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母系制と近親結婚の起源
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投稿者 中川隆 日時 2020 年 8 月 08 日 05:58:13: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 民主主義の起源 投稿者 中川隆 日時 2020 年 4 月 24 日 10:43:26)


母系制と近親結婚の起源


雑記帳 2020年08月08日
中国のモソ人に関する本の紹介記事
https://sicambre.at.webry.info/202008/article_11.html

 中国南西部のモソ人に関する本

『女たちの王国:「結婚のない母系社会」中国秘境のモソ人と暮らす』(曹惠虹著、秋山勝訳、草思社、2017年)
https://www.amazon.co.jp/%E5%A5%B3%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E7%8E%8B%E5%9B%BD-%E3%80%8C%E7%B5%90%E5%A9%9A%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%84%E6%AF%8D%E7%B3%BB%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%80%8D%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E7%A7%98%E5%A2%83%E3%81%AE%E3%83%A2%E3%82%BD%E4%BA%BA%E3%81%A8%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%99-%E6%9B%B9-%E6%83%A0%E8%99%B9/dp/4794223161


を取り上げた記事がなかなか話題になっているようです。モソ人については『性の進化論』でも取り上げられていたので知っていましたが(関連記事)、同書ではモソ人の生活が詳しく紹介されているようです。この記事によると、モソ人の社会は母系制で、結婚制がなく、女性には性的自由があり、財産の相続権は女性にしかないばかりか、そもそも男性には交渉権がないそうです。徹底した女性の性的自由こそフェミニズムの目的とするこの記事は、モソ人の社会をフェミニストの理想が体現されている、と評価します。

 正直なところ、この記事のフェミニズム理解には、藁人形論法ではないか、との疑問が残り、この記事が、というか同書が紹介するモソ人社会の認識の妥当性についても、判断を保留せねばならないところがかなりあるかな、とは思います。まあ、フェミニズムは一人一派といった発言もよく聞くので、フェミニストを自任する人の中には、同書で描かれたようなモソ人社会を理想視する人もいるのかもしれませんが。そもそも、私のフェミニズム理解がお粗末というか、あまりにも勉強不足なので、この記事のフェミニズム理解について的確に反論することはできません。フェミニズムについては、新自由主義や優生思想との関連などに興味があるのですが、これまであまりにも勉強不足でしたし、優先順位がそこまで高いわけでもないので、能力の問題もあり、深入りせずに今後も一般向けの言説を読むに留めておくつもりです。

 同書によると、近隣社会は13世紀のモンゴル軍襲来を期に父系社会へと転換していったのに対して、モソ人社会は母系制を維持したそうです。モソ人は交通不便な地域に居住していることからも、「原始社会」をよく保持しているのではないか、と考える人がいても不思議ではありません。しかし、モソ人の言語はチベット・ビルマ語族に分類されるようですから、その主要な起源が黄河中流および下流域の仰韶文化・龍山文化集団にある、との最近の知見(関連記事)を踏まえると、新石器時代黄河流域集団の文化的(おそらくは遺伝的にも)影響を強く受けている、と考えられます。その意味で、モソ人が「原始社会」をよく保持しているのか、かなり疑わしいように思われます。

 ただ、女性の地位低下という観点からは、モソ人が「原始社会」を比較的よく保持している、と考える人もいるかもしれません。中国史において、新石器時代には大きくなかった性差が青銅器時代に拡大した(女性の地位低下ですが、殷・西周期に関しては同位体分析の明確な証拠が得られていないので、具体的に性差の拡大が確認されているのは春秋時代以降)、との見解(関連記事)が提示されているように、社会の複雑化とそれに伴う組織的な軍事力の整備などにより、男性と比較して女性の地位が相対的に低下することは、人類史において珍しくないかもしれません。ただ、性差の小さい社会から性差が大きい社会(多くの場合は相対的な女性の地位低下)への変容は珍しくないとしても、モソ人社会のような明らかな女性優位社会は珍しく、またそのような社会が過去に一般的だったことを示すような人類学や考古学の証拠もないでしょう。その意味でも、モソ人社会が「原始社会」を比較的よく反映している、とは言いにくいように思います。

