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アダムスミス『国富論』の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/917.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 5 月 28 日 18:32:00: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: リカード、マルサスの古典派経済学の世界 投稿者 中川隆 日時 2020 年 5 月 28 日 14:40:25)


【アダムスミスの『国富論』とは】重要概念のすべてを徹底解説 2020年3月3日
https://liberal-arts-guide.com/an-inquiry-into-the-nature-and-causes-of-the-wealth-of-nations/


『国富論』(An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)とは、


18世紀のイギリスの経済学者、哲学者であるアダム・スミス(Adam Smith)が、1776年に出版した経済学の書籍であり、市場のメカニズムや労働価値説、自由貿易など後の経済学を形成する重要な概念・理論を提唱したことで知られています。

スミスが『国富論』で明らかにした経済学は、「自由放任の思想」と誤解されていることも多いのですが、実は単純に国家の役割を軽視し、自由を追求しただけの思想ではありません。

スミスは、後の古典派経済学とも異なる独特の思想を持っているのです。

そのため、スミスの経済学を学ぶことは、現代の「自由放任」にやや傾きすぎな経済思想(新自由主義など)を再検討する上でも、とても重要な意義を持ちます。

そこでこの記事では、

アダムスミスの経済学のポイントや成立した背景
『国富論』の内容

について詳しく解説します。

1章:アダムスミスの『国富論』における経済学とは

1章では、まずはスミスの人物やスミスの経済学の要点、成立した背景などを紹介します。

『国富論』の具体的な内容を先に知りたい場合は、2章からお読みください。

1-1:アダムスミスの思想的背景

アダムスミス(Adam Smith/1723年-1790年)は、啓蒙主義思想が隆盛していたスコットランドで生まれました。


メモ

啓蒙主義とは、18世紀のヨーロッパで起こった、中世的な思想、慣習を打ち破り近代的・合理的な知識体系を打ち立てようとした運動のこと。カトリック教会の教義に縛られず、理性・科学の力で社会を変えていこうとした。

スミスはグラスゴー大学で、啓蒙思想家であり、自然法思想を受け継いでいたたハッチソン(Francis Hutcheson)から道徳哲学を学びました。


その後エディンバラ大学やグラスゴー大学で教鞭をとり、代表的な経験論哲学者で経済思想家でもあったヒューム(David Hume)とも親交を持ち、ヒュームの思想から強く影響を受けています。

その他にも、フランス重農主義の代表的論者であったケネー(François Quesnay)、テュルゴー(Anne-Robert-Jacques Turgot)、百科全書派の啓蒙思想家であるヴォルテール(Voltaire)とも親交がありました。

メモ

重農主義とは、国内農業の振興や自由貿易の重視などを柱とする経済思想で、ケネーやテュルゴーが代表的な論者。

つまり、スミスは啓蒙主義や自然法思想、重農主義思想の影響を受けて自らの経済思想を形成していったのです。

スミスが影響を受けた重農主義について、詳しくは以下の記事をご覧ください。

【重農主義とは】重商主義との違いや自由貿易の思想をわかりやすく解説
https://liberal-arts-guide.com/physiocracy/


1-2:アダムスミスの時代的背景

スミスの経済学には、もちろん彼が生きた時代の背景も影響しています。

スミスが活躍した18世紀後半のイギリスは、新興産業家たちによって、

機械工業の発達
鉄鋼業などの近代的な工業の誕生
蒸気機関の動力の誕生

などが起こり始めた時代でした。

いわゆる第一次産業革命です。

これと合わせて、農業でも大規模農業が発達し「農業革命」が起こり、職人や農民の一部が都市に追いやられ貧困になっていきました。

一方で、イギリス国内では、

海外との貿易振興のための国家による貿易規制
アメリカやインドなどの植民地との管理貿易

などの重商主義的政策が行われ、産業の発達による自由な経済活動への要請と、国家による経済の管理という矛盾が、新たな思想を必要としつつあった時代でした。

1-3:『国富論』の要約

こうした背景から1776年に出版されたのが『国富論』です。英語では「An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations」で、直訳すると「諸国民の富の性質と諸原因についての一研究」のようになります。

