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カミュの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/427.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 02 日 23:35:09: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ドストエフスキーの世界 投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 27 日 19:44:56)


ルキノ・ヴィスコンティ『異邦人 Lo Straniero 』 1967年
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/646.html

内田樹 「なぜ人を殺してはいけないのか?」
20世紀の倫理−ニーチェ、オルテガ、カミュ - 内田樹の研究室
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/520.html  

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コメント
1. 中川隆[-13219] koaQ7Jey 2020年4月17日 17:20:14 : R3c9pf36SU : dEVkTUMvd3ZaM0U=[15] 報告

カミュの『ペスト』が問うているもの 極限のなかで生まれる立ち向かう力
書評・テレビ評2020年4月17日
https://www.chosyu-journal.jp/review/16521


 新型コロナウイルスの感染拡大が世界的に広がるなか、フランスの作家、アルベール・カミュが一九四七年に発表した『ペスト』が読まれているという。『ペスト』新潮文庫版は、例年5000部程度の増刷だったが、今年は2月以降だけで15万部をこえる増刷となっている。また、フランス、イタリア、イギリスでもベストセラーになっている。文学者などの意見をふまえつつ、どんな内容が共感を呼び、それによってどんな思想的営みが広がっているか考えてみた。

 下関市の大手書店に聞くと、『ペスト』は「今年初めに数冊注文したが、その後もお客様からの問い合わせが続き、売れ続けている。コロナの感染が広がる今と重なるところがあるからのようだ」という。

 下関市で教鞭をとるフランス文学の教員は、「今の社会状況とリンクするからだろう。授業でもとりあげたい」とし、「人間の力ではコントロールできない自然の脅威に囲まれ、それでも少しでも犠牲者を減らそうと懸命に努力して次の世代につないでいく。今回だけでなく、そのようにして歴史が積み重ねられてきた。今の危機的な状況のなかで、この本を読み、逆に落ち着いてそういうことを考えるようになっているのかなと思う」と話した。

 作家の平野啓一郎は、「コロナとのたたかいは長期戦になる。だからこそ、目先のことでなく、これからの世の中どう生きていくかを考える時間にあてるべきだ。大きな時間の流れのなかで人間が疫病とどうたたかってきたかについて、本を読むこと。『ペスト』では、非常に大きな困難に直面するなかで、根性論ではなく、現状を克服するクリエイティブな知恵を出し合うことの大事さを学ぶことができる。日本を良い方向に変えるきっかけになればと思う」とのべている。

 同じく作家の高橋源一郎は、「『ペスト』は2年前に終わった戦争やナチスをペストにたとえ、人間の力をこえた大きな力に襲われたとき、人々はどのように混乱し、どう立ち向かうかを徹底して
考えた小説だ。多くの人が亡くなったけれども、そのとき患者の命を救うために立ち向かった人たちがおり、その記憶は決して忘れてはならないし、それを次世代が引き継いでほしいということがいいたかったのではないか」とのべている。

 『ペスト』は194*年、フランス領アルジェリアの要港、オラン市を舞台にしている。春先にネズミの死骸が次々と、数え切れないぐらい発見されるところから物語は始まる。続いて原因不明の熱病による死者が急増し、感染拡大を防ぐためにオラン市は封鎖される。外部とまったく遮断され、いつ終息するかもわからぬ閉塞感のなかで、オラン市の市民たちの10カ月にわたるたたかいの記録という体裁をとって書かれている。

 6月末には真夏の気温上昇と1日の死者のうなぎ登りの上昇が一致するなか、町から出ることを重ねて禁止し、違反者には投獄の刑をもって臨む旨の布告が新聞に発表された。海は禁止されて夏の楽しみは奪われ、観光旅行は禁止されてホテルは空き室だらけとなった。電車の乗客はできるだけ背を向け合って互いに伝染を避けようとし、頻繁にただの不機嫌だけに起因する喧嘩が起こった。時とともに食料補給の困難が増大し、そこに投機が介入してきて、貧しい家庭ほど苦しい事情に陥った。棺桶も墓地も足りないなか、まさに戦場を思わせる埋葬の様子も描かれる。

 極限の場は、それぞれの人間の本性を浮き彫りにする。医師リウーが「病気は48時間以内に死をもたらすペストであり、放置すれば2カ月以内に全市民の半数が死ぬ」としきりに主張した結果、ようやく県庁で保健委員会が招集された。だが県知事は、ペストと認めれば予算を伴う仮借ない措置をとらねばならないため責任逃れから尻込みし、県知事を忖度する医師がヨイショする。こうして初動に失敗し後手後手に回る様子は、日本の今を見るようだ。

