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ネアンデルタール人の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/796.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 4 月 16 日 11:01:17: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 現生人類の起源 投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 19 日 11:03:45)


ネアンデルタール人の世界

2020年04月16日
竹花和晴「ネアンデルタール人と彼等の死、特に埋葬と墓」
https://sicambre.at.webry.info/202004/article_23.html

 本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究A01「アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2019年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 25)に所収されています。

公式サイト パレオアジア文化史学
http://paleoasia.jp/


にて本論文をPDFファイルで読めます(P99-113)。
http://paleoasia.jp/wp-content/uploads/2020/03/A01_2019-report-1.pdf


この他にも興味深そうな論文があるので、今後読んでいくつもりです。

 本論文が対象とするネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)は、125000〜37000年前頃までで、後期ネアンデルタール人と言えそうです。本論文は、ネアンデルタール人の死に関わる埋葬と、そのイメージの変遷を検証しています。ネアンデルタール人の埋葬例は、スペインからウズベキスタンまでの広範囲で確認されています。本論文は、16〜19遺跡という数を提示しています。しかし本論文は、じっさいには39基の初期埋葬墓が確認されているだけと指摘します。そのうちの18基は、代表的な2遺跡に由来します。一方は、フランス西部ドルドーニュ(Dordogne)県のラフェラシー(La Ferrassie)遺跡(8基)で、もう一方はイラク北東部クルディスタン地域のシャニダール洞窟(Shanidar Cave)遺跡(10基)です。

 人類の埋葬かもしれない事例としては、後期ネアンデルタール人よりもずっとさかのぼる、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡( 以下、SHと省略)が知られています。SHは、入口からまったく光の届かない全暗黒の中、屈曲した洞内の最奥の一角となり、一度はまれば人類も多くの他の動物も脱出できません。SHでは少なくとも28個体分となる6700個以上の人骨が発見されており、その年代は43万年前頃と推定されています。非人類動物化石も発見されていますが、草食動物の骨はなく、肉食動物の骨には解体痕のような人類による消費の痕跡が確認されていません。石器は両面加工石器(biface)が1個発見されているだけです。この石器を副葬品と解釈する研究者もいます。SH集団はハイデルベルク人(Homo heidelbergensis)と分類されてきましたが、形態学的にも遺伝学的にも広義の早期ネアンデルタール人と考えるのが妥当と思われます(関連記事)。

 ネアンデルタール人の埋葬に関する研究は、最初に確認されたフランスではとくに進んでいます。ラシャペルオーサン( La Chapelle-aux-Saints)遺跡のネアンデルタール人男性は脊椎骨に障害を抱えており、主要な歯も失っていたことから、介護を受けながら死に、丁寧に埋葬された、と考えられています。ラフェラシー遺跡では合計7個体のネアンデルタール人遺骸が発見されており、「集団墓地」とさえ言えそうな様相を示します。ラキーナ(La Quina)遺跡では27個体が発見されていますが、20世紀前半に発掘され、ネアンデルタール人の埋葬はなかったとの固定観念のもと、埋葬に関する研究は進まなかったそうです。

 ネアンデルタール人の人肉食は複数の遺跡で指摘されていますが(関連記事)、本論文は、民族学的な猟奇的共食い風習(cannibalisme)と単に人肉嗜食(anthropophage)を区別しなければならず、ネアンデルタール人においては後者が考えられる、と指摘します。本論文は基本的に、ネアンデルタール人における食養生上(diététique)の消費のみを対象としていますが、フランスのシャラント(Charente)県にあるマリヤック(Marillac)遺跡では、儀式などそれ以外の目的での食人の可能性が指摘されています(関連記事)。

 ネアンデルタール人による埋葬を認めない研究者も、アメリカ合衆国を中心にいますが、本論文は、ネアンデルタール人に対する伝統的固定観念に囚われた、あまり生産的ではない批判と、冷ややかに評価しています。本論文は、家族的細胞構成員がその「死」を明らかに認識し、死肉漁りの肉食獣等の蹂躙から保護して、その生前の存在を、彼らの活動領域の特定の場所において象徴化もしくはモニュメント化する行為は、現生人類(Homo sapiens)のみではなくネアンデルタール人においても明確に認められる、と指摘します。19世紀以来の蔑視と先入観が学術上の弊害をもたらす要因として存在するものの、より詳細なデータ収集と正しい比較検討を継続せねばならない、と本論文は提言しています。


