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政府はさまざまな給付金を配ったが、困っている人には金を出さず、金が余っている人に配った。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1022.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 8 月 14 日 18:28:45: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 日本政府のネット工作 投稿者 中川隆 日時 2021 年 3 月 27 日 04:10:24)

政府はさまざまな給付金を配ったが、困っている人には金を出さず、金が余っている人に配った。


2021年08月14日
コロナで気づいた日本人、国に従うと不幸になるだけ

東京大空襲の前、政府は金持ちだけを疎開させ、金を用意できない物は空襲にそなえて労働をさせた。
国に従っているとこういう目に遭う

画像引用:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54614?page=3 10万人死亡「東京大空襲」の翌朝、政府が何と言ったかご存じですか(大前 治) _ 現代ビジネス _ 講談社(3_4)

国民に自粛させ、上級国民は贅沢を楽しむ

日本政府は何度目かの緊急事態を宣言し、帰省や外出の自粛を呼び掛けているが、従う人は減っている。

1回目、2回目、3回目と回を重ねるごとに人々は自粛しなくなり、堂々と出歩いて会食している。

飲食店の営業自粛も裏道が考案され、営業していないように装って営業している店もある。


自粛を要請している政府関係者が会食し、後でばれて言い訳したり謝罪するのも恒例になっています。

緊急事態宣言が出される度に前の流行の感染者数を上回り、最近は一日1万人以上が新規感染している。

政府はさまざまな給付金を配ったが、はっきり言って困っている人には金を出さず、金が余っている人に配った。


売上がコロナ前と比較し50%減、使い道はコロナ対策に限るなど様々な条件を付けて給付や融資を絞っている。

実際に政府が金を出して個人事業者に融資する制度に申し込んでみると、「アンタなんで申し込んだの?」のような対応を受けるという。

告知には誰でも融資を受けれるように書いてあるが、政府系金融機関の担当者によると「優良企業で使い道はコロナ対策のみ」だそうです。


こんな風に総理大臣や政府当局が説明している事と実際にやっていることは大きく食い違っている。

コロナで多くの人が収入が減ったり解雇された筈だが、今までに国民全員対象の支援は10万円の1回だけです。

その後の給付金や融資には必ず条件をつけ、国民のほとんどが該当しないように仕組んであります。


それでいて優良企業や大手企業には大盤振る舞いで、無利子無審査でいくらでも貸し付けている。

そのおかげでコロナにも拘わらず倒産件数は少なく、政府は「景気は回復しているので何も対策しない」と言っている。

大企業優先で小企業は後回し、個人は「豊かな人優先」で困窮者には絶対に支援しない


これらへの国民の答えは「国の命令なんかばからしくて聞けるか」という事です。

国を信用するな

東京五輪が開催されたが国民には自粛を強要しておいて、五輪村では自由になんでもやり放題でした。

さらにIOCの五輪関係者は事実上の治外法権扱いで、自粛と関係なく遊び歩いていました。

こんな姿を見ても政府に従い自粛している人は、筋金入りの愛国者だと思います。


話は変わるが第二次大戦のとき、徴兵、学徒出陣、疎開、防空壕つくりなどがあった。

これらは国民全員平等だったのではなく、金持ちの息子は徴兵を免除され、優先して田舎に疎開していた。

疎開にはお金が必要で、政府は子供1人当たりいくらと決め、金を用意できない家の子供は疎開できなかった。


集団疎開は子供がするものだったが、大人でも金さえあれば富裕層の人たちは家族ぐるみで安全な田舎に避難しました。

学徒出陣は悲劇としてマスコミが好む題材ですが、大学生は徴兵を免除されるなど優遇されていた。

少年達が戦場で戦っている時に大学生は徴兵を免除されていたのが、末期にやっと出兵したのが学徒出陣で、悲劇だったのは大学に通っていない少年兵たちでした。


出陣した大学生は最初から少尉なので命令する側、自分は安全な場所にいて多くの人は生きて帰国した。

さてお金がなくて疎開できなかった大人たちは東京などで防空壕つくりや空襲に備えた作業をやらされた。

金持ちは田舎で疎開ライフをエンジョイしているのに、お金がない人達は東京で労働をさせられ、ほとんどの人がなくなった。


満州から日本軍が引き上げた時は、「ソ連軍と最終決戦に行く」と嘘をついて列車で38度線まで逃げ、足手まといになるので数百万人の日本人を置き去りにした。

国なんかを信用して従っていると、最後にこういう目に遭います。

http://www.thutmosev.com/archives/86505307.html  

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コメント
1. 中川隆[-17231] koaQ7Jey 2021年8月14日 18:34:11 : gzyd9RRqFI : Z3R2dlZPSEFCOUE=[30] 報告

10万人死亡「東京大空襲」の翌朝、政府が何と言ったかご存じですか
国民を守ろうとはしなかった…
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54614?imp=0