 事態打開のきっかけは、他県から来た医師タルーとリウーとの出会いだった。タルーは「県の保険部門の組織がまるでダメだ。あなた方には人手も時間も不足している」「当局に任せておいたら、みんなやられてしまう。しかも彼らと一緒にわれわれまでも」といい、当局抜きで志願の保健隊を組織することを提案する。「私の友だちが最初の中核になってくれるだろう。当然、私も参加する」というと、リウーも「この仕事は命にかかわる。でも大勢の病人がおり、目の前で苦しんでいるのだから、もっとも急を要するのは彼らを治してやることだ。その後で当局も反省するだろう」と一致する。経験のある老医師カステルは、外来の物でなく、この町を荒らしている菌自体の培養によって血清を製造する努力を始めた。

 そしてカミュは、けっしてこの二人の医師だけを英雄にせず、事態の進行のなかで人間的な新しいモラルに目覚めた裏方の人たちにも光を当てている。最初はペストに神の懲罰を見、人々に悔い改めることを説いていたパヌルー神父は、罪なき幼児の死に直面したときそれを反省し、みずから保健隊に身を投じて病に倒れた。若い新聞記者ランベールは、最初個人の幸福が第一だと主張し、ペストの町を脱してパリの愛人の下に帰ろうと努力するが、「すべてを見た今、僕はもうこの町の人間だ。この町を捨てて彼女と再会しても、きっと恥ずかしい思いがするだろう」といって、縁の下の力持ちになる決意を打ち明けた。

 この作品はフィクションではあるが、著者の戦争体験が深刻に投影しているというのは、多くの評者の一致した見方のようだ。カミュはドイツがフランスを占領したとき、仏領アルジェリア・オラン市の私立学校で教鞭をとりつつ、反ナチのレジスタンスに参加した。その真情は、カミュの分身でもあろうタルーの「僕は今の社会に蔓延する虐殺に、たった一つの根拠でも与えることは絶対に阻止しようと誓ったんだ」という言葉にもあらわれている。タルーは、市民がペストから解放され歓喜に浸っているときに、ペストによってリウーに見守られつつ帰らぬ人となるが、そのようにして亡くなった人を決して忘れず、次の世代にその遺志を受け継いでほしいという願いが込められていると思う。

 それにしても、「もう政府に任せておけない。われわれみんなで人の命を救おうじゃないか」という力は、カミュの生きた時代よりも今の方が格段に強まっているのではないか。

https://www.chosyu-journal.jp/review/16521

2. 中川隆[-13012] koaQ7Jey 2020年4月22日 20:09:17 : 13OAtnQgho : d2VxeFFzSXBVMTI=[27] 報告

―― カミュは有名な小説『ペスト』のなかで、最終的に「ペストを他人に移さない紳士」の存在に希望を見出しています。ここに、いま私たちが何をなすべきかのヒントがあると思います。

内田 『ペスト』では、猛威を振るうペストに対して、市民たち有志が保健隊を組織します。これはナチズムに抵抗したレジスタンスの比喩とされています。いま私たちは新型コロナウイルスという「ペスト」に対抗しながら、同時に独裁化という「ペスト」にも対抗しなければならない。その意味で、『ペスト』は現在日本の危機的状況を寓話的に描いたものとして読むこともできます。

 『ペスト』の中で最も印象的な登場人物の一人は、下級役人のグランです。昼間は役所で働いて、夜は趣味で小説を書いている人物ですが、保健隊を結成したときにまっさきに志願する。役所仕事と執筆活動の合間に献身的に保健隊の活動を引き受け、ペストが終息すると、またなにごともなかったように元の平凡な生活に戻る。おそらくグランは、カミュが実際のレジスタンス活動のなかで出会った勇敢な人々の記憶を素材に造形された人物だと思います。特に英雄的なことをしようと思ったわけではなく、市民の当然の義務として、ひとつ間違えば命を落とすかもしれない危険な仕事に就いた。まるで、電車で老人に席を譲るようなカジュアルさで、レジスタンスの活動に参加した。それがカミュにとっての理想的な市民としての「紳士」だったんだろうと思います。

「紳士」にヒロイズムは要りません。過剰に意気込んだり、使命感に緊張したりすると、気長に戦い続けることができませんから。日常生活を穏やかに過ごしながらでなければ、持続した戦いを続けることはできない。

