アメリカで大論争の「現代貨幣理論」とは何か 「オカシオコルテス」がMMTを激オシする理由 中野 剛志 2019/03/26 https://toyokeizai.net/articles/-/271977 オカシオコルテスはアメリカ史上最年少の女性下院議員(写真:AFP=時事)
今、アメリカで大論争中の「現代貨幣理論(MMT)」をご存じだろうか。「財政は赤字が正常で黒字のほうが異常、むしろ、どんどん財政拡大すべき」という、これまでの常識を覆すような理論である。 この理論にアメリカ民主党29歳の新星で、将来の女性初大統領ともいわれているオカシオコルテス下院議員が支持を表明したことで、世論を喚起する大きな話題となっている。これに対しノーベル経済学賞受賞の経済学者クルーグマン、元財務長官のサマーズ、FRBのパウエル議長、著名投資家のバフェットらがこぞって批判。日銀の黒田総裁も否定的なコメントを出している。 はたして、この理論は、いったいどういうものなのか。 著書『富国と強兵 地政経済学序説』 https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4492444386/asyuracom-22?p=TK で、「現代貨幣理論(MMT)」をいち早く日本に紹介した中野剛志氏が解説する。
地動説や進化論も「異端」だった
ガリレオが地動説を唱えたとき、あるいはダーウィンが進化論を唱えたとき、学界や社会の主流派は、その異端の新説に戸惑い、怒り、恐れた。そして、攻撃を加え、排除しようとした。 しかし、正しかったのは、主流派に攻撃された少数派・異端派のほうだった。
このような科学の歴史について、トーマス・クーンは次のように論じた。 科学者は、通常、支配的な「パラダイム」(特定の科学者の集団が採用する理論・法則や方法論の体系)に忠実にしたがって研究している。科学者の間の論争はあるが、それも、このパラダイムの枠内で行われているにすぎない。パラダイムから逸脱するような理論は「科学」とはみなされずに、無視されたり、排除されたりするのである。 このため、仮にパラダイムでは説明できない「変則事例」が現れても、科学者たちは、その変則事例を深刻には受け止めない。相変わらず、パラダイムを無批判に信じ続けるのだ。 ところが、そのうちに、支配的なパラダイムに対する信頼を揺るがすような深刻な「変則事例」が現れる。こうなると、科学に「危機」が訪れる。科学者たちは根本的な哲学論争を始め、支配的なパラダイムを公然と批判する者も現れ、学界は混乱に陥る。
そのうちに、より整合的な説明ができる新たなパラダイムが提案され、やがて従来のパラダイムにとって代わる。地動説や進化論もまた、そうやって現れた新たなパラダイムの例である。 クーンが明らかにしたのは、どの科学が正しいかは、合理的な論証によって判断されるとは限らないということである。科学者の判断は、科学者個人の主観や社会環境など、必ずしも合理的とは言えないさまざまな要因によって左右されるのだ。 これは、地動説や進化論が弾圧された時代に限った話ではない。現代でも当てはまる。 近年の神経科学の実証研究によれば、人間の脳には、所属する集団のコンセンサスに同調するように自動的に調整するメカニズムがあるという。どうやら、われわれの脳は、主流派の見解からの逸脱を「罰」と感じるらしいのだ。 クルーグマン、サマーズ、バフェット、黒田総裁の批判 今まさに、クーンの言う「パラダイム」の危機が、経済学の分野で起きつつある。アメリカで巻き起こっている「現代貨幣理論(MMT)」をめぐる大論争が、それだ。 2019年3月8日 アングル:「財政赤字は悪くない」、大統領選にらみ米国で経済学論争 Howard Schneider https://jp.reuters.com/article/usa-economy-mmt-idJPKCN1QO0TS
主流派経済学のパラダイムでは、財政赤字は基本的には望ましくないとされている。財政赤字の一時的・例外的な拡大の必要性を認める経済学者はいるものの、中長期的には健全財政を目指すべきだというのが、主流派経済学のコンセンサスなのである。
ところが、この健全財政のコンセンサスを、「現代貨幣理論」は否定したのだ。 このため、クルーグマン、サマーズ、ロゴフといった影響力のある主流派経済学者、アメリカ連邦準備制度理事会(FRB)のパウエル議長、あるいはフィンクやバフェットといった著名投資家ら、そうそうたる面々が現代貨幣理論を批判している。 その言葉使いも異様に激しい。クルーグマンは「支離滅裂」、サマーズは「ブードゥー経済学」、ロゴフは「ナンセンス」、フィンクにいたっては「クズ」と一蹴している。 日本でも、黒田日銀総裁が記者会見(3月15日)において現代貨幣理論について問われると、「必ずしも整合的に体系化された理論ではない」という認識を示したうえで、「財政赤字や債務残高を考慮しないという考え方は、極端な主張だ」と答えている。 しかし、現代貨幣理論は、クナップ、ケインズ、シュンペーター、ラーナー、ミンスキーといった偉大な先駆者の業績の上に成立した「整合的に体系化された理論」なのである。 にもかかわらず、黒田総裁が「必ずしも整合的に体系化された理論ではない」と感じるのは、それが主流派経済学とはパラダイムが違うからにほかならない。
ここで、「現代貨幣理論」のポイントの一部をごく簡単に説明しよう(参考:スティーブン・へイル「解説:MMTとは何か」)。 スティーブン・ヘイル「解説:MMT(現代金融理論)とは何か」(2017年1月31日)
2018年2月2日 Steven Hail, “Explainer: what is modern monetary theory” (The Conversation, 31 January 2017) オーストラリア・アデレード大学経済学部講師 スティーブン・ヘイル https://econ101.jp/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%80%8C%E8%A7%A3%E8%AA%AC%EF%BC%9Ammt%EF%BC%88%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E9%87%91%E8%9E%8D%E7%90%86%E8%AB%96/ まず、政府は、「通貨」の単位(例えば、円、ドル、ポンドなど)を決めることができる。そして、政府(と中央銀行)は、その決められた単位の通貨を発行する権限を持つ。
次に、政府は国民に対して、その通貨によって納税する義務を課す。すると、その通貨は、納税手段としての価値を持つので、取引や貯蓄の手段としても使われるようになる(紙切れにすぎないお札が、お金としての価値を持って使われるのは、そのためである)。 さて、日本、アメリカ、イギリスのように、政府が通貨発行権を有する国は、自国通貨建てで発行した国債に関して、返済する意思がある限り、返済できなくなるということはない。 例えば、日本は、GDP(国内総生産)比の政府債務残高がおよそ240%であり、先進国中「最悪」の水準にあるとされる。にもかかわらず、日本が財政破綻することはありえない。日本政府には通貨発行権があり、発行する国債はすべて自国通貨建てだからだ。 政府債務残高の大きさを見て財政破綻を懸念する議論は、政府の債務を、家計や企業の債務のようにみなす初歩的な誤解に基づいている。 政府は、家計や企業と違って、自国通貨を発行して債務を返済できるのだ。したがって、政府は、財源の制約なく、いくらでも支出できる。 ただし、政府が支出を野放図に拡大すると、いずれ需要過剰(供給不足)となって、インフレが止まらなくなってしまう。 このため、政府は、インフレがいきすぎないように、財政支出を抑制しなければならない。言い換えれば、高インフレではない限り、財政支出はいくらでも拡大できるということだ。 つまり、政府の財政支出の制約となるのは、インフレ率なのである。 ちなみに、日本は、高インフレどころか、長期にわたってデフレである。したがって、日本には、財政支出の制約はない。デフレを脱却するまで、いくらでも財政支出を拡大できるし、すべきなのだ。 物価調整手段としての「課税」と「最後の雇い手」政策 さて、国家財政に財源という制約がないということは、課税によって財源を確保する必要はないということを意味する。 アメリカでの現代貨幣理論の流行を紹介した日本経済新聞の記事 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42489020V10C19A3EA1000/ は、この理論の支持者が「政府の借金は将来国民に増税して返せばよい」と主張していると書いているが、これは誤解である。現代貨幣理論によれば、政府の借金を税で返済する必要すらないのだ だが、現代貨幣理論は、無税国家が可能だと主張しているわけではない。 そもそも、現代貨幣理論の根幹にあるのは、通貨の価値は課税によって担保されているという議論だ。 また、もし一切の課税を廃止すると、需要過剰になって、インフレが昂進してしまうであろう。そこで、高インフレを抑制するために、課税が必要となる。 また、格差是正のための累進所得税、あるいは地球温暖化対策のための炭素税など、政策誘導のためにも課税は有効である。要するに、課税は、財源確保の手段ではなく、物価調整や資源再配分の手段なのである。 さらに言えば、現代貨幣理論は、物価調整の手段として、課税以外にも、「就労保障プログラム」あるいは「最後の雇い手」と呼ばれる政策を提案している。これは、簡単に言えば、「公的部門が社会的に許容可能な最低賃金で、希望する労働者を雇用し、働く場を与える」という政策である。 就労保障プログラムは、不況時においては、失業者に雇用機会を与え、賃金の下落を阻止し、完全雇用を達成することができる。逆に、好況時においては、民間企業は、就労保障プログラムから労働者を採用することで、インフレ圧力を緩和する。 こうして就労保障プログラムは、雇用のバッファーとして機能する。政府は、同プログラムに対する財政支出を好況時には減らし、不況時には増やすことで、景気変動を安定化させる。不況時には確かに財政赤字が拡大するが、低インフレ下では、財政赤字はもとより問題にはならない。 こうして、就労保障プログラムは、物価を安定させつつ、完全雇用を可能にするのである。 現代貨幣理論を理解していない批判 以上は、現代貨幣理論の一部にすぎない。 しかし、これを踏まえただけでも、主流派の経済学者たちや政策担当者たちの批判が、いかに的を外れたものであるかがわかるようになるだろう。 例えば、パウエルFRB議長は「自国通貨建てで借り入れができる国は財政赤字を心配しなくてよいという考え方は間違いだ」と断定し、黒田日銀総裁も「財政赤字や債務残高を考慮しないという考え方は、極端な主張」と述べた。サマーズも、財政赤字は一定限度を超えるとハイパーインフレを招くと批判する。 https://www.washingtonpost.com/opinions/the-lefts-embrace-of-modern-monetary-theory-is-a-recipe-for-disaster/2019/03/04/6ad88eec-3ea4-11e9-9361-301ffb5bd5e6_story.html?noredirect=on&utm_term=.7cfe02cd3f44
しかし、読者はもうおわかりだと思うが、これらはいずれも、まともな批判になっていない。
現代貨幣理論は、「財政赤字の大小はインフレ率で判断すべきだ」という理論である。ハイパーインフレになっても財政赤字を心配しなくてよいなどという主張はしていない。それどころか、インフレを抑制する政策について提言している。 要するに、批判者たちは、現代貨幣理論を理解していないということだ。いや、そもそも、知ろうとすらしていない節すらある。 なぜ、そのような態度をとるのか。それは、彼らが、現代貨幣理論のことを、主流派経済学のパラダイムに属していないという理由によって、まともに取り扱うべき経済学と見なしていないからであろう。 パラダイムが変わるのが怖い主流派経済学者たち しかしながら、その一方で、リーマン・ショックのように、主流派経済学のパラダイムに対する信頼を揺るがすような「変則事例」が起きている。それについては、主流派経済学者たち自身も認めつつある。主流派経済学者の予想に反して財政破綻しない日本も「変則事例」の1つであろう。 ガキっぽい情熱を克服できない経済学の実態 ノーベル学者もピケティも嘆く内輪ウケ体質 中野 剛志 2018/10/19 https://toyokeizai.net/articles/-/271977?page=5
自然災害対策と「財政問題」は、分けて考えろ 「赤字だから対策できない」には根拠がない 中野 剛志 2018/08/01 https://toyokeizai.net/articles/-/231318?page=3 主流派経済学は、まさにクーンが言うパラダイムの「危機」に直面しているのだ。だからこそ、主流派経済学者たちは、現代貨幣理論の台頭が気になり、躍起になって批判しているのである。パラダイムが変わるのが怖いのだ。
だが、かつて、物理学のパラダイムを一変させたアインシュタインが言ったように、「問題を生じさせたときと同じ考え方によっては、その問題を解決することはできない」 現下の経済問題を解決するためには、経済学のパラダイムから変えなければならないのだ。 だから、現代貨幣理論についても、知りもしないで一蹴したり、利口ぶった皮肉で揶揄したりせずに、正しく理解したうえで、フェアに論争してもらいたい。 https://toyokeizai.net/articles/-/271977 ▲△▽▼
「日本の未来を考える勉強会」ー貨幣と経済成長ー 平成30年3月7日 講師: 中野剛志 - YouTube動画 https://www.youtube.com/watch?v=PIVG7XDGrH4 第2回「日本の未来を考える勉強会」ー貨幣と租税ー 平成29年4月27日 講師:中野剛志 - YouTube 動画 https://www.youtube.com/watch?v=Zc9-Y5jiIO4 ▲△▽▼ 「没落について」中野 剛志氏(評論家)グローバル資本主義を超えてII - YouTube 動画 https://www.youtube.com/watch?v=OoduEx7tl2k 2018/11/23 に公開 国際シンポジウム 「グローバル資本主義を超えてII——『EU体制の限界』と『緊縮日本の没落』」 2018年10月13日 京都大学 シンポジウムホールで行われた講演配信 ▲△▽▼
【中野剛志】橋下徹、小池百合子が推める道州制がヤバい理由【JPN保守チャンネル】 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=8W0nCVC3pvY
2019/01/09 に公開 ▲△▽▼
【中野剛志×藤井聡】グローバリズムからの脱却! 経済再生フォーラム 2017年7月22日 - YouTube 動画 https://www.youtube.com/watch?v=qTis2wK1mrg
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『グローバリズム その先の悲劇に備えよ』刊行記念 中野剛志さん×柴山桂太さんトークイベント - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=RqWpokdk_iA https://www.youtube.com/watch?v=1DErfYEACvY https://www.youtube.com/watch?v=5TBPefNLsY4
2017/09/14 に公開 『グローバリズム その先の悲劇に備えよ』刊行記念 中野剛志さん×柴山桂太さんトークイベント 2017年8月20日(日) 会場: 紀伊国屋書店新宿本店 ▲△▽▼
MMT(財政赤字は問題ない)は、やはり危険 2019年4月1日 塚崎公義(久留米大学商学部教授) http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15796
米国で「財政赤字は問題ない」という新理論が話題になっていますが、『日本の財政が絶対に破綻しない理由』を記した楽観主義者の塚崎でさえも、「やはり危険だ」思います。
「財政赤字は問題ない」という新理論が米国で話題に
米国でMMT(Modern Monetary Theory、現代金融理論)と呼ばれる理論が話題となっています。民主党左派が財政支出拡大を求める際の理論的根拠として支持しているようです。 「政府は紙幣を印刷すれば借金を返せるのだから、政府が破産することはありえない。したがって、財政赤字を気にすることはない。もっとも、財政赤字は無限には増やせない。そんなことをしたらインフレになるので、インフレを抑制するために増税をする必要があるからだ」というわけです。 つまり、「増税は財政赤字を減らすためではなく、インフレを抑制するために行うのであって、インフレが心配ないのであれば増税は不要である」というわけですね。 従来の経済学の主流派からは「トンデモ理論」だと批判されているわけですが、「日本は巨額の財政赤字を続けているが、自国通貨で国債を発行しており、インフレにもなっていないので、何の問題も起きていないではないか」というのが彼らの主流派への反論となっているようです。 「非常識だ」と批判するのは簡単ですが、ガリレオの地動説のように、「非常識だけれど正しいこと」もあり得るので、本稿では非常識だという批判は差し控えたいと思います。 そうだとすると、MMTは本当に間違えているのでしょうか? 日本でも、MMTは危険
もしも、「財政赤字が10%増えるとインフレ率が1%高まる」という安定的な関係があるのであれば、日本のような国ではMMTもある程度正しいのかもしれません。しかし実際には、そうした関係は決して安定的ではありません。 財政赤字とインフレの関係は、直線的なものではなく、地震のエネルギーが蓄積されていって、ある時突然に暴走する可能性があるのです。 財政赤字が続き、政府の借金が増えていくと、世の中に出回る紙幣が増えていきます。実際には紙幣は銀行に預金され、銀行は日銀に預金するでしょうから、増えるのは日銀の準備預金ですが、「いつでも人々が巨額の紙幣を手にすることができる状況」となっていくわけです。 そうした時に、たとえば石油ショックなどが発生して、人々の間でインフレ予想が広まったとします。人々は一斉に預金を引き出して物を買うでしょうから、実際にインフレ率が急激に上昇し、それが一層の買い急ぎを誘うでしょう。 あるいは、日本政府が破産するという噂が流れたとして、人々が「破産する政府の子会社が発行している日銀券など持ちたくない」と考えて外貨や実物資産を購入し始めるとすれば、やはり超インフレになりかねません。 そうなったら、MMTが言うように「増税してインフレを止める」ことは極めて困難です。無理に超大幅増税を短期間で実行すれば、経済が大混乱するでしょう。 実際には増税よりも即効性のある「大幅な利上げをする」、「預金準備率を急激に引き上げる」、といった手段が採れるでしょうから、本当に超インフレになってしまうことはないでしょうが、いずれにしても「暴走する車に急ブレーキをかける」ようなものですから、相当大きなショックを経済に与えることとなりかねません。 したがって、筆者でさえも、「日本の財政赤字を脳天気に放置しておいて良い」とは思っていません。ただ、「放置するリスクと緊縮財政で景気を悪化させるリスクを天秤にかけると、前者のリスクの方が若干小さいだろう」と考えているだけです。 対外債務のある国では採用不可
日本は巨額の対外純資産を持っていますし、対外債務も多くは自国通貨建てです。したがって、海外の債権者の反応を気にする必要がありません。しかし、対外債務の多い国は、海外の債権者の反応も大いに気になるところです。 海外の投資家や銀行は、国内の投資家や銀行と比べて遥かに逃げ足が速いですから、MMTのリスクが大きいのです。海外の投資家が逃げ出すと、自国通貨をドルに替えて持ち帰るため、超ドル高となり、輸入インフレとなります。 それだけではありません。倒産が増えるのです。海外からのドル建て債務を返済するには、自国通貨をドルに替える必要があります。海外からの返済要請が殺到した場合、最初に返済した人は良いのですが、その人がドルを買うことでドルが値上がりするため、2人目の返済負担は1人目より大きくなるのです。 3人目以降も同様なので、最後の1人はわずかなドルを返済するのに巨額の自国通貨が必要となり、倒産しかねないのです。 したがって、対外債務の大きな国がMMTを採用することは、大変危険なことだと言えるでしょう。 ユーロ圏の国がユーロ建てで借金をしている場合や、米国が米ドル建てで借金をしている場合は、この限りではありませんが、米国の場合は反対に基軸通貨であるが故に世界に迷惑を撒き散らす可能性があるのです(後述)。 米国の方が日本よりインフレ体質
米国の方が日本よりインフレになる可能性が高そうです。単に過去のインフレ率が高かったというだけではありません。インフレになった時に、それが加速する可能性が高そうだ、という点が問題なのです。その分だけ、MMTのリスクは高いと考えて良いでしょうから。 インフレになると「買い急ぎ」をする傾向が、米国人は日本人よりも強いようなのです。日本人はインフレになると買い急ぎをするインセンティブと並んで「老後のための貯金が目減りしてしまったので、倹約して貯蓄に励む」というインセンティブも持ちますが、米国人はそうでもないようです。 もともと楽天的で将来不安を日本人ほど感じないという国民性もあるのでしょうが、「インフレになると賃金が素直に上がる経済体質」「金融資産が株式などインフレに強いもの中心なので、インフレでも目減りしない構造」なども影響しているかもしれません。 基軸通貨の混乱は世界的な影響が大 日本経済が混乱しても、日本の金利が急上昇しても、日本の円が暴落しても、影響は日本中心に発生するだけで、世界経済への影響は限定的なものにとどまるでしょうが、米国で同じことが起きると影響は世界中に広がります。それは、米国の通貨である米ドルが基軸通貨として世界中の貿易や投資等に使われているからです。 米国の金利が急上昇すると、世界中の金の貸し借りが混乱します。米国のインフレを止める目的で利上げをすると、米ドルを海外から借りている途上国の経済が破綻したり、世界的に株価が暴落したりするわけです。 そんなことになっても米国のインフレを止める効果は見込まれないのに、迷惑だけ世界中にかけるわけですね。そんなリスクを世界経済に負わせないでいただきたいものです。 さらに問題が深刻化すると、基軸通貨が交代する、といった思惑が生じるかもしれません。そうなれば、世界経済の混乱は計り知れないものとなるでしょう。幸か不幸か現在はドルに代わって基軸通貨となり得る通貨が見当たらないこともあり、その可能性は非常に低いとは思われますが、影響の大きさを考えると、確率は低くても被害の期待値は無視できないと言えそうです。 以上を総合的に考えると、筆者は米国がMMTを採用することに反対せざるを得ません。もっとも、米国が「米国ファーストだから、他国への悪影響など考慮せずに、米国経済だけのことを考えてMMTを採用する」と言い始めたら、止める術はありませんが(笑)。 ▲△▽▼ 【経済討論】日本経済、滅びの道をひた走り?![桜H31-4-6] - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=sobuc4VM2pI ◆経済討論−日本経済、滅びの道をひた走り?! パネリスト: 安藤裕(内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官・衆議院議員) 石井孝明(ジャーナリスト) 高橋洋一(嘉悦大学教授・「政策工房」会長) 田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員) 藤井聡(京都大学大学院教授) 松田学(松田政策研究所代表・元衆議院議員) 三橋貴明(経世論研究所所長) 渡邉哲也(経済評論家) 司会:水島総 ▲△▽▼ 財政・国債の「天動説」を撲滅せよ 2019-04-08 https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12452748337.html 財政破綻論者の特徴の一つは、自分でも理解せずに「それっぽい言葉」を使うという点になります。 例えば、 「このままでは国の借金が膨らんで、国債のファイナンスができなくなって破綻する!」 とか。
何じゃ、ファイナンスって? 言っている本人は、理解しているんかいな?
