られている。腐敗こそアフガニスタンにとってタリバン以上の脅威だと、当時からいわれていた。ガニ大統領をはじめ政府高官たちがタリバンの攻勢を前にして真っ先に逃亡したのも、あらかじめ想定していたシナリオだった。

 学校や裁判所が建設されるのに米国が資金援助しても、その資金を政府高官たちが着服することもしばしばだった。米国は文民によって構成される「地方再建チーム」を派遣したが、派遣先は親政府勢力の影響力が強いところばかりで、こうした身内びいき的なやり方もタリバン復活の一要因となった。


アフガニスタンから撤退する米軍

■大義を放り出して撤退する米軍 (8月18日)

 バイデン大統領は17日、「米国のアフガン政策の目的はアルカイダの解体とオサマ・ビンラディンを殺害することだった。アフガニスタン国家の再建や復興は米国の役割ではない」とのべた。また、「我々のアフガニスタンにおける使命は、ネーション・ビルディング(国家造成)ではなく、統一した、中央集権的な民主主義の創設など構想したことはなかった」とも語っている。

 しかし、この発言は事実ではない。米国政府は20年間にわたって1450億jを治安部隊、政府組織、経済、市民社会の再建のために費やした。

 バイデンは2003年に上院外交委員会で、米国がアフガニスタンのネーション・ビルディングを達成できなければ、アフガニスタンは混迷に陥り、血に飢えた軍閥、麻薬密売人、テロリストで溢れることになるとのべている。イラク戦争もそうだったが、「自由」と「民主主義」の促進はアメリカが他国で戦争をおこなうことを正当化する言葉になってきたが、自由や民主主義の価値観を植えつけ、その政治制度をつくることもネーション・ビルディングに含まれることはいうまでもない。

 バイデン大統領は同じ演説で「米軍はアフガニスタン軍が戦う意思がない戦争で戦うべきではない」とも語ったが、2001年の対テロ戦争開始以来、アフガニスタン治安部隊の戦死者は6万5000人に上る。米軍はアフガニスタン軍が最前線で必死に戦っている時期にもタリバンに対して決定的な勝利を収めることができなかった。バイデン大統領の発言はアフガニスタン軍の戦死者に対する礼に失している。その論理には米国のアフガニスタンに対する植民地主義的、人種主義的な見方や偏見があるといわれても仕方ない。

 米国は自国の現実的利益を最優先させて、アフガニスタンから大義を放り出して撤退する。日本に駐留する米軍は、危機の時には日本を防衛することになっているが、日本もアフガニスタンで発生している事態は他人事ではないだろう。

■民意を吸い上げるシステム作り (8月20日)

 アフガニスタンでは、米政府関係者、米軍に協力していたアフガニスタン人たちが退避する前にタリバンが首都カブールに進撃し、アフガニスタン政府は崩壊した。現在アフガニスタンに駐留する米軍は1万人ほどだと見積もられているが、米軍にはカブールに進撃するタリバンを阻んで戦闘する姿勢がまるでなかった。よほどガニ大統領を頂点とする政府を米国のバイデン政権は見限っていたということか。

 現在のタリバンの最高指導者ハイバトゥッラー・アホンザーデ(アクンザダ)師が、「アフガニスタンに民主制の土台なし」とのべたという。「民主制」というのは欧米的民主制のことをいっていて、タリバンが民意を吸い上げるシステムまで否定したわけではない。アフガニスタンには「ジルガ(会議)」というシステムがあって、人々は協議によって重要事項の決定をおこなってきた。「ジルガ」は、合意とパシュトゥーンワーリー(パシュトゥーン人の部族の掟)に従って決定を下す。さらに伝統的にロヤ・ジルガ(国民大会議)で、国の指針を左右するほどのきわめて重要な政治・社会問題の解決を図ってきた。

 アクンザダ師は1961年生まれで、宗教指導者であった父親の教育を受けたようだ。正式な教育的背景はないが、その政策の判断基準はイスラム法やパシュトゥーンワーリーということだろう。

 アフガニスタン政府が崩壊してほどなく、警察も裁判所もないなかで、各地で私的な処刑や、武力によるデモの鎮圧などのニュースが続く。思い出すのはイラン革命直後の状況で、王政の中心にいた人々へのリンチや、確固たる法的な根拠がないままに、麻薬常習者や、同性愛者に対する処刑があいついだ。タリバンの場合、アフガニスタンの将来についてカルザイ元大統領とも協議しているので、旧体制に関連する人物を処刑したり、排除したりすることはない様子だ。

 ドイツはタリバン政権に対する経済支援を完全に停止するとのべた。米国に次ぐドナー国(経済支援提供国)の日本はやはり米国の動静を見てということだろうか。
 こういうときこそ日本独自のイニシアチブで、アフガニスタンに平和や安定が訪れるような調停役を買って出たらどうだろう。


首都カブールを制圧したタリバン(8月15日)

■タリバンの全土制圧の速さ (8月23日)

