2020年07月07日 ヨーロッパにおける「魔女や魔術」の概念は中世の権力者が作って民衆に布教したものだと研究者が指摘 https://gigazine.net/news/20200707-invention-satanic-witchcraft-initially-skepticism/魔女であるとされた人々を裁判にかけて迫害や処刑を行う魔女狩りは、中世ヨーロッパの末期である15世紀ごろから大規模化したといわれています。魔女を迫害する主な原動力となったのは民衆でしたが、アイオワ州立大学のMichael D. Bailey教授は、「『体系的な魔女や魔術のアイデア』はキリスト教の教会などの権力者が作り上げたものであり、15世紀になるまで民衆の間に定着していなかった」と指摘しています。 The invention of satanic witchcraft by medieval authorities was initially met with skepticism https://theconversation.com/the-invention-of-satanic-witchcraft-by-medieval-authorities-was-initially-met-with-skepticism-140809 5世紀〜15世紀に当たる中世ヨーロッパは民衆の間で広く魔法や怪物、妖精といった存在が信じられていた時代です。「邪悪な人々が魔法を実行する」という概念は古代ギリシャや古代ローマの時点で存在していたそうですが、中世半ばまでの教会は、魔法や魔術についてほぼ無関心だったとBailey教授は指摘しています。
たとえば10世紀初頭に記された教会の文書は、「魔法や魔術」は本当かもしれないと認めているものの、「魔女の集団が悪魔と一緒に夜空を飛んでいる」といったアイデアは妄想だと主張しています。権力者が魔術に対する信念を変え始めたのは12世紀〜13世紀のことであり、「教育を受けたエリート層」の拡大がこれに寄与していたとのこと。 ヨーロッパの都市が発展した12世紀ごろ、ヨーロッパ全土に影響力を及ぼす教会は多くの学識ある知識人を必要としたため、都市部に大学が作られるようになりました。大学では古代のテキストやイスラム圏からもたらされた書物の研究が行われましたが、その中には星の力を引き出したり、精神の力を呼び覚ます複雑な魔術の体系について記したものも含まれていました。その結果、体系的な魔術の影響力が徐々にエリート層に広まったそうです。 後の魔女狩りで弾圧された人々は、当然ながらイスラム圏からもたらされた書物などを参考にしたわけではありません。民衆の中で「魔術を使う」とされていた人々は、何世代にもわたって伝えられてきた方法でハーブを集め、薬を作り、時には短い呪文を唱えましたが、これは誰かの病気を治療したり害悪から保護したりする目的が主でした。こうした魔術的な民間療法は、初歩的な医療システムしかない時代には重要だったとのこと。
教会は当初、こうした「魔術」を単なる迷信として切り捨てていましたが、エリート層の間で魔術に関する概念が広まるにつれて、より真剣に魔術の問題を捉え始めました。その過程で教会は、民間の呪術者らは教会と対立する悪魔崇拝者ではないかと考え始めたそうです。 Bailey教授によると、1430年代には教会の異端審問官や神学者、判事、歴史家などが集まり、「大勢で集まって悪魔を崇拝し、乱交し、殺した赤ちゃんを食べる」といった魔女の恐ろしい行為について述べる会合も開かれたとのこと。魔女や魔術について体系的にまとめる動きは、13世紀ごろから管轄権の拡大を目指してきた教会の異端審問官や裁判所にとって、人々への影響力を強化する上で実用的だったかもしれないとBailey教授は指摘しています。 魔女や魔術について権力者側が記した初期のテキストを翻訳したBailey教授は、著者らが「これを読んだ人々が内容を信じないかもしれない」「軽蔑されるかもしれない」という不安を抱いていたと述べています。実際に中世の魔女裁判の記録を見ると、「魔女が悪魔を崇拝している」といった点はあまり関心を向けられず、民衆は病気を引き起こしたり作物を枯らしたりする魔術に関心を向けていたことがわかるそうです。
また、魔女狩りのハンドブックとして強い影響を及ぼした「魔女に与える鉄槌」が1486年に発表された当時、多くの人々は著者のハインリヒ・クラーマーを信用していませんでした。実際に、「魔女に与える鉄槌」の刊行前にクラーマーが魔女狩りを行おうとしたところ、教会からの反発を受けて被疑者らは釈放され、クラーマーは地元の司教から「もうろくした」と非難されています。 しかし、結果として魔術や魔女に関する考えは広く民衆に浸透し、恐怖やヒステリーから大規模な魔女狩りが行われるようになりました。この理由についてBailey教授は、15世紀にはペストや戦争、教会の分裂といった問題が収まりを見せて社会が落ち着き、活版印刷も発明されたことから新しいアイデアが広まりやすい土壌があったと指摘。教会内の改革派も、精神的なリフレッシュを求めるために魔女や魔術の概念を利用したとのこと。 教会が魔女の概念を広めた結果、15世紀〜18世紀にかけて5万人もの人々が魔女狩りによって処刑され、大規模なものでは一度に数百人が処刑されたとされています。やがてヨーロッパの魔女狩りは収束して魔女や魔術は再び迷信となりましたが、当初は権力者側が魔女や魔術を民衆に信じさせるためにさまざまな試みを行ったという点は、覚えておく価値があるとBailey教授は述べました。 https://gigazine.net/news/20200707-invention-satanic-witchcraft-initially-skepticism/
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