銀行預金は、しつこいですが借り手が借りる「瞬間」に発行されるおカネです。つまりは、銀行が「借り手に貸すおカネがない」ということは、地球上に住んでいる限りあり得ません。何しろ、書くだけ。
逆に言えば、借り手が「借りるおカネがない」ということもあり得ないのです。無論、借り手の「与信」により、貸してくれないことはありますが。
国債の場合は、日本政府が借りているのは日銀当座預金です。銀行から日銀当座預金を借り、政府小切手で支出。政府小切手は銀行に持ち込まれ、日銀当座預金で清算される。
つまりは、最終的に銀行は「政府に貸した分の日銀当座預金」を資産として保有することになる。結果、政府が「国債を発行しようとした際に、借りるおカネがない」ということは起こりえないのです。
【政府の国債発行と、銀行預金増加の仕組み(中央銀行の国債直接引受のケース)】
http://mtdata.jp/data_63.html#hikiuke 上図の細かいプロセスについては、【【三橋貴明×山本太郎】Part1 絶対にTVでカットされる国債の真実】のこの辺で解説しております。 https://youtu.be/ynVn-3tLhj4?t=669
というわけで、自国通貨建て国債の場合、 「政府が国債を発行しようとした際に、銀行にカネがなくてファイナンスできない(で、いいの?)」 といった論調は、 「銀行からカネを借りようとしたが、銀行のカネがなくて借りれない」 と同じように天動説です。地球の周りを太陽を初めとする天体が回っていると考えるほどにバカげています。
とはいえ、現実世界にはその種の天動説信者ばかり。典型的な「天動説」の財政論の記事。 『政府債務は家計貯蓄を超えるか?(大機小機) 財政について「政府債務が日本の家計貯蓄を超えると財政は危ない」という議論がよくある。家計の金融資産すなわち貯蓄はいま約1800兆円。一方、国と地方の長期債務残高は1100兆円余りだから、今は政府債務を国内の貯蓄で賄えている。しかし、いずれ債務残高が貯蓄を超えると、大変なことになる。 本当に政府債務は貯蓄を超えるだろうか。 今年、政府が国民から100兆円を借金していると仮定しよう。国民は貯蓄として政府の借用証書すなわち国債を額面100兆円分、保有している。1年たって金利1%が増えると、政府の借金は101兆円になるが、国民の貯蓄も101兆円に増えている。政府が借り換えを続けるとしよう。2年後にはさらに金利が増えて、政府の借金は102兆円強、国民の貯蓄も同額の102兆円強となる。 この計算は何年たっても同じなので、最初の年に国債残高と国民の貯蓄が同額だったら、何年たっても「国民の貯蓄=国債残高」が成り立つ。 この等式が示すのは、国債が「金利分」だけ増えるのであれば、国債残高が国民の貯蓄を上回ることはない、ということだ。国民が政府の借り換えに応じる限り、国債が金利分増えるだけなら、「国債が国民の貯蓄総額を超える」との心配は不要である。 ただし、これには前提条件がある。国民が貯蓄を大きく取り崩さないこと、また、国民が(ほぼすべての)国債を保有していることだ。 基礎的財政収支の赤字があると話は違ってくる。赤字があると借り換えでは足りず、国債を新規発行して新たな資金を調達する必要がある。新規の国債発行額が家計貯蓄の増加分よりも大きければ、国債残高はいずれ貯蓄を超える。従って、基礎的財政収支をゼロまたは黒字にすることが、国債が貯蓄を超えないための絶対条件といえる。 国債残高を減らすには極端な増税と歳出カットが必要だ。だが、基礎的財政収支を黒字にするだけなら、消費税を10%まで上げ、もう一段の増税と歳出削減を進めるだけで何とかなりそうである。 債務残高の絶対水準を落とすというハードターゲットを狙うのではなく、債務の増加を貯蓄の増加の範囲内に抑えるという「スピード調整」が本質的に重要なのかもしれない。』
本ブログや中野剛志先生の本を読まれているかた、あるいは「MMT(現代貨幣理論)」を理解されている方は、日経新聞の上記「大機小機」を読み、 「き、記者って・・・・ここまでバカなのか・・・・・」 と、愕然とされたと思います。
はい、ここまでバカなのです。
上記を書いた記者も、
「政府は家計の貯蓄(銀行預金のこと?)からおカネを借りている」 と、真逆の理解をしています。 真実は、 「政府が国債を発行すると、家計の銀行預金が増える」 であるにも関わらず。
まあ、財務省の飼い犬としてPB(基礎的財政収支)の黒字化を正当化したいためのプロパガンダ記事といわれればそれまでなのですが、見事なまでに「おカネのプール論」になっているのが分かると思います。
おカネの種類について何一つ理解しておらず、国債発行や政府支出のプロセスも知らない。
この手の無知な連中が「それっぽい言葉」を使うだけで、おカネに関して無知な一般国民は見事に騙される。
知識を身につけましょう。知識を広げましょう。そして、財政・国債に関する「天動説」を撲滅するのです。
迂遠に思えるかも知れませんが、「正しい知識」の拡散こそが、最も近道なのでございますよ。
というわけで、「正しい知識」に基づき政策をピボット(転換)するためのプロジェクト、「令和の政策ピボット」を広めて下さいませ。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12452748337.html ▲△▽▼ MMTへの藁人形プロパガンダと闘う 2019-04-09 相変わらず、MMTに対する「胡散臭いブードゥー経済理論」的な攻撃が続いています。 何しろ、「中身」で議論をすると、先方には勝ち目がありません。
例えば、銀行預金一つとっても、
「銀行が何らかの借用証書と引き換えに、自らの負債としての銀行預金というおカネを【書くこと】で発行している」 というのが真実なのでございます。上記を覆すことは、どうにもこうにも不可能です。 ちなみに、未だに理解していない人がいますが、現金紙幣は日銀の借用証書です。銀行に「現金紙幣を預ける」とは、日銀の借用証書と引き換えに、銀行預金というおカネを【書くこと】で発行してもらうことです。
現金紙幣を預けた際に、「現金紙幣が銀行預金に変わった」のではありません。現金紙幣は、きちんと銀行の金庫(?)に存在し続けます。
銀行は現金紙幣という借用証書を受け取り、代わりに銀行預金という「データ」のおカネを発行したのです。
上記が単なる「事実」である以上、反MMT派としては「理論の否定」はできません。とにかく、藁人形を作り、レッテルを貼り、印象操作でMMTの主張を貶める以外に手がないのです。
『政府は借金し放題?=「日本が見本」、米で論争 政府はいくらでも借金を増やせる−。米国で経済学の常識を覆す「現代金融理論」(MMT)をめぐる論争が注目を集めている。擁護派は、巨額の財政赤字を抱えながらも低金利が続く「日本が見本」と主張。これに対し、財政赤字が膨らめば金利上昇・景気悪化を招くとの定説を支持する主流派学者は「魔法」とこき下ろしている。 MMTは、自国の通貨を持つ国はいくらでも通貨発行ができると説く。政府が国債の返済意思がある限り、債務が増えてもデフォルト(債務不履行)は起こらないという。 大規模な財政支出を伴う環境政策「グリーン・ニューディール」を提唱する野党民主党の新星アレクサンドリア・オカシオコルテス下院議員がMMTを支持。大統領選が来年に迫る中、社会保障拡充案を裏付ける財政論として関心を集める。 MMTを唱える、ニューヨーク州立大のステファニー・ケルトン教授は、無秩序な拡張財政で需要が膨れ、インフレが加速する事態を避けられれば財政は破綻しないと強調。「国内総生産(GDP)の240%の債務を抱える日本の事例が重要な見本」と、理論に自信を示している。 これに対し、ノーベル経済学賞受賞のポール・クルーグマン米プリンストン大名誉教授は「理解不能」と批判。ローレンス・サマーズ元財務長官(ハーバード大教授)も「非主流派学者」による「魔法」と切り捨てる。日銀の黒田東彦総裁は「極端な主張」と距離を置いている。(後略)』 MMTにせよ、わたくし共にせよ、「政府はいくらでも借金を増やせる」とは主張していません。「全ての経済(及び政府)は、生産と需要について実物的あるいは環境的な限界がある」は、MMTの基本の一つです。 国民経済の供給能力が足り、インフレ率が向上しない限り、政府は自国通貨建ての国債を発行できるし、中央銀行は国債を買い取って構わないという、単なる事実を主張しているに過ぎません。
インフレにもならず、当然、金利も上がらず、国民が働き、モノやサービスが生産され、生産資産が蓄積され、経済力が強化され、国民が豊かになり、 「一体、何が問題なんだ!?」 という話なのですが、既存の経済学(おカネのプール論)からしてみれば、許されざる話というわけでございます。
わたくしが過去十年以上、作られ、釘を打ち付けられていた、 「三橋は政府が無限に国債を発行できると言っている」 という藁人形プロパガンダが、現在はMMTで展開されているわけでございます。 何しろ、 「MMTによると〜、政府は借金し放題だってさ〜(笑)」 といった見出しの記事ばかりが流されているわけですから、国民側からしみてれば胡散臭さが半端ありません。経済について理解しておらず、自らの身に「置き換えて」考えるしかな無知な大衆は、 「借金は返さなければいけないに決まってるじゃん! 借金し放題って、バカじゃねえのwwww」 といった「間違った認識」により自己満足感を得て、むしろMMT派やわたくし共を攻撃して悦にふける。まさに、地動説と天動説の争いです。 しつこいほど繰り返していますが、経済力とはモノやサービスを生産する力です。経済力が許す限り、政府は国債や通貨を発行し、国民の所得や生産資産になるように支出して構わないのです。
何しろ、供給能力(経済力)が足りている以上、インフレにはなりません。「何が問題なの?」としか言いようがありません。
MMTを巡る「国債発行の限界」の議論は、MMTの胡散臭さを払拭し、さらには「経済力とは何なのか?」という日本国民が今、最も知るべき議論に繋がる。だからこそ、
「国債発行や通貨発行の限界は、モノやサービスを生産する力。つまりは、経済力そのものである」 に加え、経済力は政府や民間の投資により強化することができるという「経済の真実」について理解を広める必要があるのです。(怖い話ですが、上記を最も理解してそうなのが、中国共産党です) 特に、MMTへの藁人形プロパガンダに対し、「経済力」「供給能力」「インフレ率」といったキーワードで、いちいち反論していく必要があります。逆に言えば、先方はこの程度のくだらない藁人形プロパガンダにすがるしか、戦いようがないという話でもあります。 https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12453005846.html
▲△▽▼ 2019年4月10日 財政拡大容認論「MMT」台頭に投資家はどう備えるべきか 「民主社会主義者」を自称するサンダース上院議員(写真中央)の流れをくむ民主党の新星アレクサンドリア・オカシオ=コルテス下院議員(写真右)は、拡張財政容認論を支持 Photo:AP/AFLO 米国で現代貨幣理論(MMT: Modern Monetary Theory)を巡る論争が熱を帯びている。拡張財政容認論とも言えるMMTに対してはさまざまな意見や批判があるのは承知しているが、資産運用業に従事する者として、ここではMMTが台頭してきた社会的な背景を整理した上で、マーケットへの潜在的な影響に焦点を置いて考えてみたい。
時代のキーワードは民主社会主義
MMT派の急先鋒であるステファニー・ケルトンNY州立大学教授は、バーニー・サンダース上院議員が2016年の米大統領選挙に立候補したときの経済アドバイザーだった。泡沫候補の1人にすぎなかったサンダース氏は、格差是正を訴えてミレニアム世代の支持を獲得し、最後までヒラリー・クリントン氏と民主党の指名候補の座を争った。 サンダース氏の公約は医療の国民皆保険化、最低賃金の引き上げ、インフラへの投資拡大、大学教育の無料化など政府支出の増大を伴うものが中心だが、財政赤字の拡大を一時的に容認してでも格差を是正する方が政策順位は高い、という主張の理論武装としてMMTが用いられたのだ。 格差是正を求める動きは、2018年の中間選挙で米国史上最年少の女性下院議員となったアレクサンドリア・オカシオ=コルテス氏に引き継がれている。母親がプエルトリコ出身の移民でNY州ブロンクス生まれの同氏は、28歳という若さにもかかわらず予備選で現職の民主党重鎮を破り、一気に知名度を上げた。民主社会主義者を自称し、医療や教育など市民権の平等を訴えており、若年層やマイノリティからの人気ぶりは「キング牧師の再来」と形容されるほどだ。 オカシオ=コルテス氏は富裕層への増税を主張しているが、同時に財政赤字の拡大にも寛容で、MMT支持者としての顔も見せている。ちなみに前述のケルトン教授は現在、キング牧師により組織された貧困層救済活動「Poor People’s Campaign」の経済対策アドバイザーを務めているが、オカシオ=コルテス氏とも経済政策面で連携していると推察される。 こうした政治的な地殻変動は、SNSでつながった若年層や低所得層が「富裕層の富裕層による富裕層のための政治」を変える影響力を持ち始めたことを意味している。
彼らは財政赤字を言い訳に政府支出を渋り、富裕層には減税する米国流資本主義に不満を感じており、民主的に選ばれた政権が社会主義的なアプローチで所得を再分配してくれることに希望を見いだしている。 米国で「社会主義」という単語がこれほどまでにネット上で語られることは、おそらく今までになかっただろう。英国でもジェレミー・コービン党首率いる労働党が「国民のための量的緩和」を訴えて2017年の総選挙で躍進するなど、民主社会主義は今や世界的なキーワードになっている。 焦点はFRBの独立性が大きく損なわれるか否か 「市場VS政府」という所得の再分配を巡る伝統的な議論が、低金利・低成長という環境変化のせいで「量的金融緩和VS現代貨幣理論」という非伝統的な方法論へとエスカレートした――。 これが、筆者が考えるMMT台頭の背景である。 現時点では民主社会主義を掲げる候補者を擁立しても民主党が2020年の大統領選挙に勝てる見込みが高いわけではなく、市場にはMMTの主張に沿った拡張財政政策が実行されることを想定した動きは見られない。しかしこれから本格化する大統領選挙を通じて、民主社会主義政策に米国民の支持が集まるようであれば、マーケットは突如としてその影響を織り込み始めると予想する。 おそらくそれは株式市場にとって芳しいものではあるまい。過去20年間に先進国で政権を取った中道左派政党には、英国の労働党(1997-2010)、ドイツの社会民主党(1998-2005)、日本の民主党(2009-2012)、フランスの社会党(2012-2016)などの例がある。 彼らは構造改革を重視し、必ずしも拡張財政に依存したわけではなかったが、結果的に英独では悲惨指数(消費者物価と失業率の和)が上昇し、日仏では政府債務残高が増加するなど、経済を改善させることはできなかった。 また中道左派政党は企業に対して一定の負担を求める傾向があるのも株価にはネガティブだ。特に民主党が政権を取れば、温室効果ガスや自社株買い、タックスヘイブン(租税回避地)などの規制強化に動く公算が大きく、成長株への下落圧力が強まることになろう。 債券市場にとっても金利上昇が待ち受けていよう。ちなみに筆者は民主党のMMT派による政策がハイパーインフレを引き起すような危機的状況をもたらすとは考えていない。なぜなら民主社会主義派は財政赤字拡大よりも富裕層への増税を優先しているし、過去においても民主党の方が共和党よりも財政赤字を抑制してきたという事実があるからだ。 しかし市場がこの点を警戒しているのは明らかで、財政赤字のわずかな拡大に対しても債券市場が過剰に反応することは想像に難くない。 投資家はどう対応すべきだろうか。市場の初期反応がインフレ警戒的なものになるとの見方に立てば、ゴールドや原油といった商品市場が有望だ。物価連動債や不動産投資信託(REIT)にもインフレ抵抗力を見いだすことができる。株式では医療や教育、インフラ関連の銘柄に投資機会があろう。 ただし米連邦準備制度理事会(FRB)の独立性が大きく損なわれたと市場が受け止めた場合は、一段と踏み込んだ資産の組み替えが必要になる。特にドル安への対応は必須だ。日本や欧州でも同様の政策が実施されると考える人々は、仮想通貨に避難先を見いだそうとするかもしれない。 繰り返しになるが、このような反応は、市場が政策転換の可能性を感じ始めたときに突然巻き起こってくるだろう。その時期を前もって知ることは難しいが、米国の世論が民主社会主義にどこまで寛容であるかを測るリトマス紙として、これからのMMT論争の行方を注目しておきたい。 *本稿は、ダイヤモンド・オンラインの特設サイト「政策・マーケットラボ」に掲載されたものです。筆者の個人的見解に基づいています。 https://diamond.jp/articles/-/199118 ▲△▽▼ 京都大学レジリエンス実践ユニット・MMT勉強会: 「 MMT(現代貨幣理論)の論理構造と実践的意義」【講師:青木泰樹】 - YouTube 動画 https://www.youtube.com/watch?v=7fH3IXUoJ6M&feature=youtu.be ▲△▽▼ 令和は平成以上に国民が貧困にあえぐ時代に? MMTは日本経済の低迷を救うか https://wezz-y.com/archives/64990 2019.04.14 wezzy 新しい元号「令和」も決まり、来年はいよいよ東京オリンピック・パラリンピックで、何やら良いことが起きそうに感じている人も多いかもしれない。しかし、このままでは令和は平成以上に国民が貧困にあえぐ時代となる可能性が高い。 政府はアベノミクスでデフレ脱却を目指しながらも、緊縮財政、規制緩和、増税などのインフレ対策(アベコベノミクス?)を行ってしまった。風邪をひいている病人に氷水を浴びせてこじらせてしまったようなものだろう。しかも、ついには公式統計までごまかし出す始末。名目賃金が誤差程度に上昇したことを鬼の首を取ったかのように主張しているが、実質賃金は下がっている。 おまけに、相も変わらず政府の借金を国の借金と言い換えて、1100兆円を国民一人当たり885万円の借金だというレトリックで存在しない財政破綻危機を煽り、増税の口実にしている。政府の借金など国民は気にする必要がないことは後ほど言及したい。 もっとも、政府がいくら経済政策の成果を主張しても、多くの国民は「実感がない」と感じているのではないか。その直感は正しい。 なぜ、これほど政府の経済政策はダメダメなのか。周囲には優秀な経済学者をはじめとするブレーンが控えていたのではなかったか? いやいや、実はこの主流派と呼ばれる経済学の信奉者たちこそが、日本や世界の経済をダメにしたのだ――と指摘するMMTなる理論が登場し、注目されている。 おかげで、主流派経済学を信奉する学者や評論家、政治家、マスコミたちが、いやーな汗をかきはじめているようだ。 ■主流派経済学者たちや政治家、マスコミが慌てるMMTの衝撃 もし、経済学に再現性の高い科学的要素があるのならば、現在の日本の体たらくはどのように説明するのか。――と思っていたら、先頃、アメリカでMMT論争なるムーブメントが起きていることを知り、わずかな希望の光を見つけた。 MMTとは「Modern Monetary Theory」の略で、日本語では「現代貨幣理論」と訳されることが多い。MMTが注目されるようになったきっかけは、2018年の米国の中間選挙で29歳の最年少女性議員として脚光を浴びたアレクサンドリア・オカシオコルテス下院議員が、今年1月に「MMTの議論をもっと盛り上げるべき」と主張したことだった。 この主張が、2020年の大統領選の争点にまで発展しそうな勢いで議論を巻き起こしている。なにしろオカシオコルテスは将来、米国初の女性大統領になるのではないかと期待されている新星だからだ。 ――ところでMMTって何だ? 多くの人がこの聞き慣れない理論に注目した。すると驚くべきことに、MMTでは「財政は赤字でこそ正常な状態なのだから、どんどん財政拡大すればよいのだ」、というではないか。日本で多くの人たちが緊縮財政、つまり財政赤字の縮小こそ正しいと主張しているのとは正反対だ。 正反対だから、ノーベル経済学賞受賞者であるクルーグマンをはじめとする経済学者や中央銀行関係者、著名投資家たちなどが慌てて反論を始めた。何しろ自分たちが依って立つところの「信仰」が揺るがされかねないためだ。 ■袋だたきに遭うMMT 主流派と呼ばれる経済学では、財政赤字は悪だ。なかには一時的な財政拡大は認めるという一派もあるが、基本的には悪である。政府の債務が積み上がってしまうと国際的な信用が低下し、その国の国債が売り出されてしまう。その結果、国債の金利が上昇して債務返済が困難になってしまうという理由だ。 実際、ギリシャやアルゼンチンなどは債務不履行に陥っているではないか、と主流派は言う。しかし、MMT支持者たちはこの理論を笑う。米国や日本など、自国通貨で借金をできる政府は通貨発行権を持っているため、破綻のしようがない、というのだ。 この理屈はもっともだ。MMT支持者の主張は、日本という国で実証されている。 日本ではずいぶんと昔から財政破綻が叫ばれている。1995年に武村正義大蔵大臣(当時)が国会で財政破綻宣言をしたのが始まりとも言われている。しかし、いっこうに金利は上がらないし、破綻しそうにもないではないか。 米国も同様だ。MMTはでたらめな理論ではない。経済産業省の官僚で評論家でもある中野剛志氏は次のように語っている。 “現代貨幣理論は、クナップ、ケインズ、シュンペーター、ラーナー、ミンスキーといった偉大な先駆者の業績の上に成立した「整合的に体系化された理論」なのである。”(東洋経済ONLINE:2019/3/26) ■MMTとは何か このMMTは最近になって突然登場した理論ではない。1990年代には構築されていた。その主な主張は以下の通りだ。 ●自国通貨を発行できる政府は財政的な予算制約を受けることはない。たとえば日本や米国、英国が該当する。一方、自国通貨を持たず発行もできないユーロ圏の国々は該当しない。 ●経済と政府には、生産と消費に関する実物的な限界と環境上の限界がある。これは、政府には消費を拡大したり減税したりすることでインフレを起こすことができるという意味だ。 ●政府の赤字は他の人たちの黒字となる。これは誰かの赤字は必ず誰かの黒字になるという単純な法則だ。 ■MMTなら未だに破綻していない日本を説明できる 世界には、財政破綻できない国がある。その代表が日本や米国、英国などだ。これらの国の政府は自国通貨を発行することができる。つまり、政府が返済する意志を持つ限り、借金などいくらでも返済できてしまうということだ。 主流派経済学が頭を抱えているのは、すでにGDPの240%にも上る政府債務残高があるにもかかわらず未だに財政破綻していない日本の存在だ。しかし、MMT支持者から見れば「当然の現象」ということになる。 私たちの多くも、つい、政府の財政状況を家庭や企業と同じように考えてしまう。つまり、借金が膨らむと倒産したり破産したりしてしまうのではないか、という心配だ。 しかし、政府は企業や家庭とは決定的に異なる特徴を持っている。最も大きな違いは、通貨発行権を持ち、徴税権を持ち、寿命がないということだ。この明白な事実を、私たちは忘れてしまっている。いや、忘れさせられている。 とはいえ、いくらMMTでも、政府が野放図に支出しても良いとは言っていない。あくまで適度なインフレが保たれる範囲でとしている。つまり、極度な需要過剰(供給不足)でインフレが過熱しないように調整は必要だというのだ。 ただ、現在の日本は、まったくの低金利どころかマイナス金利なので、この手の心配は無用だといえる。同時にMMTのこの考え方は、政府の財源を増税で賄う必要はまったくないことも示している。つまり、消費税の増税は愚か、消費税そのものもナンセンスなのだ。 ■MMTは課税を不要だとは言っていない ただし、MMTでは課税そのものを不要だとは言っていない。なぜなら、MMTでは通貨の価値は課税で担保されると考えているためだ。課税を行わなければ、需要過剰(供給不足)が起きた際にインフレを制御できない。また、格差を是正するためにも、富の再配分システムとして課税は必要になる。MMTではほかにも、政府が最後の雇い手として機能することで物価調整を行えると考える。 たとえば景気が悪く失業者が増えれば、政府が働く場を作り出せば良い。そうすることで完全雇用を達成し、賃金の下落を止めることができる。逆に好景気になり民間で人手不足が始まれば、公的雇用から労働者を採用すれば良いのだ。 MMTでは、不況時に政府が財政支出を増やして赤字になることをまったく問題視しない。 ■MMTは無制限に財政赤字をせよとも言っていない それにしてもMMTは批判される。 MMTでは救われない、ユーロからの批判がそのひとつだ。欧州中央銀行(ECB)の理事会メンバーであるビルロワドガロー・フランス銀行(中央銀行)総裁がMMTにかみついた。そうしなければユーロの正当性が崩壊してしまうからだろう。 同氏は、次のように言っている。 “残念ながら、自国の債務をマネタイズしようとした国は極めて不幸な経済状況に陥ったことがケーススタディーで繰り返し示されている”(ロイター:2019/03/28)と言いながら、具体的な例が出てこない。そもそもEU諸国は自国通貨も中央銀行も持たないので、MMTの理論では救えない。だからドイツもフランスも財政破綻する可能性がある。 しかし、日本や米国、英国、スイスなどは破綻できないのだ。日本でもことあるごとに財政破綻を煽る人々は、財政赤字が金利を急騰させて、政府の利払い負担が増えて将来の世代にツケを回してしまう、と主張している。 あれれ? 日本は凄まじい低金利であることを忘れているようだ。この不思議(でもなんでもないのだが)はMMTなら説明できる。それは、政府の赤字は民間の貯蓄でファイナンスされているわけではないためだ。 ■銀行はお金を創造する魔法を持っている? 信用創造とは? ここで「信用創造」という魔法について説明したい。 銀行が企業などに融資する場合、なんとなく預金で集めたお金を貸し出していると思ってしまう。しかし現実には、銀行は実際に持っている以上のお金を貸し出すことができるという魔法を持っている。 たとえば銀行がある企業に10億円を貸し出すとする。その時、銀行はどこかにとっておいた10億円を持ってきて貸し出すのではない。単純に、貸出先企業の口座に10億円記帳するだけなのだ。 この仕組みは、書き込むだけでお金が生み出されることから「万年筆マネー」などとも呼ばれる。 つまり銀行という制度は、理論的には相手が返済能力さえあれば、際限なくお金を貸し出せることになっている。ただ、実際には預金の引き出しに備えるために預金の一定の割合を日銀当座預金として中央銀行に預け入れることが義務づけられている。つまり、銀行が貸し出しを増やして預金を増やすと、日銀当座預金が増えるのだ。 ■経済学は天動説なのか? 前述の中野剛志氏は、MMTが主流派から批判されている状況を次のようにたとえている。 “ガリレオが地動説を唱えた時、あるいはダーウィンが進化論を唱えた時、学界や社会の主流派は、その異端の新説に戸惑い、怒り、恐れた。そして、攻撃を加え、排除しようとした。しかし、正しかったのは、主流派に攻撃された少数派・異端派のほうだった。”(東洋経済:2019/3/26) 主流派から攻撃されている少数派だから正しい、とはもちろん言えない。しかし、何よりも主流派にとって皮肉なのは、日本という国が財政破綻していないことで、MMTの正しさが実証されてしまっていることだ。 私は経済学者ではない。そのため、MMTについて誤った解釈をしている可能性もある。それでも本稿を投稿したのは、MMTの議論が盛り上がれば日本経済にプラスになると考えたためだ。 経済低迷が常態化してしまった日本で、MMTは希望の光となるだろうか。 ▲△▽▼ 2019.4.26 財政赤字容認の「現代貨幣理論」を“主流派”がムキになって叩く理由 中野剛志:評論家 https://diamond.jp/articles/-/200555 昨今、「現代貨幣理論(MMT、Modern Monetary Theory)」なる経済理論が、米国、欧州そして日本でも話題となり、大論争を巻き起こしている。 今なぜ、MMTなのか。 景気減速感が強まる一方、金融政策が手詰まりな状況で、「財政政策で活路を」と考える論者や、格差是正やグリーン・ニューディールなどを訴えて財政拡張政策を主張するいわゆるリベラル政治家らが、その理論的な根拠としていることがある。 だが、このMMTに対して、主要な経済学者や政策当局の責任者たちは、ほぼ全員、否定的な見解を示している。日本でも、MMTに関する肯定的な論調はごくわずかだ。それには理由がある。 「異端の学説」なのか MMTをめぐり大論争 MMTが注目を集めているのは、その支持者が「財政赤字を心配するな」という主張をするからだとされている。 より正確に言うと、「(米英日のように)通貨発行権を持つ国は、いくらでも自国通貨を発行できるのだから、自国通貨建てで国債を発行する限り、財政破綻はしない」というのである。 普通であれば、MMTのような「異端の経済学説」が、真面目に取り上げられるなどということは考えられない。無視あるいは一蹴されて終わりだろう。 ところが、極めて面白いことに、MMTは、無視されないどころか、経済学者のみならず、政策当局、政治家、投資家そして一般世論までも巻き込んで、大騒ぎを引き起こしたのである。 暴露された 主流派の「不都合な事実」 その理由は、MMTが、主流派経済学者や政策当局が無視し得ない「不都合な事実」を暴露したからである。 もう一度言おう。MMTが突きつけたのは、「理論」や「イデオロギー」ではない。単なる「事実」である。 例えば、MMTの支持者が主張する「自国通貨建て国債は、デフォルト(返済不履行)にはなり得ない」というのは、まぎれもない「事実」である。 通貨を発行できる政府が、その自国通貨を返せなくなることなど、論理的にあり得ないのだ。 実際、「自国通貨建て国債を発行する政府が、返済の意思があるのに財政破綻した」などという例は、存在しない。財政破綻の例は、いずれも自国通貨建てではない国債に関するものだ。 実は、MMT批判者たちもこの「事実」を否定してはいない。その代わりに、彼らは、次のいずれかの批判を行っている。 批判(1)「財政規律が緩むと、財政赤字が野放図に拡大し、インフレを高進させてしまう」 批判(2)「財政赤字の拡大は、いずれ民間貯蓄の不足を招き、金利を高騰させる」 MMTに対する批判は、ほぼ、この2つに収斂している。 では、それぞれについて、その批判の妥当性を検討してみよう。この検討を通じてMMTが指摘した「不都合な事実」とは何かが明らかになるだろう。 財政赤字拡大で 「インフレは止まらなくなる」は本当か? まず「財政赤字の拡大は、インフレを招く」という批判(1)を考えてみよう。 実は、MMT批判者たちが指摘するように、財政赤字の拡大はインフレを招く可能性はある。これはMMT自身も認める「事実」だ。 政府が、公共投資を増やすなどして財政支出を拡大すると、総需要が増大する。総需要が増大し続け、総供給が追い付かなくなれば、当然の結果として、インフレになる。 それでもなお、野放図に財政赤字を拡大し続けたら、インフレは確かに高進するだろう。 ということは、MMT批判者たちもまた、「インフレが行き過ぎない限り、財政赤字の拡大は心配ない」「デフレ脱却には、財政赤字の拡大が有効」と認めているということである。 言い換えれば、仮に「財政規律」なるものが必要だとすれば、それは「政府債務の規模の限度」や「プライマリーバランス」ではなく、「インフレ率」だということだ。 すなわち、インフレ率が目標とする上限を超えそうになったら、財政赤字を削減すればいいのである。 そして、米国も欧州も低インフレが続いており、日本にいたっては20年もの間、デフレである。 そうであるなら、財政赤字はなお拡大できる。それどころか、デフレの日本は、財政赤字がむしろ少なすぎるということになる。 この点は、MMTの批判者でも同意できるはずだ。 実際、MMTを批判する主流派経済学者の中でも、ポール・クルーグマンや、ローレンス・サマーズ 、あるいはクリスチーヌ・ラガルドIMF専務理事らは、デフレや低インフレ下での財政赤字の拡大の有効性を認めている。
ところが、より強硬なMMT批判者は、「歳出削減や増税は政治的に難しい。だから、いったん財政規律が緩み、財政赤字の拡大が始まったら、インフレは止められない」などと主張している。 しかし、これこそ、極論・暴論の類いだ。 そもそも、国家財政(歳出や課税)は、財政民主主義の原則の下、国会が決める。「財政規律」なるものもまた、財政民主主義に服するのだ。 「政治は、財政赤字の拡大を止められない」などというのは、財政民主主義の否定に等しい。 また総需要の超過は好景気をもたらすので、所得税の税収が自動的に増大し、財政赤字は減る。したがって、仮に増税や歳出削減をしなくとも、インフレはある程度、抑制される。 加えて、金融引き締めによるインフレ退治という政策手段もある。 要するに、インフレというものは、経済政策によって止められるものなのだ。 実際、歴史上、ハイパーインフレの例は、戦争・内戦による供給能力の棄損や社会主義国の資本主義への移行による混乱、独裁国家による政治的混乱といった、極めて特殊なケースに限られる。 また、1960年代後半から70年代にかけての米国の高インフレも、ベトナム戦争、石油危機、変動相場制への移行といった特殊な外的要因が主である。 特に戦後の先進国で、財政支出の野放図な拡大が止められずにインフレが抑制できなくなったなどという事例は、皆無だ。 そして何より、日本は、過去20年間、インフレが止められないどころか、デフレから脱却できないでいる。歳出抑制や消費増税といった経済政策によってインフレを阻止できるという、皮肉な実例である。 したがって、「財政赤字の拡大を容認すると、インフレが止まらなくなる」などということはないのだ。 これは、「事実」である。 「民間の貯蓄不足を招き 金利を高騰させる」は本当か?
