2020年7月11日 【藤井聡】川辺川ダムが「予定通り」作られていれば、球磨川決壊による死者の多くが「救われていた」疑義が極めて濃厚である。 https://38news.jp/economy/16279 (1)大きな被害をもたらした球磨川決壊
梅雨前線の日本列島での停滞による「令和2年7月豪雨」は、全国に様々な被害をもたらしています。その中でも特に大きな被害を受けたのが熊本。下記記事では熊本県の死者は55人、行方不明が9人と報道されています。 https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000188016.html 熊本でここまで被害が拡大したのは、球磨川で多数の氾濫と2カ所の決壊があったからです。 球磨川は、多数の支流から多くの水が流れ込む一方で、川幅が狭く、「日本三大急流」の一つにも位置づけられる河川です。それだけ流れが速ければ当然、豪雨時には、氾濫が生じる「暴れ川」となります。したがって河川の技術者達は皆、今回のような大水害が生ずるリスクが極めて高いという事実を、残念ながらよく認識していたのです。 だから技術者達はこの球磨川の洪水対策=治水対策のために様々に議論を重ね、行政に迅速な対策を図ることを進言し続けて参りました。 その中で技術者達が、ほぼ唯一の現実的な対策としてずっと進言してきたのが、「川辺川ダムの建設」でした。 (2)球磨川決壊を防ぐために、川辺川ダム事業が40年をかけて進められてきた 技術的な事前検討によれば、そもそも今回決壊した「人吉」エリアは球磨川で最も脆弱な地点だという事が分かっており、そこでの氾濫を防ぐ為には、少なくとも川の流量を「七分の三」つまり、43%もカットしなければならないと計算されていました。 そのための最も効果的、かつ、現実的な解決策が、「川辺川ダム」の建設だったのです。それ以外にも「放水路を作る」(つまり、新しい川をもう一本掘って、水を分散させる)、「遊水池を作る」(ダムの代わりに、大きな池を作る)などの対策も検討はされたのですが、建設時間も、建設費用も、余分にかかってしまうことが示されており、現実的な解決策としてダム建設が得策となろうと判断されたのです。 こうした経緯で川辺川ダム事業は、1966年から始められ、2008年時点ではおおよそ7割程度の進捗状況にまで至っていました。 (3)「ダム不要論」の世論に押される形で、ダム事業は中止、その後対策はなされなかった。 しかし、21世紀に入ったあたりから、(地元の洪水リスクに対する危機感とは裏腹に)公共事業、とりわけダムに対する反対世論が日本を席巻していくようになっていきます。 そんな空気の中で行われた選挙を通して誕生した蒲島郁夫熊本県知事(現役)は、自然環境の保護等を理由にダム反対を表明するに至ります。さらには「コンクリートから人へ」を標榜した民主党政権によって、八ッ場ダムと同時にその建設事業が2008年に中止されてしまいます。 つまり、人吉市を中心とした球磨川沿岸域の人々の命と財産を守る為に、1966年から40年以上の歳月をかけて7割方進捗していた川辺川ダム事業が、当時の「ダムは無駄だ」という空気に押されて破棄されるに至ったのです。 この時に既に、今回のような大水害が球磨川決壊によって起こることは、誠に遺憾ながら半ば決定づけられたと言えるでしょう。 そもそも川辺川ダムは、2008年に中止されていなければ、(1100億円の予算で)2017年には完成していた筈でした。 一方で、放水路は8200億円の予算と45年もの年月がかかると試算されています。遊水池に至っては、1.2兆円の予算と100年以上の歳月がかかるだろうと予期されています。つまり、放水路も遊水池も決して「現実的」な解決策ではなかったのです。したがってそんな事業を政府が決定することなど出来る筈も無く、未だ着工すらされていないのが実情です。 つまり、ダム中止から12年間、球磨川決壊に対する「抜本的」対策は、何ら進められることなく、今日を迎えてしまった、というのが現実なのです。そもそも当初に技術者達が検討した様に、ダム以外の現実的な解決策など存在しないわけだったのですから、ダム中止となってしまった以上、こうなるのは当然の帰結だと言わねばなりません。 だから、当時から我々技術者は皆、「この状況下でダム事業を中止するということは、球磨川沿岸行きの人々に、“豪雨が来たら、大水害が起こって死亡するかも知れない状況になるが、それについては諦めてもらいたい”と言っているに等しいじゃないか!」と思っていたわけですが・・・まさにそうなってしまったのが、今回の大水害だったのです。 誠に無念です・・・。 (4)命運を分けた「東の八ッ場、西の川辺川」 川辺川ダムの建設を最終的に中止したのは、時の政権であった民主党政権でしたが、そのとき盛んに無駄の代表として言われていた言葉が、「東の八ッ場、西の川辺川」でした。 両者とも建設中止となったのですが、八ッ場ダムは、「幸い」にして民主党政権下で建設が再開され、昨年10月から共用が開始されました。そして、その僅か10日余り後に襲来した台風19号による関東平野の未曾有の大洪水を防ぐために大きな役割を果たしたのです。 したがってもしも、この川辺川ダムも当時中止されていなければ、今回の球磨川エリアの大洪水を防ぐ為に大きな役割を果たした筈・・・だったのです。 球磨川には、市房ダムというものが既にありますが、その容量は川辺川ダムの1割程度しかありません。したがって、洪水調節にはやはり川辺川ダムが必要不可欠だったわけです。 もちろん、今回の観測史上最高と言われた今回の豪雨による全ての氾濫を防ぐことは困難だったかもしれません。しかしそれでも、それだけ大量の水を上流側でせき止めておけば、その被害を大幅に減ずることができるのは明白。しかも今回二カ所で起こった「決壊」という最悪の事態は大なる可能性で回避できていたでしょう。 つまり、もしも川辺川ダムさえあれば、決壊を未然に防ぎ、ここまで多くの死者を出すことも無かったに違いないわけです。 ・・・つまり、いわゆる「ポピュリズム政治」の中で、その時々の「世論の空気」に流されて、技術的検討を度外視して下してしまった政治決定は、時にこれだけ多くの人々の命を奪い、街そのものを破壊しつくす帰結を導き得るのです。 ついては熊本県、そして政府の関係者には、こうした哀しい歴史を二度と繰り返さぬ決意の下、今後何をなすべきなのかを誠実にご検討いただき、可及的速やかな対策を進めていただきたいと思います。次なる豪雨でさらに多くの方々の命が失われてしまった後でどれだけ悔やんでみても、時既に遅しとなる他ないのです。 追申: 長い年月をかけてつくられる公共事業はとかく「無駄」なものと言われることが多いもの。したがって公共事業を巡っては今回の「川辺川ダム」の様な悲劇が数多くあるのです・・・日本の未来は、そんな悲劇を一つ一つ乗り越えない限り訪れ得ません。そんな風にして日本の未来を考えてみたい方は、是非、下記をご一読ください。 「令和版:公共事業が日本を救う」 https://www.amazon.co.jp/dp/4594085091 https://38news.jp/economy/16279
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