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MMTの就業保障プログラム VS ベーシックインカム
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/974.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 7 月 26 日 20:01:17: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 信用貨幣論に基づく信用創造 投稿者 中川隆 日時 2020 年 5 月 29 日 10:48:14)

MMTの就業保障プログラム VS ベーシックインカム 2019年9月19日
From 小浜逸郎@評論家/国士舘大学客員教授
https://38news.jp/economy/14615

現代貨幣理論(MMT)を体系的に論じたランダル・レイ氏の『MMT現代貨幣理論入門』には、政府が雇用の安定と貧困の解決を目的として提供する「就業保障プログラム(JGP)」というアイデアがやや詳しく紹介されています。

これは簡単に言えば、政府自らが最低賃金を決めて労働者を雇い入れ、不況時に失業者が増大しないようにするシステムです。

政府の提供する仕事は、インフラの整備や社会福祉事業など、公共性の高いものが中心となるでしょう。

しかしそれだけではなく、ふだん民間が行なっているさまざまなプロジェクトについても、不況時には政府もタッチして、失業者に就業機会を提供することになります。

世界恐慌時代のニューディール政策がそのモデルの一つです。

こういうと、いわゆる「小さな政府」論者は、すぐクラウディングアウト(金利高騰による民間需要の圧迫)を心配するでしょう。

しかしJGPはあくまでその時々の最低賃金で雇用することが条件ですから、もし少しでも景気が回復して、それよりも高い賃金で雇う企業が現れれば、労働者はそちらに自動的に移っていきます。

そしてまた景気が悪化すれば、政府が財政支出を行なって、失業者を吸収するわけです。

いわばJGPは、景気循環の波をできるだけ抑えて完全雇用の実現を目指すための労働者のプールなのです。

このアイデアは、いくつかの点で優れている、と筆者は思います。

レイ氏の説明に従って、その利点を挙げてみましょう。

一つは、このアイデアが、「小さな政府」がよいのか「大きな政府」がよいのかといったイデオロギー的な対立の不毛さから自由な、柔軟なシステムだという点です。

JGPの雇用は、景気後退時に増加し、景気拡大時に縮小します。

景気過熱時にはインフレ圧力を弱め、不況時にはデフレ圧力を弱めます。

つまり景気後退時には、「大きな政府」になり、景気拡大時には「小さな政府」になるわけです。

その意味で、アメリカで言えば、民主党だけではなく共和党にも受け入れられる要素を持っています。

また、これは政府が直接雇用しますから、医療、育児、社会保障、病気休暇など、きちんと整った福利厚生とセットになっています。

ここに属する労働者は、パートタイム労働や季節労働を含め、その期間、一種の公務員になるわけですね。

次に最低賃金ですから、民間の雇用者は、これより少しでも高い賃金を支払えば労働者を引き抜くことができるので、雇用者どうしの低賃金競争を制限することができます。

また一般企業は、福利厚生や労働条件の面でも、少なくともこのプログラムと同程度の水準を提示しなければならなくなります。

ブラックな扱いを受けている労働者は、そこから逃れてJGPを選択することができるわけです。

為替レートとの関係ではどうでしょうか。

貧困層に所得をもたらすと、消費が増え、その結果輸入が増えるので、輸入物価が上昇して通貨安となり、インフレが加速することを心配する向きもあるでしょう。

しかしこの心配は、フィリップス曲線を盲信した主流派経済学からくるものです。

フィリップス曲線では、失業とインフレとがトレードオフの関係になりますから、一国の経済の安定のためには、ある程度の失業やむなしという考え方になります。

しかしレイ氏はこれに対して、次のように答えます。

《物価と為替レートの安定を達成するための主要な政策手段として貧困と失業を利用することに対しては、強い倫理上の反対論がある。》

また、《むしろ、就業保障プログラムは国内外における通貨価値に(最低賃金という――引用者注)土台を提供するがゆえに安定させ、実際にはマクロ経済の安定性を高める》

《為替レートへの圧力が万一強まって、それを最小化したいのであれば、国は貿易政策、輸入代替政策、ぜいたく税、資本規制、金利政策、取引高税などを依然として利用することができる》

つまり、貿易赤字の増加を解決するために、貧困層や失業者にすべての負担を押し付けるのはおかしいということですね。

このアイデアに対しては、このほか二つの批判があるようです。

一つは、政府の雇用の増減の幅が大きくなりすぎて、制御不能になるのではないかというもの。

不況時に多くの雇用を創出したのに、好況になったらそれがみんな民間の雇用に流れてしまうのでは、多くのプロジェクトを中止しなくてはならなくなるのではないか。

これはもっともな心配です。

しかし、アメリカでは、労働者プールにおける雇用の一般的な増減幅は、好況時の800万人から不況時の1200万人までの400万人と推定されており、好況時でもほとんどのプロジェクトが継続できるように、労働者プールに十分な数の労働者を確保しておくことは可能であろうと、レイ氏は述べています。