「財政赤字の拡大は民間貯蓄の不足を招き、金利を高騰させる」という批判(2)は、先ほどの批判(1)とは違って、完全に「事実」に反する。 まず、基本的な事実確認から始めよう。 一般に、銀行は、個人や企業から預金を集めてきて、それを貸し出すと思われている。しかし、それは「誤解」である。 実は、銀行は、集めた預金を貸し出すのではない。その反対に、銀行の貸し出しによって預金が創造されるのである。 「預金⇒貸し出し」ではない。「貸し出し⇒預金」なのだ。これが、いわゆる「信用創造」である。 これは、MTT固有の理論ではない。銀行の実務における「事実」にすぎない。 余談だが、この「事実」は、最近でも例えば、参議院決算委員会(2019年4月4日)の質疑で、西田昌司参議院議員が黒田日銀総裁に確認している。ちなみに、黒田総裁はMMTには否定的である。 西田委員「銀行は信用創造で10億でも100億でもお金を創り出せる。借り入れが増えれば預金も増える。これが現実。どうですか、日銀総裁」 黒田総裁「銀行が与信行動をすることで預金が生まれることはご指摘の通りです」 政府の赤字財政支出が 民間貯蓄を増やす
貸し出しが預金を創造するというのは、政府に対する貸し出しにおいても、同様である。 すなわち、政府の赤字財政支出(国債発行)は、民間貯蓄(預金)によって賄われているのではない。その反対に、政府の赤字財政支出が、民間貯蓄(預金)を増やすのである。 ただし、政府は民間銀行に口座を開設しておらず、中央銀行にのみ口座を開設している。 それゆえ、実際のオペレーションは、図1の通りとなる。 オペレーションの流れ
https://diamond.jp/articles/-/200555?page=6 この図1からも明らかなように、民間銀行は、個人や企業が預け入れた預金をもとに、新規発行国債を購入するわけではない。
中央銀行から供給された準備預金(日銀当座預金)を通じて、購入するのだ【1】。その上で、政府が財政支出を行うと【2】、それと同額だけ民間貯蓄が増える【4】。 政府債務残高及び長期国債金利の推移
https://diamond.jp/articles/-/200555?page=7 超インフレ、金利高騰は起きず 主流派経済学の「権威」脅かす
このように、MMTは、実は、特殊な理論やイデオロギーではなく、誰でも受け入れ可能な単なる「事実」を指摘しているのにすぎないのである。 だが、その「事実」こそが、主流派経済学者や政策当局にとっては、この上なく、不都合なのだ。 例えば、「インフレが行き過ぎない限り、財政赤字の拡大は心配ない」というのが「事実」ならば、これまで、主流派経済学者や政策当局は、なぜインフレでもないのに財政支出の拡大に反対してきたのだろうか。 防災対策や貧困対策、少子高齢化対策、地方活性化、教育、環境対策など、国民が必要とする財政支出はいくらでもあった。にもかかわらず、主流派経済学者や政策当局は、財政問題を理由に、そうした財政支出を渋り、国民に忍耐と困苦を強いてきたのである。 それなのに、今さら「インフレが行き過ぎない限り、財政赤字の拡大は心配ない」という「事実」を認めることなど、とてもできないということだろう。 さらに、「財政赤字は民間貯蓄で賄われているのではない」という「事実」を知らなかったというのであれば、「貸し出しが預金を創造する」という信用創造の基本すら分かっていなかったことがバレてしまう。 主流派経済学者や政策当局にとって、これほど不都合なこともない。彼らのメンツに関わる深刻な事態である。 というわけで、主流派経済学者や政策当局が、よってたかってMMTをムキになって叩いている理由が、これで明らかになっただろう。 その昔、ガリレオが宗教裁判にかけられたのは、彼が実証した地動説が教会の権威を揺るがしたからである。 それと同じように、MMTが攻撃にさらされているのは、MMTが示した「事実」が主流派経済学者や政策当局の権威を脅かしているからなのだ。 (評論家 中野剛志) https://diamond.jp/articles/-/200555 ▲△▽▼ 京都大学レジリエンス実践ユニット・MMT勉強会: 「 MMT(現代貨幣理論)の論理構造と実践的意義」【講師:青木泰樹】 - YouTube 動画 https://www.youtube.com/watch?v=7fH3IXUoJ6M&feature=youtu.be 女性の9割が知らない。顔に「シミ」できるが人は、洗顔後に●●をしていない。
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中野剛志 消費増税も吹っ飛ばす破壊力。「MMT」(現代貨幣理論)の正体 2019年4月26日 https://www.excite.co.jp/news/article/BestTimes_10271/ ■アメリカでいま大論争 消費増税も吹っ飛ばす破壊力。「MMT」(現代貨幣理論)の正体 「MMT」って、聞いたことありますか? MMTというのは、現代貨幣理論(Modern Monetary Theory)のことです。 最近、アメリカで大論争を巻き起こし、日本でもよく採り上げられている経済理論です。 きっかけとなったのは、2019年1月に、アメリカの史上最年少議員(民主党)として話題のアレクサンドリア・オカシオコルテス議員が「MMT」への支持を表明したことで、突如、MMTが脚光を浴びました。 MMTの論者たちは、「財政赤字は心配するな」という過激とも思える大胆な主張をしています。 このため、著名な主流派経済学者や政策当局が、MMTを「トンデモ理論」だとバッシングを始めました。 ところが、このバッシングに対して、MMTを提唱する経済学者ステファニー・ケルトン教授らが、強力に反論したので、大騒ぎになりました。 そして、この論争が、日本にも飛び火したというわけです。 なぜ、日本に飛び火したのか。 言うまでもなく、日本は、GDP比の政府債務残高が先進国の中でもダントツで大きく、財政危機だと言われているからです。 しかも、今年、消費税率を8%から10%に引き上げようとしているところです。 それなのに、「財政赤字は心配するな」などというMMTが正しかった、なんて話になったら、消費増税は、ぶっ飛びます。 それどころか、これまで二十年以上にもわたって、財政危機を騒いできたのは、いったい何だったのかという話になって、大変なことになります。 最近、世界経済も国内景気も急激に悪化しており、このまま消費増税をしていいのだろうかという不安が高まっています。
先日も、自由民主党の萩生田幹事長代行が、消費増税延期を口走ったため、大きな波紋を呼んでいます。 そんな最中に、海の向こうから、突然「財政赤字は心配するな」という理論がやってきたのです。 それで、日本の財務省は、MMTに対して、異例の反論を行い、火消しに走っているというわけです。 また、長年、財政健全化を訴えてきた朝日新聞編集委員の原真人さんも、MMTを「トンデモ経済理論」呼ばわりしています。 ■意外とシンプルな理論 ところで、MMTとは、どのような理論なのでしょうか。 一見すると難しそうですが、ポイントだけ押さえれば、意外と簡単に分かります。 ポイントは、こうです。 日本やアメリカやイギリスのように、自国通貨を発行できる政府(正確には、政府と中央銀行)は、デフォルト(債務不履行)しない。 自国通貨建ての国債は、デフォルトすることはない(アルゼンチンなど、デフォルトの事例は、外貨建て国債に関するものだけ)。 だから、アメリカや日本は、財源の心配をせずに、いくらでも、好きなだけ支出ができる。 ただし、財政支出を拡大し、需要超過になって、インフレになる。 たった、これだけです。 しかし、実は、このMMTの主張は、単に「事実」を言っているだけで、何も新奇な理論を提唱しているわけではありません。 通貨を発行できる政府が、自国通貨建ての国債を返済できるなんて、当たり前の話です。
それどころか、財務省だって、日本の国債は、自国通貨建てなので、デフォルトしないと言っているのです。 平成14年に、海外の格付け会社が日本国債の格付けを引き下げました。すると、財務省は、格付け会社(ムーディーズ、S&P,フィッチ)宛に、質問状を発出しました。そこには、こう書かれています。 (1) 日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか。 デフォルトしないのならば、政府は財源の心配は無用ということになります。 しかし、もしそうだとすると、税金は、何のためにあるのでしょうか。 「財源の心配がいらないなら、無税国家ができるじゃないか」と思われたかもしれません。 もちろん、無税国家は不可能です。 なぜなら、税金を一切なくして、政府が好きなだけ財政支出をしまくったら、消費や投資が拡大し続け、インフレが止まらなくなって、大変なことになるからです。 ■消費税は何を減らす? だから、税金を課して、消費や投資を抑えて、インフレを止めるのです。 ただし、税金を重くし過ぎると、今度は、インフレの反対、すなわちデフレになります。 この場合、税金は、物価を調整するための手段だということになります。 他にも、税金には、重要な役割があります。 例えば、高所得者により重い所得税を課すと、所得格差を是正できます。 また、温室効果ガスの排出に対して、炭素税を課すと、温室効果ガスを抑制できます。
このように、税金は、抑制したいものや減らしたいものに課すことで、経済をうまく調整するのに使うのです。 ですから、税金は、財源確保の手段ではなく、経済の調整の手段として、必要だということです。 これが、MMTの、最も初歩的な説明です。 しかし、この最も初歩的な説明だけでも、破壊力が抜群なのです。 例えば、先ほど説明したように、税金は、温室効果ガスの排出に対して課すと、温室効果ガスを減らせます。 ということは、消費税は、何を減らすのでしょうか。 消費に税金を課しているのですから、当たり前ですが、消費を減らすことになります。 さて、今年、消費税を増税する予定ですが、そうなると、消費が減ります。 消費を減らしたら、当然、不景気になり、国民生活は苦しくなります。 ■増税とインフレ・デフレの関係 それなのに、どうして、消費を減らしたいのでしょうか? えっ、消費増税は、社会保障財源を確保し、財政赤字を減らすために必要? でも、自国通貨建て国債はデフォルトしないというのは、財務省ですら認めている事実ですよ。 デフォルトしないならば、財源を確保する必要なんて、ないじゃないですか。 こういうことを言うと、「そんなこと言ったって、財政赤字が大きくなり過ぎたら、インフレが止まらなくなるじゃないか!」と批判されるでしょう。 この批判は、まったく、その通りです 実際、MMTも、財政赤字を増やすと、インフレになると言っています。
でも、ということは、逆に財政赤字を減らしたら、インフレの反対のデフレになるはずですね。 ところで、日本は二十年もデフレで苦しんでいて、安倍政権はデフレ脱却を掲げています。 つまり、安倍政権は、インフレにしたいわけです。実際、インフレ率2%という目標を掲げています。 そうだとしたら、安倍政権は、インフレを実現するために、財政赤字を増やさなきゃ、いけないはずですよね。 それなのに、消費増税で財政赤字を減らしたりなんかしたら、どう考えたって、デフレはひどくなるでしょう。 そもそも、安倍政権は、2%のインフレ率を目標に掲げています。 だったら、2%のインフレ率という「行きつく先」まで、財政赤字を拡大すればいいではないですか。 ■MMT反対派への反論 えっ、MMTなんてトンデモ経済理論の実験なんか、してはいけない? それを言うなら、「デフレなのに、消費増税を断行する」ことの方が、よほど「実験」でしょう。 だいたい、「デフレ時に消費増税をやっても問題ない」なんて経済理論、どこにあるんですか? MMTをトンデモ呼ばわりした原真人さん、教えてください。 しかも、消費増税の実験でしたら、すでに、1997年の消費増税(税率3%から5%へ)と、2014年の消費増税(5%から8%へ)の二度もやっています。 いずれの実験も、デフレを悪化させました 何で、二度も失敗した危険な実験を、もう一回、やろうとしているのでしょうか。
意味が分かりません。 ところが、財政赤字の拡大については、まだ、こう反論する人がいます。 「いや、財政赤字の拡大を認めてしまったら、インフレは止まらなくなる。インフレを止めるために、歳出を削減したり、増税したりするなんて、できないんだ。なぜって、国民が嫌がる歳出削減や増税を、政治家は決断できないからだよ」 これは、ひどい反論ですね。 なぜなら、財政支出や増税は、国会で決めることになっています。 これは「財政民主主義」と言って、日本国憲法第83条で定められています。 「歳出削減や増税はできないから、インフレが止まらなくなる」というなら、財政は、国会以外のどこで決めるのでしょうか? 財務省が決めるのでしょうか? いや、ダメです。それは、憲法83条違反ですよ。 それに、日本は、すでに20年も、インフレを止めています。 むしろ、インフレにしたくてもできなくて、困っています。 2014年には、デフレで国民が苦しんでいるのに、消費増税をしてしまいました。 そんな日本が、どうしてインフレが進み過ぎて国民が苦しんでいる時に、歳出削減や増税ができないというのでしょうか? 日本の民主主義をバカにするのも、いい加減にしてもらいたいものです。 というわけで、MMTの破壊力、いかがでしたでしょうか? 財政や税金について、もっと知りたくなったでしょうか? それとも、狐につままれたようで、どうも納得できないといった感じでしょうか? どちらにしても、議論の続きについては、 目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】 – 2019/4/22 中野 剛志 (著) https://www.amazon.co.jp/gp/product/4584138958/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=asyuracom-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=4584138958&linkId=288b8e2d2b0e6fa2b42e0c3d793db718
をお読みいただけますと、幸いです。
読み終わったら、経済学者、官僚、そして朝日新聞編集委員もビビるほど、経済が理解できるようになっているでしょう。 https://www.excite.co.jp/news/article/BestTimes_10271/?p=6 ▲△▽▼ 「日本の未来を考える勉強会」ーよくわかるMMT(現代貨幣理論)解説 平成31年4月22日 講師:評論家 中野 剛志氏 - YouTube 動画 https://www.youtube.com/watch?v=LJWGAp144ak ▲△▽▼ 財政赤字を容認する「MMT理論」は一理あるが、やはり危険な理由 https://diamond.jp/articles/-/201833 2019.5.10 塚崎公義:久留米大学商学部教授 ダイヤモンド・オンライン
「財政赤字=悪」という常識を真っ向から否定する今話題のMMT理論は危うさも秘めています(写真はイメージです) Photo:PIXTA 米国で「Modern Monetary Theory(MMT、現代金融理論)」と呼ばれる理論が話題になっている。「自国通貨で借りている財政赤字は紙幣を印刷すれば返せるのだから巨額でも構わない」というものだ。筆者は日本政府の財政赤字について「日本政府が破綻するはずはないので、性急な財政再建で景気の腰を折るようなことはすべきではない」という財政赤字容認派であるが、それでも無条件の財政赤字容認論には危うさを感じている。(久留米大学商学部教授 塚崎公義)
「財政赤字は悪ではない」という新理論 「財政赤字、政府の借金が膨らむことは、様々な問題を引き起こすので悪いことだ」というのが常識的な経済学理論だが、MMTはこれに真っ向から挑戦している。 その意味で、MMTは全くの異端であり「非常織」だ。しかし、米国の民主党左派が財政出動を正当化する「理論」として用いていることから話題になっている。 正統派経済学の巨頭たちが「MMTはトンデモ経済学である」などと反論しているところを見ると、彼らが無視できないほど存在感を増しているのだろう。 内容は「自国通貨建ての借金は紙幣を印刷すれば返済できるのだから、財政赤字は気にする必要がない。もっとも、財政赤字が膨らんでインフレになると困るから、インフレ対策としての緊縮財政が必要になることはあり得る」というものだ。 筆者は、「非常識である」という理由だけでMMTを批判することは控えている。ガリレオの地動説も、当時は今のMMT以上に非常識であったはずだが、結局は正しかったのだから。したがって、以下では「非常識である」ことを除いて、筆者がMMTに賛同できない理由を示していく。 日本はMMTの正しさの根拠? 日本の財政赤字は巨額で、政府の債務も拡大し続けているが、特に困ったことが今現実に起きているわけではない。これをもって彼らは、「日本でMMTの正しさが実証された」としているようである。 これに対して、筆者は「日本でこれからひどいことが起きるかもしれない」「日本は諸外国と事情が異なるから、仮に日本で正しくても他国で正しいとは限らない」という2点から反論したい。 日本でも、今後インフレ懸念が高まった場合には、財政赤字による政府の借金がインフレ懸念という火種に油を注ぐ役割をするかもしれないし、政府が破産するといううわさが国債を暴落させるかもしれない。「今まで悪いことが起こらなかったから今後も大丈夫だ」とはいえないのだ。 とはいえ、確かに日本はMMT向きの国である。国民性からも過去のデフレの経験からも、国民がインフレ懸念を持ちにくいからである。日本よりインフレ懸念が持たれやすい国で同じことをやったら、悪性インフレが容易に発生する可能性は十分にある。 インフレ懸念に脆弱なMMT 財政赤字が続き、政府の借金が巨額になっている日本で、インフレ懸念が高まったらどうなるだろうか。人々は、急いで銀行預金を引き出して物を買いに走るだろう。そして、銀行は預金者に紙幣を渡すため、準備預金を引き出したり国債を日銀に売却したりして紙幣を手に入れるだろう。 瞬時にして世の中に大量の紙幣が出回り、それが人々の「買い急ぎ」に使われるわけだから、激しいインフレになるはずだ。もちろん政府と日銀がインフレ対策を講じるため、インフレに歯止めが利かなくなるわけではないが、インフレ対策の厳しい引き締めなどによって経済に大きな打撃が加わるだろう。 一方、もしも日本政府が健全財政を貫いていれば、銀行は巨額の準備預金も国債も保有しておらず、瞬時に大量の紙幣が出回ることはないかも知れない。 それ以前に、政府が従来巨額の増税によって財政を再建していたら、人々は今ほど多額の銀行預金を持っていなかったであろう。 人々は預金を引き出して納税していただろうから、預金残高は減っており、買い急ぎの原資となる預金は限られた金額になっていたはずなのだ。 したがって、日本でも「財政赤字が大きいがゆえのひどいこと」は起き得る。その契機は、石油ショックのようなもの、大地震による復興資材の価格高騰、あるいは「政府が破産しそうだから日本銀行券を実物資産に換えよう」という動きなど、様々な可能性が考えられよう。 ここで問題なのは、財政赤字や政府の借金の大きさとインフレ率が連動していないことだ。 もしも「財政赤字が10%増えたらインフレ率が1%高まる」というような関係があれば、MMTも採用可能かもしれない。「インフレにさえならなければ財政赤字は問題ない。インフレが始まったら直ちに緊縮財政を始めればいい」といえるからだ。 しかし、実際にはインフレは地震のようなもの。地震は、地殻の変動によってエネルギーが徐々に溜まっていき、ある時突然にそれが地震として解き放たれるが、MMTでも「財政赤字によって徐々にインフレの潜在的なエネルギーが溜まっていき、ある時突然にそれがインフレとして解き放たれる」のである。 したがって、財政赤字が続き、政府の借金が膨らむほど「万が一の場合の被害」が大きくなり得る。もっとも、地震と異なり、日本の財政赤字の場合は永遠に何も起きない(つまり結果としてMMTが正しかった)可能性もゼロではないが。 緊縮財政するリスクとしないリスクの比較が必要 筆者は、MMTを無条件に肯定しないが、かといって「財政赤字は何としても縮小すべきだ」と考えているわけでもない。 日本の場合、財政赤字を続けてもインフレ懸念が買い急ぎを誘発して、インフレが自律的に加速していく可能性はそれほど高くない。一方で、緊縮財政を採用した場合には、景気が腰折れして景気対策が必要となり、かえって財政赤字が増えてしまう恐れがある。 したがって筆者は「日本の場合、10年待てば労働力不足が進展し、増税しても失業が増えない時代が来る(拙稿『令和が日本経済の「黄金期」になる理由』をご参照)のであるから、それを待ってから増税すればいい」と考えている。 このように、日本についての結論だけを見ると「緊縮財政に反対」というMMTと似たようになっている。しかし、決して「財政赤字は全く気にする必要がない」などと考えているわけではない。 日本以外の多くの国については、日本と比べて「インフレが自律的に加速していく可能性が高い」ため、MMTは危険である。仮に日本でのMMTの「実験」が成功しているからといって、他国でも成功するとは限らないのだ。 米国のMMTはやめてほしい 特に、米国のMMTは肯定できない。1つには米国自身のために、そしてもう1つには米国以外の経済のために。 米国は、日本よりインフレ体質の国である。「物価が上がると賃金が上がり、それが物価をさらに押し上げる」サイクルが日本より働きやすい。日本の正社員は終身雇用かつ年功序列なのでインフレ時に賃上げしなくても会社を辞めないが、米国はそうではないからだ。 加えて、米国人消費者はインフレになると「買い急ぎ」をするため、インフレが加速しやすいだろう。日本人消費者はインフレになると「老後のための蓄えが目減りしてしまったから節約しなければ」と考える人が多いが、それとは事情が異なるからだ。 米国人は日本人ほど将来のことを不安視しないという国民性に加え、米国人の金融資産はインフレでも目減りしない株式等のウエートが高いからだ。 最近、先進国ではインフレが起きていないので、次にインフレがきた時にそうなるか否かは何ともいえないが、そうなる可能性は決して低くなさそうだ。 したがって、米国の財政赤字拡大は日本より危険であるから、MMTは米国自身のためにも採用すべきではないだろう。 基軸通貨の混乱は世界に迷惑 日本がMMTを採用しても、メリットとデメリットは主に国内に限られるが、米国がMMTを採用する場合にはそれにとどまらない。メリットは主に国内に限られるが、デメリットは世界中に及びかねないのだ。 例えば、米国が激しいインフレに見舞われて金融が大幅に引き締められた場合、世界中で貿易や投資や融資に使われている米ドルが不足したり、金利が高騰したりする。米国以外の国にとっては大迷惑である。 「米国が受けるメリットと米国が受けるかもしれないデメリットだけを比べればMMTは良い物であるが、諸外国の受ける迷惑の可能性まで考えればMMTは悪いものである」という場合に、米国はどうするのであろうか。 「米国ファースト」の発想で他国の迷惑を顧みずMMTを導入するようなことは、ぜひともやめてもらいたいものである。もっとも、諸外国としては米国ファーストを止める手段を持たないので、祈ったり頼み込んだりするしかないのだが。 ▲△▽▼ 【Front Japan 桜】均衡財政期の不都合な真実 - MMT VS 財務省[桜R1-5-10] - YouTube 動画 https://www.youtube.com/watch?v=Nx43e_XJotU キャスター:佐藤健志・三橋貴明 ■ 均衡財政期の不都合な真実 ■ MMT VS 財務省 ▲△▽▼ 本邦初公開(恐らく)統合政府のバランスシート! 2019-05-11 https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12460453329.html まずは、本日の日刊MMT。
2019.5.10 財政赤字を容認する「MMT理論」は一理あるが、やはり危険な理由 塚崎公義:久留米大学商学部教授+ https://diamond.jp/articles/-/201833 米国で「Modern Monetary Theory(MMT、現代金融理論)」と呼ばれる理論が話題になっている。「自国通貨で借りている財政赤字は紙幣を印刷すれば返せるのだから巨額でも構わない」というものだ。筆者は日本政府の財政赤字について「日本政府が破綻するはずはないので、性急な財政再建で景気の腰を折るようなことはすべきではない」という財政赤字容認派であるが、それでも無条件の財政赤字容認論には危うさを感じている。(久留米大学商学部教授 塚崎公義) (中略) 財政赤字が続き、政府の借金が巨額になっている日本で、インフレ懸念が高まったらどうなるだろうか。人々は、急いで銀行預金を引き出して物を買いに走るだろう。そして、銀行は預金者に紙幣を渡すため、準備預金を引き出したり国債を日銀に売却したりして紙幣を手に入れるだろう。 瞬時にして世の中に大量の紙幣が出回り、それが人々の「買い急ぎ」に使われるわけだから、激しいインフレになるはずだ。もちろん政府と日銀がインフレ対策を講じるため、インフレに歯止めが利かなくなるわけではないが、インフレ対策の厳しい引き締めなどによって経済に大きな打撃が加わるだろう。(後略)』 https://diamond.jp/articles/-/201833 突っ込みどころ満載の記事ですが、とりあえず「数字」を全く使っていないことが注目点です。現在の現金紙幣の額は115兆円ですが、「瞬時(ゼロ秒!)に、世の中に大量の(いくら?)の紙幣が回り、「激しいインフレ(だから、何パーセント?)」になるのでしょう。 こんな書き方が許されるならば、わたくしも断言しますよ。いつの日か、月が日本列島に落ちてきて、日本国は滅亡します。