「アダムスミスの『国富論』って結局どういうものなの?」

と疑問だと思います。2章で詳しく解説しますが、先にその要点を整理します。

1-3-1:重商主義を批判し自由貿易を主張した

スミスの経済学は、何より「重商主義批判」として生まれた点が重要です。

重商主義とは、

国家の富(国富)とは、貴金属の量のことである
貴金属を獲得するためには、輸入を減らして輸出を増やし貿易差額を増大させる必要がある

という16~18世紀にヨーロッパで支配的であった経済思想で、実際にそのような政策が実践されていました。

それに対してスミスは、「国富とは貴金属や貨幣の量ではなく、労働によって年々生み出される価値のことである」「重商主義では国家は発展しない」と批判したのです。

参考
スミスが批判した重商主義について、詳しくは以下の記事をご覧ください。

【重商主義とは】重農主義との違いやヒュームからの批判を詳しく解説
https://liberal-arts-guide.com/merchantism/


1-3-2:労働価値説的主張をした

スミスは、「生産物の価値がどこにあるのか?」という問題について、「労働」によって生み出される価値を中心に論じました。

スミスの労働価値説には諸説があるのですが、労働価値説は後の経済学にもたびたび登場する思想であり、その原点となったのがスミスの『国富論』での主張にあったのです。

1-3-3:分業の重要性を明らかにした

スミスは、「分業」の重要性を明らかにしたことでも知られています。

製造工程を、工程別に担当者が分かれて熟練させていくことで分業し、より生産が効率的になっていくのだという主張です(技術的分業)。

また、生産物の余剰部分を人の余剰と交換するという、「社会的分業」についても指摘しています。

今では当たり前の考え方ですが、分業の効率性を明らかにしたのはスミスの功績です。

1-3-4:市場のメカニズムを明らかにした

アダムスミスの最大の功績は、市場のメカニズムを明らかに(しようと)したという点にあります。

要点だけまとめると、

すべての商品には、それぞれ「自然価格」がある
それに対して、市場では「市場価格」があり、自然価格と市場価格は長期には一致していく

というものです。

これは、需要と供給によって価格が決まるという後の経済学の根本思想の源流となりました。

スミスの市場の思想は「供給側」の視点が強く、後の古典派経済学で発展していくような「需要側」に着目した「効用」の概念はありませんが、市場メカニズムを明らかにしようとした点で、過去の経済思想とは一線を画するものでした。

2章では、『国富論』や『道徳感情論』を通じて、スミスの経済学や倫理学の具体的な思想を解説していきます。

まずはここまでをまとめます。


1章のまとめ

アダムスミスは、スコットランド啓蒙思想や自然法思想、重農主義思想などから影響を受けて経済学の体系を打ち立てた

スミスの経済学は、重商主義批判、労働価値説的観点、分業の重要性、市場メカニズムの説明など、その後の経済学に多くの影響を与えた

2章:アダムスミスの『国富論』を解説

それではこれから、『国富論』を通じてアダムスミスの経済学の体系を解説していきます。

スミスの経済学について学ぶ上で押さえておくべきポイントは以下の点です。


『国富論』の要点

富について→富とは消費財の量のことである

商品の価値について→商品の価値は労働を基準に決まる

価格について→価格は自然価格によって決まっているが、現実には市場価格が存在し、長期的には自然価格に市場価格が一致する

分業→技術的分業によって生産力が増大し、さらに社会的分業によって商品が好感され商業的社会を発展させる

資本の投資の順序→蓄積された資本は農業→製造業→外国貿易の順番で投資されるのが自然

国家の役割→重商主義的政策は批判するが、司法、安全保障、公共事業は認める

多く見えるかもしれませんが、一つずつ理解していけばスミスが『国富論』で提示した経済学の体系が理解できるはずです。


2-1:『国富論』における「富」の定義

1章でも説明したように、スミスは重商主義批判として『国富論』を書いた側面があるため、『国富論』について理解する上で、まずは「スミスは『富』をどのように定義したのか?」を理解する必要があります。

2-1-1:富とは消費財

スミスは、『国富論』の序言で以下のように富について説明しています。


国民の年々の労働は、その国民が年々消費する生活の必需品と便益品のすべてを本来的に供給する源であって、この必需品と便益品は、つねに、労働の直接の産物であるか、またはその生産物によって他の国民から購入したものである。

