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世界の各部族の婚姻形態
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/604.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 19 日 08:19:24: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 


世界の各部族の婚姻形態


『婚姻論』付 世界の各部族の婚姻形態
http://www.rui.jp/new/chumoku/pdf/koninron.pdf


目次

■ボス集中婚の風習を残す部族
・バクツ族:中央アフリカザイール 2
・アポリジニー(オーストラリア原住民)
・アランタ族(最も原始的なアポリジニー)
・ヤップ島:ミクロネシア 3

■勇士婚の風習を持つ部族
・インディアン40部族(セネカ・イロコイ族等)
・マサイ族:南東アフリカケニア
・ヘアー・インディアン 4

■掠奪婚の風習を持つ部族
・クシカオ族:アマゾン支流シング川 5
・トアレグ:サハラ西部 6
・キクユ族:南西アフリカ
・高砂族:台湾(山地原住民) 7
・バタック族:フィリピン
・古代ゲルマン民族
・始原ローマ部族 8
・ギリシア(紀元前5〜4世紀の盛期アテナイ)
・ヘブライ遊牧民 9

■性権力→滅亡総括型部族
・バンプティー
・ピグミー:中央アフリカザイール北東
・始原ユダヤ人 10

■一夫多妻制の遊牧部族
・イピリ族:ニューギニア 11
・砂漠のベトウィン族:アラビア
・女だけの軍隊−ダホメ王国女の戦士の活躍:西アフリカ

■乱交・兄弟婚を経て交叉婚に至った部族
・ベネズエラ海岸地方の諸部族 12
・ポリネシア
・発見当時のハワイ・トンガ
・カミラロイ族等(オーストラリア原住民)
・インディアン70部族
・タヒチ島:ポリネシア 13
・トロブリアンド島:ニューギニア

■変形交叉婚の風習を持つ部族
・トダ・バタック族:フィリピン 14
・イグロット族:フィリピン
・山地バンタラム族:フィリピン
・コーイ族:インド

■交叉婚から半集団婚に至った部族
・古代ブリテン人
・後のハワイ
・ジュアング族:インド 15
・トダ族:インド
・レプチャ族:インド
・オラオン族(=チヨタ・ナグプール高原のドラヴィダ族):南インド
・ホッテントット:南西アフリカ
・ブッシュマン:南西アフリカカラハリ砂漠 16
・ウラブンナ族:オーストラリア

■交叉婚から妻問婚に移行した部族
・サモア諸島:ポリネシア 17
・バリ島原住民:インドネシア

■交叉婚・半集団婚を経て短偶婚に至った部族
・ナサゲト人:カスピ海北カザフ草原
・ナヤール族:インド
・ディエリ族:オーストラリア 18

■女の性権力が肥大した部族
・ミナンガバウ族:スマトラ
・ボナペ島:ミクロネシア
・カシボ族:アマゾン支流のウカヤリ川 19
・ワツンバ族:アマゾン支流のウカヤリ川

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■『婚姻論』付 世界の各部族の婚姻形態 類設計室理論研究会

※参考文献

『ゲルマニア』タキトゥス(AD98年頃)

:民族大移動前の古代ゲルマン人について書かれた最古の記録。
著者タキトゥスは、古代ローマの歴史家で、頽廃しつつある帝政ローマ帝国と対照させながら、 帝国の北辺を脅かす勃興期の民族の生態を簡潔な表現で描いている。


『古代社会』リュイス・モルガン(1877 年)
:著者モルガンは、アメリカの進化主義人類学者で、進 化主義の観点に基づいて、未開部族の社会形態や残存する過去の文化要素から往古の発展段階を再構 成し

乱交→集団婚→対偶婚→一対婚

という一連の婚姻史段階を設定した。19世紀の多くの学者がこの学説を継承・発展させて、進化主義学派と呼ばれる、一学派を形成した。


『人類婚姻史』E・A・ウェスターマーク(1926年)
:著者ウェスターマークは、原始乱交・集団婚論 争において反進化主義の旗標を高々と掲げ、原始一対婚説を最も早期に明確な形で主張した第一人者。

『日本婚姻史』高群逸枝(1963 年)
:昭和5年に平塚らいてうと無産婦人芸術連盟を結成、アナキズ ム系の評論活動に入るが、後半生は世俗との交渉を断ち、日本女性史の研究を終生続ける。


『アメリカインディアン神話』C・バーラント(1965年)
:ピーター・ベドリック・ブックスの「世界 神話伝説叢書」の一環である『北アメリカインディアン神話』からの訳出。


『未開人のエロス』白川竜彦(1968 年)
:探検隊や調査隊の手記をもとに、歴史的経緯をふまえて世 界各地の未開部族を紹介しているが、性にまつわる奇習に焦点を当てているため、生産様式やその男 女分担はおろか、肝心の婚姻形態すらはっきりしないものも多い。


『我ら、マサイ族』オレ・サンカン(1971 年)
:著者サンカンは、マサイ社会の有力な長老であり、 学校教育その他の悪風によって、マサイの諸慣習が失われつつある若い世代に、伝統・部族としての 一体感を伝えたいという願いが込められている。


■婚姻体系の分類

各地の未開部族の風習には、かつて乱交が存在したことを示唆するものが多い。

一部の狩猟部族を 除き、大半の部族が集中婚から一気に乱交状態に陥ったとすると、滅亡を経験し、その総括から新た な婚姻規範を設定、確立させ得た集団が生き延びたものと考えられる。(その代表が厳格な一対婚規範 を掲げたユダヤ民族やゲルマン民族である。)

ここでは、乱交を経験していない部族と乱交を経た部族に大別し、さらに婚姻制を決定づける男女の 力関係を軸に以下のような分類を行い、未開部族の多種多様な男女関係を紹介する。


@ボス集中婚の風習を残す部族
A勇士婚
B掠奪婚
C性権力滅亡総括型部族
D一夫多妻
E乱交・兄妹婚を経た交叉婚
F変型交叉婚
G半集団婚
H妻問婚
I女権制部族

以上10分類を男主導権→女主導権の流れにそって紹介する。

但しここに登場する部族の多くは、概して他部族が生活圏として不適とみなした僻地に逃げ延びて、 細々と生活してきた部族であり、それ故に今もなお未開部族のままでいるわけで、攻撃されれば滅亡した前滅亡構造の集団であることを念頭に置いておく必要がある。


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■ボス集中婚の風習を残す部族

●バクツ族:中央アフリカザイール

・生活形態−探検隊以外に白人の入っていないコンゴ奥地の大密林で狩猟。食糧に乏しく、一日一回 の食事で、主食はヤシ油、草木の根、蛆など。酷熱の日中は木陰で昼寝をし、日が傾くと男が狩り に出かけ、一日が始まる。夜は広場で男が叩く太鼓に合わせて女がダンスした後、乱交。

・集団−酋長が率いる数戸の小部落単位で移動。

・男女関係−女性は生産面での大きな貢献に加え、子供を産むことでより生産性を高める部族繁栄の 源であり、いかに男性を惹きつけて受胎率を高め、たくさんの子供を産むかが価値基準となる。従って結婚適齢期の12才頃までには、ほとんどの女性が性体験を持ち、結婚前に出産経験のある者ほ ど価値が高く、結婚の代償として男が娘の両親に渡す家畜の数も多くなる。婚姻は一夫多妻制で、 酋長になると30人もの妻を持つが、大陰唇、小陰唇にまで傷をつける割礼と結婚後につける20㌕ の足輪によって性感覚が発達した女性は、性的満足を求めることに貪欲で、好意を感じれば他部族 の男性であっても、サルのプレゼンティングと同じ要領で、ヒップを相手の目の前に突き出し挑発 する。男女とも自慰行為をする数少ない未開種族のひとつ。

※旧〈狩〉=集中婚→乱交への過渡期。1日1回の食事、蛆を食う等、極限時代に準じる厳しい自然 圧力(貧困)の下にあり、男主導のボス集中婚規範を温存させている。女の役割規範として、性役 と従役が貫徹されているが、貧困圧力故に、女は自らの存在をより性役にかけ性機能を発達させる。 その結果、性の需給バランスは保たれ、性権力は登場しない。 女が行うサルのプレゼンティングに近い挑発行為は、密猟生産時代の人類が、さらにサルに近かっ たであろうことを示す貴重な事例である。なお、多産は、貧しさ→産めよ増やせよの本能的法則で あろう。


●アポリジニー(オーストラリア原住民)
・生活形態−旧石器時代の終わり頃オーストラリアに移住。以後1606年にオランダ人がやって来るま で他の大陸や島との交流がなく、弓矢を用いず長槍やブーメランで狩猟。灼熱の砂漠地帯故に食糧 事情は厳しく、空腹に耐えきれなくなると同じ群れの仲間を殺して食べることもあり、その際は犠 牲者が乳幼児だと成人男子のみ、若い娘なら友人の男だけが食事に参加できる。

・集団−20〜50人の群れ(ホルド)でカンガルーやエミューを追って移動。酋長や族長はいない(?) が、厳しい年齢的秩序規範によって支えられている。 (集団指導者の有無−記載内容が一貫しておらず、 “指導的立場にある者”や“長老”といった表現 もあり、さらに戦争シーンを描いた文章では“酋長”が登場しているので、指導者は存在するもの と思われる。)