 また、モソ人が母系社会を守ってきたとしても、それがいつからなのか不明で、人類の「原始社会」が母系的だった証拠にはならないと思います。そもそも、女性の相対的な地位低下という形での性差拡大が、母系社会から父系社会への転換を示す、とも言えないでしょう。人類にとってチンパンジー(Pan troglodytes)とともに最近縁の現生種であるボノボ(Pan paniscus)の社会は、チンパンジー社会と比較して雌の地位が高いとされていますが、ボノボもチンパンジーも父系的な社会を形成しています。ボノボの母親は娘よりも息子の方の交配を支援する傾向にありますが、これも雌が出生集団を出ていくというボノボの父系的社会を反映しているからでしょう(関連記事)。

 ボノボも人類も含まれるヒト上科は、オランウータン属がやや母系に傾いているかもしれないとはいえ、現生種は現代人の一部を除いて基本的には非母系社会を形成する、と言うべきでしょう。チンパンジー属とゴリラ属と人類を含むヒト亜科で見ていくと、現生ゴリラ属はある程度父系に傾いた「無系」社会と言うべきかもしれません。現代人の直接の祖先ではなさそうで、お互いに祖先-子孫関係ではなさそうな、アウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)およびパラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)とイベリア半島北部の49000年前頃のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)について、前者は雄よりも雌の方が移動範囲は広く(関連記事)、後者は夫居制的婚姻行動の可能性が指摘されていることからも(関連記事)、ヒト亜科の最終共通祖先の社会は、ある程度以上父系に傾いていた可能性が高いように思います。

 しかし現生人類(Homo sapiens)は、所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続ける、双系的社会が基本と言えるように思います(関連記事)。上述のアウストラロピテクス属やパラントロプス属やネアンデルタール人の事例からは、チンパンジーと分岐した後の人類系統も、チンパンジー属のような父系的社会を形成し、高い認知能力に由来する柔軟な行動を示す現生人類において、父系にかなり偏った社会からモソ人社会に見られるようなかなり母系に偏った社会まで、多様な社会を築くようになったのだと思います。ただ、ネアンデルタール人など現生人類以外の人類の中にも、双系的社会を築いた系統がいたかもしれません。

 現生人類(あるいは他の人類系統も)は双系的社会を基本としつつ多様な社会を築きましたが、ヒト上科、あるいはオランウータン属の事例があるのでヒト亜科に限定するとしても、基本的には非母系社会が特徴で、長い時間進化してきたように思います。おそらくこれは、近親交配回避の仕組みとして進化してきたのでしょう。近親交配の忌避は人類社会において普遍的に見られ、それは他の哺乳類種でも広く確認されることから、古い進化的基盤があると考えられます。近親交配回避の具体的な仕組みは、現代人も含む多くの霊長類系統においては育児や共に育った経験です(関連記事)。したがって、人類系統においては、チンパンジー属系統や、さらにさかのぼってオナガザル科系統との分岐前から現代までずっと、この近親交配回避の生得的な認知的仕組みが備わっていたことは、まず間違いないでしょう。つまり、人類系統あるいはもっと限定して現生人類系統で独自に近親交配回避の認知的仕組みが備わったこと(収斂進化)はとてもありそうにない、というわけです。

 しかし、現生人類においては近親交配が低頻度ながら広範に見られます。最近も、アイルランドの新石器時代社会の支配層における近親交配が報告されました(関連記事)。これはどう説明されるべきかというと、そもそも近親交配を回避する生得的な認知的仕組み自体が、さほど強力ではないからでしょう。じっさい、現代人と最近縁な現生系統であるチンパンジー属やゴリラ属でも、親子間の近親交配はしばしば見られます(関連記事)。人口密度と社会的流動性の低い社会では、近親交配を回避しない配偶行動の方が、適応度を高めると考えられます。おそらく、両親だけではなく近い世代での近親交配も推測されているアルタイ地域のネアンデルタール人が、その具体的事例となるでしょう(関連記事)。