参考文献:
竹花和晴(2020)「ネアンデルタール人と彼等の死、特に埋葬と墓」『パレオアジア文化史学:アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2019年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 25)』P99-113

https://sicambre.at.webry.info/202004/article_23.html  

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コメント
1. 中川隆[-13264] koaQ7Jey 2020年4月16日 11:02:45 : 3zG3vXsbVg : cnNzTTVyU1Y2dGM=[3] 報告

日本人はネアンデルタール人の生き残り?
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/105.html

4代前にネアンデルタール人の親、初期人類で判明
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/620.html

2. 2020年7月13日 08:39:07 : 3D1wqyEMnw : UnlqR25GdkN5VGs=[1] 報告
雑記帳 2020年07月13日
ネアンデルタール人と現生人類における儀式の進化的起源
https://sicambre.at.webry.info/202007/article_15.html

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類(Homo sapiens)における儀式の進化的起源に関する研究(Nielsen et al., 2020)が公表されました。現代人の生活は、誕生日にケーキの蝋燭の火を吹き消すという世俗的な行為から、イスラム教の礼拝など明らかに宗教的な行為まで、儀式で満たされています。儀式はその遍在性と埋め込み性のため、可視的な場合と不可視的な場合があり、一過性のことも深遠なこともあります。現在、儀式はさまざまな目的を果たしており、たとえば、協力的な集団の形成、信頼機能の提供、個人もしくは集団の不安軽減、文化的知識の早期と伝達などです。現代人の儀式が遍在しているように見える一方で、ホモ属の進化史において儀式がこれらの役割を果たし始めた時期は不明です。本論文は、儀式化された行動の共通遺産の範囲を調べる第一段階として、現代人の近縁系統であるネアンデルタール人の儀式的行動の事例を再調査します。


●ネアンデルタール人の分化

 ネアンデルタール人と現生人類の推定分岐年代については、かなりの幅がありますが(関連記事)、大まかには80万〜50万年前頃に収まりそうです。現代人の認知能力と行動の起源の解明について、最近縁とも言えるネアンデルタール人の研究が有用と考えられます。そこで本論文は、まずネアンデルタール人の社会的および認知的性向について現在の知見を整理します。ネアンデルタール人の起源については議論がありますが、形態学的にも遺伝学的にも、40万年以上前からヨーロッパに存在していた、と考えて大過なさそうです(関連記事)。ネアンデルタール人は中東にも拡散し、中東では5万年前頃(関連記事)、ヨーロッパでは4万年前頃(関連記事)まで存在しました。

 ネアンデルタール人はさまざまな遊動戦略を採用し、その石器技術は祖先が用いたアシューリアン(Acheulian)石器群よりも多様で、時には特定の用途に適した石器も製作しました。またネアンデルタール人は、動物の骨(関連記事)や爪(関連記事)・木材(関連記事)・貝殻(関連記事)・接着剤(関連記事)などによる、複合技術も用いていました。ネアンデルタール人の狩猟戦略も複雑で、海洋酸素同位体ステージ(MIS)3となるピレネー山脈のフランス側にあるモーラン(Mauran)遺跡では、ネアンデルタール人が誘導的なバイソンを自然の地理的罠に追い込み、大量に屠殺して消費していた、と推測されています。モーラン遺跡は数百年にわたって使用されており、適応的な文化的知識の伝達と、集団的意図の理解を通じての、専門的な地域固有の技術の維持が示唆されます。

 ネアンデルタール人の両面加工石器伝統では地域間変異が見られ、同様に世代間の文化的知識の伝達が示唆され、ムステリアン(Mousterian)の技術的連続性はユーラシア中部旧石器時代の特徴です。この技術的安定性は、同年代の現生人類との比較で議論となっています。最近の研究では、ネアンデルタール人の社会学習において多くの実験作業なしの高忠実度の模倣が主流であることにより、技術的安定性を説明できるかもしれない、と提案されています。ネアンデルタール人はさまざまな環境に住む専門の狩猟採集民で、何万年にもわたって文化的知識を伝達しました。しかし、現代人に見られるような儀式がネアンデルタール人にあったのか、議論が続いています。