『国富論』

つまり、スミスは『国富論』の序言で、「富とは労働によって年々生み出される消費財(必需品、便益品)のことである」と定義しているのです。

国富論における富の定義

重商主義が、富を「貴金属や貨幣の量」と定義していたのと比べると対照的です。

2-1-2:サービス業の否定

さらにスミスは、労働者を「生産的労働者」と「不生産的労働者」に分けました。

生産的労働者…資本家に雇用されて、消費財(必需品、便益品)=富を生み出す労働者
不生産的労働者…法律家、医師、俳優、家事労働者などのサービス業

つまり、スミスはサービス業について「富を生み出さない労働である」と考えていたようです。

スミスの思想は、重農主義が「新たな価値を生み出すのは農業のみである」と考えたのに対し、「工業製品も新たな価値を生み出すのだ」と考えた点で進んでいたのですが、サービス業を認めない点にまだ未熟な思想だったのです。

2-1-3:貨幣の尺度としての役割の否定

また、スミスは貴金属や貨幣について、価値を測る尺度にならないとも指摘しています。なぜなら、貴金属や貨幣は供給量が増えると価値が下がり、商品の価値を安定して測ることができないからです。

「では、商品の価値はどのように測られるの?」と疑問になりますよね。

スミスは、商品の価値を「労働」を尺度に考えました。

2-2:労働価値説:商品の価値はどこから生まれるか

まず、スミスは未開社会とスミスが生きた当時の社会を区別し、それぞれ別の考え方を示しています。

2-2-1:未開社会:投下労働価値説

未開社会においては、労働によって生み出されたすべての生産物がすべてその労働者の賃金となるため、その生産物の価値は「投下された労働量」によって決まります。

スミスはここで、ビーバーと鹿の交換から説明しています。

例えば、1頭の鹿をしとめるのにビーバー2頭分の労働が必要である場合、ビーバー2頭と鹿1頭が等しく交換されるべき、ということはイメージできますよね。

国富論における投下労働価値説

これは、投下された労働量によってシンプルに価値が決まっているのだ、という「投下労働価値説」の考え方なのです。


2-2-2:文明社会:支配労働価値説

しかし、現実の社会はもっと複雑なので、投下労働価値説的な考え方では生産物の価値を決めることができません。

文明社会では、資本家(会社のオーナー)が確保する「利潤」が必要になり、さらに土地が地主によって占有されているため、地主に支払う「地代」も必要になります。

そのため、生産物の価値は、労働者が投下した労働の量だけでは決まらないのです。

したがって、スミスは、文明社会ではその商品で購買、もしくは支配できる他人の労働の量によって商品の価値が決まると考えました。

これが、「支配労働価値説」です。

スミスは当時の社会状況から、社会を「労働者」「資本家」「地主」の階級社会として考えたため、それぞれが「賃金」「利潤」「地代」を受け取らなければならない。そのため、商品の価格は賃金、利潤、地代によって構成されると考えたのです。

この労働価値説的な考え方は、スミスの市場観にも反映されています。

2-3:価格はどうやって決まるのか

スミスは「商品の価格がどのように決まるのか?」という問題について、「自然価格」と「市場価格」から答えています。

2-3-1:自然価格

自然価格とは、その商品を作る過程でかかった、土地の地代や労働者の賃金、資本家が獲得する利潤などのすべての「自然率(平均率)」で決まるという考え方の価格です。

つまり、


自然価格=地代の自然率+賃金の自然率+利潤の自然率

であるということです。

難しく見えるかもしれませんが、先ほどの労働価値説と繋がっている考え方です。

つまり、地代、賃金、利潤の3つにかかった費用をすべて足したものが自然価格であるということです。

2-3-2:市場価格

しかし、現実の商品の価格は必ずしも自然価格になるとは限りません。

現実の市場において決まる価格のことを、スミスは「市場価格」と呼んでいます。

そして市場価格は、

商品が市場にもたされる供給量
その商品の生産にかかる地代、賃金、利潤の合計(自然価格)