 近親交配を推進する要因としてもう一つ考えられるのは、上述のアイルランドの新石器時代の事例や、エジプトや日本でも珍しくなかった、支配層の特権性です。支配層では、人口密度などの点では近親交配の必要性がありませんが、こうした近親交配は社会的階層の上下に関わらず、何らかの要因で閉鎖性を志向するもしくは強制される集団で起き得る、と考えられます。支配層の事例は分かりやすく、神性・権威性を認められ、「劣った」人々の「血」を入れたくない、といった観念に基づくものでもあるでしょう。より即物的な側面で言えば、財産(穀類など食糧や武器・神器・美術品など)の分散を避ける、という意味もあったと思います。財産の分散は、一子(しばしば長男もしくは嫡男)相続制の採用でも避けられますが、複数の子供がいる場合、できるだけ多くの子供を優遇したいと思うのが人情です。こうした「えこひいき(ネポチズム)」も、人類の生得的な認知的仕組みで、他の霊長類と共通する古い進化的基盤に由来します(関連記事)。

 生得的な認知的仕組みが相反するような状況で、その利害得失を判断した結果、支配層で近親交配が制度に組み込まれたのではないか、というわけです。近親交配の制度的採用という点では、財産の継承も重要になってくると思います。その意味で、新石器時代以降、とくに保存性の高い穀類を基盤とする社会の支配層において、とくに近親交配の頻度が高くなるのではないか、と予想されます。もっとも、農耕社会における食糧の貯蔵の先駆的事例はすでに更新世に存在し、上部旧石器時代となるヨーロッパのグラヴェティアン(Gravettian)が画期になった、との見解もあるので(関連記事)、更新世の時点で、財産の継承を目的とした近親交配もある程度起きていたのかもしれません。

 もちろん、近親交配回避の認知的仕組みは比較的弱いので、支配層における制度的な近親交配だけではなく、社会背景にほとんど起因しないような個別の近親交配も、人類史において低頻度で発生し続けた、と思われます。近親交配の忌避は、ある程度以上の規模と社会的流動性(他集団との接触機会)を維持できている社会においては、適応度を上げる仕組みとして選択され続けるでしょう。しかし、人口密度や社会的流動性が低い社会では、時として近親交配が短期的には適応度を上げることもあり、これが、人類も含めて霊長類社会において近親交配回避の生得的な認知的仕組みが比較的緩やかなままだった要因なのでしょう。現生人類においては、安定的な財産の継承ができるごく一部の特権的な社会階層で、「えこひいき(ネポチズム)」という生得的な認知的仕組みに基づき、近親交配が選択されることもあり得ます。その意味で、人類社会において近親交配は、今後も広く禁忌とされつつ、維持されていく可能性が高そうです。
https://sicambre.at.webry.info/202008/article_11.html
 

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コメント
1. 2020年8月10日 06:48:01 : qXjuuCamk2 : RkhnTEhqRHRJTG8=[2] 報告
雑記帳
2020年08月09日
実父から子への性虐待が多い理由
https://sicambre.at.webry.info/202008/article_13.html

 表題の発言を見かけました。正確には、表題の発言への批判をまずTwitterで見かけたのですが、昨日(2020年8月9日)当ブログに掲載した記事と関連しそうなので、短く取り上げます。まず、表題の発言(以下、ツリーになっているので先頭のみリンクを張りますが、続きを示す記号は省略します)は