「コロナ以後」の日本で民主主義を守るためには、私たち一人ひとりが「大人」に、でき得るならば「紳士」にならなけらばならない。私はそう思います。


コロナ危機で中産階級が没落する

―― 日本が失敗したからこそ、独裁化の流れが生まれてくる。どういうことですか。

内田 日本はコロナ対応に失敗しましたが、これはもう起きてしまったことなので、取り返しがつかない。われわれに出来るのは、これからその失敗をどう総括し、どこを補正するかということです。本来なら「愚かな為政者を選んだせいで失敗した。これからはもっと賢い為政者を選びましょう」という簡単な話です。でも、そうはゆかない。

 コロナ終息後、自民党は「憲法のせいで必要な施策が実行できなかった」と総括すると思います。必ずそうします。「コロナ対応に失敗したのは、国民の基本的人権に配慮し過ぎたせいだ」と言って、自分たちの失敗の責任を憲法の瑕疵に転嫁しようとする。右派論壇からは、改憲して非常事態条項を新設せよとか、教育制度を変えて滅私奉公の愛国精神を涵養せよとか言い出す連中が湧いて出て来るでしょう。

 コロナ後には「すべて憲法のせい」「民主制は非効率だ」という言説が必ず湧き出てきます。これとどう立ち向かうか、それがコロナ後の最優先課題だと思います。心あるメディアは今こそ民主主義を守り、言論の自由を守るための論陣を張るべきだと思います。そうしないと、『月刊日本』なんかすぐに発禁ですよ。

―― 安倍政権はコロナ対策だけでなく、国民生活を守る経済政策にも失敗しています。

内田 コロナ禍がもたらした最大の社会的影響は「中間層の没落」が決定づけられたということでしょう。民主主義の土台になるのは「分厚い中産階級」です。しかし、新自由主義的な経済政策によって、世界的に階級の二極化が進み、中産階級がどんどん痩せ細って、貧困化している。

 コロナ禍のもたらす消費の冷え込みで、基礎体力のある大企業は何とか生き残れても、中小企業や自営業の多くは倒産や廃業に追い込まれるでしょう。ささやかながら自立した資本家であった市民たちが、労働以外に売るものを持たない無産階級に没落する。このままゆくと、日本社会は「一握りの富裕層」と「圧倒的多数の貧困層」に二極化する。それは亡国のシナリオです。食い止めようと思うならば、政策的に中産階級を保護するしかありません。

 野党はどこも「厚みのある中産階級を形成して、民主主義を守る」という政治課題については共通しているはずです。ですから、次の選挙では、「中産階級の再興と民主主義」をめざすのか「階層の二極化と独裁」をめざすのか、その選択の選挙だということを可視化する必要があると思います。

―― 中産階級が没落して民主主義が形骸化してしまったら、日本の政治はどういうものになるのですか。

内田 階層の二極化が進行すれば、さらに後進国化すると思います。ネポティズム(縁故主義)がはびこり、わずかな国富を少数の支配階層が排他的に独占するという、これまで開発独裁国や、後進国でしか見られなかったような政体になるだろうと思います。森友問題、加計問題、桜を見る会などの露骨なネポティズム事例を見ると、これは安倍政権の本質だと思います。独裁者とその一族が権力と国富を独占し、そのおこぼれに与ろうとする人々がそのまわりに群がる。そういう近代以前への退行が日本ではすでに始まっている。


■民主主義を遂行する「大人」であれ!

―― 今後、日本でも強権的な国家への誘惑が強まるかもしれませんが、それは亡国への道だという事実を肝に銘じなければならない。

内田 確かに短期的なスパンで見れば、中国のような独裁国家のほうが効率的に運営されているように見えます。民主主義は合意形成に時間がかかるし、作業効率が悪い。でも、長期的には民主的な国家のほうがよいものなんです。

 それは、民主主義は、市民の相当数が「成熟した市民」、つまり「大人」でなければ機能しないシステムだからです。少なくとも市民の7%くらいが「大人」でないと、民主主義的システムは回らない。一定数の「大人」がいないと動かないという民主主義の脆弱性が裏から見ると民主主義の遂行的な強みなんです。民主主義は市民たちに成熟を促します。王政や貴族政はそうではありません。少数の為政者が賢ければ、残りの国民はどれほど愚鈍でも未熟でも構わない。国民が全員「子ども」でも、独裁者ひとりが賢者であれば、国は適切に統治できる。むしろ独裁制では集団成員が「子ども」である方がうまく機能する。だから、独裁制は成員たちの市民的成熟を求めない。「何も考えないでいい」と甘やかす。その結果、自分でものを考える力のない、使い物にならない国民ばかりになって、国力が衰微、国運が尽きる。その点、民主主義は国民に対して「注文が多い」システムなんです。でも、そのおかげで復元力の強い、創造的な政体ができる。