●儀式と儀式的行動

 本論文はネアンデルタール人の儀式について検証するにあたって、「儀式」と「儀式的行動」とを区別し、現在の基準と定義を適用することの難しさを指摘します。儀式は、(1)厳格さと形式性と反復により特徴づけられ、(2)それは象徴性と意図のより大きな体系に埋め込まれており、(3)直接的に役立つ目的を欠く要素を含みます。要素2には、関連するある程度の継続性と共有される知識および規範性が必ず要求されます。「儀式的行動」はおもに要素1および3の行動構成です。これは反復的で冗長であり、しばしば厳格もしくは形式的に遂行され、因果的に不明瞭で目的が降格されます。儀式的行動は多くの場合、より大きな儀式の要素ですが、儀式とは異なり、象徴的に貧しい文脈で存在する可能性があります。

 因果的に不明瞭で目的が降格されることは、要素3と結びつきます。因果的に不明瞭な行動は、行動と結果の間の因果関係が観察者にとって識別しにくいものです。たとえば、水の温度を上げるため、火の上で水を加熱することは因果的に明白ですが、電子レンジでの加熱は(物理学的に説明可能ではあるものの、多くの人にとって直観的には)因果的に不明瞭です。現生人類の儀式は復元不可能なほど因果的に不明瞭で、儀式の因果関係は単に不明なだけではなく、じっさい知ることはできません。その典型例が執り成しの祈りで、これがどのように因果的に意思伝達の経路を促進するのか、なぜ他の行動よりも優れているのか、知られていないだけではなく、そのような答えは不可知です。目的の降格とは、行動を遂行する代理人の動機と目標を直観的に理解するうえで、単純な観察者が要求される程度です。たとえば、暗い部屋で蝋燭を灯すことの目的は明らかですが、暗くない部屋で蝋燭を灯すことは、文脈なしでは理解しにくい目的の降格です。

 本論文はさらに、個人主義的な儀式的行動と集団的な儀式的行動を区別します。前者は(ある程度)他の手段となる目的から解放された行動ですが、後者は、形式的・模範的・様式化されるように拡張されます。個人の場合、特異な個人主義的行動は誤った因果的信念を通じて発生する可能性があります。パンツの着用には有用性がありますが、幸運を願って特定の組み合わせでパンツを着用することは儀式的です。そのような信念は正しかったり、共有されたり、もしくは象徴的だったりする必要はなく、単に遂行が必要なだけです。同様に、強迫性障害に特徴的な反復性や形式性や義務的行動は、個人主義的な儀式的行動とみなされます。これらは儀式的ですが、「共有」および象徴性を欠いています。重要なのは、個人の儀式が集団の儀式から独立しているか、それと対立している必要はない、ということです。手段となる目的に役立つよう展開された個人主義的儀式は、集団的儀式および象徴主義と共存している、と考えられます。個人の儀式的行動は集団的儀式の必要な前兆と考えられます。


●ネアンデルタール人の儀式の証拠

 集団的な儀式的行動の証拠を探す場合、死に関連する行動が出発点として適しています。最近の研究では、霊長類の多様な種において、さまざまな死に関連する行動が報告されており、大きくは、死体の運搬・引きずり、個体もしくは集団としての死体の防御、「警戒」と明らかな悲嘆、に3区分されます。しかし非ヒト霊長類では、死者の扱い、悲しみ、慰め、その他の象徴的行動に関して、現生人類の基準に達しておらず、たとえば、悲嘆する集団構成員を慰めるような行動はほとんど観察されていません。全てではないにしても多くの場合、非ヒト霊長類のそうした行動は集団的な儀式的行動でなく、個人的な儀式的行動です。問題は、ネアンデルタール人の死に関連する行動はどうだったのか、ということです。