実父から子への性虐待が多い理由に、男性が育児家事に主体的に取り組まないこの国の風土があると思う。パートナーのお腹に宿った命に喜び、無事に育つよう祈り、パートナーの体調に配慮し、やっと生まれた命。昼夜なく抱き、あやし、お腹を満たし、清潔にし、歌ってやり、何度も吐瀉物を浴び、排便の
世話をして大事に育てた子どもに性的ないたずらを出来るとしたら精神異常者。でも、日本の実父から子に対する性虐待は殆どそれが当てはまらないのではと思っている。中出ししたらいつの間にか妊娠し、いつの間にか生まれ、「辛いとか責められて面倒」と家にいる時間をなるべく少なくし、子に関わる
時間も持つことなくいたら、いつの間にか子が育っていた。同じ家の中にいても突然現れた他人であり肉体なんだと思う。手ずから育てたものを痛めつけられる人間は少ない。だが急に立ち現れた弱者に対しては、罪悪感を抱きにくいのでは。だっていつの間にかいたんだもん。反吐が出る。
偏見があることを承知で言うが、男親の「子の成長はあっという間」という言葉は、育児に関わっていない人間の言葉にも聞こえる。24時間365日幼い命を想っていれば、1日も1ヶ月も1年も、とても長く感じるものだから
【補足】コメントが増えて来たので補足すると、私は父親からも母親からも暴力に合いながら育って来た人間です。父親については人権意識の欠如から、母親については父からの経済的DV+身体的DVが子に連鎖する形で、の暴力だったと思う。あくまで今回は実父→子への性加害をミニ考察した形。
男親が子の人権を尊び、育児にコミットしているケースも勿論沢山見知っているし、日本中全ての男親が育児せず性加害するとも言っていない。日々子を慈しみ育てる世の全ての親に敬意を表すとともに、子を虐待する全ての親が地獄に落ちることを祈念します。

というものです。次に、この一連の呟きに対する批判は、

虐待のほとんどは実親で、しかも実母が圧倒的に多いけど、何の話ししてるんだろう。
性虐待だけの話をしてるなら性犯罪一般が圧倒的に男性の方が多いから、で終了だしな。他の国では珍しいなんてことも言うまでもなくないし。
「男性が育児家事に主体的に取り組まないこの国の風土」に問題があるとすれば、それによって母親の虐待が増えることだろうけど、母親については免責したいから訳わからんことになっちゃうんだろうな。そして「風土」という表現に強い他責性を感じるね。
家事育児に主体的に取り組みそうな男性は選ばれないというか、他の条件に家事育児に主体的に取り組むをオンしちゃうから、普通の男がいないとかなっちゃういつもの。

というものです。このやり取りに関して深く突っ込む能力と気力はないので、昨日の記事との関連に限定すると、実父から子供への性的虐待(そのほとんどは娘が被害者なのでしょう)と育児との間には、相関があっても不思議ではないように思います。育児に熱心な実父ほど、子供を性的に虐待することは少ないのではないか、というわけです。これを詳しく検証する能力と気力はないものの、その理由を述べると、ほぼ昨日の記事のコピペになってしまいますが、以下の通りです。

 現生人類(あるいは他の人類系統も)は双系的社会を基本としつつ多様な社会を築きましたが、ヒト上科、あるいはオランウータン属の事例があるのでヒト亜科に限定するとしても、基本的には非母系社会が特徴で、長い時間進化してきたように思います。おそらくこれは、近親交配回避の仕組みとして進化してきたのでしょう。近親交配の忌避は人類社会において普遍的に見られ、それは他の哺乳類種でも広く確認されることから、古い進化的基盤があると考えられます。近親交配回避の具体的な仕組みは、現代人も含む多くの霊長類系統においては育児や共に育った経験です(関連記事)。したがって、人類系統においては、チンパンジー属系統や、さらにさかのぼってオナガザル科系統との分岐前から現代までずっと、この近親交配回避の生得的な認知的仕組みが備わっていたことは、まず間違いないでしょう。つまり、人類系統あるいはもっと限定して現生人類系統で独自に近親交配回避の認知的仕組みが備わったこと(収斂進化)はとてもありそうにない、というわけです。

 その意味で、育児を殆ど或いは全くしないような実父が、子供(ほとんどの場合は娘)を性的に虐待しやすくなる、という相関があっても不思議ではないように思います。もっとも、これを証明するだけの能力と気力はなく、データを提示できるわけでもないので、私の思いつきにすぎませんが。なお、現生人類においては近親交配が低頻度ながら広範に見られる理由については、昨日の記事で述べているので、この記事では繰り返しません。
https://sicambre.at.webry.info/202008/article_13.html