・男女関係−一夫多妻。但し若い娘は老人と結婚し、若い男(といっても女より晩婚)は出産年齢を 過ぎた女を妻帯する傾向が強い。


●アランタ族(白人を嫌って奥地に住み、ほとんど白人文明との接触がない最も原始的なアポリジニ ー)は、男女が思春期に達すると、親族の取り決めで男はその娘が産む娘と婚約、従って結婚は15 〜20年先になるが、結婚前の女は、婚約者の父、兄弟、血縁者であれば性交は自由に許されるので、 禁欲生活にはならない。既婚女性は、概して身持ちが堅い。他の種族では、男の友人が謝礼付きで 妻を借りたいと申し出れば、断ってはならないとするものもある。但し夫の許可なく関係すれば、 重大な犯罪行為で妻は殺されることもあり、相手の男はたくさんの償いの贈り物をした上で、夫の 攻撃を無手で受けなくてはならない。さらに夫が、その妻を要らないと宣言すれば、生涯自分の妻 とする義務を負う。姦通に関しては種族によって対処方法が異なり、他人の妻を盗んだ男は処刑さ れる種族もあれば、夫と決闘をして、勝者が妻の所有権を得る種族もある。 ※下からの要求によるボス集中婚の一部解体過程。集中婚・老若交代型と呼ぶ。旧〈狩〉の段階に近く、空腹に耐え切れず、喰人まで行うという厳しい貧困圧力の下、集団統合圧力が維持され、ボス 集中婚規範を温存させている。一部に見られる半集団婚的関係は、ボスの老齢化に伴って徐々に高 まった下からの要求(「女をよこせ」)に対する、ボスの妥協策と見れば全体が整合する。例えば、 若い男と年増女の結婚は、ボスが古手女房たちを女の当たらない若者に分配するという妥協策、女 房達の娘を15年先に与えるという取り決めは「若い女を」という若者の要求に対する妥協策、兄弟 に限り自分の女房を貸してやるという方策も兄弟に対する妥協策である。 なお、この部族の喰人習慣は、弓矢の発明の直前まで、人類が非常手段として喰人を行っていた(つ まり、それくらい飢えていた)という有力な証拠となる。


●ヤップ島:ミクロネシア 娘は初潮を迎えると、酋長による破瓜の儀式を受けることになっており、それまでは処女を守らね ばならない。儀式後は一人前の女性として扱われ、結婚することが許される。結婚の際は、夫が妻 の内股に刺青をほどこして生涯の所有権を手に入れる。 ※首長による破瓜の儀式は、明らかにボス集中婚の名残と見られ、乱交を通過していないと考えられ るが、豊かな土地、周辺部族が乱交を経ているという点で疑問が生じる。ヤップ語はミクロネシア 諸島の他の部族とは異なる言語体系を持つことから、周辺の乱交を経た部族とは全く別の部族がた どり着いたという仮説に立つ。即ち、一旦は規範が緩み、他部族に攻められ滅亡の危機を経験、そ こから脱出した小集団が、総括を行って厳格な集中婚規範により再建をはかったという、言わば滅 亡総括型部族の一つである。その後生活の安定によって規範が緩み、私有意識の増大を背景に短偶 婚・固定婚にまで解体されていったものと考えられる。



■勇士婚の風習を持つ部族

●インディアン40部族(セネカ・イロコイ族等) 発見当初には既に短偶婚に移行していたが、「長女と結婚する者は、その妹たち全てを妻にする権利 を有する」という慣習を残存させている。未婚男女間の社会的交際はほとんどなく、婚姻の取り決 めは母に委ねられ、当事者の事前の承諾を必要としない。男が娘の氏族的親族に贈り物をすること が、婚姻取引における特色。夫婦は妻の親族と一家屋内で共同生活を営み、一般的に妻には貞節が 求められるが、夫にはその義務はない。 セネカ・イロコイ族の場合には、家庭内において、妻が権力を持ち、夫が充分な生活物資を得られ なければ、直ちに離縁を申し渡す。さらに女は氏族内でも、強大な権力を握っており、酋長の最初 の任命権は女たちに属していた。 ※集団婚解体の過程で、生殖過程の全権を握る母系氏族の女ボスが勇士を選び婿に迎える(従って氏 族の姉妹は共同の妻になるという風習を残しており)、勇士婿入婚の系譜と見なすことができる。 生活力のない夫を追い出すというのも、強者選択本能の一つの表れかもしれない。

●マサイ族:南東アフリカケニア ※「我らマサイ族」S.S.オレ・サンカンより

・生活形態−ケニア南部〜タンザニア北部の高原乾燥地帯に住む生粋の牧畜民。(マサイ=牛に生きる 人)

・集団−部族連合体であるが、各部族は自立性の高い自治組織で、固有の年齢体系に基づく制度によ って統制をはかり、自前の武力組織を保有する。マサイは、火と剣で全てを滅ぼす戦士として恐れ られており、牛が不足すると牛群を持つ他民族を襲撃する。飽くなき蓄財欲から、内部でも部族間 の抗争が絶えず、部族の消滅や吸収を繰り返してきた。大きな闘いに際しては、預言者の指示が強 い影響力を持つ。敵の集落では、男を殺すことはあっても、女や割礼を受けたばかりの若い男を殺すことはない。戦利品は、偵察要員・入社組の役職者・より多く敵を殺した者・青年集落リーダー・ その他の順で参加者全員に分配される。

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・社会制度−戦闘能力を持つ少年がある一定の数に達すると、長老達によって割礼式の挙行が決定さ れ、各地域から集まった少年たちは、儀式用の小屋で4日間踊りを踊り、最後に牛が屠殺される。 この期間中に選任される入社組(エイジグループ)長は、以降入社組を指導する役目を担い、同輩 に対して強い拘束力を持つ。1〜2年後、第二の儀礼として、素手で去勢牛の角をつかみ、引き倒 して力を誇示する儀礼を行った後、自分たちの集落に戻って実際の割礼を受ける。その後剃髪の儀 礼を契機に、 “下級青年”になり、槍と楯の携帯を許される。下級青年たちは、青年村と呼ばれる新 しい集落で、外敵から土地を守る自衛戦士として何年かを過ごす。次世代の者にその役割を引き継 ぐ時期になると、 “青年昇級式”が行われ、この儀式で選任される“植樹役”が、入社組の同輩を代 表して最初に結婚する役割を担う。儀礼の最後に、植樹役が妻にする女を選ぶが、別の男と既に婚 約している等の婚姻上の諸慣習は無視される。以降、同輩たちの結婚も正式に許可され、飲乳式の 儀式を経て、制度上は長老の身分となる。 時期をずらして組織される2つの入社組は、ある時期になると1つの年令組(エイジセット)とし て編成され、成員は対等の権利と資格を有し、住居、妻を共有することができる。 ・婚姻−一夫多妻。女性は結婚に際して割礼を受ける。氏族内通婚は禁止。他民族との通婚は、男性 のみ許される。第一夫人を迎える手続は――男が見初めると、首飾りを贈り、娘の両親に結婚の意 思表明として少量の蜂蜜を送った後に、大量の蜂蜜と牛乳を送る。結婚の申し入れが受け入れられ ると、男は娘の両親に心付けの品物を贈り、式の当日、2頭の牝牛と1頭の去勢牛、2頭の牝牛と 1頭の仔羊、1頭の牝山羊を婚資として持ってくる。正式な手続を踏んだ結婚では、妻側の離婚要 求は認められず、話し合いによって離婚成立の場合も、妻は婚資の牛や羊を返却する。 ・相続−父親が死んだ場合、長男が遺産と債務を全て引き継ぎ、その後弟に分配。母親の老後の面倒 は、末息子の義務で、母の遺産は全て末子が相続。

・罰則−家畜泥棒は、同種のものを5〜9頭支払う。但し女は直接制裁を科せられることはない。殺 人罪は49頭の牛で償う。伝統的にマサイが女を殺すことはないとされているので、女を殺した場合 の罰則は定められていない。誤って殺した場合には、贖罪の儀礼を行い、死者の呪いが乗り移らな いように身を清める。 ※母系制では末子相続が一般的で、元々は母系制・勇士婿入婚であったと推定される。同類闘争圧力 の上昇以降、あるいはさらに時代が進んで遊牧が始まって以降、父系制へ転換。既に私有意識が相 当強いことを考えると、勇士婿入婚から直線的に一夫多妻制へ移行しつつある過渡期と見られる。 遊牧であるにも関わらず、上記のような結婚資格制度を持っていることは、勇士婚の時代の勇士の 資格が、いかに凄まじいものであったかをうかがわせる。


●ヘヤー・インディアン ・生活形態−カナダ北西部マッケンジー川流域で、狩猟生産を営む。タイガとツンドラの境界に接し 植生は極めて貧弱で、採集できるのは7〜9月のベリー類程度。ムースやカリブのような大型獣が 少なく、兎の罠猟に強く依存している。(推定では人と犬の食糧の 40%を狩猟、55%を漁労、5% を採集に依存。) 1904年の神父の記録によれば、息子と娘を殺し、その肉を飽食して過ごした壮年の男に罪の意識を 呼び起こそうと努力したところ、彼曰く「祖先の例にならって、私が自分の生命を保とうとしたこ とのどこが悪いのか?」人に食べられて死ぬことは「良い死」とされ、再生が保証されている。

・婚姻制度−カソリック教会が入ってくるまでは、一対婚規定はなく、多くは一夫一妻であったが、 有能な猟師は2〜3人の妻を持ち、重婚も珍しくなかった。妻同士が姉妹や従姉妹である場合もよ くある。兄弟姉妹・イトコ間の通婚はタブー。幼児婚もあるが、一般的には男が父や父方のオジも しくは父方のイトコに求婚交渉をしてもらい、娘方の両親やオジ・オバが参考意見を述べるという 手順を踏む。(拘束力は弱い。)なかでも母親の意見が重要で、良い猟師であるかどうかが重視される。結婚当初は妻方の両親のキャンプに2人のテントを張り、夫は妻の父・兄弟と協力して猟に出 かける。その後夫の両親のキャンプに合流する場合もある。(婚資の記述はない。)

・性規範−男女ともに婚前は頻繁に、婚後もかなりの頻度で複数の相手と性交渉を持つ。夫婦関係の 永続性の観念はなく、離婚・一時別居が頻繁に行われている。男女とも最大7〜8人の恋人をもつ が、長期的には男女の労働力=男がとる獲物の量と女の皮なめしの速さのバランスにより最適な相 手に落ち着いている。