頻発する空襲を経てもなお「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」と言い続けた日本政府(前回記事を参照)。この方針は、一挙に大規模となった東京大空襲の被害を目の当たりにしても、変更されなかった。

一度始まった政府方針は、簡単には修正されない。それでも、当時の政府方針に立ち向かおうとした議員がいた。その渾身の言葉に耳を傾けて、いま私たちはどう生きるべきか考える糧にしたい。

10万人が死亡しても「空襲を恐れるな」
1945年(昭和20年)3月10日の深夜0時08分、約300機のB29爆撃機が東京上空に飛来し、約2時間で33万発以上の焼夷弾を投下した。「東京大空襲」である。

現在の江東区・墨田区・台東区を中心に、千代田区や江戸川区も含む広範囲が焼け野原となった。一夜で10万人が死亡し、罹災家屋は27万戸にのぼった。

この大惨事を受けて、さすがの日本政府も「逃げずに火を消せ」の方針を変更するかと思いきや、そうならなかった。空襲の直後、西尾壽造・東京都長官(現在の知事にあたる)と坂信弥・警視総監も、都民にむけた告諭で次のように呼びかけた。

【東京都長官と警視総監の連名による告諭】
・罹災者の救護には万全を期している。
・都民は空襲を恐れることなく、ますます一致団結して奮って皇都庇護の大任を全うせよ。
「恐れるな」など無理な話だ。しかし、空襲による悲惨な被害実態はラジオや新聞で報道されず、「被害は僅少」という大本営発表が報じられたので、それを信じる国民も多かったはずである。


さらに、この日の午後7時20分、小磯國昭首相はラジオ演説で次のように国民へ呼びかけた。

【小磯首相のラジオ演説】
・敵は、今後ますます空襲を激化してくると考えます。敢然として空襲に耐えることこそ勝利の近道であります。
・断じて一時の不幸に屈することなく、国民が聖戦目的の達成に邁進することを切望する。
家族と自宅を失って慟哭する国民に対し、「空襲に耐えろ」「一時の不幸に屈するな」と呼びかけている。これ以上どうやって耐えればよいのか、その方策は示されていない。

2日後には名古屋、その翌日には大阪が大空襲の被害を受けた。いずれも約280機の爆撃機が襲来して猛烈な被害を生じた。

3月15日付の読売報知には、陸軍当局が示した大空襲の教訓として「やはり初期防火の徹底である」という勇ましい呼びかけを掲載。同日の朝日新聞は、「初期防火と延焼防止 最後まで頑張れ 焼夷攻撃に怯まず敢闘」と一面に掲載した。

夜間大空襲の明朝に、内務省が発した命令は
空襲の夜が明けて、東京に広大な焼け野原が広がった。この光景をみて直ちに、防空対策を担当する内務省が発した命令がある。

残念ながら、「避難せよ、身を守れ」という布告ではなく、科学的見地から「このように消火せよ」という指示でもない。空襲予告ビラを所持するなという命令であった。

空襲予告ビラとは、全国各地で上空から米軍機が散布したものである。時期により内容が異なり、1945年7月に散布されたものは、このように攻撃対象都市を列挙していた。

米軍機が1945年7月に各地で散布した空襲予告ビラ (国立公文書館所蔵)
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なお、ここに書かれた12都市は、1945年7月から8月にかけて予告通りに空襲を受けている(高岡市の空襲被災地域は現在は射水市内となっている)。

予告ビラが初めて散布されたのは、東京大空襲の1ヵ月前、1945年2月17日であった。関東から東海地方までの広範囲で、落ちたビラを恐る恐る拾ったという体験談が多く残っている。

この空襲予告を国民が真に受けると、不安や動揺が広がり、都市から大勢が逃げ出す事態が起きたり、政府批判・戦争批判の世論が高まりかねない。

そこで、憲兵司令部は火消しに走った。

「(ビラは)荒唐無稽だ」「敵の宣伝を流布してはならない」「発見したら直ちに憲兵隊や警察に届け出よ。一枚たりとも国土に存在させぬように」と発表し、それが新聞各紙にも掲載された。

ところが1ヵ月後の東京大空襲では、空襲予告ビラに書かれたとおり甚大な被害が出た。今後も空襲予告ビラの散布は繰り返されるだろう。政府としては「次はこの街が攻撃される」という動揺が広がるのを何としても避けたい。

そこで、東京大空襲の日に、「敵のビラを届け出ずに所持した者は最大で懲役2ヵ月に処する」という命令を定めてしまった(内務省令「敵の文書、図書等の届出等に関する件」)。

左から、朝日新聞1945年2月18日付、読売報知同年5月22日付、同年3月10日の内務省令
拡大画像表示
避難施設や消火機材の整備は遅々として進まないのに、こうした国民統制は迅速に進むのである。

本来は、空襲予告ビラが撒かれたら、それを隠すのではなく、むしろ周知して「この街から逃げてください」と知らせるべきではないか。そうすれば多数の生命が助けられたのではないか。悔やまれてならない。