というか、現金紙幣がたくさん引き出されたら「インフレになる」という発想が意味不明です。現金紙幣が引き出されて「いくら、使われた(需要が増えた)」ならばインフレになるのか、数値を示すべきです。それ以前に、我々は銀行振り込みで買い物しないんですかね? また、塚崎の頭の中では、 「現金紙幣は、使ったらこの世から消える」 という設定になっているのでしょうか。店に移った現金紙幣は、そこでそのまま退蔵されるのでしょうか。バカバカしい。銀行に持ち込まれるに決まっているでしょうに。 というか、MMTは別に「無条件の財政赤字容認」などとは一言も言っていません。
もう、声が枯れるほどに繰り返しましたが、財政赤字や政府の負債拡大、あるいは財政拡大の限界は供給能力、インフレ率です。いい加減に、この「事実」を無視するのはやめて欲しいです。
ここまで繰り返しても、「無条件の〜」などと書くということは、嘘つきか、頭が弱いか、頭が弱い嘘つきのいずれかでしょう。
つまりは、例により「頭が弱い嘘つき」がMMT叩きのために「数字を使わず」「印象論」「抽象用語」で「それっぽい批判」をしているだけなのでございますが、この手のプロパガンダが続くのでしょう、こちらがギブアップするまで。(しないけどね)
さて、恐らく本邦初公開。昨日のチャンネル桜でも使った、日本の統合政府のバランスシート。(2018年末 速報値版)
【2018年末時点 日本の統合政府のバランスシート(兆円)】 http://mtdata.jp/data_63.html#tougouseihu 日本の一般政府と日銀のバランスシートを統合し、「統合政府のバランスシート」と作りました。(詳しくはリンク先を)
財務省は、例の「反論資料」で、
『日本銀行の国債保有について ○政府と日本銀行を統合して考えれば政府の負債(国債)と日本銀行が保有する資産(国債)が相殺されるとの指摘があるが、仮に政府と日本銀行のB/Sを統合したとしても、日銀の保有する国債の額だけ政府の債務が見かけ上減少するだけであり、当座預金等の日銀の債務が負債に計上されるため、負債超過の状態は変わらない。』 と、「自国通貨建て国債のデフォルトはあり得ない」の根拠である統合政府に反論してきています(そのくせ、「自国通貨建ての国債のデフォルトはあり得ない」はスルーしていますが)。 財務省が言う通り、一般政府と日銀を統合した相殺される国債は、日銀保有分(466兆円)のみで、統合政府のBSでも「国債・財投債」は442兆円分ります。もっとも、負債の半分程度は、元々は日銀の負債として計上されていた現金(115兆円)、日銀当座預金(405兆円)に姿を転じました。
財務省は、
「当座預金等の日銀の債務が負債に計上される」 と書いています。それはその通りというか「当たり前の話」なのですが、ということは、財務省は、 「現金や日銀当座預金といった【国の借金】が原因で、日本は財政破綻する!」 と、言いたいのでしょうか。 あるいは、統合政府にしたところで、日銀の純資産(27兆円)の金額分、政府の純負債が消えるだけであるため、財務省のいう「負債超過」は711兆円で計上されています(=739−28)。この一般政府や統合政府の負債超過、純負債が問題であり、711兆円を「ゼロにする必要がある」と財務省は主張しているのでしょうか(そうとしか読めませんが)。
誰かの資産は、誰かの負債。あるいは、誰かの純資産は、誰かの純負債。
政府の純負債を縮小し、ゼロにするということは、その分、我々国民の「純資産」を削るという話になってしまいます。つまりは、財務省には我々の資産を減らそうという魂胆があるとしか思えないのです。
つまりは、財務省に問いただしたいのは、二つ。
1.財務省は「現金や日銀当座預金」といった「負債」が理由で財政破綻する!と、言いたいのか? 2.財務省は統合政府の純負債(負債超過)を削り、我々一般国民の純資産を奪い取ることを目的とした省庁なのか? 財務省から主権を取り戻すためには、件の塚崎の寄稿のような抽象的な論評ではなく、数字を用い、具体的に議論する必要があると思うのです。 https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12460453329.html ▲△▽▼ 「日本の未来を考える勉強会」ーMMTの真実〜日本経済と現代貨幣理論〜 ー令和元年5月15日 講師:京都大学大学院教授 藤井 聡氏 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=s2Uj-_RolsY ▲△▽▼ 官僚というのは「恐怖心を持つこと」「怯えること」「上の顔色を窺うこと」に熟達した人たちが出世する仕組みですから、彼らにとっては「勇気を持たなかったこと」が成功体験として記憶されている。 凡庸な知性は、論理的に突き詰めて達した予想外の帰結を前にして立ちすくんでしまう。論理的にはそう結論する他ないのに、「そんなことあり得ない」と目をつぶって踏切線の前で立ち止まってしまう。 _____ 論理は跳躍する - 内田樹の研究室 2019-05-18 http://blog.tatsuru.com/2019/05/18_0922.html
少し前に「すばる」でも教育についてのインタビューを受けた。そのときに「論理国語」について話したことがテープ起こしされて戻ってきたので、加筆してここに掲げる。
今度、兵庫県の国語の先生たちの集まりで講演をするのですが、その打ち合わせに来た先生たちに伺うと、現場の話題はやはり学習指導要領の改訂で登場した「論理国語」のようです。いったい何なの、とみなさん疑問に思っていらした。本当にわからないらしい。 そのときに「論理国語」に準拠した模試の問題の現物を見せてもらいました。驚きました。生徒会の議事録と生徒会の規約を見せて、年度内に生徒総会を開催することは可能かどうかを問うものだったんです・・・。 契約書や例規集を読める程度の実践的な国語力を「論理国語」という枠で育成するらしい。でも、模試問題を見る限り、これはある種の国語力を育てるというより、端的に文学を排除するのが主目的で作問されたものだと思いました。 「論理国語」を「文学国語」と切り離して教えることが可能だと考えた人たちは、文学とは非論理的なもので、何か審美的な、知的装飾品のように思っているんじゃないですか。だから、そんなもののために貴重な教育資源を割く必要はないと思っている。現にそう公言する人は政治家とビジネスマンには多くいますから。自分たちは子どもの頃から文学に何も関心がなかったけれど、そんなことは出世する上では何も問題がなかった。現に、まったく文学と無縁のままにこのように社会的成功を収めた。だから、文学は学校教育には不要である、と。たぶんそういうふうに自分の「文学抜きの成功体験」に基づいて推論しているんだと思います。政治にもビジネスにも何の役にも立たないものに教育資源を費やすのは、金をドブに捨てているようなものだ、と。そういう知性に対して虚無的な考え方をする人たちが教育政策を起案している。これは現代の反知性主義の深刻な病態だと思います。 「論理国語」という発想に対して僕が懐疑的なのは、試験問題を作る場合、「正解」がわかっていて、受験生は論理的にそれをたどってゆくと「すらすらと」結論に達するというプロセスが自明の前提されていることです。たぶん、彼らの考える「論理」というのは、そういうものなんでしょう。でも、論理的にものを考えるということを実際にした経験のある人ならわかると思うけれど、論理的に思考するというのは、平坦な道を歩くようなプロセスじゃない。むしろ、ある種の「深淵」に直面して、それを跳び越えるという「命がけ」のプロセスなんです。 僕は子どもの頃にエドガー・アラン・ポウやアーサー・コナン・ドイルを読んで「論理的にものを考える」ということがどういうことかを学びました。「論理的にものを考える」というのはオーギュスト・デュパンやシャーロック・ホームズ「のように考える」ということだと最初に刷り込まれた。それは今でも変わりません。 名探偵の推理こそ「論理的にものを考える」プロセスの模範だと思いますけれど、ここには「正解」を知っていて「作問」している人はいません。登場人物が現場に残された断片から推理して、その帰結として正解を「発見」するんです。名探偵の行う推理というのは、ひとつひとつの間に関連性が見出しがたい断片的事実を並べて、それらの断片のすべてを説明できる一つの仮説を構築することです。その仮説がどれほど非常識であっても、信じがたい話であっても、「すべてを説明できる仮説はこれしかない」と確信すると名探偵は「これが真実だ」と断言する。それは「論理」というよりむしろ「論理の飛躍」なんです。 それは実際に学術的な知性がやっていることと同じです。 カール・マルクスや、マックス・ウェーバーや、ジーグムント・フロイトはいずれもすばらしい知的達成をなしとげて人類の知的進歩に貢献したわけですけれど、彼らに共通するのは常人では真似のできないような「論理の飛躍」をしたことです。目の前に散乱している断片的な事実をすべて整合的に説明できる仮説は「これしかない」という推理に基づいて前代未聞のアイディアを提示してみせた。「階級闘争」も「資本主義の精神」も「強迫反復」もいずれも「論理の飛躍」の産物です。同じ断片を見せられて、誰もが同じ仮説にたどりつく訳じゃない。凡庸な知性においては、常識や思い込みが論理の飛躍を妨害するからです。 例外的知者の例外的である所以はその跳躍力なんです。彼らの論理的思考というのは、いわばこの跳躍のための助走なんです。こうであるならこうなる、こうであるならこうなる・・・と論理的に思考することによって、思考の速度を上げているんです。そして、ある速度に達したところで、飛行機が離陸するように、地面を離れて跳躍する。そうやって、ただこつこつと理屈をこねている限りは絶対に到達できないような高みに飛び上がることができる。 「論理的にものを考える」というのはこの驚嘆すべきジャンプにおける「助走」に相当するものだと僕は思います。そこで加速して、踏切線で「常識の限界」を飛び越えて、日常的論理ではたどりつけないところに達する。 でも、凡庸な知性は、論理的に突き詰めて達した予想外の帰結を前にして立ちすくんでしまう。論理的にはそう結論する他ないのに、「そんなことあり得ない」と目をつぶって踏切線の前で立ち止まってしまう。それこそが「非論理的」ということなんです。 フロイトの『快感原則の彼岸』は20世紀で最も読まれたテクストの一つですけれど、フロイトはここで症例研究から、そのすべてを説明できる仮説として「反復強迫」さらには「死への衝動」という驚嘆すべきアイディアを取り出します。これは「跳躍」です。フロイト自身は「思弁」と呼んでいます。これは論理的にものを考えるということの本質的な力動性について書かれた重要な言葉だと思います。フロイトはこう述べています。 「次に述べることは思弁である。誰もが、それぞれの見地から価値をみとめたり、あるいは軽視したりするかもしれな行き過ぎた思弁にもなる可能性がある。つまりそれは、ある理念がどんな結論をみちびき出すかという好奇心から、その理念を首尾一貫して利用しつくそうという試みである。」(フロイト、「快感原則の彼岸」、『フロイト著作集6』、井村恒郎他訳、人文書院、1970年、163頁) 論理的にものを考えるというのは「ある理念がどんな結論をみちびきだすか」については、それがたとえ良識や生活実感と乖離するものであっても、最後まで追い続けて、「この前提からはこう結論せざるを得ない」という命題に身体を張ることです。 ですから、意外に思われるかも知れませんけれど、人間が論理的に思考するために必要なのは実は「勇気」なのです。 学校教育で子どもたちの論理性を鍛えるということをもし本当にしたいなら「論理は跳躍する」ということを教えるべきだと思います。僕たちが「知性」と呼んでいるのは、知識とか情報とか技能とかいう定量的なものじゃない。むしろ、疾走感とかグルーヴ感とか跳躍力とか、そういう力動的なものなんです。 子どもたちが中等教育で学ぶべきことは、極論すれば、たった一つでいいと思うんです。それは「人間が知性的であるということはすごく楽しい」ということです。知性的であるということは「飛ぶ」ことなんですから。子どもたちだって、ほんとうは大好きなはずなんです。 今回の「論理国語」がくだらない教科であるのは、そこで知的な高揚や疾走感を味わうことがまったく求められていないことです。そして、何より子どもたちに「勇気を持て」という論理的に思考するために最も大切なメッセージを伝える気がないことです。 そもそも過去四半世紀の間に文科省が掲げた教育政策の文言の中に「勇気」という言葉があったでしょうか。僕は読んだ記憶がない。おそらく文科省で出世するためには「勇気」を持つことが無用だからでしょう。 官僚というのは「恐怖心を持つこと」「怯えること」「上の顔色を窺うこと」に熟達した人たちが出世する仕組みですから、彼らにとっては「勇気を持たなかったこと」が成功体験として記憶されている。 だから、教育の中でも、子どもたちに「恐怖心を植え付ける」ことにはたいへん熱心であるけれど、「勇気を持たせること」にはまったく関心がない。それは彼ら自身の実体験がそう思わせているのです。「怯える人間が成功する」というのは彼ら自身の偽らざる実感なんだと思います。だから、彼らはたぶん善意なんです。善意から子どもたちに「怯えなさい」と教えている。「怯えていると『いいこと』があるよ。私にはあった」と思っているから。 でも、知性の発達にとっては、恐怖心を持つことよりも勇気を持つことの方が圧倒的に重要です。 「勇気」というのは、知性と無縁だと思う人がいるかも知れませんけれど、それは違います。スティーヴ・ジョブスはスタンフォード大学の卒業式で、とても感動的なスピーチをしました。いまでもYoutubeで見ることができますから、ぜひご覧になってください。その中でジョブスはこう言っています。 The most important is the courage to follow your heart and intuition, because they somehow know what you truly want to become. 「最も重要なのはあなたの心と直感に従う勇気を持つことである。なぜなら、あなたの心と直感はなぜかあなたがほんとうに何になりたいのかを知っているからである。」 ほんとうに大切なのは「心と直感」ではないんです。「心と直感に従う勇気」なんです。なぜなら、ほとんどの人は自分の心と直感が「この方向に進め」と示唆しても、恐怖心で立ち止まってしまうからです。それを乗り越えるためには「勇気」が要る。 論理的に思考するとは、論理が要求する驚嘆すべき結論に向けて怯えずに跳躍することです。 「論理が要求する結論」のことを英語ではcorollaryと言います。日本語ではこれを一語で表す対応語がありません。僕はこの語を日本の思想家では丸山眞男の使用例しか読んだ記憶がありません。でも、これはとても重要な言葉だと思います。それがどれほど良識を逆撫でするものであっても、周囲の人の眉をひそめさせるものであっても、「これはコロラリーである」と言い切る勇気を持つこと、それが論理的に思考するということの本質だと僕は思います。 http://blog.tatsuru.com/2019/05/18_0922.html ▲△▽▼ 平野憲一の株のお話 2019.05.19 再びMMT理論への考察。 FRBのブレイナード理事は16日、独自の通貨を持つ国の政府は政府債務残高がどれだけ増加しても問題はないとする現代金融理論(MMT)について、経済に関する権限がFRBから議会や政治的意図がある他機関に移るリスクが生じかねないとの見解を示しました。 MMTの理論では、FRBの責務である雇用と物価の目標達成が、歳出入に関する議会決定に左右されるとし、強い警戒を示しました。 最近MMT理論は、社会保障拡充の財源として民主党議員などによって議論されています。日本でも国会議員の中に研究会があり、3月の日銀黒田総裁会見での質問にもありましたが、総裁は答えず受け流しました。その後日経新聞でも解説され、最近消費税増税延期・凍結論とセットで論議されることが多くなりました。 MMTとはModern Monetary Theoryの略で、「新表券主義」と呼び、「独自の通貨を持つ国は、自国通貨を限度無く発行する事が出来るので、デフォルトに陥ることは無い。従って、政府債務残高がいくら増加しても問題は無い」と言う考え方です。シカゴ大学が40人の経済学者にアンケートを取ったところ賛同者ゼロと言う金融関係者にとって危険と思われている理論です。 しかし、債務残高がGDP比で突出しているのにこの理論で安定している国が世界で1つだけあります。それが日本です。 日本よりはるかに健全なギリシャやイタリアがデフォルトリスクに晒されるのは、両国はユーロを勝手に発行できないからです。日本がデフォルトリスクを取り立たされず円が安定しているのは、日本国債の保有者の大部分が国内だからと言われますが、その半分を持つ日銀は国と一体(これも議論になりますが)なので、その通りかもしれませんが、国民は別人格です。決して国と一体ではありません。 日本が236%と言う世界で突出した対GDP債務残高を誇って(?)安定しているのは、このMMT理論が陰で支えているからだと筆者は思います。従ってプライマリーバランスに固執し過ぎると、角を矯めて牛を殺す事になります。勿論、政府債務の過剰な増加は、どこかの時点でハイパーインフレを起こす危険性がありますので、MMT理論への学者の賛同者はほとんどいません。 今アメリカの対GDP比債務残高は108%で、民主党員かと間違うほどのトランプ大統領の財政政策でじりじりとそのレベルを高めています。MMT理論は、賛同者としか思えないトランプ大統領を起点にして盛んになって行くと思います。 因みに、アベ・クロ理論は隠れMMT理論だと筆者は思っています。日銀のぶれない異次元金融政策は、口には出せない(学者の支持ゼロだから)MMT理論ではないかと思えてなりません。 http://kasset.blog.fc2.com/ ▲△▽▼ 「日本の未来を考える勉強会」ーMMTポリティクス〜現代貨幣理論と日本経済〜 ー令和元年5月17日 講師:経世論研究所 所長 三橋 貴明氏 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=CMLYpWlQp1E&feature=youtu.be ▲△▽▼ 続 センメルヴェイス反射 2019-05-25 https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12463709459.html 三橋貴明 改めて、MMT(現代貨幣理論)は凄まじいインパクトです。まさに、天動説派が多数派を占める中で、地動説が「証明」されてしまったのと同じなのです。 以前、ある方の本の校正をした際に、 「日銀の量的緩和で発行された当座預金は国内の投資に向かわず、中国に流れていっている」 と、あったため、 「日銀当座預金は民間は借りられないので国内の投資に使われることはあり得ず、ましてや外国に流れることもないですよ」(外銀とのインターバンクの決済除く) と説明し、該当箇所を修正してもらったのですが、一体「誰」が日銀当座預金が外国に流れているなどというデマを流しているんだ、と気になってはいました。
ちなみに、銀行の日銀当座預金は、 「日本銀行が国債や政府短期証券、政府小切手と引き換えに、日銀当座預金を増やす」 「銀行が日銀当座預金を引き出す形で、現金・硬貨を手に入れる」 「日本政府が国債発行で借り入れる」 「日本銀行が国債を売却し、代金として日銀当座預金を受け取る(そして、相殺されて消滅)」 以外の理由では変動しません。
もちろん、インターバンク間の決済で日銀当座預金が動きますが、この場合は特定銀行の残高は変動するものの、全体金額が変わるわけではありません。
【日本の預金取扱機関の現金紙幣と日銀預け金(日銀当座預金)兆円】
http://mtdata.jp/data_64.html#touzayokin 量的緩和が終了していないため(事実上、終わっているけど)、預金取扱機関(銀行)の日銀当座預金は360兆円台で高止まりを続けています。
さて、昨日の桜の討論収録で、菊池英博氏がMB(マネタリーベース、ほとんどが日銀当座預金)とMS(マネーストック、市中の現金紙幣+銀行預金)のグラフを出し、MBの増加量ほど、MSが増えていないことを示し、 「この差額が外国に流れた」 と、言いだしたので、「あんたかっ!」という話になってしまったのです。 当たり前ですが、 「日銀当座預金は日本銀行が銀行(及び政府)に発行するおカネで、民間は借りることができない」 のです。「MB ⇒ MS」というおカネの流れはあり得ません。そもそも、MBとMSが「違うおカネ(※現金紙幣除く)」である以上、MBとMSの差額を見るなど、ナンセンス極まりないのです。
例えば、日本銀行がMBを100兆円増やしたとして、民間の資金需要がなく、銀行からの借入が増えない以上、極端なことを言えば「MSの増加はゼロ」ということは論理的にあり得るのです。
その場合、MB100兆円−MS0円=100兆円が「外国に流れた」などということにはなりません。単に、銀行の日銀当座預金口座で凍り付いているだけの話です。
MS(ほとんどが銀行預金)は、我々がおカネを借りる際に、銀行が「通帳の口座に数字を書く」ことで発行されます。銀行は、預金を発行する際に、「資金調達」をしているわけではないのです。
ところが、菊池氏(他、数名も)は、 「日銀当座預金を民間に貸し出し、MSを増やすことが可能」」 と、信じていたようです。
というわけで、まあご想像がつくと思いますが、わたくしは、 「菊池さんは日銀当座預金を借りれるの?」 「(日銀は)金貨や銀貨を発行してるわけではないんですよ!」 と、容赦なく批判し、「日銀当座預金が国内で使われず、外国に流れていっている」という出鱈目を全否定したわけでございます。
ということで、相当に嫌われ、憎まれることになりましたが、正しいことは正しいので、仕方がありません。
さて、菊池氏は今後、どうするのでしょうか。
頑なに自説(MB増加とMS増加の差額が外国に流れた)などという、金貨銀貨を使っていた中世のような話にこだわり、三橋を憎み続けるのか。まさに、現代のセンメルヴェイスの反射です。 あるいは、自説の間違いを認め、しれっと正しいことを言い始めるのか(それでいいと思います)。
MMTは、今後、この手のリアル・センメルヴェイス反射を頻発させることになるでしょう。とはいえ、繰り返しますが正しいことは正しいのです。
貨幣観を正すことこそが、日本の緊縮財政路線の打破に繋がる以上、「正しいこと」を繰り返し、広めるしかありません。皆様も「日本国民の貨幣観を正す」にご協力くださいませ。 https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12463709459.html
▲△▽▼ 現代の真実 2019-05-26 三橋貴明 https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12463946426.html チャンネル桜「日本よ、今...「闘論!倒論!討論!」」に出演しました。 【経済討論】最終警告!亡国の消費増税[桜R1/5/25] https://www.youtube.com/watch?v=BcbuxUBgJTY&feature=youtu.be Youtubeのコメントを見ていると、MMTというか「おカネの本質」を理解している一般人があまりにも多く、ビビりました。一般人がここまでおカネの本質について学んでいるって、これはアメリカ以上でしょう(絶対数でも)。
わたくしが、菊池英雄氏の、
「MB(マネタリーベース)の増加分と、MS(マネーストック)の増加分の差額が外国に流れた」 という出鱈目に怒ったのは、まずは「間違い」であり、国民に誤解というか嘘の刷り込みをしてしまうためです。インターネットだろうが、言動は「ソース」にされてしまうのですよ。 しかも、MBを増やしたが、MSが十分に増えたなかったのは、外国に流れたからだというのは、下手に説得力がある嘘だから厄介なのです。
もちろん、上記は「おカネのプール論」であり、完全に間違っています。
そもそも、MBとMSは直接的な関係はありません。 MBは日銀の国債等の買い取りにより「書く」ことで発行されるおカネ MSのメインの預金は、銀行が貸し出しの際に「書くこと」で発行されるおカネ。 MB⇒MSと動くおカネは、現金紙幣だけです。 無論、銀行準備制度の下では、銀行はMS(預金)を増やした分、MB(日銀当座預金」を増やす必要がありますが、今は量的緩和で日銀預け金が巨額になりすぎ、有名無実化しています。 いずれにせよ、別の経済主体が「書くこと」で発行されるおカネが、同一のはずがありません。番組中でも散々に言いましたが、金貨銀貨じゃないんです。
しかも、おカネのプール論に基づく「MBの多くが外国に流れ、MSが増えなかった」という話が正しいとなると、
「ならば、MBを発行し、外国におカネが流れないようにすれば、デフレ脱却できるよね」 と、バカバカしい(かつ間違った)結論に結びついてしまいます。財務省が喜びそうです。 ・MBを増やしても、MSは増えない(そもそも違うおカネである以上、当たり前)。 ・MSやGDPを増やすためには、政府が支出をしなければならない(国債発行もしくはOMFで)。 ・政府は何ら債務的負担を負うことなく、MSやGDPを増やせる。 上記を国民が理解しない限り、結局は勝てないでしょう。 MMTやおカネの話をしていると、むしろ「ど素人」の方が鋭いように思えます。例えば、昨日の討論で言えば、水島社長の、 「(P&Gにおカネを貸した)シティバンクは、どこからおカネを調達したの?」 「何で、量的緩和政策で日銀当座預金を発行したの?」 という質問は秀逸でした。 ちなみに、答えは、 「どこからも調達しておらず、単にシティバンクがP&Gの通帳に書いただけ」 「量的緩和により期待インフレ率を引き上げ、実質金利を下げ、銀行貸し出し(これはMS)を増やし、需要を創出しデフレだっきゃできるという『風が吹けば桶屋が儲かる理論』」 でございます。 ところで、シティバンクから100億ドルを借りたP&Gがおカネ(預金)をGEのJPモルガンの口座に振り込むと、 「シティバンクのFRB準備預金口座から、JPモルガンのFRB準備預金口座に、100億ドル振り替える」 ことで決済します。一応、島倉氏が説明していましたが、念のため補足。 ともかく、敵(主流派経済学、財務省、政商、財政破綻論者たち)は、財政出動、特に政治の意思が入る財政出動「だけ」は絶対に嫌! という、価値観の持ち主です。 この辺りの話は、