 死者を処置する儀式は現生人類の体験の重要部分で、意図的な埋葬は儀式の存在に関する最も明確な考古学的証拠を提供します。ホモ属における意図的な死者の埋葬はイベリア半島北部で40万年前頃までさかのぼるかもしれませんが(関連記事)、明確な証拠は過去15万年間でのみ得られています。議論の余地のない埋葬の最初期の事例はネアンデルタール人で見られます。これらの埋葬は通常、人類が住んでいる洞窟もしくは岩陰遺跡で見られ、死者への愛着と、死後も肉体的にも比喩的にも近くにいて安全でありたいという願望を反映している、と示唆されます。たとえば、フランス西部ドルドーニュ(Dordogne)県のラフェラシー(La Ferrassie)遺跡では、胎児と子供がおそらくは副葬品の石器とともに埋葬されていました。

 閉鎖的な場所に死者を埋葬することへの明らかな選好は、単に標本抽出の偏りを反映している可能性があります。しかし、ネアンデルタール人の遺跡では複数の収容が繰り返し行なわれ、クロアチアのクラピナ(Krapina)遺跡などでは20人以上の場合もあることから、ネアンデルタール人の埋葬は、特定の場合、少なくとも繰り返された規範的慣行だった、と示唆されます。これらの遺跡の被葬者は他の遺跡よりもずっと多く、ネアンデルタール人にとって何らかの意味があった可能性を示唆します。クラピナ遺跡では、ネアンデルタール人の被葬者に頭蓋の異常な切開が見られ、死者を儀式的に扱った証拠になる可能性が指摘されています。さらに、ラフェラシー遺跡などネアンデルタール人の埋葬において、副葬品もしくは墓標の存在の可能性が指摘されています。ネアンデルタール人の埋葬儀式に関しては議論が続いていますが、たとえ儀式がネアンデルタール人の埋葬の特徴ではなかったとしても、なぜ死体を閉じ込めておくのかという因果的不明瞭と、同じ洞窟を繰り返し利用する規範的行動を含む、何らかの社会認知的基盤があったようです。

 ネアンデルタール人における儀式の証拠となるかもしれないのが、鉱物顔料の広範な使用記録です。ネアンデルタール人は身体に赤と黒の顔料を使用したのではないか、と長く議論されてきましたが、ネアンデルタール人の装飾の証拠は急速に増加しており、猛禽類の爪(関連記事)や貝殻(関連記事)を装飾品として用い、その貝殻が顔料で着色されていたのではないか、と指摘されています。身体の装飾は間違いなく象徴的で、儀式的行動を含んでいた可能性があります。また、まだ議論はありますが、イベリア半島の洞窟壁画がネアンデルタール人の所産である可能性も指摘されています(関連記事)。ただ、ネアンデルタール人が洞窟壁画を残していたとしても、現生人類の事例とは異なり孤立的で、まだ具象的な絵は確認されていません。ネアンデルタール人における集団的な儀式的行動は、集団的儀式は回復できないほど因果的に不明瞭かもしれない、という定義を受け入れた場合は、とくに理解しにくくなります。


●文化伝達の儀式化

 ネアンデルタール人の石器技術は、先行集団より優れていて革新的なところも示しながら、数万年、あるいは数十万年、重大な要素に大きな変更はなく、物質文化が維持されました。この安定性をもたらした一方で、技術革新の欠如につながった特徴が問題となり、それはネアンデルタール人の生存戦略の一部として文化的知識の伝達に組み込まれた、儀式的行動の利用が一因だったかもしれません。新しい技術や行動を学ぶ時、長い試行錯誤を試みることができます。現代人はこれを行なわない傾向があり、むしろ他者を観察して模倣します。乳幼児は生後半年から、この方法で新たな物をどう使うのか学ぶことができます。2歳までに、他人を観察することによる学習は、子供が明らかに因果関係のない行動を模倣するまで強化され、過剰模倣として知られるようになります。