もう一つは、例によって「財源」をどうするのかという議論です。

政府が福利厚生とセットで賃金を払って労働者を直接雇用するとすれば、当然、相当の財政出動を覚悟しなくてはならないからです。

しかし、MMTをよく知る人なら、この議論は「うんざり」でしょう。

というのも、MMTは、自国通貨を発行できる国では、財源を税収に求めることを認めていないからです。

原則としてインフレ率以外に財政支出には制約がなく、債務の累積によって財政破綻することはありえないというのがMMTの最も重要な指摘です。

債務残高は、過去の財政支出のうち、税金で取り戻せなかった分の記録に過ぎず、それはそっくり民間の貯蓄になっています。

また、税の機能は、歳出を賄う点にあるのではありません。

それは、国民経済を安定化(インフレ、デフレのコントロール)させること、所得の再分配によって極端な格差をなくすこと、自国通貨納税によって一国の経済活動に信用をもたらすこと、公共性を害する経済活動を処罰することの四つです。

さらに進んで、中央政府は、中央銀行の準備預金口座に必要金額を電子記録として書きつけるだけで財政支出が可能となるので(つまり貨幣の創造)、MMTでは、利払いを伴う国債の発行すら、あまり思わしくないとされています。

国債とは、準備預金口座に書き込むことの代替機能に過ぎないのです。

「ザイゲン、ザイゲン」と騒ぐ人たち(ほとんどの行政関係者、政治家、エコノミスト、マスコミがこれに当たりますが)は、これらのことをまったく理解していないのです。

さて、MMTの就業保障プログラムとは別に、ベーシックインカムというアイデアが一部で盛んに議論されています。

これは、個人単位で、全国民に一定額を支給するというものです。

働いている人も働いていない人も、子どもも高齢者も、富裕層も貧困層も、ハンディのある人もない人も、一律同じ金額が支給されます。

政府が、生活できるだけの最低保障をするから、あとは自由に生活設計をしろというわけですね。

この考えはどうでしょうか。

メリットとして、貧困対策、少子化対策、地方の活性化(地方のほうが物価が安いので)、多様な生き方の実現、非正規雇用問題の緩和、社会保障制度の簡素化、行政コストの削減、などが挙げられていますが、どれも説得力がありません。

まず、真剣に貧困対策を考えるなら、富裕層にも支給するというアイデアはおかしいですし、子どもにも支給されれば結婚や出産へのハードルが外されるというもっともらしい理屈は、これまでの子ども手当などの対策が一向に効果を上げていないことで反証済みです。

地方の活性化は、インフラの整備というポジティブな政策によってこそ実現するので、物価が安いぶんだけ活性化につながるなどというのは、なんとも屁理屈めいています。

物価の安さは、同時に生産活動の沈滞をも表しています。

また、多様な生き方といえば聞こえはいいですが、引きこもりやニートもその一つということになりますから、そういう生き方を助長してしまうでしょう。

非正規雇用やワーキングプアの問題は、デフレのために雇用者が人件費を削減する動機から出ているので、デフレを前提とした上で、ベーシックインカムがその緩和に役立つという発想は、本末転倒です。

支給された金額が消費に使われずに貯金されてしまったら、デフレ脱却はいっそう遠のくでしょう。

社会保障制度の簡素化と行政コストの削減。じつを言えば、これがベーシックインカムという発想が出てくる本音の部分をあらわしています。

というのは、このアイデアは、もともと社会保障を極小にせよという新自由主義的な考え(小さな政府)から来ていて、高齢者、障碍者、病者など、特殊条件を抱えた人々に対するきめ細かな対応をやめて一本化してしまえばよいという粗雑な発想に基づいています(左派系の人たちは、一応社会保障制度との抱き合わせを主張しているようですが)。

ミルトン・フリードマンの「ヘリコプター・マネー」と共通していますね。

貧困? 失業? カネをばらまきゃいいじゃないか、というわけです。

じっさいフリードマンは、「負の所得税」という言い方で、ベーシックインカムとよく似たことを提案しています。

それぞれに特別な条件を抱えていて、ベーシックインカムではとても足りないという人はどうすればいいのでしょうか。

新自由主義得意の、「あとは自己責任で」というのでしょうか。

また、行政コスト云々については、MMTがそれを心配する必要がないことを証明してしまったのですから、何らメリットにはなりません。

ベーシックインカムのメリットとして、ブラック企業の抑止効果を唱える人もいるようですが、おいおい、それは反対だろう、と言いたいですね。

「お前は最低限食っていけるんだから、ウチじゃあ、そんなに給料出す必要はねえ。それでも働きてえなら、こんだけの仕事をいついつまでにこなせ」と考えるのが、ふつうの雇用者心理ではないでしょうか。

このアイデアの最もまずい点は、人々の勤労意欲を殺ぐことです。

楽をしたがるのが人性というもの。

もし働かなくても最低生活が保障されるなら、好き好んでつらい労働に従事する人はいなくなるでしょう。

ローマ時代末期の「パンとサーカス」と同じような状態が出現します。

筆者は、楽をすることが道徳的によくない(「働かざるものは食うべからず」)と言いたいのではありません。

働かなくても食っていけるのなら、多くの人が生産現場から手を引き、当然、社会全体の生産力、生産性は低下します。

つまりかえって貧困化が進み、亡国への道を早めるでしょう。

MMTの提唱する就業保障プログラムと、ベーシックインカムとの決定的な違いは、前者が必ず政府による雇用を条件としているのに対して、後者が、働くか働かないかを問題にしていない点です。

もちろん、どれか一つの政策に固執する必要はないので、状況に応じて、複合的に組み合わせて用いることは可能であり、それを許容する寛容さを持ち合わせることは大事なことです。