・男女の役割−男は狩猟、女は皮なめしの作業に加え、ウサギやライチョウを罠で取る。女が毛皮を 動物から剥ぐ作業を行うようになったのは、1940年頃からであるが、現在でもムースとカリブの皮 剥ぎは男だけの仕事となっている。(南東に分布するチペワイアン・インディアンでは、女は絶対に 狩りはしないものとされているが、ヘヤー・インディアンは、月経時を除いて女に狩猟のタブーは なく、役割規範が柔軟で、見つけた獲物は逃さないのが第一。)

・家族形態−家族は同居するものという観念は薄く、獲物の状況や皮なめしの都合で臨機応変に夫婦 親子が分散、従って、テント仲間は必ずしも家族ではなく、メンバーも流動的で、時には男だけ、 女だけのテントも生まれる。

・私有意識−“所有者”という意識はあるが、テントやストーブ、鋸、そり等、多くの物の使用は共 同的で、他人の物も気軽に借りて返却など気にしない。個人の専用は衣類と猟の道具、犬や犬ぞり の曳き網に限られている。 ※母親の意見が尊重され、良い猟師であるかどうかが重視される、或いは、有能な猟師は複数の妻を もつ等、母系制・勇士婿入婚の慣習を残している。しかし、厳しい自然圧力の下にも拘わらず、食 糧は女の手による小動物の罠猟に負うところが大きいため、女の力が強く、かなりルーズな婿入短 偶婚に移行している。 獲物の分布に合わせた流動的テント居住であり、加えて、婚姻関係は乱交に近いものであるため、 私有意識は薄く、婚資もほとんど存在しない可能性が高い。

■掠奪婚の風習を持つ部族

●クシカオ族:アマゾン支流シング川 (1964年、数々の贈物をエサにして交歓に成功し、一年近く生活を共にしたアメリカの人類学者 ジョージ・オースチンの記録。それ以前に接触した学者は殺されている。)

・生活形態−南米アマゾン支流シング川上流で男は狩猟、女は耕作。未知の人間を見れば必ず殺す凶 暴な種族で、白人はおろか下流の土民も恐れて居住地域には近寄らない。周辺のインディオと闘争 を繰り返しており、敵の部落を襲った場合は、若い女以外は皆殺し、捕らえた女たちは、戦祝会で 敵の顔からはいだ生皮をかぶって全員で犯した後、妻又は奴隷にする。

・男女関係−酋長は複数の妻を持っているが、大半は一対婚(?)。既婚女性の姦通が判明すると、相 手の男は大量のピラニアがいる池に下半身を浸されて処刑されるが、妻は許されて、和解の席でそ のピラニアを食べるのがしきたり。既婚男性と通じた女は、男の所有権をめぐって、その妻とナイ フで決闘するが、相手を殺すことは禁じられており、概して女性の姦通に対しては寛容。

※好戦的部族の侵略で母胎集団の皆殺しに合い、生き残った数人の男が脱出、掠奪によって女を得、 部族を再建。掠奪婚の場合、女は私有財産として尊重されるため、例えば姦通に関しても、女は殺 されずに寛大に扱われる。 しかし、戦闘集団故に男の損傷が大きく、かつ掠奪を繰り返すことによって恒常的に男の数<女の 数となり、性権力は発生しない。 私有財産としての女の所有権を明確にするために、また掠奪→全員分配の原則から、能力のある者 は多数の女を、末端兵士にも一人の女をという、集中婚を残した一対婚規範が確立された。

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●トアレグ族:サハラ西部 サハラ砂漠西部で遊牧を営むが、勇猛な戦士であると同時に奴隷売買も行う抜け目のない商人で、 “砂漠のハゲタカ”として周辺民から恐れられている。貴族、家僕、ニグロ系黒人奴隷と階級が分 化しており、母系相続制。回教徒でありながら一対婚をとっている。但し未婚女性の婚前交渉は全 く自由であり、姦通に対してもおおらかな様子。浮気相手が他種族の男でも、生まれた子は族員と して認められ、母親の家系を継承する。 ※集団婚の名残を留めていることから、母系・交叉婚の母胎集団からの分派であり、早期に闘争過程 =男、生殖家庭=女という規範が強固に確立されていたため、母系制を温存したまま遊牧に転換、 後に追剥(おいはぎ)集団に至ったものと思われる。 追剥集団であることから財産意識が強く、掠奪対象は主に男で(母系制故に、バアサマにとってよ その若い女は集団統合を乱す邪魔な存在であり、商品以外の女は極力排除しようとしたはず)、家僕 としたり、さらに財産意識が発達すると奴隷概念を形成、奴隷売買を行うようになる。 財産意識の増大から財産継承権明確化の必要が生じると、母系制=母系相続維持という特殊条件か ら、娘の相手を1人に限定するための人工的婚姻形態として、婿取婚という形の一対婚が導入され た。しかし婚前交渉・姦通に寛容であり、固定一対婚にはほど遠い、近くて短偶婚レベルのもので ある。 追剥集団故に男の損傷が大きく、女の数が常に男のそれを上回っていることから、女の選択特権≒ 性権力は登場しない。


●キクユ族:南西アフリカ (白人入植者による支配・搾取を受けているが、昔ながらの集団制度を持続させ、古い習慣や奇習 を保っている。)

・生活形態−温和なケニア中央部で早くから定住農耕を営んでいるが、肥沃な土地の多くは白人に取 り上げられ、現在はキクユ指定地で生活。ケニア独立に際しては、テロと白人殺戮を繰り返したマ ウマウ団の主力として大きく貢献。その残忍で悪魔的な所業は全世界を震撼させた。

・集団−長老が統率する氏族集団とそれを横断する年令集団の団結によって、部族全体が連合。

・男女関係−結婚前の男女交際は自由。頻繁に開催される踊りのパーティーで誕生したカップルは、 集団恋愛用の小屋で一晩を過ごす。但し性交と互いの下半身に触れることはタブー。求婚は、同じ 年令集団に属する男の友人を交えて当事者間でなされ、家畜の結納も行われるが、結婚式は男の家 族が娘をさらって行く掠奪婚の形式を取る。男の結婚年齢が 25 歳前後であるのに対し、女は 15〜 20歳で必ず結婚しなければならず、適齢期の女性が男性より常に多い状態となって、平均2人の妻 を持つ一夫多妻がバランスする。住居は、居間兼客間の夫専用の小屋と妻の小屋からなり、夫は妻 たちに稼ぎを平等に配分すると共に、日数を決めてそれぞれの妻の小屋を訪れる。女性は、結婚ま で処女でいることと結婚後も貞節を求められるが、夫の属する年令集団の男性が訪れた場合は、社 交上のもてなしとして一夜を共にすることが許される。また夫が性的に弱いあるいは不能の場合は、 子供を産むために自由に男性を選ぶ。

・子供−子族繁栄のための人口増が至上命題となっており、最低男女各人2人、計4人の子供を作ら なくてはならない。この聖なる目的を遂げるためには、男は何回結婚してもよいことになっている。 長男は夫の父の生霊、次男は妻の父の生霊を継承し、長女・次女は両方の祖母の霊に対する祭礼義 務を負う。

※掠奪婚の場合には男優位となり、姦通・婚前交渉はタブーとされるのが一般的である。それに対し て、恋愛遊戯用の小屋は、交叉婚に見られる若衆宿と同じであり、また夫と同じ年令集団の男との み一夜を共にするというのは、男共同の婚姻形態の名残と解釈できる。温和なケニア中央部という 点から、元々は〈採〉部族だった可能性が高く、交叉婚→半集団婚に至った段階で母胎集団が滅亡、 掠奪婚によって部族の再建を図ったものと考えられる。従って、基本的には男主導の婚姻制を取っているが、半集団婚の風習も多く留めている。


●高砂族:台湾(山地原住民) 狩猟・農耕を営む。一対婚で大半が自由結婚だが、式の際は掠奪婚の形式を取る。蓄妾・姦通はタブー。(バイワン族) ※クシカオ族と同様に、同類闘争で敗北→脱出→掠奪婚の流れ。一対婚を確立している点も同じで、 掠奪→全員分配の原則のもと、男たちの争いを避けるために1対1の分配基準として、一対婚秩序 を確立させた。

●バタック族:フィリピン ・生活形態−フィリピンのパラリン島で焼畑農耕を営む。草刈りは種族全員の義務だが、耕作・収穫 は主として女性の役目。

・男女関係−女性の数が男性よりも少なく(理由は不明)、未婚・既婚を問わず、女性盗みがかなり盛 んに行われている。結婚の際は女に金を贈るのがしきたり。(松ヤニ採取が唯一の現金収入の道。) その額の2〜3倍を女に払えば自分の妻にすることができる。

※婚姻関係の詳細は不明。周辺のアジア部族の事例及び金を贈る習慣から考えると、乱交→半集団婚 の段階で他部族に追われ、掠奪集団に至ったものと推測される。 常に男の数>女の数は、通常あり得ない。周辺の部族は掠奪婚の末裔部族で占められており、かつ 焼畑農耕故に、女の労働力が貴重であることから、女性盗みの習慣がかなり長く残り、その中でこの部族が弱者、つまりいつも女を取られる側にあるというだけである。


●古代ゲルマン族 (約3千年前に、中央アジアから追われて北上、先住民を侵略・融合してバルト海沿岸地域に定着。 その後2千年前までに、先住のケルト人を駆逐して、現在のドイツ地域まで南下、東ゲルマンはメ ソポタミアの交易部族を追って黒海沿岸に定着し、西ゲルマンはローマ人との武力衝突を繰り返していた。)