 タリバンが政権を奪取するさい、米軍はカブールに進撃するタリバンに反撃を加えることがなかった。すでにトランプ政権時代の昨年2月に、米軍が今年5月1日までに撤退することを明らかにするなかで、トランプ政権とタリバンの間では「協定」が成立し、米軍がアフガニスタンから撤退する代わりに、タリバンは米軍を攻撃しないという取引をおこなっていた。他方、米軍もタリバンを攻撃しないと約束するなど、米国は米軍の将兵たちの安全を何よりも優先していた。そのため、タリバンの攻撃はアフガニスタン政府軍に集中することになり、タリバンの急速で圧倒的な勝利の一要因となった。

 つまり、アフガニスタン政府は米国とタリバンの取引のなかで見捨てられる格好になったのだ。すでに地方の戦闘では、政府軍兵士たちは戦線を離脱したり、タリバン側に寝返ったりしていた。カタール・ドーハでおこなわれていた和平交渉も、アフガニスタン政府の意向は反映されぬまま、米国とタリバンの間でおこなわれていた。

 アフガン戦争は、タリバンが9・11の同時多発テロを起こしたアルカイダの指導者たちを米国に引き渡すことを拒み、かくまったとされたことで開始された。2001年11月にタリバン政権は崩壊し、12月にタリバンのスポークスマンは無条件降伏の意図を明らかにした。2003年5月にラムズフェルド国防長官は、アフガニスタンでの主要な戦闘の終結を宣言した。

 米軍がアフガニスタンに駐留する大義はこのときすでになく、撤退できるチャンスはあった。しかし、米国や日本、NATO諸国はアフガニスタンのインフラ整備や新たな政府づくりという国家造成(ネイション・ビルディング)への支援に熱心になっていった。

 2010年半ば、オバマ大統領はアフガニスタン駐留米軍の兵力を10万人としたが、タリバンの戦闘能力は増すばかりだった。2011年5月にオサマ・ビンラディンがパキスタン・アボタバードで殺害されると、オバマ大統領は2014年までに米軍のミッションを終えることを明らかにした。その頃、米国防総省はアフガニスタンでの戦争は軍事的に勝利することは不可能で、交渉による解決しかないと考えるようになった。それは、19世紀のイギリスや20世紀のソ連と同様だった。

 脱走や徴兵数の低下、司令官たちによる着服などでアフガニスタン政府軍の士気は低下し、戦死者数の増加は兵士たちの士気をいっそう低下させた。米軍は政府軍に毎年40億jを費やしたが、効果はなく、今年春の段階で2、3年の間にアフガニスタン全土はタリバンの手に落ちることが米国政府の一部から予想されるようになった。だが、それよりもはるかに早いタリバンのカブール制圧だった。

 アフガニスタンの混乱は、難民の流出、麻薬の拡散、テロの拠点化などの問題を孕んでいる。アフガニスタンを拠点とする「ISホラサーン州(ISKP)」にはウズベキスタンやタジキスタンなど中央アジア出身者が多く、中央アジア諸国やロシアにとって、タリバンの政権掌握は重大な脅威であるに違いない。米軍の撤退とタリバンのカブール制圧は、エジプト、アルジェリアで20世紀に見られたように、欧米諸国による中東イスラム世界支配には必ず失敗という終わりがあることを教えている。


国外退避のためにカブール空港に押し寄せる人々を米軍が制止(8月16日)

■米国の戦争の楽観主義が招く悲劇  (8月24日)

 アフガニスタンでの対テロ戦争開始に際して、米国のブッシュ大統領は自信に満ちた表情でその勝利を誓った。米国の楽観主義は、その圧倒的な軍事力と、みずからの動機が正義であるという「確信」によって裏付けられている。しかし、そうした楽観主義はいつももろくも崩れていく。

 アフガニスタンに侵攻した国や勢力によって国家の元首に据えられた人物は、すべて悲劇的な末路に終わっている。第一次アフガン戦争で英国が復位させたシュージャ・シャー(1785年〜1842年)は、1842年4月にカブールに駐留したイギリス軍が劣勢にさらされ、撤退すると暗殺された。第二次アフガン戦争でも、イギリスは1879年にモハンマド・ヤクーブを統治者(当時は「エミール」の称号)に据えてアフガニスタンの外交権をすべてイギリスに委任させる条約を結んだが、アフガニスタン人の反発が強く、彼は翌年廃位させられた。

 1979年にソ連軍が侵攻して強化しようとしたアフガニスタンの人民党(共産党)政権も、1989年のソ連軍撤退の3年後に崩壊し、人民党政権のナジブラ元大統領はタリバンによって殺害された。そして今回、ガニ政権もあっけなく崩壊した。米国は、アフガニスタンの人々の心情やアフガン社会の伝統的な構造を理解できないまま撤退しようとしている。

 米国は、イラク戦争でもサダム・フセインの大量破壊兵器保有を問題視し、その脅威を除くといって戦争を開始した。米英軍はラムズフェルド米国防長官の楽観的構想もあって15万人余りの兵力でイラク戦争を始めたが、それはきわめて不十分であった。イラクではフセイン政権の崩壊とともに警察などの治安機能がまったく失われ、少ない兵力の米軍は略奪をただ傍観しているほかなかった。タリバンのカブール制圧に手を出すことがまるでなかった今回の米軍の様子と重なるようだ。