たとえば、給付型奨学金制度などは、ベーシックインカムの部分的な適用と見なすことができますから、大いに推奨されるべきでしょう。

ただ、思想として見た場合、どちらが優れているかといえば、就労を条件とするJGPのほうが、人間的自由の獲得の条件としてやはり立ち勝っていると言えるでしょう。

ベーシックインカムは、かつて救貧のために方法を見出せなかった時代の、富裕層による上からの慈善事業の現代ヴァージョンです。

もし誰もが勤労の対価を受け取り、それによって社会に参加しているという実感を抱けるなら、それが結果的に一人一人の誇りを維持する一番の早道と言えるのではないでしょうか。

昔の偉い思想家も、次のように述べています。

《各人が自分の欲求を満たすという主観的な動機にもとづいておこなった労働の投与が、全体としては、たがいに他人の欲求をも満たす相互依存の生産機構を作り出す。これは、「共同の財産」である。もしそういう共同の財産のネットワークが市民社会にきちんと整っているなら、それによって、だれもが自分の労働を通じて社会から一人前であるとして承認される。それは、慈善や憐憫に頼るような奴隷的なあり方とはちがった、人間的な自立と自由とを実感できる道である。》(ヘーゲル『法哲学講義』――ただし一部筆者改訂)

《「人生の要訣はただ働くにあり」》(福沢諭吉『民間経済録』)

https://38news.jp/economy/14615  

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コメント
1. 中川隆[-11159] koaQ7Jey 2020年9月25日 13:08:00 : H7WhLicYp6 : YkMuUE1FaVhDeXM=[26] 報告
竹中平蔵氏が提案する「月7万円」のベーシックインカム論がヤバすぎる
藤田孝典 | NPO法人ほっとプラス理事 聖学院大学心理福祉学部客員准教授
9/24
https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20200924-00199815/

竹中平蔵氏のベーシックインカム論

竹中平蔵氏がBS-TBSの報道1930に出演して、ベーシックインカム論を提案した。

その内容があまりにも酷く、SNSなどで波紋、批判を呼んでいる。

ベーシックインカムとは、簡潔にいえば、すべての個人に無条件で一定額を継続して給付するという政策である。

ベーシックインカムの給付については、最低生活に必要な額が想定されている場合もあれば、そうでない場合もあり、論者によって様々である。

「ベーシックインカムを問い直す」志賀信夫(法律文化社2019)

竹中氏は以前より持論としてベーシックインカム構想に触れている。

その提案が菅首相との会食後のタイミングだったからこそ、注目されたのだろう。

菅義偉首相 就任直後に竹中平蔵パソナグループ会長と会食しないでください

竹中氏は「所得制限付きベーシックインカム」という独特の説明をし、マイナンバーと銀行口座をひも付けて所得を把握することを前提に、国民全員に毎月7万円の支給を提案している。その上で所得が一定以上の人は後で返すようにするというのだ。

また、ベーシックインカム導入によって、生活保護が不要になり、公的年金制度も不要になるため、ベーシックインカムの財源にできるという。


竹中ベーシックインカムはここがヤバい
まずベーシックインカム導入と引き換えに生活保護、公的年金などの廃止、財源移譲がセットになっている。

生活保護は「最低生活保障+自立助長」の制度である。お金を渡すだけではなく、福祉的なケアや生活支援をセットでおこなう。

生活保護を廃止できる、と安易に考えているのであれば、福祉的なケア、生活扶助以外の医療扶助、住宅扶助、教育扶助などは支給しなくていいのだろうか。

とてもではないが、月7万円の金額では現行の生活保護を廃止できるほどの水準ではない。

単なる福祉削減の提案になってしまっている。

さらに、公的年金を廃止する際には、厚生年金も廃止するのだろうか。

厚生年金は月7万円以上支給されている人も多く、その年金で高齢者施設、介護施設などに入所している人たちも大勢いる。

一律で月7万円支給して、各種年金制度、社会保険制度を廃止するなら文字通り、路頭に迷う人々が出てくるだろう。

そもそも支給されている年金の大幅な不利益変更など認められるわけがない。

そして、竹中氏はベーシックインカムには所得制限を設け、所得が一定以上の人は後で返すようにするという。

前述の志賀信夫氏によれば「ベーシックインカムとは、簡潔にいえば、すべての個人に無条件で一定額を継続して給付するという政策」である。

支給に所得制限が付いている時点で、すべての個人に無条件で支給することにはならず、ベーシックインカムの要件を欠く議論になっている。

それから、そもそも「月7万円」で基本所得、ベーシックインカムと言えるだろうか。

志賀信夫氏も「最低生活に必要な額が想定されている場合もあれば、そうでない場合もあり、論者によって様々である。」と言及している通り、支給金額は議論の余地がある。

しかしながら、生活保護も公的年金も廃止されて「月7万円」渡されても困る人は多いのではないか。

さらに、健康保険制度も解体されようものなら、たまったものではない。

国民年金での満額支給が7万円程度なので、この金額で十分だと言えるならば、高齢者の壮絶な貧困現場を見たらいい。

単身高齢男性のみの世帯では36.4%、単身高齢女性のみの世帯では、56.2%の凄まじい相対的貧困率を記録している(総務省2016)。

つまり、国民年金程度の支給金額では貧困に苦しむ人々を生むのであり、医療や介護需要が高まった際には生活保護が必要になる。

しかし、その際に生活保護は廃止されているそうだ。想像しただけで恐ろしい。

いずれにしても、竹中平蔵氏のベーシックインカム論は雑すぎる。

菅首相と関係性も近く、社会的影響力があるのだから、大混乱を巻き起こさないためにも、もう少し緻密な構想を練ってから披露してほしいものだ。

https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20200924-00199815/

2. 中川隆[-11138] koaQ7Jey 2020年9月26日 11:01:21 : oJAr3sCzck : VFhPMUdKMWZ6b0U=[12] 報告
ベーシック・インカム(ミルトン・フリードマン=竹中平蔵版)
2020-09-26 三橋貴明
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12627559007.html