・生活形態−土地は森林に覆われているか、荒涼たる沼地のいずれかで、農産には豊饒であっても、 果樹を生じるには耐えない。小家畜に豊富で、牛が彼らの唯一の財産であり、金銀の所有に対して はそれほどの執着を持たず、内奥に住む者たちは物々交換を行っていた。耕地は耕作する者の数に 応じて村落の共有財産として占有され、次いで各村落内の耕作者の地位に従って配分された。年々、 作付け場所を取り替える休耕農業を営む。住居は、泉に、森に、野に、林に、心の思うままに散り 散りに分かれて住んでいた。 男は戦争に出ないときには狩猟に出かけるが、大半は睡眠と飲食に耽り、家庭、家事、田畑、一切 の世話を女、老人、その他の武器を持たない者に任せている。彼らは土地を耕し、年々の収穫を得 ることよりも、敵に挑んで負傷を被ることを選び、永い平和と無為のために英気を喪失している場 合には、自ら進んで戦争を行っている部族を求めて闘いに出かけた。 (既に農耕的定住段階に入っているが、農耕はいまだ副次的なもので、依然として牧畜が重視され、 それ以上に、戦争・掠奪によって得る家畜等の食糧が彼らの生活基盤の大きな比重を占めていた。「耕 地は地位に従って分配される」という点から、事実上、大土地所有というべき現象が存在していた と考えられるが、土地になお余裕があるため、権力保持の基礎条件とはならなかった。)


・集団−王は同族の始祖の家柄から選ばれ、将領はその勇気をもって選ばれたが、進んだ西部では、 家柄に限らず、有能な者が王位につくことも稀ではなかった。彼らの騎兵隊・歩兵隊は、全て家族・ 親縁の者たち(氏族)で構成されていた。(彼らは、戦いの前線に妻を連れて赴く。)長老は、己れ の有する扈従(貴族の供)の数と意気において他より優っている場合、自らの部族のみならず、近 隣諸方の使節来訪の名誉を受け、単にその名声によって戦勝が決定されることも多かった。饗応、 接待に関しては物惜しみせず、主客の間の贈り物の交換が将来にわたっての友好のシンボルであった。 (約50の部族連合からなる。各々に王(本家筋氏族の大長老、世襲制)=貴族・自由民・解放奴隷・ 奴隷の階層分化が進んでいた。貴族・自由民が武装を許される。定住形態は散居型の小集落が一般 的であるが、これらの定住者のまとまりは、血縁の集団ではなく、自由民と隷属民によって構成さ れ、数個の集落の中心をなす場所に、従士をかかえた貴族の素朴な邸館が建てられていた。貴族は 世襲カリスマ的権威を持つ血統貴族であったが、その基礎は貴族の子弟・自由民からなる従士制度 =忠誠的主従関係によって維持されていた。奴隷はローマ末期の小作農的生活を享受しており、鞭 打ちや労役を課せられることは稀で、一定量の穀物・家畜・織物を課せられるに留まっていた。) ・婚姻−厳粛なる固定一対婚。高い家柄のごく少数の人々だけが、複数の妻を持つ。結婚に際して、 夫は妻に幾頭の牛、一頭の馬、フラメアと剣を添えた楯を贈り、妻は夫に自らが持つ武器のうちの 一つを贈る。(妻が夫に贈る武器とは、娘が父から夫の庇護下に移ったことを象徴する。)処女だけ が結婚を許され、結婚後も姦通は極めて少ない。夫の死後の再婚も稀で、禁止する部族もあった。(殉 死の形跡さえある。)


・相続−相続は男子に限られており、馬を除く財産は全て長子に属し、次男以下は戦争によって財貨 を得て独立する。母系的血縁関係が、父子の関係よりも神聖・緊密と考えられる場合もあり、姉妹 の男子は、近縁者の間で尊敬を受ける。 (彼らは、女を神聖な予言者的なものと考えており、女の意見を軽んずることはない。紀元70年の ゲルマン人の一部族とローマ軍との衝突に際し、ローマ軍の敗戦を予言したウェレダは、その後神 のごとく崇められた。彼らは、自らが捕虜になることよりも、女たちが捕虜になることを恐れ、敗 色に胸を露にして泣き叫ぶ女たちの姿を見て奮起し、戦列を立て直したという事例も記述されてい る。) ※その他のほとんどの文蔵が 20〜30 年前の報告、モルガンの事例でさえ 150 年前の報告であるのに対して、『ゲルマニア』の記述は、2千年前の社会を伝えてくれる極めて貴重なものである。しかし、 著者タキトゥスは詩人でもあり、その詩的表現に惑わされてはならない。 元々は母系制・勇士婿入婚の〈狩〉部族であったが、同類闘争に敗れて滅亡、北方の僻地に逃げ延 びた少数の男が掠奪婚によって再建をはかった。母系的血縁関係が神聖視されるという記述は、か つて母系制であったことをうかがわせるが、母系制から父系制への転換は、外圧衰弱過程ではあり 得ず、滅亡→掠奪という大転換を示している。また、頻繁に行われる家畜等の掠奪及び奴隷の存在 も(乱立する部族連合間の人身掠奪と考えられる)、掠奪婚の系譜を間接的に証明している。 掠奪婚の場合には、女は財産として尊重され、秩序維持のために末端兵士まで女を分配する一対婚 規範を確立するのが一般的である。 男は兵士、女は農耕という鮮明な役割規範を踏襲。婚前交渉の絶対タブー、姦通のタブー、殉死の 例等、一対婚規範も男優位の極めて厳格なものであるが、実態は、いつも妻と一緒、女の泣き叫ぶ 姿を見て奮起など、すでに女の要求、女の価値観に侵食されつくし、それが極めて巧妙な幻想によ って覆い隠されている可能性が高い。


●始原ローマ部族 伝説によれば、滅亡から生き残った3人の男が、掠奪婚によって始原ローマ部族を構築、ローマ帝 国を建設したとされる。 ※ローマも若干の時代を経て、一対婚に至っており、滅亡→掠奪婚→一対婚の流れは、かなりの普遍 性を持っている。


●ギリシア(紀元前5〜4世紀の盛期アテナイ)

・生活形態−農耕と放牧。基本的な生産様式は農業で、市民階級の大多数が土地所有者。市民・奴隷 に代表される細かな階級制度が存在。

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・社会制度−参政権は男性「市民」のみ。市民の母・妻は市民階級に属するが、終生法的後見人を必 要とし、近親の男によって保護されるべき存在として、ポリス=市民共同社会内に封印されていた。

・成人男子への通過儀礼−少年が16歳に達すると、父親が息子の髪を切って祭壇に供える儀式を経て フラトリア成員として登録される(フラトリア=ポリスの下部組織で元は血縁集団)。18歳になると デーモス(村落を基にした行政単位)に登録され、更に2年間の軍事訓練と軍務等の集団生活を経 て20歳で市民になる。

・婚姻関係−前 508 年のクレイテネスの改革により、父系一対婚が法的に確定。結婚は夫と花嫁の後 見人との契約で成立し(結婚に際しての女の選択特権は剥奪されている)、女が嫁資(=現金、貴金 属、不動産等、標準的家庭の生活費5年分)を持参する。平均的結婚年齢は、男30歳・女15歳で、 結婚するまでは、娘は外の風を当てずに育てるべしという「箱入り娘」的な価値観が強い。 妻の姦通はタブーであり(法的には死刑に値する)、オイコス(家庭)がポリス(都市国家)の単位 組織であるアテナイにおいて、オイコスの内的秩序の維持は絶対的であったということを示してい る。夫にとって性市場はオープンであり、遊女や娼婦等下層階級の女が対象となった。


・男女の役割規範−男=政治+農耕・牧畜(戦争時は兵役)、女=性役+従役(家事と奴隷管理)。

・相続−相続権は基本的には男子に限られ、息子がいない場合、娘=「家付き娘」は婿養子を迎える が、財産継承はその息子に決まっている。 ※乱交の名残が見られることから、一度は乱交まで行き着き、他部族の侵略or女の性権力の肥大化= アマゾン化による滅亡の危機を迎え、そこから一部の集団が男主導の下逃げ延び、女・家畜・土地 の掠奪を繰り返して部族再建をはかる。掠奪による財産意識の増大に伴い、奴隷制度を確立、階級 社会を形成。 同類闘争が再び激化すると、男の更なる主導権の強化及び男の高い私有意識+農耕から、婚姻制も 父系固定一対婚に移行。その同類闘争に勝ち残った部族が女の選択特権を封殺し、社会家庭におけ る権利も剥奪して、奴隷制を基盤に都市国家(=ほぼ完全な男社会)を建設する。しかし、海上貿 易の発展、制海権制圧による平和安定に伴い、男の性欠乏が肥大化し、それを受けて女の性的商品 価値が上昇→選択特権を手中に収め、性規範が乱れ、性第一の価値観が蔓延し、ギリシアはこのま ま衰退する。 一方、小アジア、エーゲ海の島々に見られる母系制一対婚は、母系制の先住民(ミケーネ文明)と 融合したことの結果と思われる。ここでは、相続権と家名の継承権は娘にあり、大地母神崇拝がさ れている。


●ヘブライ遊牧民 家父長的家族形態。社会の進展につれて、財産を子供に伝えようとする欲求が、女系から男系への 変化を生み、土地保有又は家畜の世話のために、家父長権のもと奴隷及び自由民の多数を一家族に 組織した。家父長は一夫多妻で、成員並びに財産に対して絶対的権力を有した。(ローマ人も同様の 形態を通過。)



■性権力→滅亡総括型部族

●バンプティー・ピグミー:中央アフリカザイール北東 (1957年急速に減少したピグミーの絶滅をくいとめる方法を探すために、一年半彼らと生活を共に した人類学者ハレットの記録。)

・生活形態−コンゴ北東部の熱帯雨林で狩猟・採集。食生活はほとんどが女の採集によって支えられ ている上に、狩猟以外の労働(ex.小屋作り)は全て女が行う。ピグミーには、旧約聖書によく似た 神話――神は男女一組の人間を創り、地上の楽園に住まわせたが、邪悪な女が気の弱い男をそその かして、神に禁じられていた木の実を食べてしまったので、楽園から追放され放浪生活を送ることになった――があり、神と男を裏切った女は、その罪を償うために夫のかわりに果てしなく重労働 を続けなくてはならないとされている。(バンプティー族の起源は不明だが、前 2500 年エジプト第 4王朝の探検隊の記録に、その地に住んでいたことが記されており、4000年以上前から密林のジプ シーだった。)