 米国は、タリバンやサダム・フセイン政権を倒せば「自由」「民主主義」のアメリカ型の価値観をこれらの国に植えつけることができるという楽観的判断の下に戦争を開始したが、アフガニスタンではタリバンが根強く米軍や政府に対する攻撃を続け、またイラクでは米軍に対する武装集団の蜂起がいっせいに始まった。両国では米軍と現地住民の間で埋めがたい溝が生じた。米国は、どのような形態で米軍を撤退させるか具体的構想を持っていなかった。

■日本人は人道的支援の継続を (8月25日)

 8月23日、日本政府はタリバンのアフガニスタン・カブール制圧を受けて現地に残る邦人などの救出のために自衛隊の輸送機の派遣を決めた。

 日本大使館員(おそらく日本人のみ)たちは17日に英軍機でドバイに退避している。記者会見での加藤官房長官の発言からは、現地に邦人たちがどれほど残っているのか、また、アフガニスタン人のローカル・スタッフの「安全確保を図る」とはいうが、彼らを難民として日本に受け入れる気があるのかどうかは明らかではない。やはり国際社会には応分の義務や責任があり、日本政府には難民の受け入れをはじめ、現在のアフガニスタンの困難に何らかの貢献をしてもらいたいものだ。

 日本はアフガン戦争が始まってから7500億円の支援をしたそうだが、米軍が撤退し、タリバンが政権をとったから打ち切りでは、これまでの支援が台無しになる。JICAなどはアフガニスタンから研修生を招き、農業技術などの研修をおこなってきたが、そのような支援は継続すべきで、アフガン支援のためにタリバンとの対話のチャンネルは維持していくべきだろう。

 静岡県島田市でクリニックを営むアフガニスタン人医師のレシャード・カレッドさんは、アフガニスタンをはじめ多くの発展途上国が日本の戦後復興を喜び、アフガニスタンにも惜しみない協力をしてきた日本を尊敬し、将来の目標にしてきたと語っている。またカレッドさんは、日本には軍事的な貢献ではなく、優しい友愛の心で他国に接してほしいと話す。難民を受け入れるなど、アフガニスタンの日本に対する信頼をさらに厚くするような関わりが、アフガニスタンの激動期にあらためて求められている。

■「剣によって立つ者、必ず剣によって倒される」―中村哲医師の言葉 (8月26日)


中村哲氏

 「中村哲が14年に渡り雑誌『SIGHT』に語った6万字」と題するサイトは、中村哲医師がアフガニスタンでの実践から得られた政治・社会観について2000年から09年にわたって語った言葉を紹介している。その一部を引用すると、

 「政治権力を誰がとるかということはアフガニスタンの内政の問題であるということですね。こっちとしては徳川家康が出ても、豊臣秀吉が出ても、それは彼らの選択であって外国人は口を出してはいけない、っていうのが基本的姿勢なので……」
 「最近はテロリストという言葉の響きが変わってきまして、政治目的を達成するためには罪もない人を巻き添えにするということがテロリズムの定義とするならば、欧米諸国の軍以上のテロリズムはないんじゃないかと私は思います」
 「聖書の言葉を使うと、“剣によって立つ者、必ず剣によって倒される”と。これはもう歴史上の鉄則なんです」

 「剣によって立つ者、必ず剣によって倒される」――アフガニスタンから撤退する米国のことをよくいいあらわしているように思う。タリバンの政権奪取をとらえて、武力で政権を奪うことは許されないという声が欧米諸国では上がっているが、武力でタリバン政権を崩壊させたのは米英軍の方だった。タリバン政権が成立したアフガニスタンに経済制裁を科すようなことがあれば、最も困難な状態に置かれるのはアフガニスタン国民であることは明白だ。

 WFP(国際連合世界食糧計画)が8月16日に出した報告書によれば、アフガニスタンでは、栄養失調の危険にさらされる200万人の子どもを含めて1400万人の人々が食料不足の状態にあり、今年1月には300万人以上が国内避難民であったが、それに加えて1月以来、38万9000人が新たに国内避難民となった。15万1000人が新型コロナウイルスに感染した。WFPは今年、1390万人の人々を支援する予定だが、今後6カ月の間に1億9600万jを必要とするそうだ。アフガニスタンが人道的危機にあることは疑いないが、アフガン人たちがこの「修羅場」を乗りこえるには国際社会がタリバン政権にどれほどの支援を与えられるかに関わっている。

 政権を奪取したタリバンは、女性たちを特定の職種から排除するなど急進的な方策を当面とっていくだろう。革命のような大きな政治変動の後には急進主義、過激主義があらわれるが、次第に穏健化、現実化していったことは、フランス革命などの歴史が教えるところだ。