【Front Japan 桜・藤井聡×三橋貴明】日本経済が落第生の(他)[桜R1/5/24] https://www.youtube.com/watch?v=4POHZ97qB8Q&feature=youtu.be で、藤井聡先生とやっています。
実は、現在の日本における経済問題は、いわゆるリフレ派、あるいはプライマリーバランス黒字化目標を含め。 「政府支出に政治家の意思を入れてはならない」 「経済には自然法則があり、人が立ち入ってはいけない」 という、経済学(古典派、新古典派など)と、 「経済は人間の意思から始めなければならない」 という、経済学(ケインズ、ラーナー、ミンスキー、MMTなど) との戦いなのでございます。 いわゆるリフレ派が、財政の必要性は認めつつ「給付金にするべき」と繰り返し、政治の意思が関与するプロジェクト系(公共事業、科学技術、社会保障など)を嫌悪するのは、そういう理由なのです。
財政はプライマリーバランス。どうしても財政赤字を増やしたいならば、機械的な給付金。
そういえば、フリードマンのベーシック・インカムも、まさに「機械的に所得を配れ」というわけで、ヒト(政治)の意図が全く入らない社会保障というわけですね。 そして、経済には自然法則があり、それに従うべき(政治を関与させるな)という考え方が、政商に利用され、特定のビジネスの利益最大化に使われている。
これが現代の真実です。
というわけで、事態を打開するためには、「間違いは間違いだ」「嘘は嘘だ」と容赦なく否定していかなければならないのです。もはや我が国には、間違い理論を許容するような余裕はありません。 https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12463946426.html ▲△▽▼
令和の政策ピボットの「資料室」 https://reiwapivot.jp/library/ ▲△▽▼ 2019年05月29日 MMTで世界が気づき始めた 「日本の借金」実はゼロだった? 財務省の言い分だと日本の借金は1100兆円「ある事になっている」 画像引用:財務省3.国の借金の現状は? :: テーマから調べる:: 調べる :: 日本の財政を考える
MMTと日本の借金の関係 最近欧米の経済メディアではMMT(現代貨幣理論)と日本の財政についての議論が戦われている。 MMTをざっくり一言で説明すると「中央銀行が保有する国債は借金ではない」という経済理論です。 日本の財務省は日本の借金が1100兆円だといっていて、MMT以前にこれは大ウソなのだが、事実としてマスコミが触れ回っている。 外国では国債だけを自国の借金としているが、2017年時点の日本の国債残高は865兆円でした。 このうち274兆円は高速道路やガソリン税かで返済する建設国債なので、外国では国の借金に含めていない。 残りは591兆円だが、このうち400兆円を日銀が購入しているので、「正味191兆円」になります。 さらに予算のやりくりで数か月だけ借りる短期借入金が70から100兆円ほど、為替介入の引当金も数十兆円含まれている。
どちらも一応借りているがすぐ返済しているので、これを「国の借金」に含めているのは世界で日本だけです。 これらを差し引きすると、日銀所有の国債を借金としても400兆円、日銀保有分をなしと計算するとゼロになります。 日銀保有国債は2019年5月時点で約447兆円と1割ほど増えたが、大筋では2年前と同じ状況です。
MMTが正しいなら日本に借金は存在しないことになり、ありもしない借金を返済しようとしていることになる。 1989年から30年間、日本が不況なのは予算を減らして増税したからで、理由は借金返済のためでした。 これらも全て「実際には存在しない借金」を返済しようとしていた事になる。
アメリカの借金5000兆円をどうする
アメリカ合衆国は日本以上に「国の借金」が多い国で、ブッシュ時代に3500兆円、現在は5000兆円ちかくとされている。 アメリカの累積債務は約20兆ドル(約2200兆円)だがこれは連邦政府が発行した国債だけの金額です。 予算の半分以上を使う州や地方自治体、特殊法人や年金、医療団体の借金は含まれていません。 それらを合計するとアメリカの「国の借金」は軽く2倍の40兆ドル(4400兆円)を上回ると推測できます。
アメリカのGDPは日本の4倍だが借金も4倍以上な訳で、日本より深刻なのを専門家は知っている。 ただアメリカでは冷戦時代に「アメリカ全体の借金」が国防上の機密になっていて、今もタブー視されている。 破綻しかねない状況を知りながら経済専門家は口にできないので、日本を引き合いに出している。
MMT理論では中央銀行が保有する国債は存在しないのと同じであり、ゼロ金利で倉庫にでも閉まっておけば良い。 実は欧米ではこうした事を既にやっており、イギリスやアメリカでは大恐慌時代に中央銀行が買った国債を、今も金庫にしまってある。 またアメリカ合衆国建国の時に、フランスから多額の借金をしたが、フランス革命に加担して王家が亡びると返済していない。
米中央銀行は民間銀行なので、倒産させてFRCとかFRDを新たに作ってもいい。 日本も日本銀行を破綻させて「大日本銀行」とかを作るか、ゼロ金利で地下室に永久国債をしまえば、国債を返さなくて済む。 FRBのバーナンキ元議長は来日した時「永久国債を発行して日銀が買えば、日本の借金はなくなる」と説明したが、日本政府は耳を貸さなかった。 http://www.thutmosev.com/archives/79954492.html ▲△▽▼
MMT「インフレ制御不能」批判がありえない理由 「自民党の一部」が支持の動き、国会でも論議 中野 剛志 : 評論家 2019/05/29 https://toyokeizai.net/articles/-/283186 MMT批判には「誤解」が含まれている(写真:malerapaso/iStock) 「財政は赤字が正常で黒字のほうが異常、むしろ、どんどん財政拡大すべき」という、これまでの常識を覆すようなMMT(現代貨幣理論)。関連する新聞報道が増え続ける中、さらには国会でも議論されることが増えている。そのなかで必ずと言っていいほど出てくるのが「MMTで必ず起こるインフレはコントロールできないのではないか」という批判である。こうした批判をどう受け止め、考えるべきなのか。 『富国と強兵 地政経済学序説』で、いち早くMMT(現代貨幣理論)を日本に紹介した中野剛志氏が解説する。 自民党の一部にもMMTを支持する動きが 去る4月2日に寄稿した論考「異端の経済理論『MMT』を恐れてはいけない理由」で、筆者はMMT(現代貨幣理論)が、日本で一大ムーブメントを起こすかについて、「残念ながら、筆者は悲観的である。権威に弱く、議論を好まず、同調圧力に屈しやすい者が多い日本で、異端の現代貨幣理論の支持者が増えるなどということは、想像もつかないからだ。そうでなければ、20年以上も経済停滞が続くなどという醜態をさらしているはずがない」と予測した。 『富国と強兵 地政経済学序説』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)
実際のところは、国会でMMTが頻繁に論議されるようになり、また、自民党などの一部にMMTを支持あるいは研究しようという動きが予想以上に出てきた。 その一方で、政策当局(財務大臣・日銀総裁など)はMMTを一蹴しており、マスメディアに登場する学者・評論家・アナリストの大半もまた、MMT批判を展開している。やはりMMTは、「異端」の烙印を押されたままである。 典型的なMMT批判というのは、次のようなものである。 「(財政赤字を拡大させれば)必ずインフレが起きる。(MMTの提唱者は)インフレになれば増税や政府支出を減らしてコントロールできると言っているが、現実問題としてできるかというと非常に怪しい」 MMT批判のほとんどは、このような「インフレを制御できない」というものに収斂している。 しかし、この程度の批判しかできない知的貧困にこそ、日本経済の長期停滞の根本原因がある。 順を追って説明しよう。 第1に、日本は20年にも及ぶ長期のデフレである。このような長期のデフレは、少なくとも戦後、他国に例を見ない。今の日本は、インフレを懸念するような状況にはない。長期デフレの日本で「財政赤字の拡大は、インフレを起こす」などと心配するのは、長期の栄養失調の患者が「栄養の摂取は、肥満を招く」と心配するようなものである。 もしかしたら、インフレを懸念するMMT批判者たちは、デフレの異常さや恐ろしさを理解していないのではないか。 デフレとは、需要不足(供給過剰)の状態が続くことである。 需要が不足しているから、消費や投資の抑制が続く。当然にして、経済は成長しなくなり、国民は貧困化する。長期的に見ても、設備投資・人材投資・R&D投資が不足することで、日本経済の成長力そのものが弱体化する。 逆に、インフレとは、需要過剰(供給不足)の状態であり、貨幣価値が継続的に下落する現象である。企業は、旺盛な需要を目指して供給力を強化すべく、積極的な投資を行う。また、貨幣価値が下落していくので、個人も企業も、貯蓄よりも支出を拡大しようとする。その結果、経済は成長する。 要するに、持続的な経済成長はインフレを伴うものなのであり、デフレでは不可能である。 もちろん、過剰なインフレは有害であるが、マイルドなインフレは正常な経済には必要である(『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】』)。 だから、正常な経済運営であれば、インフレの過剰を警戒しつつも、デフレだけは絶対に回避しようとする。インフレが心配だからデフレのままでいいなどという判断は、ありえない。 インフレを心配するMMT批判者たちは、デフレの異常さ・深刻さをわかっていないのだろうか。 通常のマクロ経済運営の範囲内で十分に可能 第2に、平時の先進国で、インフレがコントロールできなくなるなどという事態は、想定しがたい。 MMT批判者は「増税や歳出削減は、政治的に容易ではないから、インフレを抑えられない」と言うが、これは甚だしい誤解だ。 例えば、安倍政権同様、2%という控えめのインフレ目標を設定する場合を考えてみよう。 そして財政赤字を拡大して、インフレ率が2%になったら、政府はどうすべきか。 増税も歳出削減も必要ない。単に、2%程度のインフレ率を維持するために、予算規模を前年と同程度にすればよいだけである。それは増税や歳出削減と違って既得権を奪うものではないから、政治的にはるかに容易だ。
しかも、この目標値は、あくまで目安にすぎない。実際のインフレ率は、目標値をやや超過して4%程度になるかもしれないが、そうであっても何の問題もない。インフレ率が許容範囲内に収まるよう、財政支出の規模を安定的に推移させていればよいのだ。 また、所得税(とくに累進課税)は、好景気になると税負担が増えて、民間の消費や投資を抑制するという性格をもつ(いわゆる「自動安定化装置」)。このため、インフレになると、増税や歳出削減をしなくとも、自動的に財政赤字が削減され、インフレの過剰を抑止するのだ。 ほかにも、中央銀行による金利の引き上げによってインフレを退治するという手段もある。 要するに、高インフレを起こさないようにするのは、増税や歳出削減を強行せずとも、通常のマクロ経済運営の範囲内で十分に可能なのだ。 ハイパーインフレは、戦争など極めて異常なケースのみ 仮に増税や歳出削減が必要なほど高インフレになったとしても、日本政府が増税や歳出削減に踏み切れないなどという証拠はない。 実際、日本政府には、過去20年間、高インフレどころかデフレにもかかわらず、消費税率を2度も引き上げ、公共投資を大幅に削減したという実績がある。愚かで不名誉な実績ではあるが、日本政府がインフレを抑止できることを見事に証明しているではないか。 財政赤字の拡大によってインフレがコントロールできなくなるなどという懸念は杞憂なのだ。 その証拠に、歴史上、インフレがコントロール不能(ハイパーインフレ)になるという事例は、極めてまれである。 しかも、そのわずかな事例は、戦争で供給力が破壊された場合、戦時中で軍事需要が過剰になった場合、独裁政権が外資系企業に対する強制収用を行ったために供給不足となった場合、経済制裁により国内が物資不足となった場合など、極めて異常なケースに限られる。 戦後の先進国で、財政赤字の拡大を容認したためにハイパーインフレに陥ったなどという事例は皆無だ。 ちなみに、MMTは、インフレの問題を無視した理論ではない。 むしろ、その逆である。 例えば、MMTに大きな影響を与えたハイマン・ミンスキーは、インフレが問題となっていた1960年代後半から70年代にかけて、その理論を形成・発展させていた。 ミンスキーは、ただ単に財政赤字を量的に拡大して需要を刺激するだけでは、民間投資が過剰になってインフレになる一方で、完全雇用や格差是正が達成できないという可能性があると論じた。そのような悪性のインフレを回避するため、ミンスキーは、公的部門が失業者を直接雇用するなど、有効な政策目的に特定した財政支出を提案した。 このミンスキーのインフレ抑止策の提案は、検討に値する。ただし、現在の日本は、インフレ抑止策の検討以前に、デフレ脱却を優先しなければならない状況にあるということは、再度強調しておかなければならない。
賃金上昇やインフレを望むなら、グローバル化に制約を この状況判断は、次の論点とも関わってくる。 第3に、過去30年間、日本経済に限らず、先進国経済は、新自由主義的な経済運営に傾斜したために、インフレが起きにくい経済構造へと変化している。インフレで悩んでいた1970年代以前とは、資本主義の姿がまるで違うのだ。 1980年代以降、日本を含む先進諸国では、労働組合の交渉力が弱体化する一方、規制緩和や自由化による競争の激化、さらにはグローバル化による安価な製品や低賃金労働者の流入により、賃金が上昇しにくくなり、インフレも抑制されるようになった。最近では、ITやAI・ロボットなどの発達・普及が、この変化に拍車をかけている。 また、金融市場の規制緩和や投資家の発言力を強めるコーポレートガバナンス改革により、金融部門が肥大化し、投資家の力が強くなり、労働分配率は低下していった。 つまり、政策的にマネーを増やしても、実体経済、とりわけ労働者には回らず、金融部門に流れていってしまう経済構造になったのである。 その結果、1980年代後半の日本、2000年代前半のアメリカなどでは、好景気にもかかわらず、インフレ率は穏当な水準で推移するという現象が起きた。好景気を牽引していたのは、肥大化した金融市場が生み出した資産バブルであり、賃金上昇や実体経済の需要拡大ではなかったのである。 このため、現在の日本の経済構造では、財政赤字を拡大しただけではインフレは起きない可能性がある。 例えば、日本政府は、本年4月から本格的な移民政策へと舵を切った。このため、財政支出を拡大して需要を喚起しても、海外から低賃金労働者が流入するために、賃金は上昇しないかもしれない。しかも、世界経済の景気後退により、海外から安価な製品や労働者の流入によるデフレ圧力は、さらに増している。 賃金上昇やインフレを望むなら、グローバル化に制約を加えなければならない。バスタブに水を貯めたければ、底の栓を閉めなければならないのだ。 MMT批判者は「財政支出を拡大したら、インフレが止まらなくなる」などと懸念するが、これは、過去20年間の経済構造の変化をまったく考慮していない時代遅れの認識にすぎない。 今日、われわれが本当に懸念すべきなのは、「財政支出を拡大したにもかかわらず、インフレにならないこと」なのだ。 したがって、財政赤字の拡大だけでは、十分ではない。新自由主義的政策によって賃金抑圧的に改造された経済構造を改革し、賃金上昇が経済成長を牽引するようにしなければならない。それは、新自由主義とは正反対の方向の構造改革である。 実は、晩年のミンスキー(1996年没)も、この新自由主義によって歪められた経済構造を修正しなければならないと考えていた。MMTの支持者の多くも、同様であろう。 新自由主義とは正反対の経済構造改革を 以上の議論をまとめよう。 日本は20年にも及ぶデフレであるために、長期の経済停滞が続いている。 したがって、財政赤字を拡大して、デフレを脱却する必要がある。 ただし、新自由主義に基づく改革のせいで、財政赤字を拡大してもインフレが起きない経済構造になってしまっている。 このため、財政赤字の拡大と同時に、新自由主義とは正反対の経済構造改革をしなければならない。 要するに、平成時代に行われた一連の改革とは逆の方向に転換しなければならないということだ。 ところが、日本の政策当局や経済学者らの大半は、インフレのリスクを誇張してMMTを批判し、財政赤字の削減を主張し続けている。日本の長期停滞を招いた従来のパラダイムから抜け出せないのだ。 この日本の現状は、ドイツ生まれのイギリスの経済学者、エルンスト・フリードリヒ・シューマッハーの次の言葉を思い起こさせる。 「頭のいいバカは物事を必要以上に大きくし、複雑にし、凶暴にする。 逆の方向に転換するにはわずかの才とたくさんの勇気がありさえすればいい」 https://toyokeizai.net/articles/-/283186 ▲△▽▼ MMTは論理的に破綻…それを攻撃して消費増税強行に世論誘導する財務省は悪質 https://biz-journal.jp/2019/06/post_28182.html 2019.06.03 文=田中秀臣/上武大学ビジネス情報学部教授 Business Journal 財務省(「Wikipedia」より/っ) 世界経済の情勢が不透明感を強め、国内の景気も落ち込んでいるなかで数カ月後には消費増税するということは、常識レベルでも私たちの生活を直撃することは目に見えている。
しかし、財務省という硬直化した官僚組織にはそのような常識は通用しない。あくまでも消費増税を完遂するのが、この組織の目的である。最近は「財政危機」という理由だけではなく、むしろ消費増税以外の経済政策は害悪である、という宣伝まで始めたようである。 特に財務省がイメージ戦略のターゲットにしているのが、MMT(現代貨幣理論)への批判だ。このMMTは積極的な財政政策の拡大を主張していて、財務省の消費増税の方針とは真逆に位置する。もちろん以前から日本に積極的な財政政策を採用するようすすめる経済学者やエコノミストは多い。一例では、元IMF(国際通貨基金)のチーフエコノミストのオリバー・ブランシャールらが、日本に積極的な財政政策を採用するようにすすめたことは記憶に新しい(ブランシャール、田代毅「日本の財政政策の選択肢」2019)。 ブランシャールだけでなく、従来から欧米の経済学者たち(ポール・クルーグマン、ジョセフ・スティグリッツ、トマ・ピケティら)は一様に積極的な財政政策の採用をすすめていた。また日本でも二十数年にもわたり、長期停滞の脱却に金融政策と財政政策の両輪で積極的に対応するように求めるリフレ派がいる。筆者もそのリフレ派の一員である。 だがMMTと、彼ら欧米の経済学者やリフレ派には違う点がある。ひとつは、MMTには理論的な基礎がはっきりしない点がある。いくつかの断片的な言い切りや拡張的な財政のスタンスのみが強調されていて、実際に日本でのその同調者たちを含めてMMT側から具体的な理論モデルが提起されていない。 この理論的な脆弱性(知的不誠実性)を、日本の財務省が突いてきている。なぜかというと、MMTを批判することで、イメージ的にリフレ派や欧米の財政拡張論者の主張も一緒に「理論的な根拠がない間違い」だとして、世論誘導をしようと狙っているふしがある。実際に財務省の主張をコピペしているような一部のマスコミでは、MMTとそのほかを一緒くたにして批判的な論調を展開しているところもある。財務省とすれば、まさにMMTは願ってもない反緊縮政策つぶしの素材だろう。 ■MMTの理論とは ところで、MMTは「現代貨幣理論」の英語の略語だ。このMMTは、特にアメリカや日本で注目を集めてきている。たとえばNHKの朝のニュースでも時間を割いて紹介されたし、有力な経済学者や経済評論家たちの間でもちょっとした論争が起きている。このMMTはアメリカ発の最新の経済学のファッションだ。 中心的な主張者は、ステファニー・ケルトン米ニューヨーク州立大教授である。ケルトン教授は、最近では民主党の大統領候補として有力なバーニー・サンダース上院議員の政策顧問にも就任した。そもそもMMTが政策論争の舞台で注目を浴びたのは、民主党の若きホープであり、史上最年少の下院議員でもあるオカシオ・コルテスがMMTの考えに賛意を示したからだ。 MMTは一般的にどんなことを言っているのだろうか。松尾匡の論文「反緊縮のマクロ経済政策諸理論とその総合」(2019)を参考にすれば、以下のいくつかの命題によって構成される。 (1)経済全体でみると政府の財政赤字は、同時に民間の資産増である。民間は政府の借金である国債を購入し、国債を自分たちの財産として保有している。これは政府を通じて、特に不況期には、民間の所得が増えることを意味している。反対に、不況のときに政府が財政黒字になってしまうと、それは民間の使えるお金が減ることを意味するだろう。 つまり不況期を例にとれば、政府が借金をしてそれで民間にお金を配ることが、民間には不況対策となり、反対に政府が借金をしないと不況はさらに強まってしまう。不況期に政府が借金をすることを、「反緊縮政策」といい、逆に不況期に政府が借金をしないことを「緊縮政策」とも呼んでいる。 (2)私たちの家計や企業は、もちろん赤字を重ねていけばやがて破産のピンチに陥る。ところがMMTによれば、政府には破産はない。なぜならどんなに借金をしていても、その借金を帳消しにできる権利を持っているからだ。それを「通貨発行権」という。 つまり政府は借金の督促に直面した場合、いざとなれば自ら紙幣を刷って返済することができる権利を独占的に有している。いわば子ども銀行と同じで、自分で紙幣を印刷してバラ撒けばいいだけだ。そのためMMTは、「政府支出に予算制約はない」「債務の不履行のリスク(=デフォルトリスク)はない」と言い切る。 (3)MMTの独創的なところは、税金を利用した物価のコントロールにある。たとえば、経済がデフレ(物価が持続的に下落する現象)であれば、どんどん減税したり公共事業を増やしてでも経済を拡大していく。やがて経済が改善し、インフレ(物価の継続的上昇)が起これば、今度は増税して経済を抑制する。増税すれば、私たちの消費や投資が減少するので経済活動が弱まり、それで平均的な財やサービスがそれほど購入できなくなるために、平均的な財とサービスの価格もまた低下する。モノやサービスは貨幣と交換される。つまり財やサービスの価格と貨幣の価格は反対の方向に向かう。貨幣の価格(通貨価値)をデフレでもインフレでもない安定なものにするのに、税金を課すことが大きな意味をもつ。 (4)先ほどの子ども銀行の例ではないが、政府は自ら紙幣を刷ることによって財政上の必要を積極的に満たすことができる。これを「財政ファイナンス」という。通常は、各国には中央銀行が存在している。政府は教育、社会保障、防衛、インフラ整備などでさまざまな分野にお金が必要だ。お金の調達は国民などからの税収と国債で行われる。政府の国債はマーケットを通じて、民間の金融機関などが購入する。そして各国の中央銀行はマーケットからその国債を購入し、あるときは売却することで経済全体に流れるお金をコントロールする。 言い換えれば、政府は自分でお金を直接印刷して配ることはしていない。中央銀行(日本では日本銀行)から、民間マーケットを経由して、国債の見返りにお金を得ているともいえる。だがMMTではそのようなことは特に重要ではない、むしろ政府が直接にお金を刷ることである「財政ファイナンス」が推奨されている。このような政府の機能を中心にして貨幣の価値(インフレやデフレ)をコントロールするのが、MMTの核心となっている。 ■「財政ファイナンス」の間違いは、すでに証明 私はこのMMTの内容を最初に聞いたときに、各論では賛同できる点もあるが、むしろ全体をみると支離滅裂な経済政策を生み出す可能性がある、と全面的に否定した。政府が税金の上げ下げによって物価をコントロールすることは、政府の機能からいって実践的に困難であるからだ。 多くの国は予算を策定し、そのための審議を行い、そして決定してから予算の実施を行う。この決定・執行のプロセスには時間がかかる。どんな予算が必要になるのか、という問題を認知する上でそもそも時間がかかること(認知ラグという)、さらに政策決定の時間がかかること(政策決定ラグ)、そして予算が執行されるまでの時間もかかる(実行ラグ)。これらからいってインフレ率をみてコントロールする上で、財政政策は時間の遅れに対処できない。 インフレの進行が起きてから、政治的な利害対立の大きい議会で審議しても手遅れになる可能性が大きい。ただでさえ財政支出には多くの既得権がつくことがあり、予算による物価コントロールを幾重にも困難にするだろう。そのために各国は、中央銀行に政治的な独立性を与えて、物価のコントロールに専念させている。 その手段は、上記した国債のマーケットを仲介にして、お金の量をコントロールすることだ。加えて、最近の中央銀行は、一定のインフレ目標を掲げて、それによって物価と経済・雇用の安定を狙っている。