2. 2020年8月15日 05:40:43 : XAcXkcJt3k : TjQybE9UVUxDQy4=[3] 報告
雑記帳 2020年08月15日
人類史における集団と民族形成
https://sicambre.at.webry.info/202008/article_20.html


 現代人は複数の帰属意識を持つことができ、これは現生人類(Homo sapiens)の重要な特徴でもあるのでしょう。これは、現生人類が家族という小規模な集団と、それらを複数包含するより大規模な集団とを両立させていることと関連しているのでしょう。チンパンジー属は比較的大規模な集団を形成しますが、家族的な小規模集団は形成せず、ゴリラ属は家族的な小規模集団を形成しますが、より大規模な集団を形成するわけではありません。現生人類が複数の帰属意識を持つことと関連していると思われるのが、現生人類は所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続ける、ということです。現生人類は、父系にかなり偏った社会から母系にかなり偏った社会まで、多様な社会を築きますが、父系と母系のどちらが本質的というよりは、双系的であることこそ現生人類社会の基本的特徴だろう、というわけです(関連記事)。

 こうした双系的社会を形成する前の人類社会がどのようなものだったのかは、現生近縁種や化石近縁種が参考になるでしょう。ヒト上科(類人猿)は、オランウータン属がやや母系に傾いているかもしれないとはいえ、現生種は現代人の一部を除いて基本的には非母系社会を形成する、と言うべきでしょう。チンパンジー属とゴリラ属と人類を含むヒト亜科で見ていくと、現生ゴリラ属はある程度父系に傾いた「無系」社会と言うべきかもしれませんが、チンパンジー属は父系的社会を形成します。現代人の直接の祖先ではなさそうで、お互いに祖先-子孫関係ではなさそうな、アウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)およびパラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)とイベリア半島北部の49000年前頃のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)について、前者は雄よりも雌の方が移動範囲は広く(関連記事)、後者は夫居制的婚姻行動の可能性が指摘されていることからも(関連記事)、ヒト亜科の最終共通祖先の社会は、単に非母系というだけではなく、ある程度以上父系に傾いていた可能性が高いように思います。人類系統も、単に非母系というよりは、父系に強く傾いた社会を長く形成していた可能性は高いように思います。

 現生人類(あるいは他の人類系統も)は双系的社会を基本としつつ多様な社会を築きましたが、ヒト上科、あるいはオランウータン属の事例があるのでヒト亜科に限定するとしても、基本的には非母系社会が特徴で、長い時間進化してきたように思います。おそらくこれは、近親交配回避の仕組みとして進化してきたのでしょう。近親交配の忌避は人類社会において普遍的に見られ、それは他の哺乳類種でも広く確認されることから、古い進化的基盤があると考えられます。近親交配回避の具体的な仕組みは、現代人も含む多くの霊長類系統においては育児や共に育った経験です(関連記事)。したがって、人類系統においては、チンパンジー属系統や、さらにさかのぼってオナガザル科系統との分岐前から現代までずっと、この近親交配回避の生得的な認知的仕組みが備わっていたことは、まず間違いないでしょう。つまり、人類系統あるいはもっと限定して現生人類系統で独自に近親交配回避の認知的仕組みが備わったこと(収斂進化)はとてもありそうにない、というわけです。

 しかし、現生人類においては近親交配が低頻度ながら広範に見られます。最近も、アイルランドの新石器時代社会の支配層における近親交配が報告されました(関連記事)。これはどう説明されるべきかというと、そもそも近親交配を回避する生得的な認知的仕組み自体が、さほど強力ではないからでしょう。じっさい、現代人と最近縁な現生系統であるチンパンジー属やゴリラ属でも、親子間の近親交配はしばしば見られます(関連記事)。人口密度と社会的流動性の低い社会では、近親交配を回避しない配偶行動の方が、適応度を高めると考えられます。おそらく、両親だけではなく近い世代での近親交配も推測されているアルタイ地域のネアンデルタール人が、その具体的事例となるでしょう(関連記事)。