・集団−夫婦(一対婚?)を一単位とした小家族が数個集まった父系バンド(=移動地域集団)。一ヵ 所で2週間程度生活するが、指導者はいない。

・結婚−女は10歳、男は13歳が適齢期。金で妻を買い取る風習はなく、結婚は厳粛な儀式であると 同時に厳しい試練。式は互いの腰帯を取りかわし、小屋で数時間お互いの全てを語り合った後、2 〜3日間壷一杯の水だけで過ごす。その後夫婦の契りが許されるが、一晩に4〜5回妻を性的に満 足させなければ、一人前の男性とは認められない。 ・子供−妻に求められる第一条件は多産であり、15〜20人産むが、大半が乳児期に死亡する。

※乱交制の下で、女の性的商品価値=性権力が増大、男は女の言いなりになり、弱体化する。結果、 滅亡の危機を体験し、その総括として、性権力封鎖の規範をつくり上げた。おそらくこの部族は、 女の役割規範を、性役から従役にシフトさせること(重労働)によって、性権力を封殺しようとし たのだろう。多産についても、妊娠期間中の母性本能△によって女の悪魔性を押さえ込もうとした もの。(一晩4〜5回妻を満足…という規範は、一刻も早く妊娠させて、性役から解放されたいとい うのが本音?) 性権力の総括において母系制も総括され、集団の分割基準を血縁からサブリーダー中心の分割に移 行。結果、父系・上位集中婚となったが、外圧が弱まるにつれて、短偶婚、一対婚に解体されてい った。この部族が住むコンゴ北東部は地理的に閉鎖されており、同類闘争圧力は極めて弱く、集団 統合を必要としないために、上位のバンドを持たず、数家族のみのバンドで移動をすることが可能 となっている。


●始原ユダヤ人 約5千年前、メソポタミア(?)から南アラブに追われ、遊牧から農耕の移行期にあって遊牧を生 業とせざるを得なかった部族が、ユダヤの始原。(彼らの生産様式は、カインとアベルの説話から覗 い知れる。)5千年〜3千年前、南アラブの地域は草原→砂漠化の移行期にあり、砂漠化につれて放 浪・交易の生活手法を生み出した。約3千年前に、ソロモンを中心とする遊牧王国を建設。ソロモ ンは1000人の妻を持つとされ、この段階での婚姻制は、遊牧民に広く見られる一夫多妻制であった。 その後、彼らはモーゼの十戒に見られるような、不倫の絶対タブー(死刑に値する)、婚前交渉のタ ブーという極めて厳格な一対婚規範を確立している。

※〈狩〉・〈採〉ともに、母系制を通過するのが普遍的で、アダムの骨からイブが生まれたという男性 優位の神話は、滅亡という大転換から父系へ移行しない限り成立しない。ソロモンの時代の一夫多 妻制は、基本的に女の買い取り制度であり、女の性的商品価値→性権力は上昇してゆく。この前提 の下に、王国の滅亡を事前に察知した男たちが分派、性権力を総括して(禁断の実=原罪の説話は この時作られた)、厳格な一対婚規範を構築した。(他の滅亡総括型部族、あるいは掠奪婚型部族が、 ごく少数の男たちの手による再建であるのに対して、ユダヤ人は既に王国を建設し、そこからかな りの勢力を持った集団が分派したものと考えられる。)従って、始原ユダヤ人は、基本的に滅亡総括 型部族と位置付けるのが正しい。但し、ユダヤの旧約聖書には、異民族からの掠奪を奨励、正当化 している文脈が多く見られ、王国から分派した多数は、掠奪婚の形態をとったものと考えられる。 なお、彼らがつくり出したユダヤ教の特徴は、排他性と契約主義にある。――「私を信じれば、現 実的利益を与えてやろう。そのかわり私以外の神は信じるな。」――信仰以前に契約関係を重視して おり、彼らの突出した私有意識の強さの根源をここに見ることができる。

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■一夫多妻制の遊牧部族

●イピリ族:ニューギニア (政府の教化政策を受けて白人との通商が行われているらしく、金銭感覚が発達。) ・生活形態−一日の寒暖の差が非常に激しいニューギニア高地に住む。農耕を知らず、主食は甘薯の みといった貧しさで、他部族とのトラブルが絶えない。男は皆戦士だが、時々狩猟をする程度で、 日頃は終日お洒落に励んでいる。家畜として飼っている豚が貴重な財産。婚資に用いられている模 様。

・男女関係−一夫多妻。婚前交渉と姦通はタブー。特に姦通は疑いをかけられただけで女が殺される ほど厳しいタブーだが、夫にかまってもらえずに欲求不満に陥った女がさかんに男を誘うこともあ る。

※姦通・婚前交渉のタブーは、乱交を経ていない証拠であり、ボス集中婚→上位集中婚→一夫多妻制 の流れと見られる。ニューギニアは好戦的部族が多く、大陸から太平洋諸島へ脱出する部族の通過 点ともなるため、強力な同類闘争圧力の下にあり、その結果、集中婚規範が貫徹、同類闘争に負け て高地に逃げ延びてからも、男の主導権の下に上位集中婚が維持された。その後圧力が衰弱し、私有意識の増大を背景にして、一夫多妻制に移行したものと考えられる。(お洒落に励んでいるという のは、兵士は採集(女の仕事)などしないという規範と矜持(きょうじ)を持つ故。)


●砂漠のベトウィン族:アラビア アラビア砂漠に住む回教徒だが、未婚女性のセックスは自由奔放。婚前交渉から生じるトラブルの 責任は、全て男が取らなければならない。例えば女を棄てると、当人と近親者の男2人が断首刑に 処せられる。結婚の自由も女に認められており、気に入らない縁談は拒否できる。しかし結婚後の 姦通については厳しく、離縁されたのち実家の男たちの手で処罰される。

※砂漠の遊牧民は、自然圧力・同類闘争圧力ともに強く、基本的に男主導の社会を形成する。男の主 導権+私有意識の強さ(→財産継承権明確化の必要)から生じた女買い取り制=一夫多妻制の事例 である。買い取り制の下では、できる限り高く買わせるために、女が性的商品価値の一層の上昇を 企むことは当然であり、男を挑発して婚前乱交の場=性市場を形成し、加えて婚前交渉の責任は男 にあるという性規範を確立させた。買い手が決まれば女は一生安泰で、男の私有意識から姦通はタ ブーとなる。


●女だけの軍隊−ダホメ王国女の戦士の活躍:西アフリカ ダホメ王国は17世紀初頭西アフリカの海岸沿いに建設され、ヨーロッパ人との奴隷貿易で繁栄した 悪名高き国。19世紀に入って奴隷貿易が非難を浴び、アメリカが奴隷制度を廃止したことも重なっ て衰兆。1892年にフランスの植民地となるが、1960年の独立まで絶対君主制を維持。 王の親衛隊は、右翼、中軍、左翼の組織された常備軍よりなるが、うち最も規律厳正で勇猛果敢な 突撃隊が、2500名の女の戦士で構成された中軍。戦士は国内の適齢期に達した娘の中から、ハーレ ムに入る美女を除いて有望な娘を選抜。加えて有罪宣告を受けた女も刑務所がわりに入隊させられ、 彼女たちは王宮の一画に住み、男たちから厳重に隔離されて、精鋭部隊としての教育を受ける。 女軍は、小銃手隊を中心とする本隊、ラッパ銃手隊をふくむ古参部隊、最も勇敢な象狩り部隊、敵 の隊長の首を落とす大カミソリ部隊、観兵式専用の若い娘の弓矢隊に分かれ、その腕の冴えは男性 をはるかにしのぎ、フランス陸軍をして“アフリカでこれほど手に負えない軍隊はかつて見なかっ た”と告白させている。ドゴール大統領があっさりと独立を認めたのも、女の戦士の勇名がとどろ いていたためとされている。

※女の数が男の数よりはるかに多く、庶民まで一夫多妻制をとっている点から見て、戦争で多くの男 の兵士を失い、やむなく女を使うことになり、戦力化に力を注ぐと同時に苦しい内情を悟られぬよ うに、その能力を誇大宣伝したとも考えられる。結果的には性権力などふるいようのない環境で女を有効活用。女の中でも力の強い上位数%に厳しい訓練をほどこせば、平均的男の力に勝るのも当 然と思われるが、女だけの軍隊という物珍しさも手伝って、かなり誇張された評判が語り継がれた 可能性も高い。



■乱交・兄妹婚を経て交叉婚に至った部族

●ベネズエラ海岸地方の諸部族 最初に訪れた航海者の記録によると、160人を収容する共有の大家屋に住み、望むだけの妻を娶り、 夫を迎え、欲するがままに相互に棄てるが、それを少しも不正とは思っておらず、嫉妬も存在しな い。 ※集団が分割される直前(兄妹婚に至る前)の乱交期と推定される。

●ポリネシア マレー制度の事例で、集団内において実の兄弟姉妹の雑婚が行われていたことを示す。全ての血縁 関係を、両親、子供、祖父母、孫、兄弟姉妹の5つの語で表現し、父母の兄弟姉妹は全て自分の父 母、その子供たちは全て自分の子供、その子供たちは全て自分の孫とされる。即ち、男にとって姉 妹とは、全て自分の妻であると同時に兄弟の妻であり、自分の子と兄弟の子を判別するのは不可能 であるから、全て自分の子供となる。女の場合には、自分の子供と姉妹の子供の識別が可能である が、実母と継母は区別されないので、全て自分の子供となる。