の均衡によって決まると考えました。

つまり、市場価格は商品の供給量と自然価格から決まり、需要と供給のバランスによって自然価格を市場価格が上回ったり、下回ったりするということです。

2-3-3:長期的には市場価格は自然価格に一致する

スミスは、短期的には自然価格と市場価格は乖離する可能性があるが、長期には一致していくと考えました。

なぜなら、たとえば供給量が超過して自然価格を市場価格が下回った場合、商品は売れ残ります。

その場合、

地主→売れない事業に土地を貸すのはやめて、もっと売れる事業に土地を貸して地代を得よう
資本家→もっと利潤が獲得できる事業をはじめよう

と考えて、供給量が超過する(売れ残りが発生する)事業から地主・資本家が事業を引き上げ、供給量が調整され、その結果市場価格が上昇し、自然価格に近付くからです。

これの市場均衡のメカニズムを、スミスは「見えざる手」と表現しました。

参考
「見えざる手」という表現はスミスの名言として独り歩きしていますが、『国富論』で実際に登場するのは数回程度で、そこまで重要視した概念というわけではありませんでした。

とはいえ、自然価格と市場価格が一致するメカニズムが正しく機能するためには条件があります。

それは、土地、労働、資本の移動が規制されておらず自由であるということです。

これらの移動に障害があれば、移動が円滑に進まず自然価格と市場価格が一致しません。

その結果、最適な量の生産がなされず、富が(消費財)が増大しないのです。

したがってスミスは、国家による土地、労働、資本の移動の規制や、同業組合による特権や市場の独占など、市場をゆがめる行為を否定しています。

2-4:分業による市場の発展

さて、繰り返しになりますがスミスは富を「消費財の量」であることとしました。単純に考えて、国民一人あたりが消費できる消費財の量が多いほど、豊かであると考えられたのです。

では、どうしたら富(=消費財)を増大させることができるのでしょうか?

スミスは、「分業」によって効率的に商品が生産されるようになり、富が増大すると考えました。

これが、有名なスミスによる分業論です。

2-4-1:技術的分業

スミスの分業論には、「技術的分業」と「社会的分業」の2種類があります。

技術的分業とは、工場内で製造工程を分割し、工程ごとに職人が熟練していくことで、成立する分業です。

国富論における分業

スミスはこれを「ピンの製造」という具体例から説明しています。

メモ

「ピンの製造」の例とは、1人の職人が1本のピンを最初から最後まで作るのと、ピンの製造を工程ごとに分割して、1人の職人が1つの工程のみを担当すると、はるかに多くのピンを作ることができるというものです。

スミスは、1人で作る場合は1人で1日1本も作れないが、10人で分業すれば1人あたり1日に4800本製造できると言っています。

2-4-2:社会的分業

「技術的分業」は一つの工場、会社内での分業のことで、現代社会では常識のものとなりました。

これに対して、「社会的分業」は生産されたものが、企業や産業の間で市場を通じて交換されることです。

「当たり前のことでは?」

と思われるかもしれませんが、例えば中世的な社会では、生活必需品・便益品(消費財)は共同体の中で作られ、その余剰物が市場を通じて交換されるのが一般的です。

それに対して、様々な生産物が、特定の企業や産業によって生産され、それがダイナミックに交換されるのが「社会的分業」であり、当時はまさにそのような社会に変化しようとしていたのです。

2-4-3:交換を可能にする利己心

では、なぜ人々は社会的分業のように生産物を交換しようとするのでしょうか?

それは、人間の本性に「交換性向」という性質があり、この性質があるから社会的分業が要請され、企業・工場内では技術的分業がなされるようになり、社会全体の生産性が増大していくのです。

こうした交換は、人間が持つ「利己心」の働きで成立します。

利己心とは、「これが欲しい」という欲求のことで、人間は他人にも利己心があることを予測できるため、効率的な交換をしようと考えます。

「この人を助けよう」「これが相手のためになるはずだ」という博愛精神ではなく、それぞれが持つ利己心によって交換されるということです。

こうした分業が社会の中で発展すると、人々が自らの生産によって生み出された余剰物を、他人と交換することで欲求を満たそうとする「商業的社会」が成立します。

参考

こうしたスミスの思想は、後に「利己心による交換だけが社会を成立させているわけではない」「交換の意味は共同体によって多様である」などの批判がなされることになりました。

しかし、スミスが生きた産業革命前夜のイギリス社会や、資本主義が浸透した現代社会の大部分においては、スミスの素朴な市場観による説明にも意義があるのではないでしょうか。