 タリバンの報道官は日本人を必要としているとのべ、日本の支援を求めていることを明らかにし、同時に自衛隊には退去してほしいとのべた。中村哲医師は自衛隊の派遣は「百害あって一利なし」と参議院外交防衛委員会で2008年11月にのべ、自衛隊の派遣によって日本人が攻撃の対象となる危険性を指摘したが、アフガニスタンの政治変動に際してあらためて中村医師の考えは日本人に教訓を与えている。

■自爆テロは「対テロ戦争」の失敗を物語る (8月27日)

 26日、カブール空港近くで自爆テロが発生し、米兵13人、アフガニスタン人100人以上が犠牲になった。中央アジアからアフガニスタン、パキスタン、インド、スリランカにかけて活動するISの支部「ISホラサーン州(ISKP)」が犯行声明を出した。アフガニスタンを中心に活動するものの、ISKPのメンバーには中央アジア出身者が多いと見られている。

 ISの活動家、メンバーは、米軍などのIS掃討作戦によってシリアやイラクで活動しにくくなると、政治的安定に乏しく、戦闘やテロが継続するアフガニスタンにその活動の重心を置くようになった。中央アジア出身者たちはISの活動の先鋭的な性格を担っている。

 ISKPは、タリバンは米国と交渉することで、米国に屈服していると考えるようになった。タリバンの幹部も、カブール空港でタリバンの戦闘員たちがISKPの脅威を受けているという声明を出した。ISKPは、ウズベク人やタジク人の他に、アフガニスタン人、さらにインド人、パキスタン人、スリランカ人など南アジア出身者たちからも構成され、19年4月のスリランカ・テロで国際的注目を浴びた。

 中央アジアと南アジアのイスラム過激派には、出稼ぎ労働で海外に出かけ、送金で家族を支えていた者が多い。新型コロナウイルスは、これらの出稼ぎ労働を鈍らせ、多くの失業者たちを生むことになり、失業者たちもまたISKPの運動に吸収されている。テロの要因として経済的要因は重要だが、米国は軍事力一辺倒でテロの制圧を考えてきた。

 2021年2月8日、ケネス・マッケンジー米中央軍司令官は、ISKPは2020年後半、各地でローンウルフ型のテロ攻撃をおこなう能力を高めたとのべたが、この発言の通りにISKPは米軍撤退という時期に大規模テロを起こし、世界の耳目を集めることになった。テロの脅威がなくなったという理由でアフガニスタンから軍隊を撤退させるバイデン政権のメンツが潰れることになった。


米軍の爆撃で荒廃したアフガニスタンの市街地

■アメリカとタリバンの取引 問われる日本の位置 (8月28日)

 米軍のアフガニスタンからの退避作戦中、カブールの治安維持を担い、米軍の作戦に事実上協力したのは、米軍と20年間戦ってきたタリバンだった。23日、ウィリアム・バーンズCIA長官は、バイデン大統領からの親書を携えてタリバンのアブドゥル・ガニー・バラーダル副指導者と秘密裏に会談をおこなった。タリバンとの協力は、ISによるテロ攻撃の脅威が増すなかでは不可欠と米国には思われた。タリバンが8月15日にカブールを制圧して以来、カブールの治安に責任をもつタリバン指導者たちと米軍の司令官たちの間で対話が繰り返された。

 米軍は2019年、北部ジョージャン州やゴール州での対テロ作戦のなかでISの指導者たちをドローンなどで殺害し、タリバンはこれらの州で影響力を強化した。対ISという点で米国とタリバンは事実上同盟関係にある。

 米国は1970年代から冷戦の環境下のアフガニスタンに関心を持ち、ソ連に対抗していった。アフガニスタンが混迷するのは、1978年4月27日の「4月(サウル)革命」で共産党の人民党が政権を掌握してからだ。ソ連は人民党を支援し、他方米国は共産党政権に反感を持ち、「ムジャヒディン」と呼ばれるようになるイスラム勢力にてこ入れするようになった。このイスラム主義勢力の中からタリバンが誕生することになるが、米国はタリバンの成立にも事実上貢献したことになる。

 人民党政権は急激な農地改革を推し進め、広範な抵抗を招くようになったが、反政府暴動に対してアミン革命評議会議長(国家元首)政権は数万人を殺害したと見積もられるほど過酷な弾圧をおこなった。アミンの強権的手法を懸念したソ連は1979年12月27日、カブールに空挺部隊を派遣し、アミンを殺害した。このソ連の軍事介入に対し、ムジャヒディンたちは即座に抵抗運動を強化した。1980年代、アメリカはムジャヒディンたちに武器・弾薬、資金を与え、アフガニスタンに対するアメリカの影響力も増していった。

 ソ連軍は1989年2月にアフガニスタンから撤退していったが、ムジャヒディンの各グループの指導者たちは軍閥と化して互いに戦闘を繰り返した。こうした混乱のなかから秩序と平穏をもたらすと約束して登場したのがタリバンだった。

 1990年代にタリバンが成功したのは、麻薬取引や人身売買などを終わらせ、人々に安全や秩序、生活を与えると約束したからだった。タリバンの訴えは特に農民層の支持を得るものだったが、しかし約束を実現できないと音楽を禁止したり、女性の役割を制限したりするなど極度に抑圧的な措置をとっていった。