もちろん不況が深刻になれば、限定的に政府が直接通貨を発行することは有力な手段になる。だが、それはあくまでも補助的な手段であり、物価のコントロールに財政政策が中心になることは難しい。 実際に「財政ファイナンス」を中心的な経済政策として採用した国では、インフレの抑制に失敗している。南米のベネズエラは、その典型である。政府は積極的な財政政策を行い、また同時に産業の規制を厳しくした。その結果、経済が落ち込み、また積極的財政をする上での財源不足が起きてしまう。そこでベネズエラ政府は「財政ファイナンス」を始めた。結果として起きたことは、300万%に近い物価上昇である。MMTの危険性のひとつの実例だろう。 冒頭のブランシャールは、あまりに財政政策を中心にして政府債務が累積すると、デフレを脱却した後に高い金利が実現してしまい、そのことが民間の経済活動を抑圧する可能性(クラウディング・アウト)を指摘している。積極的な財政政策は今の日本や欧米でも必要だが、それは金融政策や長期の成長戦略と相互にバランスよく構築されることが必要だ、という見解だ。 だが、このような懸念はMMT側にはない。その理論的な背景を考えると、MMT側にはもとから経済を刺激する上で、財政政策中心になる必然性があると思われる。 ■IS-LM分析 その点は経済学者たちの何人かが指摘している「IS曲線の垂直化」として解説が可能である。経済全体をとらえる視点はマクロ経済学だが、その中核にIS-LM分析がある。IS曲線は、経済全体の財やサービスの市場の様子を示す曲線だ。またLMは経済全体の金融面を示す曲線である。経済全体の均衡はこのISとLMがクロスするところで決まっている。 もしこの経済全体の均衡した水準が、完全雇用の状態から遠い時には、もちろん財政政策や金融政策でこのIS曲線やLM曲線を動かし、または曲線上で経済をコントロールする必要がある。これ以上の教科書的な説明は省略する(入門的解説としては、飯田泰之『マクロ経済学の核心』<光文社新書>などを参照されたい)。 たとえば、下図ではリフレ派やブランシャールら欧米の経済学者が共有するIS-LM曲線を黒で図示している。LM曲線は低金利の状況を表している。他方でIS曲線、つまり民間の投資や消費は、政策的に財政(Gで表記、Tは税制だがこれは変化しない)と金融政策(π)によってコントロールされている。日本銀行などの中央銀行はインフレ率(π)に目標値を設定して、その達成を広く公衆に約束する。また中央銀行はその達成のために金融政策を行う。 日本では、デフレ経済が続くために、このインフレ目標の達成には金融緩和が必要になる。インフレ率の予想値をコントロールすることで、投資や消費を拡大し、経済を完全雇用に近づける。そのためIS曲線は図のように右下がりになる。技術的にはこれは投資が実質利子率に感応的なため生じている。 日本銀行は将来のインフレ率を高めることを約束し、それで実質利子率を低める。なぜなら実質利子率は、名目利子率から予想インフレ率を引いたものである。名目利子率を引き下げるのが難しい状況(これを現代版「流動性の罠」という)であっても、予想インフレ率を引き上げることで、この実質利子率を引き下げることが可能となる。もちろん実質利子率がこの意味で低下すれば、投資は増加していく。これがIS曲線が右下がりになる根拠となる。 対してMMTでは、図に赤く描かれているように、IS曲線は垂直である。これは今までのリフレ派などと異なり、現代版の流動性の罠の条件では、投資が利子率に対して非感応的になっているため生じる。簡単にいうとMMTでは財政の拡大は効果があるが、金融政策自体には効果はないのが理論的な前提である。 そのためMMTは、リフレ派などに比べて、財政政策に過度に依存することになる。ときには「財政支出を5000兆円にしても今は大丈夫」という極端な発言にもなるのは、この理論的な背景によるのだろう。ただしMMT側は、冒頭にも書いたが、特に日本の論者たちは理論モデルを提示していない。 このため著者のようにMMTに批判的な論者が、むしろこのように理論的な整理をしようとしている。このMMT側の知的な怠慢を、財務省は悪質にも突いてきているのだろう。もちろん消費増税を止めるべきだという点では、MMTとリフレ派らの主張は変わらない。そのためにはこの消費増税をストップさせる点だけでの政策的な協調は可能である。そのために立場によらずに、消費増税のリスクを訴える経済学者やエコノミストたちの動きもある。だが、MMT側にはより自らの主張を理論モデルで説明する責務があると思う。それができないようでは、政策について真剣なものとはいえないだろう。 (文=田中秀臣/上武大学ビジネス情報学部教授) ▲△▽▼ MMT(現代金融理論)が見落としているもの…財政の民主的統制の難しさ https://biz-journal.jp/2019/06/post_28206.html 2019.06.04 文=小黒一正/法政大学教授 Business Journal ニューヨーク州立大のステファニー・ケルトン教授などが「MMT(現代金融理論)」という理論を提唱し、アメリカを中心に徐々に広がりを見せ始めている。日本でも、経産官僚の中野剛志氏(現、経済産業省商務情報政策局の情報技術利用促進課課長)が、MMTを日本に紹介するため、『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】』(ベストセラーズ)等を出版し、一部の間で話題となっている模様である。 一方で、アメリカのハーバード大学のケネス・ロゴフ教授やサマーズ元米財務長官といった主流派の経済学者は、「MMTは様々なレベルで間違っている」とし、MMTの理論的な妥当性を強く批判している。 どちらの見解が正しいのだろうか。中野氏の書籍を読むと、MMTが正しいと判断する読者もいようが、ロゴフ教授やサマーズ氏らの指摘のほうが正しい。理由は、MMTは、財政の民主的統制の難しさを深く考察していないためである。以下、順番に概説する。 ■MMT(現代金融理論)とは何か まず、議論を簡略化するために閉鎖経済で考えよう。このとき、「民間貯蓄(S)=民間投資(I)+財政赤字(G−T)」というISバランスが成立するが、経済学の正統派ではISバランスが成立しない場合、市場原理で金利が変動し、ISバランスが自動的に成立するものとする。しかし、MMTでは、完全雇用のときの民間純貯蓄(S−I)は構造的に決まっており、市場メカニズムのみではISバランスが成立しないケースがあり、その場合では財政赤字が必要になると主張する。 この主張は、有効需要の原理を重視する伝統的なケインズ派の理論に近く、別に目新しいものではない。むしろ、目新しいのは財政赤字を賄う財源として法定通貨の発行を主張することであろう。 すなわち、「財政ファイナンス」の積極的な活用である。このため、MMTでは、(1)政府支出の拡大や減税=法定通貨の新規発行、(2)増税や政府支出の削減=法定通貨の回収を意味し、完全雇用のときの民間純貯蓄(S−I)にマッチするように、財政赤字(G−T)を制御する政策を提案する。 そもそも、今の日本のように、失業率が低く、コンビニ等の労働力不足が懸念される状況で本当に有効需要の原理が機能する否かという考察も極めて重要だが、この財政ファイナンスを積極的に活用する発想は本当に目新しいのか。 実は、ブキャナンとワグナーの名著『赤字の民主主義−ケインズが遺したもの』(日経BPクラシックス)(原題はBuchanan and Wagner1977), Democracy in Deficit: the Political Legacy of Lord Keynes, New York : Academic Press)で、ブキャナンらがすでに約40年前に指摘しており、これも目新しいものではない。 例えば、同書の76−77ページには以下の記述がある(下線は筆者)。 <意図的な財政赤字の創出―支出はするが課税はしないというあからさまな決定 ―は、ケインズ政策の特徴だが、(略) ケインズ派が−大半のケインズ派が−通貨の増発を選ばず、古典的な公債負担論に挑戦する道を選んだのは、今もって意外である(略)需要不足という環境では、 政府の追加支出の機会費用は完全にゼロである。これは直ちに、必要な財政赤字を補てんするために通貨を創造しても、 純コストは発生しない−つまりインフレの恐れはない−ことになる。したがって、政治・制度上の制約がない場合は、意図的に財政収支を赤字にし、通貨発行だけで赤字を補てんすることが、ケインズ派 の理想的な景気対策になるはずだ> 財政学者であれば周知の事実だが、ノーベル経済学賞を受賞したブキャナンらは「ケインズがいなければ、1960〜70年代の政治家がこんなに節度を失うことはなかった」とし、アメリカの財政赤字や通貨膨張、政府部門の肥大化の主な原因をケインズ派の理論にあると批判するために執筆したのが同書(『赤字の民主主義』)である。 同書において、財政規律を重視するブキャナンらが「ケインズ派が−大半のケインズ派が−通貨の増発を選ばず、古典的な公債負担論に挑戦する道を選んだのは、今もって意外」とする記述は、ケインズ派に対する「強烈な皮肉」を投げかけるものである。 ■予算膨張と減税の政治圧力をどうコントロールするのか MMTでは、財政赤字が害をもたらすとわかれば、その時点で適切な水準に財政赤字を縮小すればよいという発想だが、民主主義の下で政府支出の削減や増税を迅速かつ容易に行うのは極めて難しい。政府が財政赤字の縮小を迅速に行えるという仮定は、ケインズ理論が仮定する「ハーヴェイロードの前提」に近いものだが、政府支出の削減や増税は現実の政治プロセスで行うのは容易ではない。 例えば、1997年に消費税率は3%から5%に引き上がったが、2014年に消費税率が8%に引き上がるまで17年もの時間がかかったのが一つの証である。本丸の社会保障改革もなかなか進まない。日本をはじめ各国では財政赤字の問題に長年悩んできたが、社会保障費の削減や増税が政治的に容易に可能ならば、今ごろ日本では財政再建が終了しているはずである。 政治家は票を求めて選挙で競争を行う。その際、有権者や利益団体の要求に応じて予算は膨張するメカニズムをもつ一方、政治家は有権者に税を課すことは喜ばない。むしろ、減税こそが歓迎される。 つまり、財政民主主義の下では、財政は予算膨張と減税の政治圧力にさらされることになり、現在の政治家と有権者には財政赤字が膨れ上がるメカニズムを遮断するのは簡単なことではない。このため、ブキャナンらは「民主主義の下で財政を均衡させ、政府の肥大化を防ぐには、憲法で財政均衡を義務付けるしかない」と主張する。 なお、財政赤字を法定通貨の新規発行で賄うリスクは、第1次世界大戦後のドイツや第2次世界大戦後の日本などでも経験しており、その歴史的教訓から、中央銀行の独立性を高め、財政法で財政ファイナンスを禁止しているということも忘れてはいけない。 この意味で、『赤字の民主主義』の216−234ページの以下の指摘が現代の我々に突きつけるメッセージを深く理解することが望まれる(下線は筆者)。 <政府は公債発行の権利よりも通貨発行の権利を厳しく制限されてきた。選択が許される場合、政府が課税よりも通貨の膨張(水増し)に傾く傾向があることは、 経済史の無数の例が示している。(略)選挙で選ばれる政治家は公的支出を承認し、有権者に課税する。もし予想される歳出を歳入と均衡させることが政治家の義務でない場合は、そんなことはしない。政治家の行動が必然的にインフレを招いても、有権者から直接責任を問われることはないからだ。(略)教科書通りのケインズ理論を鵜呑みにした有権者や政治家から見れば、財政赤字の削減で総支出のペースが落ちれば、雇用と実質生産がいつ減少してもおかしくない> (文=小黒一正/法政大学教授) ▲△▽▼ MMT(現代金融理論)とは何か 小黒一正(法政大学 教授)2019.06.10 ニューヨーク州立大のステファニー・ケルトン教授などが「MMT(現代金融理論)」という理論を提唱し,日本でも若干の話題となっている。一方で,アメリカのハーバード大学のケネス・ロゴフ教授やサマーズ元米財務長官といった主流派の経済学者は,「MMTは様々なレベルで間違っている」とし,MMT(現代金融理論)の理論的な妥当性を強く批判している。 どちらの見解が妥当であろうか。筆者は,ハーバード大学のロゴフ教授やサマーズ元米財務長官らの指摘の方が妥当であると判断する。理由は,MMT(現代金融理論)は,財政の民主的統制の難しさを深く考察していないためである。以下,順番に概説する。 まず,議論を簡略化するために閉鎖経済で考えよう。このとき,「民間貯蓄(S)=民間投資(I)+財政赤字(G−T)」というISバランスが成立するが,経済学の正統派ではISバランスが成立しない場合,市場原理で金利が変動し,ISバランスが自動的に成立するものとする。しかし,MMTでは,完全雇用のときの民間純貯蓄(S−I)は構造的に決まっており,市場メカニズムのみではISバランスが成立しないケースがあり,その場合では財政赤字が必要になると主張する。 この主張は,有効需要の原理を重視する伝統的なケインズ派の理論に近く,別に目新しいものではない。むしろ,目新しいのは財政赤字を賄う財源として法定通貨の発行を主張することであろう。 すなわち,「財政ファイナンス」の積極的な活用である。このため,MMTでは,@政府支出の拡大や減税=法定通貨の新規発行,A増税や政府支出の削減=法定通貨の回収を意味し,完全雇用のときの民間純貯蓄(S−I)にマッチするように,財政赤字(G−T)を制御する政策を提案する。 そもそも,いまの日本のように,失業率が低く,コンビニ等の労働力不足が懸念される状況で本当に有効需要の原理が機能する否かという考察も極めて重要だが,この財政ファイナンスを積極的に活用する発想は本当に目新しいのか。 実は,ブキャナンとワグナーの名著『赤字の民主主義−ケインズの政治的遺産』(日経BPクラシック)(原題はBuchanan and Wagner(1977), Democracy in Deficit: the Political Legacy of Lord Keynes, New York : Academic Press)で,ブキャナンらが既に約40年前に指摘しており,これも目新しいものではない。 例えば,同書の76−77ページには以下の記述がある。 ------------------ 意図的な財政赤字の創出―支出はするが課税はしないというあからさまな決定―は,ケインズ政策の特徴だが,(略)ケインズ派が−大半のケインズ派が−通貨の増発を選ばず,古典的な公債負担論に挑戦する道を選んだのは,今もって意外である(略)需要不足という環境では,政府の追加支出の機会費用は完全にゼロである。これは直ちに,必要な財政赤字を補てんするために通貨を創造しても,純コストは発生しない−つまりインフレの恐れはない−ことになる。したがって,政治・制度上の制約がない場合は,意図的に財政収支を赤字にし,通貨発行だけで赤字を補てんすることが,ケインズ派の理想的な景気対策になるはずだ。(下線は引用者) ------------------ 財政学者であれば周知の事実だが,ノーベル経済学賞を受賞したブキャナンらは「ケインズがいなければ,1960〜70年代の政治家がこんなに節度を失うことはなかった」とし,アメリカの財政赤字や通貨膨張,政府部門の肥大化の主な原因をケインズ派の理論にあると批判するために執筆したのが同書(『赤字の民主主義』)である。 同書において,財政規律を重視するブキャナンらが「ケインズ派が−大半のケインズ派が−通貨の増発を選ばず,古典的な公債負担論に挑戦する道を選んだのは,今もって意外」とする記述は,ケインズ派に対する「強烈な皮肉」を投げかけるものである。 MMTでは,財政赤字が害をもたらすと分かれば,その時点で適切な水準に財政赤字を縮小すればよいという発想だが,民主主義の下で政府支出の削減や増税を迅速かつ容易に行うのは極めて難しい。例えば,1997年に消費税率は3%から5%に引き上がったが,2014年に消費税率が8%に引き上がるまで17年もの時間がかかったのが一つの証である。本丸の社会保障改革もなかなか進まない。日本をはじめ各国では財政赤字の問題に長年悩んできたが,社会保障費の削減や増税が政治的に容易に可能ならば,いまごろ日本では財政再建が終了しているはずである。 政治家は票を求めて選挙で競争を行う。その際,有権者や利益団体の要求に応じて予算は膨張するメカニズムをもつ一方,政治家は有権者に税を課すことは喜ばない。むしろ,減税こそが歓迎される。 つまり,財政民主主義の下では,財政は予算膨張と減税の政治圧力にさらされることになり,現在の政治家と有権者には財政赤字が膨れ上がるメカニズムを遮断するのは簡単なことではない。このため,ブキャナンらは「民主主義の下で財政を均衡させ,政府の肥大化を防ぐには,憲法で財政均衡を義務付けるしかない」と主張する。 なお,財政赤字を法定通貨の新規発行で賄うリスクは,第1次世界大戦後のドイツや第2次世界大戦後の日本などでも経験しており,その歴史的教訓から,中央銀行の独立性を高め,財政法で財政ファイナンスを禁止しているということも忘れてはいけない http://world-economic-review.jp/impact/article1382.html ▲△▽▼ MMTが、こんなにも「エリート」に嫌われる理由 主流派経済学の理想は「反民主的」な経済運営 中野 剛志 2019/06/11 https://toyokeizai.net/articles/-/285053?display=b 前回記事「MMT『インフレ制御不能』批判がありえない理由」 https://toyokeizai.net/articles/-/283186
で、インフレ率との関係をていねいに解説した中野剛志氏。著書 『富国と強兵 地政経済学序説』 https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4492444386/asyuracom-22?p=TK でいち早く日本にMMT(現代貨幣理論)を紹介した同氏が、今回は「そもそも貨幣とは何か」という視点から解説する。
MMTはなぜ嫌われているのか MMT(現代貨幣理論)は、高インフレでない限り、財政赤字を拡大してよいと主張する。これに対して、主流派経済学者は、「そんなことをしたら、超インフレになる」と激しく批判している。 『富国と強兵 地政経済学序説』
このように、超インフレの懸念によってMMTを批判するというのは、極端な議論にすぎないことは、別の記事で明らかにしてあるので、ここでは繰り返さない。
問うべきは、なぜ、このような極端な議論がまかりとおっているかということである。 日本は、20年という長期のデフレに苦しんでいる。そんな日本が超インフレを懸念して、デフレ下で政府支出の抑制に努めたり、増税を目指したりしている姿は、どう考えても異常である。「インフレ恐怖症」とでも言いたくなるほどだ。 なぜ、これほどまで極端にインフレが恐れられているのであろうか。 そして、なぜ、MMTは、こんなに嫌われているのであろうか。 その理由の根源は、貨幣の理解にある。 主流派経済学の標準的な教科書は、貨幣について、次のように説明している。 原始的な社会では、物々交換が行われていたが、そのうちに、何らかの価値をもった「商品」が、便利な交換手段(つまり貨幣)として使われるようになった。その代表的な「商品」が貴金属、とくに金である。これが、貨幣の起源である。 しかし、金そのものを貨幣とすると、純度や重量など貨幣の価値の確認に手間がかかるので、政府が一定の純度と重量をもった金貨を鋳造するようになる。 次の段階では、金との交換を義務付けた兌換(だかん)紙幣を発行するようになる。こうして、政府発行の紙幣が標準的な貨幣となる。
最終的には、金との交換による価値の保証も不要になり、紙幣は、不換紙幣となる。それでも、交換の際に皆が受け取り続ける限り、紙幣には価値があり、貨幣としての役割を果たす (N・グレゴリー・マンキュー『マンキューマクロ経済学I入門篇【第3版】』110〜112ページ)。 https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4492314091/asyuracom-22 このような貨幣論を「商品貨幣論」と言う。 しかし、この「商品貨幣論」は、実は、誤りなのである。 第1に、歴史学や人類学における貨幣研究は、軒並み、貨幣が物々交換から発展したという「商品貨幣論」を否定している(フェリックス・マーティン『21世紀の貨幣論』)。 第2に、1971年にドルと金の兌換が廃止されて以降、世界のほとんどの国が、貴金属による裏付けのない不換通貨を発行している。しかし、なぜ、そのような不換通貨が流通しているのかについて、商品貨幣論は納得できる説明ができない。主流派経済学は「他人が受け取ることがわかっているから、誰もが不換通貨を受け取るのだ」という説明をするが、そんな脆弱な大衆心理に依拠した通貨では、価値が不安定すぎて使い物にはなるまい。 では、現代の不換通貨は、どうして「貨幣」としての価値が保証され、使われているのであろうか。 政府の「徴税権力」が物価を調整する MMTの答えは極めて明快だ。 まず、政府は、債務などの計算尺度として通貨単位(円、ドル、ポンドなど)を法定する。 次に、国民に対して、その通貨単位で計算された納税義務を課す。 そして、政府は、通貨単位で価値を表示した「通貨」を発行し、租税の支払い手段として定める。これにより、通貨には、納税義務の解消手段としての需要が生じる。 こうして人々は、通貨に額面どおりの価値を認めるようになり、その通貨を、民間取引の支払いや貯蓄などの手段としても利用するようになり、通貨が流通するのである。 要するに、人々がお札という単なる紙切れに通貨としての価値を見出すのは、その紙切れで税金が払えるからということだ。 通貨の価値を裏付けているのは、金などの価値のある「商品」ではない。通貨を法定し、その通貨による納税義務を法定する権力をもつ「政府」である。政府の徴税権力こそが、通貨の価値を担保するアンカーとなっているのだ。 それゆえ、内乱などで無政府状態に陥った国家では、政府の徴税権力も弱体化するから、通貨はその価値を失い、超インフレに見舞われる。逆に言えば、政府権力が正常に機能していれば、戦争や石油危機のような有事でもない限り、インフレが制御不能になるなどということはありえない。 政府が徴税権力を強めれば(緊縮財政)、納税という通貨の需要が増えるので、人々はモノよりもカネを欲しがるようになる。その結果、通貨の価値が上昇(物価が下落)する。つまり、増税は、デフレ圧力を発生させるのだ。
反対に、政府が徴税権力を緩めれば(拡張財政)、納税という通貨の需要は減るので、通貨の価値が下落(物価が上昇)する。減税は、インフレ圧力を発生させるのである。 こうして、政府は、財政を拡張させたり、緊縮させたりすることによって、物価を上下させることができる。財政政策とは、物価調整という機能をもつ金融政策でもあるのだ。 貨幣に関する無知が招く「インフレ恐怖症」 さて、主流派経済学は、依然として「商品貨幣論」という誤った貨幣論に立脚している。 実は、この誤った貨幣論こそが、「インフレ恐怖症」の原因なのである。 改めて説明すると、「商品貨幣論」は、金などの貴金属のような、それ自体に価値がある商品が貨幣の価値を裏付けていると考えている。 かつて、金本位制の下においては、通貨には、金との兌換が義務付けられていた。各国政府が発行する通貨の価値は、金という商品によって担保されていたのである。 しかし、現代の通貨は、金との兌換が保証されていない「不換通貨」が一般的になっている。このことを、主流派経済学は「商品貨幣論」によってどう説明するのか。 すでに述べたように、主流派経済学は、「他人が受け取ることがわかっているから、誰もが不換通貨を受け取るのだ」と説明している。つまり、「みんながお金がお金だと思っているから、みんながお金をお金だと思って使っている」という苦し紛れの循環論法である。 もし、この説が正しいとすると、通貨の価値は、「みんなが通貨としての価値があると信じ込んでいる」という極めて頼りない大衆心理によって担保されているということになる。 しかし、もし人々が一斉に通貨の価値を疑い始めてしまったら、通貨はその価値を一瞬にして失ってしまうだろう。紙幣は、単なる紙切れとなってしまうのだ。これが、通貨価値の暴落、すなわちハイパーインフレである。 主流派経済学者が、なぜインフレを極端に恐れているのか、もうおわかりだろう。「もし、人々が通貨に対する信認を失い、通貨の価値を保証するものがなくなってしまったら、どうしよう」と不安で仕方がないのだ。 要するに、主流派経済学者は、それ自体に商品価値がないはずの不換通貨が、なぜ通貨として流通しているのかについて、本当のところをわかっていないのだ。だから、通貨の価値が失われることを極端に恐れているのである。 「インフレ恐怖症」の原因は、貨幣に関する無知にある。