スミス以来の経済学の「交換」を批判した有名な研究に、文化人類学における「クラ交易」があります。詳しくは以下の記事をご覧ください。

【クラ交易とは】交換の意味から互酬性の概念までわかりやすく解説
https://liberal-arts-guide.com/kula/


2-5:資本蓄積と投下による国家の経済の発展

スミスは、富(=消費財)の国民一人あたりの消費量を増大させることが、経済の発展だと考えました。そのため、分業によって国民一人あたりの生産力を増大させることが、富の増大になるということになります。

しかし、富を増大させる手段はそれだけではありません。

国家の労働力全体に占める「生産的労働力(※)」を増大させることでも、国家の富は増大します。

※生産的労働とは消費財を生産する労働者のことです。

2-5-1:生産的労働力の増大による富の増大

スミスは、生産的労働力を増大させるためには、「節約によって資本を蓄積すべき」と主張しました。

生産活動によって生み出された利潤は、浪費すれば簡単に消滅しますが、節約し蓄積することで、その分を新たに投資してさらに大きな利潤獲得を目指すことができます。

そして、スミスの主張の独特な点は、蓄積された資本は、


農業→製造業→外国貿易

の順番に投資されると考えたことです。


国富論における資本蓄積と投資

この順番で投資されると考えたのは、農業が最も身近で管理しやすく、低リスクで事業が行えるためであり、外国貿易が最も管理しにくくリスクが高いと考えたためです。

しかも、同じ量の資本が投資されるとしても、


農業>製造業>外国貿易

の順番で雇用される生産的労働力は大きくなります。

そのため、

節約による資本蓄積

蓄積した資本の、農業→製造業→外国貿易という優先順位での投資
その結果としての生産的労働力の割合の増大

という過程を経て、より国内の富(=消費財)が増大されると考えたのです。

2-5-2:国家の経済活動への介入が投資の順序をゆがめる

しかし、この「農業→製造業→外国貿易」という自然の投資の順序は、「輸出奨励金」などの国家のさまざまな規制によってゆがめられているとスミスは批判します。

これは、当時のイギリスで国家による貿易の管理など重商主義的政策が行われていたことを批判したものです。

国家が経済活動に介入しないことが、正しい順序での資本の投下に繋がり、それが生産的労働力を増大させ、ひいては国家の富を増大させるのだ。これがスミスの主張です。

このようなところから、スミスの国家の役割に対する思想も明らかになります。

2-6:国家の役割はどこまで認められるのか

アダムスミスについて、「スミスは国家の役割を認めなかった」「国家による統治ではなく自由放任の秩序こそ、スミスの思想である」と勘違いしている人もいるようですが、実はそうではありません。

確かにスミスは国家の役割を一部批判しましたが、一方で国家の役割を認めている部分もあります。

まずは、スミスの重商主義的政策への批判から説明します。

2-6-1:スミスの重商主義批判

1章でも触れましたが、スミスは重商主義を批判しました。

重商主義とは、

国家の富(国富)とは、貴金属の多さのことである
貴金属を獲得するためには、輸入を減らして輸出を増やし貿易差額を増大させる必要がある

という経済思想のことで、イギリスも国家が貿易を管理し保護主義的政策を行っていました。

こうした重商主義に対してスミスは、

重商主義的政策では、利益の少ない産業に資本を投下してしまう
資本の投下の自然の順序をゆがめ、生産的労働力を増大させない
貿易差額を増大させても、貨幣量の増大で物価が上昇し貨幣の価値が下落するだけである

と批判しています。

したがって、輸出規制を中心とした国家による経済活動への介入は障害であるため、規制を撤廃し市場の自由な働きを重視すべき、というのがスミスは考えたのです。

2-6-2:スミスの自由主義

しかし、スミスは国家の役割を一切認めていないわけではありません。

スミスは、以下の点については国家の役割を認めていました。

国民を国家その他の暴力から守る「安全保障」
国民を他者の不正、抑圧などから守る「司法」
土木事業、公共施設などの公共財を供給する「公共事業」

これらは、市場の力では供給されないため国家が供給するべきものであると『国富論』で主張しています。

スミスは、自由放任的な、現代の新自由主義者が主張するような存在感のない国家を想定しているのではいないのです。

スミスは、市場をゆがめる国家の規制こそ批判したものの、国家の役割を否定してはいないことは覚えておくべきです。


2章のまとめ

富について→富とは消費財の量のことである

商品の価値について→商品の価値は労働を基準に決まる

価格について→価格は自然価格によって決まっているが、現実には市場価格が存在し、長期的には自然価格に市場価格が一致する

分業→技術的分業によって生産力が増大し、さらに社会的分業によって商品が好感され商業的社会を発展させる

資本の投資の順序→蓄積された資本は農業→製造業→外国貿易の順番で投資されるのが自然

国家の役割→重商主義的政策は批判するが、司法、安全保障、公共事業は認める



3章:『国富論』とアダムスミスの思想の学び方

『国富論』で語られた、アダムスミスの経済思想について理解することはできましたか?