 さて、竹中平蔵氏のベーシック・インカムが話題というか、批判にさらされています。

『菅首相のブレーン・竹中平蔵氏、「生活保護&年金廃止」「一律7万円支給」提言が物議

 菅義偉首相のブレーンの一人、パソナグループ会長の竹中平蔵氏の「ベーシックインカム」(基礎所得保障、BI)構想に批判が殺到している。竹中氏は23日、BS-TBSの報道番組『報道1930』で、所得制限付きのベーシックインカムを提案した。「国民全員に毎月7万円支給」「所得が一定以上の人は後で返す」「マイナンバーと銀行口座をひも付け所得を把握」などというもので、インタビュー記事などでかねてから提唱していた案を改めて語った。

 問題はその内容だった。「7万円」という額面や「所得制限」の実施、財源を生活保護や厚生年金を廃止にすることで、捻出するという「自己責任論」の第一人者らしい竹中氏の構想だったため、インターネット上では批判が殺到している。(後略)』

 わたくしがベーシック・インカム(以下、BI)についてあまり触れないのは、すぐに「アイコン」の議論になってしまうためです。(※アイコンとは、抽象化が進み、中身が判別不可能になった政策の「言葉」を意味します。)
 つまりは、BIにも様々な種類があるにも関わらず、中身ではなく「BIに賛成? 反対?」 という議論になってしまうのです。


 そして、BIに賛成するにせよ、反対するにせよ、
「BIに賛成する三橋は○○だ」
「BIに反対する三橋は○○だ」
 といったレッテル貼り合戦になってしまうため、「中身」をきちんと理解し、アイコンで語るのはやめようよ、と言っているわけです。別に、BIには限りませんが。


 BIにもいろいろありますが、わたくしが最初に知った「考え方」は、新自由主義の元祖、ミルトン・フリードマンの、
「既存の社会保障制度は全廃し、高所得者から低所得者に最低限の所得分を移転する所得補償制度」
 です。低所得者層は所得税を取られるのではなく、受け取ることになるため、負の所得税と呼んだりします。


 要するに、今回の竹中氏の提案そのままです。
 竹中氏の発言を引用。

『(財源の)基になるのは(米経済学者)ミルトン・フリードマンの『負の所得税』の考え方だ。一定の所得がある人は税金を払い、それ以下の場合は現金を支給する。また、BIを導入することで、生活保護が不要となり、年金も要らなくなる。それらを財源にすることで、大きな財政負担なしに制度を作れる。生活保護をなくすのは強者の論理だと反論する人がいるが、それは違う。BIは事前に全員が最低限の生活ができるよう保証するので、現在のような生活保護制度はいらなくなる、ということだ。』
 
 フリードマン・竹中式BIの問題は色々ありますが、とりあえず「あらゆる非常事態」に対する備えが「自己責任」となります。


 自助・共助・公助ではなく。自助・自助・自助です。


 病気や老齢といったリスクへの備えも、自己責任。「各々が勝手に保険に入ればいい」というわけで、「政府が国民を守る」という考え方が消滅します。
 究極の小さな政府でございますね。


 より根本的な問題は、そもそもフリードマン式BIは、
「社会保障支出が膨れ上がり、財政破綻する」
 という、貨幣のプール論、天動説の貨幣論に基づき生まれが発想という点です。


 フリードマンは、社会保障支出を目の敵にしており、「ムダだらけで財政肥大化の主因である社会保障など、廃止してしまえ!」という考え方の持ち主でした。つまりは、初めに緊縮財政の発想ありき、なのです。

 また、最低賃金制度についても、「そんなものがあるから、企業が雇用を増やせないんだ」ということで、撤廃を主張。


 とはいえ、そうなるとさすがに飢えで死ぬ国民が続出し、暴動やテロ、犯罪が頻発することになるため、
「最低限、生きていけるだけの保障」
 としてBIを言い出したのです。しかも「財源」については、高所得者層から所得税を徴収すればいい。


 一切の行政の裁量無しで、機械的に高所得者層から低所得者層に所得を移転させるのだ。社会保障の不正受給問題等もなくなり、効率的だろ?