※兄妹婚の典型事例。但し、実態は班内乱交であり、中心的には兄妹婚であるが、父子婚・母子婚も あったと考えられる。


●発見当時のハワイ・トンガ 発見当時は、実の兄弟姉妹間の婚姻が行われており、交叉婚に移行した後も、兄弟の妻、妻の姉妹 を“我が妻”と呼び、夫の兄弟を“我が夫”と呼ぶ慣習が残っていた。当時の宣教師は、「多夫多妻、 姦通、不義、近親相姦、嬰子殺し、夫妻・子・親の遺棄等が頻繁に行われている」と語っているが、 婚姻関係を結んでいる大集団を、食糧の確保と相互防衛のために小家族に細分化し、各人はその小 家族を随意に転移したことから、外見上、遺棄が多発しているように観察されたのであろう。


●カミラロイ族等(オーストラリア原住民) 交叉婚の代表事例。氏族内の通婚を禁止。氏族が2つだった時代には、一方の氏族の女性全員が他 方の氏族の男性全員の妻であった。その後人口増によって、6つの氏族に分かれ、この6つの氏族 が、原氏族を同じくする2つの胞族グループに編成され、さらに婚姻規範として、4つの婚姻グル ープが定められた。

即ち、一方の胞族は全て、第1また第2婚姻グループに、他方の胞族は全て、 第3又は第4婚姻グループに属し、一方の胞族内の第1グループの姉妹たち(又は兄弟たち)は、 他方の胞族内の第4グループの兄弟たち(又は姉妹たち)とのみ、通婚が許される形態である。生 まれた子供は母親の氏族に所属し、第1婚姻グループの女と第4婚姻グループの男の間にできた子は、第3婚姻グループに属する等の取り決めがある。 ※同類闘争圧力△→集団統合圧力△を背景に、兄妹婚(班内乱交)による各単位集団の自立性・閉鎖 性を打破するために、氏族内の通婚の禁止=班外との婚姻を制度化したもの。つまり、交叉婚である。

第1と第4グループ、第2と第3グループという組合せで、部族が単位集団間の婚姻相手を決 定している。


●インディアン70部族 ツラン血縁制度の事例。マレー制度の両親・子供・祖父母・孫・兄弟姉妹の区分に、伯父・伯母・ 甥・姪・従兄弟姉妹の語が加わっている。マレー制度が、「父母の兄弟姉妹は全て自分の父母、彼ら の子供たちは自分の兄弟姉妹」としているのに対して、ツラン血縁制度では、伯父・伯母を男女共 に母の兄弟と父の姉妹にのみ適用し、父の兄弟、母の姉妹は自分の父母としている。また甥・姪を、男から見て、姉妹及び従姉妹の子供(女から見て兄弟及び従兄弟の子供)にのみ適用し、兄弟(女 の場合は姉妹)の子供を自分の子としている。即ちこの制度では、男にとっては、姉妹はもはや妻 ではなく、その子供を表現するために、新しい親族関係を表す言葉が必要になったということであ る。

※ツラン血縁制度とは、実の兄弟姉妹の婚姻を禁止した交叉婚(班外乱交)の形態であり、氏族の兄 弟(又は姉妹)は、なお婚姻単位として一体である。


●タヒチ島:ポリネシア 娘は12〜13歳で母親から性交のテクニックなどを教わり、奔放にセックスを楽しむ。初めてタヒチ を訪れたスペイン人は、喜んで自分の妻や娘、妹などを提供する島民に驚かされたが、来る者は拒 まない博愛主義は今も根強く、未婚女性の妊娠さえ、相手が何人であれ家族の歓迎を受ける。

※逃げ延びてたどり着いた先が、食糧の豊富な隔絶孤島であり、同類闘争圧力・対自然闘争圧力とも に殆ど存在しない、外圧ゼロの状態。採取が容易なので闘争・生産の規範が後退し、かわって性第 一の規範が形成される。それに伴い、女の性役規範が強化・貫徹され、男の性欠乏の上昇を受けて、 女も性欠乏を上昇させ、性機能に磨きをかけていく。

∴男女の性をめぐる需要と供給はバランスし、 性的商品価値→女の選択特権=性権力が登場しない。 豊かな土地故に、人口増大→集団規模が拡大してゆくが、生殖第一で、集団統合力が弱いので、分 派・独立を繰り返す。そこで縄張り争いなどの対立も生じるが、(元々島民は同部族であり)セック スを武器とする外交で止揚。これが習慣化して、他部族・異国の来訪者に対しても性的歓迎を行う。


●トロブリアンド島:ニューギニア (1914年から5年間実態調査を行った人類学者マリノフスキーの記録。それ以前に宣教師が訪れて いる。)

・生活形態−漁労と農耕。主食はヤムイモとタロイモで、魚介類は時たま食べる程度。

・集団−母系の氏族集団。

・男女関係−性交渉に束縛はなく、幼い頃から性的遊戯にふけり、女は6〜8歳、男は10〜12歳から 本格的性生活を始める。思春期になると兄弟と姉妹は別居、男子は独身の男に預けられ、女子は未 亡人又は母方の親戚の家に移される。この時期になると遊戯から脱して、セックスに情熱を傾ける が、恋人同士でも貞節は要求されない。若者はデートのたびに娘に贈り物をすることが義務。さら に成長すると、継続的情事の相手と、そのために作られた“若者の家”で結婚前の同棲生活を始め、 セックスもかなり排他的になる。結婚を承認するのは娘の母親の兄弟で、男の家族には口を挟む権 利はない。婚姻の際は、妻が持参金を夫に渡し、夫の両親のもとでしばらく生活するが、その後独 立。妻の実家が永続的な経済的義務を負う。家庭内の仕事分担は決まっており、妻は料理と水汲み、 夫はもっぱら子供の世話を行う。しかし、島民は性交の結果妊娠するとは考えておらず、子供は女 だけで作るもので、父と子の間に肉体的つながりは全くないとされている。 ※タヒチ島と同様の条件下に置かれ、性役規範が強固に確立されていることから女の性権力は登場し ない。無圧力故に、強力な集団統合の必要がなく、集団はより小単位へ分解されてゆき、さらに島 の量的限界まで人口の増大が進むと、財産意識≒私有意識が発達し、集団は家族単位(=血縁がた どれる最小単位)にまで分解される。私有権をめぐる争いが増大し、財産の継承権を明確化する必 要から、人工的婚姻制度が導入され、母系制であることから婿取婚となった。しかし、これは人工 的制度に過ぎず、集団婚の風習(記述から交叉婚であることは明らか)は、女の性権力が発達して いないことも手伝って濃厚に残存することになる。 性役規範が貫徹されていることから、女は男を立てる(実権はバアサマでも、表向きの名目権は酋 長=男)という規範も守られている。

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■変型交叉婚の風習を持つ部族

●トダ・バタック族:フィリピン

・生活形態−スマトラ内陸山地の人喰種族。犬や豚を飼い、狩猟を営む。(農耕については不明。)人喰習慣を除けば、彫刻や建築の才能に恵まれ、ヒンズー文化を独自に発展させた文化的な種族で、 固有のバタック文字を有する。

・男女関係−娘は適齢期になると、年配の女監督がいる娘小屋で生活。若者はここに自由に出入りす ることができ、バンツン(四行詩)の掛け合い求愛。勝てば相手を自由にできる。但し妊娠はタブ ーで、婚前に妊娠した娘は、髪を切った上に婚資を値切られたり、自分より低い階級の男と結婚し なければならない。また強姦の場合は、男がその娘と結婚するか、婚資にかわる補償金の支払いが 求められる。一夫多妻が認められており(婚資が高いので大半は一対婚)、酋長であれば3〜5人の 妻を持つが、第一夫人が権力を握って、第二夫人以下を労働に使っている。 ※もとは交叉婚だったが、その後私有権が上昇し、財産継承権を明確にする必要から人工的一対婚が 導入され、姦通がタブーとなった。


●イゴロット族:フィリピン フィリピンルソン島の険しい山岳地帯で生活。女性は10歳頃から娘小屋(オロッグ)で寝起きをし、 男も12才で独身男子専用の小屋に群居する。未婚女性はどんな男性とでも性交渉は自由で、若者た ちはオロッグ内外でデートを楽しむ。結婚に際しては、花婿が人間の首を狩ってくることが条件に なっており、首を持って部落に戻ると婚礼の式が始まる。式で花婿は、独身男性の一人一人に対し て妻の所有権を宣言。以降妻は、夫以外の男を絶対に近づけてはならないとされる。この時点で既 に別の男性の子を宿していることもあるが、その場合は夫婦の子供として育てるのが掟。 ※もともと同類闘争圧力を背景とした勇士婚のなかで、首狩りという婚姻資格の規範が強固に確立さ れていたが、同類闘争に敗れ逃げ延びた地域が豊かであったため、発散欠乏が増大。しだいに婚前 乱交化し交叉婚に近くなってしまったが、勇士婚の婚姻規範は健在。


●山地バンタラム族:フィリピン 全ての外来文化を寄せつけない未開地帯で狩猟・採集の放浪生活を送る。インド原住民によく見ら れる氏族組織はなく、男女共に各集会所で生活した後に交叉従兄妹婚(母方の伯父の娘又は父方の 叔父の娘が相手)。姉妹の交換も行われる。 ※もともと交叉婚が確立していたが、同類闘争に敗れ山岳地帯に逃げ延び、放浪生活に入ったことに より、同一居住という氏族の基盤が解体され、氏族組織なしの交叉イトコ婚に移行。


●コーイ族:インド ゴタグリ地方の北部山地で生活。娘の伯父が結婚の決定権を持ち、一般には従兄妹同士の結婚が多 い。掠奪婚、多妻の習俗もある。 ※もともと交叉婚が確立していたところで、同類闘争に敗れ山地へ逃げ延びたため、交叉婚の名残を 残す。加えて敗走途中で他部族から女を掠奪していったことから、掠奪婚の習俗も形成した。