『国富論』は、経済学の原点となったとても重要な思想です。良くも悪くも、『国富論』で提唱された思想を起点に、その後さまざまな経済学が生まれていくことになったのです。

スミスの経済学は古典的経済学の一部ですので、古典的経済学を含めた経済思想の流れとまとめて学ぶことも大事です。

この記事のまとめ

『国富論』は1776年に発行された、アダムスミスによる経済学書で、その後の経済学の発展に大きな貢献をした

『国富論』は重商主義を批判し、輸出奨励金などの国家による貿易の管理をやめて、自由な貿易を主張

人々は「利己心」を持つため、生産の余剰を交換し、それが商業的社会を作っていく
利潤は蓄積されることで、農業から投資され、その結果生産的労働力が増大し、国民の富が増える


https://liberal-arts-guide.com/an-inquiry-into-the-nature-and-causes-of-the-wealth-of-nations/  

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コメント
1. 中川隆[-13358] koaQ7Jey 2022年4月05日 19:04:16 : H3M2f4UkNc : N1huZFFzeEgyWTY=[3] 報告
【RE:明るい経済教室 #51】アダムの罪〜空論で「経済学の父」に? [R4/4/5]

2. 中川隆[-10885] koaQ7Jey 2024年4月16日 08:14:57 : 1PPlVW0MQA : L3kvV2oyeVlqZE0=[1] 報告
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アダム・スミスが説明する富裕国と貧困国の違い
2024年4月15日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/47297

今回の記事ではアダム・スミスの『国富論』より、富裕国と貧困国において経済や国内の状況がどう違うかを説明した部分を紹介したい。

アダム・スミスの国富論

1776年に出版された『国富論』はまさに現代のマクロ経済学の始まりとも言える本であり、経済の先行きを予想できない現代の大半の経済学者の著書よりは、経済を勉強する人がまず読むべき本である。

この本のまさに一番最初には、国の経済を分析する上で一番基本となることが書かれている。

つまり、ある国の経済の大きさをどう考えるべきかということである。

アダム・スミスは次のように書いている。

すべての国の毎年の労働はその国が毎年消費する生活上のすべての必需品や贅沢品を供給するおおもとの原資であり、それら供給物はその労働から直接生産されるものとその生産物によって他国から購入されるものに分かれている。

富の源泉は労働である。労働によって生産が行われ、生産物ができあがる。

しかし国民が消費できる生産物は国内で生産されたものだけでなく輸入されたものも含まれるから、生産されたものの一部を輸入品と交換することによって、国民が消費できるもののすべてが揃うことになる。

需要と供給

この『国富論』の始まりの箇所は、経済学においてもっとも重要な需要と供給という考え方のうち、供給の部分を説明したものである。

だがその供給の量は十分なのか、不十分なのか。それは供給物の需要がどれだけあるかということを考えなければ決まらない。だからアダム・スミスは次のように続ける。

よってこれらの生産物やそれによって買われる物と、それを消費する人々との割合が大きいか小さいかによって、その国のすべての必需品と贅沢品の供給状況の良し悪しが決まることになる。

まさに需要と供給の説明である。

では、その需要と供給の割合はどのような要素に左右されるのか。アダム・スミスは次のように説明する。

しかしどんな国でもその割合は次の2つの要素に影響されざるを得ない。1つ目は技術や熟練度、判断力などの労働の質であり、もう1つは労働力として雇用されている人と、そうでない人との割合である。