 という話なのでございますよ。

 というわけで、竹中氏が言い出したBIは、少なくともフリードマン式BIの基本に沿っています。「財源」として社会保障全廃や負の所得税を言い出しているため、結局は「財政均衡主義」ありきなのです。

 ここが、ポイントです。

 国民が財政均衡主義、緊縮財政思考に染まっている限り、BIにしてもフリードマン・竹中式のBIにならざるを得ない。

 緊縮志向を打ち砕くことさえできれば、BIだろうがJGPだろうが、社会保障充実だろうが国土強靭化だろうが、科学技術・教育予算増強だろうが地方経済再生だろうが、防衛力強化だろうが食料安全保障強化だろうが、何でもやればいいのです。国民や政治家が大いに議論し、決めればいい。


 逆に、緊縮財政が前提となると、BIにしてもフリードマン・竹中方式になってしまうのです。


 というわけで、カギは「緊縮財政の打破」なのです。緊縮財政さえ叩き潰すことができれば、わたくしは「経世済民」のためにいかなる政策が採られようと、文句を言う気はありません。


 緊縮財政である限り、BIは自動的にフリードマン・竹中式になってしまうため、空しい議論にならざるを得ないのです。わたくしが、普段はあまりBIについて語らない理由をご理解頂けました?

https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12627559007.html

3. 中川隆[-11068] koaQ7Jey 2020年10月01日 07:53:45 : B74PUDZOsk : Qm5DT2VLQzlKcDI=[14] 報告
竹中平蔵氏のドケチベーシックインカム月7万、コレじゃない感の危険な正体=今市太郎
2020年9月29日
https://www.mag2.com/p/money/968355

菅新内閣の強力なアドバイザーとして機能しはじめている経済学者の竹中平蔵氏は、テレビ番組で驚きのベーシックインカム案を提唱。物議を醸す状況となっています。自助努力を促す貧民政策の柱なのでしょうか。(『今市太郎の戦略的FX投資』今市太郎)

「月7万円で暮らせ」という乱暴な提案
菅新内閣が誕生してから、おぼろげながらも具体的な政策方針が見えはじめています。

この内閣の強力なアドバイザーとして機能しはじめている経済学者の竹中平蔵氏は、TBSのBSテレビ番組に登場して驚きの「ベーシックインカム案」を提唱したことから、市場では大変な物議を醸す状況となっています。

ベーシックインカムの議論のたたき台と考えるならば、それほど厳しく追及すべきものではないのかもしれません。しかし、竹中氏の提案内容は、医療・年金・介護・生活保護などの社会保障給付費をすべてぶった切り、捻出した120兆円あまりを原資として、1人当たり7万円を支給すれば101兆円弱で収まるので、それ以外の保証はすべて廃止するというもの。あとは個人の自助努力で勝手にやってくれ、というかなり大雑把で乱暴な提案となっています。

とくに公的医療保険の領域でのサポートがまったくなくなった場合、高齢者は本当に生きていけるのかという大問題が浮上することになります。そもそも、シビルミニマムといっても金額が小さすぎて、リアルな生活では暮らしていかれないという絶望的な気分にさせられます。

ドイツではすでに同国の経済研究所がユニバーサル・ベーシックインカム研究の一環として、向こう3年間に渡って120人のドイツ人に月間1200ユーロ(日本円にして15万円)を支給する実験をはじめています。この実験の月額金額でも、竹中氏の口走る提案内容の2倍強の金額ですから、7万円というのがいかに安くて、多くの国民を棄民に追いやる超低レベルの水準なのかは、実施しなくてもよくわかる状況です。

貧困ベーシックインカムは実現するのか?
今のところ、竹中平蔵氏が勝手にメディアで話した提案内容なのだから、騒ぐ必要はないと言う方も多いようです。

しかし、菅官房長官は、竹中平蔵氏が小泉政権時に民間から総務大臣として登用された時の副大臣であり、両者は極めて近しい関係にあります。しかも総理就任後の直近、9月18日には、さっそく竹中氏と都内のホテルで朝食をとりながら懇談をしており、実際にはかなりシンクロナイズされている可能性も高まります。

まずは竹中発言で観測気球を上げてみて、世間やメディアの反応を見始めている可能性は十分にあります。

ひょっとすると、これまでも自助・共助・公助がどうのと散々言い触れていたものの、究極の目標はこれだったのかという気もしてくるわけで、なんとも気分の悪くなるのは私だけでしょうか。

世界的に先進国は社会主義化し、ベーシックインカムを検討する傾向が強い
世界的に見ますと、MMT(現代貨幣理論)などが流行っていることもあり、米国や欧州圏でこのベーシックインカムについて真剣に導入を口にする政治家が非常に増えているのは厳然たる事実です。

米国民主党でこの手の話を積極導入しようとするアレクサンドリア・オカシオ=コルテス氏などは、実証実験は行っていないものの、日本がどれだけ財政投資を行っても30年もデフレが続き、何の問題も起こらなかったことをベンチマークの基礎にするなど、かなりお粗末な検証しかされていないのもまた事実。

今のところベーシックインカムの実証化で、ベストプラクティスとなっているものはないのが実情です。

ミルトン・フリードマンがベーシックインカムを提唱してからすでに半世紀以上
ベーシックインカムというと、とにもかくにもまず思い出されるのが、1976年にノーベル経済学賞を受賞した競争的市場を信奉するいわゆるシカゴ学派のミルトン・フリードマンの存在です。

同氏は1962年にすでにベーシックインカムを含む発想を書籍として出版していますし、その前から欧州圏ではこの手の発想がしたためられてきていますので、決して歴史の浅い富の分配案ではないことがわかります。

しかし、ベーシックインカムは、その利点として「貧困の一掃」「将来不安の緩和」「長期的な需要創出と経済拡大」「セーフティネットで何度でも挑戦できる社会の実現」「ブラック企業など経済理由の犯罪の減少」などが語られる一方、デメリットについても多くの指摘があります。