 民主主義が生き延びるために、やることは簡単と言えば簡単なんです。システムとしてはもう出来上がっているんですから。後は「大人」の頭数を増やすことだけです。やることはそれだけです。

http://blog.tatsuru.com/2020/04/22_1114.html

3. 中川隆[-15607] koaQ7Jey 2021年11月03日 13:59:59 : 50sF8abUFo : Vy5YZG9yS1RyejY=[22] 報告
歴史修正主義が出てくる文脈は世界中どこでも同じだ。戦争経験者がしだいに高齢化し、鬼籍に入るようになると、ぞろぞろと出てくる。現実を知っている人間が生きている間は「修正」のしようがない。それは、ドイツでもフランスでも同じだ。
 フランス人も自国の戦中の経験に関しては記憶がきわめて選択的だ。レジスタンスのことはいくらでも語るが、ヴィシー政府のこと、対独協力のことは口にしたがらない。フランスでヴィシーについての本格的な研究が出てきたのは、1980年代以降。それまではタブーだった。その時期を生きてきた人たちがまだ存命していたからだ。自分自身がヴィシーに加担していた人もいたし、背に腹は代えられず対独協力をして、必死で占領下を生き延びた人もいた。彼らがそれぞれの個人的な葛藤や悔いを抱えながら、戦後フランスを生きていることを周りの人は知っていた。そして、それを頭ごなしに責めることには抵抗があった。

 ベルナール=アンリ・レヴィが『フランス・イデオロギー』という本を書いている。ドイツの占領下でフランス人がどのようにナチに加担したのかを赤裸々に暴露した本だ。レヴィは戦後生まれのユダヤ人なので、戦時中のフランスの行為については何の責任もない。完全に「手が白い」立場からヴィシー派と対独協力者たちを批判した。しかし、出版当時、大論争を引き起こした。

 少なからぬ戦中派の人々がレヴィの不寛容に対して嫌悪感を示した。レイモン・アロンもレヴィを批判して、「ようやく傷がふさがったところなのに、傷口を開いて塩を擦り込むような不人情なことをするな」というようなことを書いた。私はそれを読んで、アロンの言うことは筋が通らないが、「大人の言葉」だと思った。「もう、その話はいいじゃないか」というアロンの言い分は政治的にはまったく正しくない。しかし、その時代を生きてきた人にしか言えない独特の迫力があった。アロン自身はユダヤ人で、自由フランス軍で戦ったのであるから、ヴィシーや対独協力者をかばう義理はない。だからこそ、彼がかつての敵について「済んだことはいいじゃないか。掘り返さなくても」と言った言葉には重みがあった。

 80年代からしばらくはヴィシー時代のフランスについてのそれまで表に出なかった歴史的資料が続々と出てきて、何冊も本が書かれた。しかし、ヴィシーの当事者たちは最後まで沈黙を守った。秘密の多くを彼らは墓場に持っていってしまった。人間は弱いものだから、自分の犯した過ちについて黙秘したことは人情としては理解できるが、結果的にヴィシーの時代にフランス人が何をしたのかが隠蔽され、歴史修正主義者が登場してくる足場を作った。戦争経験者の多くが死んだ後に、歴史修正主義者たちが現れて、平然と「アウシュヴィッツにガス室はなかった」というようなことを言い出した。そのあたりの事情は実は日本とそれほど変わらない。
 アルベール・カミュの逡巡もその適例である。カミュは地下出版の 『戦闘』の主筆としてレジスタンスの戦いを牽引した。ナチス占領下のフランスの知性的・倫理的な尊厳を保ったという点で、カミュの貢献は卓越したものだった。だから、戦後対独協力者の処刑が始まった時、カミュも当然のようにそれを支持した。彼の仲間たちがレジスタンスの戦いの中で何人も殺されたし、カミュ自身も、ゲシュタポに逮捕されたらすぐに処刑されるような危険な任務を遂行していたのである。カミュには対独協力者を許すロジックはない。しかし、筋金入りの対独協力者だったロベール・ブラジャックの助命嘆願署名を求められた時、カミュは悩んだ末に助命嘆願書に署名する。ブラジャックの非行はたしかに許し難い。けれども、もうナチスもヴィシーも倒れた。今の彼らは無力だ。彼らはもうカミュを殺すことができない。自分を殺すことができない者に権力の手を借りて報復することに自分は賛同できない。カミュはそう考えた。