1つ目は生産性である。1人の国民がどれだけのものを生産できるかということである。そしてもう1つは、現代の言葉で言えば労働参加率である。

アダム・スミスはこれらの2つの要素のうち、重要な方について次のように指摘する。

そしてこの供給が十分か不十分かは、その2つの要素のうち前者に依存する割合が大きいように見える。

生産性による国内状況の違い

アダム・スミスは労働参加率よりも生産性の重要性を強調している。そのため彼は極端な例として、とても貧しい国ととても豊かな国の例を挙げている。

まず彼は貧しい国について次のように述べている。

狩猟者と漁師から成る未開民族の国では、働くことのできる個人は多かれ少なかれ皆雇用されており、自分や自分の家族か親族のなかで年寄りすぎたり若すぎたり病弱すぎたりして狩猟にも猟にも行けない人々のための、生活必需品や贅沢品をできるだけ生産しようと努力している。

だがそうした国はあまりに貧しいので、幼児や老人や長年の病人などを場合によっては直接殺したり、あるいは捨ててきて餓死させたり野生動物に食べさせたりさせる必要性にしばしば迫られたり、迫られていると考えたりする。

アダム・スミスの生きた18世紀における貧困国の状況が生々しく描写されている。

一方で彼の時代にも豊かな国はまったく違う状況にあった。アダム・スミスは豊かな国について次のように述べている。

一方で繁栄している文明国家では、多くの人々がまったく働かず、しかもその多くが働いている人々よりもしばしば10倍か100倍もの労働の生産物を消費しているにもかかわらず、その社会における労働の生産物全体が非常に多いので、しばしばすべての国民が豊かな供給を受けており、最下層で最貧困層の労働者でさえ、質素で勤勉ならばどんな未開人よりも多くの必需品と贅沢品の分け前を受け取ることができる。

結論

興味深いことに、アダム・スミスの描写する富裕国は現代の国家とそれほど変わっていないように聞こえる。

ここで筆者が注目してもらいたいのは、アダム・スミスの描写する富裕国の間では国民の間で争いが起きておらず、貧困国の国民の間では残酷な生存競争が行われているということである。

そしてここで筆者が指摘したいのは、日本やアメリカなど長らく富裕国として繁栄してきた国が、徐々に貧困国の状況にシフトしていっているのではないかということである。

自民党による搾取は前からあった。彼らは何十年も前から一切変わっていない。彼らの仕事は変わらず国民から徴税して票田にばらまくことである。しかも若者はもう知らない大蔵省のノーパンしゃぶしゃぶ事件でさえ、自民党の過去の文化ではないということを彼らは証明してみせた。自民党に不可能はない。

だが国が貧しくなってくると、国民が経済的により貧しくなっているにもかかわらず、国民に対する政治家の要求は増大する。

多くの国民にとって搾取されていたかどうかは問題ではなく、搾取されて耐えられない状況に置かれているか、そうでないのかが重要であるようだ。だが経済が減速し始めると国家のなかで様々な層がパイを取り合って争い始める。その典型的な例が政治家と被支配者層である。

このトレンドは経済の減速が続けば続くほどその割合は苛酷になり、何処かの時点で臨界点に達して革命(平和的なものであれ暴力的なものであれ)が起きるのである。レイ・ダリオ氏の予言が現実味を増しているように感じる。

レイ・ダリオ氏: 国家が衰退する時期には独裁者が生まれやすい
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/46623

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/47297

3. 中川隆[-10875] koaQ7Jey 2024年4月16日 20:39:38 : HONZEEU5Kw : cVFmQW5SS1dDU2s=[9] 報告
<■82行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
アメリカのインフレを加速させる労働者増加の減速
2024年4月16日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/47340

前回の記事ではアダム・スミスが経済の需要と供給を見るにあたって、労働参加率と生産性に着目していたことを紹介した。

アダム・スミスが説明する富裕国と貧困国の違い


今回の記事ではこの考え方を使って現在のアメリカのインフレ動向を予想してゆきたい。

マクロ経済を分析する方法

アダム・スミスの『国富論』は現代のマクロ経済学の始まりとも言える本であり、前回の記事で説明したように本の最初には国の豊かさが生産性と労働参加率によって決まると書かれている。

それはつまり、労働に参加している人が、労働せず消費するだけの人に比べてどれだけいるか(労働参加率)、そして労働者1人あたりどれだけのものを生産できるか(生産性)ということである。

このアダム・スミスの考え方は現代のマクロ経済学者にも受け継がれている。例えばコロナ前までの先進国の経済の成長率減速について、マクロ経済学者のラリー・サマーズ氏は長期停滞論を提唱し、その原因は人口増加率の減速や国民の高齢化による労働参加率の減少などの人口動態の長期的変化にあると主張していた。