デメリットの代表例は、「国民全般の労働意欲の低下」「財政負担の増加で、インフレ時に借金が拡大した場合の持続可能性の低下」「金銭だけで解決しない社会保障サービスの喪失」などで、今のところ最適なプランというものはどの国でも実現できていないのが現実です。

また計画経済と社会保障の実現を掲げていた社会主義国は90年代までにほぼ消滅し、こうした枠組みでうまく機能している国は世界中見渡してもどこにもないという、かなり大きな現実が存在するのもまた事実です。この手の政策、本当に経済学者だけで枠組みを決めていいのか?という問題も浮上することになります。

そういう意味で思い浮かぶのが、1998年のロングターム・キャピタル・マネジメントの破綻問題です。当時、ノーベル賞学者による完璧な予測と投資を売り物にしていたにもかかわらず、レバレッジをかけすぎた取引で、ロシア危機で完全に破綻に追いやられるほど危機的な状況に陥ったことは記憶に新しいところです。

つまり、学術的な枠組みを設定して運用を開始しても、実態経済の中ではうまく機能しなくなることは十分にあるもので、学者任せにするのは相当危険であることを感じさせられます。

中間所得層が絶滅すれば資本主義はおしまい
今のところ竹中案がそのまま実行に移されるとは思いませんが、これをまともに実施した場合、1億総国民貧民化となるのはほぼ間違いない状況です。

ベーシックインカムの実施にあたっては、より多角的な分析と計画を進めることが必須の状況と思われます。

ただ、この段階で1つだけはっきりしていることは、あまりに低金額レベルのベーシックインカムを実施してしまうと、資本主義を継続するために必要な中間所得層という存在が完全に消滅しかねないことで、1億総貧民化が進めばもはや取り返しのつかないところに追い込まれてしまうということです。

これは日本に限ったことではありませんが、過去20年あまりでこの国から中間層というものは確実に消滅しつつあり、多くの国民が自らをまだ中間層であると錯覚していることが、なんとか社会を支えているというのが現実です。

60代後半の学者や政治家が安易に決定する政策は、せいぜい先行き20年を超えれば本人にとってはまったく関係のない世界の話となりますから、現状のように老人ばかりで構成されているような政権に安易に決めさせてはけっしてならないものであり、広範な国民的議論が湧き上がることを期待したいものです。

日本経済のこれからに期待するのは難しい
これで超没落社会が現実のものになれば、内需で発展を遂げなくてはならない企業で構成される日経平均株価などがここから大きく上昇するなどという期待はまったくの夢になりかねない状況です。

海外投資家はまったく買わなくなり、日経平均がここから4万だなんだと荒唐無稽なことを口走っていた向きは完全に撤退を余儀なくされそうです。

竹中氏はこの政権では中枢的な役割を果たしてかなり活躍しそうな嫌な予感しかしませんが、その同氏がこのタイミングでベーシックインカムについて語るというのは、単なる偶然ではないのではないでしょうか。

またしても新自由主義の出来損ないがこの政権で跋扈(ばっこ)することになるのかと思うと、お先真っ暗な気分です。

4. 中川隆[-10979] koaQ7Jey 2020年10月07日 23:36:24 : jtp6VypvpQ : a1FaSjRBSkN5U0E=[12] 報告
竹中平蔵はなぜ「ベーシック・インカム」を言い出したのか? [三橋TV第298回] 三橋貴明・saya
2020/10/07





5. 2020年10月26日 20:12:02 : dmSeYzZ7jM : dUcuNGFwLk1nYUU=[33] 報告
橋洋一チャンネル 第18回 ベーシックインカムって何?実現の可能性は?再び定額給付金は?
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6. 中川隆[-9782] koaQ7Jey 2020年11月19日 21:00:36 : SLEgGoMUOc : YU1tY1pGWlVUTTY=[22] 報告
アメリカの新しい論調から「ベーシックインカムについて」
2020-11-18
http://blog.tatsuru.com/2020/11/18_1704.html


Foreign Affairs Report を定期購読している。アメリカの本家のForeign Affairs の主要記事を和訳してくれたもので、雑誌の性格上、ホワイトハウスの政策決定過程に関与している、あるいはしたことのある人の寄稿が多いので、アメリカが今何を問題にしているのかを知る上ではたいへん貴重な情報源である。でも、「おう、俺も読んでるぜ」という人に会ったことがない。どうしてなんだろう。ほんとに貴重な情報源なんだけど。

ともかく、その2020年11月号に、日本人もよく読んでおいた方がいいと思われる記事があった。情報を共有しておきたいと思う。

それはカナダの学者のベーシックインカム(BI)論である。

2020年の大統領選の民主党候補に立候補したアンドリュー・ヤンはすべてのアメリカの成人に月額1000ドルを給付するというBIのアイディアを提示した。残念ながら、まったく支持が広がらず、2月のニューハンプシャーの予備選で撤退した。しかし、3月にアメリカでパンデミックが広がると事態が一変した。共和党のロムニー上院議員は一回限りの支給だが、全員に1000ドル給付を提案した。実際にアメリカ政府は所得条件をつけて、最大1200ドルの一時給付、失業者には毎週600ドル給付することを決定した。