そうであるならば、主流派経済学者は、MMTの正しい貨幣論を受け入れればよいではないかと思われるかもしれない。 それが、残念ながら、そう簡単にはいかないのである。 なぜなら、MMTは「通貨の価値を保証するのは、政府の徴税権力である」という理論である。 国民主権である民主国家においては、政府の徴税権力の根源は民主政治にある。わが国でも、憲法第83条において、国会が予算や税を議決する「財政民主主義」を定めている。 このように、現代民主国家においては、通貨の価値を保証するのは「徴税権力=民主政治」である。したがって、民主政治は、貨幣価値(物価)を調整するうえで、決定的に重要な役割を担うこととなる。 しかし、このような結論は、主流派経済学者には、とうてい受け入れられるものではない。 なぜならば、民主政治は、民意や政治的な利害調整によって決まるものである。そのような恣意的・裁量的な民主政治が財政を決め、物価の調整に深く関与することを、主流派経済学は極端に恐れるのである。 だから、主流派経済学者は、財政規律を重視し、民主政治による財政権力に制限を加えようとする。そして、物価の調整機能は、民主政治ではなく、中央銀行に委ねるべきだとする。主流派経済学者は「中央銀行の独立性」を強調するが、それは、民主政治からの「独立性」を意味しているのだ。 要するに、主流派経済学は、エリートや専門家による経済運営を理想とするのである。言い換えれば、主流派経済学は、その本質において、反民主主義的である。 こうした主流派経済学の理解に基づき、現実の経済運営は、中央銀行の金融政策が主導するものとなり、財政政策に対する評価は消極的・否定的なものとなった。 MMTは経済政策の「民主化」 しかし、今日、アメリカでも欧州でも日本でも、その金融政策主導の経済運営が完全に行き詰ってしまった。近年では、クルーグマン、サマーズ、ブランシャールのような主流派経済学者ですら、金融政策の限界を認め、財政赤字の拡大を強く主張するようになっている(オリヴィエ・ブランシャール「日本の財政政策の選択肢」)。 とくに日本では、量的緩和という金融政策主導によるデフレ脱却は、明らかに失敗に終わった。昨今では、金融政策の限界どころか、その弊害すら懸念されるようになっている(「危険なMMTがそれでも気になる理由」)。 しかし、こうした従来の金融政策主導の経済運営は、その根拠となっている主流派経済学が貨幣論からして間違っている以上、失敗に終わって当然だったのである。
ここで重要なのは、財政主導の経済運営とは、民主政治主導の経済運営を意味するということだ。経済政策の「民主化」と言ってもよい。 MMTは、経済政策を「民主化」すべきだと主張しているのだ(だから、アメリカでは、反エリート主義的な民主党左派などがMMTを支持するのである)。 超インフレは本当に起こるのか? 民主政治が完全なものではないのは、事実である。賢明とは言えない判断もする。しかし、主流派経済学に基づいたエリート主義的な経済運営が失敗に終わった以上、民主政治の判断で財政政策を発動するほかないのだ。 その民主政治をより賢明なものにするか否かは、われわれ国民の責任にかかっている。財政規律などインフレを抑制する制度を導入するにしても、国民が民主的に決めなければならないのだ。 筆者は、日本の政治、そして日本国民が、財政支出を拡大しすぎて超インフレを引き起こすほど愚昧だとはまったく思っていない。普通に考えて、国民が、自分たちの生活を破壊する超インフレを招くような政権を支持するはずがないではないか。「MMTを実行したら、超インフレになる」などという者は、日本の有権者をバカにしているのだ。 日本の民主政治は、確かに完全なものではない。しかし、超インフレを防げないほどではない(「MMT『インフレ制御不能』批判がありえない理由」)。 他方、主流派経済学の理論は、もっと不完全である。それどころか、貨幣論からして間違えている。 MMTの批判者たちは、エリートぶって民主政治を見下す前に、せめて貨幣について正しく理解してはどうか。そうすれば、どんなに不完全であっても、民主政治によって経済運営を運営するしかないのだと分かるだろう。 https://toyokeizai.net/articles/-/285053?display=b ▲△▽▼ エコノミスト、ステファニー・ケルトン―新たな「ニューディール」の使徒(RFI) http://www.asyura2.com/19/hasan132/msg/627.html http://www.rfi.fr/emission/20190614-stephanie-kelton-economiste-apotre-nouveau-new-deal-sanders-etats-unis 今日の経済―人物を描く エコノミスト、ステファニー・ケルトン―新たな「ニューディール」の使徒 記者 アーブラ・ジュナイディ 放送:2019年6月14日金曜日
米国経済界で注目度上昇中の人物がいる。お茶の間のテレビから大学の会議までステファニー・ケルトンの話題で持ち切りだ。ニューヨーク州選出の民主党代議士アレクサンドラ・オカシオ−コルテスのような左派の面々が彼女を支持している。民主党予備選挙候補バーニー・サンダースは(2016年に既にそうだったように)自身の非常に野心的な事業に取り組むために、彼女を「主任経済顧問」にした。巨大インフラ事業の資金を工面するために財政赤字を増やしても良いとの彼女の考えには歯ぎしりする人々もいる。
彼女はバーニー・サンダースと共に再び立ち上がる。サンダースは数ある事柄の中でも、最低賃金と全国民を対象にした健康保険制度を確立したいと考えている。 数年前、この49歳のエコノミストは民主党の旗の下で行われた地元レベルの選挙を勝ち上がることが出来なかったが、社会正義への関心についてはその予備選挙候補者と同じものを持っている。 彼女はバーニー・サンダースと初めて電話で議論したときのことを語った。彼はそのエコノミストに自分が彼の立場なら何をしたいかを尋ねた。「私は彼に答えました―1944年の第2の権利章典ですと。そして、私たちはそこでフランクリン・デラノ・ルーズベルトについて議論を始めました。私はそれが民主党にとって未完成の仕事だといつも思っていました。党はルーズベルトの構想をやり遂げ、一定の基本的権利を国民に提供すべきでした。医療面の諸施策や教育の権利は当然ですが、労働の権利もです。ルーズベルトはこれを自分のリストの最初に入れました。彼はこのことを最初に行おうとしたのです。私は長年それを研究してきました。少なくとも一時期、それは民主党の核心的な構想だったのです。」 彼女の野心は新たな「ニューディール」を始めることだ
特に、経済が健全な状態にあってもなくても全ての人に雇用を保証する大規模プログラムだ。連邦政府がこれに責任を持ち地元レベルで効果的な管理を行う。表向きの数字は好調だが無数の国民が失業中か能力以下の職業に就いていると、ステファニー・ケルトンは述べる。
この施策の後ろ盾として、ある経済理論が存在する。現代通貨理論。この理論は20年来、始めは日の当たらない場所で、その後は光の中で、いくつもの感情を呼び起こしてきた。 あるプログラムの資金を工面するためには財源を探さねばならない。予算の削減や増税により財源を探すことが必要だ。政治的な議論とはこのような話だが、MMT[現代通貨理論]のエコノミストたちは米国政府には決して無視の出来ない強みがあると言い切る。その強みだが、米国政府は他のことで必要だと考えたとき自前のお金を生み出すことを禁じていない。ドルをだ。それを続ければ十分だとそのエコノミストたちは言う。赤字やインフレを恐れずさらに力強く進めば良い。米国経済が能力の限界に達するには程遠いからだ。 しかし、ラリー・サマーズのような左派に分類される経済学者でさえCNBCでこれに警告を発した。「通貨印刷機を回すことにより完全雇用や国民皆保険を保証できるという『現代通貨理論』の考えは危険だ。そして、この考えへの支持が広がるのを見るのは私にとって残念だ。私はこれが『新たなブードゥー経済』であることの証明を試みている。」 ステファニー・ケルトンは攻撃を非難する。しかし、彼女は前線に復帰する
その中心的な提唱者の天性のカリスマと雄弁に助けられて、現代通貨理論は信者をどんどん増やしている。この理論は通貨というシステムの働きをとても上手に説明しているため、長年ウォール街の金融業者を誘惑してきた。そして、議論のテーマが緊縮予算であってもこの理論は可能性の場を開くものであるために、変化を主張する全ての人々を魅了している。特に若者たちをだ。
現代貨幣理論がここまでの支持を得ていなかった頃からステファニー・ケルトンと道を共にする最初の仲間の一人、ランドール・レイは言う。 「ラリー・サマーズのような主流のエコノミストでさえ、私たちが長期的な不景気の中にあると言います。私たちが国民の大部分の面倒を見ることは不可能ですが、そうした人たちは自分たちを裏切るシステムからしっぺ返しを受けています。そこから極右が台頭しています。私たちは10年から20年の間、地球温暖化に反対してきました。これは消滅の危機をもたらすものです。そうしたことから、私たちのシステムがもはや機能しないことが分かりました。事態を変える必要があるのです。」 ステファニー・ケルトンは、自分たちが構想する2兆ドルの「新たなニューディール」により、来年は民主党がホワイトハウスを獲得できると信じている。 そして、彼女はまさに財務長官になった自分の姿を想像しているだろう。 −参考− 1944年1月の一般教書演説でルーズベルト大統領が提唱した「第2の権利章典」についての説明 (The Workmen's Circle Website)[英文] http://circle.org/jsource/franklin-d-roosevelts-second-bill-rights-1944/ ▲△▽▼
三橋TV第109回【待望のあの方にご登場頂いたよ】 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=JoCGYFhNYPo 三橋TV第110回【中野剛志先生から社会科学を学ぼう】 https://www.youtube.com/watch?v=8ia1CFWMB7w&feature=youtu.be 三橋TV第111回【絶望の向こう側のチャンスを!】 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=xZeGnPqYnH4 ▲△▽▼ 特別寄稿 中野剛志 消費増税も量的緩和も愚の骨頂! 主流派経済学や政策当局の主張とは正反対のことをやるべき。これが、MMT(現代貨幣理論)から導き出される政策提言だ。
2019年8月号 BUSINESS [MMTの大逆襲] by 中野剛志(評論家) 最近、MMT(現代貨幣理論)なる経済理論が大きな話題となっている。というよりは、大半の主流派経済学者や政策当局者によって「馬鹿げている」「トンデモ理論だ」と激しく攻撃されている。
このMMTなる代物、どうしてこんな大騒動を巻き起こしたのか。 MMTとは、その名のとおり、現代における貨幣についての正確な理解を基礎とする経済理論である。実のところは、その中身は、次のように、あっけないほど簡単である。 現代貨幣理論(MMT)を、我が国に初めて紹介した中野剛志氏の大著『富国と強兵』(東洋経済新報社)
今日、「通貨」と呼ばれるものには、「現金」と「銀行預金」がある。「銀行預金」が「通貨」に含まれるのは、我々が給料の支払いや納税などのために銀行預金を利用するなど、日常生活において、事実上「通貨」として使っているからである。ちなみに、「通貨」のうち、そのほとんどを預金通貨が占めており、現金通貨が占める割合は、ごくわずかである。 . MMTの基本は単なる「事実」! 問題は、通貨のほとんどを占める「銀行預金」と貸出しとの関係である。 通俗的な見方によれば、銀行は、預金を集めて、それを貸し出しているものと思われている。主流派経済学もまた、そのような見解に立っている。しかし、これは銀行実務の実態とは異なっているのである。 実際には、銀行の預金が貸し出されているのではなく、その反対に、銀行が貸出しを行うことによって預金が生まれているのである。これを「信用創造」と言う。例えば、A銀行がα企業に1千万円を貸し出す場合、A銀行は手元にある1千万円を貸すのではない。単に、α企業の銀行口座に1千万円と記帳するだけである。 銀行は預金を元手に貸出しを行うのではなく、その反対に、銀行による貸出しが預金を生む。したがって、原理的には、銀行は手元資金の制約を受けずに、借り手さえいれば、いくらでも貸出しを行うことができる。驚かれたかもしれないが、これが紛れもない「事実」である。主流派経済学は、信用創造の理解を間違えているのだ。 ただし、銀行は、預金を現金と交換する要求があった場合には、それに応じなければならない。それゆえ、銀行は、そのような預金の引き出しに備えるために、預金の一定割合を中央銀行に「準備預金(日本であれば、日銀当座預金)」として預け入れることを法令で義務付けられている。 では、現金は、なにゆえに通貨としての価値をもち得るのか。それは、政府が価値を与えているからである。 まず、政府は、「通貨」の単位(例えば、円、ドル、ポンドなど)を決める。そして、政府(と中央銀行)は、その決められた単位の通貨を発行する権限をもつ。その上で、政府は、国民に対して、その通貨によって納税する義務を課す。すると、その通貨は、納税手段としての価値をもつので、取引や貯蓄の手段としても使われるようになる。紙切れに過ぎないお札が、おカネとしての価値をもって使われるのは、そのためだ。 MMTの基本は、これだけである。しかも、この説明は、単に、現代の貨幣というものを「事実」に沿って説明したまでのことである。だが、この単なる「事実」が、主流派経済学者や政策当局者を大いに動揺させたのだ。なぜなら、この貨幣の「事実」から導き出される財政金融政策のインプリケーションは、主流派経済学者が主張し、政策当局者が実施してきたものと、180度も異なるものだったからだ。 . ハイパーインフレは起こらない MMTのインプリケーションとは、具体的には、次の通りである。 T 日米英のように、政府が通貨発行権を有する国は、自国通貨建てで発行した国債に関して、返済する意志がある限り、返済できなくなるということはない。 例えば、日本は、GDP(国内総生産)比の政府債務残高がおよそ240%であり、先進国中「最悪」の水準にあるとされるが、財政破綻していない。それもそのはず、日本政府には通貨発行権があり、発行する国債はすべて自国通貨建てだからだ。 アルゼンチンやギリシャなど、財政破綻の例としてあがるのは、いずれも、自国通貨建てではない国債が返済不能になったケースである。実際、アルゼンチンもギリシャも、GDP比政府債務残高は日本の半分程度だったのに、財政破綻に陥った。 日本政府は、家計や企業と違って、自国通貨を発行して債務を返済できるのだ。したがって、日本政府は、財源の制約なく、いくらでも支出できるのである。 ただし、政府が支出を野放図に拡大すると、いずれ需要過剰となって、インフレが止まらなくなってしまう。このため、政府は、インフレが行き過ぎないように、財政支出を抑制しなければならない。 言い換えれば、高インフレではない限り、財政支出はいくらでも拡大できるということだ。つまり、政府の財政支出の制約となるのは、政府債務の規模ではなく、「インフレ率」なのである。 さて、日本は、高インフレどころか、長期にわたってデフレである。したがって、日本には、財政支出の制約はない。デフレを脱却するまで、いくらでも財政支出を拡大できるし、すべきだということになる。 これに対して、「政治は、歳出削減や増税のような国民に痛みを強いる政策はできないので、インフレは抑制できない」などと論じる者がいるが、これは暴論としか言いようがない。 そもそも、インフレが制御不能となるハイパーインフレの事例というのは、戦争や内乱で供給能力が破壊された場合、独裁政権がでたらめな経済政策を行った場合、旧社会主義国が資本主義の移行の過程で混乱した場合、あるいは経済制裁により禁輸が行われた場合など、極めて異常なケースに限られる。 先進国の民主国家が、平時において、財政赤字を拡大し過ぎてインフレを止められなくなったなどという事例など、皆無だ。それもそのはず、物価の高騰は、国民の不満を高めるからだ。民主国家が、民意を無視して財政赤字を拡大し続け、ハイパーインフレを起こすのは不可能なのだ。 U 国家財政に財源という制約がないということは、課税によって財源を確保する必要はないということを意味する。 もちろん、MMTは、無税国家が可能だと主張しているわけではない。もし一切の課税を廃止したら、通貨の価値が暴落して、それこそハイパーインフレになってしまう。そこで、インフレを抑制するために、課税が必要となる。 つまり、増税は、インフレ抑止の手段なのだ。逆に言えば、減税は、デフレを阻止する手段である。また、格差是正のための累進所得税、あるいは地球温暖化対策のための炭素税など、政策誘導のためにも課税は有効である。 要するに、課税は、財源確保の手段ではなく、物価調整や資源再配分の手段なのである。日本は、長期のデフレ下で、消費増税を行い、今年、再度、消費増税を予定している。これは、MMTからすれば、デフレを悪化させる愚行でしかない。 . MMTが突きつける不都合な「事実」 V 量的緩和では、貨幣供給量を増やすことはできない。 黒田総裁率いる日本銀行は、2013年から大規模な量的緩和(準備預金の増加)を実施し、貨幣供給量を増やしてデフレを克服しようとしてきたが、結果は、周知のとおり失敗に終わっている。 その理由は、「貸出しが預金(貨幣)を生むのであって、その逆ではない」という信用創造の「事実」を知っていれば、明白である。デフレ下では、企業など借り手に資金需要が乏しい。それゆえ、銀行は貸出しを増やすことができないので、貨幣供給量は増えないのだ。 銀行の貸出しの増加が貨幣供給量を増やし、それに応じて準備預金が増えるのであって、その逆ではない。そうである以上、日銀が量的緩和をやっても、銀行の貸出しは増えるはずがないのだ。 W 財政赤字が民間資金を逼迫させ、国債金利を上昇させるというようなことは、あり得ない。 この理由も、貨幣や信用創造の「事実」を理解していれば、容易に分かる。銀行の貸出しは、預金を元手としない。反対に、貸出しが預金を生む。これは、政府の場合も同じである。すなわち、財政赤字は、それと同額の民間貯蓄(預金)を生むのだ。 もう少し説明すると、こうなる。 政府が赤字財政支出をするにあたって国債を発行し、その国債を銀行が購入する場合、銀行は中央銀行に設けられた準備預金を通じて買う。この準備預金は、中央銀行が供給したものであって、銀行が集めた民間預金ではない。そして、政府が財政支出を行うと、支出額と同額の民間預金が生まれる。つまり、財政赤字の拡大に依って、貨幣供給量は増えるのだ。 したがって、「財政赤字によって資金が逼迫して国債金利が上昇する」などということは、起きようがない。実際、日本では、過去20年にわたり、巨額の政府債務を累積し続ける中で、長期金利は世界最低水準で推移してきたのである(図1)。 https://facta.co.jp/article/201908017.html
以上の@からCは、いずれも主流派経済学者や政策当局者が主張してきたことと、ことごとく正反対である。それゆえ、ほとんどの主流派経済学者や政策当局者がMMTを激しく批判するのも当然であろう。
しかし、MMTには、この上なく強力な味方がいる。 それは「事実」である。 そもそも、MMTがその出発点とする貨幣論は、現代の貨幣に関する否定し得ない「事実」を説明したものに過ぎない。 また、日本は、巨額の政府債務残高を抱えながら財政破綻していない。1997年の消費増税以降、デフレに陥り、2014年の消費増税によってデフレ脱却に失敗している。量的緩和が物価上昇に失敗している。そして巨額の財政赤字にもかかわらず、長期金利は世界最低水準で推移している。いずれも否定し得ない「事実」である。 主流派経済学者や政策当局者がMMTをやっきになって批判している理由も、これで分かるだろう。MMTは、彼らに不都合な「事実」を突き付けたからだ。 再度、強調しておこう。 主流派経済学者たちが「馬鹿げている」「トンデモ理論だ」と揶揄している相手は、「事実」なのである。では、MMT(=「事実」)に基づいて考えた場合、今後の日本経済はどうなるのか、そしてどうすべきかを簡単に論じておこう。 . 行うべきは「減税」と「財政支出拡大」 本稿執筆時点では、急速に景気が悪化しているにもかかわらず、政府は財政健全化の旗を降ろしていないどころか、10月に消費増税を予定している。消費増税による景気の悪化に対しては、政府は景気対策を、そして日銀は量的緩和の追加を行う構えである。 しかし、その結果は火を見るより明らかだ。デフレ不況の深刻化である。 そもそも、主流派経済学者も認めるように、財政赤字の拡大はインフレを招く。ならば、財政赤字の縮小がデフレを招くのは当然であろう。また、消費への課税は、間違いなく消費を抑制する。温室効果ガスへの課税(炭素税)が温室効果ガスの排出を抑制するのと同じ道理である。 消費増税による不況を景気対策で克服すると言うが、それは、増税による税収を上回る規模の財政支出を行うしかない。ならば、なぜ、そもそも消費増税をしなければならないのか。社会保障費の財源として必要だと言うが、既に述べたように、課税は財源確保の手段ではない。自国通貨を発行する政府は、そもそも財源を懸念する必要はないのだ。 そして、量的緩和の追加など、何の意味もない。準備預金(マネタリーベース)をいくら増やしたところで、貸出しが増えない限り、貨幣供給量は増えず、デフレから脱却することはできない。それどころか、量的緩和でこれ以上金利を下げてしまったら、銀行の経営を圧迫し、かえってデフレ圧力を引き起こしかねない。 したがって、日本政府が行うべきは、消費増税の中止(できれば減税)、そして財政支出の拡大である。量的緩和についても、それを終了する「出口戦略」を模索すべきだ。要するに、主流派経済学や政策当局の主張とは正反対のことをやるべきなのだ。 これが、MMTから導き出される政策提言である。それでもなお、MMTの主張を受け入れがたいというのであるならば、再び「事実」を示しておこう。図2である。 https://facta.co.jp/article/201908017.html
この図から明らかなように、GDPと財政支出は、ほぼ相関している。1990年代後半以降、財政支出が抑制され続けているが、同時にGDPも成長を止めている。そして、マネタリーベースがいくら増えても、GDPは増えなくなっているのである。
この「事実」を見てもなお、MMTよりも、主流派経済学や政策当局の方が正しいと言えるのだろうか? https://facta.co.jp/article/201908017.html ▲△▽▼ MMTを批判するエリートたちのどうしようもない愚民観 日本のMMTブームの仕掛け人・中野剛志(評論家)が緊急寄稿 中野 剛志 2019年07月29日 https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/10477 MMTブームは、エリートたちにとって、ちっとも面白くない。 MMT(現代貨幣理論)を巡る論争は、提唱者の一人ステファニー・ケルトン教授が7月16日に来日したこともあり、ますます盛んになっています。 (参考:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190725/k10012008501000.html)
MMTの主張を一言で言うと、「自国通貨を発行できる政府はデフォルト(財政破綻)しないので、高インフレでない限り、財政赤字を拡大してよい」というものです。 なお、ここではMMTの詳しい説明は省きますが、ご関心の方は、下載の記事をご覧ください。 https://facta.co.jp/article/201908017.html もっとも、論争が盛んと言っても、政策当局はもちろん、経済学者、アナリスト、ジャーナリストの間では、MMT批判の方が、圧倒的に多い。 つまり、政策に大きな影響を与えられる立場の人たち(いわゆる「エリート」)は、ほぼ全員、MMT批判者というわけです。 普通であれば、これでは、MMTが陽の目を見ることは、まずないですね。 ところが、どうも、いわゆる「エリート」ではない一般の人々の間では、SNSなどを通じて、MMTに対する理解や支持が広がりつつあるように感じます。 これは、アメリカでも起きた現象らしいです。 実に面白いですね。 いや、エリートたちには、ちっとも面白くない。 そこで、彼らは、MMTに「ポピュリズム」というレッテルを貼りました。 MMTなんかを支持する連中は、「財政赤字は心配ない」などといううまい話に乗せられた無知蒙昧な「愚民」だとでも言いたいのでしょう。 では、なぜMMTはダメなのかと言うと、エリートたちによれば、「いったん、財政赤字の拡大を許したら、インフレが止まらなくなる」からなのだそうです。 というのも、「国民は、歳出削減や増税を嫌がるので、インフレでも、財政支出の拡大を止められない」からなのだそうです。 (参考:https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/10463) でも、高インフレで自分の生活が大変なのに、なお財政支出の拡大を要求し続ける国民がいるとしたら、これ、相当の「愚民」ですよ。 ということは、MMTを批判するエリートたちは、「日本の国民は、愚民である」という大前提を置いているということになります。 乱暴に言えば、「なにぃ、インフレがひどくなる前に、財政赤字を削減するだとぉ?そんなこと、お前ら愚民どもに、できるわけないだろーが!」というわけですね。 もちろん、日本国民は、そんな「愚民」ではありません。 その証拠に、戦後日本において、財政赤字の拡大を放置したがために、インフレが止まらなくなったことなどないのです。 (参考:https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/10462) それに、そもそも、インフレが止まらなくなるなどということは、めったに起るものではありません。 説明しましょう。 インフレとは、需要(消費と投資)が過剰になり、供給が不足することで発生します。 他方、インフレ(物価が継続的に上がること)とは、裏を返せば、おカネの価値が継続的に下がるということです。 おカネの価値が下がっていくなら、個人や企業は、おカネを持っておくよりも使った方がよいと考えるので、貯蓄よりも消費や投資に積極的になります。 ■あり得ない成長戦略を20年も採りつづけた平成の日本 さて、インフレでは、消費や投資が拡大して、需要過剰・供給不足になるので、ますますインフレが進んで止まらなくなるように思われるかもしれません。