2001年の対テロ戦争開始後、アフガニスタン人は外国からの支援によって生活状態が改善されることを望んだが、失業率は高いままで、また政府は権力を濫用して腐敗していく。タリバンは、今回も政府の腐敗を批判し、また米軍など外国軍の排除を唱えて人々の支持を集め、女性には教育や権利を与えると語るようになった。この政権が1990年代のように抑圧的にならないためには、人々に十分な職や食料を供給し生活の保障をおこなえるかどうかに関わっている。

 日本は現在タリバンとの対話のチャンネルがないようだが、もはやタリバンを軍事力で排除することは不可能で、タリバンが抑圧的にならないように、アフガニスタンの安定のために必要な支援を継続することを考えるべきだ。アフガニスタンの安定はテロの抑制など同盟国アメリカの安全にも資することになることを、親米的な政治家たちは視野に入れたらどうだろう。

■新しい国民和解政府の陣容 (8月30日)

 タリバンの新政府は、1996年から2001年までのタリバン政権と違って、アフガニスタンの広範な勢力を集めた政府の樹立を考えているようだ。旧政権のカルザイ元大統領や、外相などを務めたことがあるアブドラ・アブドラ前国家和解高等評議会議長の政権参加も見込まれるようになり、タリバン政権はアフガニスタンの国民和解を目指した政府になる印象だ。ドイツは新政府に広範な政治勢力の結集がなければ、支援金の停止をちらつかせているが、そのような圧力をタリバンも意識しているのだろう。アフガニスタンの国家予算の六割から七割強は外国からの支援金によってまかなわれている。

 新国家では大統領や、またイランのような宗教的な最高指導者も置かれないようだ。その代わりに12人のメンバーから成る執行評議会が設けられる。

 アフガニスタンでは23日、タリバンのカブール制圧後に初めてロヤ・ジルガ(国民大会議)が800人ほどの国内の著名な学者たちを集めて開催された。 


タリバン政権下でのロヤ・ジルガ(大国民会議)

 すでに内相にはタリバンの軍事司令官であるムッラー・イブラーヒーム・サドルが就任している。彼は、1980年代はソ連軍と戦っていたムジャヒディンで、ソ連軍の撤退とともに、パキスタンのペシャワールでイスラム神学を教えるようになった。1994年にタリバンの創立に参加し、米英軍の侵攻とともに地下に潜った人物だが、米軍やNATO軍と戦ってきて、2016年に軍事司令官となった。

 財務相にはグル・アガー・イスハークザイ(1972年生まれ)が就任した。彼はタリバンの財務委員会のトップだった人物で、カンダハルでの自爆テロなどに資金を提供したとして国連や米国、EUなどから制裁を受けている人物だ。他方で、彼は他のメンバーたちとともに2015年頃からアフガニスタン政府との和平交渉に関心を示し始めたともいわれている。

 タリバンの国防相には、ムッラー・カイユーム・ザーキル(1973年生まれ)が就任した。2001年にアフガニスタン北部のマザリシャリフで米軍に捕らえられ、2007年までキューバのグアンタナモ基地に収容されていた。同年12月にアフガニスタンまで移送され、2008年5月に部族の長老たちの圧力もあって釈放された。

 タリバン以外ではアフガニスタンのムジャヒディン組織「イスラム党」の指導者だったグルブッディーン・ヘクマティヤール(1947年生まれ)も政府に参加する可能性が指摘されている。イスラム党は、急進的なイスラム原理主義に訴える組織で、アフガニスタンにおけるイスラム国家の創設を目指していた。

 少数民族からも、冒頭のタジク人のアブドラ元外相、ウズベク人のラシード・ドスタム将軍、ハザラ人・シーア派でカルザイ政権で第二副大統領を務めたモハンマド・カリーム・ハリーリー(1949年生まれ)などが参加する可能性がある。少数民族の参加はタリバン政権の安定のために必要で、もしできなければアフガニスタンはまた内戦に陥ることすら考えられる。ハリーリーはもしハザラ人が守られることがなければ武力で蜂起するとものべている。


8月30日午後4時29分、カブール空港から離陸した最後の米軍C17輸送機

■20年の「対テロ」戦争が残したものとは (8月31日)

 米軍最後のC―17輸送機がハミド・カルザイ国際空港を日本時間の午前4時29分に離陸して、20年間という米国史上最長の戦争であるアフガニスタン戦争は終わった。「対テロ戦争」という大義を掲げながらも、米軍が軍事力で政権を崩壊させたタリバンはこの20年間、米国本土で一度もテロを起こしたことがなかった。タリバンがアフガニスタンでおこなった外国軍への攻撃は、タリバンから見れば「抵抗」というものだろう。

 ブラウン大学ワトソン研究所の統計では、今年四月までにアフガニスタンとパキスタンの「対テロ戦争」の舞台では24万1000人が亡くなり、そのうち7万1000人が市民だった。米軍とアフガニスタン政府軍は空爆などで、反政府武装勢力タリバンよりも市民の方を多く殺害した期間も多々あった。2008年7月には花火が打ち上げられていた結婚式を、ロケット弾と間違えたといって米軍が誤爆し、47人が犠牲になったこともあった。