 過剰模倣の基礎については、アシューリアンの石器製作法にある、との見解も提示されています。重要なのは、アシューリアン石器の製作の多くの側面には、結果が意図した結果から隠れている、および/あるいは意図した結果に関連して結果が反直観的であるような過程が含まれる、ということです。たとえば両面加工石器の製作にさいして、原石の一方の表面から削るさいに、反対側の表面を叩く必要があります。これは、行動の意図を目的の降格とする可能性が高く、少なくともある程度は因果的に不明瞭とします。この技術的過程の普及が、個人主義的で独立した技術革新もしくは社会的学習の他の過程において達成されたことは、ほとんどあり得ません。

 過剰模倣は、現生人類の子供であれ絶滅人類であれ、心が儀式に従事するための社会的および認知的準備を示す最も説得的な方法である、とみなされつつあります。過剰模倣では、モデル化された一連の行動に、因果関係のない行動や、未知もしくは利用不可能な意図の推論が含まれます。しかし、いくつかの違いもあります。最も一般的には、過剰模倣では、焦点は外部の対象であり、実施者と単一の観察者のみが含まれますが、儀式的行動は常に対象を含むとは限らず、しばしば集団識別と集団結合の助けで遂行されますが、そうした行動は定義上、物質記録を残しません。しかし、過剰模倣では、因果的不明瞭と目的の降格が相乗的に機能して特有の指標を生成します。これは、特定の行動が儀式であり、これらの特徴を共有しない行動と比較して、著しく高い頻度で再現されるよう導かれる、と示唆します。

 じっさい、儀式的行動は模倣的な反応を生む傾向があり、現生人類の子供と成人は、行動のある側面を完全に機能的に余分だと認識してさえも、手順全体を模倣する傾向があります。ネアンデルタール人の用いたルヴァロワ(Levallois)技術は、ほとんどのアシューリアン石器系列よりも、階層的に削除された段階と連鎖を含むので、因果的不明瞭を克服する必要性がさらに顕著となります。これが示唆するのは、ネアンデルタール人はその出現時までに、文化的伝達(現代人にとって最も可視的なのは石器技術です)のいくつかの側面の過剰模倣者で、儀式的行動に従事できた、ということです。

 重要なのは、石器製作で採用された過剰模倣行動は因果的に不明瞭で、最初は未知であるものの、最終的には認識できる、ということです。つまり、大規模な関与と制作過程の忠実な繰り返しを通じて、余分な行動を特定できる可能性があります。石器技術の場合、現代の専門家は、階層構造において最終的な目標から行動の意図を明示的に示せます。この意味で、儀式的行動は回復できないほど因果的に不明瞭ではなく、ネアンデルタール人と現生人類の儀式的行動の区別の要点として役立つかもしれません。ともかく、個人主義的な儀式的行動への関与が増加するにつれて、それらを集団的な儀式的行動へと変換するための足場があります。ここで、子供たちは批判的になります。

 現生人類と比較して、ネアンデルタール人の学童期(juvenile)が相対的にも絶対的にも短かったとすると、成人生活に必要な技術と社会的技能を学ぶことは、探索的で経験に基づく学習というよりはむしろ、年長者の模倣による既存の知識を習得するような、直接的な指導的学習の採用だったかもしれません。現生人類の子供と同様に、ネアンデルタール人の新生児は脆弱な状態で生まれ、成熟するにつれて脳が著しく成長しました。全体的に、旧石器時代の学童期の現生人類は、より死亡率の高かった学童期のネアンデルタール人よりもストレスは少なかったようです。成人までの成長率について、ネアンデルタール人と現生人類とで有意な差があったのか、議論が続いていますが、ネアンデルタール人の生物学的および認知的成長のパターンは、同時代および後の現生人類と微妙に違っていたようです。

 比較的短い子供期とより速い成長率の重要性は、習得する文化的情報の「量」の少なさを示唆することです。現生人類では8歳まで子供期が続き、その後で学童期が4年ほど続きます。ちなみに、チンパンジーは7歳で学童期から思春期へと移行します。誕生してからの7年間で、チンパンジーは文化的情報を学べますが、木の実を割ったり白アリを釣ったりする技術といった、比較的単純で適応的な功利主義的行動の習得には制約があります。ネアンデルタール人と比較して現生人類の成長率が低かったとしたら、もっと多くて多様で社会的な情報を習得できます。空想的な遊びは、成人期における儀式の不明瞭な因果関係を理解するカギとなる構成要素になるかもしれません。