 近親交配を推進する要因としてもう一つ考えられるのは、上述のアイルランドの新石器時代の事例や、エジプトや日本でも珍しくなかった、支配層の特権性です。支配層では、人口密度などの点では近親交配の必要性がありませんが、こうした近親交配は社会的階層の上下に関わらず、何らかの要因で閉鎖性を志向するもしくは強制される集団で起き得る、と考えられます。支配層の事例は分かりやすく、神性・権威性を認められ、「劣った」人々の「血」を入れたくない、といった観念に基づくものでもあるでしょう。より即物的な側面で言えば、財産(穀類など食糧や武器・神器・美術品など)の分散を避ける、という意味もあったと思います。財産の分散は、一子(しばしば長男もしくは嫡男)相続制の採用でも避けられますが、複数の子供がいる場合、できるだけ多くの子供を優遇したいと思うのが人情です。こうした「えこひいき(ネポチズム)」も、人類の生得的な認知的仕組みで、他の霊長類と共通する古い進化的基盤に由来します(関連記事)。

 生得的な認知的仕組みが相反するような状況で、その利害得失を判断した結果、支配層で近親交配が制度に組み込まれたのではないか、というわけです。近親交配の制度的採用という点では、財産の継承も重要になってくると思います。その意味で、新石器時代以降、とくに保存性の高い穀類を基盤とする社会の支配層において、とくに近親交配の頻度が高くなるのではないか、と予想されます。もっとも、農耕社会における食糧の貯蔵の先駆的事例はすでに更新世に存在し、上部旧石器時代となるヨーロッパのグラヴェティアン(Gravettian)が画期になった、との見解もあるので(関連記事)、更新世の時点で、財産の継承を目的とした近親交配もある程度起きていたのかもしれません。

 もちろん、近親交配回避の認知的仕組みは比較的弱いので、支配層における制度的な近親交配だけではなく、社会背景にほとんど起因しないような個別の近親交配も、人類史において低頻度で発生し続けた、と思われます。近親交配の忌避は、ある程度以上の規模と社会的流動性(他集団との接触機会)を維持できている社会においては、適応度を上げる仕組みとして選択され続けるでしょう。しかし、人口密度や社会的流動性が低い社会では、時として近親交配が短期的には適応度を上げることもあり、これが、人類も含めて霊長類社会において近親交配回避の生得的な認知的仕組みが比較的緩やかなままだった要因なのでしょう。現生人類においては、安定的な財産の継承ができるごく一部の特権的な社会階層で、「えこひいき(ネポチズム)」という生得的な認知的仕組みに基づき、近親交配が選択されることもあり得ます。その意味で、人類社会において近親交配は、今後も広く禁忌とされつつ、維持されていく可能性が高そうです。

 こうした進化史を前提として、現生人類は双系的社会を形成していますが、それがいつのことなのか、不明です。所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続けることの考古学的指標となるかもしれないのが、物質の長距離輸送です。これが集団間の交易だとすると(同一集団が物質を入手して長距離移動した可能性も否定できませんが)、広範な社会的つながりの存在を示し、所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続けることがその基盤になっているかもしれない、というわけです。こうした物質の長距離輸送は中期石器時代のアフリカで20万年以上前の事例も報告されており(関連記事)、現生人類の広範な社会的つながりこそ、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)など他の非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)に対する優位をもたらした、との見解には根強いものがあります(関連記事)。しかし、ネアンデルタール人でも物質の長距離輸送の事例が報告されており、しかも異なる文化間でのことなので、交易と呼んで大過ないかもしれません(関連記事)。そうすると、所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続けることは、現生人類とネアンデルタール人の最終共通祖先の段階ですでに存在しており、そこからずっとさかのぼる可能性も考えられます。