 このロジックはわかり易いものではない。対独協力者の処刑を望むことの方が政治的には正しいのだ。だが、カミュはそこに「いやな感じ」を覚えた。どうして「いやな感じ」がするのか、それを理論的に語ることはできないが、「いやなものはいやだ」というのがカミュの言い分だった。
 身体的な違和感に基づいて人は政治的な判断を下すことは許されるのかというのは、のちに『反抗的人間』の主題となるが、アルベール・カミュとレイモン・アロンは期せずして、「正義が正義であり過ぎることは人間的ではない」という分かりにくい主張をなしたのである。

 レジスタンスは初期の時点では、ほんとうにわずかなフランス人しか参加していなかった。地下活動という性格上、どこで誰が何をしたのかについて詳細な文書が残っていないが、1942年時点でレジスタンスの活動家は数千人だったと言われている。それが、パリ解放の時には何十万人にも膨れ上がっていた。44年の6月に連合軍がノルマンディーに上陸して、戦争の帰趨が決してから、それまでヴィシー政府の周りにたむろしていたナショナリストたちが雪崩打つようにレジスタンスの隊列に駆け込んできたからだ。その「にわか」レジスタンたちが戦後大きな顔をして「私は祖国のためにドイツと戦った」と言い出した。そのことをカミュは苦々しい筆致で回想している。最もよく戦った者はおのれの功績を誇ることもなく、無言のまま死に、あるいは市民生活に戻っていった、と。

『ペスト』にはカミュのその屈託が書き込まれている。医師リウーとその友人のタルーはペストと戦うために「保健隊」というものを組織する。この保健隊は明らかにレジスタンスの比喩である。隊員たちは命がけのこの任務を市民としての当然の義務として、さりげなく、粛々として果たす。英雄的なことをしているという気負いはないのだ。保健隊のメンバーの一人であるグランはペストの災禍が過ぎ去ると、再び、以前と変わらない平凡な小役人としての日常生活に戻り、ペストの話も保健隊の話ももう口にしなくなる。カミュはこの凡庸な人物のうちにレジスタンス闘士の理想のかたちを見出したようだ。

 フランスにおける歴史の修正はすでに1944年から始まった。それはヴィシーの対独協力政策を支持していた人々が、ドイツの敗色が濃厚になってからレジスタンスに合流して、「愛国者」として戦後を迎えるという「経歴ロンダリング」というかたちで始まった。それを正面切って批判するということをカミュは自制した。彼自身の地下活動での功績を誇ることを自制するのと同じ節度を以て、他人の功績の詐称を咎めることも自制した。他人を「えせレジスタンス」と批判するためには、自分が「真正のレジスタンス」であることをことさらに言い立てて、彼我の差別化を図らなければならない。それはカミュの倫理観にまったくなじまないふるまいだった。ナチス占領下のフランスで、ヴィシー政府にかかわったフランス人たちがどれほど卑劣なふるまいをしたのかというようなことをことさらに言挙げすることを戦後は控えた。カミュは「大人」であったから。

 各国で歴史修正主義がそれから後に跳梁跋扈するようになったのは、一つにはこの「大人たち」の罪でもあった。彼らがおのれの功績を誇らず、他人の非行を咎めなかったことが歴史修正主義の興隆にいくぶんかは与っている。「大人」たちは、歴史的な事実をすべて詳らかにするには及ばないというふうに考えた。誇るべき過去であっても、恥ずべき過去であっても、そのすべてを開示するには及ばない。誇るべきことは自尊心というかたちで心の中にしまっておけばいいし、恥ずべき過去は一人で深く恥じ入ればいい。ことさらにあげつらって、屈辱を与えるには及ばない。「大人」たちは、勝敗の帰趨が決まったあとに、敗者をいたぶるようなことはしない。対独協力者たちを同胞として改めて迎え入れようとした。人間的にはみごとなふるまいだと思うが、実際には「大人」たちのこの雅量が歴史修正主義の温床となった。私にはそんなふうに思える。

http://blog.tatsuru.com/2021/11/03_0754.html

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