 また空想的な遊びは、別の重要な役割を担っているかもしれません。小脳と頭頂葉と前頭葉の間には深い神経接続があり、それは小脳が創造的思考の過程に役立つかもしれないと示唆されている相互接続性で、空想的な遊びの認知的な前提条件です。ネアンデルタール人と現生人類の脳の違いは、現生人類が比較的大きな頭頂葉と、とくに大きな小脳(関連記事)を持っていることです。この脳構造の違いのため、ネアンデルタール人が対象と行動に重点を置くことで実際的な状況の認知的管理の経験に豊富だった一方で、現生人類は細部への注意は劣っていたものの、創造的解決の発達と必要に応じて行動を可塑的に修正することにより長けていた、との見解も提示されています。対象とのより機能的な関与からより創造的な関与への移行は、象徴的思考拡大への道を開く可能性があり、成人期における儀式不明瞭な因果関係を理解するために重要になるかもしれません。

 また現生人類は種として、経験が広く共有され、時として拡散するような、巨大な社会的ネットワークを維持することにより、大規模な文化的総体を維持してきたようです。一方、ネアンデルタール人集団は、その後の上部旧石器時代の現生人類よりも小規模で、広く分散していた、と主張されています。文化的総体を維持するための考えられる一つの解決策は、因果的に不明瞭で目的の降格を伴うような儀式的行動を用いる、重要な生活技術の教授の強化だったかもしれません。それはネアンデルタール人の社会的背景において、それ自体より信頼出来る、と証明したかもしれません。儀式的行動を対応する情報とともに埋め込むことにより、個人はそれが与えられた権威に疑問を抱く可能性が低くなります。ネアンデルタール人の子供たちは、この仮定の下で、両親や他の共同体構成員により獲得された知識の忠実なコピーを受け取っていたかもしれません。現代の証拠が当てはまるならば、儀式的行動は過剰模倣反応を引き起こす傾向があり、それ自体がより忘れられないものとなり、技術革新と変化を抑制するかもしれないので、この解釈は効率的な解決を表しているでしょう。

 現代人の子供は、所属が理由であれ、規範性への努力を満たすためであれ、おもに社会的動機を満足させるために過剰模倣する、というのが一般的見解です。本論文は、ネアンデルタール人が単に技術獲得の動機を満たすために過剰模倣したかもしれない、と推測します。この理由により、認知能力と対応する行動が機能的目的に役立つよう進化したので、儀式的行動がネアンデルタール人の間で存在したかもしれません。現生人類でのみ、これらの能力と行動が社会的目的に役立つよう選択されました。儀式的行動と集団的な儀式との間のこの変化は、明らかに因果的に不明瞭なものから、回復できないほど因果的に不明瞭なものへの移行を示す可能性が高そうです。じっさい、ネアンデルタール人よりも大きな現生人類の集団規模は、集団内の結束強化のため、より強い社会的動機の発達を必要としたかもしれません。

 とくに、儀式的行動が、発達するだけではなく、検出可能な痕跡を残すような方法で維持されたならば、ここで関連する集団規模には別の側面があります。上述のように、ネアンデルタール人の集団規模は、ネアンデルタール人の分布域全体で現生人類よりも小さかったかもしれません。この人口密度の低さは、ネアンデルタール人の儀式の証拠が薄いことを説明できるかもしれません。儀式が考古学的記録で検出可能であるためには、個人的であれ集団的であれ、行動の特定の区分に従事する個体がいるじゅうぶんに大きな人口規模か、もしくは通時的に行なわれる充分に大規模な数を必要とします。歴史的文脈では推論的ですが、特定の行動に従事する個人がより多いと、その行動が伝わる可能性も高くなるかもしれません。これにより、記録を残すかもしれない事例がより多くなるだけではありません。それは損失に対する予防として機能するため、自律的です。何かを実践する共同体の構成員が多いほど、壊滅的事象に直面してその行動が失われる可能性は低くなるでしょう。ネアンデルタール人は儀式的動物であり、個人的な儀式的行動が可能でしたが、世界観の象徴性を共有するという意味で集団的ではなく、考古学的記録にそうした行動の信頼できる痕跡が残るほどには、各共同体で儀式的行動は充分ではなかった、というのが本論文の主張です。