 アフガン政府軍・警察の死者は6万6000人、タリバンや他の反政府武装勢力の戦闘員の死者は5万1191人、またおよそ2500人の米軍の将兵、3846人の米民間軍事会社の社員、1144人のNATO軍将兵が死亡した。

 さらに、アフガニスタンの復興支援の監査を行うSIGAR(アフガニスタン復興担当特別監察官)によれば、2万666人の米軍将兵が負傷し、2001年以来、80万人の民間軍事会社の社員が負傷した。負傷者に圧倒的に民間軍事会社(PMC)の社員が多いように、対テロ戦争を契機にPMCが実際の戦闘に大規模に導入されるようになり、対テロ戦争で莫大な利益を上げたPMCは次から次へと戦争を望むことになる。

 米国は2兆j以上の予算をアフガニスタンにつぎ込んだが、米国が創設した30万人のアフガニスタン国軍はタリバンと有効に戦うこともなく、消滅していった。米国が支えた政府のガニ大統領は、現金1億6900万jを携えてドバイに逃亡した。

 アフガニスタンで「国民和解政府」が成立するという報に接して、バイデン政権がタリバンとの和平交渉の結果、軍の撤退を決断した背景が明らかになったような気がする。旧政権や少数民族の指導者たちがタリバン主導の政権に参加することで、米国は「対テロ戦争」の成果をアフガニスタンにとどめることになり、メンツをわずかながら保ちながらの撤退となった。


米軍の空爆を受けた国境なき医師団の病院。患者・スタッフ42人が死亡した(2015年10月、アフガニスタン・クンドゥズ州)

https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/21727

7. 中川隆[-16554] koaQ7Jey 2021年9月06日 18:37:19 : TYp0qS64vk : Rkc3aFQ4TGl6YlU=[29] 報告
アフガン撤退でみえた「上級国民による日本人ポイ捨て」のリアル! 日本政府らは平気で人を見殺しにする…ジェームズ斉藤
2021.09.05
https://tocana.jp/2021/09/post_219730_entry.html

※報じられない「タリバンによるアフガニスタン制圧の裏と陰謀」シリーズ一覧はこちら。
https://tocana.jp/tag/%e3%82%bf%e3%83%aa%e3%83%90%e3%83%b3%e3%81%a8911%e3%81%ae%e9%99%b0%e8%ac%80

──8月31日に米軍がすべてアフガンから撤退しましたが、アメリカ人はまだ数百人も残っているそうですね。

ジェームズ はい。ペンタゴンの会見でマッケンジー将軍が「民間人は1人も救出できなかった」とはっきり語っています。ISの兵士が2000人以上居て市内から空港までの道が危険だったようですが、これまでだったら米国が自国民を置き去りにするなんてことは考えられませんでした。

──そうなんですよね。今回のアフガンではいろいろ驚くことがあったので、ここ数日間のことを、順を追ってお聞きしたいんですけど、そもそもなぜアフガンにISがいるんですか? 8月26日にカブール空港付近で起きた爆弾テロもISだったじゃないですか?

ジェームズ まず、ISはムーブメントなので、戦っていないと求心力を失ってしまうのです。要はアフガン内戦への舵取りで、ISがタリバンを排除してアフガンを制圧し、麻薬利権を盗ることも狙っています。

──このタイミングでISが絡んできたのは麻薬ですか?

ジェームズ それもありますが、純粋にアフガンの支配をかけた抗争です。ISは2019年に指導者のアルー・バクル・アル=バグダディーが暗殺されて弱体化していましたが、アフガンの混乱に乗じて勢力を拡大しようとしています。また、英米、ロシア、イスラエル、サウジアラビア等の諜報機関もタリバンにすべてを牛耳らせない意図もあります。

──「各国」の勢力争いというよりも「各国の諜報機関」の勢力争いですか?

ジェームズ その側面もありますが、諜報機関がすべてを握ることは不可能です。ロシアがアイマン・アル・ザワヒリ(アルカイダの現指導者)をスパイにし、アルカイダに米国本土テロを仕掛けるよう仕向けたのが典型です。自分たちの手は汚さず、“大戦略”を乗っ取るのが一番賢いやり方です(詳しくは9.11記事を参照)。

──結局、ISや各国諜報機関が集まっていたのでは市内から空港までの道すら危険すぎるわけですね。

ジェームズ タリバンがチェックポイントを作ったのでそこを通らなければならないというのもありましたし、IEDという道路脇に設置される爆弾が大量にあるのでいつ爆破するかわからない危険性もありました。しかし、だからといって、米国が自国民を見捨てることは通常ありえません。バイデン大統領も「米国人は1人も残さない。1人でも残っていたら米軍の撤退はない」と断言していましたので。ところが、結果は自国民のポイ捨てでした。