■交叉婚から半集団婚に至った部族

●古代ブリテン人 シーザーの記録によると、10〜12人の兄弟又は親子関係にある男たちが、 妻を共有しているとある。 ※兄弟(父も)が一体の典型的な半集団婚。

●後のハワイ 妻たちが直系及び傍系の姉妹である場合、その夫たちは互いに“プナルア” (親しき伴侶の意)と呼 び合い、共同的に雑婚するが、その夫たちは兄弟ではない。夫たちが直系及び傍系の兄弟である場 合、その妻たちは互いにプナルアと呼び合うが、彼女たちは姉妹ではない。

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※これらは半集団婚、即ち、兄弟−姉妹の集団婚から兄弟又は姉妹のいずれかが解体されてゆく過程 を示しているが、1つの時代に2つの形態(兄弟解体のケースと姉妹解体のケースの両方)がある という記述は、観察自体に疑問があり、一般的には、兄弟たちが1人の娘のもとに通うという形態 が主流となるはずである。しかし、そこからかなり時代が進み、私有権が男に移行したとすると、 男の要求も通るので、一時的に1人の男が姉妹たちを買い取る制度もあり得ただろう。


●ジュアング族:インド オリッサ州の密林に住む極めて原始的な種族。婚前交渉は自由で、何人妻を持ってもよい。未亡人 は夫の弟と結婚しなければならず、義弟以外の男と結婚する場合は、夫の死から一年後でなければ ならないとされている。

※兄弟を一体とする半集団婚。

●トダ族:インド ニールギリ山地で農耕を営む一妻多夫で有名な種族。長男と結婚すると、自動的にその弟たちも夫 となる。また部落を異にした男たちと結婚すると、一ヵ月間隔で夫のもとを巡回する。近年は女性 の数も増え、一夫多妻に移行しつつある。

●レプチャ族:インド 母系制をとっており、現在は一対婚だが、かつては妻の妹との性交渉を認めるといった形での一夫 多妻を加味した一妻多夫制が行われていた。 ※元は少妻他兄弟の半集団婚。

●オラオン族(=チヨタ・ナグプール高原のドラヴィダ族):南インド 若い男女は部落内の独身者合宿所で自由奔放にセックスを楽しむが、結婚は族外婚が原則で、両親 が異なる部落の相手を決める。結婚式では、花婿の兄弟が義姉妹に手を出さないという誓いがなさ れ、かつて存在した多夫婚をいましめるためと考えられている。 ※花婿の兄弟は花嫁は共有しても、義姉妹には手を出してはならないということから、女一人・男兄 弟共同の半集団婚と思われる。若者宿の存在、婚前乱交の自由から、半集団婚よりも交叉婚に誓い とも言えるが、果たして半集団婚と婚前乱交とは矛盾するか?それ以前の集団婚は、もともと乱交 の流れを汲むものであり、従って処女性を重視するような考えは生まれない。半集団婚でも、バア サマが娘の値段を釣り上げるために娘を禁欲させ、処女性を売り物にしたかどうかが問題となるが、 おそらくこの段階では、禁欲させなくても買い手は充分あり、婚前のフリーセックスを許容したと 考えられる。つまり、半集団婚においても婚前乱交は矛盾しない。従ってオラオン族は半集団婚の 事例である。


●ホッテントット:南西アフリカ (1652 年植民地開拓にやって来たオランダ人が発見。1884 年のドイツによる南西アフリカ支配以 降急速に衰退。) ・生活形態−狩猟・放牧。人種的にはブッシュマンと酷似しており、彼らと区別するために自らを“コ ーイ・コーイン” (人間の中の人間)と呼ぶ。ブッシュマンをカラハリ砂漠に追いやって、南アフリ カ全域を生活圏としていたが、好戦的な農耕民族に追われて、現在はカラハリほどではないものの、 激しい乾期と束の間の雨季がある南西部の内陸地帯に住む。男は狩猟のほかに石・鉄・銅などを用 いた武器や道具作り、衣類等にする皮なめし作業を行い、女は乳しぼり、放牧と植物採集を行う。 日頃の食事は狩猟の獲物と植物。 ・集団−酋長が率いる氏族集団だが、その権限は絶対ではなく、成人男子による会議が族内の決定機 関となっている。他の氏族にまたがる重要問題は、各酋長が集まった種族会議で決裁される。牛の 掠奪、女の誘拐、他の種族による領土侵犯によってたびたび引き起こされる戦争では、勝者は牛や女・子供を奪い奴隷とするが、虐待することはなく、残虐行為も稀。(訴訟、裁判、損害賠償の請求 もなされ、かなり私有意識が強い。) ・男女関係−兄弟と姉妹間の血縁関係に厳しく、幼年期を過ぎると直接話すことも二人きりで小舎に いることも許されない。最悪の罵言は、姉妹との醜行を暗示する言葉。男は姉妹に対して敬意を払 い、 “神にかけて誓う”かわりに姉妹にかけて誓う。また遠い氏族あるいは同族の男子は、 “義兄弟” の縁を結ぶことがあり(契りの儀式では、一頭の羊を屠って同じ器で血をすすり、肉を食べる)、互 いの財産と妻に対して共同の権利、保護・防衛の義務を負った義兄弟は、往々にして妻の共有を楽 しむ。(婚姻関係は不明。おそらく一対婚。)

・子供−氏族の勢力拡大のため、多産や男子の出生が歓迎される。妊婦は大切にされ、夫は毎日妻の 腹をなでて無事な出産を願い、妻の気まぐれな食物の要求を満たしてやることをいとわない。 ※氏族の勢力拡大志向、高い私有意識、夫の妊婦への対応等から半集団婚の風習が見て取れるが、多産・男子出生が歓迎されていることから、一旦は堕落して乱交→半集団婚まで至り、そこで同類闘 争圧力の上昇を受けて再び男の主導権が強化され、半集団婚の風習はそのまま温存されたとすれば、 つじつまが合う。義兄弟は妻の共有を楽しむ=各々に妻がいるということであり、現在は短偶婚〜 一対婚に近いのだろう。特に激しい闘争から戦士を失う経験をしており、そこから子宝の概念が形 成されるに至った。 姉妹への禁忌意識は、兄妹婚時代の敗北体験によるもので、兄妹婚のタブーが守られているかどう か(審判)は姉妹に聞くことで確かめられることから、 “姉妹にかけて誓う”という発想に結び付い たと思われる。

●ブッシュマン:南西アフリカカラハリ砂漠 (1956年に文明人として初めて接触、生活を共にしたフィリップ・トービアルス博士(アメリカ人) の記録。)

・生活形態−厳しい乾期が続くアフリカ南西部高原砂漠地帯カラハリで狩猟・採集。朝食後男は二人 一組で猟に出かけ、女は子供を背袋に入れて採集。その日分の食糧を得れば戻ってくるが、食生活 は女の採集によって支えられることが多い。(家畜は飼っていない。)

・集団−酋長・族長はもたず、2〜3の家族が共同。呪術によって精神と行動を統一させている。(呪 術師が指導者?)生活圏外の集団とは没交渉で、争いを避け、相互に縄張りを尊重。

・男女関係−原則一対婚で一夫多妻併存。男が夜、娘の小屋に自分の弓矢を差し入れるのが求婚の印 で、女がそれを一晩中小屋の中に置けば婚約成立。結婚後は、子供ができるまで女の部落にとどま り、女の家族を扶養。第一子をもうけた後、妻子を連れて自分の部落に戻って生活する。


・子供−養えるのは3人が限度として、それ以上は出産後すぐに葬られる。乳児と母親は分離する風 習があり、乳母が見つからず餓死することも多い。 ※もともとホッテントットと同根だが、交叉婚の段階で分裂し砂漠へ敗走。あまりに荒地であるため、 他部族も襲って来ない(同類闘争がない)上に、猛獣のような外敵闘争もない環境で、無圧力から 闘争機能・集団機能が衰弱。無抵抗主義から、滅亡→敗走時、男が殺され、女が中心になって再建 した部族とも考えられる。

●ウラブンナ族:オーストラリア 婚姻が許されるのは、男にとって、母の兄の子供、または父の姉の子供の関係にある女のみ。1〜 2人の従姉妹と一緒に暮らすが、その他にも若干の従姉妹を(彼女の兄の同意及び長老の裁可を受 けて)妻にすることができる。女は多数の男と集団婚的関係を持つことができ、その男たちは一緒 に集団生活を行っているが、その女に接近するには、第一の男の同意を必要とする。(第一の男が留 守の場合には、自由に振舞える。)また多くの妻を持つ老人は、1人の妻も持てない若者に妻を貸す かわりに、贈り物を受け取って利益を得ている。

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※交叉イトコ婚から半集団婚に移行しているが、極限時代に形成されたであろう集中婚(老若交代型) の風習も温存させている。集団婚的関係の方が古くから存在し、 “第一の男”という記述にあるよう な個人的婚姻関係は最も新しい(遅れて形成された)ものである。


■交叉婚から妻問婚に移行した部族

●サモア諸島:ポリネシア 男は16歳頃から共同作業に従事する青年集団に所属。 女も思春期に達すると女性だけの集団に属し、 結婚の資格を得る。結婚前の男女は、男の夜這いによって何人もの異性を経験。部落の長老を通じ てなされる結婚の申し込みが受けられると、男はそのまま娘の家に住み込み、子供が生まれた後に 妻子を連れて自分の家に戻る。結婚後も互いの不貞についてはさほど厳しく問われない。 ※タヒチ島・トロブリアンド島と同様の経過をたどって、財産継承から人工的婚姻制度の導入に至る。 サモア諸島の場合、人口増大に伴う同類闘争と採取技能の上昇で、男の主導権と私有権が回復して いったため、父系制の妻問婚へ移行した。しかし人工的制度の故に、交叉婚の風習が温存されている。