コロナ後はインフレに警鐘を鳴らす経済学者として有名となったサマーズ氏だが、コロナ前までは長期停滞論の経済学者として知られていた。

経済を分析する上で人口動態をこれほど重視するサマーズ氏の姿勢が一般の読者にどれだけ自然に映るかは分からないのだが、人口動態や労働参加率を気にするマクロ経済学の姿勢はまさにこの『国富論』の一番最初の文章の影響なのである。

人口動態とアメリカのインフレ

ではこのアダム・スミスの考え方はコロナ後のインフレについて何を予想できるか。

投資家が注目している雇用統計では、ここ1年ほど特に労働者数の増加が強かったことを読者は覚えているだろうか。

労働者が増加するということは、経済の需要と供給で言えば供給が増加するということであり、インフレ抑制にはプラスの効果となってきた。

平均時給のインフレ率は以下のように推移しており、高いものの加速している気配はない。


賃金のインフレが落ち着いている1つの理由は、上で述べた労働者の増加である。

ラリー・サマーズ氏は人口増加よりもハイペースな労働者の増加を持続不可能なものとし、警鐘を鳴らしてきた。だがこの人口増加には理由がある。コロナ後のロックダウンによる労働者減少のリバウンドである。

コロナ後の労働者数の変化

マクロ経済学的に見たコロナ後の経済の大きな変化は、労働者が減ったことである。

特にアメリカではロックダウンで働けなくなった人に多額の失業保険が支払われたので、職場に復帰するよりも失業を続けた方が儲かるとも言われ、ロックダウンで失われた労働人口が戻ってくるまでにかなり時間がかかった。

また、高齢化社会アメリカの労働力の源泉だった移民の数もロックダウンによって一時的にかなり制限された。

その結果労働者数の増加率がどうなったかと言えば、次のようになった。


一時的にマイナス10%以上にまで落ち込んだ労働者数の変化率は、ロックダウン解除後に持ち直し、その後コロナで働かなくなった人の復帰が徐々に進んだこと、そして移民の流入が再開したことによって、コロナ前の増加率より高い状態が続いていた。

これが最近の労働者増加の理由であると言える。本質的に増えたわけではなく、コロナで減った分が戻っているため一時的に増加率が高まっている。

労働人口の増加率はこれからどうなるか

コロナからの正常化が終わりつつあることで労働者の増加率はコロナ前の水準に戻りつつあるが、コロナ前の増加率はおおよそ1.3%程度だった一方で、今の増加率は1.9%と、まだ高いのである。

だがコロナ後の正常化が終わり、増加率が元に戻る時期が近づいている。例えば労働可能世代の労働参加率は、既にコロナ前の水準を上回り、ここ1年ほど頭打ちとなっている。


だからコロナ休職からの復帰はほぼ終わっているのではないか。

移民の方はどうなっているのかと言えば、人口の増加率を見ると以下のようにまだ加速傾向にあり、先進国であるアメリカの人口増加率が長期的には減少トレンドで普通の状態だったことを考えれば、まだ一時的な流入加速が続いていると思われる。(別にコロナ後によく子供を生むようになったわけではないだろうからである。)


バイデン大統領の国境政策がガバガバということもあるのだが、いずれにしても人口の増加率は長期的には減速トレンドに復帰せざるを得ないだろう。特に今年の大統領選挙でトランプ氏が勝利した場合、国境政策を厳しくしてそうなる可能性が高い。

結論

ということで、アダム・スミスの『国富論』の考え方を借りて労働人口を分析すれば、賃金インフレが今のところ収まっているのは一時的な労働者増加に支えられていると言える。

だが一時的な賃金インフレへの下方圧力は、恐らく来年や再来年に向けて正常化されることになるだろう。

それはただでさえ懸念されているインフレの再燃に、賃金インフレの過熱というもう1つの材料を与えることになる可能性が高い。そしてインフレで利上げということになれば、利下げを期待して上がってきた株価がどうなるかである。

レイ・ダリオ氏やラリー・サマーズ氏がインフレ再加速を警告しているのがますます正しく思えてくるのである。

レイ・ダリオ氏: 米国は利下げすべきではない
サマーズ氏: 米国は利上げの可能性、市場に利下げを織り込ませたのは馬鹿げた間違い

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/47340

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