──そんなことをしたら政権維持も危ういと思うのですが。

ジェームズ 現在、バイデン政権は不法移民を毎日、数千人から万人単位で国に入れています。彼らはすべて民主党に票を入れます。共和党が政権を取った途端に国外追放になりますから、それは絶対です。そうなれば選挙も楽勝ですから米国人が何人死のうが関係ないのでしょう。

──本当ならば恐ろしい話ですが、実際、自国民を見捨ててますからね。他国の人間が何人死のうが自国民だけは助けるのがアメリカだと思っていたんですが、だいぶ変わりましたね。

ジェームズ 米国が自国民放棄となれば、もはや日本レベルの「小国」に堕落したことになります。海外にいる自国民の保護が軍隊の最も重要な責務です。それを放棄しているので、米軍もおもちゃの軍隊である「自衛隊レベル」になったということです。日本もそのような軍隊をあてにしていたら、尖閣諸島有事の際に「日本ポイ捨て」になるのは明らかです。もはや「トモダチ」と言える仲なのかも甚だ疑わしいです。しかし、これは米国国内の問題なので、結局日本には「日本人として何をすべきか?」が問われていると思います。

──ジェームズさんは、「アフガン問題は対岸の火事ではない」とずっと言ってますね。

ジェームズ そうです。ただ、今回のアフガンを見ていると米国にポイ捨てされる前に、日本人は日本政府にポイ捨てされる可能性も出てきています。それが8月26日の事件です。この日、自衛隊機がカブール空港に到着し、JICAの日本人職員やアフガン人スタッフを脱出させる予定でしたが、結局、1人しか救出出来ませんでした。

──そうでしたね。あの時はたった1人かと思いましたが、米軍でもできなければ仕方ないのかなと改めて思うのですが、どうですか?

ジェームズ それはなんともいえません。今回、米国は本気で自国民を救おうとしていたのか未知数ですので。一方、日本の場合はいろいろ問題点があります。まず、日本大使館職員は岡田隆大使を含みすべて撤退していますが、問題は大使が真っ先に逃亡したことです。岡田大使は8月15日のカブール陥落時にすでにアフガンを脱出しており、8月17日には大使館員が全員英軍機で脱出しています。米国大使ですらカブール空港でアフガン人のためにビザを発行し続けていたのに、日本の大使は民間人もアフガン人の現地採用等すべてポイ捨てです。これは大使としてありえない大失態です。

──そんな早く脱出していたんですか。

ジェームズ これが日本大使館の実態です。以前の記事でも日本の外交官は、困った日本人旅行者を助けないという話をしましたが、まさにその通りのことをしています。たぶん、自分たちは上級国民だから一般人よりも命の重みが違うと本気で思っているのかもしれません。第二次大戦中のリトアニアで、ナチスに迫害されたユダヤ人にギリギリまでビザを発給した杉原千畝氏とはまったく違います。

──彼は日本本国の命令に逆らってまでビザを発給しましたよね。

ジェームズ そうです。ただし、多くの人がわかっていないことが一つあって、杉原氏は超一級のエージェントでした。ですから、ユダヤ人を助けることのメリットも考えていたとは思います。

 しかし、今回は状況がいろいろ違います。日本は米国の同盟国ではあれど、アフガンと交戦国ではありません。タリバンと交戦しているわけではないので、大使が残って堂々と交渉すればよかったのです。机上の空論のように聞こえますが、アフガンに赴任するということは大使も処刑を覚悟で行くべきです。ちょうど100年前のロシアで起こった尼港事件は現在のアフガンの状況と酷似していますが、当時の石田虎松領事は領事館に残り、襲撃してきた共産主義者に対して自らピストルを持って最後まで応戦し、家族もろとも散っています。これが大使の本来あるべき姿です。日本は総理から末端の外交官まで本気で「上級国民」気取りなので、救いようがないです。

──ちなみにほかの国はどうだったんですか?

ジェームズ ニュージーランドも日本と同じことをしました。この国もニュージーランド軍に協力していたアフガン人をポイ捨てです。こうやって自国民や現地の協力者をいとも簡単にポイ捨てした国には共通点があって、すべてグローバリストに尻尾を振っている国です。今回のアフガンでは自分のことだけしか考えない、血も涙もないグローバリストの本性がはっきり現れました。

──緊急事態で本性が出たわけですね。

ジェームズ そうです。人間というのは危機に本性を表します。26日の日本人救出の件にしても、私が聞いていたのは自衛隊機をパキスタンに待機させて、JICA職員や現地スタッフの避難作戦をやる、ということでした。ところが、実際は26日にJICAの職員たちが空港に来なかったので、他国の要請を受けてアフガン人14人を載せて飛び立ってしまったのです。結局、邦人救出は一人で、共同通信記者ということなので、「上級国民の同胞」を救助しただけです。
──JICAの職員を待たずに飛び立ったというのは現場の判断ではないんですよね?