 どこまでさかのぼるのかはともかく、現生人類が、所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続けるように、複数の帰属意識を有することは確かです。民族もそうした集団への帰属意識の一つですが、現代においては大きな意味を有している、と言っても大過はなさそうです(普段はほとんど意識していない人も少なくないでしょうし、現代日本ではその割合が多いかもしれませんが)。民族について、20世紀第4四半期以降、近代において「創られた伝統」と強調する人が日本でも増えてきたように思いますが、近代における民族の「虚構性」はあり、前近代において民族という概念を適用して歴史を語ることには問題が多いとしても、民族が近代の「発明」ではなく、各集団によりその影響度が異なるとはいえ、前近代の歴史的条件を多分に継承していることは否定できないでしょう。その意味で、前近代において多様な民族的集団の存在を認めることには、一定以上の妥当性があると思います。民族の基本は共通の自己認識でしょうが、「客観的に」判断するとなると、文化の共通性となるでしょうから、文字資料のない時代にも、考古学的にある程度以上の水準で「民族的集団」の存在を認定することは可能だと思います。ただ、前近代において民族という概念を適用して歴史を語ることには問題が多い、と私は考えています。

 民族の形成について、私が多少なりとも語れるのは日本(もしくは、「ヤマト」など他により相応しい呼称はあるでしょうが)民族と漢民族くらいですが、どの要素を重視するかで見解が異なるのは当然だろう、と思います。私は、漢民族や日本民族のような規模の大きい民族となると、その構成員の自認という観点からも、近代以降の形成とみなすのが妥当だろう、と考えています。ただ、どちらも民族意識の核となる構成要素が前近代に見られることは否定できず、もっと前に設定する見解も間違いとは言えない、と思います。

 たとえば、漢民族が戦国時代〜秦漢期に形成されたと想定することも可能でしょうが、その場合、日本民族の形成時期は遅くとも平安時代にはさかのぼり、天竺(インド)・震旦(中国)・本朝(日本)という表現に示される(ここで朝鮮が視野に入っていないことに、その後の日本の世界認識の重要な論点が含まれている、と言えそうです)、と私は考えています。日本の漢詩文は、形式・題材・美意識のすべてにおいて、唐からの直輸入だった9世紀前半と比較すると、9世紀後半には、漢詩文という形式をとりながら、日本の身近な風景や人物に題材がとられるようになり、その美意識にも独自のものが見られるようになるとともに、日本で編纂された類書も、9世紀前半には中華地域的視点に限られていたものの、10世紀前半には日本の事象も対象とされていき、これらは「本朝意識」の芽生えとも言え、「国風文化」や、その本格的な始まりを告げる10世紀初頭の『古今和歌集』の編纂に象徴される和歌の「復興」もそうした文脈で解されます(関連記事)。

 現代とより直接的につながるという意味での「伝統社会」の形成を民族形成の指標とするならば、20年前頃に私が今よりもずっと強く東洋史に関心を抱いていた頃によく言われていた?「東アジア伝統社会論」が参考になりそうです。これは、中華地域や朝鮮半島や日本列島の「伝統社会」は、15〜18(もっと限定して16〜17)世紀に形成された、というもので、漢民族も日本民族もその頃の形成となります。私は、日本の「伝統社会」は平安時代から18世紀前半にかけてじょじょに形成され、南北朝時代や戦国時代は大きな変動期ではあるものの、そこが決定的な画期ではない、と今では考えています。「東アジア伝統社会論」とは異なるところもありますが、17世紀前後に漢字文化圏で「伝統社会」が形成された、との見解はおおむね妥当なように思います。

 まとめると、漢民族と日本民族の形成時期に関する私見は、(1)構成員の多数の自認を重視すると共に近代以降、(2)民族意識の核となる構成要素を重視すると、漢民族は戦国時代〜秦漢期、日本は遅くとも平安時代、(3)現代とより直接的につながるという意味での「伝統社会」の形成を重視すると共に17世紀前後となります。その意味で、漢民族の形成は精々近現代だが日本民族は縄文時代に形成された、というような見解は私にとって論外となります。一方、漢民族は戦国時代〜秦漢期に形成されたが、日本は明治時代で、さかのぼっても精々江戸時代というような見解も、基準が統一されていないように思えるので、支持できません。

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