しかし、そう簡単には、そうはならないのです。 それは、なぜか。 インフレで拡大するのは、消費だけではありません。「投資」も、です。 設備「投資」であれば、数年後、生産設備が完成して稼働すれば、供給力が高まります。 技術開発「投資」であれば、将来、技術革新が起きれば、供給力が高まります。 教育「投資」もまた、将来、優れた知識や技能をもつ人材を増やすので、やっぱり供給力が高まります。 要するに、インフレで拡大した「投資」は、今は「需要」を増やしますが、近い将来には「供給」を増やすのです。 したがって、インフレによって、一時的に需要過剰・供給不足になっても、少し経つと投資の成果が出て、供給力が高まるので、供給不足は解消へと向かい、インフレ圧力が弱まります。 でも、インフレが続く間は、投資は拡大し、また需要過剰・供給不足になる。 しかし、いずれ投資の成果が出れば、供給不足は解消される。 これが繰り返されます。 すると、インフレはマイルドな水準で維持されつつ、供給力が高まっていくことになります。 これこそが、経済成長の基本的なメカニズムなのです。 ちなみに、これと逆のメカニズムが働いているのが、二十年もデフレが続く日本です。つまり、デフレのせいで投資が抑制されているので、供給力は高まらず、経済成長もしないのです。 積極財政に否定的なエリートたちは、しばしば、「財政出動はカンフル注射で、短期的にしか効かない。必要なのは、潜在成長力を高める成長戦略だ」などと、もっともらしいことを言います。 しかし、財政赤字を拡大してインフレになると、民間の設備投資や技術開発投資も増えるので、それで「供給力」=「潜在成長力」が高まり、持続的な経済成長が実現するのです。 デフレ下では、財政出動なしの成長戦略など、あり得ないのです。 そんなあり得ない成長戦略を、虚しく二十年も捜し続けたのが、平成の日本でした。 ところで、高インフレの例として、よく挙げられるのが戦争です。 戦争は、どうして高インフレを起こすのでしょうか。 まず、戦争になると、軍艦や大砲の需要が、拡大します。 しかし、軍艦や大砲は、生産設備ではないので、供給力は高まりません。 平時の投資は、需要を拡大した後に供給力を高めます。これに対し、戦時の投資は、需要を拡大するだけで供給力を高めないのです。 また、徴兵によって労働者が戦争に駆り出されるので、労働者不足になり、供給力はむしろ下がります。 加えて、敵の攻撃によって生産設備が破壊され、労働者が犠牲になれば、需要過剰・供給不足は、いっそう深刻になります。 だから、戦時においては、平時と違って、インフレが高進しやすいのです。 MMTを批判するエリートたちは、よく、戦時中や終戦直後の高インフレを「歴史の教訓」として持ち出してきます。 しかし、これは「戦争をすると高インフレになる」という教訓ではあるかもしれませんが、「財政赤字を拡大するとインフレが止まらなくなる」という教訓ではないのです。 どうも、エリートたちは、MMT支持者を愚民扱いしている割には、経済について、よく分かっていなかったようですね。 むしろ、MMTについて知った一般の人々の方が、経済をよく理解しているのです。 https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/10477 ▲△▽▼ 2019年8月10日 アングル:MMT理論、5つの疑問点 Reuters Staff [ワシントン 7日 ロイター] - 米国を中心に話題となっている現代貨幣理論(MMT)について、5つの質問に対する答えをまとめた
◎主な考え方は
高名な経済学者のジョン・メイナード・ケインズと同様、MMTの提唱者らは、就労を望む人すべてが職を得るのに必要な需要が不足している時、政府が需要不足を補う上で重要な役割を担えると考えている。 経済学者ハイマン・ミンスキーの考え方も参照している。ミンスキーは金融バブルに関する仕事が最も有名だが、市場システムには完全雇用を達成できない傾向が本来備わっているとの考え方も示している。 MMT提唱者らは、ケインズと同時代の学者アバ・ラーナーの著作からも、貨幣需要に関する独自の見解を導き出している。MMTの考え方では、政府だけが発行し、かつ政府が財およびサービスに支出できる通貨で納税するよう国民に強制できる政府の権限が、貨幣需要の根幹を成す。つまり政府支出は、全景気サイクルを通じて需要を安定させる全国民への雇用を保証するプログラムなど、中核的な政策に利用できるというのがMMTの見解だ。 ◎インフレを招かないのか MMT提唱者らの考えでは、自国通貨を持つ政府には「予算制約」がない。言い換えれば、いつでも通貨を発行できるので資金が不足することはない。MMT理論では財政政策を経済安定化の主要な道具とみなしており、選挙で選ばれて政府の要職に就いた人々が雇用の保証などの目的達成に必要な支出決定を行うことに信頼を置く。 それではインフレを招くからこそ過剰な支出を監視する独立した中央銀行が必要なのだ、との指摘もある。MMT提唱者もインフレのリスクは承知しており、そのリスクが制約となって政治家に誠実な行動をとらせると考えている。MMTの枠組みでは、インフレは実物資源の限界の産物であり、インフレを抑制するために支出、税制、各産業の規制政策を決めるのは議会の役割だと見なされている。 ◎雇用はどうなる MMT提唱者は労働力を主な資源と見なしている。中心的な考え方は、労働力の過少利用が米経済の慢性的な問題であり、米連邦準備理事会(FRB)が近年、物価目標の達成に苦心している主因である、というものだ。提唱者は、就労を望む者全員に政府は雇用を保証すべきだと主張する。景気サイクルの良し悪しに応じ、民間部門の就労人数に対する政府保証職に頼る人数の割合は伸縮し、景気拡張期には民間部門が人材獲得のため賃金を引き上げる必要が生じるため、人々は高賃金につられて民間の職を求める。 ◎FRBに残される役割は MMT理論では、FRBはおおむね無駄な存在だと見なされている。MMTの枠組みでは、議会が参照金利(ゼロの場合もあり得る)を決め、FRBがそれを運用する。しかし全国民に雇用が保証されるため、完全雇用を達成するというFRBの責務は形骸化する上、物価も財政的な手段によって制御されることになる。FRBには金融監督の役割が残るほか、危機時の「最後の貸し手」機能も維持される。 ◎裏目に出ないか MMT理論では、選挙で選ばれた要職者および政府の規制機関に大きな信頼が置かれ、これらが正しく振る舞い、予算運営で卓見に富み、物価も非常に正確に制御できるとされている。批判派は、金融市場と世界的な資金フローが反乱を起こす可能性が見過ごされている、と指摘する。 MMTの枠組みでは、為替は変動相場制となる。米国財政への信頼が失われればドルが下落し、輸入物価の上昇を通じてインフレが起こったり、さらに悪いことに金融危機につながる恐れがある。 ▲△▽▼ 左派が反緊縮でなく「消費増税に賛成」する理由 「道徳」として語られてしまいがちな財政問題 2019/11/19 https://toyokeizai.net/articles/-/311879?display=b MMTに賛同する左派が「消費増税」に賛成する理由とは?(写真:freeangle/PIXTA) 内外で議論の最先端となっている文献を基点として、これから世界で起きること、すでに起こっているにもかかわらず日本ではまだ認識が薄いテーマを、気鋭の論客が読み解き、議論する「令和の新教養」シリーズ。 前回に続き、経済評論家でクレディセゾン主任研究員の島倉原氏が監訳をつとめた『MMT現代貨幣理論入門』を基に、同氏と中野剛志(評論家)、佐藤健志(評論家・作家)、施光恒(九州大学大学院教授)、柴山桂太(京都大学大学院准教授)の気鋭の論客4人が、主権、言語、宗教などを切り口に同書をめぐって徹底討議する。 『MMT現代貨幣理論入門』 https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4492654887/asyuracom-22?p=tk
MMTと左翼 島倉原(以下、島倉):MMTの議論に賛同する学者は、なぜみんな左派なんでしょうね。 佐藤健志(以下、佐藤):保守、ないし右派が新自由主義に走ったことに対抗したいのでしょう。先進自由主義諸国では1970年代後半から「福祉国家路線など続けたら行き詰まる。小さな政府で民活路線だ」という風潮が強くなった。日本でもこれが「新保守(主義)」などと呼ばれ、のちの構造改革路線につながります。そんな状況の下「大きな政府で社会保障と格差是正を」と主張したい左派が、理論的基盤としてMMTを見いだしたのだと思います。
柴山桂太(以下、柴山):確かに、左派が「緊縮財政」に対抗する論理を模索するなかで、MMTが出てきたという印象はありますね。 中野剛志(以下、中野):MMT派経済学者のビル・ミッチェルが「MMTはディスクリプティブ(記述的)な理論で、政治的な右左は関係ない」といっていましたが、実際にMMTを唱えている人たちはこの本の著者のランダル・レイを含め、イデオロギー的には完全にリベラルです。ただナショナリズムを強く出しつつMMTを語ることも可能で、MMTはニュートラルだそうですから、私はそっちのほうで語らせてもらっています(笑)。 施光恒(以下、施):たぶん彼らはそれをされるのが嫌なんでしょうね。日本のMMT支持者の多くも、これを論拠に積極財政を進めたい人たちだと思いますが、日本の場合はなぜか、左翼が必ずしも積極財政ではないですね。
これから世界で起きること、すでに起こっているにもかかわらず日本ではまだ認識が薄いテーマを、気鋭の論客が読み解き、議論します。この連載の記事一覧はこちら
佐藤:その理由や経緯については、私の『平和主義は貧困への道』をご覧ください。 中野:僕は最近、朝日新聞から取材されて、「欧米で反緊縮の流れが出ているのに、なぜ日本では出てこないのか」と聞かれました。 柴山:僕のところにも朝日新聞の記者が取材に来て、「どうして左派は消費税増税に賛成するんでしょう」と聞かれましたよ。 中野:自分の胸に左手を当てて考えなさい、と(笑)。 通貨と主権 施:著者はMMTを論ずるうえで、先進国と途上国では前提が異なるといっていますね。 中野:例えば、国家としての徴税権力が確保できていないと、通貨制度や財政制度はうまく機能しません。また、多くの途上国は変動相場制をとれないので、財政政策も国際収支の制約を受けてしまう。 島倉 原(しまくら はじめ)/経済評論家、株式会社クレディセゾン主任研究員。1974年、愛知県生まれ。1997年、東京大学法学部卒業。株式会社アトリウム担当部長、セゾン投信株式会社取締役などを歴任。経済理論学会および景気循環学会会員。会社勤務の傍ら、積極財政の重要性を訴える経済評論活動を行っている。著書に『積極財政宣言─なぜ、アベノミクスでは豊かになれないのか』(新評論)、監訳書に『MMT現代貨幣理論入門』(L・ランダル・レイ著、東洋経済新報社)がある(撮影:渡辺智顕)
島倉:現実に途上国の多くが通貨をドルにペッグしているのは、工業化を目指して海外から設備や技術を導入するにも、「ドルと固定レートでの交換を保証します」といわないと取引が難しいからでしょう。 柴山:経済発展の初期段階では、やはり健全財政と固定相場制は不可欠なんですよ。それなしで発展した国はない。 佐藤:戦後日本も、1ドル=360円の固定相場に支えられて成長しましたね。 島倉:MMTによれば、経常赤字を拡張しても大丈夫なのは、発展途上段階を超え、通貨が信用を得られた国だけだということです。 施:私は先進国と途上国の違いを考えたとき、おそらく政府に対する国民の信頼が問題なんじゃないかと思うんです。通貨にしても、徴税の仕組みなど政府が作り出す秩序にしても、それが揺らぎそうになったときに、国民が政府を信頼し、自分たちが国を支えるという姿勢や意欲がないと、安定を担保できないということじゃないでしょうか。 島倉:私もそう思います。逆に政府も通貨の安定や完全雇用をきちんと追求していかないと、国民に支えられなくなってしまうということもありますね。
中野 剛志(なかの たけし)/評論家。1971年、神奈川県生まれ。元・京都大学工学研究科大学院准教授。専門は政治経済思想。1996年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2001年に同大学院より優等修士号、2005年に博士号を取得。2003年、論文‘Theorising Economic Nationalism’ (Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。主な著書に山本七平賞奨励賞を受賞した『日本思想史新論』(ちくま新書)、『TPP亡国論』『世界を戦争に導くグローバリズム』(ともに集英社新書)、『国力論』(以文社)、『国力とは何か』(講談社現代新書)、『保守とは何だろうか』(NHK出版新書)、『官僚の反逆』(幻冬舎新書)などがある(撮影:今井 康一)
佐藤:レイがJGP(就業保証プログラム)を主張する根拠も、完全雇用と物価安定の達成でした。 施:政府がそういう政策をとらないと、実は貨幣も不安定になるわけですね。 中野:社会の安定なしでは貨幣の安定もないから、お互い支え合っている面がありますね。 島倉:ケインズ経済学者のアバ・ラーナーなどは、まさにそう言っていますね。政府が通貨と社会を安定させられなかったことによりファシズムが出現し、世の中が荒んだと。日本で言えば、日本円という通貨で運営される経済がそれなりに満足のいくものでないと、「やってられねえ」という話になって、過激な考え方が支持されるようになる。 佐藤:「貨幣」と並ぶMMTのキーワードは「主権」です。政府の役割を小さくしたがる新自由主義とはそこが根本的に違う。本書のサブタイトルも、日本語版では「現代貨幣理論入門」ですが、本来は「A Primer on Macroeconomics for Sovereign Monetary Systems(主権に裏打ちされた貨幣システムのためのマクロ経済学入門)」。政治的主権の行使(経世済民の達成)には積極財政が求められるが、それには経済的主権(通貨発行権)が不可欠だから、2つの主権を切り離してはいけないというのがMMTの真の骨子でしょう。 MMTでは民主主義を警戒している…? 中野:ミッチェルは別の共著で、「主権国家の存在意義を認めないと民主主義も成り立たない」と論じています。ただちょっと不思議なのは、MMTでは政策の重要性を認める一方で、裁量的な政策には総じて否定的なんです。ケインズなどは「社会には不確実性があるから、完全な制度設計などできない」という考えで、裁量は必要なものとみていた。ところがMMTでは就業保証プログラムにしても、政府の介入の余地をできるだけなくすべきだとして、自動安定化装置を一生懸命提案している。 佐藤:左翼性の表れというべきか、妙に設計主義なんだ。 中野:そうなんですよ。どうも民主主義を警戒しているというか、「選挙に決定を任すと、富裕層に有利になる」と心配しているようにみえる。 佐藤:レイも「(公共目的の達成を)よりうまく実行できるのが、民主的な政府であると長らく考えられてきた。しかしながら、どのような形の民主制が採用されるべきかは明白でない」と述べました(363ページ)。遠回しな表現ですが、民主主義に懐疑を呈している。
中野:まあ、選挙でトランプが選ばれているのをみたら、そうもいいたくなるかと(笑)。 MMTは世界政府型グローバリズムを肯定する理念である 佐藤:同時に提起したいのは、MMTは反新自由主義だが、反グローバリズムではない点。例えば世界政府が樹立されて、単一通貨のもと積極財政を行っても、政治的主権と経済的主権が一致している以上、問題はありません。いや、国家間の経済格差が是正しやすいぶん、そのほうが現在の主権国家システムよりも望ましいことになるでしょう。 佐藤 健志(さとう けんじ)/評論家、作家。1966年、東京都生まれ。東京大学教養学部卒業。戯曲『ブロークン・ジャパニーズ』(1989年)で文化庁舞台芸術創作奨励特別賞を受賞。『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(文藝春秋、1992年)以来、作劇術の観点から時代や社会を分析する独自の評論活動を展開。主な著書に『僕たちは戦後史を知らない』(祥伝社)、『右の売国、左の亡国』(アスペクト)など。最新刊は『平和主義は貧困への道』(KKベストセラーズ)(写真:佐藤 健志)
『MMT現代貨幣理論入門』の6章では、ユーロの問題が論じられています。ユーロこそは、政治的主権から経済的主権を切り離すと大変だという見本ですが、ナショナリズムの立場を取るのであれば、EU各国に通貨発行権を戻してやる(=既存の政治的主権に合わせて経済的主権を再設定する)のが正しい解決策のはず。 ところがレイは、ユーロ圏を解体する手もあるとは認めつつ、「全ユーロ圏中央財務省」をつくって「より完全な統合」を目指すほうに、明らかに肩入れしている。要は経済的主権の規模に合わせて政治的主権を再設定し、EUを1つの国家にまとめろと主張しているのです(345〜350ページ)。 この発想が、「EUグローバリズム」でなくてなんなのか。MMTはナショナリズムの肯定にも使えますが、世界政府型グローバリズムを肯定する理念でもあるのです。 施:ユーロ問題についての結論部分については、私は「だからやはりEUは難しいのではないか」と解釈しました。佐藤さんもおっしゃるように、素直に考えれば「主権国家の枠に合わせて、通貨発行の主権も決めるべき」ということにならざるをえないと思うんです。 施:国家の主権の枠から外れた通貨を、はたして1つひとつの国の人たちがどこまで支えようとするのか。もし外から攻撃されたとき、多くのヨーロッパ人は自分の国のためには死んでも、EUのためには死なないでしょう。EUが作ったユーロという通貨も、うまくいっている間はよくても、危機には弱い存在だと思います。 その意味で私は通貨主権の議論は、グローバリズムに向かうより、ナショナリスティックに解釈するのが自然ではないかと思うんです。 言語と貨幣の類似性 施:MMTの課税と貨幣のアナロジーは、他の分野にも使えないかなと思ってしまいますね。「租税を自国通貨で賦課するから、貨幣が国民に求められ、流通するようになる」という話でしたが、同じようなことが例えば言語にもいえるんじゃないかと思うんです。 施 光恒(せ てるひさ)/政治学者、九州大学大学院比較社会文化研究院教授。1971年福岡県生まれ。英国シェフィールド大学大学院政治学研究科哲学修士(M.Phil)課程修了。慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程修了。博士(法学)。著書に『リベラリズムの再生』(慶應義塾大学出版会)、『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』 (集英社新書)、『本当に日本人は流されやすいのか』(角川新書)など(写真:施 光恒)
ある言語を公用語として国が定め、その言葉で大学入試や公務員試験や行政サービスを行う。高等教育が受けられ、雇用や行政サービスを享受できるようになるということで、その言語が流通するようになる――と考えると、昨今の日本のように「英語化」を進め、大学入試や公務員の雇用、行政サービスも日本語でなくて英語でもよいという流れが続いていくと、日本語が流通しなくなる可能性もあるのではないか。 柴山:なるほど。ドルの使用を国内で認めるようなものですね。 中野:どの国の国語でも、多様な地域言語を国家によって1つの公式言語に統一するという過程を経ていますね。国民としてのアイデンティティーを確立する目的で、ある意味でのホモジナイゼーション(画一化)に向かう。 佐藤:その典型がインドネシアです。オランダの植民地だったという以外、大してつながりのない1万3000もの島々からできている国なので、海上交易のために使われていた「海峡マレー語」を基礎に、インドネシア語という言語を新たにつくることになった。 中野:公式言語の成立と国民国家の成立、自国貨幣の成立は、どの国でもたぶんかなり軌を一にして行われていると思いますね。フランスもフランス革命以前は、今と同じフランス語をしゃべっている人はあまりいなかったらしいです。 佐藤:日本も同じですよ。江戸時代、幕府の隠密が鹿児島あたりに行くと、城には忍び込めても、肝心の会話が聞き取れなかった。まだ標準語がなかったわけで。 施:地域によって多様だった日本語が共通語として確立したのは、明治政府が意図して統一したからですね。国が公務員を雇うときに習得を課したり、公教育で教えることを義務づけたりすることによって、特定のコンテンツが国内に流通し、国民に共通する文化として支えられ、信頼されるようになってゆく。ある種の共通性、同質性を政策的に醸成していくことで、社会に複雑かつ高度な秩序が生まれ、法律や制度、経済システムが機能するようになる。例えば度量衡もそうでしょう。近代社会とはその意味で、国家、ならびに国家が政策として行うある種の標準化に支えられている存在だといえるのではないでしょうか。
財政と宗教 佐藤:『MMT』では人々が貨幣を保有しようと思う動機として、納税の必要を挙げています。ところが10章を読むと、実は宗教も絡んでいることがわかる。 柴山 桂太(しばやま けいた)/京都大学大学院人間・環境学研究科准教授。専門は経済思想。1974年、東京都生まれ。主な著書にグローバル化の終焉を予見した『静かなる大恐慌』(集英社新書)、エマニュエル・トッドらとの共著『グローバリズムが世界を滅ぼす』(文春新書)など多数(撮影:佐藤 雄治)
負債を返済することを「償還」といいますが、これにあたる英語は「redemption」。罪を贖うという意味の言葉です。返済が「罪滅ぼし」なら、負債を抱えるのは罪のはずでしょう。しかも債務によって預金が生まれるのは「(信用)創造」。英語なら「(money) creation」ですが、「ザ・クリエイション」と言ったら天地創造です。 レイは「redemption」について、「貨幣に関しても宗教に関しても重要なこと」(270ページ)とまで書きました。ならば貸し借りのない状態が「エデンの園」にあたり、負債発生による貨幣創造が「失楽園」にあたる。その貨幣を、返済や納税によって償還させることで罪が許される。まさしく「帳消しだ。ハレルヤ!」(502ページ)です。 施:私もこの本にはキリスト教的な、神学的文脈を感じました。 柴山:デヴィッド・グレーバーも『負債論』で、貨幣の起源には神への負債という宗教的な物語がある、と指摘していますね。古代オリエントでは納税の代わりに生け贄を差し出したりしていた。そうすると、納税は神への負債を清算する行為だということになる。そうした宗教的な発想は、今も無意識的に続いているのかもしれません。 佐藤:「緊縮財政」も英語では「austerity」。なんと「禁欲」という意味です。なるほど、聖書の定める七つの大罪には「金銭欲(強欲)」が含まれますからね。 柴山:自らを律する、ということなんでしょうね。近代経済学の父アダム・スミスも緊縮論者ですが、その背景にもどこかストイックなものを感じます。 佐藤:反緊縮財政は「anti-austerity」ですが、「反・禁欲」となると、欲望のままにという感じで背徳の匂いがする。そもそも「赤字」といいますけど、赤は扇情的な色です。
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中野:「財政規律」といったら気分がよくなるとかね。財政出動派の先生たちもそのことでは困っているようです。「借金は悪」という頭があるから、「国債を発行しろ」というと、みんな嫌な顔で反応する。 佐藤:「借りることは罪である」という概念がなかったら、返済が「贖罪」になるはずがない。金融危機に陥った国は、韓国であれギリシャであれ、IMFによって緊縮財政を強いられますが、あれも禁欲で罪を贖えということでは。占領中に成立したわが国の財政法が、国債の発行を原則禁止しているのも、これと無縁ではないでしょう。 中野:そうか、均衡財政は宗教だったんだ。確かにこの20年あるいは30年、まったく結果が出ていない中で、今も「緊縮、緊縮」といい続けているのは、理屈ではなくて何らかの信仰があったからなんでしょうね。 日本の財政の流れを変えるには… 島倉:何がなんでもプライマリーバランスの黒字化優先という日本の財政の流れを変えるにも、理屈だけでは無理なのかもしれませんね。 柴山:財政問題は、いつも道徳問題として語られますから。 中野:MMTを持ち出すまでもなく、主流派経済学の中でも、IMFのチーフエコノミストだったオリヴィエ・ブランチャードやノーベル経済学賞を取ったポール・クルーグマン、あるいはローレンス・サマーズらは日本に対して「消費増税はしてはいけない」とか、「財政出動すべきだ」と言っているんですよ。でも、それも聞こうとしない。 柴山:彼らも長期的には均衡財政の考えに立つので、MMTよりは受け入れやすいと思うのですが、世論が「財政健全化」で固まってしまった日本ではそれも難しい。 中野:おそらくずっと消費増税を唱えてきた人々にとっては、景気が悪化しているからといって、今さらそれを引っ込めるのは、政治的敗北だということなんでしょう。そこはマスコミも財界人も経済学者も皆同じ。失敗が見えてきたにもかかわらず意見を変えない理由は、自分の政治生命を守るためなんですよ。 佐藤:負けが見えているのに対米開戦したのと同じメカニズムですね。 中野:そのとおり。金解禁と緊縮財政をやって日本を恐慌にたたき込んだ井上準之助も、誰の目にも失敗が見えている中でも、死ぬまで「私が間違っていました」とは言わなかったそうです。それを言ったら、井上の政治的敗北だから。 柴山:思い返せばその当時、『東洋経済新報』主筆だった石橋湛山は反緊縮の論陣を張っていたわけで、いま東洋経済が『MMT現代貨幣理論入門』を刊行するのは、会社の伝統に忠実な選択といえるのかもしれません(笑)。 中野:MMTは実は、「モダン・マネタリー・湛山」の略だったのかも(笑)。
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