●まとめ

 現生人類と比較的近い年代で最終共通祖先を有するネアンデルタール人は、協力的で社会的で知的で道具を使う種であり、過剰模倣の傾向を示した可能性が高く、儀式的行動と関連した認知能力を有していた、と示唆されます。しかし、象徴的行動と信念のより大きく共有された複合としての儀式が、ネアンデルタール人において特徴づけられていたという証拠は、広範にあるわけでも説得的でもありません。上述のように、ネアンデルタール人の考古学的記録における象徴的物質文化に関する儀式の証拠はありませんが、ネアンデルタール人の複雑な石器技術内における長期の継続性は、ネアンデルタール人の儀式的行動が、同時代および現代の現生人類とは代替的な方法で用いられていたことを示唆します。ネアンデルタール人の儀式および儀式的行動の利用は、比較的短い子供期と比較的小さな社会的集団という条件下で、世代間の技術的知識の忠実な伝達の強化に焦点が当てられていた可能性が高そうです。

 現生人類では、儀式は最初に類似の方法で機能しましたが、認知における小脳の強化された役割に支えられ、後には広範で拡散した社会的ネットワークの強化に適していました。そのような解釈は、ホモ属における儀式が、「一つの規模で全てに当てはまる」行動ではなく、種を超えてさまざまに形成される、もしくは適用されるような社会的技術だったことを示唆します。したがって、ネアンデルタール人における文化的儀式が、心理学的および人類学的理解に対応する集団的儀式との主張は過大かもしれませんが、心理学的および人類学的定義にも対応する儀式的行動のより正確な特徴づけは、より有益で容易に弁護されます。


 以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、ネアンデルタール人と現生人類との比較から、儀式が世代間の技術的知識の忠実な伝達の強化として発達してきた可能性を指摘します。さらに本論文は、ネアンデルタール人と現生人類には成長速度や脳の構造で微妙な違いがあり、それが現生人類においてのみ、そうした能力と行動が社会的目的に役立つよう選択された、と推測します。ただ、ネアンデルタール人と現生人類の成長速度に有意な違いがあったのか、まだ確定したとは言えないでしょうし、5万年以上前の儀式的行動と関連しそうな考古学的記録からは、ネアンデルタール人と現生人類とで大きな違いがあると言えるのか、疑問も残ります(関連記事)。その意味で、儀式的行動と関連しそうな考古学的記録におけるネアンデルタール人と現生人類との違いは、本論文で示唆されるような、何らかの生得的な違いではなく、人口密度など後天的な社会的背景に起因するのかもしれません。そうだとすると、現生人類とネアンデルタール人の最終共通祖先の段階で、現代人とさほど変わらないような、儀式を可能とする認知能力が備わっていたのかもしれません。

 ただ、ネアンデルタール人が、ネアンデルタール人と分岐した後の広義の現生人類系統と交雑し、後期ネアンデルタール人ではY染色体もミトコンドリアDNAも広義の現生人類系統に置換された、との最近有力になりつつある見解(関連記事)を踏まえると、現生人類と共通するように見えるネアンデルタール人の象徴的思考の前提となる認知能力は、あるいは広義の現生人類系統でのみ進化し、後期ネアンデルタール人にもたらされた可能性もあるように思います。じっさい、ギリシアで21万年前頃の現生人類的な頭蓋が発見されています(関連記事)。もちろん、これはまだ妄想にすぎないので、現生人類とネアンデルタール人も含めて、後期ホモ属の今後の研究の進展を注意深く追いかけていくつもりです。


参考文献:
Nielsen M. et al.(2020): Homo neanderthalensis and the evolutionary origins of ritual in Homo sapiens. Philosophical Transactions of the Royal Society B, 375, 1805, 20190424.
https://doi.org/10.1098/rstb.2019.0424


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