たとえ自衛戦争だったとしても
それから敗戦までの5ヵ月間、全国の地方都市も空襲を受けていくが、政府は「逃げずに火を消せ」という防空法による方針を変更しなかった。

広島・長崎の惨事をみた後には「原子爆弾には初期消火をせよ」という指示まで発していた(過去記事を参照)。

日本が「我が国の権益を守るための自衛戦争だ」という名目で始めた戦争だったが、最終的には、国民が命を捨てて国を守るよう命じられた。

たとえ自衛戦争だったとしても、国民を守るのではなく、国民が犠牲となって国家を守るという意味での「自衛」だったように思う。

こうした過去の事実は、現代の私たちにも示唆を与える。

憲法改正や自衛権行使のあり方が問い直されているが、もし将来、国家の自衛のために国民が愛国心をもって「国を守る義務」を負わされるとすれば、それは過去の歴史の繰り返しになってしまう。

自民党が2012年4月に発表した憲法改正案は、国民は誇りと気概をもって自ら国を守るものだと明記している。それが道徳となり空気となることが恐ろしい。

かつて日本政府は「戦争には必ず勝てる」「空襲の被害は軽微だ」という嘘を重ねた。それが国民総動員の原動力となった。

今の政府は、同じような過ちを繰り返さないだろうか。

ニュースをみれば、資料の廃棄(南スーダン自衛隊派遣、加計学園問題)や、不適切な比較資料(裁量労働問題)など、不都合な事実を隠蔽しているのではないかと疑わしい事態が繰り返されている。

こうした体質の政府が「非常事態だから自衛のため武力行使をする」というとき、国民に向けて正しい情報と判断材料を提供するだろうか。もし疑問をもっても、特定秘密保護法が壁となって事実を知ったり知らせたりすることは困難なのではないか。

あらためて、戦争は国民に何をもたらすのか。政府は国民を守るのか。過去の事実から学ぶべきことは多いように思える。

前回記事はこちら:焼夷弾は手掴み、空襲は大丈夫…国民は「東京大空襲」をどう迎えたか http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54545
拙著『逃げるな、火を消せ!―― 戦時下 トンデモ 防空法』には、戦時中の写真・ポスター・図版を200点以上掲載している。本稿で触れた帝国議会での審理や、当時の新聞記事も豊富に掲載している。敗戦へ向かう社会の空気を感じ取っていただければ幸いである。

焦土に立つ議事堂で「逃げろと言っていただきたい」
東京大空襲の翌日(3月11日)、午前10時9分から貴族院本会議、午後3時9分からは衆議院本会議が始まった。議事堂の周囲は、1月27日の銀座空襲と前日の東京大空襲により焦土と化していた。


貴族院では小磯首相が演説した。空襲で傷ついた国民にムチを打つように、「職場に、防衛に、輸送に、国民ことごとく戦列につき、断じて我が国体と我が国土とを護り抜かんこと」を要望した。

各議員からの質問は、国際情勢や本土決戦をめぐり政府を礼賛する内容が多かったが、最後に登壇した大河内輝耕(おおこうち・きこう)の質問は様相が違った。次のように政府の空襲対策を批判したのである。

政府のやることが全て後手に回っている。例えば防空の問題。疎開の必要性を我々は主張していたが政府は一向に聞かない。それどころか「疎開する者は非国民だ」とまで言いだした。ぐずぐずしているうちに、昨日の被害、死傷者が出た。


学童以外の疎開を制限してきた政府方針を真っ向から批判する。空襲の翌日、焼け跡の異臭が漂うなかで、1人の人間として政府の方針を批判せずにはいられなかったのであろう。

大河内議員は、3月14日にも貴族院本会議で登壇した。大達茂雄内務大臣が3月10日の東京大空襲の被害状況を淡々と報告したのに対し、「簡単に質問をいたします」と立ち上がり、次のように迫った。

私の質問は、「人貴きか、物貴きか」と、こういう質問なんであります。
防空施設を整えるという話もあるが、私はこうなっては間に合わないと思う。大都会が焦土化するのは時間の問題だと思います。次は東京が全部やられるかも知れない。その場合に、人を助けるか物を助けるか、どっちを助けるかを伺いたい。
私は、人を助ける方がよいと思う。
消防などは二の次でよいから、身をもって逃げるということが一番よいと思う。
内務大臣から隣組長などに、「火は消さなくてもよいから逃げろ」と言っていただきたい。
避難を禁止して消火義務を負わせる防空体制を根本から否定している。この大河内議員は、東条英機首相による選挙干渉を議会で批判するなど、時流に流されない立ち位置を維持してきた稀有な議員であった。

これに対し、内務大臣は「焼夷弾に対して市民が果敢に健闘いたしております」「初めから逃げてしまうということは、これはどうかと思うのであります」と答弁。

東京大空襲の惨状をみても、国民を守るための軌道修正をしようという姿勢は皆無であった。


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