ジェームズ 当然です。上からの指示無しには自衛隊機は活動できません。つまり、これは官邸の判断です。本来であれば陸上自衛隊の特殊作戦群を派兵すべきでした。これは派兵ではなく完全に自衛です。しかし、総理大臣が特殊部隊の活用法を知らないのでこういうことになります。自衛隊機とセットで特殊部隊を送り込むのは当たり前ですでにフランス軍でもやっています。

 なお、米国は既にタジク系マスード将軍の息子率いる北部同盟を裏で支援しています。アフガン戦争の特殊部隊OBが大量にアフガン入りしています。ただし、バイデン政権は一切関与していません。まさに『ランボー怒りのアフガン』の状況となっています。

──今回のアフガンでは国が国民をどう思っているかが如実に出ましたね。

ジェームズ グローバリストたちの本性が現れたと思います。自分だけ助かればいいという、最低の人間性を持つ人々が世界を動かすとアフガンになるというのがよくわかったのではないかと思います。今回のアフガン撤退で、日本でも「上級国民ファースト」の実態がますます明らかになりましたが、実は「上級国民による日本人ポイ捨て」は今になって起こったことではありません。コロナ危機における一連の失態は上級国民が政府を牛耳っているために起こったことです。はっきり言って読者の皆さんの多くも「ポイ捨て」の対象になる可能性は高いです。これを教訓にして我々は自分の明日を考えていかなければいけません。これから必ず起こる危機に向けて覚悟を持たなければならないのです。今月は脳科学者の苫米地英人博士とともに、9.11の危機を乗り越えた当時の米軍関係者をお呼びし、コロナ時代におけるクライシス・リーダーシップについて講義をしますので、上級国民独裁下の日本、グローバリスト独裁下の世界で真の自由を勝ち取りたい方は是非ご参加ください。

文=ジェームズ斉藤

8. 中川隆[-16409] koaQ7Jey 2021年9月12日 12:41:26 : s7eQxBySSI : UzR1dVVLYS5qbmM=[16] 報告
2021.09.12
バイデン政権も歴代米政府と同様、「テロとの戦争」を口実に非武装の市民を殺す
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109120000/


 アメリカ軍は8月29日、アフガニスタンにおいて自動車をドローンで攻撃、子ども7名を含む10名を殺害した。運転していたのはカリフォルニア州を拠点とする支援グループで2006年から電気技術者として働いていたゼマリ・アーマディで、仕事仲間や子どもが同乗していた。​アメリカ政府の主張とは違い、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)とは無関係​だった。20年間、アメリカ軍は同じことを繰り返してきたことをまた行ったわけだ。

 その3日前、カブールのハミド・カルザイ国際空港では「自爆攻撃」があり、180名以上が死亡したと言われているが、空港にいた人びとの話によると、死者の大半はパニックに陥ったアメリカ兵に射殺されたという。

 空港のゲートが開かれたままだったことが攻撃を容易にしたと言われているが、​CIAが拠点にしていた「イーグル基地」をアメリカ軍が破壊​したことも防御能力を弱めたと見られている。また​アメリカ国防総省は攻撃の25時間前に「ISIS-K(ホラーサーン)」の攻撃が迫っていることを知っていた​という。タリバーンからも警告があったようだ。

 20年前、アメリカはタリバーンがオサマ・ビン・ラディンを匿っているという口実で攻撃を始めた。2001年9月11月にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)を攻撃(9/11)したのはビン・ラディンの武装勢力だとジョージ・W・ブッシュ政権は詳しい調査をせずに断定、ビン・ラディンの引き渡しをタリバーンに要求したが、それに対してタリバーンは証拠を示せば引き渡すと回答した。アメリカは証拠を見せず、攻撃を始めたのである。

 そのタリバーンが8月15日にカブールを制圧した。ジョー・バイデン政権はシリア侵略に使しているサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とするジハード傭兵をアフガニスタンへ移動させてきた。2015年9月にロシア軍がシリア政府の要請で軍事介入、敗走した戦闘員の一部(おそらく幹部)をアフガニスタンへ運んだのである。

 ​タリバーンの広報を担当しているザビフラー・ムジャヒドはオサマ・ビン・ラディンが9/11を実行したことを示す証拠は示されていないと今でも主張​している。これは正しい。9/11では旅客機がハイジャックされたとされ、その犯人の名前や写真も公開されているが、その人びとが旅客機に乗っていたことを示す証拠もない。その一方でアメリカ政府の描くシナリオは謎だらけだ。科学は無視されている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202109120000/

9. 中川隆[-16316] koaQ7Jey 2021年9月16日 12:22:41 : 8vMnnZaGpD : ckdXOXUxaVRkdnM=[11] 報告
誰も書かない「9.11本当の陰謀と黒幕」ジェームズ斉藤が解説!
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1106.html

麻薬取引の黒幕は CIA
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/293.html

CIA の犯罪
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/147.html

10. 2021年10月01日 06:25:12 : 6DGngjR4dk : UklneHhXZG5yNEE=[4] 報告
いわんかな#51 「アフガンの現状とアフガンの将来、そしてイスラムについて」(高山正之・馬渕睦夫・塩見和子・宮崎正弘・福島香織・川口マーン惠美)




9月30日(水)未来ネットの再放送♬(初回放送:2021/09/02)

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