●バリ島原住民:インドネシア 自由結婚、親が決める結婚、掠奪婚など部落、階級によって習俗は様々。貴族は処女性を重んじる が、一般人は婚前交渉に対して寛容で、試験結婚としての同棲も多く見られる。婚姻形態は一夫多妻制(ヒンズー教徒)。妻は夫の家に住み、第二夫人以下を家に入れるには第一夫人の許可が必要。 また夫は妻に対して貞節を尽くす必要はないが、妻には厳格な貞淑さが要求される。


※私有権の増大+農耕の導入に伴い、単位集団が氏族から家族単位にまで分解される。それにより、 氏族を基準とする交叉婚の継続が不可能となる。他方、私有意識の増大と性的商品価値の上昇は、 婚資=結納を上昇、発達させる。そこで、婚姻基準がこれまでの氏族から婚資に転換し、婚資を支 払いさえすれば婚姻は成立するものとして、一夫多妻制へ移行。 特に私有意識が高く、財産継承権を明確にする必要のある貴族においては、処女性が重視された。 (貴族の女の方も、婚資=性的商品価値を釣り上げるために処女性を守った。) しかし、庶民については、婚資を充分に払えなかったことからも、交叉婚の名残が強く、婚前交渉 に対しても寛容であった。 交叉婚においては夜這い(男たちが娘たちのもとへ通う)が普通であり、従って妻問婚に移行しや すいという因果がある。

∴私有意識△+農耕を媒介に、交叉婚から半集団婚を経ずに妻問婚へ至った部族と思われる。



■交叉婚・半集団婚を経て短偶婚に至った部族

●マサゲト人:カスピ海北カザフ高原 遊牧民。ヘロドトスの記録によると、各人は一人の妻を持つが、全ての妻は共有とある。第一の夫 とその他の夫の区別がなされていたことを示し、個人的婚姻と集団的婚姻関係の併存状態。 ※半集団婚のなかで、第一の妻というかたちで個人的婚姻が併存。短偶婚への過渡期と見られる。


●ナヤール族:インド インド南端部、アラビア海岸地方に住む。 全ての少女は、名目上の夫によって金の板を首の回りにつけてもらう。婚姻儀式を終えると、誰と でも同衾することが許されており、普通数名の恋人を持つ。名目上の夫にはいかなる婚姻上の権利 もない。また女と複数の男たちの関係も、極めてルーズな束の間のものであり、同居も伴わず、父 親としての義務も無視されている。 ※娘一人に対して男複数の半集団婚姻的関係にあるが、名目上とは言え、1対1の婚姻関係が成立しており、短偶婚にかなり近い。男女関係の拘束力は極めて弱く、比較的短期で相手が変わっていく 様子から、女の選択特権に基づく短偶婚の特徴が見て取れる。従って、半集団婚から短偶婚への移 行期の婚姻形態と位置づけられる。


●ディエリ族:オーストラリア 親族関係による制限に従う(兄妹婚禁止?)以外は、自由に通婚できる。婚姻には、幼児婚約によ って生じる個人的婚姻(一夫多妻が許されている)と集団婚的関係(男女共に数人の夫・妻を持つ ことができる)の2種類あるが、個人的婚姻が集団婚的関係より優先する。個人的婚姻を結んだ夫 を持つ妻の集団婚的関係が成立するのは、夫の兄弟がヤモメになったとき、夫と同じ婚姻クラスに 属する男が訪問したとき、妻の気に入った男に対して夫が承認を与えた場合で、夫の規制力が強い。

※個人的婚姻が集団的婚姻関係より優先されており、集団婚の風習も残してはいるが明らかに短偶婚 に移行している。集団対集団の婚姻関係が、娘一人対男兄弟というかたちで解体されてゆき(半集 団婚)、ここにおいてついに個対個の婚姻制度が成立する。夫の規制力が強いことから、男の主導権 が強いと思われる。



■女の性権力が肥大した部族

●ミナンガバウ族:スマトラ 7世紀から 14・5 世紀にかけて中部スマトラ全域を支配した古代王国の建設種族。回教の弾圧とオ ランダの支配により王国は崩壊したが、現在も女性優位の母系農耕社会を維持し、回教の一夫多妻 制と調和させている。すなわち結婚後も妻は実家で生活し、妻たちの間に序列は存在しない。夫は 万遍なく妻の家を訪ねることになっているが、そこで食事をするには家事を手伝うか、耕作をしな ければならない。また婚約中はもちろん、結婚後もお気に入りの妻には贈り物を欠かさず、セック スの代償として妻が要求する金額を支払うことさえする。しかし妻の方は、婚前は処女性を重視し たのに対し、結婚後のセックスは全く奔放。回教法では姦婦を夫が殺すのも合法だが、ミンナガバ ウの夫は、暴力もふるわず離婚宣言のみを行う。妻の側からの離婚も容易に行われ、夫の訪問回数 が減ると、次の夫を物色して結婚を破棄。独身女は嘲笑の的となるので、離婚した女も未亡人もで きるだけ早く再婚するのが通例となっており、初婚で生涯を過ごす女性はほとんどいない。 ※回教の一夫多妻は、厳格な階級社会を前提に上位階級において実行されるもので、末端階級の男に は女は一人も当たらない、というかたちで男と女の数はバランスしている。ここでは上位に限らず、 全体に一夫多妻が見られる。また、女の浮気の自由度が高いことも加味すれば、これは多夫多妻= 集団婚と見るべき。この視点に立てば、この部族は農耕+私有意識△を媒介に、交叉婚から妻問婚 へ至ったパターンと言える。もともと母系制の集団婚であり、実権は氏族のバアサマにあった。農耕が導入され、集団が家族単位にまで分解されても、家族=生殖の中心であり、母系制は維持され る。婚姻制は、多夫多妻はそのままで、基準だけ氏族から婚資へ転換。 婚資が婚姻の最大基準となれば、当然女は性的商品価値の上昇を企み、処女性をエサに交換価値を 釣り上げていき、権力を掌中に収めたものと考えられる。そして、高値で売った後は、性権力を堂々 と行使して不倫を重ね、その上、婚資だけでは不足だとして、男の家事サービス、耕作が義務付け られるに至った。 ∴同類闘争圧力が弱いまま、女の私益性を野放しにして女の性的商品価値を上昇させ、女の性権力を 肥大させた部族と言える。


●ボナペ島:ミクロネシア 女尊男卑体制で、あらゆる家庭の実権は妻が握っている。夫の浮気は激しく責め立てられるが、妻 の浮気に関しては、夫は発言権すら与えられていない。離婚にしても、妻の家柄の方が夫のそれよ りも高い場合は、夫側からの離婚請求は認められず、たとえ離婚しても夫の再婚は許されない。

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※兄妹婚の母胎集団からの分派集団が逃げ延びて、ミナンガバウ族とほぼ同じ経緯をたどったものと 考えられる。


●カシボ族:アマゾン支流ウカヤリ川 (アメリカ人の女性人類学者ジェーン・ドリンジャーの記録。白人に対して友好的な種族で、そこ を訪れた伝道僧の話に興味を抱き、調査を始める。)

・生活形態−ペルーウカヤリ川上流に住む女性優位の母系種族。酋長も女で、狩猟・漁労・耕作など 肉体労働は全て男の役割。

・男女関係−常に女が主導権を握る一妻多夫。結婚適齢期に達した娘は、部落中の若者を品くらべし た末、最も気に入った男を選ぶ。それが既婚者だった場合は、布や壷などと引き換えに相手の妻か ら貰い受ける。飽きがきた夫を他の女に譲る際には、夫の蚊帳を次の妻となる女の小屋の前に移す ことによって離婚と再婚が成立。男は自分の蚊帳が置かれている小屋の女と暮らさなければならな い。



@女長老に率いられて、兄妹婚の母胎集団から分派し、僻地へ逃げて来た部族である。

A外圧がほとんどなく、男の発散欠乏△→乱交を背景に女の性的商品価値→選択特権を確立→早期 に性権力が絶対的に共認された。女の権力が絶対共認されると、女尊男卑の社会(=男はあらゆる 負担を押し付けられる労働力であり、同時に所有権移転の対象)になるのが当然であり、最近の日 本社会もこれに近いと言える。

Bこのように女ボスの下で女の論理が強固に確立されると、複数の集団を立体(2〜3段)構成で 統合する立体的組織統合力が形成できないので、人口増大→集団規模△の際には、分裂するよりほ かになく、長期にわたって単位集団のまま女権制を強化していった。 分裂・分派を繰り返すことで、周辺部族が徐々に増大し、同類闘争圧力が上昇する。しかし既に、 性権力支配の絶対的共認が確立されていることから、現状維持を第一義として、勢力拡大はせずに、 縄張り協定(同母胎集団からの分派集団ゆえに、言語が通じる)により同類闘争を回避(∴同類闘 争を通しての男の復権の可能性なし)、立体的組織論を持たないままに、性権力支配社会が継続・維 持されていく。


●ワツンバ族:アマゾン支流ウカヤリ川 ボリビア国境近くの上部ウカヤリ川で女だけで生活を営む。吹き矢や槍を用いた戦闘能力にたけ、 日頃は他の種族を寄せつけないが、毎年9月に、近くの多種族の逞しい男たちを招いての交情式を 一ヵ月間行い、5〜6月に一斉出産。(妊娠しなかった女は追放。)男の子は他の部落にやる。 ※地理的にカシボ族と非常に近いことから、同一の母胎集団から分派した部族と考えられる。カシボ 族と同様に、同類闘争圧力が増大する以前に、女の性権力が絶対共認され、女尊男卑の社会となり、 それを極限まで押し進めた結果、性交時以外は男不用となってしまったものと思われる。 交情式の相手の男は、言葉が通じる必要から、協定を結んだ同系部族の男でもあるはず。一斉出産 期間中は、同系部族との協定関係で守られている必要がある。また、性権力維持が第一で、戦争= 縄張り拡大はしないはずなので、この点からもセックスを武器とする協定により同類闘争を回避し ているものと考えられる。


http://www.rui.jp/new/chumoku/pdf/koninron.pdf
 

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