ふだんのアメリカなら「自助」である。失業したのも病気に罹るのも自己責任である。公的支援を求めることは許されないというリバタリアン的な発想が主流である。

けれども、今度はあまりに短期間にあまりに大量の失業者が出現したのである。自己責任で放置するには多すぎた。そして、既存の社会福祉プログラムではこれに対応できなかった。

理由の一つは彼らの多くがパートタイマーや自営業やギグワーカーで社会保障の受給条件を満たさなかったこと。もう一つは給付レベルが低すぎて、そんなものをもらっても生活できなかったこと。もう一つは支給条件の検査が面倒すぎること。支給するまでにさまざまな条件をクリアし、ケースワーカーとの定期的な面談を義務づけると、もうシステムが押し寄せる受給希望者に対応できない。

だから、受給条件を緩和し、給付レベルを上げて、申請プロセスを大胆に簡略化した。「申請すれば支給される」というシステムの信頼性を高めたのである。これはBIにアイディアとしては近い。

その経験を踏まえて著者(Evelyne L. Forget)はこう述べる。

「BIは単なるお金だが、それは他の所得支援プログラムと比べて大きなメリットがある。政府がやるべきことは、お金を口座に送金するだけだ。これは、現在実施されている複雑で官僚的なシステムの多くよりも、はるかに効率的な支援方法だ。」(「ベーシックインカムの台頭−パンデミックが呼び起こした構想」、FAR, 2020, No.11, p.21)

もう一つ大きなメリットがある。「誰が何を必要とするかを深く考える必要がないことだ。」(Ibid.)

アメリカにはフードスタンプ制度があるけれど、これは栄養支援なので、食物以外に使えない。酒もたばこも買えない。「好きにさせると人は悪い決断を下す」という人間観が制度設計の前提になっている。

「だが、BIでは、概して貧困の原因はお金がないことで、政府はこの問題を解決し、それをどのように使うかは市民に委ねるべきだと考えられている。」(Ibid,)
その論拠として著者はカナダのBI事例を挙げる。
カナダのマニトバ州では1975年から78年までBIを実施した。その結果わかったこと。

病院の受診者が減った(主にメンタルヘルスのカウンセリングが減ったため。鬱病、睡眠障害などを訴える患者数が減った)。犯罪発生率が減った。就職する人の数が増えた。

BI反対論者は「BIを支給されると就労意欲が減殺する」と主張しているが、これはBIについては当たっていなかった。

その中で、就労者が減った社会集団が二つあった。一つは第一子を出産した女性たち(彼女たちはBIを利用して産休を延長した)。一つはティーンエイジャーの若者たち(高校を中退して就労するのを止めて、ハイスクール卒業資格を得るまで学校にとどまった)いずれも長期的にはBI利用者の生活のクオリティを高める効果があった。

フィンランドとオラダの実験では、通常の社会保障プログラムに従い、職探しをし、職業訓練を受け、ケースワーカーと定期的に面談する集団よりも、BIを支給しただけで放っておいた集団の方がフルタイムの仕事を見つける率が高かった。
「研究者たちは、官僚的な条件を強要しなければ、より良い仕事を探す時間が増えると結論づけた。」(p.23)

BIの最大の難点は莫大な金がかかることである(アメリカの場合、BIの実施に必要な金額は3兆ドル。年間予算の6分の1に達する)。

「しかし、BIを支出とみなすのは、間違っている。それは、人々が望む社会への投資であり、健康、教育、安全を重視する人がそれぞれに投資する。(...)BIは、メディケアのような他のプログラム、貧困層の医療ケアの責任を負ってきたプログラムの負担を軽くする。病気になるまで待って貧しい人に治療費を払うよりも、自分の世話をできるように、事前にお金を与える方がいい。」(p.24)

費用対効果を考えると、既存のプログラムよりもBIの方がすぐれていると著者は結論している。もちろんBIは公共サービスの代行をするわけではない。障害や依存症を抱えている人たちにはBI以外に特別の支援が要るし、医療と教育についての支援は全国民が享受する権利があると著者は述べている。

これくらいの基本的な了解の上に議論が始まっている。竹中平蔵が「一人7万円くばって、すべての社会保障制度を廃止する」とぶち上げたのはBIでもなんでもない。ただの棄民政策である。術語は厳密に使わねばならない。

http://blog.tatsuru.com/2020/11/18_1704.html

7. 2020年11月29日 14:26:07 : 0dW5WXdb4g : aVBMMHpYRUt5V0E=[11] 報告

 COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)を口実にして社会を収容所化する政策が世界規模で進められているが、収容所化が進むと人びとの移動制限は強化され、団結しにくい状況が作り出され、監視システムも強力になり、経済活動は麻痺して人びとは安定した収入源を奪われる。教育を受ける権利はすでに奪われはじめている。必然的に健康保険や年金の仕組みも破綻するだろう。

 ベイシック・インカムを主張する人もいるようだが、これは支配者から被支配者へカネを流す仕組みであり、富が支配者へ集中することを前提にしている。家畜が餌を要求しているようなものだ。収容所化は人びとを家畜にする政策だとも言えるだろう。

 COVID-19を利用して資本主義を大々的に「リセット」するべきだとWEF(世界経済フォーラム)を創設した​クラウス・シュワブは主張​したが、そのリセットとは社会の収容所化であり、人びとの家畜化だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202011290001/

8. 中川隆[-7019] koaQ7Jey 2021年2月28日 09:41:26 : 1vS4Oaq6as : UVJJTWxKQ3EwUUU=[13] 報告
「一億総生活保護」化!?ベーシックインカム導入で危惧される未来とは
2021/02/28


的場昭弘氏(左)と、白井聡氏(右)

 いま、貧困や経済格差の問題を解決する方法として、国が全国民に一律で必要最低限の生活費を給付する「ベーシックインカム」が注目されています。その実現可能性は、どのくらいあるのでしょうか? 『いまこそ「社会主義」』(朝日新聞出版)の共著者である的場昭弘さんと、『武器としての「資本論」』(東洋経済新報社)の著者である白井聡さんに聞きました。(※本記事は、朝日カルチャーセンター主催で2020年11月に行われた対談講座「マルクスとプルードンから考える未来」の内容の一部を加筆・編集したものです)

■ベーシックインカムは、企業のためのもの?

――ベーシックインカム論は、労働者が資本から自由になる道でしょうか? それとも、国民が国家に取り込まれる道でしょうか?

的場:ベーシックインカムというのは、もともとは資本主義的な発想の中から出てきた概念です。資本主義経済では、消費者にたくさん消費してもらわないと、企業活動を継続することができません。つまり、消費者である国民の所得の保障を国家がすることで、企業活動が滞りなく行えるようにしましょうというのが、ベーシックインカム論の背景にあるもともとの考え方です。

 一つの近未来として、企業活動がどんどん自動化されていって、いわばロボット化して、多くの労働者が働かなくてもよくなった状況を考えてみましょう。そうすると、仕事を失った労働者は賃金をもらうことができませんから、積極的な消費が行われなくなります。そこで、消費を行ってもらうための方策のひとつとして、ベーシックインカムが出てきます。

 このベーシックインカムの実現を考えるにあたってポイントになるのは、国家が国民にあまねくお金を配るための原資をどうやってつくるか、ということです。企業活動が滞りなく行えるようにするという目的に照らせば、企業に税金をかけるというのが合理的となります。その税金を原資にして、国家が労働者にお金を与えて、消費してもらうということです。

 ベーシックインカムを受給するとは、いわば、そうやって消費のために動かされていく世界に生きるということです。そもそも、ベーシックインカムという考え方のおおもとには、労働者が自らの労働権をしっかり行使して、その対価として得られるべき所得を得て生きていくという発想がありません。本当にそれでいいのかという、難しい問題を考えなくてはなりません。

 政治家の中にはベーシックインカム論を立ち上げようとする人たちもいますが、いまひとつ説明しきれない理由は、いったい誰が何のためにベーシックインカムをやろうとするのかということが明確にされていないからではないでしょうか。

■ベーシックインカムは、人間を不幸にする?

白井:質問された方も2つの可能性があると思っておられるようですが、私も基本的にはその2つの可能性があるだろうと思います。

 ですが、少なくとも、現時点で仮にベーシックインカムが導入されるとするならば、たぶん精神的にネガティブな影響が広がる結果にしかならないじゃないかなという気がします。いうなれば、国民一億総生活保護者化するっていう感じになっちゃうのではないかと。

 生活保護という制度に関してはさまざまな問題というのが指摘をされていますが、私がここで問題にしたいのは、不正受給が起きるかもしれないなどといったことではありません。ベーシックインカムは、それをもらいながら暮らすことで、「何もしなくていいんだろう。医療費タダだしな。あー、なんて安楽で、充実もしているな。本当にこれが最高の生き方だ」と思える人がどれほどいるのだろうかという、根本的な問題をはらんでいると思います。

 たぶん、そんな人はほぼいないと思うんです。それが、人間のある種、社会的本能ということなのではないかと思います。

 ベーシックインカムをもらうとは、いわば、「自分が社会に対して何も与えることができていない」と思いながら、社会から一方的に受け取っているという状態です。もちろん実際には、本人が気付いていないだけで、何かしら社会に与えているのかもしれません。でもとにかく、「与えていない」と思わされる状態で、一方的に給付を受けるという状況が、人間はすごく不愉快、不本意なことなんだろうと思います。だから心がすさみやすいという問題を抱えているのではないでしょうか。

 労働は、人間という存在にとって極めて本質的なものであり、人間らしくあるための条件でもあると思います。生活保護受給者が陥っている精神的苦境はこれが満たされないことに端を発している。ベーシックインカムとして労働をしないでお金だけもらえるとなると、こうした生活保護受給者の精神的苦境が全国民的に広がっていくっていうことが起きるんじゃないのかなということを、私は危惧しています。

的場:結局、労働は、所得とは関係なく存在しているものでもあるということですね。労働は、人間と人間をつなぐものでもある。つまり、労働を抜きにしたら人間関係がなくなるということが言えると思います。

 それに、国家からお金を受け取るということは、まあ、国家によってまさに飼いならされてしまうという危険性をはらんでいるとも言えます。ベーシックインカムは、すごくおもしろいアイデアだと思います。ただ、実施するには、さまざまな工夫が必要であるということは間違いないですね。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E4%B8%80%E5%84%84%E7%B7%8F%E7%94%9F%E6%B4%BB%E4%BF%9D%E8%AD%B7-%E5%8C%96-%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%A0%E5%B0%8E%E5%85%A5%E3%81%A7%E5%8D%B1%E6%83%A7%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%81%A8%E3%81%AF/ar-BB1e4UFC?ocid=msedgntp

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